私は今日も生きていく   作:のばら

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※第二部永久凍土帝国アナスタシアに登場するサーヴァントの名前と生前が登場します。未プレイまたはネタバレが嫌いな人はご注意下さい。




星を見つめるアマデウス

私の世界は、夜だけだった。

前の世界での記憶に残る明るく暖かい昼は、この世界に産まれてから見たことがなかった。きっと昼だろう時間にはモノが鮮明に見えるけれど世界は夜に覆われている。

暗闇の世界。そんな世界で音楽は私にとって無聊を慰める物だった。それだけは変わらず、それだけはどこまでも響き、それだけは誰にでも届いた。

 

家の中で見つけた楽器。弾き方はなぜか知っていた。目を瞑れば、弾いている間、世界はただ音で満ちていた。

初めて弾いた楽器の音色を今でも覚えている。その音色を聞きつけ、楽器を弾く幼い私を見つけた時の父の顔も。驚いて、嬉しそうで、そして悲しみの顔に変わった。

父は言った。

 

「嗚呼、愛しい娘よ。音楽を愛するお前の才が性を理由に潰されるのは惜しい。お前は男として生きなさい。そうすれば、お前は自由だ。自由に羽ばたきなさい」

 

父は私に喉と体格の隠れる服を与え、共に旅に出た。身体が成長してからは楽器に触れる時以外、手を隠す手袋をし続けた。暑かったけど、いつしかそれが普通になった。

 

 

 

 

暗闇の世界でマリアだけ、光り輝いていた。キラキラと、輝かしい光を纏っていた。

マリアは、私にとっては祈り捧げし神だった。『光あれ』、そうして誕生した光のような、尊い唯一。純白な深い慈愛に彩られた微笑みを向けられた瞬間、ただ共に居させて欲しいと一心に思った。聖母の笑み。初対面、頭が回らなくなっていたその時の私はどうしてかマリアに結婚を申し込んでいた。きっと、道程で結婚式をしていたチャペルを見たからだ。

 

「あなたは子供のようね。繊細で、少し臆病な所もあって、大切なものには一途で、そして、どんなものもまっすぐ見るの。少し突飛で時に大胆な所も素敵よ」

 

気軽に会えない分、会えた時はたくさん、たくさんおしゃべりをした。公の場でのものよりも少し低い声でやわらかに語りかけられるのが好きだった。マリアと居るとどうしてかひどく微睡んで、時折舌ったらずになった。

 

「愛情深いマリア。君の大好きはふかくて、ふかくて、全てを受け入れる。夜のような慈愛。そういう所も私はすきだよ。あぁ、けれど、おんなじくらい私は心配しているよ。マリア、君は君自身がどんな酷いことにあってもそれが望まれたものであればただ胸に悲しみを抱いて、受け入れてしまいそう。それが、こわいよ。嗚呼、マリア、もっと汚くても醜くても良い、それが人間だから。だからマリア、どうか君のことをもっと愛してあげて」

 

「あなたもね、アマデウス」

 

瞳を柔らかく細めて、マリアは微笑む。子へ向ける母親の微笑み。その人間の表情に、ただ泣きたくなった。

いつか処刑されるだろう、愛しい人、輝く人。私はいつまでもあなたの人間としての顔を忘れないだろう。私が死んだ、その後も。

 

 

 

 

彼の、他に何も聞こえないような、見えないような、ただ私の奏でる音色に魅入っているその表情が好きだった。その時だけは、サリエリの世界には彼と私しかいなかったから。人とあまり交流しない私と違って、サリエリの周りにはいつも人がいたから。彼はいつも思考するような思慮深い人だったから。サリエリの世界も心も私で占めるには、音楽しかなかった。私には、音楽しかなかった。

 

いつからだったかわからない。私は彼に恋をしていた。

 

鍵盤の上を私の指先が躍る。観客はたった一人。大切な一人。瞼を伏せたまま、横目で彼を窺った。彼は私だけを見ていた。わたし、だけを。

 

これは恋。まだ、恋だった。おだやかな愛とは違って、胸が痛くて、甘くて、チリチリと私を焦がして、一摘みの狂気と盲目、ただただ一心に求め、私の心を満たし尽くす恋。無音の情熱。

きっと口にすることのない、いずれは声もなく枯らしてしまうだろう想いだった。だって、だって。

 

