ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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短編から連載に移行するぜ~Foo↑


原作二巻分
伏して贖え然らずは絶えよ


「《神の(ヘスティア)ナイフ》、か……」

 

 深夜、廃教会の隠し部屋のすぐ外。崩れた屋根から月光が降り注ぐ教壇の前。

 地下室から這いずり出た“灰”は、掌に握る腐ったような暗い色合いのナイフを月明かりに透かしていた。

 持ち主(ベル)には無断で拝借している。彼ともう一柱、主神のヘスティアは今日の疲れ、怪物祭(モンスターフィリア)の一騒動が祟ったのか夕食を取る間もなく寝てしまった。眠りを必要としない不死たる“灰”は、その隙に改めてヘスティアがベルに与えた武器を検分している。

 黒い鞘の隅には【ヘファイストス・ファミリア】のロゴが刻まれている。迷宮都市で唯一、冒険者の収入で運営されていない『鍛冶師(スミス)』のファミリア。その中でも限られた一級品にしかつけられない刻印だ。

 今はその評判が示す物とは真逆の鈍らでしかないが、本来の持ち主であるベル・クラネルの手に戻ればたちまち紫紺の光沢を取り戻すだろう。

 同じ【ヘスティア・ファミリア】の“灰”にも担う資格はあるが、ひどく冷たい銀眼でナイフを眺める幼女は、意図して『神の恩恵(ファルナ)』を自身に適応していなかった。

 

 《神のナイフ》はベル・クラネルだけの物だ。これはベルと共に成長し、ベルとずっとある事を宿命づけられた武器。それは永遠に離れる事のない絆のようで、呪いに似ている。

 この世が生まれる遥か過去を生きた“灰”からして、これは火の時代に近しいものだ。神によって造られ、使命を負い、生を帯びる。果てのない旅路の中、“灰”はこういった武器を幾つも見つけ、拾い集めてきた。

 その“灰”の、あるいは不死の異様な蒐集癖に従えば、この武器に興味がないわけでもない。だが“灰”が冷たい瞳で《神のナイフ》を眺めるのは、実に俗物的な理由があった。

 

「……一体いくらしたんだ、この武器は……」

 

 金。そう、金である。あろう事か忌み嫌われ、火の時代の膿に徹してきた“灰”が、金の心配をしているのだ。

 驚天動地だ。前代未聞、あるいは未曾有と言い換えてもいい。不死が金の心配などと、見る者が見れば存分に詰り貶める事だろう。呪われた不死がまともな振りなど、何を勘違いしているのかと。

 事実“灰”にしても、これは奇妙な感覚だった。不死人にとって金銭は道しるべ代わりにしかならない。必要なのは人間性、あらゆる取引には全てソウルを支払ってきた。

 だからこそこの世界に辿り着いた時、“灰”は可能な限り人を避けた。“灰”の感性からすれば生者など無用の長物だ。たいしたソウルもなく、人間性も持たず、それでいて不死を忌み嫌う者たちなど、何の役にも立たない故に。

 そんな“灰”がこうしてオラリオに滞在し、表面上は真っ当に生きられるのは、ひとえに大神(ゼウス)のおかげである。彼の神は常識も社交性も持たない“灰”に世の倫理を教え込み、生者の粋を叩き込んだ。

 大神(ゼウス)は本当に大変だっただろう。人とはいえ、神すらも知り得ない時代のド底辺の住人だ。殺しは手段、奪って当たり前、拾い物は自分の物――それを神にさえ実行する“灰”に常識を教え込むのが、どれほど困難な事か。彼の神の苦労が偲ばれる。

 

 おかげでとりあえず人の世に溶け込めている “灰”は、抜身のナイフを鞘にしまい、決意する。長い灰髪を翻し、“灰”は地下室へと戻っていった。

 

 

 

 

 ヘスティアには恐ろしいものが割と多くある。

 それは空腹だったり、バイトでジャガ丸くんが売れない事だったり、失望し切った目を向けるヘファイストスだったりと、()神変神(じんへんじん)だらけの神々においては微笑ましいものばかりだ。最近で言えば愛しい愛しい第一の眷族(ベルくん)に変な虫がつかないかどうか、それが一番恐ろしい。

 そんな女神は今、ン億年に渡る神生(じんせい)の中で過去最大級の恐怖を味わっていた。鼻と鼻が触れ合うどころか目玉同士が引っ付きそうなほどに顔を近づけるアスカのせいだ。

 

「ア、アアア、アスカくん? ど、ど、どうしたんだいっ?」

「日も出ぬ内に済まないな、我が主神よ。貴公に尋ねたい事がある」

 

 腰を抜かして壁際に寄りかかるヘスティアを上から見下ろすアスカの顔はとても暗い。ただでさえ暗いアスカの銀の瞳が、彼女の影によってますます暗くなって、もはや闇そのものと言っても過言ではない状態になっている。

 どうしてこうなったんだろう。ヘスティアは逃げるように、僅かな回想を記憶の劇場で開演する。

 

 それは深夜を過ぎ、あと一時間もすれば暁が訪れるであろう時間帯。丁度良い具合に空気が冷えて心地良い眠りに身を委ねていたヘスティアは、突如として覚醒を強いられる事となる。

 まるで壊れかけの卵を無遠慮に叩き壊されるような目覚めだった。具体的には毛布を愛しい人代わりに抱きしめて幸せな夢に浸っていたヘスティアを、アスカは容赦なく持ち上げて壁際に放り投げたのだ。

 舌を噛まなかったのは運が良かっただけだ。「ぎにゃうっ!?」と神らしからぬ悲鳴を上げたヘスティアが体の痛みに悶絶していると――いつの間にかアスカが顔を擦り合わせてくる事態に陥っていたわけである。

 

「私の眼を見ろ、ヘスティア」

「いや、目を見ろもなにも、目しか見えないんだけど……」

 

 既にぴたりとくっついている額からゴリゴリと押さえつけられる感触を味わうヘスティアは、猫のしっぽのようにツインテールを逆立たせてひくひくと頬を痙攣させる。ドン引き気味の女神の神情(しんじょう)を知って、だが完全に無視するアスカは掠れた声を擦り鳴らす。

 

「私が知りたいのはたった一つだ。たった一つだけ、貴公は真実を語ればいい。

 我が主神、ヘスティアよ――《神のナイフ》に、一体いくらつぎ込んだ?」

「ヴェッ!?」

 

 ただただ圧力に満ち溢れたアスカの言葉に、ヘスティアは本日二度目の神らしからぬ声を上げた。ついであからさまに挙動不審になり、下手な口笛をひゅーひゅーと鳴らす。

 

「い、いくらって……な、な、何の事だい? ア、アスカ、くん?」

「我が主神、ヘスティアよ。《神のナイフ》に、一体いくらつぎ込んだ?」

「話を聞いてない!?」

 

 更にぐりぐりと顔を押し付けてくるアスカにヘスティアは悟る。マジだ、真っ暗でほとんど見えないが眼が本気(マジ)だ。このままではヘスティアの平穏な生活が、発足して間もない【ファミリア】が、ベル君との初々しい甘ラブストーリーが、全てアスカの手で台無しにされてしまう!

 直感的にそれを察知したヘスティアは、あらゆる見栄とプライドを投げ出して全てを白状した。二日間神友のヘファイストスに土下座して武器を造ってもらった事、その際二億ヴァリスもの借金を背負ってしまった事。

 気付けばヘスティアは、その借金をベルに背負わせるような真似は絶対にしないとアスカに誓っていた。ぐうたらで怠惰でどうしようもない駄女神だけど、それだけは神の名にかけてしないと。

 アスカはそれをどう受け取っただろうか。影に隠れて闇の中にあるアスカの相貌はヘスティアには分からない。けれど不意に、小さな体は離れ、古びた鐘のような溜息が幼い唇から零れた。

 

「事情は分かった。貴公は真に、ベルの力になりたかったのだな」

「……ああ、そうさ。何もできないのは嫌だったんだ」

「……貴公はベルに手を差し伸べた。ベルにとってはただそれだけでも、何にも代えられない貴公からの贈り物だったろうに。その上で武器もくれてやるとは、いっそ甘やかし過ぎだな。

 私も貴公の、眷族(かぞく)なのだぞ?」

「うっ……わ、悪かったよ、アスカ君。君なら何もしなくても平気だって、驕っていたのは謝る。蔑ろにしてすまなかった」

「全くだ。だが、それでいいのだろう。

 私も、私に気をかけられるよりベルを優先してくれた方が有り難い。客観的に言えば、貴公は主神として失格と言わざるを得ないが――貴公がベルの主神で良かったと、私は心からそう思うよ」

「アスカ君……ありがとう」

 

 無表情に、いつもと同じまぶたの半分降りた瞳で、アスカは平坦に言う。ヘスティアにその真偽を見抜く事はできないが、今ばかりはそれが真実であると信じられた。

 

「……あっ……その、アスカ君、あのさ……」

 

 こっくりと頷くアスカに満面の笑みを浮かべていたヘスティアは、急にもじもじして人差し指同士をつけたり離したりしながら消極的な声を上げる。神の言わんとする事を察したアスカは、目をつむって肩をすくめた。

 

「借金の事はベルに黙っていよう。それは貴公の覚悟の表れだ。告げ口など、無粋な真似はせんよ」

「う、うん、助かるよ……本当に、君には世話になりっぱなしだね」

「私もベルが貴公の世話になっている。お互い様という奴だ。いや、似た者同士と言うべきか?」

 

 顎に手を当てて真剣に考え始めるアスカにヘスティアは苦笑する。確かにヘスティアとアスカは似ている所がある。二人とも、家族(ベル)をとても大切にしているという意味では、殊更に。

 

「――ああ、そうだ。ヘスティア、一つ頼まれ事をしてくれないか?」

「ん? 何だい、アスカ君。ボクにできる事なら言っておくれよ」

 

 思考を打ち切ったアスカの唐突な台詞にヘスティアはドンと胸を叩く。衝撃は豊かな胸に吸収され、たゆんったゆんっ、と大きく揺れた。

 ベルが見ていたら赤面していただろうな、とアスカは平静に考え、頼み事を口にする。

 

「私を――ヘファイストスに会わせてほしい」

 

 眷族の思ってもみない依頼に、ヘスティアは青みがかった瞳を大きく瞬かせた。

 

