艦隊これくしょん・蒼海へ刻む砲火   作:月龍波

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1話:陸から来た男

騒音が殆ど聞こえない、漆黒の闇が天井を埋め尽くす真夜中。灯台の灯りが広大な海を照らす。その静寂の中、コンクリートで作り上げた地面を叩き擦る音が聞こえる。

 

灯台の光が音の主を照らし、それが人間だと分かる。だが、帽子を深めに被っており顔まではわからないが、身体の骨格からして男だろう。

 

二月の肌を突き刺すような寒さを運ぶ風に煽られ、紺の混ざった長い黒髪と身に纏った新緑色の軍服が揺れる。

冷風に身震いをしつつ、彼は左胸のポケットからふたつ折りにされた一枚の紙を取り出す。

 

それを開き短く読むと、折り戻しポケットに戻す。

 

ふうっ、と短く吐き出す吐息は白く、目の前で霧散する。

 

消え失せる吐息を見送った彼は、何かを確認するように周囲を見渡す。

 

そして彼の目に写ったのは港に座り込む少女だった。

 

氷を思わせるような、儚くも美しい長い銀髪は風に当てられ揺らめき、その髪と同じ色をした瞳は真っ直ぐ海を見つめていた。

 

――間違いない……。

 

彼は一つの確信を持つと、目を細め彼女へと近づく。

 

自身に近づく靴音に気がつき、彼女は立ち上がり音のする方向へと体を向ける。

 

見下ろす様に自分を見つめる彼は頭三つ分程大きい。

 

「……お前が(ひびき)で間違いないか?」

 

「はい、暁型駆逐艦2番艦【響】です」

 

静かな声音で発せられた言葉に彼は頷くと、彼は深めにかぶった帽子を押し上げる。

 

響は顕にされた彼の素顔に目を引かれることになる。

 

彼の顔には眉間から右上頬まで走る細い切り傷があったが、それは些細なことで本当の理由はドブ川の様に酷く濁った目であった。

 

「少し遅れてすまないな。私が本日付でこの横須賀鎮守府へ勤務する事となった者だ。よろしく頼む」

 

「……ようこそ、おいで下さ――」

 

はっ、と我に返った響は少し慌てて挨拶をする様に言葉を紡ぐ。

 

しかし、それは彼の出した左手によって遮られる。

 

「小難しい挨拶はいらん。それと、敬語もできれば止めてくれ」

 

「……分かった」

 

「ン、早速で悪いが鎮守府への案内を頼む。此処の地理は詳しくないのでな」

 

「了解、付いて来て」

 

そう言うなり響は背中を向け、彼を先導する様に歩き始める。

 

弱めの風が彼らに吹きつけられ、男は目の前に揺らめく銀髪を細めた目で見つめる。

 

ふと、ズボンのポケットから青色の短い長方形の紙箱を取り出し、タバコを一本抜き取るなり金色の龍が掘られた黒いオイルライターで点火する。

 

一つ吸い込み、少し貯めた後にゆっくりと煙を吐き出す。

 

ずっと歩き続け肉体が疲れたのか、ニコチンによって頭の中にモヤが掛かるような、目眩に近い感覚を覚えたが、冷気が肌を刺激し直ぐに収まる。

 

「……どうしたんだい?」

 

「……あぁ、すまん。少し疲れただけだ。直ぐに向かう」

 

響に声を掛けられ、ゆったりと返事を返す。

 

彼女との距離を見ると、随分と離れていることに気がつく。

 

――少し呆け過ぎたみたいだ……。

 

ため息を短く吐きながら、また一口タバコを蒸しつつ響の元へと向かう。

 

彼女は首をこっちへ向けたまま、じっと彼を見つめたまま動かない。

 

手の届く距離まで近づくと、ようやく彼女は視線を前に戻し、歩み始める。

 

なるほど、基本的に良い子みたいだ。と勝手に推測しつつ、彼女の後を追う。

 

 

 

