ダクソかブラボとダンまちのクロス流行れ   作:鷲羽ユスラ

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原作一巻分
(わた)のそこ撫ぜる蟒蛇(うわばみ)灰の川はたて眠れや尽きせぬ人よ


 そうさね。

 

 これは一つの時代が終わった後の話さ。

 

 灰が吹き溜まり、火の消えた闇の世界。

 

 それをもたらしたのは最後の薪の王と言われている。

 

 使命に生きながらそれを捨てた、狂った王さね。

 

 王の最期は誰も知らない。

 

 自らの消した火を求めて彷徨(さまよ)ったか、それとも闇に消えていったか。

 

 あるいは、分かたれた世界の最果てを目指したのか。

 

 なんにせよ、言える事は一つだけ。

 

 火に呪われ、闇に寄る辺なく、灰すらも尽き果てようと。

 

 不死は使命と、旅と共にあるのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『火に望まれぬ者がいる。君たちのこと、そして私たちのことだ』

『我らは同朋、瞳を覗くように明らかに』

『だから君、闇を恐れるなかれ』

『我ら食餌の時だ』

 

 深淵の沼に巣食う白面の虫、説教者の言葉が暗闇に浮かぶ。

 人が誰しも抱く闇、瞼の裏の深淵から“灰”はゆっくりと目を醒ました。

 空は暗く、道しるべはない。かつての王の残り火だけが、闇の時代の儚い灯火。

 その筈が、“灰”の目に飛び込んできたのは仄暗く発光する壁だった。

 

「……?」

 

 頭から垂れ下がる灰髪が揺れる。眼球をこするそれが灰色であると認識したのは、目醒めてどれ程時間が経った後だろうか。とうに忘れ果てた色のついた光景に“灰”はしばし茫洋とし、そして理解する。

 

「ああ、ここが世界の最果てか」

 

 擦り鳴らす声は枯れている。言葉もまた、途方もない旅路の内に擦り切れている。だが気に留める事無く、“灰”は静かに立ち上がった。

 生まれより伸びる毛髪が(もだ)う蛇のように地面をうねる。それは“灰”の歩みと共に引きずられ、ゆるやかな跡を残していく。

 ここが何処であるか、“灰”は気にしなかった。

 何故ここにあるのか、“灰”は考えなかった。

 “灰”は不死だ。故にこそ、火を求め這い出すのだ。

 迷宮都市オラリオ――その神蓋(しんがい)に封じられた、ダンジョンの暗い闇の底から。

 

 その日、原初より遥か分かたれた時代の果てに、一人の不死が降り立った。

 

 

 

 

 ――その光景を、ベル・クラネルは生涯忘れないだろう。

 風と共に舞う金の憧憬(しょうけい)。光閃く剣を振るい、黄金財宝を編んだような繊細な長い金髪が戯れるように空を駆ける。踊るように軽快に、けれど力強さをもって怪物の両腕を叩き落とした、女神の如く美しい少女。

 地を奔り、灰色の残影を置いて少女を抜き去った暗い影。まるで物語の英雄のように剣の輝きさえ追えない速度で、怪物の左腹から右肩まで両断した姿。凍てついた太陽のような銀の瞳の残光が、その光景を網膜に焼きつかせる。

 その二人が息を合わせ交差した瞬間以外、ベルの目には映っていなかった。怪物に追われていた事も忘れ、ただただそれに見惚れていた。

 誰かの嘆きを止めるために現れる英雄の姿を、確かにそこに見たのだ。ベルが憧れた彼の者たちを。

 音も周りの景色も、自分の心さえ何処に行ってそれだけが残ったような錯覚は永遠にも似た長さで続いて――怪物の断末魔が、ベルを現実に引き戻す。

 響く絶叫に影を差す。

 魔性、真影、貫く刃。光に照らされた怪物の頭部に、鋭い(きっさき)が食い込んでいる。

 二本角のモンスター、『ミノタウロス』が上げた絶命の声はそれで止まった。両腕を切断され、心臓と魔石を二分する裂傷を負った怪物は鈍重に倒れ伏す。

 ベル・クラネルは呆然と腰を落としていた。Lv.(レベル)1の自分では絶対に勝てないモンスター、Lv.(レベル)2相当のミノタウロスを易々と倒して見せた一幕もそうだが、細身の剣を振るうその姿に覚えがあったからだ。

 

 無造作に伸ばされた灰色の髪。足元を超え床に広がる長いそれは乱雑に絡み、手入れがされてないのが見て取れる。たなびく灰髪は幽鬼のようにも、亡者のようにも見えた。

 その間に見えるのは死人のように白い肌と凍える太陽のような鋭い眼だ。何の感情も無くミノタウロスの死体を見下ろす暗い瞳が、ベルの記憶の姿と重なった。

 

「ア、アスカさん!? どうしてここに!?」

「……ああ、貴公か。ベル・クラネル」

 

 血振りをし剣を納めるアスカはベルを一瞥して呟き、振り向いて手を伸ばす。追い詰められていたためか青い顔をして臀部を地につけた恰好のベルは、少し羞恥で赤くなりながらその手をとって立ち上がった。

 

「あ、ありがとう。助けてくれて」

「気にするな。敵を倒しただけだ」

 

 平坦な調子でアスカは言う。変わらないなぁ、とベルは内心で思い、次の瞬間、硬直する。

 近づいてくる。あの美しい金髪の女剣士が。怪物を斬った時あんなにも鋭かった表情が、こちらを心配するいたいけな少女の童顔となって向かってくる。それでベルには金髪金眼の女剣士が誰だか分かってしまった。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。オラリオなら誰もが知る【ロキ・ファミリア】のLv.(レベル)5。

 そう認識した瞬間、ベルは沸騰したように真っ赤になり――次の瞬間には絶叫を上げて走り去っていった。

 

「…………」

「…………」

 

 取り残された二人は双方無言である。アスカは無表情で走り去るベルを見送り、アイズはベルと、アスカを見つめていた。

 

「今の子……知り合い?」

「ああ、家族だ」

「……アスカって、あの子が呼んでいた。それが本当の、名前なの?」

「違う。私に名前はない。アレからは「アスカ」と呼ばれているだけだ。

 アスカは“灰”を意味する。それ故だろう」

 