だって彼は、私の音楽だけを愛してる。

 

私の奏でる音楽なしに、音楽の話なしに彼の、音楽がある時くらいの笑みを見たことがなかった。微笑みも興奮もなく、肩書きと人柄に相応しい少し厳しい普通の表情。私とサリエリを繋ぐものはきっと、音楽しか、なかった。

 

時代と感性の違いのせいで生じるズレ。そのズレが言動に出てしまった時に私をたしなめるのも嫌味を使って忠告してくれたのも、ほとんどサリエリだった。私のそばに一番長く居たのは、家族をのぞけば彼だった。どんな理由があったとしても、口数少なく非社交的で、伝えてはいないけど、おかしい世界しか映せない欠陥品の目を持つ私と、サリエリは一緒に居続けてくれた。音楽家としてだけど、私を追いかけ続けてくれた。遠いと、届かないと思っているくせに、それでも、追いかけてくれている。それだけで、よかった。

 

サリエリにとっての友達くらいには、なれたかな。

 

一時(いっとき)でいいから、彼の視線の先を釘付けにしたかった。私という人間で、心を満たし尽くしたかった。

でもそれはきっと、私だけの想いだった。

 

身体の奥底でカタカタと、悪魔が鍵を開けようとしている音がする。その音を恐ろしく感じる、けれど……無駄なことなのに。たとえ私が死のうとも、決してその鍵は開くことはない。

 

カタカタと、音が響いてる。私の内から鳴る、恐ろしく、そして虚しいだけの音が。

 

 

 

 

ーーー夢を見る。

ーーーー夢を、見る。

汚く醜い、そして愛ある人類が好きなのだと、笑う(誰か)を見た。

 

「君もそうだろう?」

 

まだわからない。私とよく関わりがある人なんて家族とマリアたち含めて両手で足りてしまう人数だし、私が愛した毎日はこことは違う国と時代と人種で。嗚呼、それでも。

 

「それでも?」

 

消えてほしいとか、憐れで悲しみだけの存在だとか思ったことはない。だって、私はそうじゃなかった。きっとほとんどの人もそう。悲しみだけの人生じゃないから。

たとえどんなに不幸な人生でも、不幸な結末でも、幸福な瞬間がたしかにあったはずだから。

 

「だよねぇ。そういう所、あいつらわかってないよな」

 

というか観てるくせに見てないと、鼻を鳴らす(誰か)は手に取った紅茶を一口飲んだあと、クッキーを次々と摘んでいった。

そのかぐわしい紅茶もクッキーも、いったいどこから出したのだろう。

 

「夢だからね。想像できうるものならなんだって叶うさ。曖昧で漠然として、朦朧とした狭間。だからこそ、僕達は出会えたわけさ」

 

ぼーん、ぼーんと、どこかで鐘が鳴っている。家にある振り子時計の音だ。あぁ、また鳴らないようにしておくのを忘れてた。今は何時だろう。起きなくちゃ。

 

「じゃあね、女の子の僕」

 

ーーーさようなら、何処かの私。

 

幼い頃、私が新たな故郷しか知らない頃。私の身体に時折うっすらと醜く痛ましい何かを幻視した。ギョロリギョロリとあたりを俯瞰しては私を見つめてくる。それが何かもわからず、それでも私はそれに見つめられるたび、ただ、嫌だ、と思うのだ。嫌だと、なぜか心の中で呟く。マリアと出会ってからは、それは黒炭(くろずみ)へと変化した。

 

「あっ」

 

前方にさりげなく差し込まれた足に躓いて転ける。バサバサと宙に舞う楽譜、クスクスとひっそり、だけど私の耳にかかればはっきりと聞こえる低い囀り。少し濃い香水の匂いを感じながら身を起こそうと床に手をつければ、フと、身体に浮かぶ黒炭が目に映る。何処からか甲高いトランペットの音が聞こえてくる。頭に響いて、痛くて仕様がない。嗚呼、はやく楽譜を拾わないと。

 

「何をしている」

 

静かな、どこか繊細な足音。低い落ち着いた声が二、三問い掛けるとそそくさと去っていくバラバラの乱れた足音。ぼーん、ぼーんと、どこかで鐘が鳴っている。

 

「怪我はしていないか?」

 