あれから、二十分程歩いただろうか。響の案内にて、彼は白色の大規模な施設の入口とも言える場所に立っている。

 

今日から此処が新しい自分の“仕事場”だと脳が語りかけているが、特に何の感情も浮かばなかった。

 

「少し良いかい」

 

「…………?」

 

突如、自身の目の前にいる響が語りかけてくる。

 

何か重要な事でも有るのかと彼女の言葉を待ったが、返ってきたのは。

 

「このまま、貴方の執務室まで案内するけど。その前に他に行く場所はあるかい?」

 

という事だった。

 

確かに重要と言えば重要ではあるが、予め此処の司令長官から着任の報告は明日、ヒトマルマルマルに総司令長官室にて報告する様に言われている為、今日までにやることは特になかった。

 

その旨を響に伝えると、彼女は小さく頷いた後、付いてくるように促す。

 

携帯灰皿に、先ほど吸っていた二本目のタバコを潰し入れ、自身も響の後へとついていく。

 

自動ドアのセンサーが認識し、機械音が低く唸りながらガラスで作られた戸が左右に開かれる。

 

夜中とは言え、中には人気が多い。だが、その男女比率は圧倒的に女性が多かった。

 

だが、それは必然であった。

 

艦娘(かんむす)”どういう経歴で海軍に投入されたのか、彼は知らないが突如現れた謎の敵対艦船群へ対抗する為とは聞いている。

 

予め資料で知識を得てなければ驚いていたであろう、と今更ながらに思う。

 

今自身を案内している響も彼女達と同じ艦娘だ。

 

――世の中分からない事ばかりだ。

 

そんな事を思いつつも、響があるドアの前で立ち止まったことにより、自身も歩みを止める。

 

「此処が貴方の執務室だよ」

 

男の方へと向き直った響は、鍵を彼に渡す。

 

「ありがとう。ずっとあの場で待っていて身体が冷えただろう。良ければ少し休んで行け」

 

Спасибо(スパスィーバ)

 

聞きなれない単語を耳にし、一瞬顔を(しか)めるが、ロシア語だという事を思い出し、渡された鍵を使い部屋のロックを解除する。

 

ドアを開けて見えた部屋は、少し年季の入った暖炉に、青いクロスが敷かれた執務机、机を挟むように設置された書斎棚、執務机と違った小さいテーブル、その上には電気ケトルが置いてあった。

 

特になんともない、質素な部屋であるが綺麗に整っていた。

 

この部屋にある物の殆どは彼が前の勤務地から送っていた物で業者が直ぐに使える様に用意しておいたのだろう。

 

そして彼は、電気ケトルのコンセントに接続し、自身が予め持っていた未開封のミネラルウォーターをケトルへと入れる。

 

「湯が沸くまで、そこの椅子にでも座って待っていろ」

 

「分かった」

 

ケトルの置かれたテーブルの傍にある椅子を指しながら、彼はぶっきらぼうに座るように促す。彼女はまた小さく頷くと、言われるまま静かに椅子に腰を落とす。

 

男はそれを確認するなり、テーブル横に設置された小さな食器棚からマグカップを2つと、カバンの中から彼の好みなのか、インスタントのココアの袋をテーブルへと置く。

 

スプーンで中の粉を適当にマッグカップへと放り込み、彼は湯が沸くまでその場から腕を組んで待っていた。

「……あの」

 

「……何だ?」

 

「貴方が立っているままというのはどうかと思う……」

 

だから、と響は立ち上がり席を譲ろうとするが、男は肩に手を置きそれを阻止する。

 

妙に力の篭った彼の手は、まるで「自分に構うな」と間接的に伝えているようであった。

 

響は暫く彼の濁った瞳を見つめ続けるが、やがて諦めたかのように腰を落ち着かせる。

 

彼も手を離し--カチッ、と音が鳴ったケトルへ目を移す。

 

ケトルを台から取り出し、2つのマグカップへと均等な量になるようにお湯を注ぐ。

 

マグカップから白く立ち上る湯気が現れては霧散していき、見るだけでも暖かそうである。

 

