ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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推敲してないからすっごい書き直したい。


人形の姫と焼け残りの灰

「むむむむむむむむむむむむむっ……!?」

 

 【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)、廃教会。

 神友のヘファイストスのお情けで与えられた廃教会の地下室で、ヘスティアは目を真ん丸に見開いて難しい顔でうなっていた。

 端を破らんばかりに握りしめられた用紙には、つい先ほど新たな眷族(ファミリア)になった()――アスカの【ステイタス】が刻まれている。

 

(魔法がいきなり三つも!? しかも【魔術】【呪術】【奇跡】って……まるで一個ずつの魔法じゃなくて何かの分類(カテゴリー)みたいじゃないか!? 詠唱も全く見当たらないし、それに全部に書いてある継承可能ってのも気になる……!)

 

 穴が空くほど【ステイタス】を見つめるヘスティアは、それぞれの魔法に書かれた注釈に頭を混乱させる。

 

(ウロコのない白竜が探究したソウルの業? 明らかにモンスターと思しき竜がどうして探究なんて学者の真似事ができるんだ!? そもそもソウルの業って何だ! ソウルって何だ!?

 火の魔女なんて聞いた事ないし、混沌の炎とかいう聞くからにヤバそうなものを扱おうとするんじゃないっ!? 大体、憧憬で炎が操れるなら誰も苦労しないよっ!

 最後の神々(ボクら)の物語から恩恵を受けるってのはまるで意味不明だよっ! 神から受ける恩恵は『神の恩恵(ファルナ)』だろう!? それとも『神話』なのかい!? 賢者の石を造った眷族の前でぶっ壊した神の物語で神々(バカたち)の腹筋をぶっ壊すのかいーっ!?)

 

 内心で嵐のようにツッコミの悲鳴を上げるヘスティア。はたから見ている“灰”は顔を赤くしたり青くしたり面白おかしく変形する神の顔に何の感情も浮かべていなかった。

 百面相をする主神(かみ)と、無表情に眺める眷族()。いっそシュールな光景は、ヘスティアの目がスキルの項目に滑った所で止まる。

 

(【暗い魂(ダークソウル)】……このスキルは、危険だ)

 

 頬に汗を流し、恐れにも似た色が(にじ)む形相でその項目を凝視する。書かれている注釈は以下の四つ。

 ・不死となる。

 ・死亡する度に人間性を損失する。

 ・完全に死亡するまで致命傷を無視して戦闘続行可能。

 ・【経験値(エクセリア)】獲得不可。

 

(上の三つはまだいい。いや、不死になるとかとんでもない効果ついてるけど。人間性ってのは分からないけど、死亡する度に損失ってことは明らかなデメリット。つまりベル君と同じで死なないようにって厳重に注意すればいい。死なないからってそれを前提とした戦い方なんてまずしないだろうし。

 でも、最後のこれは……あっちゃいけない)

 

 眉間にしわを寄せ眉端を下げるヘスティアの目に映っているのは「【経験値】獲得不可」の一文。それは『神の恩恵(ファルナ)』そのものを打ち消すと言っても過言ではない、最悪な効果だ。

 そもそも【経験値】とはその人の歩んできた歴史そのものだ。人が日々生きる中で出逢った事柄、成し遂げた事象。人には扱い切れず埋没していく軌跡を指す。

 それを得られないなんて事はありえない。訪れる明日は何の感慨も与えず、過ぎゆく出会いは何の変質ももたらさず、成し遂げたあらゆる出来事は無価値になり下がる。これは、そういうスキルだ。

 あるいは――死人のように歴史が止まっている、足跡すらも残さない亡霊のような旅人。

 このスキルが示すのがアスカの、“灰”の本質なのだとすれば……ヘスティアは瞬きも忘れて考え、喉を大きく鳴らす。

 

「そろそろいいか? 我が主神(かみ)よ」

「うひゃあっ!?」

 

 思考に没頭していたヘスティアを引き戻したのは、アスカの平坦な口調だった。ソファーから飛び上がるように跳ねたヘスティアは、眠るベルが発したうなるような寝言に慌てて口を塞ぐ。

 

「……貴公には返事を大声で返す癖があるのか、ヘスティア。老婆心ながら、矯正すべきだと進言しよう」

「君が急に話しかけるからびっくりしただけだよ! というか、ベル君が起きちゃうからあんまり大きな声出させないでくれ!?」

「そうか。それは済まない事をしたな、謝罪しよう」

 

 ひそひそと声を張り上げる珍妙な特技を発揮するヘスティアにアスカは素直に頭を下げる。やりにくいなぁと、そんな印象を抱きながら、ヘスティアは百面相から一転、申し訳なさそうな、やりきれない表情でアスカに用紙を渡す。

 

「アスカ君、どうか落ち着いて見てほしい。これが君の【ステイタス】だ」

「感謝する。……ふむ、成程な。当然の帰結だ」

「…………怒らないのかい?」

 

 【ステイタス】の書かれた用紙を流し見て一人納得する仕草をするアスカに、ヘスティアは恐る恐る尋ねる。変わらぬ無表情を保つアスカは、こてんと首を傾げた。

 

「何をだ? 私には怒る理由が見当たらない」

「…………君のスキルの事だよ。【暗い魂(ダークソウル)】なんて聞いた事もないけど、効果は『【経験値】獲得不可』……それは、つまり……君はもう、これ以上の成長を見込めないって事だ」

「らしいな。だが、何か問題があるのか?」

「大有りだよ! もう成長できないんだぜ!? 君がこれまで積み上げてきた事も、これから成し遂げる事も、全部無駄になってしまったんだ!

 ボクが、スキルを形にしてしまったばっかりに!」

 

 ダンッ、とヘスティアはソファーを殴りつける。自分が『神の恩恵(ファルナ)』を与えなければ、こんな事にはならなかった――言外にそう悔やむ彼女に、アスカは銀の半眼を小さく細めるのみだった。

 

「『恩恵』はどの神が与えようとも変わらない。私のような流浪者でも知っている事だ。貴公のせいではないよ」

「でも……!」

「ヘスティア、これは私の生の結実だ。私の旅が無為であったとして、それが何だと言う?

 私は未だ此処にいる。生きて、家族の隣に在る。私には、ただそれだけで十分だ」

「……君は、それでいいのかい……?」

「是非もない。私は初めからこうだった。それが目に見える形で現れたところで、微塵も感慨はない」

 

 堂々と語るアスカには何の負い目もなかった。相変わらず起伏はなく、凍てついた太陽のような銀の瞳がヘスティアの心に真実を告げる。

 無理に背負ってくれるな。これが私だ。これが、これこそが私の旅路の在り様なのだと――暗い色で伝えてくるアスカに、ヘスティアは痛恨をこらえてうつむくように頭を下げる。

 

「……分かったよ。君が受け入れているのなら、ボクも悔やむのは止める。それと、ごめん。君の【ステイタス】の事を僕が気負うのは筋違いだった」

「気にするな。貴公が家族想いである事は、ベルへの献身を見れば分かった。私を想って嘆いてくれたのだろう? なれば歓喜はあれ、怒りなどしない」

「……ありがとう、アスカ君」

 

 事もなげに言うアスカにヘスティアは微笑む。ヘスティアの曇っていた顔が晴れてアスカはこっくりと大きく頷き、ヘスティアに手を差し出した。

 

「さて……『恩恵』も刻んで貰った事だ。私は貴公の、【ヘスティア・ファミリア】の一員となった。改めて、よろしくお願いする」

「――うん! こちらこそよろしく! いやー、ベル君に続いて二人目の眷族(かぞく)だ! こんなに嬉しい事はない! 今日はジャガ丸くんパーティだなっ!」

 

 アスカの細い、小さな手をヘスティアは両手で包み込むように握る。アスカの体温は低くひんやりとしていて、どこか暗く、けれど優しさを感じる手だった。

 よほど嬉しいのか、上機嫌に手を上下に振り回すヘスティアにされるがまま、アスカは次の話題へ移る。

 

「楽しみにしておこう。それはそれとして、我が主神(かみ)よ。貴公に伝えておきたい事がある。

 ベルとの関係と、私の素性だ」

「うーん? それは確かに気になるけど、いやに急だね」

「ベルが寝ている今だからこそ、話しておきたい。特に私の素性に関しては、ベルに話すなと厳命されている。

 アレは無垢だ。私に染まってほしくはない」

「……訳有りって事かい?」

「そうだ。まずは、私の素性から話そう。口を挟まず、最後まで聞いてくれ」

 

 灰色の睫毛で瞳を隠すアスカに、ヘスティアは居住まいを正す。アスカは、“灰”は静かに、己の足跡を語り始めた。

 

 

 

 

「『火の時代』、『不死の呪い』、そして『薪の王』か……どれも記憶にない事柄ばかりだ。君のいう神々もボクは寡聞にして知らない……でも、全部本当なんだろ?」

「ああ、全て事実だ。それを証明する手段も有している。ここで実演するか?」

「い、いやいや、いいよ。君の話を聞く限り、物騒な実物(もの)しか出てこなさそうだ。それに……眷族(かぞく)だしね。信じるよ、アスカ君」

 

 アスカの途方もない話を真剣に聞き終えたヘスティアは穏やかに口角を上げて話を受け入れた。アスカは相変わらず暗い銀の半眼のままだったが、どこか柔らかな空気をまとう。

 見つめ合う(おや)眷族()。家族のような暖かな時間は、ヘスティアに浮かび上がった疑問で名残惜しくも途切れてしまう。

 

「しっかし、今の話が本当だとすると……君は『恩恵』なしでも相当強い、って事になるんだけど……」

「そうだが、何か疑問があるのか?」

「いやあ、疑問っていうか……とてもそうは見えないっていうか……」

 

 ヘスティアは改めてアスカの容姿を見直してみる。

 身長はヘスティアよりも下で、おそらく100(セルチ)を少し超える程度。顔立ちはとても幼く、子供特有の大きな銀の瞳、小さな鼻立ち、ぷっくりと膨れた色素の薄い唇はその口から語られた不死の偉業(それ)とはかけ離れている。

