宿敵と書いて読む彼はほとんど出ません(震え声)。後で視点主として書ければいいな。
「何故だ!」
ユディシュティラの即位式から帰った夜、ドゥリーヨダナは眦を決してそう叫んだ。ドゥリーヨダナによって装飾品が毟り取るようにして投げ捨てられるのを、床に触れる前に受け取っていく。
「カーンダヴァプラスタは不毛の地だったのだぞ!」
「今はインドラプラスタという名だ」
「そんなことはわかっている!わざとだ!」
「そうか」
ドカリと音を立てて座り込んだドゥリーヨダナの指先や肩は少し震えている。その震えは怒りからきているのか、それとも……どちらにしろ体に影響が出る程ドゥリーヨダナの感情は昂っていた。
「ユディシュティラのことだ、あの豪華さはまだ分かる」
「そうだな。あれはそう望まれ誕生した存在だ。私はドゥリーヨダナの方が好ましいが、お前より治世は
「今はな!いずれは俺の方が上をいく。だが、商いでも執政でもなく、植物だぞ!なんだあの緑と恵みの豊かさは!ユディシュティラに与えられてからの年月だけであの不毛の地があそこまで変化するのは不自然すぎる!」
「ならば自然ではないのだろう」
「また、天上のモノ達か!また手を出して来たのか!!」
そう吠えて、ただ沈黙が広がる。心の中で罵倒しているだろうドゥリーヨダナが落ち着くのを待ち、その顔を見ていた。閉じられた瞼は感情により痙攣し、そして。
「どこまで、どこまで俺を、俺達人間を虚仮にするつもりだ……」
世界は涙でできている。
『嗚呼』と咽び泣く小心で臆病な(けれど
「私は貴方の母です。貴方はパーンダヴァの長兄であり、息子達とは血の繋がった兄弟なのです」
ある夜、クリシュナを伴って訪れて来た女は私にそう言った。若々しい彼女はクンティーと名乗った。
「どうか兄弟で争うのはやめ、共に栄光を手にしましょう」
僅かに震える声とぎこちない微笑みを見ながら私はあの柔らかな房の中を思い出していた。私を造り産み出してくれた母。けれど私は彼女に言わなければならない。
「私を産み落したクンティーよ、産みの母よ。私はパーンダヴァの味方につくことはない」
「あぁ、どうして……」
「ドゥリーヨダナに味方していても待っているのは破滅だけだよ」
「嗚呼、私は敗北し死にゆく運命なのだろう。そんなことはとうに知っている。だがそれがなんだと言うのだ。たとえそうだとしても、それでも勝利すべく戦い抜くのが戦士であり、そして私の意志だ」
「カルナ、どうか考えなおして。実の弟達との争いなど無益です。本来あるべき姿として帰還し生きるべきです」
必死に私に訴えるその顔は、なるほど。たしかに子を護らんとする母の顔である。
「ドゥリーヨダナには大恩がある。好ましく思っている。私は彼を裏切ろうとは思わない。だが、貴女が言う実の兄弟同士の争いの無益さもまた道理なのだろう」
「なら!」
「故に私は貴女に問おう。貴女は、母を名乗る貴女が、自らに何の負い目もないというのなら、私も恥じ入る事なく過去を受け入れよう」
「……」
答えられず項垂れたクンティーは、母親としては瑕疵があったが、それでも恥は知っていた。
押し黙った産みの母を見ながら考えた。私はあの柔らかで優しく、産まれるようになるまで私を護っていた肉の揺り籠を覚えている。母親としての情に訴えるつもりで来たとはいえ、クリシュナと共にだったとはいえ、未婚の出産による誹謗に怯え恐怖に屈したクンティーが、敵の陣にたった二人で来る恐怖はどれ程のものだっただろう。それでも息子達のために来た、恐怖に震えながらそれでも屈せず私の元に来た。ならば私は子として、その覚悟と勇気に応えなければならないだろう。たとえそれが我欲に満ちていても。
私はクンティーに、アルジュナ以外の私に実力が劣る兄弟達には手を出さないと誓った。
それは森で正午の沐浴を行っている時だ。美しい衣を纏う一人のバラモン僧が私の元に来た。
「嗚呼、嗚呼、多くを持つカルナよ、強大な力持つカルナよ、どうか私に貴方を覆うその黄金に輝く鎧を施してくだされ」
「この鎧を?」
涼やかな声で謳うようにそう乞うてきたバラモン僧に、はっきりいうと驚いた。
使い道など一つしかない応用の利かない武具を乞われたのは初めてのことであったし、一目でこの鎧を直接見ることが出来たのも驚きである。黒き靄に覆われていない私を初見で直接見ることが出来た者は幼き日、心の良心のままに私を拾った養父達以外にいなかった。
「名も知らぬ僧よ、バラモンの僧よ。私の鎧は見ての通り私と一体となっている。部分的に私の内に収納はできるが、この鎧を脱ぐことはできない。他の物を乞うてはくれないか」
「いいえ、私はその鎧がよいのです。どうしてもその鎧がよいのです」
「どうしても、この鎧でなければならないのか」
「ええ、その鎧です。その鎧をどうか私にお譲りくだされ」
そう乞い続ける僧の瞳を見つめ、フッと気付いた。よく見ると鮮麗な光が細やかに迸る瞳、そして感じる父と似て非なる人でない感覚。
嗚呼と、気付いて私は口を開いた。
「わかった。バラモンの僧よ、私はその要求にこたえよう」
地に置いていた小剣で体と鎧の境を裂いていく。溢れる血は浸かっていた池を汚していき、ああ、一度池から上がるべきだったか。
この神が人間と偽って私の鎧を求めて来たのは、我が子を心配するが故なのだろう。神としてではなく、子ある父としての行動。ならば私は、この鎧を差し出そう。子のためとあらばなんでもする、それもまた、私がうつくしいと感じる人間の一面なのだ。私は微笑んで鎧を渡した。
産まれて初めて鎧を脱いだ体は冷えていた。
鎧の剥がれた急所を、蒼の雷光が貫く熱を感じながら私は地へと伏せた。
己の中から脈動が消えていき視野が狭まる。死ぬのだろうな、と思った。何も恐れることはない。私はただ父の元へとゆくだけだ。カウラヴァ側の今後やドゥリーヨダナの安否など気に掛かることはあるが、それでも、恥のない人生だった。心清らかに、思うがままに、そして父の真白の光に照らされても恥じる事のない生だった。
嗚呼、誰かの啜り泣く音がする。霞んだ耳では誰かまでは分からないが、ここに居ない味方ではなくパーンダヴァ側の者だろう。敵対者の私の死を泣く者もいたのか。
ドゥリーヨダナは、泣いてくれるだろうか。
暗転の後に世界が真白に染まる。導かれるままに、招かれるがままにただ魂を揺らし進んでいく。
嗚呼、友の顔が心に浮かぶ。あの小心で傲慢で素直で優しい、どこまでも人間らしいドゥリーヨダナの闊達な笑顔が。「カルナ」と、よく通る声で名を呼び私を見据え笑う男を思い浮かべながら思う。
あの日に見た、初めて目を合わせた時に見た、あの瞳の煌めきこそが太陽の光だったのだと。