グッド!ローニング   作:レスキュー係長

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⑩前編は騒々しく

 

 

秋の冷たい風が街に流れる。ほんの少し前までは半袖でも過ごしやすい日々だったがここ数日でグンと冷え始めた。着る服が長袖に、そして羽織るものが一枚、また一枚と増えるごとに近づきつつある厳しい冬の予感を感じてしまう。

 

そんな冷たい風をマトモに浴びた結衣は東京のある駅前に降り立っていた。周りには沢山の人が大きな流れを作り、一つの目的地へむかっているようだった。

 

 

 

鎌倉の時から、何だか気まずくて連絡を絶っていた八幡から息抜きに学園祭へ来ないか、と提案されたのは一週間前であっただろうか。

最初、彼女は断るつもりだった。赤本の研究含めやることはたくさんあったからだ。ただモチベーションが下がりつつあるのも事実で、ひたすらに机に張り付く日々にうんざりし、何のために勉強しているのか見失ってもいた。

そんな中、チューターとの面談で〝そろそろモチベーションが下がってくる頃だし、大学の学園祭でも行ってくれば?〟と後押しを受けたのだ。ならば行くしかない。そう決意した日から勉強時間が一時間増えた。

 

 

人の波に押し出されて気分が少し悪くなった結衣は脇道に逸れ、あたりを落ち着いて見渡してみる。

 

駅前のロータリーは大学のお膝元であるのもかかわらずあまり栄えているようには見えない。だが、コンビニやファストフード店は建ち並び学生街としての機能はどうにか保っているようだった。はたして来年この街に通うことができるだろうか、とふと思ったその時だった。

 

 

「……もしかして由比ヶ浜先輩ですか。わあ!やっぱりそうだ!お久しぶりです!」

 

 

蜂蜜のように甘ったるい声。振り返れば、少し着崩した制服に亜麻色のセミロングに結衣は見覚えがあった。

 

「いろはちゃん、久しぶり!どうしてここに、って…そりゃ学園祭目当てだよね。」

 

「はい。私、ここの大学の法学部に推薦されることになりまして。それで大学の下見を兼ねて遊びに来た感じです。」

 

 

推薦。それは高校三年間積み重ね続けた者だけに渡されるチケットである。学校内での選考を抜ければほぼ合格確実というそれは今の結衣にとってうらやましいものでしかない。

 

 

「……推薦かあ。すごいな…いろはちゃん勉強も生徒会も手抜かなかったもんね。」

 

どうにか絞り出した声は少し裏返ってしまった。

 

 

「だってなめられたくないじゃないですか。どっちも手を抜かなければ誰も文句は言われないと思って。由比ヶ浜先輩はどうして‥‥」

 

「ヒッキーに誘われて、ね。閉じこもるだけの浪人生活じゃ息がつまるだろうって。」

 

「そう言えばセンパイもこの大学でしたっけ。あ、ということは‥‥」

 

 

由比ヶ浜結衣が比企谷八幡に告白したという噂はいろはの耳にも届いていた。ただその後皆それぞれの道へと行ってしまったためその後の話は知らない。

 

黙ってしまういろはに結衣は優しく語りかける。

 

 

「いろはちゃんが思っているようなことはないよ。もっと事態は進んでないから。ずっと待たせたまま時を止めてしまった。でもね。必ず時計を動かしてみせるつもり。来年、私もこの大学に入るから。その時はいろはとは同級生になるのかな。よろしくね!」

 

 

言葉は人を変える。いや、彼女は変わりたいのだ。だから戒めのように自分に対して語りかける。その言霊がいつか叶うことを信じて。

 

 

 

「由比ヶ浜先輩‥‥今日は私と一緒に回りましょう!」

 

 

いろははそう言って結衣の腕を組む。

 

 

「ちょ‥‥いろはちゃん⁉︎私は別にいいけど、待ち合わせてる友達とかは大丈夫なの?」

 

「友達‥‥私、今日は一人で来たんですよ。大体、一緒に行くほど仲のいい友達なんていませんから。さあ、いきましょう!」

 