 よくよく見れば可愛らしい顔立ちだ。けれどヘスティアは今の今までその事実に気付けなかった。理由としては言葉遣い、纏う空気、そしてあまりにも長すぎる灰髪のためだ。

 見るからに手を入れておらず、絡み合い垂れ下がる灰色の髪。後ろは地面につかないよう、足元で適当に折り曲げられて後頭部付近で結ばれている。足元で一回、頭付近で一回とたたまれている灰髪はそれでも長く、先端が足先へ届くほどの長さだ。

 後ろ髪がそうなのだから、前髪は言うに及ばない。こちらは地面につかずとも、外套のように全身を覆っている。アスカの容姿はその隙間から見えるのみで、更に衣服はボロ衣も同然。まるで小汚い乞食か何かだ。

 しかしながら、どうしてかそれに違和感がない。雰囲気か佇まいか、アスカの姿は言っちゃああれだが良く似合っていると言わざるを得なかった。

 

(……改めて見るとひどい恰好なのに、どうして僕は放置しているんだ)

 

 他の神々ならば「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ」と(はや)し立てる事間違いなしだ。自分のせいではないが急にいたたまれなくなったヘスティアは、クローゼットから()()()()()を取り出して押し付けるようにアスカに渡す。

 

「アスカ君。今思い至って本当にすまないが、君はまず清潔になるべきだ。何時までもそんな恰好しちゃいけない」

「急にどうした? 私はこのままで構わないのだが……」

「い・い・か・ら・は・や・く! まずはシャワーで徹底的に汚れを落として来るんだ! これは主神命令(オーダー)だぞっ!」

「……了解した。その神意、謹んで拝命する」

 

 ヘスティアの命令を儼乎(げんこ)たるものと受け取ったのか、アスカは厳かに衣服を受け取る。「そ、そこまで畏まらなくてもいいんだぜ?」とヘスティアは頬を引きつらせつつ、アスカの手にタオルも追加した。

 

「それでは(しば)し、神前を失礼(つかまつ)る」

「だから畏まらなくてもいいって!」

 

 深々と頭を下げてシャワー室に消えるアスカを見送って、ヘスティアは疲れたようにため息をはいた。アスカは良い子だ、良い子なのだろう、良い子だと思う、良い子だと思いたい……が、少々浮世離れした感じがしないでもない。

 

「う~ん……ボクはひょっとしたらとんでもない()眷族(かぞく)にしたんじゃなかろうか……」

 

 かすかに漏れ出るシャワーの音を聞きながらヘスティアはソファーに寝転がる。テーブルに目をやれば、アスカの【ステイタス】が書かれた用紙がポツンと置かれている。

 信じると言った手前、ヘスティアは何が何でも信じるつもりだ。だが神意とは裏腹に、理性がどこかで信じ切れていないのも事実だ。

 曰く、神々さえも知らない古い時代。『最初の火』と呼ばれる様々な差異をもたらすものが、(おこ)ってから消えるまでの物語。

 死者の眷族、混沌のデーモン、太陽の光の王の騎士たち、人々に現れた呪いの刻印――ダークリング。

 常に滅びた場所で繰り広げられる、人を超越した存在との戦い。使命をもって彼らに挑んだらしい、アスカの唯一の武器は才能でも努力でもなく、ただ不死身という一点のみだ。

 ヘスティアはそれを信じ切れていない。正確に言えば、死に続けてなお前に進んだアスカの道を、信じたくない。

 だってそれは、あまりに悲しい。命を落とさないからと言って、喪わないものがないわけがない。アスカはきっと色々なものを引き換えに、火の時代を歩み続けてきたのだ。

 仮にそれがベルだったのなら。ヘスティアが初めて得た、愛しい眷族(かぞく)だったなら。『神の力(アルカナム)』を使ってでもその運命を否定しただろう。

 それ程にアスカの語った素性は酷かった。それを当たり前のように受け入れる無情の顔も。

 

「……ふん! それが何だって言うんだい! アスカ君がどんな子だろうと、ボクには関係ないじゃないか!

 ふっふっふっ、シャワー室から出たら目に物言わせてやるぞぉ……! あの長い髪をじっくり()きながら世話を焼いて、美味しいものを食べさせてあげて、ボクの【ファミリア】に入って幸せだと嫌ってほど思い知らせてやる……!

 ベル君が起きたら、三人で出かけるのもありだ! ()()()の服はボクには分からないからベル君に選んでもらって、オラリオを観光して、ボクたちの絆を深め合うんだ!

 それに……くっくっくっ、アスカ君という外堀を埋めれば、ベル君がボクの物になるのもそう遠くはない……! 将を射んと欲すればなんとやら、絶対に成し遂げてやるぞぉ……!」

 

 愛と打算の入り混じった下品な顔でヘスティアは一人笑う。ベルはこの時、悪夢に襲われて悪寒に体を震わせていた。

 ――そして、一時間も後の事。

 ようやくシャワー室から出てきたアスカに異様な満面の笑みを向けるヘスティアの顔は――次の瞬間驚愕の嵐に見舞われる事となる。

 

「やあやあ、綺麗になったじゃないかアスカ君! さっぱりするとあれだね、ベル君に似て可愛いよ!

 まるで女の子、みたい、じゃない、か……――――あああああああああああああああっ!?」

「騒々しいな、ヘスティア。どうかしたのか?」

 

 続く言葉が出ないのか、パクパクと酸欠の魚のように口を開閉するヘスティアは、ぷるぷる指を震わせながら一点を指す。

 ベルの服を着た100(セルチ)を少し超える程度の身長。華奢で肉付きの悪い体格線の中で、明らかに浮いている盛り上がった双丘。

 男の子では決して在り得ない『女』のそれに、ロリ巨乳(ヘスティア)は絶叫した。

 

「き、君は――――女の子だったのかああああああああああっ!?」

 

 昼下がりの廃教会。ニワトリも休む陽光の中響いた神の声は、寝ているベルが体を跳ね上げうなされる程大きく響いた。その中心地の目と鼻の先にいたアスカは、堪えた様子もなくこてんと首を傾げ。

 「何を今更」、と。胸についた二つの丘を揺らした。

 

 

 

 

「どうして女の子だって言わなかったんだい!?」

「貴公が尋ねなかったからな。それに見て分からないか?」

「分かんないよ!? さっきまでの君の容姿を教えてあげようか!? 亡霊だよ、ぼ・う・れ・い! あんな頭のてっぺんからつま先まで髪の毛ばっかりで性別なんて分かるわけないじゃないか!」

「……ふむ。言われてみれば確かにそうだ。だが、性別など然したる問題にはならないだろう」

「なるよ! 大いになるよっ! ああ、初心なベル君にとっては初めての、異性と二人っきりの甘々ホーム生活だと思っていたのに……! まさかよりにもよって、ボクが出会う前に先を越されていたとはっ……!」

 

 若干綻びの目立つソファに顔を埋めてヘスティアは嘆く。湯上がりのハーブティーを飲みながら、アスカは音もなく嘆息した。大きな影を震わせながら、アスカは飲み終えたティーカップを置く。

 

「そもそもベルは私を女として見ていない。性別に関わらず私を家族だと思ってくれている。事実として廃教会(ここ)に連れてきた時、ベルは私に親愛以上の情は向けていなかった筈だ。

 そこに男女の機微を邪推するなど、いくら我が主神と言えど無粋極まりないと思うが?」

「うっ……そ、それはそうだけど……ほんとに、本当に何にもないんだね? ベル君は何も経験していないまっさらな子なんだよね?」

「ああ、誓って何もしていない。私がした事などせいぜい、眠れぬベルのために夜通し寄り添ってやったり、食欲のない時に私の手で食わせてやったくらいだ」

「アウトォ――――!! アウトォオオオオオオ――――ッ!!

 何が「誓って何もしていない」だああああっ!! そんな美味しいイベントをこなしてるなんて羨ま、許さ、羨ましいじゃないかああああっ!! くぉのおおおおっ!!」

「……それ以上騒ぐとベルが起きるぞ。慎みたまえよ、我が主神」

 

 引っ付かれて泣き言を吐かれるアスカは銀の半眼で諭すように言う。その間も密着したヘスティアの胸が自在に形を変え、大きな影がぶるんぶるんと揺れるのだが、アスカは気にしていなかった。

 その後ベルの名を何度か出し、ようやくヘスティアの狂乱状態を解除したアスカは、ティーポットから緑花草のハーブティーをカップに注ぐ。味は青く、独特の苦みを持つそれをアスカはするすると飲んでいく。

 澄んだ香りだが一口飲んだだけで倦厭(けんえん)したヘスティアは、ソファに深くもたれかかった。そして隣で優雅に過ごすアスカをじっとりと睨む。

 気付いてはいた。そう、初めから気付いてはいたのだ。さっきから視界の端でこれ以上ない自己主張を繰り返す大きな影に。だがアスカが女であった衝撃がヘスティアに突っ込みを許さなかった。

 しかしもう我慢できない。これを放置するなんて神じゃない。意を決したヘスティアは立ち上がり、びしりとアスカを指差した。

 

「アスカ君っ! それは一体どういうつもりだい!?」

「ん? ああ、これか? どういうつもりも何も、見ての通りだが」

「見て分かんないから聞いてるんだよぉッ! もう、君はどうしてやって当然みたいな顔で奇行を繰り広げるんだいっ! ボクちょっと【ファミリア】に入れたこと後悔し始めてるよ!」

「なんと……そこまでとは思わなんだ。ベルもベルの祖父も、この格好になんら意見を示さなかったのだが」

「そんな馬鹿なっ!? いや、待てよ……ちなみにその時、ベル君たちはどんな顔してた?」

「非常に引きつった顔で何も言わずどうにか笑おうとして失敗していたな」

「ドン引きされてるじゃないかっ!? とにかく今すぐッ! 今すぐその()()()()()()()()()()()を止めるんだっ!!」

 

 ヘスティアはアスカの肩を掴んで懇願する。その上では大きな影が荒ぶっていた。

 ヘスティアの頭上、アスカの頭から伸びる大きな影。異様に鮮やかな黄色の布が幾重にも巻かれた、アスカの身長ほどに高く巨大な突起物。

 そう、それは失われた魔術の探究の証。伝説の追放者が身に纏ったという装束。まったく由来の分からない黄の王の冠――『黄衣の頭冠』である。

 