 もう後ろ姿も見えないベルを幻視するようにアスカ――“灰”は答え、アイズとダンジョンの奥へ去っていった。

 

 

 

 

 時はさかのぼり、遠征中の【ロキ・ファミリア】が50階層で休息している頃。

 フィン・ディムナが“それ”に遭遇したのは芋虫型の魔物に追い回されている時だった。

 元は冒険者依頼(クエスト)を達成するために51階層にある『カドモスの泉』から泉水を採取した後の事だ。

 突如現れた芋虫型のモンスター。それらが放つ武器をも破壊する腐食液によって仲間――ラウルが行動不能に陥ってしまい、戦闘ではなく逃走を選択した。

 道すがらアイズ、ティオナ、ティオネ、レフィーヤとも合流し、一向に走り続けていた中で、“それ”は現れた。

 

「ああ!? 誰だあいつは!?」

 

 最初に気付いたのはベートだ。狼人特有の嗅覚からか、彼はいち早く“それ”に気付いた。

 彼らが走り続ける通路の先、まるで亡霊のように佇む――灰色の人物に。

 

「え!? あんな奴、ファミリアにいた!?」

「いや、見ない顔じゃ。他のファミリアが遠征でもしていたのか?」

「そんな筈はない。僕達以外が深層にいるなんてまず考えられな……!?」

 

 フィンはそこまで言いかけて、ずくりと親指が疼いた。バッと通路の先に居る人物を見れば、先程まで持っていなかった杖を手にしている。

 それをゆっくりとフィン達の方へ向け――青白い輝きが、杖の尖端へ収斂し始めた。

 

「何、あれ……!?」

「魔法を撃つ気か!?」

「ね、ねえ、ちょっとまずくない!?」

「ちょっとどころじゃねえよ!! 早く避けねえと巻き添え食らうぞっ!!」

「全員ッ、右手の横道へ退避!!」

 

 フィンの言葉に従い全員が横道へ体をねじ込む。

 直後、青白い輝きが満ち、光の柱が芋虫型のモンスターごと通路を席巻した。

 

「なんだ、こりゃあ……」

 

 警戒心を剥き出しにしたベートが呟く。今しがた走っていた通路を満たす青白い光の柱は通路を削り広げんばかりに増大している。実際、逃げた横道の入口付近は光の柱によって崩れていた。

 その輝きは十数秒ほど続き、消え去る。残るものは何もない。這いずるモンスターの音も、彼らの呼吸の音すら静寂に消えていく。シンと鎮まった空気の中、薄氷を割るような足音は嫌に大きく響いた。

 コツン、コツンと規則正しく、足音は彼らへ向かってくる。さっき魔法を放った人物である事は想像に難くない。危うく巻き込まれそうになった面々は武器を構え、警戒する。

 それをフィンが押し留めると同時に、灰色の“それ”は現れた。

 

 遠目には丈の長い外套に見えた乱雑に絡む灰髪。そこから覗く生気のない白い肌と凍てついた眼。杖を気だるげにぶら下げて歩く“それ”は、彼らに一瞬すら気を払わず進んでいく。

 

「おいてめえ、待」

「待ってくれ」

 

 それを舐められたと受け取ったのかベートが吼えようとしたが、被せるようにフィンの声が響く。どちらに反応したかは分からないが、灰髪は歩くのを止め、ゆっくりと首だけを彼らに向けた。

 瞬間、歴戦の勇士である筈の第一級冒険者達に悪寒が走る。恐怖ではない、ただ心の底がざわめく。あまりにも暗い、その瞳にだ。

 

「……まずはお礼を言っておこうか。助けてくれてありがとう」

「助けたわけじゃない。敵を倒しただけだ」

 

 掠れた声が小さく擦り鳴らされる。まるで何年も喋っていないような声だとフィンは思った。

 

「それでもさ。助かった事には変わりないからね。それと一つ聞きたいんだが――君は何者だい?」

「旅人だ」

 

 間髪入れず吐き出された答えを、フィンは信じる事ができなかった。

 ダンジョンに旅人はいない。迷宮都市オラリオを訪れる旅人はいるだろうが、ダンジョンにまで出張る酔狂な者など存在しない。

 ダンジョンに潜るのは冒険者だ。たとえ恩恵(ファルナ)を持たずとも、夢焦がれる冒険者こそがダンジョンに踏み入る資格を持つ。そしてその中でも第一級の存在が深層へと到達できる。

 だが灰髪は、旅人と名乗った。多くの冒険者が辿りつけさえしない、このダンジョンの深層で。

 

 それだけなら良い。密かに深層攻略へ乗り出したどこかのファミリアの一員で、苦しまぎれの嘘をついたという強引な解釈も出来なくはない。

 不可解なのは、先の魔法。見た事もない魔法だったが、異様なのはその威力。魔法円も無く無詠唱で、ともすれば推定威力Lv.(レベル)5――レフィーヤの魔法に匹敵する破壊能力。

 尋常ではない。これ程の使い手ならば名が売れていなければおかしい。それなのに噂の一つすらないと言う事は――

 フィンの親指が強く疼く。それを隠すように拳を握り、表面上はにこやかに尋ねる。

 

「ンー……それは君の二つ名かな? すまないけど、聞いたことがないな。名前なら知っているかもしれないから、教えてもらってもいいかい?」

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「“灰”……“灰”ね」

 

 そっちが二つ名か? あるいは何かの暗号(コード)か? 内心で思うフィンはちらりと仲間を見る。ベート、ティオナ、ティオネは未だ警戒を解いていない。アイズとガレスは武器を下げて様子見、レフィーヤはラウルの治療をすべきか迷っている。

 便宜上“灰”と呼称する人物の素性を確かめるのも先だが、団長としてこの場をまとめるのも役目の一つだ。フィンは手早く指示を出す。

 

「武器を構えている者は下ろせ。ティオネ、レフィーヤはラウルの治療を頼む。それ以外は周囲を警戒してくれ」

「おい、フィンっ! そいつは俺達ごとモンスターを吹っ飛ばそうとしただろうが! ケジメつけなくていいのかよ!?」

「口を慎め、ベート。苛立っているのは分かるが恩人だ。無駄に敵愾心を持つ必要はないだろ?」

「ちっ!」

 