続けてスプーンでゆっくりと中身を数回かき回し、粉っ気がなくなる事を確認すると、一つのマグカップを響に渡す。

 

「……ありがとう」

 

渡されたマグカップを手に取りお礼を言うが、彼は頷くだけで何も答えなかった。

 

必要以上のことは喋らない人なのかも知れない。そう自分で完結させ、ココアを口につける。

 

ほんのりとした甘味が口腔内を満たし、後から来るカカオ特有の微量な苦味が絶妙なバランスを保っている。

 

インスタントの物とは言え、バカにできない味でもあり、何よりも先ほどまで冬の外に居た為か冷え切った体にはちょうど良かった。

 

ほうっ、と溜め込んだ息を吐き出し、マグカップを見つめる。

 

自分の目の前に居る男は、視線を虚空に向けながら同じものを飲んでいるだけで何も喋らない。

ふと、彼女はある事を思い出す。

 

「そういえば……」

 

「……どうした」

 

虚空を見定めていた男の目が彼女へと向けられる。

 

どうやらこの男は、自分に関係あることしか興味を示さないように見える。

 

だが、そんな事は、今は関係なかった。

 

「まだ、あなたの名前聞いてなかった」

 

ぽつり、と発せられた言葉に、男は暫くの沈黙を纏う。

 

やがて、あぁっ。と何かを思い出したように言葉を漏らしてマグカップをテーブルに置く。

 

「確かに、まだ私の名前を教えてなかったな」

 

ふむっ、と何か納得したような声を漏らしながら、彼は一度姿勢を正すと、濁ったその目を彼女の瞳へ向けて教材に取り上げられそうな程綺麗な敬礼を見せた。

「私は、”元” 陸軍独立第10飛行団隊長。龍波優翔(たつなみゆうしょう)少佐だ」

 

独立第10飛行団。その部隊名に響は怪訝な思いを隠せなかった。

 

陸軍に関することは詳しくはないが、飛行団については聞いたことがある。

 

通称FBと称される飛行団は飛行戦隊を筆頭に各飛行部隊の“上級部隊”として存在し「陸軍航空部隊」を組織している。

 

その中でも独立飛行団、通称FBsは飛行師団ではなく更なる上級部隊、高級指揮官の直属となる部隊だ。

 

その隊長と自称する男が目の前にいる。それが一番不思議であった。

 

隊長というのが本当ならば、何故海軍に移ることになったのか、見当もつかない。

 

「……よろしく、龍波少佐」

 

あえて響は返礼を返しながら名前だけを聞いたような口ぶりをする。

 

こういう訳ありの人間の過去を聞くのはよろしくない事だと、感覚が理解している。

 

それが幸をなしたか、彼は若干満足そうに頷く。

 

 

 

「それじゃ、龍波少佐。私は帰るね。ココアご馳走様」

 

「あぁ、ご苦労だった」

 

そう言うと、響はドアを静かに閉める。

 

――……一人居なくなっただけで桁違いに静かだな。

 

一人残った部屋で優翔は執務机に備え付けられている椅子に腰を下ろす。

 

元々彼女自体は騒がしくはなかった、というよりも外見から察するの年にしては静かな方とも感じられる。

 

先ほど感じたのは静けさよりも、虚しさの方が近いかも知れない。

 

自身の考えを否定するわけでもなく、自分を笑うように息をこぼす。

 

懐から銀色に輝く懐中時計を取り出し、開く。

 

時刻は二十一時を刺している。

 

秒針がゆっくりと動くのを見る彼の目は、濁りの中に僅かな哀愁を漂わせる。

 

やがて、懐中時計の蓋を閉めると、懐へと押し込む。

 

こんな夜は寝てしまったほうがいい。

 

そう思った彼は上着をハンガーに掛け、備え付けのベッドに向かう。

 

多少就寝には早いが、明日は早起きせねばならない。

 

やる事がない今は、明日に備えたほうがいいと判断したまでだった。

  