「髪を乾かすのに丁度良いから使っている」

「突っ込みどころが多すぎて逆に何も言えないよっ!? とりあえず、本当に、髪を乾かすのは手伝ってあげるから、その恰好を止めてくれ――――っ!!」

 

 最後は涙目になりながらの懇願に、アスカは渋々『黄衣の頭冠』を外した。ヘスティアが長く、そのくせ(くし)も折れるくらい硬いアスカの灰髪に泣きを見るのは、もう少し後の事である。

 

 

 

 

 ベルは丸一日寝込んでいた。その間にアスカとヘスティアは情報交換を終えていた。

 大きな所で言えばベルに発現したスキル、【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】に関して。成長速度に関連するこのレアスキルは、できれば周知したくない。

 だがアスカを奇矯な所はあっても信頼に足る人物だと判断したヘスティアは伝える事にした。ダンジョンに潜れない自分に代わってベルを見守ってくれるだろうアスカに、ベルの未来を託すために。

 アスカの魔法とスキルに関しても、ヘスティアは口外を固く禁じた。魔法は正直訳が分からないが、Lv.(レベル)1にして三つもあるのは神々の興味を引くに違いない。それ以上にスキル【暗い魂(ダークソウル)】が知れ渡るのはあってはいけないと強く考えていた。

 「不死になる」という一点だけでも知れてしまえば恐ろしい。それを知れば神々はこぞってアスカで遊ぶだろう。ともすれば死なないからといって暇潰しに殺されてしまうかもしれない。

 遊びで眷族を殺されては堪ったものではない。可能性がある以上、ヘスティアは決して知られてはならないと口を酸っぱくしてアスカに言い含めた。

 それとヘスティアはアスカに目一杯釘を刺すのも忘れなかった。家族だのなんだのと言っているが、話を聞く限り少々距離が近すぎる。ベルを盗られまいと必死になるヘスティアに、この時ばかりはアスカも呆れた表情をして手を出さないと約束した。

 

 そして一夜明け、早朝。ベッドに潜り込んでベルの顔をその豊かな胸で押し潰すという暴挙を行ったヘスティアに、起きたベルは大層慌てたそうだ。それはちょっとした一悶着に繋がったが、ここは割愛しよう。

 【ステイタス】の更新を終えた後、ヘスティアはベルと話をしていた。身だしなみを整えていたアスカには内容が聞こえなかったが、大方【憧憬一途】をごまかす話とベルの身を案じた誓いだろうと予想は付いた。

 

「ベル、ダンジョンに行く前に少し付き合えないか?」

 

 話が終わったのを見計らって、アスカは二人に声をかける。ベルはきょとんとして、ヘスティアは「付き合う」の言葉に過剰に反応してギロリとアスカを睨んだ。

 

「アスカくぅ~ん? 君ぃ、ボクとの約束はどうしたのかなぁ~?」

「早とちりをするな、ヘスティア。これからは私もベルとダンジョンに潜る故、最低限の装備と冒険者登録が必要になる。それを済ませておきたくてな」

「あ、それなら付き合うよ。僕もナイフを買い替えなくちゃいけないし」

「ベル君まで! むぅ~……それだけなら認めてあげなくもないけどさ、けれどね、アスカ君っ! くれぐれもそれだけだよ! これにかこつけてデートなんてしちゃ駄目だからねっ!?」

「デ、デートって……アスカさんは家族ですよ、神様」

「ベルの言う通りだ。貴公は勘繰り過ぎなのだよ」

 

 苦笑するベルと無表情のアスカにヘスティアは「ふんっ」と顔を明後日へ向ける。ベッドに飛び込んで機嫌悪そうに転がる神の姿にベルは声をかけようとしたが、「好きにさせておけ」とアスカは《呆れる》のジェスチャーをした。

 その後、ヘスティアから伝えられた今日の夜から何日か家を空ける旨などをやり取りして、ベルとアスカは廃教会から出た。時間は9時ごろ、朝の活気や喧騒が人通りの多い方角から届いてくる。

 

「アスカさん、冒険者登録から先に行こうか? エイナさん――僕のアドバイザーにもアスカさんを紹介したいし。装備を揃えるにしてもきっと良いアドバイスが貰えると思うんだ」

「いや、その前に寄るところがある」

「え? どこ?」

「服飾店だ」

 

 ぱちくりと目を開閉するベルの隣には、男物(ベル)の服を着たアスカが立っていた。

 

 

 

 

 アイズは昨日に引き続き、オラリオを歩き回っていた。

 彼女の心に小さな、けれど確かな影を落としている人物、“灰”を探すためである。

 

(……あの子を見ていたいって、言ってた。だからまだ、オラリオにいる筈だけど……)

 

 バベルを中心に八方へ広がるメインストリート。人通りと喧騒の絶えない区画を中心にアイズは歩を進める。周囲をそれとなく見回しながら麗しい金髪を風に任せるアイズはかなり目立っていたが、本人は気にしていなかった。

 

(見つからない……あの人、結構目立つんだけどな)

 

 自分を棚に上げてアイズは思う。だが、それも致し方ない。

 言い方は悪いが、乞食のような姿の“灰”は周りからとても浮く。本人だけを切り取れば違和感がないくらい似合っていても、街中を歩けば黒い森に生える一本の白枝のように見つけられる筈なのだ。

 しかし捜索二日目にて手がかりはゼロ、“灰”はその影さえも捉えられない。あんなにも際立った格好にも関わらず。

 自分は人探しに向いていないと、アイズは微妙に落ち込んでいた。

 

(最初に会ったのは深層……やっぱりダンジョン、かな……)

 

 探す場所がそもそも間違っていたのかもしれない、と北のメインストリートを散策していたアイズはバベルを見上げる。天を衝く白亜の摩天楼はオラリオの何処から見てもその威容を崩さない。

 人界に打ち建てられた巨大な封印。その地下に根差すダンジョンに、“灰”の姿はあるのだろうか。アイズは考え、ふるふると小さく首を振る。

 

(あの人は、枯れているような人だった。きっと、理由がないとダンジョンには行かない、と思う)

 

 二度の邂逅を経た印象から、アイズはそう判断する。

 一度目は深層。戦う姿はどこか気だるげで、熱の無い冷えたやり方だった。戦いを好まないというよりは、飽き果てているといった印象。きっと“灰”は自分のように、強さを求めてダンジョンに潜る事は無いだろうとアイズは感じた。

 二度目は夜半。ロキと共に“灰”を追って聞いた、ベルに対する辛辣な言葉。いっそ残酷ですらあったそれは、けれど確かに身を案じるものだった。一方で死すらも(いと)わない暗い態度が、アイズには少し悲しかった。

 どちらにも共通しているのが老木のように枯れた立ち振る舞い。見た目にそぐわない“灰”の行動は、ダンジョンになどまるで興味がないと雄弁に語っている。

 だからダンジョンよりは街中にいるかもしれないと、アイズはオラリオを探し回っていた。そう考えていたのだが……アイズはふと、さっき思い浮かべた“灰”の言葉をもう一度拾い上げる。

 

(あの子を見ていたいって言ってた……ひょっとして、あの子と一緒にいる? あの子を探せば、見つけられたかも……?)

 

 頭に閃いた衝撃の事実にガーンと人知れずショックを受けるアイズ。やっぱり自分に人探しは向いていないと自虐的思考に陥る。

 畏怖を抱かせる筈の【剣姫】は落ち込んだ顔でトボトボ歩く。周囲の人間はあまり見ないアイズの姿に囁き合い、心配する空気を出したが声をかける者はいなかった。

 そんな彼女の沈んだ心を引き上げたのは、視界を掠めた白い髪だった。さっと顔を上げれば、メインストリートから一本外れた路地裏にある服飾店の前に、緊張した面持ちの少年が立っている。

 新雪のような白い髪、せわしなく泳ぐ深紅(ルベライト)の瞳。そわそわと体を揺らすはぐれた兎のようなその少年は、間違いなくベル・クラネルだ。

 

(見つけた……!)

 

 期せずして発見したベルに、アイズは駆け寄ろうとする。けれど少女のしなやかな脚は二、三歩進んで止まってしまう。

 

(……なんて、声をかければいいんだろう……)

 

 アイズとベルは初対面ではないが知人でもない。ダンジョンの5階層、逃げた『ミノタウロス』を倒した際に追い詰められていた冒険者がベルだったというだけの繋がりだ。

 しかもベルはアイズを見るなり逃げだしてしまった。家族、らしい“灰”の手は取っていたから、きっとアイズが怖かったのだろう。

 そう思うとまた気分が沈みそうになるが、首を振って霧散させる。今重要なのはベルにかける第一声だ。

 

(……久しぶり? ……また、会ったね? ……なんか、違う気がする……。

 どうしよう、なんて言えばいいか分からない……みんななら、なんて言うかな)

 

 アイズの脳裏にほわほわと【ロキ・ファミリア】の面々が浮かび上がる。

 ロキは「うちのアイズたんがナンパするなんて論外や!」と訳の分からない事を叫んだ。

 フィンは「とりあえず名前を呼べばいいんじゃないかな」と片目をつむった。

 ガレスは「肩でも組んで酒場に連れて行けばいいわい!」と豪快に笑った。

 リヴェリアは「何事も挨拶が基本だろう」と諭すように言った。

 ベートは「雑魚に構うんじゃねえ」とそっぽを向いた。

 ティオナは「抱きつけばいいんだよー!」と快活な笑みを浮かべた。

 ティオネは「普通に話しかければいいんじゃない?」と不思議そうに首を傾げた。

 レフィーヤは「駄目です! 絶ッッッ対その人間(ヒューマン)と関わっちゃ駄目ですッ!!」となぜか激憤していた。

 ラウルの事は普通に忘れていた。ああ、哀れなり【超凡夫(ハイ・ノービス)】。

 

(…………ここはリヴェリアの言う事を聞こう。ありがとう、リヴェリア)

 

 心の中で【ロキ・ファミリア】の母親(ママ)にお礼を言って、意を決したアイズはベルに近づいていく。

 一歩、二歩、三歩。ベルとの距離が段々縮まっていく。すると向こうも気付いたようで、目に見えて狼狽(うろた)えだした。

 どんどん近づくアイズ。体をガチガチに固めるベル。二人の距離が近づくにつれ、ベルの顔は赤くなっていき。

 