 団長(フィン)の言葉にベートは苦汁を飲んで、他は素早く従う。それを無感動に眺めていた“灰”は不意に体を反転させ、自分が歩いてきた通路に杖を向けた。

 皆が身構える中、再び杖に青白い光が収斂する。同時に這いずるような地響きが地面を揺らし――濁流のように押し寄せる轟音を掻き消すように、青白い光は柱となって撃ち出された。

 後は先の光景の焼き直しだ。光の柱が洞穴を削り、モンスターの大群を駆逐する。光の柱が消えた後、フィンの命令に従ったアイズとティオナがさっと“灰”に近づき通路をのぞき込むと、そこにはやや広くなった通路以外に何一つなかった。

 

「うひゃ~……すっごい」

 

 望遠するように額に手を当てて呟くティオナの横でアイズがコクコクと頷く。腐食液ごと魔物を消滅させる魔法の威力に感服しているようだ。ベートは面白くなさそうに舌打ちをし、ガレスは後方の警戒をしつつフィンに話しかける。

 

「たまげたのう。よもや深層でこのような者に出会うとは」

「……そうだね。僕も正直驚いている。……ひょっとして、ロキの言っていた……」

「ん? 心当たりがあるのか?」

「いや……確証がない。それよりもあの――“灰”が撃った魔法の先には、50階層に続くルートがある。そしてモンスターはそこから来ていた」

「……! いかんぞ、フィン!」

「ああ。全員、集合しろ。全速力でキャンプに戻る」

 

 フィンの言葉にガレスを除く全員が目を白黒させるが、手短に話すとすぐに悟る。急ぐ仲間達を前に、フィンは改めて“灰”と向き合った。

 

「急ですまないが、一緒に来てくれないか。仲間(ファミリア)が危険にさらされているかも知れないんだ。君の力を貸してほしい」

「…………いいだろう」

 

 “灰”は突然の要請に暗い瞳でフィンを見る。値踏みか、虚空を眺めるような間をあけて、“灰”は頷いた。

 

 

 

 

『呪う者、呪う者、幾らあっても足りはしない』

『呪いと海に底は無く、故にすべてがやってくる』

『さあ、呪詛を。彼らのために哭いておくれ、我らのために哭いておくれ』

『すべての血の無きものたちよ。我らに耳をすませたまえ』

 

 何時だったか、耳にした呪詛の言葉が青白い脳に這い上がる。

 何処で聞いたのだろう、“灰”はそれを覚えていない。零れたものは、“灰”の裡には戻らない。

 “灰”は器だ。太陽の光の王より続く不死の伝承、火継ぎを果たした呪われ人たちは、その器ゆえに薪に選ばれ、王となった。

 王に足る強大な力を注ぐための、ソウルの器。それこそが薪の王の本質であると“灰”は理解している。

 そして“灰”もまた同じ。黄昏に(さざな)む海のように、底なしの器が“灰”にはある。

 それこそが、呪いなのだろう。原初、岩と大樹と朽ちぬ古竜ばかりがあった灰の時代。そこに灯った火が闇を生み、闇を抱いた人が得たもの。

 底なしの、終わりなき器と。

 底なしの、終わりなき呪いと。

 

「…………」

 

 感傷は今更だ。後戻りなど誰にもできない。歪み繋がる時間があれど、時は常に前へ進む。そうするしかない、何があろうと。

 そうするしかない。“灰”はずっと、そのように生きてきたのだ。

 人と、神と、それ以外と。無数の己を(しかばね)と晒しながら。

 

「……行くか」

 

 “灰”は立ち上がり、歩き出す。行く当てはなく、辿り着くべき場所もない。されど使命は絶える事無く、“灰”の前へと現れる。

 かつての使命が“王狩り”ならば。

 今の使命は、さしずめ“魔性狩り”だった。

 

 

 

 

 フィン達がキャンプへ戻った時、そこには大量のモンスターがいた。

 そしてその大群は瞬く間に全滅する事となった。

 【剣姫】の風と刃にではない。狼人の蹴りにでもない。アマゾネス姉妹にも、小人族にもドワーフにも、その場で最も高い威力を持つ魔法を宿すエルフにでもない。

 ただ“灰”が、杖を振るった。まるで蠅を払うような気楽さで、だが幾億も繰り返した緻密な動作で――【白竜の息】が放たれる。

 それはまさしく(ドラゴン)息吹(ブレス)のように広がり、モンスター達を抵抗の隙も与えず結晶に沈めた。傍から見ていた【ロキ・ファミリア】の面々にはそれ以外に表現しようがなかった。

 アイズ達は拠点から51階層入口に至る結晶の山脈を登ったり砕いたり眺めたりしている。その中にリヴェリアの姿もあった。

 

「これは、一体どうなっている……」

 

 約10(メドル)もの高さが連なる結晶塊を前にリヴェリアは眉根を寄せる。睫毛の揺れる翡翠色の瞳に映るのは、腐食液すらも結晶化したモンスターの成れ果てだ。

 第一級冒険者であり魔道士に限れば頂点に立っていると言っても過言ではないリヴェリアをもってして、このような魔法は見た事がない。

 無詠唱、魔法円なし、その上で広範囲高威力。まるで魔道士に憧れる子供が夢見るような魔法だ。そしてこれは東国に伝わる『妖術』でもなく、代償を必要とする『呪詛(カース)』の類でもない。

 おそらく魔法大国(アルテナ)ですらまみえないような未知の魔法に、知らず杖を握る力が強まる。

 そう、まるで未知なのだ。これまでリヴェリアが振るい、先人が、同朋が、それに連なる者達が行使してきた魔法とこれは全く違う。まるで、()()()()()()()()()のように。

 

「一体、ヤツは何者なんだ……」

 

 つうっ、と頬を流れる汗に、リヴェリアは背後へ眼を向ける。襲撃を受けたキャンプの立て直しを進めるロキ・ファミリアの団員達も視線を向ける者が多い。

 その視線の中心に位置する人物、“灰”と対峙するフィンは怪訝そうに目を細めた。

 