 

 

 

 《ヘスティア・ナイフ》が紫紺の残像を描き、『キラーアント』の頑丈な硬殻を難なく切り裂く。首を切断されたモンスターは紫色の体液を散らし、ダンジョンの壁へぶち当たってごとりと転がる。

 『シルバーバック』を倒した事による【ステイタス】の上昇、それに伴う《ヘスティア・ナイフ》の強化。『キラーアント』を易々と屠った神様(ヘスティア)からの贈り物に、ベルは玩具を与えられた子供のように喜んでいる。

 それを見守るアスカは、まだまだベルが【ステイタス】に振り回されていると評価していた。【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】による早熟性は、ベルにとって必ずしも良い事ではない。

 

(体捌き、駆け引き、先読み……技術的な未熟さで言えば、まだまだ素人を脱した程度。それを補おうにも、他に類を見ない成長速度が本来かけるべき時間を大幅に削っている。

 尋常ではない成長には、やはり尋常ではない鍛錬が必要か。あるいは私がそうしたように、全て実践で学ぶという手もあるが)

 

 平静な表情で怖い事を考えるアスカは、がむしゃらに戦うベルの姿にその考えを霧散させた。

 モンスターに立ち向かっては倒していくベルは、明らかにはしゃいでいる。その浮かれた根性は叩き直して然るべきだが――今日くらいは、まあいいだろう。

 ベルを見つめるアスカの頬は、ほんの少しだけ緩んでいた。

 

「ベル、そろそろ戻ろう。魔石や『ドロップアイテム』も許容量を超えそうだ」

「え? あ、本当だ……」

 

 戦いに夢中になっていたベルは、アスカの腰に下がっているパンパンに膨らんだ袋に目を丸くする。ベルが元から持っていたバックパックを加味しても、周囲に転がるモンスターの死骸の数を考えれば、これ以上集められないのは明白だ。

 「ご、ごめん」とはしゃいでいた事を自覚するベルは、恥ずかしそうに頭を下げる。「気にするな」とアスカは決まり文句を言って回収に勤しんだ。

 ちなみにアスカは“ソウルの業”で魔石も『ドロップアイテム』も自身の『器』に収納できるが、それをする事はない。単純な話、そうやって回収したアイテム群を換金する場所がないのだ。

 まさかギルドの換金所で『器』からアイテムを差し出す真似はできない。どこかでバックパックへ移し替えるにしても見つかれば本末転倒だし、手ぶらでダンジョンから出て換金すれば怪しまれる。裏側(アンダーグラウンド)でなら換金(それ)も叶うだろうが、そんな手間を払うなら初めから普通に回収すればいい。

 全ての死骸を灰に返したアスカは、膨れた安物のバックパックを見下ろす。適当に放り込んだので隙間が目立つが、どうでもいい事だ。元より「しまう」イコール「底なしの木箱に放り込む」であるアスカに、サポーター業など土台無理な話なのである。

 

「今日も『ドロップアイテム』がいっぱい出たね、アスカさん!」

「ああ、そうだな。ベル」

「アスカさんと一緒にいるからかな? ソロの時はこんなに出なかったよ」

「まあ、『運』がいいからな、私は」

 

 嬉しそうなベルと他愛のない会話をしながら、アスカは頭の片隅で考える。今はまだ二人だけで良いが、この先はそうもいかない。ベルの成長速度を加味しても、パーティの編成は急務だ。せめてサポーターだけでも見繕っておかなければならない。

 しかしアスカには人を見る目もなければ伝手もなかった。ダンジョンからギルドへ向かう道中、アスカはベルと会話しながらずっとその事を考えていた。

 その内心は奇しくも、かつてアスカが出会ったカタリナの騎士と似たようなものだったという。

 

 

 

 

 ギルドに到着したアスカは、ベルに換金を任せて早々にギルドを後にした。エイナ・チュールとの溝を作ってしまった手前、まだ顔を合わせるわけにはいかないと判断したからだ。

 謝りたいからと押しかけるのも違うだろう。理由はどうあれ、話をしたいならまず面談の約束を取るべきだ。それをベルに頼んで、ホームに向かっていたアスカは、心からそう思う。アスカに教育を施した大神(ゼウス)は、そういった細かい気配りを大事にしていた。

 少なくとも――目の前にいる道化の女神と狼人(ウェアウルフ)よりは、然許(さばか)りに。

 

「よぉ、“灰”。こんな所で会うなんて奇遇やなぁ」

「そうか? 私はそうは思わない。この道はギルドから私のホームへ続く経路だからな」

 

 待ち伏せるには丁度良い場所だろう――言外にそう語る灰髪の小人族(パルゥム)に、ロキは何が面白いのかニヤニヤと笑う。その横に佇むベートは心底うんざりした表情で、だがぎらついた敵意を向けてくる。

 アスカは――“灰”はそれで大凡(おおよそ)を察した。ベート・ローガは狼人(ウェアウルフ)、そして足に装備する脚甲、《フロスヴィルト》は水に濡れている。地下水路に赴き、“灰”の残り香を察知したのだろう。

 “灰”は一つ息を零して、懐に手を入れ、内側でソウルから取り出した『極彩色の魔石』を見えるように外へ引き出す。

 夕焼けに光る異様な輝きに、僅かにだが、ロキはピクリと反応した。凍てついた太陽のような銀の瞳にその様子を反射させて、“灰”は静かにまぶたを降ろす。

 

「ここでする話でもない。ロキ、何処か適当な場所を見繕ってくれ。貴公の話は、そこで聞こう」

「何や、エラい素直やな。前みたいにはぐらかすと思っとったわ」

「私は面倒を好まない。楽があれば、そちらに流れる。何より貴公、手ぶらでは引き下がらんだろう?

 欲深いハイエナを遣り過ごすなら、時に撒餌(まきえ)も必要だ」

「言うやんけ、けったくそ悪い“灰”風情が。……ま、ええわ。ついて()い」

 

 朱色の瞳を一瞬胡乱げに外気に晒して、ロキは反転しひらひらと片手を振りながら歩き出す。澄ました顔で“灰”は続き、忌々しげに琥珀色の眼を吊り上げるベートは舌打ちをしながら後を追った。

 夕刻の影に沈む人ごみを縫い、辿り着いたのは街路の側に建つ赤煉瓦のホテル。人気の全くないロビーの休憩室(ラウンジ)に、ロキはドカリと乱暴に腰を降ろす。

 

「ホレ、自分も座りぃ。あ、ベートは悪いんやけどちょっと席外してーなー?」

「チッ、またかよ……」

 

 ベートはぼやきながら、ギロリと“灰”を睨みつけてホテルの外へ出る。休憩室の内と外を仕切る窓から見える位置で腕を組む狼人(ウェアウルフ)を一瞥して、“灰”はロキと向き合った。

 

「それで、ロキ。貴公、私に何を聞きたい?」

「全部や。自分が知っとる事洗いざらい、吐く(もん)が一切無くなるまでぶちまけてもらうで」

 

 「そのために大金はたいてこのホテル貸し切ったんや」と、道化のように笑うロキの目はひどく冷たい。人の身ならば誰であれ、全てを見透かすその瞳に恐怖を抱かぬ筈もない。

 無論、“灰”もロキに恐れを感じているが――恐怖の示し方など忘れてしまった不死は、懐から二つの魔石を取り出し、並べる。大きさが違うだけで、どちらも極彩の色を放っている。ロキがそれを注視したところで、“灰”は口を開いた。

 

「結論から言えば、私の行っている事はこの極彩色の魔石を持つ、新種のモンスターの調査だ」

「調査、やと?」

「ああ。そのために私は多くの場所へ(おもむ)いた。オラリオの地下水路然り、貴公の眷族(ファミリア)と見えた深層然り。全て調査のためであり、それ以上の意味を持たない」

「ふうん。それ以上の意味を持たない、なぁ……それは自分にとってやろ?」

 

 笑みを消して、ロキはスッと朱色の瞳を覗かせる。

 

「誰に頼まれたんや?」

「答えられない」

「ガネーシャか?」

「答えられない」

「ウラノスか?」

「答えられない」

「……まさかドチビっちゅう事はあらへんよな」

「答えられない。幾ら質問しようと無駄だ、ロキ。私は腹の探り合いなどできない。開示できる情報は全て話し、それ以外は口にしない。()()()()()()()()()()

 

 眼を逸らさず視線を合わせる“灰”の瞳には、変わらずソウルが渦巻いている。神にとっては見え過ぎるそれが、“灰”の言葉の真偽を看過させない。それでもなお見抜こうとするロキの行いは、当然ながら徒労に終わった。

 

「……はぁ~~~。何やねん、自分。ちょっとは動揺すれば可愛げもあるっちゅうに……その顔、岩かなんかでできてるんと違うか?」

「私の人間性など、人を取り繕う程度しか残っていない。表情の作り方も忘れてしまった」

「さよか……。まあそれは置いといてや、他に情報はあるか?」

「ダンジョンにいくつか不審な動きがある。貴公がおそらく知らない情報で言えば、30階層でモンスターの大量発生が確認されている。およそ一、二週間前だ」

「30階層でか……」

「開示できる情報は以上だ。後は確証のない推測しか、私は話せない」

 

 “灰”の淡々とした話にロキは口元を指で覆い、思考に没頭する。飄々とした仮面も消して神らしい威厳を発する道化の女神に、“灰”の右眼が暗く沈み、不愉快そうに片眉を上げる。それは一瞬の事で、平素に戻った灰髪の小人族(パルゥム)は時間を気にしつつ座して待つ。

 やがて考えをまとめたロキは真面目な表情で“灰”と向き合う。

 

「自分の推測ってのを言ってみぃ」

「現状から言える事は三つ。

 一つはダンジョンで何かが起こっているという事。

 そしてそれを利用する何者かが居るという事。

 最後は『神の塔(バベル)』以外のダンジョンの入口があるという事。

 この程度ならおそらく、貴公にも立てられる推測だろう」

「……まあ、な。自分の話が本当なら、それくらい見当がつく。にしても…………あーもぉ、歯がゆいなぁ~~~!」

 

 急に体を仰け反らせてペシンッ、と額を叩くロキは、もどかしそうな表情で綺麗に並んだ歯をかみしめる。

 

「なんで自分の言ってる事が嘘かホントか分からんのや! いや分かっとるんやけどな!? 自分が子供達よりも神々(うちら)に近いってのはよぉ分かっとる!