「……ごっ」

「?」

「ごめんなさあああああああああああああああいっ!?」

 

 アイズが挨拶をしようとした瞬間、ベルは脱兎の如く走り去ってしまった。

 

「……また、逃げられた……」

 

 アイズはベルの後ろ姿を見送って、火の消えた蝋燭のようにシュンとする。何がいけなかったのだろう、やっぱり怖がらせてしまったのだろうか……そんなぐるぐるとした思考で頭がいっぱいになる。

 ベルの立っていた服飾店の扉が開き、小さな掠れ声が聞こえたのはその時だった。

 

「どうした、ベル。こんな街中で大声を上げてはいけないだろう……ベル? いないのか?」

「……あなたは……“灰”、さん……?」

「ん? ああ、アイズ・ヴァレンシュタインか。やはり、また会ったな」

 

 求めていた人物、“灰”の登場に、アイズは金色の瞳を大きく見開いた。

 

 

 

 

 所変わって、南西のメインストリート、アモールの広場。

 普段なら親密に寄り添うカップルが数組見受けられる華やかな場所だが、今ばかりは一組を除いて閑散としている。

 理由は至って単純。割と見えやすい広場の陰に泣く子も黙る【ロキ・ファミリア】の冒険者、ティオナ、ティオネ、レフィーヤがいるためだ。彼女らの、特にレフィーヤの放つ雰囲気が、アモールの広場に人を寄りつかなくしている。

 

「ティオネ、あれ、どう思う?」

「……すごく珍しい光景だと思うわ。アイズがあんな事するなんて……」

「だよねー。私、あんなアイズ見たの初めてだよ。あっ、レフィーヤはどう思う?」

「うう、うううっ……羨ましい~~~~~っ!」

「あはは、本音が隠し切れてないよレフィーヤ!」

「あんたら、静かにしなさい」

 

 くわえたハンカチを噛み切らんばかりに引っ張るエルフの少女、レフィーヤにティオナはおかしそうに笑う。少々うるさい二人にティオネはシーッと人差し指を唇に当てて、会話を切った三人はアモールの広場に目を向けた。

 広場の小綺麗なベンチにアイズの姿はあった。どこか緊張した面持ちで深くベンチに座っている。それだけなら無くもない光景だ。けれど、そこに一つの要素が加わるだけで劇的に珍しくなる。

 その要素はアイズの膝元に居る。張りの良い柔らかなアイズの太もも。そこにちょこんと腰を降ろす――人形のように美しい小人族(パルゥム)の姿がそこにはあった。

 

 恰好は暗褐色の上着に厚手のケープ、黒いスカート。上品な赤いスカーフと控えめなペンダントが彩りを与え、ごく丁寧に作られたであろう衣服はとても似合っている。

 肌は白過ぎる嫌いがあるが、決して不健康ではない。顔立ちは幼くも女神に劣らず美しく、月のように大きな瞳は銀色で、半分落ちた(まぶた)と灰色の睫毛がそれを隠しどこか神秘的な雰囲気を醸している。

 なんといっても目を引くのが光沢のある灰髪とそれを留める髪飾りだ。アイズに隠れて正確な長さは分からないが、豊かに流れる髪は煌びやかに輝いている。後頭部を覆う王冠を半分に切ったような髪飾りには白銀に輝く石が嵌め込まれ、灰色の髪に静かに映えていた。

 まさしく人形、そんな小人族(パルゥム)を膝に乗せるアイズ。この光景を珍しいと言えない者など【ロキ・ファミリア】の団員にはいなかった。

 

「それにしてもあの子、誰なんだろう? アイズの知り合いかな?」

「そうだとは思うわ。けど、私たちが知らないってのがなんか引っかかるのよね」

「だよねだよね、あんだけ綺麗な子だもん。一度見たら絶対覚えてるはずなんだけど」

「ええ、まず間違いなく記憶に残るわ。だからかしら……あの子、どこかで見たような……」

「えっ、ティオネ、心当たりがあるの?」

「うーん……ちょっと待って、もう少しで思い出せそう……」

「そんな事どうでもいいですっ! ちょっとっ、いや結構っ、いやかなり可愛いからって、アイズさんの膝を独占するなんて許せません!? 私、止めてきます!」

「うわ!? こらこら、止めなってレフィーヤ。私たちがアイズをつけてきた理由忘れたのー?」

「でも! でもぉっ!」

「あんたたちうっさい! せっかく思い出せそうだったのに忘れたじゃないっ!」

 

 突撃をかまそうとするレフィーヤ、苦笑いで止めるティオナ、邪魔されて苛立つティオネ。三人娘がどうしてこんな事をしているかといえば、昨日からダンジョンにも行かずオラリオを歩き回るアイズを心配しての事だった。

 変な事に巻き込まれてるんじゃないかとアイズにバレないようつけてきた三人が目撃したのが、服飾店から出てきた小人族(パルゥム)とぎこちなく会話を交わすアイズ。そのままここまで移動して、先の光景に至るわけだ。

 もっとも、当のアイズ本人は誰かにつけられている事は分かっていた。流石に同じ【ファミリア】の団員だとは思っていなかったが。

 アイズからすれば好奇、嫉妬、情報収集などの理由でつけられるのは日常だったので、害意のない視線を送る彼女らは放っておく事にしたのだ。

 それより今は、膝の上の小人族(パルゥム)――“灰”との対話が重要だったから。

 

「そうか、ベルに逃げられたか。ならばアレに代わって謝罪しよう。すまなかった」

「いいよ……謝ってほしいわけじゃないし」

「感謝する。それにしてもアレは、どこか意気地がない。帰ったら説教だな」

 

 “灰”はスッと目を細める。それはアイズからは見えないが、放つ空気は怒っている時のリヴェリアと同じだった。きっとベルは可哀そうな目に遭うだろう……アイズは心の中で「頑張って」と届かない激励を送る。

 

「まあ、それは置いておくとしてだ。貴公、私を探していたようだが、それは何故だ?」

「……それは……」

 

 アイズの胸に頭を預け、首を動かして見上げてくる“灰”に言葉がつまってしまう。聞きたい事は色々ある。知りたい事も。けれど最初の言葉が出てこない。

 そもそも(アイズ)は、どうして“灰”を探していたのだろう。普段ならば遠征帰りであろうとダンジョンで戦っている筈なのに。力を求めて、悲願を達成するために。

 それなのに、“灰”を探していたのは――

 

(……あの子の、ため……?)

 

 アイズの心に白兎の少年の姿が過ぎる。“灰”と『ミノタウロス』を倒した時、幼心の自分(こうけい)と重なった彼。自分の境遇を重ねたあの少年が、アイズの中で暖かな何かをもたらしている。

 ……けれど、そこに影を落とす人がいる。決して悪意の人ではない。けれど善意の人でもない。ともすれば己を含めた全ての存亡に興味を持たない人物――“灰”が、ベルへ向けた言葉の刃。

 それが今もアイズの胸に影を落とし、感情をささくれ立たせている。

 その感情の名は、怒り。

 少年の身を案じながらも、傷付ける事を選んだ“灰”への怒り。

 そして――ベルへの純粋な意志ではなく、(かつて)の夢への慰めに過ぎないと切って捨てられ、立ち竦む事しかできなかった自分への、怒り。

 何てことはない、アイズは怒っていたのだ。怒って、だから“灰”に会いたかった。

 もっと少年(ゆめ)を、ベルを大切にしてほしいと。家族というのなら、せめて無事を祈ってほしいと。

 かつて幼いアイズが、愛情に包まれていたように。

 今はもう喪ってしまったそれを、あの少年が喪わないように。

 そうしてほしいとアイズは怒り、きっと願っていた。

 

「……成程。貴公、思ったよりもベルに入れ込んでいるのだな」

 

 それを見透かすように、“灰”は言葉を擦り鳴らした。容姿のそれより低めの声は、どこか古い鐘の音のようで。穏やかな響きは心中を言い当てられたアイズの戸惑いを消して、純粋な疑問だけを残す。

 

「……私が、あの子に……?」

「ああ。そうでなければ私を追いはしまい。貴公のように、前ばかりを向いて(かえり)みられない者は特にな。

 ――貴公も見たのだろう? ベル・クラネルに、かつての憧憬を」

「…………」

「貴公と私は、似通っている」

「あなたが、私と……?」

 

 “灰”の予期せぬ言葉にアイズは目を(みは)る。(アイズ)が、“灰”と似ている? その言葉の意味を掴みあぐねている内に、“灰”は視線を彼方へ向ける。

 

「アイズ・ヴァレンシュタイン。貴公は使命に生きている。己が全てを燃やし尽くさなければ、辿り着けないような使命だ。ダンジョンに潜るのも、力を求めるのも、全てはそのためだろう。

 かつては私もそうだった。繰り返される火の時代に、力を求め抗った。己の持ちうる何もかもを()べて、全ては使命を果たすために。

 そうしていると、いずれ忘れ去ってしまうのさ。何のために、使命を果たそうとしていたのかをな」

「何の、ために……」

「そうだ。全ての使命には理由がある。だが、使命のみに生きれば理由を忘れ、果たすだけが全てになる。何を置いても、ただ前へ。心の臓腑が鼓動を止めるまで。それ以外の何もかもを犠牲にしようとも。

 使命を果たすだけの怪物。貴公もベルに会うまでは、きっとそうだったのだろう」

「……そうかも、しれない」

 

 アイズは目を伏せ、自問して、淅瀝(せきれき)と呟く。【戦姫】と綽名(あだな)されるほどに、アイズは戦い続けてきた。悲願のために力の壁に挑み、超え続けてきた。

 心のどこかで感じていた事だ。それがダンジョンに巣食うあの異形たちと、何が違うのだろうと。アイズ・ヴァレンシュタインは、モンスターと何が違うのだろうと。

 けれど、変わった。あの日、ベル・クラネルに出逢った時から。少しずつ、けれど確実に。

 戸惑いもある。迷いもある。今この瞬間、ダンジョンで戦っていない事に不安を覚えている。前に進めなくなるのではと恐れている。

 一方で、アイズは少年がくれたものを手放したくない。忘れかけていた、幼い日々の記憶を。思い出させてくれた、大切な人の言葉を。

 ベル・クラネルが魅せてくれた――アイズ・ヴァレンシュタインの始まりを。

 