「君ほどの冒険者が無所属(フリー)だって?」

「冒険者ではなく旅人だ。当て所ない旅路の中、ここに立ち寄った。それが全てだ」

「旅人、ね……あくまでそれを押し通すつもりなら、仕方ないけど引き下がるよ。けれどファミリアに所属していた事はあるんだろう? 主神の名前くらいは聞かせてくれないか」

「主神はいない。仕えるべき神を見出していないからだ。私に神血(イコル)が宿っていないのがその証明になるだろう」

「……何だって?」

「主神はいない。仕えるべき神を――」

「いや、そこじゃない。君は神血が宿っていないと、そう言ったのか?」

「ああ」

「……つまり、『神の恩恵(ファルナ)』を受けていない……?」

「そうだ」

「いや、それは……」

 

 ありえない、という言葉をフィンは飲み込む。暗い底を覗くような銀の眼は、嘘をついているように見えなかったからだ。“灰”は真剣に言葉を口にしている。

 その瞳にフィンは黙考する。どうすれば【ステイタス】を聞き出せるかだ。

 流すという選択肢はない。【ファミリア】の危機にかこつけて連れてきたのは“灰”を見極めるためだ。深層に突如現れた正体不明の強者、それを何の情報もないまま放り出すなんて【ロキ・ファミリア】団長として許容できない。

 わざわざ団員達に見られる所で尋問じみた事をしているのもそれが理由だ。会話の内容は聞かせないようにしているが、ひょっとしたら団員の誰かが“灰”を知っているかもしれないという可能性を考慮している。

 せめてLv.(レベル)だけでも聞き出さなければ――結論を出したフィンは交渉の定石として断られるだろう要求をする。

 

「…………不躾だが、確認させてもらってもいいかい? 禁則(タブー)に触れるのは分かっている。けれどにわかには信じられない」

「構わない。背を見せればいいのだろう?」

「…………あ、ああ」

 

 特に忌避する様子も無く、“灰”は長すぎる髪を束ねて体の前へ持ってくる。そして上半身の服を脱ぎ、ためらわず背をフィンに向けた。

 頓着の無い一連の所作にフィンは驚いたがそれ以上に、かろうじて骨の浮かばない程度に肉の付いた白い背に、何も描かれていない事に目を瞠った。

 数秒固まって、フィンはリヴェリアに目配せをする。“灰”の行動に目を見開いていたリヴェリアは頷き、側まで近寄って“灰”の背を()めつ(すが)めつ検分する。

 それは数秒だったか、数分だったか。長い時間が経ったような感覚の中、リヴェリアはふらりと後退し、ゆるゆると首を振った。

 

「……ありえない……『(ロック)』を掛けられた痕跡どころか、【神聖文字(ヒエログリフ)】が一文字も見当たらない……間違いなく、『神の恩恵(ファルナ)』を受けていない……」

「…………本当、なのか」

 

 気を抜けばその場に崩れ落ちそうなほどの衝撃を受けているリヴェリアに、フィンはそれが真実であると悟った。そしてそれがどれほど異常な事なのか分かるからこそ、これまで積み上げてきた常識が打ち壊される感覚に手先が冷える。

 二人の様子に“灰”は興味がないのか、黙々と服を着直す。周りでは会話の内容は聞こえずとも明らかに様子のおかしいフィンとリヴェリアを団員達が作業を止めて見守る中、突如轟音が鳴り響く。

 

『――――!』

「何だ!?」

 

 誰かが上げた叫び声に反応するように地響きが強くなる。そして現れる6(メドル)を超える大型のモンスター。芋虫の下半身と女のように見える上半身を持つ、おそらくは先のモンスターの上位種。

 醜く膨れ上がった腹に詰まっているだろう腐食液の量を想像して、小さな悲鳴が周囲から漏れた。フィンの脳裏に様々な考えが過ぎり、指示を出そうとするが――それより早く“灰”が動く。

 

「っ! 待て!」

 

 フィンの制止を聞かず、“灰”は飛び上がった。一足で女体型のモンスターの上空へ飛び出した“灰”は既に取り出した杖から【白竜の息】を放出する。

 杖から放たれる眩い輝きが女体型のモンスターに接触した瞬間、巨大な結晶となってその場に広がる。モンスターは一切の動きを許されず、結晶の中へ閉じ込められた。

 

「……」

 

 クリスタル状の結晶の中で乱反射する女体型のモンスターの像を見て、“灰”はもう一つ『魔術』を撃つ。【瞬間凍結】と呼ばれる対象を一瞬で凍らせる魔術だ。

 結晶の上に更に氷の山が築かれる。周囲数十(メドル)の木々ごと凍らせた後、着地した“灰”は飛び下がり、フィンの下へ戻った。

 

「失敗した」

 

 一言、そう言い添えて。

 

「体液まで結晶化させられなかった。死ぬ手前で凍らせたが、融ければ爆死するだろう」

「……想像したくもないね。こっちの被害も思ったより大きいみたいだ。……仕方ないけど、撤退かな」

 

 ついで飛び出すフィンの指示に不満を上げる団員も居たが、いつ爆発するか分からない爆弾を前に悠長な真似はしていられない。精鋭の【ファミリア】らしく機敏な動きで撤退する。

 その中で全く動こうとしない“灰”に、フィンは声を掛けた。

 

「助けられたのはこれで二度……いや、三度目だ。改めて、礼を言っておくよ」

「助けたわけじゃない。敵を倒しただけだ」

「一辺倒だね、君は。まるでそれしか知らないみたいだ」

「正確ではない。これ以外を忘れ去っている」

「……何にせよ、【ロキ・ファミリア】としてきちんと礼をしないわけにはいかないんだ。こちらの都合で悪いが、一緒に本拠(ホーム)へ来てくれないかい?」

「…………」

 

 フィンの言葉に“灰”は押し黙り、初めて表情を変える。顔を伏せ、凍てついた太陽のような銀の眼を薄く削り、何かを思案するように。

 数秒それを続け、“灰”は顔を上げる。

 

「所用がある。長くは付き合えない。それで良ければ同行しよう」

 

 フィンと向き直り、“灰”は無表情に戻った顔でゆっくりと頷いた。

 

 そして時は戻り、【ロキ・ファミリア】が遠征から帰還する道中。逃がしてしまった『ミノタウロス』の群をどうにか殲滅した彼らは、再び合流し帰路を進んでいく。

 