 せやから納得できんねん! 自分の生い立ちはあんまりにも荒唐無稽や! 『火の時代』? 『不死の呪い』? 『薪の王』!? ンなもんが神々(うちら)が生まれる前に起こっとったやと!? それを神々(うちら)の誰一人知らんかったやと!?

 そんなもん――――まるで【創世神話(テオゴニア)】やんかっ!!」

 

 「馬鹿げた話や!!」とロキは語気を荒げた。対して“灰”は明確に顔をしかめる。幼女の端正な相貌に刻まれた感情の発露をロキは見逃さなかったが、あえて触れず道化を演じ続ける。

 

「仮に、仮にや! それが真実だとして、せやったら自分は何で生きとんねん!? 自慢やないけどうちの年齢はン億年や! 年増ババア? じゃかあしい潰すぞアホンダラァッ!!

 そのうちよりも自分は年上って事や! アホか!? 信じられんわそんな事! それでも、それでも百億万歩譲ってそれを認めたとしても、せやったら自分はもう子供やない!

 不老不死(ティーターン)超越存在(デウスデア)! 自分はうちらと同じ神――――」

「――――巫山戯(ふざけ)るなよ、分を弁えない豚が」

 

 空気が、どろりと変容した。明らかに重く、生あたたかな深みが、休憩室(ラウンジ)の隅々まで席巻する。仰々しく立ち振る舞っていたロキは、滑稽な姿で塗り固められる。

 まるで身動きの取れぬ底なし沼に嵌まったかのようだった。(くさび)を打ち込まれた感覚に囚われるロキは、歯を食い縛って憎しみで頬を歪める“灰”の形相に、朱色の目を限界まで見開く。

 

「神だと? 神だと!? この私を選りにも選って、糞産みの豚と同列に語るか!!

 貴様ら神はいつもそうだ。甘やかな偽りを振りまき、人を欺瞞に陥らせる。欺き、利用し、果ては貴様らの、貴様らだけの時代の延命がために、我らの同胞、呪われ人に(くびき)と使命を刺し穿った!

 試練などと嘯き、我らを殺し、亡者を積み上げ、ただ火に焚べる『王』を創る。それに能わぬ者、従わぬ者、そして『闇の魂(ダークソウル)』を見出した者――その全てを最果ての糞溜めに追いやって、まやかしの眠りで蓋をした!

 神などと、所詮火に分かたれた闇から生まれた幾匹かに過ぎん貴様らが!! 『王のソウル』を簒奪(さんだつ)し古竜を滅ぼした程度で思い上がる、着飾るばかりの肥え太った豚が!! (われら)を憎み、(われら)を恐れ、なおも(われら)を利用する!!

 

 ――――許せるものかよ。この私が、誰も知らぬ小人とて、この私が、許せるものかよ!!

 

 だから貴様はここで死ね。その『ソウル』の一片まで、奪い尽くし殺してやる。その形ばかりの下劣な胎の、すべて内側、粘膜の一滴までさらし上げて呑み干してやる。

 屠畜とは、神を気取る豚の末路には、ああ、ふさわしいだろう? なあ――――()()()()

 

 “灰”の右手が伸ばされる。そこに滴る暗い澱みは何だ。日が落ち、夜が訪れるオラリオの黒よりも、なお深く、なおおぞましく、なおあたたかな闇は何だ?

 ロキの目に映る、人の形をした“これ”は、一体何だ? その正体に勘付きながら、ロキは動かない。動けない。肉の半分、体の右側からこの世の何よりも深い闇を滲ませる“灰”の、その右眼に宿るものが、動く事を許さない。

 満月の如く見開かれた眼窩、火の輪に縁取られた眼球の中心は、ただただ闇が溢れている。人の膿、あるいは人間性、火に望まれぬ深淵が、今まさに決壊し――直後、それらは全て消え去り、呆けた“灰”の顔ばかりが残った。

 

「――――……? なぜ私は貴公に手を伸ばしているのだ?」

「……………………は?」

 

 ロキに伸ばした右腕を不思議そうに眺める“灰”に、間の抜けた女神の声が落ちる。それもすぐに掻き消して、ブンブンと首を振るロキは、恐る恐る“灰”に尋ねる。

 

「…………自分、何も覚えてないんか?」

「うん……? 何を、と言われてもな。私が何かしたのか?」

「いや、何かっちゅうか、今のは……」

「……――――ああ、理解した。また発作を起こしてしまったのか」

 

 白い額に小さな手を当てて息をつく“灰”は、先程のそれとは違う、いつもの“灰”だ。神に敬いの欠片もなく、感情が薄く、常に静謐な半眼で、その幼い容姿からは想像もつかない老人のような佇まい。

 一人納得する“灰”に、ロキは薄く目を研ぐ。

 

「どういう事や、説明しぃ」

「うむ。何故かは知らないが、どうやら私は神が嫌いなようでな。それ故か神と相対していると時折、聞くに堪えない暴言を吐くらしい。

 らしいというのは、私にその自覚がないからだ。言ったそばから忘れてしまうみたいでな、故に再発を防ぐ手立てが私にはない。

 だから貴公、次からは気を付けたまえよ。私の推測を貴公に話したところまでは覚えている。そこから先で、きっと貴公は私の触れるべからざるものに触れた。次がないよう、貴公がそれを避けてくれ」

「……分かった。面倒やけど、そうするわ」

 

 神妙な顔をするロキにこっくりと頷いて、“灰”は時間を確認する。ついで窓から景色を眺め、立ち上がった。

 

「もうこんな時間か。すまないがロキ、私はホームに帰らねばならない。家族が待っている」

「ああ、ええよ。聞きたい事は聞けたし、付き合ってくれてあんがとな」

 

 務めて平静を装うロキは笑いながらひらひらと手を振る。立ち去る灰髪の小人族(パルゥム)に「“灰”」とロキは一声かけて。振り向きに揺れる長い灰髪と凍てついた太陽のような瞳を、道化の女神は(しか)と見据えた。

 

「も一個だけ、聞かせてくれ。――自分を、信じてええんか?」

「……突然だな。それに、難しい事を聞く。私を信じていいかなどと、神たる貴公が、そんな事を。

 …………言葉にする事は、大凡信じて貰ってもいい。嘘はどうにも好まない。欺瞞は私の肌に合わん。だから後は、貴公がそれを信じるかどうかだ」

 

 言える事はそれだけだ、と言葉にならぬ音を噤んで、「ではな」と“灰”は立ち去った。その後ろ姿を見送って、ロキはゆっくり椅子にもたれかかり――「ぶはあっ!?」と肺に溜まった空気を絞り出して、急激に激しくなる胸の動悸を抑え込む。

 

「あ゛~~~……ヤバかったぁ。死ぬかと思った……何や“アレ”、反則(チート)にも程があるやろ……」

 

 先の出来事を思い出して大量に発汗し、身震いするロキは「ヒッヒッフー」となぜか出産に良いとされる呼吸法をする。そんな主神の姿に呆れながら、ベートは休憩室に足を踏み入れた。

 

「……良かったのか、ロキ」

「ん、良かったで。あん時うちの合図に気付いてくれて助かったわ。もしベートが乱入しとったら、うちもベートも今頃天界(おそら)の真っ只中やったろうな」

「……何なんだ、あの“灰”野郎は」

「……前に言っとった事、全部(ぜ~んぶ)本当なのは間違いない。そんでまだ何か隠してる……いや、忘れてるって言った方が正しいんか?

 ベートも見たやろ? 『神の恩恵(ファルナ)』だけじゃ、あんなんならん。かといって『神の力(アルカナム)』でも、あれと同じにはできへん。

 ありゃあ化物(ばけもん)や。【剣姫(アイズ)】よりも、【勇者(フィン)】よりも……ひょっとしたら【猛者(オッタル)】より格上かもなぁ。

 ククッ! うちが手塩にかけた眷族()より上とか、笑うしかないわ! 想定外の予想外、“アレ”は神々(うちら)も見通せん『未知』の塊!

  ああ、これだから――下界は止められん!」

「チッ……クソが。『雑魚』のくせにふざけやがって……(つえ)えくせに、達観した顔しやがってよっ!!」

 

 一人滑稽な笑みを浮かべるロキを無視して、「ムカつく野郎だ!!」と“灰”の座っていた椅子を蹴り飛ばすベートの表情は苦々しい。憎しみすら沸き立つ相貌で、“灰”の立ち去った夜の闇を射殺している。

 灰毛を逆立てる狼人(ウェアウルフ)を「まあまあ」となだめながら、ロキはようやく収まった心臓の鼓動に脱力する。そして椅子を傾け、不安定に揺らしながら天井を見上げ、薄く開いていた朱色の瞳を腕で覆った。

 

「なあ、ベート。自分が前に“灰”の話の真偽を聞いてきた時、うちは“灰”が子供よりも神に近いって、そう言うたな?」

「……それがどうかしたかよ」

「あれ、撤回するわ」

「あ?」

 

 怪訝な顔をするベートに見せつけるように、ロキはニヒルに口元を引き裂く。嘲笑うように、自嘲するように――心の伴わない形ばかりの笑みを浮かべて、空回りの声を吐き出した。

 

「ありゃあ、子供や。うちの眷族(こどもたち)と、なーんも変わらん。打ちのめされて、打ちのめされて、打ちのめされて――そんで化物(ばけもん)みたいになっただけの、ただの子供(ひと)や」

「…………」

「嫌んなるなぁ。うちは神やってんに……あんな(ざま)を見せつけられてしか、あの子が子供って確信できんかった。まったく、道化や。嫌んなるわ……」

 

 その、お調子者の神らしからぬ声に、ベートは驚き。瞠目した琥珀色の瞳を押し潰すようにゆっくり閉じて、がしがしとロキの朱色の髪を乱暴に掻き回した。

 直後響く女神の悲鳴に、狼人(ウェアウルフ)は散々罵倒を投げかけたという。

 

 

 

 

「――ただいま。ベル、ヘスティア」

「アスカさん! お帰りなさい!」

「待ってたよ、アスカ君!」

 