備え付けのベッドへ潜り込み、見慣れない天井を暫し見つめ、やがて目を閉じる。

 

疲労も手伝ってか、意外と直ぐに睡魔が襲ってくる。

 

そのまま睡魔に体を委ね、意識を深い闇へと手放す。

 

 

 

次に優翔の見た光景は、狭いコクピットに押し込められ、計器を見ながら空を飛んでいた。

 

――あぁ、またこの夢か……。

 

幾度見たのか覚えてないほど、何度も見た夢であった。

 

慣れた手の感触を味わいながら自身が搭乗しているのは、先日までの愛機であった試作戦闘爆撃機【キ201火龍】だ。

 

第二次世界大戦に設計された日本初のジェット戦闘機だが、開発が間に合わず、ロールアウトせず終戦を迎えた幻と言われた機体だ。

 

何らかの目的があったのか、現在になって近代的な部分を取り入れて開発され、完成した物を今自分が乗っている。

 

「……こちら、龍波少佐。目標の撃破を完了。帰投する」

 

丁度今しがた、いつもやっている急降下爆撃で“所属不明艦”を轟沈させたところだ。

 

どんな艦であろうと、音速のスピードで叩き込む800kg爆弾の一撃に耐えられる鑑は存在するはずがない。

 

当初は所属不明という単語に怪訝な思いが浮かんだが、日が増すごとにそれらは多くなって気にしなくなっていた。

 

(こちらも目標の轟沈を確認した。よくやった龍波少佐。直ちに帰投したまえ)

 

スピーカーから少しばかり不機嫌そうな上官の声が聞こえてくる。

 

この男の声は不愉快極まりなかった。

 

一年前から私の部隊の上官となっては、無茶な任務ばかり押し付けてきた。

 

私が任務に成功すれば不機嫌になり、また無茶な任務を叩きつける。

 

そのくせに任務に失敗すれば嬉々とした表情で、無能だの、クズだの好き放題言ってくれた物だ。

 

だが、それはまだ許せた。一番許せないのは私の部下にも同じ仕打ちをするどころか、こいつの無茶な任務によっ

て部下が失った時、こいつの顔は……。

 

本気でこいつの脳天に爆撃してやろうかと何度思った事か。

 

「聞いたとおりだ、帰投するぞ」

 

(了解)

 

(イエッサー)

 

通信を入れ、後続する部下に伝えると、若い男と女の声が聞こえる。

 

男の名前は“佐藤中尉”私の部隊で最古の部下であり副隊長を務める気さくな男だ。

 

そして女の名前は“竹本准尉”前に任務で亡くなった部下の代わりに入った真面目な女性だ。

 

本当によく付いて来たと感心する。

 

(……?隊長、レーダーに不可解な反応が――)

 

「……どうした准尉?」

 

ザザッ、と耳障りなノイズを聞いた直後に准尉の機体が爆散したのは、今でも忘れられない。忘れられる訳がなかった……。

 

 

 

「……最悪な目覚めだ」

 

瞼をゆっくりと開けつつ、優翔はポツリと誰に言う訳でもなく呟く。

 

あの時から一年以上も立つというのに、あの光景は今でも夢に出てくる。

 

縛られているとでも言うのか、はたまたトラウマになったのか、むしろその両方かもしれないと最近は思う。

 

上体をゆっくりと起こしながら、懐に入れた銀色の懐中時計の蓋を開ける。

 

時刻はマルハチサンマル。

 

身支度を済ませ、朝食を取るには十分な時間だ。

 

蓋を閉め、元の場所に懐中時計を戻し、優翔はベッドから身を下ろす。

 

朝食を取るも、食堂に向かうのも面倒だと思ったのか、自前のレーションを取り出し齧り付く。

 

ちょうど良く昨日沸かしたケトルのお湯も保温されてそのままだったので、昨日の夜と同じようにココアを入れる。

 

そろそろ中身が無くなってきたのか、若干中身が少ないように感じる。

 