「ねえねえ、ティオネ。あの“灰”って人が来てから、団長たちの様子おかしくない?」

「そうね……たぶんだけど、アイツの【ステイタス】がよっぽどヤバかったんだと思う」

「え? なにそれ、どういう事?」

 

 アマゾネスの少女、ティオナは隣にいる姉に問いかける。腕を組んで豊満な胸を強調するティオネは思案顔で、前を歩く“灰”を眺めていた。

 疑問の声を上げるティオナにティオネは続ける。

 

「ラウル達から聞いたんだけど、私たちがあのモンスターを一掃した魔法の結晶を調べてる間に、“灰”は団長とリヴェリアに【ステイタス】を見せたらしいのよ」

「ええーっ!? 【ステイタス】を他の派閥(ファミリア)に見せるって、普通やらないでしょ!? なんで!? なに考えてるの!?」

「知らないわよ。団長との話は聞こえなかったって言ってたし。唐突に服を脱いで【ステイタス】を見せたらしいわ、衆人環視の中でよ?

 ほんと、なんでそんな事したのかしらね」

 

 “灰”が行った常識外の行動にアマゾネス姉妹は二人して“灰”に視線を向けた。それを察している筈だが、“灰”は何の反応も示さず黙々と歩いている。

 そんな灰髪の存在に、もう一人視線を投げる人物がいた。

 【剣姫】、アイズ・ヴァレンシュタインである。

 

(……()()()、“灰”……さん、は剣を持ってた)

(ただの魔道士じゃない……?)

 

 一見して“灰”と同じように歩くアイズは先の出来事を思い出す。

 『ミノタウロス』の群が現れて戦い、半数ほどが逃げ出してしまった出来事。アイズは上層へ逃げるミノタウロスを追っていて……その中にいつの間にか“灰”の姿があった。

 “灰”はアイズを追い抜いて走っていた。その手に杖ではなく、細身の剣を携えて。迷う事無く進む姿にアイズもつられ、ついていけば今まさに新米の冒険者へ腕を振り下ろさんとするミノタウロスが居た。

 アイズが第一級冒険者の敏捷をいかんなく発揮し、瞬時にミノタウロスの両腕を切断する。そして止めを刺そうとしたところで――“灰”が既に魔石ごと心臓を斬り裂き、牛頭の脳髄を貫いていた。

 そして“灰”が知り合いらしき白髪赤目の冒険者を起こしたところで……なぜかアイズを見た冒険者は顔を真っ赤にして逃げ出してしまった。

 怖がらせてしまったかとアイズは落ち込むが、今はそうじゃないと首を振る。気になったのは、アイズと同時に剣閃を叩き込んだ“灰”だ。

 

(……あの人は、ついてきた。私の速さに)

 

 オラリオにおいて頂点を二分する【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者。それもLv.(レベル)5の中でベートについで速度に秀でたアイズに、“灰”は軽々と追いついたのだ。

 それだけでなく、剣の腕も達者だ。少なくとも並みの冒険者に引けはとらない、それだけの剣圧をあの時感じた。

 

(あの人は……強い)

 

 “灰”が何者かは分からない。その強さも、まだ未知の部分が多いように感じる。それがアイズには気になって仕方がなかった。

 そしてそういった視線は周囲にも波及する。レフィーヤ・ウィリディスを筆頭としたアイズを慕う者達や、フィンと“灰”の会話を見ていたラウル達団員。無視しているのはベートくらいで、第一級冒険者が注目している故か、広がり方はいっそ驚異的だ。

 フィンやリヴェリア、ガレスはその空気を感じ取っているものの、止め切れるものではない。そんな中で“灰”はやはり変わらず、思考の見えない瞳で歩いていた。

 遠征に現れた未知のモンスターと、未知の冒険者。到達階層を伸ばせなかった事も相まって【ロキ・ファミリア】は妙な空気を抱えたまま、地上に帰還した。

 

「――おっかえりぃいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 

 そして、“灰”は邂逅する。

 【ロキ・ファミリア】主神。天界きっての悪戯者(トリックスター)

 朱色の髪を束ねたお調子者の女神――ロキと。

 

 

 

 

『道など、ありはしない』

『光すら届かず、闇さえも失われた先に』

『何があるというのか』

『だが、それを求める事こそが……』

『幾多の者が、この地にすら辿りつけず』

『そしてここですら、道半ばに過ぎない』

『お前は果たして、それに足る者か――――』

 

 遠く歪んだ記憶の中で、“灰”は確かにそう問われた。

 それに何と答えただろう。あるいは、何も示さなかったのか。

 “灰”はもう忘れてしまったが、あれからも歩みを止めず、足跡(そくせき)は連綿と紡がれている。

 最も近い記憶は、ダンジョンの奥底から這い出した時だろう。迷宮都市オラリオ、その(くびき)から解き放たれた“灰”は、一点を目指し歩み出す。

 その場所を選んだ理由は、きっと“灰”が亡者だったからだ。闇の時代を放浪する中、喪い続けた人間性。誘蛾のようにそれに惹かれ、故にそこへ流れ着いた。

 

 多くの死が積み重なる場所へ。

 多くの願いが踏み(にじ)られた場所へ。

 多くの神の残滓が、吹き溜まる場所へ。

 

「…………」

 

 ああ、“灰”に感慨はない。無感動に受け入れられる程度には、その光景に見飽きている。壊された営みと、積み上がる亡骸と、生の息吹なき大地と。

 そして――光を裂いて黒く荒ぶる、対の瞳なき『隻眼の竜』と。

 

「…………」

 

 “灰”に感慨はない。“竜狩り”など、それこそ彼の裏切りの白竜ほどに繰り返してきた。恐れなど、数多の死の沼に溶けて消えた。

 “灰”は歩む。その先に如何なる絶望が待ち構えていようと。世界を廻す節理と悪意に、どれ程打ちのめされようと。

 立ち塞がる全てを討ち果たしてきたからこそ、“灰”は今も在るのだから。

 いずれ必ず、討ち果たすだろう。

 “灰”は、それを使命とした。

 

 

 

 