 とっぷりと暮れたオラリオの夜。廃教会の地下室、隠し部屋に帰宅したアスカを迎え入れたのは、満面の笑みを浮かべるベルとヘスティアの二人だった。

 

「遅くなってすまない」

「ううん、大丈夫だよ! 丁度準備ができたとこだから! ほら、早く座って座って!」

 

 妙にテンションの高いベルに手を引っ張られてアスカ達は慌ただしく室内に入る。ソファーの前に鎮座するテーブルの上には、三人分のちょっと上等なパン、奮発した鶏肉(チキン)の網焼き、新鮮な野菜のサラダに、テーブルの中央で当然の如く山盛りになっているジャガ丸くん。

 弱小派閥、【ヘスティア・ファミリア】が用意できる()()()()()()夕食だ。

 

「ふふん、どうだいアスカ君! 君のためにボクとベル君の二人で用意したんだぜ!」

「アスカさんが稼いだお金をちょっと使っちゃいましたけどね」

「気にするな。今日を私も楽しみにしていた。役に立てて嬉しいよ」

 

 鼻高々にドヤ顔するヘスティア、それに苦笑するベル、少しだけ雰囲気の柔らかいアスカ。和気藹々とする三人は狭いソファーに並んで座った。今日の主役である灰髪の幼女を、白い髪の少年と黒髪の女神が挟む形だ。

 

「それじゃあ、ちょっと遅くなったけど、アスカ君の歓迎パーティを始めようじゃないかっ! ほら、ベル君、音頭を頼んだよ!」

「はいっ、神様! それじゃあ、アスカさんの【ファミリア】加入を祝って――乾杯っ!」

『乾杯!』

 

 柑橘系の果汁(ジュース)が入ったグラスを合わせて、三人で笑い合う。そして早速料理に手を付け始めた。

 

「どう、アスカさん、美味しい?」

「ああ、美味いよ。ほら、ベルも食べてみろ」

「うん! ……――美味しい!」

「当然だよ! ボクの愛情がたっぷり入っているからね!」

 

 騒々しく、和やかに。笑ったり喜んだりと無垢で真っ新な心を輝かせるベルと、自分も充分楽しみながら二人の眷族への慈しみを絶やさないヘスティア。静かな夜の帳にもきっと漏れているだろう彼らの暖かさに囲まれて、アスカもまた銀の瞳の暗さを抑えて、人のぬくもりを混じらせる。

 神の血を分け合った家族。それはアスカが本当なら、決して得る事のできない絆。

 本来の“灰”なら、決して許す事のできない楔。

 ああ、けれど。それでもいいと、アスカは(かす)かに微笑んでいた。(ベル)と、(ヘスティア)と。彼らと共有するこの熱がまやかしなんかじゃないと、アスカは知っているのだから。

 その日はずっと、眠りにつくまで。彼らの笑い声が絶える事はなかった。

 

 

 

 

 翌日。アスカは【ヘファイストス・ファミリア】、北西のメインストリート支店を訪れていた。数日前にヘスティアに頼んでいたヘファイストスとの面談が、今日叶った形である。

 周囲の店に比べて二回りも大きい、炎を思わせる赤い塗装の武具店。その三階の執務室で、アスカは紅髪紅眼の女神と相対していた。

 

「――この度は私の要望に応えて頂き、感謝する。神ヘファイストス」

 

 早朝の白い日光が窓から注ぐ部屋の中央、執務机の前で姿勢を正したアスカは深々と頭を下げる。こと神に対しては不遜な態度を崩さないアスカも、ヘファイストスの前では最低限の礼儀を払っている。主神(ヘスティア)家族(ベル)も世話になっているのが大きな理由だった。

 

「堅苦しい挨拶はいいわよ。それで、何の用かしら? 私、結構忙しい身の上だから、できれば手短に済ませてほしいのだけど」

 

 さらさらと書類を処理しながらヘファイストスは面倒そうに言う。顔の半分を覆う眼帯の左側、外界に晒している紅の片目はアスカに一瞥もくれず、ひたすら書類の内容を追っていた。

 元々ヘファイストスはこの面談に乗り気ではない。オラリオでも有数の大派閥の主神である彼女が、吹けば飛ぶような弱小【ファミリア】の一団員と直接会うなど、立場の上でも道理の上でも普通はありえない事だ。

 その無理が通っているのは、一から十までヘスティアの顔を立てるためである。莫大な借金と引き換えにヘスティアの眷族(こども)へ武器を、ヘファイストス直々に鍛造して以来、あの怠惰な神友(しんゆう)は精力的に働いている。

 たった一日で音を上げている、という報告は届いているものの、これまでの経緯を考えれば驚くべき働きぶりだ。まだまだ油断はできないが、ヘファイストスとしてはヘスティアの頑張りに素直な賞賛を寄せている。

 だからとは言わないが、ヘファイストスはアスカに会う事を承諾した。勿論、その神友がまた土下座をしてきた時は目を疑ったものだ。やはり甘やかし過ぎたか、と過去の自分を罵りさえしたが、聞けば単に自分の子供に会ってほしいという要望だけだった。

 それも本来なら受け入れられないが、子供のために必死になっているヘスティアを無碍にはできない。これが最後、短い時間だけ、と念入りに念を押して、今日この場は成り立っているのである。

 

(……それにしても、一体何の用かしらね。武器を作ってほしいなんて言ったら、即座に叩き出すけど)

 

 そんな事を考えながら、ヘファイストスは淡々と仕事を進める。彼女はアスカの事などまるで知らない。ヘスティアとの歓談の端で小耳に挟んだくらいだ。(いわ)く、『根は良さそうなんだけど変わった子供』という評価をされている小人族(パルゥム)が、何を言い出すのか待っていると――羽ペンを走らせていた書類の上に、一枚の紙が差し置かれた。

 ヘファイストスは疑問符を浮かべつつ、ちらりとその紙の内容を流し見る。燃える炉のような紅の瞳が向けられて数秒、大きく瞠目したヘファイストスは、驚愕の眼差しをアスカに向けた。

 

「貴方、これ……」

「本題に入る前に、野暮用を済ませておきたい。神ヘファイストス、どうかそれを受け取ってほしい。

 私はその証文をもって、我が主神ヘスティアの借金の完済を望む」

 

 平坦に話すアスカの暗い銀の瞳の向こう、片目を見開くヘファイストスの手には、アスカが差し出した紙が握られている。

 それはギルドが発行する最も信頼される証文。記された金額と引き換えられる権利書の一種。偽造を防ぐ緻密な金細工と特殊な製法で作られたその高級紙には、『二億』に及ぶ数字が並んでいた。

 

「……ヘスティアの指示、なわけないわよね……腐っても慈愛の女神のヘスティアが、子供に借金を押し付けるわけない……いえ、そもそもこんな財産、あの子が持ってるはずが……」

「受け取ってもらえるか? 神ヘファイストス」

「……アスカって言ったわね、貴方。詳しく聞かせてちょうだい」

 

 羽ペンを置いて、ヘファイストスは固い表情でアスカと向き合う。こちらを探る目つきには疑惑の色がありありと浮かんでいるが、アスカはまるで気にしない。むしろようやくまともな面談が始められるとばかりにゆっくり瞬きした。

 

「まず今回の件だが、私の独断専行に当たる」

「ヘスティアは関わってないって事?」

「ああ。我が主神には場を整えてもらっただけだ。借金を返済する腹積もりも隠していた」

「どうして?」

「ヘスティアに対する金銭面の不信に尽きる。私の家族……ベル・クラネルのためとはいえ、永遠を生きる神でなければ支払えないような借金を背負ったのだ。我ら眷族に無断でな。

 だから私は、それを完済できる資産を持つ事を知られたくなかった」

「ふぅん、そう……でも、私の口から漏れるとは思わなかったの?」

「そのための面談でもある。神ヘファイストス、そもそも私が借金を完済しようとするのは、ヘスティアのためではないんだ」

 

 主神への敬いの欠片もないアスカの言葉に、ヘファイストスは怪訝そうな顔をする。ヘスティアのためでないのなら、一体何のために二億ヴァリスもの借金返済を請け負うのか――顔の右側を覆う眼帯を指で軽くなぞるヘファイストスを見据え、アスカは唇を動かす。

 

「ベル・クラネルは、私の家族だ。私がこの世でただ一人、(たっと)ぶ者。ベルのためなら如何なる苦労も私は厭わない。

 二億ヴァリスという借金は貴公とヘスティアの個人的な取引だろう。だがヘスティアは【ファミリア】の主神。ベルの寿命が尽きるまでに返せないであろう借金(それ)は、必ずベルの脚を引っ張る。いつか必ず、アレの重みになってしまう。

 だから私は、その憂いを断ちたい。ベル・クラネルの障害を取り払いたい。この借金返済の申し入れは、そのためのものだ。

 ……ヘスティアへの情が、全くないという訳でもないがな。そう……ほんの少しくらいは、あのものぐさな女神への義理と、感謝と…………家族として、苦労を肩代わりしてやりたいという思いが、ないわけでも、ない」

 

 最後の方は、何故か自身の言葉に困惑するような素振りを見せて、アスカは途切れ途切れに言い終えた。神妙な顔をするヘファイストスは、ギシリと背もたれに体重を預けて、しばし黙考に耽る。

 アスカの提案、差し出された証文、自身の考え、ヘスティアの笑顔――様々な事がヘファイストスの思考を巡り、意識の海へ消えていく。何となしに天井を仰いでいた紅の瞳が、二億ヴァリスの証文に落とされ。

 姿勢を正したヘファイストスは、付き返すように高級紙をアスカへ向けて差し出した。

 

「残念だけど、受け取れないわ」

 

 その言葉に何の変質も見られないアスカに、ヘファイストスは苦笑を浮かべながら続ける。

 

「元々、あの子の眷族に作ってあげたナイフはこんな高くないのよ。せいぜい半分、良くて四分の三ってところかしら。早い話、ぼったくっちゃったのよね」

「何故そんな事を?」

「他力本願のヘスティアに痛い目を見てもらいたかったのが一つ。あの子のだらけ癖をこの機に矯正したかったのが一つ。今まで世話して上げた分を労働で返してもらいたかったのが一つ。

 あとはそう……私の我がまま、かしらね」

 