「なんかすごい寂しい発言を聞いたような‥‥」

 

 

いろはにリードされるように進んで行く二人はその大きな流れに紛れていった。

 

 

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大学のキャンパスは思っているよりもずっと小さいことは門で貰ったmapガイドで分かった。お目当ては無論文芸サークルだ。結衣はキャンパス奥にあると記載されているサークルテナントにペンで丸をつける。

 

 

「何をやってるんですか、由比ヶ浜先輩。行きますよ。」

 

 

結衣を引っ張るいろはは迷いなく人混みを掻き分ける。このキャンパスには一度来たことがあった。サッカー部のマネージャーとして大学のグラウンドを練習試合で使わせてもらった時のことを微かに思い出しながら歩いていく。

 

 

「あ!いましたよ。センパイ〜!」

 

 

「げっ、由比ヶ浜はいいとしてなぜお前が‥‥」

 

 

目線の先には八幡が文芸サークルのテナント前で一人で店番していた。

目の腐りようは相変わらず。だが少し大人びて見えるのは何故だろうか。結衣は少し胸がチクっとする。

 

 

「ちょっと!可愛い後輩が遊びに来たのにその態度はなんですか。」

 

「可愛いとか笑わせんなよ。あざといの間違いだろ。」

 

 

まるであの頃のように漫談は突然に始まった。挑発するいろは。その挑発を容易くかわす八幡。そんな中、その輪に入れず外野で微笑むしかできなかったのは結衣だった。

 

 

「お前がまた後輩になるとか俺の平穏が奪われる気しかしない。」

 

「ほんと失礼ですよ!私はそんなことしませんから。由比ヶ浜先輩も何か言ってくださいよ!」

 

「わ、私は‥‥」

 

 

いろはからのパスにうまく切り返せない自分がいる。いつからこんなにコミュニケーション下手になったのだろう。

 

 

「な〜あに!楽しそうだね。私も混ぜてよ。いいよね、ハチくん。」

 

「勘弁してくださいよ。アンタが混ざるとややこしくなるでしょうが。」

 

 

声が後ろから聞こえたかと思えば、フワッと柑橘系の香水の香りが鼻をくすぐる。結衣の横を通り過ぎた女性は八幡の横に陣取り、二人に目を向けた。

 

 

「で、ハチくん。こんな可愛い子達どこで引っ掛けてきたの。あ、私このサークルの代表の匝瑳琴美です。ねえねえ、ちゃんとお姉さんに紹介してよ。」

 

 

ハチくん。ヒッキーは別のあだ名で呼ばれているのか。また胸がズキっとする。今度のはもっと痛い。

 

 

「‥‥別に引っ掛けてはないですからね。そっちの見るからにあざとそうな亜麻色小悪魔が高校の後輩、一色いろはです。なんかウチの大学に推薦で来るらしいです。興味ないっすけど。」

 

「なんでそんなどうしようもない紹介しかできないんですか‥‥初めまして、一色いろはです。」

 

 

綺麗に頭をさげるいろはは流石と言ったところか。琴美の顔も微笑んでいる。

 

 

「で、こっちが同じ部活だった由比ヶ浜結衣です。今は、その、浪人していて‥‥」

 

 

結衣はその時確かに琴美の顔が一瞬崩れたのを見た。何か言いたげな琴美の表情に少したじろぐ。

 

 

「そっか‥‥あなたが‥‥」

 

 

琴美はそれから言葉を続けることなく口を閉じる。ほんの少しだけ得も言えぬ程の奇妙な時間が空間を支配する。

 

 

「あ、あの、匝瑳さん。いえ、匝瑳先輩!大学について聞きたいことがあるんですが!」

 

 

支配から逃れたのはいろはだった。いろはは琴美の元へ行き懐へ上手く入っていく。

その際、いろはと結衣は目を合わした。いろはの目からは〝今のうちにセンパイと〟と話しているようで、たじろぎ固まっていた結衣の足に力を与える。

 

 

「ヒッキー、ちょっと時間ある?一緒に回りたいな〜なんて。」

 

