グッド!ローニング   作:レスキュー係長

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⑦その提案に何を思うか

蝉の音がそこかしこの木々からやかましいほどに聞こえる八月中旬。

八幡の姿は東京国際展示場にあった。さほど大きくはない長机の一角で琴美の指示により、せっせと準備に取りかかっている。

 

コミックマーケット。世界最大の同人誌販売会であり、毎年夏、冬と執り行われるこの一大イベントは多くの人々の心を掴んで離さない。八幡は今回、自身の所属する文芸サークルを代表して参加している。無論、参加を決めたのは琴美である。その旨を始めて聞いたとき、結衣の事を盾に断ったのだが琴美は頑として譲らなかった。又、結衣や雪乃にせっかく誘ってもらっているのだから参加するべきだと言われたため、断る理由は見事に消え去り、仕方なく参加しているのだ。

 

 

長机の約半分のスペースには鮮やかな模様のテーブルクロスがかけられ、置かれている部誌の新作と漫画研究部の同人誌が綺麗に並べられている。人々の目を引く美しいPOPは琴美のオリジナルだ。

 

 

「お疲れさん、ハチ君。といってもまだ始まってもいないけど。」

 

 

そう準備を終え、イスに座り一休みしている八幡にそこらで買ってきたのであろうまだ水滴が付いているスポーツドリンクを渡したのは琴美であった。

 

 

「うす。まあ並べるだけなんで疲れるようなことはしてないですけどね。」

 

「大丈夫。これからうんと働いてもらうから。」

 

「マジっすか……。俺、割と頑張ってるつもりなんですけどね。なんというか、体よく使われている感じは否めないんですけど。」

 

 

彼の中では既に話は終わっているはずなのだ。実際に期限通りに渾身のオリジナルを書き、一仕事終えたと思った矢先こんな事になっているのだから不満を持つのも当然のことである。

 

 

「そんなことないよ。毎年、期待の新人は連れてくることになってるの。たまたまよ、たまたま。」

 

 

そんな後輩のチクりと刺すような小言も何にも気にすること無く、琴美はだたすぐそこまで来ている同人誌を愛する同志との出会いに胸をときめかせていた。

 

 

「まあ、良いですけど。でも、コミケで小説出すようなサークルに来てくれるんですかね。そもそもコミックじゃないし、二次創作でもない。言い方悪いっすけど、たぶんこの委託された漫画研究部の部誌の方が断然売れると思いますけどね。」

 

 

彼自身、確かに部誌の中身についてはなかなかの物がそろっているとは思っている。先輩達の作り上げたそれらは本当によく練り上げられているし、商業作家と然程変わらないのではないかとも思うような人もいる。しかしコミックマーケットである以上、小説は敬遠されるはずではないか。

 

 

「……ウチの部誌、なめてももらったら困るな。まあ、見ていれば分かるよ。ウチがどれだけのサークルかあと五分もすれば、ね。」

 

 

遠くからスタッフの声が慌ただしくなるのを感じる。いよいよ、開始の時間なのであろう。

 

八幡と琴美は周りのサークルに挨拶を済まし、いざ来る人々の波に対して決して飲み込まれないように近づいて来る足音の方向へ注意を向けた。

 

 

 

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時が進み、既に午後。八幡は琴美と共にブースにて販売を続けていた。その顔はグンと疲れ切っていて、元々腐っていると言われ続けた目元は更に深みを増している。

 

 

正直、ここまで一次創作の小説が売れ続けるとは考えていなかった。開始直後こそ目立ってはいなかったが、徐々に売り上げの伸ばし始め、今や委嘱されていた漫画研究会の部誌を上回っている。

八幡が最も驚いたのはコアなファンの存在だ。サークルのOBや前々から部誌に惹かれたファン達が大量に押し寄せてきた。どの人も毎年発行される部誌を楽しみにし、琴美との会話に花を咲かせている。

ここまでになったのはやはり琴美の手腕であろう。周りのサークルも琴美のことはしっかりと認知しているようで少し歩けばサークル関係者からファンにまで声を掛けられ、いつの間にかブースには人が集まる。そのコミュニケーション能力には脱帽である。

 

 

「しんど‥‥」

 

 

ブースには一時的に平穏が訪れる。しかし、一度琴美が動けばすぐさま人が集まってしまうから油断はできない。

 

 

「お疲れ、お疲れ。いや、去年より断然売れてるね。やっぱりウチの看板作家が接客してくれてるからかな。」

 

 

八幡の隣に座る琴美はもうひと頑張りと言わんばかりに八幡に栄養ドリンクを差し入れる。

 

 

「勝手に看板作家にしないでもらいたいんすけどね。言っても聞かないと思うけど。」

 