 アスカは返された証文を粛々と受け取る。手渡したヘファイストスは立ち上がり、窓辺に手をかけて朝日の降り注ぐ街並みを眺める。光に照らされる横顔には、神友を慈しむ想いがありありと浮かんでいた。

 

「私もね、ヘスティアのために何かをしてあげたかったのよ。あの子が、あの子の眷族にそうしてあげたように……私もどうせ手助けをするなら、ヘスティアのためになる事をしたかった」

「それが借金の増額である、と?」

「ええ。何も優しさだけが手助けってわけでもないでしょ? 今まであの子を甘やかしていた分、とことん厳しくするのが私の役目だと考えたわけ。

 貴方の言う通り、天界の頃からかなりぐうたらな女神なのは変わらないし。これで少しは反省して、子供に見限られない立派な主神になれば御の字ね」

 

 ヘファイストスは左目を優しげに細める。紅の瞳に反射するオラリオの街並みの中心に、『神の塔』は高々とそびえ立っている。そこで今もひぃひぃ言いながら働いているであろう神友の姿を、鍛冶の女神は見ているのだろうか。

 差し込む朝日に微笑む女神という、一枚の絵画のような光景にアスカは不愉快そうに眉間を寄せ、ヘファイストスに気付かれない内に平素に戻った。

 

「分かった。貴公がそういうのなら、私もでしゃばるのは止めよう。余計な提案をして済まなかった、神ヘファイストス」

「いいわよ、別に。元はと言えば身の丈に合わない借金を負ったヘスティアと、根負けして武器を作った私が悪いのだし。貴方が謝る事じゃないわ」

 

 少し自嘲気味に苦笑して、ヘファイストスは執務机に戻る。座って、留めていた書類仕事へ手を伸ばしたところで、全く動く気配のないアスカに気付いた。

 棒立ちする小人族(パルゥム)にヘファイストスが首を傾げると同時に、アスカは口火を切った。

 

「それでは、本題に入らせてもらおう」

「本題……?」

 

 片側しか見えないヘファイストスの相貌が不可解そうに形を変える。今までの話が本題ではなかったのかと思う女神は、数秒してはたと思い出した。

 

「ああ、そういえば……先に野暮用を済ませておきたいって言ってたわね。それで、何かしら? 貴方はきっちり対価を支払えそうだし、武器の注文も受け付けてあげるけど」

「いや、武器ではない。私は貴公に尋ねたい事がある。他ならぬ我が主神、ヘスティアについてだ」

「ヘスティアについて……? そんなの、あの子に直接聞けばいいじゃない」

 

 首を傾げつつ、ヘファイストスは明快な答えを返す。本人の事は本人に聞くのが一番だ、そんな説明するまでもない自明の理に、けれどアスカはふるふると首を振った。

 

「残念だが、我が主神は借金返済の労働に忙しい。端的に言って、私の望む回答を得られる時間が足りない。

 それにな、こういうのは本人にではなく、他人から伝承を聞くのが編纂(へんさん)しやすいのだ。多くの物語は語り部の口から伝わり、形となって世に広まる。だから私もそれに則る。

 故に神ヘファイストス、私は望もう――炉の女神ヘスティアの物語を、どうか聞かせてほしい」

「聞かせてほしいって、そんな事言われても……」

 

 深々と頭を下げるアスカに、ヘファイストスは深く困惑していた。だが同時に、アスカの目的の意味も理解していた。

 つまりは、自らの主神の『神話』をアスカは聞きたいのだ。それは迷宮都市オラリオにおいて珍しい事ではない。特別に主神を崇める信心深い眷族が、天界や下界に降りてからの主神の『神話』を知りたがるのはよくある話だ。

 神の物語を知り、より信仰を高める。アスカもそうなのだろうと、ヘファイストスは認識した。

 

「……私の知ってる事なんて、あんまりないわよ? こう言っちゃ何だけど、ヘスティアは天界じゃ、かなり没個性な神だったんだから。まあ、他の連中がどうしようもない行動的な馬鹿揃いだったのもあるけれど……」

「それで構わない。私が欲するのはヘスティアの物語()()()()だ。その中で使()()()逸話(エピソード)が一つでもあればそれでいい」

「そう……なら、私の知ってる限りは話してもいいわ」

 

 アスカの言い回しに奇妙な違和感を覚えつつ、ヘファイストスは了承する。それくらいなら別に構わない。書類仕事をしながらでも充分行えるだろう。そう考えて語ろうとすると、アスカが先に手で制した。

 

「無論、対価は払う。私が貴公に渡せる最大限価値のある物をな」

「……いえ、別にいらないけど。たかが話をするだけだし、何か貰うような事でも――……」

 

 ヘファイストスの言葉は、途中で途切れた。いや、アスカが何処からともなく取り出した物が、強制的にヘファイストスの思考を千切り取った。

 紅の瞳が、限界まで開かれる。鍛冶の女神が映すのは、灰髪の小人族(パルゥム)が小さな手に抱く物。本来、下界に在り得る筈のない――天界にすら存在し得ない物。

 ごとりと執務机に置かれた“それ”に、ヘファイストスは全てを奪われていた。思考も瞳も、肉体の制御すら奪われたように、ヘファイストスは吸い寄せられるように“それ”を手に取り、瞬きすら忘れて見続ける。

 

「貴方……これ……」

 

 無意識に呟かれた震える声に、アスカは常と変わらない、平坦な表情で答えを示した。

 

「――――『楔石の原盤』。私が持つ最高峰の、()()()()()()()。きっと貴公なら、それの価値を理解できると判断する。

 故に神ヘファイストス。私はそれを対価に、ヘスティアの物語を望む」

 

 静寂に満ちた執務室。そこに差し込む陽光だけが、ずっと彼女らを照らしていた。

 

 

 

 

 更に翌日。ベルが『神の塔(バベル)』に向かうのを見送ったアスカは、ギルドでエイナ・チュールと対峙していた。

 

「…………」

「…………」

 

 ギルド内を席巻する冒険者達の喧騒も届かない、ロビー隅にある面談用ボックス。防音設備の整った一室で、エイナは緊張の面持ちで、アスカは半眼の無表情で向き合っている。

 双方口は開かず、重い空気だけが漂っていた。

 

(……何か言ってくれないかなぁ、もぉ~……)

 

 口元を固く結んだ表情を崩さないエイナは、気まずさで胸が一杯だった。目の前の人物、アスカは相変わらず感情の読めない人形のような顔立ちで、身じろぎもせず座っている。

 一応この面談はアスカの謝罪の場、という事になっているが、当の本人は口を開く様子がない。円滑な会話を促そうにも、アスカに苦手意識を抱いてしまったエイナから沈黙を破るのは不可能に近かった。

 

「……――この度は、謝罪の場を用意して頂き感謝する。エイナ・チュール」

「え、あ、はい」

 

 一向に打開されない重い空気にエイナが瞑目して心中で唸っていると、アスカが急に喋り始めた。とっさの事にエイナは頓珍漢な反応をする。数秒経って、ハッとしたエイナは内心羞恥を抱きつつギルドの受付らしい完璧な笑顔を作った。

 

「いえいえ、こちらこそ、必要のない担当官(アドバイザー)でしかない私のために、時間を取っていただきありがとうございます。アスカ氏。

 今更何の御用があるのかは存じ上げませんが、私にも仕事がありますので、支障を出さない程度に手早く済ませてくださいね?」

 

 無論、例の一件に関しては非常に怒っているエイナは、言葉に多分な毒を吐かせてもらったが。ハーフエルフの見目麗しい顔立ちには、アスカに対する私怨めいた感情が目に見えない圧力となって表れている。

 しかしそれが自分のためだけでなく、ベル・クラネルを危険に晒した事への私的な感情が含まれているのは明らかだった。少なくともアスカには太陽の戦士が太陽に向かって太陽賛美をする事以上に自明であったため、素直に受け止めて深々と頭を下げた。

 

「済まなかった、エイナ・チュール。貴公に働いた数々の非礼、その全てに対し謝ろう。私には出過ぎた真似だった。

 貴公はベル・クラネルを助けてくれた。アレにとっては厳しいものだったろうが、それ故に貴公の教えに救われた事もあると、ベルはそう言っていた。

 エイナ・チュール。貴公はベル・クラネルに必要だ。私がそう思わずとも、他ならないベルがそう思っている。だから私もそうだと信じよう。ベルの信じる、貴公を信じよう。

 だから貴公、本当に済まなかった。私に心などほとんどないが――それでも、心から。貴公に対し謝罪する」

 

 頭を上げたアスカは真っ直ぐにエイナと視線を合わせる。その凍てついた太陽のような、暗い銀の半眼に嘘が宿っていない事はエイナの目にも明らかだった。それでも否定された苦い記憶のせいか、その半分閉じた瞳に気圧されつつあるエイナは、こほんと咳払いをして苦笑する。

 

「ええっと……アスカ氏の謝罪を受け取ります。元々私のしている事が、冒険者への余計なお節介である事は理解していましたから。今回の事は、お互い水に流しましょう」

「感謝する、エイナ・チュール」

 

 エイナの言葉に、アスカは軽く一礼する。それから少し瞑目して、スッと瞳を半分開いた。

 

「さて、エイナ・チュール。謝罪も済んだところで、貴公に一つ提案がある」

「提案、ですか?」

「ああ。エイナ・チュール――私と協力しないか?」

「協力……?」

「そうだ」

 

 アスカの唐突な提案にエイナは首を傾げる。協力とは、一体何を指しているのか。それが分からないハーフエルフの受付嬢は、あまり気は進まないがアスカの話を聞く事にした。

 

「どういう事でしょうか?」

「順を追って説明しよう。

 まず、エイナ・チュール。貴公も気付いているだろうが、我々は根本的なところで反りが合わない。ダンジョンへ抱く脅威度の違い、危機に対する認識のズレ、そして何より――命の価値観が天と地ほどに分かたれている。

 故にこそ、私と貴公の衝突は必然だった。私は必ず貴公と相容れない時が来ると考え、早々に決裂の機会を設けた。いずれ()らぬ破滅ならば、傷の浅い内に終わらせるべきだと。

 貴公を(そし)ったのは、それが理由だ」

「……成程。貴方なりに理があっての行動だったわけですか。ひ・じょ・う・に、乱暴な手段だった事は否めませんけどっ」

()もありなん。私は大概を暴力で解決してきたからな。自ずと手法も粗暴が目立つ」

 