「もうそろそろ休憩が欲しいころだと思ってたからな。行くか。」

 

「え?ちょっと待って、ハチくん。私、由比ヶ浜さんと少し話が‥‥」

 

「匝瑳先輩、大学のシステムがいまいち分からなくって‥‥」

 

 

離れて行く二人を引き留めようとする琴美にいろはは容赦なく質問をぶつけ、意識をこちら側に向けさせる。それに観念したのか琴美は諦め、いろはからの問いを捌き始めた。

 

 

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「人多いね。ビックリしちゃった。」

 

「そりゃ、日曜日だからな。今日は特に客が多くて、コミュ障には辛い。」

 

 

並んで歩く二人であったがその人の多さに埋もれてしまう。逆からの人の流れに捕まり流されて行く中、結衣の手には暖かい感触があった。

 

 

「あっ‥‥」

 

「こうしてないとはぐれるだろ。」

 

 

結衣は途端に自分の顔が熱くなるのを感じた。八幡も心なしか赤く火照っていたようで恥ずかしいのか顔を結衣には見せようとはしなかった。

 

 

「な、なんか食べよう。甘いもんでいいか?」

 

「うん‥‥」

 

 

彼が財布を取り出して向かったのはチュロスを売るブースだった。フライヤーから揚げられるチュロスの香ばしい香りが肺一杯に取り込まれる。

 

「どっちがいい?プレーンとココア。」

 

「じゃあ、こっち。ありがとうね、ヒッキー。」

 

差し出された種類の違うチュロスから結衣はココアを選び、口に入れる。揚げたての生地にまぶされた砂糖が口に広がる。

 

 

彼らは人を避けるように入った校舎に置かれたベンチに腰掛けた。

 

 

「どうだ。その、勉強の方は。」

 

「うん。夏休みの特訓が効いたのかな、センターも安定して八割取れるようになったし、ワンランク下の大学の過去問なら大体解けるよ。二人のおかげだね。」

 

「それは違う。手伝ったのは俺たちだが、実際に勉強したのはお前だろ。」

 

「それでも、ね。ありがとう。それからごめん。」

 

 

ベンチに座ってもなお繋いでいたその手を結衣はギュッと握る。

 

 

「いや、なんで謝る。今の話の中で謝る要素無かっただろうが。」

 

「鎌倉で私、訳わからないこと話したでしょ。ヒッキー、困った顔してたから、だから。」

 

「連絡寄越さなかったのもそれが原因かよ‥‥あんま気にすんな。お前も不安で一杯なんだろ。分かってるから。」

 

 

優しさが染みる。だから好きになった。でも果たしてその優しさに甘え続けていいのか。自分のワガママが彼を縛り付けているのではないか。

 

結衣は話題を変えることにした。話が暗くなりそうだったからだ。

 

 

「さっきの人が匝瑳さんなんだね。噂に聞いてたより普通の人そうだったけど。」

 

「いやいや。変人だからな。どんだけ振り回されたことか。まあ、どっかの姉よりはマシだけどな。」

 

 

なんだか匝瑳琴美の話になると話が弾んでいる八幡に胸が苦しくなる。彼の中に、別の女性が住んでいるかもしれない。付き合ってもいないのに嫉妬している自分が気持ち悪くて仕方がない。

 

 

「どうした、由比ヶ浜。」

 

「あのさ、あの時の約束。あれ、もう守らなくても‥‥」

 

 

「おっと!お二人さん。少しお待ちを。やっと見つけたよ。」

 

「ちょっと匝瑳先輩、話終わってないんですけど〜」

 

「え〜大体話したでしょ。私、由比ヶ浜さんだっけ?と話がしたいんだ。いいよね、ハチくん。」

 

「いや、それは本人に聞いてもらわないと‥‥」

 

 

八幡のなんとも歯切れの悪い答えに琴美は質問の矛先を変える。

 

 

「いいよね、由比ヶ浜さん。お話しましょう。」

 

 

またもや現れた琴美。微笑む彼女が何を考えているのか、その場にいた三人には全く分からなかった。

 


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