 

コミケ期間中、琴美は事ある毎に八幡を新人看板作家として様々な人に紹介していた。下手に目立ちたくない彼からすれば迷惑以外の何者でもないが、その旨を伝えたところで彼女は聞かないだろうことは容易に想像できる。

 

 

「匝瑳、久しぶり。お前に内定断られて以来か?」

 

「ああ、立脇さん。お久しぶりです。」

 

 

琴美に話しかけたのは頭はボサボサ、服もお世辞でも綺麗とはいえない、無精髭を生やしている、と社会人とは思えない大柄な男だった。琴美から立脇と呼ばれた男はブースに置かれた見本用の冊子を数ページ流し見る。その表情は真剣だ。

 

 

「ハチくん。休憩行ってきていいよ。」

 

「いやいや。まだ時間じゃないでしょうが。」

 

「お願い。行って。」

 

 

いつになく真剣なその声色に大人しく従う。何かしら理由があるんだろう。であるならば強情に断る必要はない。八幡はその場からいそいそと離れていく。

 

 

 

ブースには琴美と立脇だけが残る。周りには立脇の威圧感からか客は寄り付いてはこない。

 

 

「まだこんなサークル続けてるのか。いい加減社会人になったらどうだ。流石にもう一年留年は家族が許さないだろ。」

 

「ちゃんと卒業しますよ。また立脇さんの会社、面接行くのでよろしくです。」

 

「勘弁してくれ‥‥推薦した俺がどれだけ上司にグチグチ言われたか。本来なら出版業界で仕事なんてできないレベルだぞ。で、卒業するってことは見つけたのかよ。お前が辞退する時に話してたよな。〝私をワクワクさせる作家をみつけるまで卒業できない〟って。」

 

「見つけましたよ。さっきまでいた彼です。部誌にも二本ほど載っけてますから是非。」

 

 

立脇は金を琴美へ渡し、今度は八幡の小説を中心に読み始める。

 

 

「まあ、悪くはないな。心理、情景描写が丁寧かつミステリーとしての基本はしっかり抑えてもある。文体にやや素人っぽさはあるが鍛えればどうにでもなる。いい作家を見つけたな。」

 

「五年目にしてようやくです‥‥本人は執筆に前向きじゃないみたいですけど。」

 

 

琴美も馬鹿ではない。八幡が創作活動に積極的ではないことくらい知っている。それでも彼の才能はこのままつまらない社会へ送り出すにはあまりにも惜しい。

 

 

「‥‥才能が眩しいです。彼の書いてくるその全てが私にとって愛しい。」

 

「おいおい。まるで惚れてるみたいじゃ‥‥いや、あながち間違いじゃねえのか。ともかく、編集者になりたいなら気乗りしない作家くらいその気にさせろ。じゃあ、俺は会社のブースに戻るから。なんか相談したいことがあったら電話でもしてくれ。」

 

 

 

そう立ち去ってゆく立脇。彼は察してしまったのだ。琴美が完全に恋する乙女のような表情をしていたことを。

 

挨拶を、と琴美は思ったが立脇がいなくなると狙っていたかのようにブースに人だかりができてしまった。仕方なく、愛想を振りまきながら客を処理していく。

 

 

 

 

休憩を貰った八幡はたまたま空いていたベンチにてコンビニのおにぎりを頬張りながらスマホでニュースを見る。周りにはコスプレイヤーがウジャウジャと歩いており、目の置き所に困るのだ。

 

八幡の溜息は人混みの中にすぐ消える。この三日間、彼女達とは連絡をとっていない。果たしてしっかりと勉強しているのだろうか。

 

まるで親のように心配している自分に気づき、ハッとする。昔の自分ならそんな考えはしなかっただろう。

 

 

眺めていたスマホの画面が暗くなる。バックライトが暗くなったのかとボタンを触るが、主だった変化はない。

 

 

「あの!」

 

 

前から声を掛けられている、そう気がつくのに時間は掛からなかった。八幡が目の前に目線を持ってくるとまだ高校生くらいだろうか、女の子が立っていた。

 

 

「あの、〝Q&A〟を書いた比企谷八幡さんですよね。」

 

彼女の両手には多くの同人誌が重ねられており、その中から部誌もあるようだった。

 

 

「え、あ、はい。まあ、そうだけど‥」

 

 

挙動不信になる八幡。そもそもコミュニケーション能力がない彼にとって知らない人で尚且つ女性から話しかけられればそうなるのも致し方ないことであろう。

 

 

「ああ、良かった。やっと会えました。私、これ読みました。本当に面白かったです!特に主人公とヒロインが‥‥」

 

 