 アスカは何て事のないように言うが、言葉の内容にエイナは引いていた。「暴力で解決してきたって……」と、冒険者という荒々しい職業に近しいギルド職員であるものの、暴力性を持たないエイナにとって衝撃的な告白である。見た目が完全に幼女のアスカであるなら尚更だ。

 しかし、アスカがそうして来たとしても何ら不思議に思えないのが、何とも不思議な話だ。何かと侮られやすい小人族(パルゥム)であるにも関わらず、アスカの佇まいや纏う空気は、僅かでもそれを感じられる者に侮りを捨てさせるだけの何かがあった。

 エイナがそんな感想を抱きながら物理的に後ろに下がるのも気にせず、アスカは会話の軌道を修正する。

 

「話を戻そう。私は貴公を否定した。その後、ベルに泣かれてしまってな。アレにとって貴公は、存外大きな存在らしい。それこそ、大事な人だと恥ずかしげもなく口にするくらいには」

「ベル君がそんな事を……」

「だから私はベルと約束した。貴公との関係の改善を目指すと。

 故にエイナ・チュール。私は貴公と協力したい。我々の人間性の相性からして、その辺りが最も適当な落としどころだ」

「…………事情は分かりました。この提案が貴方の……――本当に自分勝手な都合から生まれた事も、よぉーく分かりましたとも!」

「受け入れて貰えない、と?」

「当たり前ですっ!」

 

 怒りの色を発散するエイナは腕を組んで、無表情を動かさないアスカをキッと睨みつける。

 

「貴方の提案の根底には、確かにベル君への思いやりがあるんでしょうけど! それでも私に対する配慮ってのが全く足りてません!

 勝手に人の事を決めつけて、人間関係をまるで数字みたいに扱って、一から十まで貴方の都合だけで考えられてるじゃないですか! そんな自分勝手な提案を受け入れられるわけないでしょう!?

 大体、貴方は私を何だと思っているんですか! 私は確かに一介の受付嬢に過ぎませんが、ちゃんと心のある一人のハーフエルフなんですよ!? それを使える物かどうかみたいに、利用できるかどうかみたいに考えて!

 それで私が怒らないとでも思っていたんですか、貴方は!!」

 

 前回の鬱憤も合わせて、エイナはかなりの勢いで爆発していた。溜まりに溜まった激情を躊躇なくアスカに全力でぶつけていく。それは数十分もの間続いた。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……分かりましたね、アスカ氏!? これに懲りたら、人を馬鹿にするのはもうやめてくださいっ!!」

「ああ、理解した。エイナ・チュール」

 

 怒鳴り疲れて肩で息をするエイナに、アスカは全く堪えていない顔で頷いた。それにイラッとくるも、反応するのも疲れてしまったエイナは、机に手を叩きつけて立ち上がっていた体を椅子に預ける。

 ついで大きなため息を吐くエイナに――アスカはひどく冷たい瞳で、厳然と言い放った。

 

「それではエイナ・チュール。私は貴公をギルドに告発する」

「…………はあっ!?」

 

 突然の宣告にエイナは仰天した。彼女が意味を理解して反論する前に、アスカは続け様に向こう脛を蹴りつける。

 

「貴公、ベルの【ステイタス】の開示を迫ったそうだな」

「うっ……!?」

 

 真っ赤になって再び怒声を上げようとしたエイナは、一瞬で真っ青に顔を塗り替えた。それがアスカに知られている事がどういう意味を持つのか、ギルド職員であるエイナには分かりたくなくても分かってしまった。

 

「本来ありえない速度で成長するベルを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、貴公はベルに【ステイタス】の開示を()()()()

 これが非常に好意的な解釈である事は、言わずとも理解できるだろう」

「…………」

 

 エイナは俯いたまま反論できない。アスカの言葉には多分に裏が含まれている。

 つまりは、主神の勘違いであるという可能性を口実に、【ステイタス】を開示しなければ下層に降りる許可をしないと脅迫し、一方で自身を奴隷として扱っていいと匂わせて、【ステイタス】を見せるよう要求した。

 アスカが言いたいのはこういう事だ。これでもエイナが貞操観念の高いハーフエルフである事を考慮した物言いであると分かるのが本当に腹立たしい。ぷるぷると握り拳を作るエイナに、アスカは更に畳み掛ける。

 

「これがギルド内外に知れ渡れば、貴公の評価下降は避けられんだろうな。ギルドとしては冒険者の詳細な情報を得られるに越した事はないだろうが、それが表沙汰になるのはよろしくない。良くも悪くも、ギルドとは信用で成り立つものなのだから。

 まして今回のような担当官(アドバイザー)という立場を利用した【ステイタス】の開示要求は、明らかなギルドの非。流石に優秀な貴公の罷免とまでは行かないだろうが、賠償を支払う案件である事は明確だろう」

「…………」

「そして私は賠償として、『担当官(アドバイザー)の交換』と『ベル・クラネルに対するエイナ・チュールの接見禁止』を必ずもぎ取る。必ずだ。何に換えてもそれだけは確実に達成する。

 それを理解してもらった上で、もう一度聞こう――私と協力してくれないか、エイナ・チュール」

「…………仮に、私が代案を出したら、どうしますか?」

()()()()()()()()()()()()

 

 震えるエイナの小さな抵抗をアスカは一瞬で踏み潰す。顔を上げる泣きそうなハーフエルフに、アスカは変わらぬ銀の半眼を向け続けた。その凍てついた太陽のような瞳に当てられて、エイナはがっくりと肩を落とす。

 

「……………………了承、します。私は、貴方と協力、します……それで、いいのでしょう? アスカ氏……」

「感謝する。エイナ・チュール」

「…………もぉ~、なんてあくどい人なの……鬼ですか、貴方は……」

「私は人だよ。その証左に、とても人臭い取引だったろう? なあ、エイナ・チュール」

 

 肯定を求める言葉に、エイナは返す気力もない。俯いた顔を両手で覆って、自分の愚かさを呪っていた。

 ベルに【ステイタス】を見せてほしいとお願いした事が間違っていたとは思わない。確かにそれはベルの無邪気さと人を疑わない所に付け込んだ形ではあるが、担当官(アドバイザー)として、エイナ個人として、必要な事だったと断言できる。

 呪っているのは、それがアスカに伝わる可能性を考慮しなかった自分の浅はかさ。苛烈で敵を作る事に躊躇いがないのは理解していた筈なのに、ベルを案じるあまりに忘れてしまっていた過去の自分を、エイナはとても呪っていた。

 

(……アスカ氏は、一体何者なんだろう……)

 

 一方で、頭の片隅に居る冷静な自分(エイナ)が問いかけてくる。アスカと呼ばれる、“灰”を名乗る無名の小人族(パルゥム)が、どのような存在であるかを。

 ベル・クラネルを筆頭とした、“家族”以外には苛烈な人物。それが「必要ない」と否定されたエイナの私情混じりの認識だった。それに今回、新たな一面が追加された。

 すなわち、人も状況も含め、目的に利するものをとことん利用する性質であるという事。ベルに頼まれたという「エイナ・チュールとの仲直り」を達成するために、エイナの心情を無視して提案をし、それを「ベルの【ステイタス】の開示を要求した」という切り札で強引に押し切った。

 それは乱暴ながら剛毅で、アスカの“本質”が見え隠れする所業だ。

 

(……大切なもの以外の全てを、利用できるか否かで判断している……たぶん、アスカ氏はそういう人。

 別に珍しくない。身内に優しくて他人に厳しいのは、冒険者によくある傾向だし)

 

 ギルドの受付嬢として何人もの冒険者を見てきたエイナの目が、そう判断する。アスカはベルよりも、ずっと冒険者らしい性質を持っていると。

 けれど、エイナは心のどこかで納得し切れないでいた。推察はおそらく合っている。でも、何かを見落としている――それが分からないエイナは、壁を透かして自分の机を幻視する。

 

 数日前、その机の棚にはアスカの登録用紙が保管されていた。けれど今はもうない。上層部に持っていかれ、厳重な警護に置かれる書庫に封印されてしまった。

 最初の内はエイナだけでなく、他の職員もアスカについて調べていた。登録した翌日に、六階層で暴れ回っているという苦情が散々来たためだ。その対応に追われた職員達は、アスカの事を不審に思い調査していた。

 登録初日から六階層で生き残れるという事は、事前に『神の恩恵』をそれだけ成長させていたのだろう。常識的にそう判断した職員達が、どこのファミリアに所属していたか調べていたのだ。

 エイナはそれに混じって調べていたが、調査はすぐに打ち切られた。「たかがLv.(レベル)1の冒険者に労力をつぎ込むな」と、上層部からお達しが来たからだ。

 これのせいでエイナはそれ以上アスカについて調べる事ができなくなった。個人的に動こうにも、調べ始めた瞬間別の仕事を押し付けられる。怪物祭の不祥事の後始末に忙しかったのもあって、エイナはロクに調べられていなかった。

 

(まあ、それもあるけど……たぶん、あれ以上調べてもアスカ氏の事は何も分からなかったって予感がする。少し調査しただけでも、どうやってオラリオに来たかさえ、分からなかったんだから)

 

 壁から視線を戻して、エイナはアスカをじっと見つめる。ともすれば神のように美しく、小人族(パルゥム)らしい童女で、けれどそのイメージをマイナスにする程の、巨大な老木の如き存在感。

 エイナ・チュールはアスカから、そんな底の見えない異様な存在感を感じるのだ。それがアスカという小人族(パルゥム)を極端に見えにくくしている。初見で分かるのは、普通ではないという一点のみだった。

 

(……この提案は、チャンスかもしれない。どんな協力をさせられるのかはまだ分からないけど……アスカ氏の事を知る、良い機会なのかも知れない……)

 

 立ち直ったエイナは心中でそう思う。本当なら、ここまで拘る必要もないが――アスカはベル・クラネルの家族だ。エイナはベルのために、アスカの事を知る必要がある。そんな使命感に駆られていた。

 パシン、とエイナは自分の頬を叩く。気持ちは切り替えよう。アスカのように、逆に状況を利用してやろう。そんな慣れない事を考えるエイナは、真剣な顔つきでアスカと協力の話を詰めていった。