目の前に手が差し出されて、腕を辿るようにその誰かを見上げた。私をまっすぐ見ているその銀髪の誰かの手にゆっくりと手を重ねて、ただぼんやりと、その人を見つめてた。

視界の隅に映った手から、黒炭は消えていた。どこかでカチリと、鍵の閉まる音がした。

ピアノの音が聞こえる。うつくしい、音の連なりがなす煌めき。夜に瞬く天の川のような、音楽が私の頭の中を満たしていく。はやく白紙の楽譜に星を刻みたい。私以外に聞こえないそれを、はやく形として残したい。

音楽だけは変わらず、どこまでも響き、誰にでも届くから。

 

私は(悪魔)より、音楽を愛している。

 

ぱちり、あがった目蓋の先は見慣れたやわらかな色の天井だった。夢をみていた。過去を見ていた。

嗚呼、あの時、手袋をしていなかったら君の手の熱を感じとれただろうか。フと、そんなことを考えた。

 

 

 

 

蝶が、好きだった。

ぷっくりとした身体から蛹を通してまったく別の身体に生まれ変わる。うつくしい羽を揺らめかせ光の中を飛んでいく。そして、いつかは地に落ち土に還ってく。それは自然の摂理、命の循環。あたりまえのこと。

 

むくんでいく身体と下がらない発熱、頭を蝕む頭痛。私の死期が近づいていた。死自体は恐くはなかった。それは平等で、どんな時も変わらず寄り添ってて、生まれた時から一緒にいる見えない永久の隣人。怖いのは、いずれ大切な人達の中から思い出として消えていってしまうことだった。でも、それは普通のことで、たとえ消えたとしても確かに残る何かはあって、先へと続いていく何かもある。私が生きていた未来も、そうやって築き受け継がれてきた。

 

あるいはこれすらも恐怖ではなく、幸福に基づいた悲しみなのかもしれない。

 

ーーーコッ、コッ。

 

ノックの、音がした。誰かが部屋の扉をノックした。なんの音もないのに、ノックの音だけを、私の耳は拾った。誰かが来る音(・・・)も、居る音(・・・)もしないのに。

 

「どうぞ」

 

少し掠れた声で入室の許可を出した。こんな死にそうな時に訪ねて来る人でない者なんて、そう多くはない。誰なのか想像はついてた。

だけど、部屋に入ってきて作曲の依頼をするその姿は。

 

私はただ、呆然とその男を見ていた。だいぶ年をとっているけど、そう、その顔は。

 

「は、ははっ……ずるい……」

 

恋する人と同じ顔の死神を、拒めるはずがなかった。たとえ、私がきっと見ることのできない未来の顔でも。

朗らかな笑顔を浮かべるその顔に乾いた笑いをあげるしかなくて、その後はただただ涙が流れて止まらなかった。泣きながら、もう少しその顔を若く出来ないのかと文句を言ってみた。無理だと言われた。

あぁ、水が飲みたい。喉を潤したかった。涙で出ていった水分を摂りたかった。こんなに掠れていたら、歌も歌えない。

 

「ねぇ、君はどんな音楽が好き?私は君への詩を紡ぐよ」

 

少し驚いた表情をした死神に、だってと、私は言った。

 

「だって、これは鎮魂歌(レクイエム)だから。それは、君を労わるための曲だから」

 

 

 

 

身体は熱のせいで寒い。それでも、心の臓は熱かった。私の魂が燃えていた。まるで、終わりが近いが故に燃え上がる猛火のように。

白紙の楽譜にガタガタの汚い音符で、でも決して間違わずに音楽を刻んでいく。力を込め難くなった手はもう、滑らかにペンを使えなくなってた。病に罹る前と比べ見辛い楽譜、それでも、音楽はうつくしい。

ペンが持てなくなってからは、サリエリを呼んで代わりに書いてもらった。一生のお願いだからと、そう言って頼んだ。サリエリになら楽譜を任せられた。私はサリエリが、よかった。

 

サリエリは時間を作ってまで毎日来てくれた。サリエリはそんなこと一言も言わなかったけど、彼の普段の生活を考えれば察することができた。彼のそういう優しい所も、私は好きだった。

 