 ベル・クラネルが最初に“灰”と出会ったのは、まだ祖父が生きていた頃だ。

 難しい顔をした祖父に連れられたか細い人間(ヒューマン)。幼少のベルにはそう見えた。

 

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

 

 最初の言葉はそれだ。これ以降、ベルから話しかけないと“灰”は沈黙したままだった。ベルはどう接したものかと困ったがそれは祖父も同じようで、とりあえず祖父の呼び方を真似して“灰”を「アスカ」と呼ぶようになった。

 アスカは妙な人物だった。日がな一日太陽を眺めていたと思えば、次の日は地下室に閉じこもったり、急に農業を手伝い始め、目を放したら森に採集しに行っていたりする。

 ベルは幼い心でアスカはしたい事だけをする性格なのだと評した。それを許されるアスカを羨ましいと思う反面、ずっと祖父に見られているのは嫌だなとも思った。

 

 ベルは祖父の語る英雄譚が大好きだ。英雄の華々しい活躍と見目麗しい女性との愛の物語が少年の心をいたく刺激した。

 一方で、アスカが口にする物語はあまり好きではなかった。祖父がいないある日、どうしても英雄譚が聞きたくてついねだってしまった時、聞かされた物語だ。

 暗く陰鬱で、救いのない物語。ただ敵と戦い続けるだけの伝承は、幼少のベルにとっていっそ恐ろしさを伴っていた。

 けれど少しだけ、気に入っている部分もあった。どんな敵に相対しても、絶望に折れぬ戦いの物語。言葉から紡がれるその姿が、小さな憧憬(しょうけい)となってベルの心に溶けていった。

 

 ある日の夜、アスカは村に侵入してきた獣を討ち取った。村の入り口に近かったからか、ベルとアスカしか知らない事だ。

 その時の光景は今も鮮明に思い出せる。物語でしか聞いた事のないような見えない一閃、離れる獣の首と体。

 そして血に濡れた、アスカの横顔。

 それをベルは、忘れる事ができない。

 

 祖父の死後、一年が経とうとした頃にアスカは唐突に姿を消した。理由は分からなかった。

 

「まさかオラリオ(ここ)で会うなんて、思ってもみなかったなあ」

 

 ギルドからの帰り道。ダンジョンから一直線に血塗れで駆け込み、アドバイザーに散々雷を落とされた少年、ベルは夕焼けの中ひとり呟く。

 ベルはアスカの事を家族のように思っている。そう呼ぶには、少々心の距離が離れていたけれど。でも祖父を亡くした今となっては、血の繋がりがなくとも唯一の肉親と言ってよかった。

 アスカが姿を消した時、ベルは寂しかった。ただそこにいるだけのような人だったけれど、祖父が死んだ時、悲しみに暮れるベルを支えてくれた……ように思う。

 

「無口な人だったからなあ、アスカさん」

 

 苦笑するベルは、オラリオに来るきっかけもアスカの失踪だった事を思い出す。前々から冒険者になろうと思ってはいたが、アスカがいなくなり一人でいるのが寂しくなったのも、村を出る事を後押しした要因だ。

 

「ダンジョンに居たって事は、アスカさんも冒険者なんだよね?」

 

 そう思うと、ベルはなんだか嬉しくなった。あの獣狩りの夜はベルとアスカの二人しか知らない事だけど、その時の月下に剣を振るうアスカの姿をベルは忘れられない。

 まるで英雄の物語のような一場面(ワンシーン)。冒険者となった自分もいつか、ああなれるのだろうかとベルは夢見て、ふと、違和感が浮かび上がる。

 

「あれ……? なんであの時、アスカさんは剣を持ってたんだっけ?」

 

 ベルの家に剣の類はなかった。武器に出来そうなのは農具くらいだ。でもアスカさんは確かに剣を持っていて……とベルが考えている内に、街はずれの廃教会へと辿り着く。

 ベルは考え事を打ち切り、神様の待つ廃教会へと入っていった。

 

 次の日の夜。朝に出会った『豊饒(ほうじょう)の女主人』の店員から朝食を貰い、いつも通りダンジョンに潜り、明らかに異常な【ステイタス】の上がり方に瞠目し、なぜか神様の反抗期にあってしまったベル。

 どうにか神様の反抗期から立ち直り、『豊饒(ほうじょう)の女主人』を目指して街中を泳いでいたら、不意に外套のように長い灰髪の後ろ姿を見つけた。

 

「アスカさん!?」

「……ベルか。また会ったな」

 

 地面につかないよう適当に束ねて結ばれた灰髪が振り向く。凍てついた太陽のような銀の半眼に貫かれ、ベルは少したじろいだ。

 

「お、お久しぶりです!?」

「……そう畏まるな。貴公と私の間柄だ」

「そ、そうで……そうだね、アスカ、さん。本当に……本当に、久しぶり!」

 

 あたふたと慌てるベルは静かに擦り鳴らされる声に落ち着き、満面の笑顔を咲かせる。実際は別れて一月程度しか経っていないが、それでもベルには嬉しい再会だった。

 二人はしばらく会話を交わしていたが、立ち話もなんだとベルが一緒に夕食を食べないかと誘う。アスカは平然と頷き、ベルに連れられて『豊饒の女主人』へと足を踏み入れた。

 

「冒険者さん! 来てくれたんですね! ……えっと、そちらの方は?」

「えっと、この人は僕の家族みたいな人で……」

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「え? は、“灰”、さん……ですか?」

「ええっと! 気にしないでください! ちょっと変わってるっていうか、天然が入ってるっていうか、とにかくそういう人なので!」

「は、はあ……」

 

 困惑する店員、シルに弁明しながら、ベルとアスカは店内に入る。シルと同じく美女美少女がせわしなく働くのに免疫のないベルが顔を赤くする横で、アスカは平然としていた。

 恰幅のいい女将とのやり取りをして、カウンター席の端に二人は落ち着く。ちょうどベルは店の奥、カウンター席の角で、アスカは角を挟んだ隣だ。

 しばらくして、二人の目の前に食事が置かれる。ベルは値段をしきりに気にしていたが、アスカはやはり平然とそれに手を付けるのだった。

 しばし食事の美味さを黙々と味わい、ベルがぽつりと零す。

 