 

 

 

 

 アスカはエイナとの協力の話に一日を費やした。というのも、エイナは普通に仕事があるので、彼女の時間が空くまで待機していただけだ。エイナの貴重な休憩時間を潰す形になったが、当然アスカは欠片も悪いと思っていなかった。

 話をしている内に気付けば、日が没しようとしていた。とぼとぼと窓口に戻るエイナを見送って、面談用ボックスの外に出た途端、眼に飛び込んできた夕日にアスカはひどく苛立つ。

 その感情の波は刹那にも満たない。天地を砕く残響が暗い海に溶けていくように、アスカの心に浮かぶ感情(もの)は、全て闇へと消えていく。

 他人から見れば変化のない無表情を保つアスカは、ふとギルドの入口に目をやって、白髪の少年冒険者に気が付いた。小さな歩幅で近づくと、向こうも気付いたのか笑顔で手を振ってくる。

 

「アスカさん!」

「ダンジョン帰りか、ベル。その様子だと、今日は稼げたみたいだな」

「うん、今日はリリに……えっと、今日一緒にダンジョンに潜ってもらったサポーターの子なんだけど、リリのおかげでたくさん戦えたんだよ」

「ほう、サポーターか。……ふむ、エイナも忙しそうだ。窓口が空くまで、そのサポーターについて聞かせてくれないか」

「いいよ。あっちで話そうか」

 

 列の並んだ窓口を見て、ベルとアスカは移動する。邪魔にならないところで立ちながらベルはサポーター、リリルカ・アーデの事をアスカに伝えた。

 

「リリはすごいんだよ。僕なんかよりずっとダンジョンの事に詳しくてさ、すごく頼りになるんだ。魔石もこう、手をちょっと動かすだけで取り出せるし、リリの体より何倍も大きい荷物だって軽々持ち運べるんだよ」

「そうか。中々優秀なサポーターのようだ」

「アスカさんもそう思うよね! だからさ、これからもリリと組んでいきたいなって考えてるんだ。勿論、エイナさんとアスカさんの意見を聞いてからって決めてるけど」

「いいんじゃないか? 私は構わない」

「本当!? 良かった、嬉しいよ! じゃあエイナさんが許してくれたら、明日一緒にダンジョンに行こうね!」

「ああ。そうしよう」

 

 純粋な歓喜で笑顔を咲かせるベルに、アスカもほんの少しだけ口角を曲げて頷く。そうしていると、丁度エイナの窓口の列が掃けていた。「ベルくーん」と聞こえてくるエイナの呼び声に、兎のような少年は嬉々として向かおうとする。

 アスカは、そんなベルとは別方向に足を伸ばす。

 

「済まんがベル、私は先に戻っている。用事ができたのでな」

「え?」

「夕食も別々に取ろう。私とエイナの和解については、エイナから聞いてくれ」

 

 去り際にそう呟いて、呆けるベルを置いてアスカはギルドから出て行った。

 

 

 

 

 リリルカ・アーデはベタッベタッ、とぞんざいな足取りで路地裏を進んでいた。

 その手には光沢を失った腐った黒を晒すだけの短剣、《ヘスティア・ナイフ》が握られている。今日、見るからに世間知らずな、鴨が葱を背負った白髪の冒険者から頂いたものだ。

 

(どうして、なんで……鞘がいる……)

 

 キラーアントの硬殻を易々と斬り裂ける短剣は、豪邸が二つ三つ建てられる値段で売れる筈だった。武器としての性能に加え、【ヘファイストス・ファミリア】のロゴをタイプする事を許された一級品の武器。

 その筈が、買い取り価格三〇ヴァリスというジャガ丸くん一個にしかならない買い叩きぶりに、リリルカは怒りと困惑を(ない)()ぜにしていた。

 鞘がいる。ヘファイストスのロゴが刻印された鞘が。そう考え、危険を冒してでももう一度あの冒険者と接触すべきか、リリルカが考えていたその時。

 

 路地に差し込む夕日を斬り裂くように、その小人族(パルゥム)は立っていた。

 

「――――リリルカ・アーデだな?」

「!?」

 

 夕日を背に、リリルカから見える真正面の大部分を影に隠すその存在に、思わず立ち止まる。それと同時に断定的な口調が重くリリルカの耳朶を揺らした。

 

「……誰かと勘違いしていませんか? 私はリリルカ・アーデなる人物ではありませんが」

「白髪の冒険者、ベル・クラネルから盗んだナイフを置いて去りたまえ」

「……!!」

 

 とぼけるリリルカに、古びた鐘のような声の主は一方的に話し続ける。その言葉の意味を瞬時に理解し、どきりと心臓を跳ね上げさせるリリルカは、内心の動揺を悟られぬよう、努めて平静な態度を取る。

 

「ですから、私はリリルカ・アーデではありません。見ての通り、私は男です。名前からして、貴方が探しているのは女性の方と思うのですが」

「三度は言わない。白髪の冒険者、ベル・クラネルから盗んだナイフを置いて去りたまえ」

「……話を聞かない人ですね」

 

 ()()()()()()()()()リリルカは、頭の中で舌打ちをしつつ逃げる準備を整えた。明らかに話の通じる類ではない。だから気付かれぬよう重心を移動させ、すぐさま動ける体勢を作り――懐から目眩ましの小石を投げ、同時に背後へ逃げだした。

 当たったかどうかは確かめなくていい。一瞬でも気を逸らせればそれでいい。この辺りの地図は頭に叩き込んである、がむしゃらに動き回ればきっと逃げ切れる。

 そう判断して、六歩ほどの距離を走り――リリルカは唐突に、石畳に倒れ込んだ。

 

「ふぎゃっ!?」

 

 不細工な声を上げながら、リリルカは何が起こったか一瞬分からなかった。転んだつもりはないのに、気付けば倒れ込んでいた。追いつかれたらまずいと焦燥を募らせながら、無意識に自分の足へ目を向けると。

 

 腰の下、太腿(ふともも)の中ほどから――()()()()()()()()()()()()

 

「…………えっ?」

 

 リリルカは眼前に広がる光景を、すぐには理解できなかった。

 足が、ない。食事に恵まれずあまり肉付きの良くない、自分の太腿から先が、消えている。それが理解できないまま、視線を上げ、石畳にごみのように転がっている、二本の棒が目に映る。

 

 ――否。それは棒ではない。リリルカ・アーデの、足だ。

 

 その打ち捨てられた足が、急速にリリルカを現実に引き戻す。ついで、ぶしゅりと切断された太腿から血が吹き出し。神経を伝って脳に這い上がってきた痛みの信号に、リリルカは絶叫した。

 

「ぃ、あ、げぅっ!?」

 

 しかし、それは叶わなかった。凄まじい力で喉を打ち据えられ、リリルカの声帯が無惨に潰れたのだ。

 発しようとした声は、風鳴りにしかならなかった。ひゅーひゅーと口を通り抜ける擦過音しか出せないリリルカは、あまりの痛みに喉を押さえる。顔は激痛に悶え、瞳からは涙が溢れていた。

 そんな、足を失くしたリリルカを、小人族(パルゥム)は無情に見下ろしていた。リリルカの中に残る、かろうじて冷静な意識が、その存在を瞳に捉える。

 恐ろしく長い灰髪の小人族(パルゥム)だった。体はリリルカと同様か、それ以上に小さく、端正な顔立ちで美しい人形のよう。けれどその小さな手にぶら下がる、血に濡れた包丁が様相をひどく不気味に見せている。

 異様に巨大な包丁だ。刃(こぼ)れの目立つ、赤錆に塗れた醜悪な刃。その形と大きさは、まるで人を斬るための、いや、解体するための道具にも見える。

 それを握る小人族(パルゥム)は、虫を見るような銀の半眼でリリルカを見下ろしていた。その冷たさを通り越した無の双眸に、リリルカの冷静な部分が凄まじい悪態をつく。

 

(ああ、くそ、ちくしょうっ! くそったれめっ!!

 こいつはリリを解体したんだ! リリの足を、家畜の肉を解体するみたいにっ!

 そして喉を蹴って潰した! 叫び声を上げられないようにっ!

 ちくしょう、ちくしょう、ああっ、ちくしょうっ!! くそったれっ!!

 こいつはリリを逃がさないように、こんな事をしたんだっ!!

 こいつにとって、最も手っ取り早くて――合理的なやり方でっ!!

 虫を潰して、足と地面ですり潰してバラバラにするみたいにっ!!)

 

 悔しさと、怒りと、身を焦がす激痛でリリルカの視界が真っ赤に染まる。そんなリリルカの内心など、知った事ではないと言わんばかりに。灰髪の小人族(パルゥム)はゆっくりと片足を上げ、リリルカの頭を踏みつける。

 その痛みでも、風鳴りが喉を通り抜けるだけ。呻くリリルカの頭にゆっくりと体重をかけ、灰髪の小人族(パルゥム)はしゃがみこんで手をリリルカの懐に差し込む。そしてまさぐり、黒いナイフをそっと取り出した。

 そうされても、リリルカには何もできない。痛みに苦しんで、喉を押さえてもがくだけ。それが、それがリリルカには、何より辛く、悔しい。

 

 リリルカの人生には常に悪意が立ち込めていた。

 酒に溺れ親らしい事を何一つしなかった両親、リリルカがどんなに苦しくとも手を差し伸べず、搾取して弄ぶばかりだった【ファミリア】。たかがサポーターと侮り、上から目線で罵倒して、正当な報酬を払わない冒険者。

 世界はリリルカに優しくなかった。だからリリルカが世界を見限るのも仕方なかった。

 リリルカは生きるために、汚い事に手を染めるようになった。詐欺、窃盗は当たり前、狡猾に、大胆に、自分を苦しめるばかりの冒険者を相手に金品を奪えるだけ奪ってやった。

 リリルカは冒険者が嫌いだ。酒に溺れる【ファミリア】が嫌いだ。何もしない主神(ソーマ)が嫌いだ。そして何よりも、誰よりも――弱っちくて役に立たない、愚図で誰のためにもなれない、リリルカ・アーデが一番嫌いだ。

 だから、何度もリセットを望んだ。変われるのなら、もっとましな自分になれるのならと、何度も死のうと思ってきた。その勇気もない自分が、ますます大嫌いになった。

 