(――これが、そうなんだ。私と“灰”さんの、似ているところ)

 

 首を落とすアイズの目に、灰色の後頭部が映り込む。表情の見えない視線の先に、“灰”もきっと、同じものを見ているのだろう。小さな彼女の、始まりの憧憬を。

 

「ベルは無垢だ。いい年をしてまっさらで、(けが)れを知らない。まるで子供で、それ故に真っ直ぐだ。

 私はベルが大事だ。貴公に言ったように、螺旋の先を見ていたい気持ちもある。それと同じくらい、あの無垢な魂を守りたい。

 ――きっと、貴公もそうなのだろう? アレを傷付けた私に対して、こうして追ってくる程に」

「…………分からないよ、そんなの」

 

 確信をもって問う“灰”に、アイズは顔を伏せる事しかできなかった。どうしても、自分もそうだと言い切る自信も、意志もなかった。

 ベル・クラネルは、弱者だから。

 前を向くしかないアイズに、少年(ゆめ)を顧みる余裕はないから。

 もう、弱い過去(じぶん)には戻れないのだから。

 押し黙るアイズに、“灰”は透明な息をつき、静かに喉を擦り鳴らした。

 

「分からないのなら、それでもいい。所詮は貴公をよく知らぬ、老骨の戯言だ。不要と思うなら忘れ去り、貴公の道に戻るがいい。……だが、これだけは言っておく。

 人間性を捧げ、絶望を()べて、使命を果たしたその先に、残されたものは何もなかった。

 だから貴公、違う道を選びたまえよ。喪失者になんてなるんじゃないぞ」

「……うん」

 

 “灰”はほんの少し優しげに、唇から言葉を落として。彼方を見遣り沈黙する。アイズは形ばかり頷いて、思考の海に没した。

 アイズは“灰”が自らを喪失者と呼ぶ理由を知っている。あの夜に聞いた物語がそうだ。

 火の時代を歩んだ一人の不死の物語。戦いに明け暮れ力を求め、薪の王と呼ばれる人柱になる“灰”の辿った道。

 出会いがあった。別れもあった。協力する者もいて、敵対する者もいた。相対するのは常に格上、人を超越した怪物たち。“灰”はそれに打ち勝つために、不死以外の全てを捧げたと、そう言っていた。

 けれど“灰”はその最期に、『最初の火』を消し火の時代を終わらせたという。何故なのか、“灰”自身定かではないといっていたが――きっと、使命すらも()べて、忘れ去ってしまったのだろうと微笑んでいた。

 だから“灰”は、自らを喪失者と呼ぶ。使命のために何もかもを犠牲にして、その最期に使命を捨てた愚か者と。

 

(……いつか私も、そうなるのかな……)

(このまま……願いのためだけに生き続けたら……)

 

 (アイズ)も、捨てていくのだろうか。

 ロキを、フィンを、リヴェリアを、ガレスを、ベートを、ティオナを、ティオネを、レフィーヤを。

 こんな自分に居場所をくれる、【ロキ・ファミリア】を。

 いつか捨てて、悲願のためだけに生きるのだろうか。

 

(……それでもいい、なんて、言えない……)

(でも……もし、それで、願いを果たせるのなら……)

(私は、どうするんだろう――)

 

 いくら考えても、その答えは出なかった。

 

 

 

 

 “灰”はアイズの膝の上で、虚空を眺めていた。空の太陽を反転させたような凍てつく銀の瞳には、何の感情も宿っていない。

 当たり前だ、“灰”に残った人間性など、人を取り繕う程度のものでしかない。自身の感情が希薄である事を自覚する“灰”は、本来ならばアイズのような()()()()()()()()に進んで関わろうとはしない。

 フィンたちのように名前だけ把握している第一級冒険者や、その主神であるロキにためらいもせずソウルの業と恩恵のない背を見せたのも、自身の素性を語ったのもそれが理由だ。

 “灰”にとっては、自身の情報を開示する事による変化など何の興味もない。それがたとえ世界を揺るがし、今日まで築かれた人の営みをひっくり返すようなものだとしても、“灰”は躊躇なく見せつけるだろう。

 純粋に、どうでもいいのだ。“灰”の選択が何を引き起こそうと、それを気にした事はなかった。ただ一つ、使命を果たす。“灰”はそれだけの不死である。

 

 それなのにこうして膝の上に乗り、説教者(まが)いの事をしたのは――ひとえにベルのためだろう。

 ベル・クラネルは今、“灰”の(たっと)ぶ唯一の存在だ。ベルの祖父も、主神であるヘスティアも、ベルの憧れであるアイズも、それに付属する枝葉末節に過ぎない。

 大事なのは、ベルただ一人。それ以外は全て関心の外であり、そして――それ以外の全てを、利用する事に迷いがない。

 アイズと己が似通っていると言ったのも、アイズの中のベルを有象無象から引き上げるため。

 アイズに己のようになるなと諭したのも、アイズの関心をベルに向けさせるため。

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】――スキルになるほどベル・クラネルの人生(れきし)に大きな衝撃を与えたアイズに、目を向けられ関心をもたれる。それはきっとベルの『器』を好転させうる出来事だ。

 アイズ・ヴァレンシュタインとベル・クラネルの接触は、“灰”の見守る螺旋を必ず、まだ見ぬ果てへ導くだろう。

 だからこそ、アイズから逃げたベルを放置してまで、“灰”はアイズと共に居るのである。

 

「……さて。貴公、もう話す事はないか? であれば、私はこのまま立ち去るが」

 

 黙ったまま言葉を発しないアイズに“灰”は声を投げかける。おそらくは使命のために全てを捨て切れるのか悩んでいるのだろうが、付き合う義理は“灰”にはない。目的を達した“灰”はすぐにでもベルの(ところ)へ戻るつもりだった。

 

「……待って、ほしい」

 

 それを留めたのはアイズだった。消え入りそうな少女の声に、“灰”は耳を傾ける。取り繕う程度の人間性は残っている“灰”は、意味もなく反感を買うような真似はしない。

 永遠に似た放浪を続けた“灰”はそれなりに気が長い。そしてアイズはまだまだ利用価値がある。だから“灰”は、中々次の言葉を紡げないアイズを泰然として待ち続ける。

 “灰”の背で、アイズの体はずっと強張っていた。それは少しも緩みはせず、数分の後、一層固くなったアイズの口から、絞り出すように声は放たれた。

 

「……もし……もし、私が全部を捨てた、なら。私の願いは、叶うと思う……?」

「知らん」

 

 決死にも似たアイズの問いを、“灰”は躊躇なく一蹴する。

 

「未来など、神にすら見通せまい。まして地を這う我らにできるのは、最後の一呼吸まで抗う事だけだ。その過程で何を捨て、何を喪ったところで、果たせるかどうかは誰にも分からない。

 故にアイズ・ヴァレンシュタイン。私から言えるのは、一つだけだ。

 己の使命の、その始まりを忘れるな」

 

 それだけ答えて、“灰”は黙する。やはり説教者の真似事は肩が凝ると、アイズに何一つ感情を向けずあらぬ事を考える。

 答えが適切かどうか、“灰”にはどうでもよかった。何を語り、何を聞かされようと、選ぶのはアイズだ。“灰”がこれまでそうしてきたように、アイズもそうするだろう。

 頭の片隅にそんな考えを過ぎらせて、そろそろ行こうかと“灰”は立ち上がろうとした。しかし、それは叶わなかった。

 そうされた理由は分からない。分かるのは、アイズが“灰”の体を抱きしめた事だ。“灰”の小さな腹に手を回し、まるで喪う事を恐れるように。

 

「どうした、貴公」

「……“灰”、さん……私は、どうすれば、いい……?」

 

 “灰”の華奢な体を強く抱きとめて、幼い迷子のように呟く。見えぬ嗚咽をこぼすような声に、“灰”は密やかな嘆息と共に悟る。

 どうやら“灰”は、アイズ・ヴァレンシュタインに踏み込み過ぎてしまったようだ。強さばかりを求める折れぬ剣のような意志のみを鍛えて、それ以外を幼さに残してきたアイズの心に、いっそ無遠慮なまでに。

 今までは、守る者がいたのだろう。アイズの仲間、アイズの【ファミリア】。だが今はここになく、あるのは“灰”ばかりだ。

 そして“灰”はアイズの心を掻き回した。そもそも強さが頭打ちになりどこか焦っていたアイズに、ベルが始まりの憧憬を与えた。ほんの少しでもそれに気を取られたアイズは、“灰”がベルに向けた言葉に、そしてアイズに向けた言葉に揺さぶられた。

 その揺れがおさまらないままに“灰”を探し、言葉を交わし、アイズの心は均衡を大きく崩してしまったのだろう。所詮はほとんど他人と言ってもいい“灰”に、胸の裡を吐露してしまう程に。

 面倒だ、と“灰”は思う。だがここでアイズを放っておくのは、ベルに悪い影響を与えるかもしれない。それは“灰”にとって厄介事だ。

 だから“灰”は、腹を抱くアイズの腕を解いて。体を反転させ、悲痛な色を灯すアイズと向き合った。

 

「あ……」

「私の眼を見ろ、アイズ・ヴァレンシュタイン」

 

 白く小さな手を、金色の瞳を揺らすアイズの頬にそっと這わせて。そらさぬよう真っ直ぐに、“灰”はアイズと視線を交わす。

 

「私の眼に映っているのは誰だ? 数多の怪物を屠った【剣姫】か? 剣に程遠い幼い少女か? そのどちらでもない迷い人か?