また買ってこなければならないようだ。

 

「…………」

 

マグカップを執務机に置きながら優翔は昨日見るはずだった書類を今更ながら読み上げる。

 

その資料は艦娘に関する詳しいデータが纏められた物だ。

 

駆逐艦から正規空母、艦種による装備の規格、その装備に関する詳しい情報etc.枚数だけで言うなら一部で何十ページも束ねられている。

――面倒くさい……。

 

と思いながらも優翔は注意深く読みながらページを進めていく。

 

面倒な事は嫌いではあるが、これからは艦娘と言う新たな部下を従える事になる。

 

彼女達は命も感情も有る。人間と殆ど同じなのだ。

 

面倒だからと言って、基礎知識を怠れば彼女達の命が危ういだけでなく、そのせいで命を散らせてしまえば、軍人としてではなく、人間として最低だと彼は思っている。

 

命を預かる立場であるのならば、それ相応の覚悟を持たなければその資格は無い。

 

何よりも、陸軍に居た頃と比べればこれぐらいの面倒は我慢できる。

 

「……駆逐艦に関してはこれで最後か」

 

一つの書類を読み終わり、懐中時計を取り出し時間を確認する。

 

時刻はマルキュウサンマル。

 

そろそろ総官室へ向かう時間だ。

 

結局、一番枚数の少ない駆逐艦の事しか頭に入らなかったが、着任早々戦艦など預かる訳でもない。

 

おそらく、駆逐艦を宛がわれるだろう。

 

そう、半分推測で済ませるとすっかり冷えきったココアを胃の中へと流し込み優翔はハンガーに掛けた上着を着込み、執務室を後にした。

 

 

 

その男は、大きく開け放たれた窓から見える海を見渡しながらある人物を待っていた。

 

いかにもと言う風な豪華な装飾が施された執務机を撫でつつ、平静を保ち待っていた。

 

ふと、壁に掛けられた時計を見ると、召集時刻まで後10分だ。

 

その時、扉を叩く、軽く乾いた音が室内に響いた。

 

「入りたまえ」

 

扉越しに伝わる、背後からの気配に見向きもせずに彼は、ただ一言投げかける。

 

「失礼します」

 

一拍置いてから、低い男性の声が聞こえ、その声の主は扉を開け部屋に入る。

 

紺が混じった黒髪をうなじ辺りで結い、濁った眼には何も映っていな。

 

入室したのは優翔だ。

 

「元陸軍独立第10飛行団隊長、龍波優翔少佐、只今到着致しました」

 

部屋に入った途端に微かな違和感感じながらも姿勢を正し、敬礼と共に未だに背を向けている男に告げる。

 

男は一度頷くとゆっくりとこちらを見やる。

引き締まった肉体を白い軍服で纏い、左腰には紅色の鞘に収められた軍刀、所々白髪が混じった角刈りの黒髪に同じ色の軍帽を乗せている。

 

その表情は決して老いを感じさせない鋭い眼光を放ち、幾度の修羅場を超えた表情(もの)を感じさせる。

 

そして一際目に映るのは両肩に装飾された、黄色い布地に上下の端には黒いラインが入り、銀色の桜紋が3つ等間隔に並べられている。

 

「よく来たね、龍波少佐。私がこの横須賀鎮守府の総司令官“景山玄一郎(かげやまげんいちろう)”大将だ」

 

大将、その階級に嫌でも緊張が走る。

 

本来なら自分程度の者なら滅多に口を開くことはできない人物だ。

 

意識してなくとも背筋が伸びる。

 

「まぁ、いつでも敬礼しているままでは疲れるだろう。楽にしたまえ」

 

「はっ、失礼します」

 

彼の言葉と手の動きを見て優翔は右手を下げ、両腕を背中に回し腕を組む。

 

静まる部屋の中、生唾を飲み込み優翔は再び口を開く。

 

「閣下、このたびは私のような下士官をお招きいただき、ありがとうございます」

 