 けれど、でも、それでも――()()()()()()()()()()()()

 人として扱われないのはいい。リリルカだって他人をそうしている。それにもう慣れてしまった。だから、罵倒と嘲笑の内にあっさり死ぬのは、やっと解放されると喜べた筈だ。

 だが、()()()()()。この小人族(パルゥム)は、リリルカを生物とさえ思っていない。

 まるで落とした物に塵が吹き溜まったように考えている。掃き溜めの塵を捨てるみたいに――リリルカ・アーデを、扱っている。

 こいつにはきっと、リリルカを殺そうとする意志すらない。単に邪魔だから取り除いているだけ。それが行動から、見下ろす冷たい瞳からまざまざと見せつけられるリリルカは、悔しくてたまらなかった。

 こんな最期を遂げる自分が。何の力もない自分が。何も変えられない自分が。

 誰からも、必要とされなかった自分が――リリルカは、何よりも悔しかった。

 

「……ぎ、ぐぅ、ぅえぇっ……」

 

 涙が溢れて止まらない。リリルカには、それしかできない。灰髪の小人族(パルゥム)に抗う事もできない。命が赤い液体となって流れて、石畳に沁み込んでいくのも止められない。言葉すら、声に出せない。

 意識に霧がかかっていく最後、灰髪の小人族(パルゥム)が何かに気付いたように揺れ動いたが、もうその事を考えられる力はリリルカには残っていなかった。

 悲しくて、苦しくて、悔しくて、辛くて。世の中を恨み、呪いながら、意識を手放す事しか、リリルカにはできなかった。

 

 そして、リリルカ・アーデの心は。深い、深い闇の底へ消えていった。

 

 

 

 

「……?」

 

 リュー・リオンは、いつも通っている『豊饒の女主人』へ帰るための近道に、違和感を覚えていた。

 それを言葉にできないまま、荷物を持ってくれているシル・フローヴァを先導しながら、夕日の差し込む路地裏を歩いていく。

 そうしていると、不意に、脇道の先の石畳の上に。見覚えのある【神聖文字(ヒエログリフ)】の刻まれた、腐った色をしたナイフを発見した。

 

「これは……」

 

 シルにその場で待つように告げて脇道に入ったリューは、棒状の塊を拾い上げて確かめる。それは間違いなく、同僚(シル)の想い人、ベル・クラネルの得物だ。昨日目にした少年のナイフの記憶と、手の中にある黒い短剣が重なる。

 

「どうしてこんな所に……まさか、落とした?」

 

 凛とした声を落として、周囲を見渡すリューは、ふと先程から感じていた違和感の正体に気が付いた。かつて冒険者であった体の五感を最大限高めて、その場の空気を感じ取る。

 

「……おかしい。空気が、清涼過ぎる……」

 

 エルフであるリューは森の清浄な空気を知っている。迷宮都市オラリオの雑多な空気が、それに遠く及ばない事も。なのに今喉を通る空気は、リューの知る故郷の森のそれよりも、厳かに清められた空気だった。

 気になるのは、それがどこか作り物めいている点だ。オラリオでこんな空気を感じる以上、作為的な物なのは間違いないだろうが、どこか、そう――()()()のだ、この空気は。

 リューが首を傾げていると、シルの声が聞こえてくる。思考を打ち切ったリューは拾ったナイフをしまって、シルの元へ戻り、『豊饒の女主人』へ歩いていく。路地裏から表通りへ出た後、必死な形相の白髪の少年が横切ったのは、その時だった。

 リューとシルはその少年に声をかける。彼女らは、最後まで気が付く事はなかった。

 路地裏の屋根からリュー達を見下ろしていた、暗い銀の眼光に。

 

 

 

 

「……ただいまぁ、アスカさん……」

「おかえり、ベル」

 

 その日の夜。落とした《ヘスティア・ナイフ》をリューとシルが見つけてくれて、何とか取り戻したベルは、そのまま『豊饒の女主人』で夕食を取った。アスカやヘスティアに悪いと思ったが、ヘスティアは最近バイトのせいで時間が合わず、アスカはギルドで分かれる際に夕食は別で取ろうと提案されていたため、そうする事にした。

 疲れを滲ませて地下室に降りてきたベルは、ソファーに座って見るからに高級そうな紙に文字を書き綴っているアスカを眺める。テーブルの隅には同じ紙が何十枚も束になって置かれていた。

 

「アスカさん、何してるの?」

「ああ、これか? なに、興味深い物語を聞けたのでな。使えるように編纂(へんさん)している」

「編纂? それに物語って……ひょっとして、【迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)】!?」

 

 アスカの綴る物語が愛読書(バイブル)だと思ったベルは、途端に興奮して目を輝かせる。その子供のような振る舞いにアスカは苦笑して、顔にかけている上品な銀眼鏡の位置を指で直した。

 

「貴公の知らない物語ではあるだろうが、英雄譚ではないよ」

「あ、そうなんだ……でも、気になるなぁ。ねえ、ちょっとだけ見てもいい?」

「構わないが……きっと貴公には読めないぞ」

 

 アスカから差し出された一枚を手に取って、ベルは興味津々といった風に、食い入るように高級紙を見つめる。けれどもその表情は数秒で崩れて、十秒も経つ頃には難しい顔になって首を傾げていた。

 

「……アスカさん。これってもしかして【神聖文字(ヒエログリフ)】?」

「似て非なるものだ。私の知る、神聖な物語を綴るための言語だな」

 

 紙から目を離して尋ねてくるベルに、編纂を進めながらアスカは答える。会話に出てきた「神聖」という言葉を口の中で転がすベルは、アスカの恰好がそれっぽい事に気が付いた。

 アスカは白い布に包まれている。柔らかく仕立ての良いそれは、まるで聖女が身に着ける服のようだ。いつもの無表情ではない、真剣な瞳で編纂を続けるアスカは、どことなく神聖な雰囲気を発していた。

 その滅多に見ない懸命に作業する家族の姿に、ベルは少し考えて。満面の笑みをアスカに向ける。

 

「ねえ、アスカさん。僕も手伝っていい?」

「貴公がか? だが、この文字は書けないだろう?」

「書けなくてもできる事はあると思うんだ。それにさ……僕も、アスカさんの役に立ちたいんだ。いつも助けられてばっかりだから」

 

 恥ずかしそうに、けれど真摯な表情で話すベルに、アスカは手を止めて視線を向ける。ぱちくりと、容姿に見合った童女のような瞬きをして、アスカは柔らかく微笑んだ。

 

「――そうか。なら、手伝ってくれ」

「うん!」

「ただし、貴公が寝るまでだぞ。明日に支障を出す事は、許さないからな」

「分かったよ、アスカさん!」

 

 二人はソファーに寄り添って作業をした。帰ってきたヘスティアがそれを見て絶叫を上げるのは、また別の話である。

 

 

 

 

 明日なんて来なければいいのに。リリルカがそう思ったのは、何度目だろう。

 もう数えるのも億劫(おっくう)だ。どんなに願ったところでリリルカの望みが叶った試しはなく、今日も無慈悲に太陽はオラリオの空へ昇ってしまった。

 

「はあ~~~……」

 

 早朝のバベル。冒険者達が朝早くから精力的に活動する中、噴水の前で佇むリリルカは、疲れ切ったため息を吐く。明日なんて来なければいい。今日ほど、そう思った事はリリルカにはなかった。

 

「――リリ!」

「あ……お、おはようございます……ベル、様……」

 

 自分の名を呼ぶ少年の声に、リリルカは一瞬固まって、声のする方へ体を向ける。こちらに向かって手を振りながら走ってくるのは、昨日騙した白髪の冒険者、ベル・クラネルだ。

 

「ごめん、遅くなって! 待った?」

「い、いえいえ、リリも今来たところですから。全然待ってないですよ、ベル様」

 

 固くなった表情筋を無理やり笑顔にして、リリは受け答えをする。後頭部に手をやりながら笑う純朴そうな少年に、リリルカは少しだけ癒やされながら、きょろきょろと周囲に視線をやった。

 

「どうしたの、リリ?」

「あ、いえ……お連れ様はいらっしゃらないのかと思いまして。ほら、昨日ソロだったのはお連れ様に用事があったからだと、ベル様が(おっしゃ)ってたじゃないですか」

 

 落ち着かないリリルカの様子にベルは不思議そうに首を傾げる。それに応えながら、リリルカは内心で「今日も用事で来てないんだ」というベルの答えを期待していた。

 

「ああ、アスカさんならホラ、そこにいるよ」

 

 けれど、それは当然のように裏切られる。リリルカの期待なんか、やはり叶ってくれないのだ。笑顔で手を向けるベルの指先は、リリルカの後ろを指していた。

 

「――――()()()()()()()。リリルカ・アーデ」

「――――ッッッ!?」

 

 背後から鳴り響く掠れた声に、リリルカはビクリと大きく仰け反って、完全に体を硬直させる。そしてギギギと、まるで錆びついた歯車のように首を回して、背後を見遣った。

 そこには、ああ――リリルカが一番会いたくなかった、灰髪の小人族(パルゥム)が立っていた。

 

「私に名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

 

 そう口にする“灰”は、凍てついた太陽のような瞳で、ずっとリリルカを捉えていた。




勢いと深夜テンションで書き切ってやったぜ~Foo↑
書き直したいけどどうせ書き直さないからそのまま投稿するぜ~yeah!

違和感とかあったら指摘クレメンス。作者は割と人間の心って何ぞや? 印象派? みたいな認識ですので、私的にはいいんだけど~実は違和感バリバリじゃない? って場面があるかもしんない。

ところでダクソ要素はどこ行きました? 作者にも分かんないんすよ。気が付けば宇宙は空にあるとか言って交信してました的な?
ぶっちゃけ今回の話は私の考える最強の幼女ソウルである“灰”が原作キャラにどういう態度を取るかって説明回な気がしないでもない。別に作者はキャラに恨みとかないです。でもこう動かないとダクソ主人公とは言えないと思うおん。

次回からはダンまちにクロスオーバーした意味が出せていければいいかな~。伏線にもなってない伏線は張ったからさ、あとはそれがどうなるか見届けてくれよ~。たぶん次の話で回収するぜ~。

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