 少なくとも、私に見えるのはアイズ・ヴァレンシュタインただ一人だ。強さも弱さも、全て貴公の裡にある。

 だから貴公、己の心に従いたまえ。泣くのもいい、笑うのもいい、星空に足を止める事もあるだろう。それらの全てが貴公の意志だ。誰にも止められない、貴公(アイズ)の心の咆哮(さけび)だ」

「私の……さけび……」

「そうだ。貴公の心は、何を吼えている? 猛りの止まらぬ奥底で、己を賭して何を目指す?」

「……強く、なりたい……」

「それは、何のために?」

「……もう、誰も喪わないために……!」

「――それが答えだ、アイズ・ヴァレンシュタイン。貴公が(おも)いを吼えるなら、もう、迷いはないだろう」

 

 声はそう大きくなくとも心から叫ぶアイズの顔に、暗い感情はもうなかった。惑いを抱えていた瞳は、今は真っ直ぐに“灰”を見ている。

 “灰”はそれに感じ入るものはなかったが――気付かぬうちに彼女の唇は、柔らかな笑みを湛えていた。

 しばし、そうしていただろうか。どれくらいの時間かは分からないが、心の淀みが止まったアイズはふと、自分の行動を思い返し――羞恥の感情が急速に溢れてくる。

 

「……“灰”さん……そ、その……」

「ああ、分かっている。この事は貴公と私の、二人だけの秘密だ」

「うぅ……ごめんなさい……」

「順番が違う。まずは礼を言うのが筋だろう?」

「……あり、がとう」

「それでいい。……これに懲りたら、よく知らぬ者を追って語り合う真似は止める事だ。私が相手でなかったら、良からぬ事態になっていたかもしれないのだからな」

「うん……」

 

 羞恥に顔を赤くしながらも年相応の少女のように笑うアイズに、“灰”はこっくりと頷く。そして今度こそ立ち去ろうとしたが、動く前にアイズが口を開いた。

 

「あの……」

「何だ? アイズ・ヴァレンシュタイン」

「あなたの事……アスカって、呼んでもいい……?」

「何故?」

「えっと……“灰”、よりも、あなたに似合っているって、思うから」

「……まあ、いいだろう。貴公がそれを望むなら、好きにすればいい」

「……! ありがとう、アスカ……! 私も、アイズでいいよ……!」

「ああ、そうさせてもらうよ。アイズ」

 

 嬉しそうに頬を上気させ口元を(ほころ)ばせるアイズに、“灰”は――アスカは、微笑みで応えた。

 

 ……さて。ここで一つ問い掛けをしよう。

 時は昼下がり、場所は色取り取りの花が咲き誇るアモールの広場。

 珍しく人気も無い広場のベンチで、見目麗しい一人の少女と、美しい一人の幼女が向かい合っている。視線を絡ませ、一方は頬を赤くしながら、一方は微笑みを湛えて、互いの名前を呼び合っている。

 はたから眺めればそれは――一体何をしているように見えるだろうか?

 

「――――駄ぁ目ぇでぇすぅううううううううっ!?」

 

 結論。誇り高く清らかな妖精(エルフ)の少女には、それはそれは不純に満ちた行為に見えたようなのであった。

 

 

 

 

 迷宮都市オラリオが黄昏の光に沈んでいく。

 一日の終わりを告げる朱色の輝きは行き交う住人を等しく照らし、絶え間ない喧騒を際立たせている。

 そんな中、ホームへの帰路を消化するティオネ・ヒリュテは頭痛を堪えるように額に手を当てていた。

 理由は背後、妹のティオナにされるがままに抱きしめられている人形のような小人族(パルゥム)――“灰”のせいである。

 アイズをつけていたティオナ、ティオネ、レフィーヤの三人は、レフィーヤの暴走によって尾行が露見する事となった。困惑するアイズに尾行の理由を素直に白状して、三人はなんとか許してもらった。

 問題なのはその後だ。アイズが話し込んでいた小人族(パルゥム)、彼女が何者なのか問いかけると、あまりに予想外の答えが飛び出してきたのである。

 

 ――名前はない。ただ“灰”と呼ばれている。

 

 その台詞と長い灰髪、銀の半眼、擦り鳴らされる声にレフィーヤとティオネは固まり、能天気なティオナだけが目をハートにして“灰”を抱き上げて散々可愛がっていた。

 再起動したティオネがどうして“灰”といたのか、何を話していたのかアイズに問い質すも「……秘密」とやや恥ずかしそうに言われては追及できない。どうしたものかと考えた末、団長であるフィン・ディムナの指示に従う事にしたのだ。

 

 ――“灰”について少しでも情報があるなら知らせてほしい。

 

 【ロキ・ファミリア】各位に通達された命令を忠実に実行し、ティオネは“灰”をホームに連れ帰る事に決めた。その結論に至るまで“灰”が露骨に嫌がったりしたが、結局生粋のアマゾネスであるティオネは面倒になって愛しい団長の指示を優先して引き摺ってでも連れ帰る事にしたのだ。

 あまりにティオナが可愛がり過ぎる事と、じーっとティオネの首筋に突き刺さる“灰”の視線に頭が痛くなってしまったが、それも仕方ないだろう。団長のためと思えば我慢できる、ティオネは愛に生きる戦士だった。

 

「お~、帰ったか四人娘……なんやその子、ごっつ可愛(かわえ)えやん!」

 

 【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)、『黄昏の館』に辿り着いたアイズたちが門に止まっている馬車に不思議そうにしていると、ドレスをまとったロキが居た。ロキはアイズたちを発見するなり陽気な笑みを浮かべて――“灰”の姿を捉えた瞬間、神速でティオナから奪い取る。

 

「あーっ!? ロキ、その子私のだよ!」

「何言ってんのよティオナ、違うでしょ」

「ええやんええやん、ちょっとくらい! 可愛い子はみんなの宝や、平等に分け合わんとな!」

「ロキまで……めんどくせえなあ」

「ティ、ティオネさん、落ち着いてください……」

 

 お気に入りのおもちゃを取られたかのように怒るティオナ、呆れるティオネ、へらへらと笑って“灰”の体をまさぐるロキ。ティオネの若干はがれかかった仮面に、レフィーヤは困り顔で落ちつけようとする。

 

「はー、それにしてもこんな可愛(かわえ)小人族(パルゥム)初めて見たわ! 自分、入団希望者か? こんだけ触っても嫌がらんし、ウチ大歓迎やで! 名前はなんて言うん?」

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「へえ~、“灰”っちゅうんか。なんや可愛くない名前やなあ。せや、ウチが可愛いあだ名つけてあげる、で……………………“灰”?」

「そうだ。先日振りだな、ロキ」

「…………………………………………うせやろ?」

「事実だ」

「…………――――はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 夜の手が伸び始める『黄昏の館』に主神(ロキ)の絶叫が隅々まで響き渡った。

 

「あ、あ、ありえへんやろっ!? 自分が “灰”っ!? あのくっそケッタイな汚いナリした“灰”っ!?

 何をどうしたらこんな綺麗になんねんっ!? いやそもそも女やったんかい自分っ!? 魔法か!? それともソウルの業なんか!? これもソウルの業っちゅうやつなんかーっ!?」

「あははははっ! ロキってば、ティオネとレフィーヤと同じ反応してるー!」

「ちょっとティオナ、私あそこまで取り乱していないわよ」

「わ、私もですよ!? そうですよね、アイズさん!?」

「う、うん……そう、だっけ?」

「……!? ま、まてや自分……そんな、嘘やろ……!?」

 

 じゃれ合う四人娘を余所に、その時ロキに電流走る。盛大に動揺して“灰”を地面に落としたロキは、ぶるぶると震えながら顔面を蒼白にした。恐る恐る、信じたくないように“灰”の目線までしゃがみ――ふにふにと、“灰”の胸を揉んで。確かめるように自分の胸を揉んで。……次の瞬間、滂沱の涙を流し始めた。

 

「ウチよりっ……圧倒的にっ……胸があるっ……やとっ……!?」

「ぐはあっ!?」

 

 絶望したロキの泣き言はティオナに流れ弾をぶっ放した。打ちひしがれる主神と妹に、ティオネはこめかみを殴られるような疼痛を覚える。

 

「あーもー、話が進まないから私は先に行くわよ。はやく団長のところに連れていって褒めてもらわなきゃ」

「そ、それはそれで違うような気がするんですけど……」

「違わないわよ。団長に褒めてもらう以上の事が何処にあるっていうの? ラウル、このロキ(バカ)どっか行くんでしょ? 馬車にでも何にでも突っ込んでさっさと連れて行きなさいな」

「は、はいっす!?」

 

 突然呼ばれたラウルは御者席から慌てて降りて、絶望の淵から戻らないロキを無理やり馬車に詰めて出発した。

 ティオネはそれを見送りもせず、“灰”の腰に手を回して荷物のように持って『黄昏の館』に消えていく。レフィーヤは追うべきか、ぶつぶつとうわ言を呟くティオナについているべきか悩み、流れについていけないアイズは呆然と立っていた。

 ……なお、ティオネに無理矢理連れて行かれる事が決定してからずっと、“灰”が死んだような目をしていたのはアイズしか気付いていなかった。

 

 

 

 

「……事情は分かった。君は本当に、“灰”、なんだね?」

「そうだ。フィン・ディムナ」

「そうか…………君を女性と知らず、ダンジョンでこの上ない無礼を働いてしまった。もう遅いだろうが、謝らせてくれ。――本当に、すまなかった」

 

 『黄昏の館』真北の塔、【ロキ・ファミリア】団長の執務室で、フィンは執務机から立ち上がり、“灰”の前で深々と頭を下げた。

 「団長っ!?」とティオネが悲鳴を上げる。オラリオの頂点を二分する【ロキ・ファミリア】の団長であるフィンの謝罪は重い。まして直接頭を下げるなど、大きな弱みにすらなり得る。ティオネの反応はもっともだ。

 だが、頭を下げたフィンの鋭い眼光がティオネの動きを押し留めた。少なくともフィンにとっては、【勇者(ブレイバー)】の名に恥じぬ態度を示さなければならなかった。

 そんな彼らの都合などどうでもいいという風に、“灰”は銀の半眼をフィンに向ける。

 

「気にするな。裸体を見られる羞恥など、今更感じる事もない」

「それでもだ。僕は君の尊厳に傷を付けるような真似をした。できるなら、償いをさせてほしい」

「それならば、私を今すぐ帰してくれる事を望む」

「……謝罪は、受け取ってもらえないかい?」

「謝罪は受け取ろう。貴公の名誉も守ろう。その上で償いは不要だ。

 本題はここにはない。確執なく言葉を交わすつもりなら、余計な事項は水へ流そう。私は気にしていない、貴公も忘れてしまえばいい」

「そうか……いや、ありがとう」

 