まだ作曲は終わらない、声でサリエリに音の連なりを伝える。口から煌めきを生み出す。ゴウゴウと命が燃えている。腕が動かなくなっても、身体が起き上がれなくなっても、声が掠れてきても、詩を紡ぎ続けた。

 

暗闇の世界で、ただただ曲について考えた。

 

「もういいッ!頼む、休めアマデウス!碌に食事も摂れぬうえに、眠れてもいないと家政婦から聞いたぞ!このままでは治るどころかより命を縮めているようなものだ!……作曲はおまえの体調が回復してからでも構うまい。今は、ただ、休め」

 

「……私、君のそんなに焦った顔、初めて見たよ……」

 

泣きたかった。泣きそうだった。

今サリエリは、音楽じゃなくて、私を選んだ。新しい私の曲じゃなくて、私の命を選んでくれた。

 

「私、君に心配されるくらいには……死を、恐怖されるくらいには……好ましく想われていたんだね……」

 

「死など、不吉なことを言うな」

 

サリエリは、音楽抜きに私を想ってくれてる。私が死んでしまうと、恐れていた。それは紛れもない、好意から生まれる恐怖だった。

 

死んでしまいそうなほど、幸せだった。

 

「大丈夫だ、大丈夫だアマデウス……神が、おまえを見捨てるものか」

 

焦燥して、哀しみ、怯えている瞳。あぁ、それはともすれば絶望の表情にも似ていて。なら、そこにはきっと、きっと、愛があった。

声が詰まって、言葉がつっかえる。

 

「わ、私は、たしかに音楽の天才だけど、私自身は、た、ただの、つまらない人で……。君が、いつも、ま、まっすぐ、私の演奏を称賛して、くれるから、わ、私は、私を天才だと、言えるんだよ……」

 

「なにを、馬鹿な……その自己卑下をやめろ……」

 

はじめて吐露したことだった。サリエリは、驚いたように少し目を見開いて、顔が強張っている。初めて出会った時と変わらない、まっすぐ私を見てくる瞳。

フと、過去に思ったことが心に浮かぶ。その手は、サリエリは、どんなぬくもりを持っているんだろう。直接彼に、触れたかった。触れてほしかった。

 

「ねぇ、最後のお願いだから……手を、握って……。手袋越しじゃなくて……手と手で……きちんと……」

 

最後のお願い、その言葉の意味に口元を戦慄かせながら、それでもサリエリはお願いを叶えてくれた。

掬い上げるように繋がれた手。音楽家らしい男性にしては細い、けれど大きいしっかりとした手。

伝わる体温に気分が安らいで身体の力が抜けていく。コッコッと、玄関で扉をノックする音が聞こえる。感じる微睡みに身を委ねていく。そして、きっと最後は沈んでいく。

 

「ねぇ、サリエリ……私は、マリアを愛して、る……。私は音楽に……この身、を……捧げてる……」

 

「ああ、知っている……知っているとも」

 

「そして、私……君に……恋を、してた……今も、君に恋を……しているよ……。恋する、人に……手を、繋いで、もらいながら……眠りを……迎える、なんて……どれくらいの、人が……経験、して……いるんだろう」

 

繋がったサリエリの手が、震えている。どんな表情をしているのか知りたくても、いつの間にか霞んできた視界では彼の顔を見ることも叶わない。

しっかりと握ってくれているサリエリの手の感覚がだんだん分からなくなってきて、嗚呼、それでも、その熱は分かった。私の手の中に、彼の炎が、生きている証があった。

 

「あぁ、サリエリ……君の手……思ってた、より……ぁ、つい……んだ、ね……」

 

コッコッと、部屋をノックする音が鳴る。開いた扉から音のない彼が歩いてくる。彼の姿だけ、はっきりと見れた。彼が私の作ったばかりの、まだ未完成の曲を口ずさんでる。その音楽に紛れて、音が、サリエリの音がしている、のに、嗚呼……。名前を呼んでくれている気がするのに、あぁ、ごめんね、サリエリ。もう、君の声も遠くて、聞こえないよ……。

 

「ぁ、よ……な、ら…………」

 

 

 

 




生前編。今のところ初サーヴァント編もとい初原作ストーリー編はアマデウスちゃんになりそうです。ただし亀更新。
ジャンヌ・オルタは生前が原作ストーリーなのでノーカン扱いです。イベントからが本番。

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