「なに、君の活躍は海軍にも伝わっていてね。君が海軍への異動を希望した時には正直喜ばしかったよ。まだ海軍は慣れないだろうが、君の活躍を期待している」

 

「はっ、ありがとうございます。小官、閣下のご期待に応えられるよう尽力を尽くす限りであります」

 

優翔の言葉に満足したのか、玄一郎は、うむっ、と大きく頷き、ふと視線を落とし執務机を撫でる。

 

その視線を辿ると、ほのかな悲しみと怒りが混じっている。

 

「しかし、陸の奴らの考えは全く持って分からん……。何故君のように若く才能ある物を潰そうと考えるか理解に苦しむ……」

 

「…………」

 

この言葉に彼は何も答えない、いや答えられなかった。

 

元居た上官を非難している者が目の前に居たとしてもそれに肯定すれば上官侮辱罪となる。

 

着任早々そんな事で独房入りなんかされたら堪った物じゃない。

「まぁ、そんな事はどうでも良い。……して、貴官には――」

 

そこで彼の言葉は遮られた。

 

タイミングが悪く、この部屋の扉を叩く音が聞こえたからだ。

 

一瞬、ムッとした表情をした玄一郎は低く、入りたまえ、と言うとその人物は入ってきた。

 

「失礼しまぁす。司令官、お茶をお持ち致しましたぁ」

 

甘ったるい、舌足らずな声と共に入ってきたのは、茶髪のセミロングに黒い制服とミニスカート、左襟には三日月の飾りが付いている。

 

睦月型駆逐艦7番艦の文月だ(ふみづき)。が二人分の緑茶の入った湯呑をお盆に乗せやってきた。

 

――何て間の悪い奴だ……。

 

優翔は背中に嫌な汗が伝うのを感じつつ、彼女を見やった。

 

先程、玄一郎はあれだけ不愉快そうな表情をしたのだ。

 

次の瞬間には怒号がこの部屋に響き渡り――。

 

「おぉ!文月、お茶を持って来てくれたのかぁ。お茶はこの机に置いておくれ」

 

「はぁい、司令官」

 

――……はっ?

 

口に出さない様にするのがやっとだった。

 

聞こえてきたのは怒号では無く、まるで祖父が孫娘に会って喜ぶような声だった。

 

「文月は良い子だなぁ。言ってもいないのに、ちゃんと来客分まで持ってくるとは」

 

「えへへ、司令官もっと褒めて~」

 

「おー、よしよし。良い子だなぁ」

 

先程とは違う嫌な汗が身体中から吹き出てくるのが分かる。

 

玄一郎は優翔の事を放っておいて、文月に夢中になっている。

 

自分の中で目の前の大将という人物の威厳がガシャガシャッと音を立てて崩れ去っていくのが聞こえてくる。

 

とは言え、下手に動いたり、喋ったりすればどうなるのか知った事ではない。

 

動けば死、動かなくとも地獄。

 

ある意味、陸軍に居た時に行われた対G訓練よりも辛い空間であった。

 

今すぐにでも逃げ出したい。

 

そう思いながらも、耐えろ、と左手の甲を抓りながら、唇を噛み、必死に耐える。

 

「司令官、さっきからお客さんがそのままだけど、いいのぉ?」

 

「あっ」

 

――あっ、じゃねぇよ!

 

心の中で盛大に叫びながら、優翔はそれとは別に文月に感謝をしつつ更に背筋を伸ばす。

 

一瞬の沈黙の後、玄一郎は大きく咳払いをし、姿勢を正し彼と向き合う。

「して、貴官にはこの鎮守府にて勤務してもらい、これから渡すであろう任務を遂行してもらいたい」

 

「……了解いたしました」

 

一瞬で元の表情へと戻り、そのまま何もなかったかのように続ける玄一郎の姿と言葉に危うく吹き出しそうになるのを堪え、再度大物は格が違うことを実感した。

 

今度は黙って頷く彼は執務机に備えられた電話に手を伸ばす。

 

「あぁ、私だ。彼女を此処へ来るよう伝えてくれ」

 