 もう一度頭を下げるフィンを“灰”は興味なさげに一瞥して、執務室に視線を滑らせる。

 いるのは六人。フィン、リヴェリア、ガレス、ティオナ、ティオネ、アイズ。ベートを除いた【ロキ・ファミリア】の誇る第一級冒険者たちだ。

 一様に固い表情を崩さない面々に囲まれて、“灰”は物怖じせず言葉を切り込んだ。

 

「それで貴公、何の用だ? わざわざ部下に拉致紛いの事をさせてまで、一体私に何を望む?」

「あははは……情報を集めてほしいとは言ったけど、まさか本人を連れてくるとは思わなかったんだ。君には迷惑をかけたね」

「私は特に気にしていない」

「団長ぉ~……私、もしかしてやらかしました……?」

「いや、本人もこう言っている事だ。結果的には良かったよ。よくやったね、ティオネ」

「団長っ……!」

「うわ~……我が姉ながらチョロ過ぎない?」

 

 胸の前で両手を絡めてフィンに熱い眼差しを送るティオネに、ティオナが呆れたようにボソッと呟く。それは運よく誰にも咎められなかった。

 フィンは執務机に戻り、腰掛けて指を組む。そして真っ直ぐな碧眼が“灰”へ向けられた。

 

「さて、話を戻そうか。本当なら、今すぐにでも本題に入りたいところなんだけど……その前に、前回の【遠征】で助けられた事に対する礼をしたい」

「以前ここを訪れた時、不要と言った筈だが」

「僕は確執なく君と言葉を交わしたい。そのためには一方が負い目を覚えるような事は先に済ませておくべきだ。君も、そう思うだろ?」

「……成程。見解は一致しているという訳か。ならば私も、素直に礼を受け取るとしよう」

「助かるよ。それじゃあ改めて――僕たち【ロキ・ファミリア】は、三度に渡り君に助けられた。団長として、【ロキ・ファミリア】の総意として、団員を守ってくれた事を感謝する。

 “灰”よ、本当にありがとう」

 

 フィンの言葉に合わせ、周りのメンバーが一斉に頭を下げる。【ロキ・ファミリア】精鋭が謝辞する様は一種壮観ですらあったが、やはり“灰”は興味なさそうに見渡すのみであった。

 

「貴公らの謝儀、確かに頂戴した。それでは――本題に入ってもらおうか」

「……そうだね。まどろっこしいのはもう無しだ、単刀直入に言おう――【ロキ・ファミリア】に入団するつもりはないかい?」

「それは不可能だ。つい昨日、私は仕える主神を見出し【ファミリア】に入団した」

 

 一瞬の迷いもなく、“灰”は事実を口にした。その返答が予想外だったのか、フィンは大きく目を見開き――耐えきれなくなったと言わんばかりに笑声を漏らす。

 

「どうしよう、ガレス。親指がうずうずいってたから無理だとは感じていたけど、まさか振られる以前の話だとは思わなかった。もっと早く行動すべきだったかな」

「これはしょうがないじゃろ。儂らが“灰”(こやつ)に抱いていた印象と情報からして、こんな短期間で【ファミリア】に入団するなんぞ予想できん。リヴェリアもそうじゃったからな」

「ああ……流浪を好む根無し草だと思い込んでいた。これは私の失態だな」

 

 くつくつと笑うフィン、髭を撫でるガレス、額に手を当てるリヴェリア。【ロキ・ファミリア】上層部で完結するやり取りに、フィンの提案に呆気にとられていたティオネが慌てて口を挟む。

 

「だ、団長っ!? “灰”の情報を集めるよう指示したのってこのためだったんですかっ!?」

「そうだよ、ティオネ。僕とロキ、リヴェリア、ガレスで話し合ってね。ロキは乗り気じゃなかったけど、入団の話を持ちかけようって決めたんだ。……まあ、結果は見ての通り惨敗だったけどね」

「ティオナ、ティオネ。お前達には後で話すが、“灰”は特殊な経歴の持ち主だ。私自身、半分も信じてはいないが、確かな力を持っている事は深層で共に確認しただろう。

 “灰”は強い。その上で我々の知らない未知の技術を有している。性格にやや難を抱えてはいるが、野放しにしておくよりは身内に引き込んだ方がいいと判断した」

「力尽くが得意な儂が言うのも何じゃが、情報は武器じゃ。そしてこやつはどーも情報(それ)を漏らすに頓着せん。ロキの話を聞く限り儂ら以外には話していないようだがのう、これからもそうであるとは限らん。

 下手にしゃべられて余所に取られるくらいなら、という話じゃ」

「そ、そうだったんですか……」

 

 苦笑するフィンにリヴェリア、ガレスが補足する。ティオネは彼らの説明に頷きつつも、理解も納得もできない顔をする。

 ティオネはロキ、フィン、リヴェリア、ガレスの聡明さをよく知っている。だからこそ分からない。同じ【ファミリア】として、一人の冒険者として絶大の信頼を置く彼らにそこまで言わせるほどの人物なのか――と、とてもそうは見えない人形のような小人族(パルゥム)へ視線だけを向けた。

 分かりやすい疑惑の目をするティオネに、フィンはクスリと笑みを零した。そして虚空を眺める“灰”へいくつか質問を飛ばす。

 

「君はどの神の【ファミリア】に入ったんだい?」

「ヘスティアだ。【ヘスティア・ファミリア】に今は所属している」

「その【ファミリア】を選んだ理由は?」

「家族がいるからだ。家族は共にあるべきものだと、私は知っている」

「『神の恩恵(ファルナ)』は受けたかい?」

「ああ」

「【ステイタス】を教えてくれ」

Lv.(レベル)は1、全能力初期値(アビリティオールゼロ)だ」

「《魔法》と《スキル》は?」

「答えられない。ヘスティアから止められている」

「もし、止められていなかったら?」

「答えていただろう。貴公がそれを望むなら」

 

 次々と回答する“灰”にティオネは信じられないと顔を引きつらせる。神の名やLv.(レベル)はともかく、平然と能力値(アビリティ)や止められてなければ《魔法》や《スキル》まで話そうとした“灰”に、ティオネの肌が戦慄で粟立つ。

 恐ろしいのはほとんど話した事のないティオネでさえ、“灰”が嘘をついていないと確信できる事だ。凍てついた太陽のような銀の瞳は、虚飾や欺瞞など何一つないと雄弁に語っている。

 だが、それだけでこうも確信を持てるだろうか。ティオネは己の感情に疑問を持ち、それを見透かしたフィンは“灰”へある要請をした。

 

「“ソウルの業”――もう一度見せてくれないか」

「……止められているのだがな。貴公らはもう知っている。一度も二度も、変わらないだろう」

 

 “灰”は小さく言葉を擦り鳴らして、(てのひら)を虚空へ差し出す。何の変哲もない白く小さな手に――その青白い輝きは、どこからともなく集まり出した。

 

「これは……団長っ!?」

「大丈夫だ、ティオネ。攻撃じゃない」

 

 深層でまみえた時、杖に収斂した光と同じそれにティオネは身構え、フィンに止められる。“灰”は構わず青白い光――『ソウル』を掌に集め、火のように揺らめかせる。

 

「これは『ソウル』と呼ばれている。万象の根幹、人の隠された力、あるいは古き獣のもたらしたもの――諸説あるが、貴公らの尺度で言えば『魂』と言って差し支えないものだ」

「『魂』……?」

「そうだ。森羅万象が宿すもの。そして、神が見通すもの。神々は『ソウル』を見通す事で虚言の有無を判別しているのだろう。

 私は『ソウル』の『器』だ。有形無形を問わず、あらゆる『ソウル』をこの身に宿している。――このようにな」

 

 “灰”の掌の『ソウル』は形を変え、一本の剣となる。驚くティオネに「持ってみろ」と“灰”は柄を差し向けた。恐る恐るティオネが持てば、それは紛れもない実物であると分かる。

 

「“ソウルの業”とは『ソウル』を扱う術を指す。それによってできる事は多岐に渡るが、それ故に禁忌とされるものも多い。『魂』を扱うのだから、当然と言えば当然だ」

 

 “灰”がティオネに視線を向けると、剣は青白い光となって霧散した。驚愕の間もなく、ティオネの意識は“灰”の瞳に絡め取られる。

 

「そして、私が扱う“ソウルの業”は禁忌のそれだ。故にこれ以上は語らない。……そういう約束だったな、フィン」

「ああ、見せてくれてありがとう」

 

 フィンと“灰”のやり取りも、今はティオネに届かない。“灰”の瞳に見入るティオネは、分かってしまった。“灰”の言葉に嘘がないと確信できる理由を。

 凍てついた太陽のような銀の瞳。そこには『ソウル』が渦巻いている。神ならぬティオネにも“灰”の『魂』が見えている。

 それは人を強制的に信用させる眼だ。どんな感情を“灰”に抱いても、絶対的な真実を叩き込んでくる瞳。その暗い銀色に魅入られれば、たとえ初対面であっても神への懺悔の如く心中を吐露するに違いない。

 そして、だからこそ()()()()()()()()――そんな思いがティオネの胸で荒れ狂った。そして同時に、フィンたちが入団を持ちかけた理由を悟る。

 

「分かってもらえたかい、ティオネ。この通り、彼女は中々危なっかしい。放置するには不安が大きすぎるんだ。だからこちらに引き込みたかったんだけど……“灰”、君の主神は神格(じんかく)(しゃ)かい?」

「眷族を心の底から家族と想う程度にはな。私に情報の開示を禁じたのも、私の身を案じての事だ」

「なら安心したよ。真っ当な神の下でなら、君も悪いようにはされないだろう。ああでも、何かあったら頼ってくれ。無碍にはしないよ。君は、恩人だからね」

「……貴公、想像以上に義理堅いな。分かった、頼るべきと判断した時は世話になろう」

「そうしてくれると嬉しいよ」

 