「……アスカさんは、なんで急にいなくなったの?」

「野暮用でな。旅に出ていた」

「旅? それって、一年に一回くらいアスカさんがやってた?」

「ああ。用が済めば村に戻るつもりだった」

「そ、そうなんだ。……それじゃあここで会わなかったら、アスカさんは誰もいない家に帰ってたのか……僕、悪い事しちゃったかな」

「そうでもない。貴公の居場所が、私のあるべき(ところ)だ。たとえ今日袖をすり合わずとも、私は貴公を追ってここに来ていただろう」

「そうなの? でも、どうして?」

「それが貴公の祖父の、最後の頼みだったからな」

「……お祖父ちゃんの……」

 

 二人の間に、しんみりとした空気が流れる。それを打ち消すようにシルが現れ、会話が弾み――そして、彼らはやってきた。

 遠征帰りの【ロキ・ファミリア】の面々だ。

 

「うひぃっ!?」

「貴公、情けない声を上げてどうした」

 

 周囲の客もざわつく中、アイズの姿を見つけて一気に赤面するベルに、平坦な調子でアスカが問う。ベルは答えず、角の更に隅の方へ体を隠した。

 

「す、少しの間盾になってください!?」

「……いいだろう。私にそれが務め上げられるとは思わないが」

 

 ふるふると震える子兎のような情けない姿に、アスカは眼を細める。やがてロキが音頭を取り、喧騒が一層大きくなった。

 ベルは隠れながらも、アスカの体を盾にちらりちらりとアイズに視線を送っていた。向こうは気付いていないのか澄ました顔で、けれどどこか楽しそうに宴会に参加している。

 アイズに視線を向けるベルの顔は、英雄に憧れる子供のそれだ。おそらくはアスカが『ミノタウロス』をアイズと共に倒した時、アイズに憧憬(しょうけい)を抱いたのだろう。

 その割には先にアスカに気付き、アイズを見た瞬間逃げ出したので、あるいは邪な情かも知れない。一目惚れを、そう呼ぶのならだが。

 アスカはベルを見遣りつつ、食事を終える。そしてベルに声を掛けた。

 

「ベル。私はそろそろ出るが、貴公はどうする?」

「えっ!? も、もう食べ終わったの!?」

「貴公が手を付けていなかっただけだろう。久々の再会だ、支払いは私が持つ」

「そ、それは流石に悪いよ、アスカさん!」

「気にするな」

 

 ベルが断ろうとしたがアスカは既に硬貨を取り出し女将へ支払った。ベルはそれでもアスカへお金を渡そうとしたが、暗い半眼に射抜かれてすくみ、しぶしぶ懐へ戻す。そして立ち上がろうとするアスカを引き留めて、量の多い食事をなんとか平らげるのだった。

 

「はあ~……もうお腹いっぱいだ」

 

 『豊饒(ほうじょう)の女主人』を後にした二人は、人気もまばらになりつつある夜道を歩いていた。隣には灰髪を揺らすアスカがいる。

 

「美味い店だった」

「そうだね、ほんと美味しかった……また行きたいなあ、僕にはまだまだ高いけど」

「貴公が望むなら、次からも私が支払いを持とう」

「いやいや、これ以上は頼れないよ! 自分の食い扶持くらい自分で稼ぐって! 僕だってもう冒険者だし!」

「そうか。時にベル、貴公はアイズ・ヴァレンシュタインに惚れたのか?」

「ひょっ!?」

 

 アスカの唐突な言葉にベルは素っ頓狂な声を上げる。ついで顔を真っ赤にして人差し指を胸元で合わせ視線をふらふらとさまよわせる。

 

「ほ、ほほほほ、惚れたって、ヴァ、ヴァレンシュタインさんに、ぼぼぼ僕が!?」

「そうだ。そう聞いている」

「いやっ、そのっ、何ていうかっ、惚れたっていうかっ、冒険者として憧れてるっていうかっ!? そりゃすごく綺麗だし、髪もサラサラでいい香りもするしって違くてッ!?

 アイズさんに邪な気持ちなんて全然ッ! そう全然持ってないですッ!?」

「そうか。アイズ・ヴァレンシュタインとの性交(セックス)を望み、子供を欲しがっていると思ったのだが、違ったか」

「セッッッッッ!? 子供ぉおおおおおっ!?」

 

 あまりと言えばあんまりな直球発言にベルはその深紅(ルベライト)の瞳よりも真っ赤に茹で上がる。ついに言葉を失いパクパクと俎上の魚のように口を開閉する事しかできなくなったベルは、今にも破裂しそうな心臓を落ち着けるために壁に手をついてぜえぜえと息を荒げた。

 アスカはどこ吹く風と言わんばかりに無表情でベルを眺めている。そのまま数分棒立ちして、ベルが落ち着いたところで、熱の無い声で言った。

 

「ベル。貴公はなぜ冒険者になった」

「え? えっと、それは……え、英雄になる……ため……?」

「その真実味を、貴公からは感じられない。建前ではなく本音を話せ」

「……その……ダンジョンに、出会いを、求めて、です……はい……」

「その出会いが、アイズ・ヴァレンシュタインであったと?」

「そ、そんな滅相もない! 僕なんかが、ヴァレンシュタインさんと、釣り合う、訳が……」

「……ああ、そうだな」

 

 尻すぼみになるベルの言葉をアスカは肯定する。それに言い返せず、顔を地面に向けるベル。アスカはそれを銀の瞳に映して――はっきりと断言した。

 

「冒険者を辞めろ、ベル・クラネル」

「え――――」

 

 顔をあげて、どうして、と。言葉なく問いかけるベルにアスカは途切れぬ晩鐘のように語る。

 

「貴公は冒険者ではない。何処にでもいる、ただの若者だ」

「ぼ、冒険者じゃないって……でも、僕は!」

「職業の話ではない、貴公の心の裡の話だ。貴公は、心の底から冒険者に成り切れていない」

「そんな事っ……!?」

 

 反論しようとしたベルは、鋭さを増す暗い銀の輝きに言葉を失う。それは獣狩りの夜に見た、血塗れの“灰”が灯した光だ。

 