それだけ言うと、受話器を戻し、部屋の隅に置かれたダンボールを漁る。

 

彼が取り出したのは、海軍で着用を義務付けられた軍服だ。

 

「もう直ぐ君の秘書となる艦娘がやってくる。そして今日からは君はこれを着たまえ」

 

優翔に渡されたのは、ビニールに包まれた真新しい軍服一式だった。

 

自分の秘書艦も気になり、できれば癖のない者が望ましい。

 

すると、ちょうど良くこの部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

「入りたまえ」

 

「……失礼します」

 

先ほどと同じように玄一郎が言うと、一泊置いてから細い女性の声が聞こえる。

 

そして、彼女はこの部屋に入ってきた。

 

「暁型2番艦、響到着しました」

 

昨日、優翔の案内役を努め、執務室にて別れた響だった。

 

彼女が此処にやってきたことに優翔は若干驚きを隠せなかった。

 

「うむ、響、彼が君の司令官となる者だ。よろしくやってくれ」

 

玄一郎の視線の先を追い、彼女も若干の驚きを見せ、直ぐに素の表情へと戻る。

 

そして、優翔の隣へと歩いていき、彼を見上げる。

 

「……昨日ぶりだね、龍波少佐」

 

「あぁ、そうだな」

 

二人のやり取りに、玄一郎は意外そうな表情を見せる。

 

「おや、既に会っていたのか」

 

「えぇ、昨日此処へ案内してくれたのは彼女ですので」

 

なるほど、と優しい目を見せた彼は何かしら感じたのかもしれない。

 

だが、優翔は彼に何を感じたのかは全くわからなかった。

 

「それは、ちょうど良かったな。既に面識のある者ならやりやすいだろう」

 

「はぁ……」

 

勝手に納得されたが、相槌を打つ以外彼には何もできない。

 

面識があるといっても昨日会ったばかりでそんなに上手く行くものなのか怪しいところである。

「では、改めて、指令を出す。”龍波大佐”は暁型2番艦、響を秘書艦として迎え、この横須賀鎮守府にて勤務を全うするように」

 

「はっ!了か――。……お待ちください」

 

再度敬礼をし、了解を唱えようとしたところで彼は目の前の大将の言った一言に引っかかり、つい待ったをかけてしまった。

 

その張本人は怪訝そうな表情で彼を見やる。

 

「ん?どうしたかね」

 

「あの、“大佐”とは?小官の階級は少佐であります」

 

玄一郎は、何だそんなことか、と言いたげな表情をしてから一度ため息をつき、こちらに背を向ける。

 

一泊置き、彼は落ち着いた口調でこちらに語りかける。

 

「今までの君の戦果等を考えれば、とっくにこれぐらい昇進してもおかしくはない。そう判断し、そうしたまでだ」

 

「はぁ、しかし……」

 

不意に玄一郎と目が合い言葉を遮られる。

 

口答えはするなと言うような目つきに心臓が飛び上がりそうになる。

 

「……要するに、陸軍としての君はもう死んだと思って、これからの勤務を全うしろ。という意味だよ」

 

「あぁ、戦死した人にも二回級特進したりしますもんねぇ。司令官お上手ぅ」

 

「んー?そうだろう、文月」

 

そんな、物騒な理由で自分の階級を上げないで欲しい。

 

またもや文月に甘い姿を見せた玄一郎に呆れながら、そう思ったが、実際は先ほどの言った言葉の通りなのだろう。

 

やがて、諦めたかのように小さくため息をつき、優翔は再び敬礼をする。

 

「了解しました。これより、龍波大佐として任に付きます」

 

「うむ、頑張りたまえよ」

 

玄一郎の了承と共に、優翔は海軍大佐として新たな任に就くこととなった。

 

今までとは180°違う方針に、果たして上手くやれるのか、そんな不安が無いかと言えば嘘となる。

 

だが、もう二度と陸には戻らないのだ。

 