堰を切ったように彼女の口からは感想が止めどなく溢れ出る。戸惑いもあった八幡であったが、何だか今まで感じたことがないような不思議な感覚に襲われていた。胸の奥が暖かい。

 

 

「あ、ごめん。そろそろ時間だから。」

 

 

この場から逃げ出したくってたまらなかった。八幡は立ち上がり、ブースへと戻ろうとする。

 

 

「す、すいません。御時間取らせてしまって。次回作も待ってますね!」

 

 

彼女の声は確かに彼の耳には届いていたが、返事はせず、会釈だけをして歩き出す。顔を真っ赤にしたのを見られたくなくて俯いていたのは無意識であったのだろう。

 

 

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夕方。既に撤収や反省会を終え、八幡と琴美はサークルの打ち上げ会場へ向かっている途中だ。真っ赤に染まった夕日は並んで歩く二人の肌をジリジリと焼く。横断歩道手前で信号を待っていると琴美は急に話し始めた。

 

 

「儲かった、儲かった!さあ、今日は飲もうよ!」

 

「いや、未成年なんでダメでしょ。」

 

 

琴美のもはやボケなのかもわからないその提案をヌルリと交わす八幡は頭の中は先ほどの彼女で頭が一杯だった。

あの時の感覚が今も忘れられなかったのだ。心が暖かくなる、そんな感覚を。

 

 

「ハチくん。なんか良いことあった?にやけてるよ。」

 

 

そうケラケラと笑う琴美から指摘されて初めて口角が上がっていることに気がつく。

 

 

「なんにもないっすよ。」

 

「嘘が下手だな、ハチくんは。当ててあげるよ。そうだな、初めてのファンに会った。どう?」

 

「ファンというか感想を直接言われただけですよ。」

 

「それをファンと言うんだよ。全く素直じゃないんだから‥‥」

 

 

琴美は八幡より少し前へスキップし振り向く。後ろ歩きで八幡と向かい合う。

 

 

「感想を言われてハチくんは何を思った?」

 

「いや、別になんとも‥‥」

 

「それは嘘だね。」

 

 

歩きを止める琴美。同様に八幡も止まる。

 

 

「君はとても嬉しかったはずだよ。クリエイターにとって最も大切な〝ファン〟から直接感想をもらったんだもの。胸の奥が熱くなったんじゃない?その暖かさは財産だよ。」

 

 

八幡は黙ったまま動かない。

 

琴美はそんな八幡へ近づき、一枚のチラシを差し出した。

 

 

「ハチくん。お願いがあるんだ。冬に大手出版社主催の小説の賞レースがあるの。君に出て欲しいの。」

 

「‥‥お断りします。」

 

 

二人の間に強い風が通る。ジメジメと生ぬるいその風はあたりに落ちつつある枯葉を巻き上げていく。

 

 

「‥‥どうしてか、聞いていい?」

 

「今回は仕方なくです。サークルの決まりごとだからどうにか書き切っただけなんで。というか、なんで俺なんですか。」

 

 

八幡からすれば彼女がなぜ自分ばかり関わってくるのか前々から理解できなかった。上手い人ならサークル内に幾らでもいる。自分に執着する必要性が分からない。

 

しかし、その返事はあまりにも意外なものだった。

 

 

「私が君のファンの一人だから、かな。」

 

 

えっ。と固まる八幡。

 

 

「ハチくん、私の夢は〝私の心を震わせる作家〟に出会うことなんだ。君と初めて会った時、面白い子が入ってきたって思ったものだよ。君のその独自の物事の捉え方、捻くれた優しさを持つ人間は周りにいなかったからね。最初に書いてきたあの共作、あれを見た時には震えた。面白い。まだ世界にはこんな作家が残ってたんだ!って一人でテンション上がっちゃってさ。今では君の書く全てが愛しく思ってるほどだよ。」

 

 

なんだ、まるで告白のようではないか。八幡は激しく動揺していた。

そんな八幡へ微笑みながらも琴美は追い討ちをかける。

 

 

「正直、こんなコンテストなんてどうでもいいの。私は君に小説を書き続けて欲しい。でもこれは私の勝手なワガママだよね。それに君にはなんのメリットもない。なら、こんな契約はどう?君は私のために小説を書く。その代わり、君に私の全てを差し出す。君が働きたくないなら私が君を養う。君は私のために小説を書くだけでいい。どうかな、ハチくん。いや、比企谷先生。」

 

「いや、ちょっと待って‥‥」

 

 

その瞬間、彼の目の前の世界は止まった。気づけば目の前には彼女の顔があり、甘い香りが鼻腔に充満する。唇を重ねられているのだと気がつくのに思っているより時間が掛かった。


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