 フィンはニコニコと“灰”に話しかける。“灰”の視線が途切れたティオネはいつの間にか荒くなっていた呼吸を整えつつ、会話の内容に少し違和感を覚えた。気のせいかもしれないが……フィンはまだ諦めていないように感じたのだ。

 訝しむティオネの後ろで、リヴェリアとガレスが視線を合わせて肩を竦め合っていた。

 

「あーあ、結局“灰”ちゃん入団しないんだー。残念だなー」

「……ティオナ、あんたねぇ……」

 

 話についていけず途中からポカーンとしていたティオナは、心底残念そうに落胆する。能天気な妹の発言にティオネは若干イラッとした。

 頭の後ろに手を組んで小石を蹴る真似をするティオナの横で、アイズは金色の瞳を満月のように広げてずっと“灰”を見ていた。Lv.(レベル)1、全能力初期値。話の途中に出た単語が、アイズに衝撃を与えている。

 真面目な空気が弛緩する中、アイズは“灰”に問いかけようとして――その瞬間、ドアを蹴破るような音と共に、狼人が執務室に足を踏み入れた。

 

「おいてめーら、雁首揃えて何してやがる」

「やあ、ベート。帰ったんだね」

 

 後頭部を掻きながら入室したベートは会する一同に視線を投げ、“灰”に気付くと怪訝そうに目元を歪ませる。そして鼻を動かし、盛大に顔をしかめる。

 

「あ? なんでガキがここに居るんだよ。つーかフィン、この部屋ちゃんと換気してんのか? 前に連れてきやがった“灰”野郎の匂いが残ってんじゃねーか」

「ああ、それは“灰”が居るからだよ」

「はぁ? “灰”野郎がどこに居るってんだ、てめーらと知らねえガキしかいねえじゃねえ、か……」

「先日振りだな、ベート・ローガ」

 

 振り向く人形のような小人族(パルゥム)に、ベートは瞠目して絶句する。あまりの変貌ぶりにさしものベートも驚く他なかったようだが……すぐに射殺さんばかりに目を絞り上げ、忌々しそうに怨嗟の声を上げた。

 

「……雌だったのかよ、てめえ……」

「ああ。それがどうかしたのか?」

「ハッ、どうもしねーよ。元々『雑魚』だと思ってたやつが『雑魚』以下のムシケラに成り下がっただけだ」

「ちょっとベート! “灰”ちゃんになんて口利くの!」

 

 ベートの言動にティオナが食って掛かるが、当の狼人は鼻で笑う。

 

「『雑魚』に『雑魚』と言って何が(わり)い。おいフィン、なんでこいつがここにいやがる」

「勧誘のためだよ、ベート。ぜひ【ロキ・ファミリア】に入ってほしくてね」

「……ふざけんじゃねえ。俺は絶対(ぜって)ぇ認めねーぞ」

「心配しなくても、振られたばかりさ。もう他の【ファミリア】に入ったそうだ」

「そうかよ。そりゃー安心したぜ。こんな(くせ)えやつと同じ空気吸うなんざ御免だからな。おい、“灰”野郎。二度と面見せんなっつっただろうが、断ったんならさっさと出て行きやがれ」

「ベートッ!」

 

 ティオナの強い恫喝にベートはひるまない。何の反応も示さない“灰”に舌打ちをして、執務室から出ていこうとする。

 普段以上に苛立ちを隠さないベートの姿に、リヴェリアは片眉を上げた。

 

「……ロキから聞いていたが、“灰”に対して激情が過ぎるな。“灰”、ベートと何かあったのか?」

「いや、何かという程の事もなかった筈だが……」

 

 背後で交わされる言葉を無視して、ベートはドアの取っ手に手をかけ。

 

「……――そうだな。端的に言うと、ベート・ローガは私の初めての人だ」

 

 “灰”が何気なく呟いた爆弾発言に、ベートは盛大に吹き出した。

 

「ぶふぅうううううううっ!?」

「……えっ? ベート? 初めて? 今“灰”ちゃんなんて言ったの……?」

「……嘘でしょ、ベート……」

 

 理解の追いつかないティオナと理解できないものを見る目をするティオネ。リヴェリアは呆気にとられ、ガレスは驚愕を露わにし、フィンは瞠目する。アイズだけが理解していなかった。

 アマゾネスの姉妹を筆頭に、“灰”を除いた全員の視線がベートに突き刺さる。げほげほとむせていた狼人は、自分を囲む異様な空気に(おのの)き、吼え立てた。

 

「ばっ、ばっ、馬鹿言ってんじゃねえぞ“灰”野郎おおおおおおおおっ!? 俺がてめえの何だってェッ!?」

「だから、私の初めての人だと」

「うるせえその口今すぐ閉じろッ!?」

「……ベート、君は……」

(ちげ)えぞフィンッ!? こいつが、このクソッたれな“灰”野郎が法螺吹いてるだけだッ!?」

「……待て、落ち着け。ここは事情を聞くべきだ。“灰”、詳しく話してくれ」

 

 “灰”に飛びかからんばかりの凶相を刻むベートとそれを止めるアマゾネス姉妹に待ったを入れ、リヴェリアは“灰”へ翡翠色の瞳を向ける。“灰”は何の落ち度もないといった顔で言葉を紡いだ。

 

「ふむ……あれは二日前の夜の事だ。路地裏にいた私は、ベート・ローガに迫られてな」

「待てェッ!? そんな事してねえだろうがッ!?」

「あんなに強く求められたのは初めてだったから、嬉しくなってな。つい応えてしまった」

「ザケんな法螺吹くんじゃっ……て、てめえっ、まさかあの事言ってんのかッ!?」

「…………心当たりがあるようだな、ベート」

 

 ベートの脳裏に過ぎったのは“灰”の素性を問い質したあの夜だ。それをそのまま口にして、リヴェリアの冷ややかな声に失態を悟る。これでは認めたも同然だ。

 

「まっ、待ちやがれッ!? あん時はロキとアイズも居たッ!!」

「ロキとアイズも……?」

「……ベート、てめえまさか二人の前でっ!?」

「ちげーよふざけんなバカゾネスッ!? おいアイズッ、説明しろッ!?」

 

 追い詰められた狼は一縷の望みをアイズに託す。だがアイズはここにきてようやく“灰”の発言の意味を理解し――かあっと顔を赤くして俯いてしまった。

 

「うォおおおおおおおおおおおおおおいっ!? 何で今そんな顔すんだよなんで何も言わねーんだよッ!? じょっ、冗談じゃねえぞッ!?」

「……ティオネ、このクソオオカミぶっ殺そうか」

「そうね、ティオナ。よりにもよってアイズに……何(きたね)えもん見せてんだてめえはああああああああああああああああああっ!!」

「るォおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? 覚えてろよ“灰”野郎おおおおおおおおおおおっ!!」

 

 本気で殺しにかかるアマゾネス姉妹にベートは執務室を脱出する。二対一の手前、退きながら迎撃するしかないベートは断末魔のような捨て台詞を吐きながらアマゾネス姉妹に追いかけられていった。

 残ったフィン、リヴェリア、ガレスは一様に“灰”へ目線を向け……同時に溜息をつく。

 

「……“灰”。一応確認しておくが、今の発言はロキとアイズ、ベートに素性を明かした時の話か?」

「ああ。ベート・ローガと交わした出来事はそれくらいだからな。それがどうかしたのか?」

「…………言い方が悪すぎる。どうするんだこの事態……」

「あやつらが落ち着くまで、放っとくしかあるまい」

「あはは……“灰”って結構天然なんだね」

 

 “灰”の無表情にくらりとして、リヴェリアは聞こえてくる破砕音に頭を痛める。ガレスは処置なしといった具合に首を振り、フィンは盛大に苦笑していた。

 そんな彼らの様子に疑問符を浮かべ、“灰”はアイズと視線を合わせる。羞恥から回復したアイズは“灰”と見つめ合い、同時に首を傾けるのであった。

 

 

 

 

 真新しい月光がオラリオの路地に降り注ぐ。

 人気のない綻びが目立つ建物の間を歩く“灰”は、空に浮かぶ月に何の感想も抱かない。

 かつて神とその騎士団が司った月とあれは違う。影の太陽、復讐の暗月。この月明かりは罪人を照らさず、また何をも導きはしないだろう。

 【ロキ・ファミリア】の一騒動を放置して帰路についた“灰”は、フィンの言葉を思い出す。何かあれば頼ってほしい、あの【勇者】はしきりにそう言っていた。

 そんな日が来るのだろうかと思いながら歩き、やがて廃教会に辿り着いた。崩れた女神像を通り過ぎ、地下室に降りようとしたところで、地下室の入口に小さな影を見つける。

 

「あっ……」

 

 扉の前で膝を丸めて座っているのはベルだった。捨てられた子兎のような、どこか震えていたベルは、“灰”の姿を見つけるなりぱあっと顔を輝かせる。

 “灰”はその笑顔に銀の眼を細め、どう言い訳したものかと考える。最初にはぐれたのはベルとはいえ、こんな時間まで探さなかったのは“灰”の失態だ。責められても致し方ない――そう思っていたが、ベルは抱きつかんばかりに“灰”へ駆け寄って、笑った。

 

「アスカさん! おかえりなさい!」

 

 ベルの屈託のない笑顔に、“灰”は考えていた事が全て溶けた。あの『最初の火』に抱いた憧憬とベルを重ねて――そっと、口元を淡く綻ばせる。

 

「ああ、ただいま。ベル」

 

 こうして長い一日は終わり。“灰”は――アスカは、家族の元へ帰った。




えー、怪物祭まで書こうと思って書けなかった作者です(半ギレ)。ほんとは原作一巻分書いて失踪するつもりでしたが、書き切れませんでした(半ギレ)

ぶっちゃけアイズ書き辛い。ロキ・ファミリア書き辛い。なんでこの幼女は出会って数日なのにこんな会話してんだよおかしいだろ。そう思う作者ですがそう書いてしまったので許してください(脅迫)

もうゴールしてもいいよね? クロス小説も増えたし書かなくてええやん。それにベートは犬じゃなくて狼じゃないか! まともなのは僕だけか!(錯乱)

なんだかなあ……ほんとこんな感じでええのか。ダクソっぽさはどこに行ったのか。次があれば怪物祭で大暴れする幼女書きてえなあ……。

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