選択肢など、とうに一つしかない事が分かっている以上やり切るしかないのだ。

 

 

着任の挨拶を済ませた優翔は、自身の秘書艦となった響を連れ、自分の執務室へと戻っていた。

 

着任してから早々に任務が無く、響とのコミュニケーションを取る時間が有る事に景山大将に感謝すべきかも知れない。

 

と、思いながらも自身の秘書艦を見やる。

 

「……?司令官、何だい?」

 

その視線に気がついた響は、不思議そうに優翔を見る。

 

「いや、昨日会って、少し話をしたぐらいなのに、私の秘書艦となるとは、これは運命ってやつなのか?っと、思ってな……」

 

自分で言っておいてキザな台詞だ。と苦笑しながらも響の問いに答える。

 

それに釣られてか、彼女もまたクスリッと笑みをこぼす。

 

「司令官は意外とロマンチストなんだね」

 

「ロマンチックな事とはかけ離れた職業で食っているけどな」

 

冗談を半分交えた言葉を、先ほどとの苦笑とは違った、柔らかい笑みを浮かべながら、彼女へ言う。

 

そんな彼の笑みに響は若干驚いたように眉を上げる。

 

「司令官、笑うことできたんだね」

 

「……酷い言い草だな。私は機械ではなく人間だ。笑いはする」

 

彼女の言葉に一瞬ムッとした表情を浮かべるが、実際自分でも少しとは言え笑ったのは久しぶりだったかも知れない、と心の奥で思う。

 

そんな彼の反応が面白かったのか、響は押し殺してはいるが、声を出して笑っていた。

 

「ごめんね。司令官の目を見た時は、笑う事は無いような人だと思っていたから」

 

「…………」

 

優翔は苦笑を返すだけで、反論はしなかった。

 

というよりも、できなかったのかもしれない。

 

実際に陸にいた頃を思い出せば、笑う余裕など無かった。

 

整備不良が少しでも存在すれば、即死に繋がる空の勤務は正直に言えば楽ではなかった。

 

だがそれでも、ここに来るまでに続けていたのは、空を初めて飛んだ時の感覚と、軍人としての責務があったからだった。

 

「……司令官?」

 

「ん、いや。何でもない」

 

――少し熟考しすぎたか。

 

今でも陸のいた頃に縛られている自分に嫌気を感じながらも、彼女に相槌を打つように返す。

 

それと同時に、もう自分は陸軍の人間じゃないと言い聞かせる。

「さて、響。明日から本格的に任務が言い渡されるだろう。正直、私は艦隊指揮など知識でしか無く、経験なんざ全くない」

 

「…………」

 

執務机に膝を置き、口の前で手を組むような体制に入りながら優翔は響に語りかける。

 

彼女も彼の目が真剣な物となったのを感じ、黙ってそれを聞く。

 

「当然、戦うのはお前達艦娘で、私は指揮をするだけだ。お前からしたら、訓練などを積んでない陸上がりの軍人に自身の命を預けることに不安があるだろう。それでも私に付いていってくれるか?」

 

「貴方の秘書艦となった事でそれは分かりきっているし、嫌だったら景山大将の部屋で『嫌だ』って言っているよ。私は司令官に付いて行くよ」

 

「ありがとう」

 

本心でも思いながら、彼女に言う。

 

分からないことだらけではあるが、そんなもの直ぐに分かる様になれば良い。

 

そう心の中で決め、優翔は椅子から腰を上げ、彼女の前に立ち右手を差し出す。

 

「まぁ、未熟者だがよろしく頼む」

 

「こちらこそ、龍波司令官」

 

彼女が手を握り返したのを感じ、握手を済ませると、優翔は窓から見える海を見渡す。

 

明日から未知なる者達との戦いが始まることを受け入れるかのように。

 

――お前達の敵は必ず取る。それまで墓参りは今しばらく待っていてくれ。

 

目を固く閉じ、過去に失った部下達の顔を思い浮かべ、懐の懐中時計を握り締め、優翔はそう誓う。


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