「貴公はどこかで甘えている。己の力ではどうにもならない敵と相対した時、何処かの誰かが倒してくれると心の裡で期待している」

「ち、違っ……!」

「あの時もそうだった。私が貴公を助けた時、その眼に宿っていたのは立ち向かう気概と剛毅ではなく、生を拾った安堵と怯えだった。

 それは冒険者の心ではない。力なく、何も変えられはしない弱者のそれだ」

「っ……」

「貴公は言ったな、アイズ・ヴァレンシュタインとは釣り合わないと。その通りだ、貴公はアイズ・ヴァレンシュタインに釣り合わない。憧憬(しょうけい)を抱いているのだろうが、貴公は追いつこうとすらしない。ただ立ち止まり、光に目を眩ませている」

 

 呆然とするベルを前にアスカは止まらない。凍てついた太陽の瞳を絶対零度に閉ざし、ベルを心ごと突き殺さんがばかりに言葉の刃を突きつける。

 

「貴公は弱い。その身も脆弱ならば、その心は惰弱だ。高みを目指す気概も無く、並び立とうとする意志もない。

 卑小で浅ましく、ただ前を見て満足するだけの弱者。それが貴公だ――ベル・クラネル」

「……僕、は……」

「私とまみえたあの日から、貴公は何も変わらない。ただ純真で、それだけの若者だ。

 冒険者を辞めて村に帰れ。田畑を耕し、村娘を娶り、子を為し、静かに老いて逝け。

 当たり前のように生き、当たり前のように死ね。

 貴公は冒険者ではない。貴公はそれに釣り合わない。

 貴公はアイズ・ヴァレンシュタインのようにはなれない。

 ベル・クラネルは――英雄になれない。

 故にこそ……せめてもの幸福を得て、死ぬがいい」

「――――――――!!!」

 

 ベル・クラネルは駆けだした。そうせずにはいられなかった。血の繋がらずとも、肉親と呼べるアスカを置いて――夜の帳に消えていった。

 それをアスカは見送った。

 ただ、見送るだけだった。

 

 

 

 

『正しき使命を与えよう』

『神の枷をはずすがいい』

『やがて火は消え、闇ばかりが残る』

『王となり、闇の時代をもたらすのだ』

 

 それこそが、始まりであった。

 真実を語る蛇、王の後見、闇撫でのカアス。

 “灰”の前に現れたそれこそが、“灰”を狂った王へと変えた。

 だがそれは、どの世界の話だっただろう。

 繰り返される火の時代の、どの場所でまみえたのだろう。

 “灰”はもう、覚えていない。あまりに多くを(うしな)い続けた。

 “灰”は喪失者だ。名前も無く、故郷は消え、不死の旅路を辿ってきた。

 その先果てに『隻眼の黒竜』に挑み、敗れ、自らの(むくろ)をまた一つ積んだ。

 『神』と相対したのは、その時だ。蘇生した“灰”の目の前に、その『神』は悠然と佇んでいた。

 

『お主に使命を与えよう』

 

 朗々と響くその声に、従ったのは何故だろう。

 ああ、答えは決まっている。“灰”は喪失者だ。故に使命を求めていた。

 自らの定めた使命では、足りなかったのだ。それではとても、喪ったものを埋められなかった。

 “灰”は『神』の手を取った。共に黒竜に敗れた者、行く末はどの道決まっていた。

 “灰”は『神』に従い各地を放浪した。未踏の地を踏んでは魔性を狩り、終わればまた次の流浪へ。それを繰り返すある日、“灰”は『神』に呼び戻される。

 そして出逢った。あの小さな子供に。

 灰よりも白い新雪の髪と、深紅(ルベライト)の瞳を持つ彼らの系譜に。

 “灰”は出逢い、忘れ果てたものを思い出した。

 世界で唯一、“灰”が(たっと)ぶべきものを。

 “灰”はそれを守るために、『神』と子供の、血の繋がらぬ家族となったのだ。

 

 

 

 

「……不快だったか? アイズ・ヴァレンシュタイン」

 

 ベル・クラネルの消えた路地を見つめながら、アスカは――“灰”は静かに呟く。月明かりの届かない闇の中から、灰髪の後ろにアイズは現れた。

 “灰”は振り向く事なく、言葉を投げかける。

 

「貴公にとってベル・クラネルは、幼い夢の再現だろう。私はそれを踏み躙った」

「……どうして、あんな事を言ったの?」

「家族だからだ」

 

 伏し目がちに問いかけるアイズに、“灰”は月を見上げて答える。

 

「私はベルの死を望まない。私の手の届かぬ(ところ)で、(むくろ)を晒す事を望まない。家族とは、そういうものだろう」

「……何や、難儀な(やっ)ちゃなあ。そのためにわざわざ自分が悪役になってまで罵倒したんか」

「ああ、そうだ。ロキ」

 

 アイズが出てきた所と同じ建物の影から朱髪糸目の女神、ロキが頭の後ろで手を組んで歩いてくる。“灰”はやはり、視線を向けない。

 飄々とアイズの隣に立ったロキは、どこか興味なさげな顔で言う。

 

「しっかし、目ぇ掛けてる言うから見に来たんやけど、確かにありゃ冒険者じゃないなぁ。

 『器』やぁない。自分の事もまるで分かっとらん洟垂(はなた)れの小僧やんか」

「貴公の言う通りだ。確かに『器』ではない」

 

 「でもちょっと可愛いヤツやったなあ」と残念そうに口にするロキの評価を“灰”は静かに肯定する。

 

「ベルはまだ、夢を見ている。言葉も足らぬ(わらべ)のように。それでは行く末も知れている。

 なればこそ現実を教え、せめて幸福な最期を遂げるべきだ」

「……あんな言い方は、しなくてよかった」

 

 空を見上げたままの“灰”にアイズは一歩言葉を差し込む。「アイズたん?」とロキが首をかしげるのも構わずにだ。

 

「あの子に幸せでいてほしいと思うなら……きっと、他の方法もあった」

「そうでもない。少なくともベル・クラネルにとっては必要な事だ」

「……でも……」

「感傷か、アイズ・ヴァレンシュタイン。貴公のそれはベルにではなく自分に向けられたものだ。貴公の胸に未だ留まる残滓(ざんしょう)への慰めに過ぎない」

「っ……」

 

 言葉に詰まるアイズ。なおを空を見上げる“灰”。その間にロキは割り込む。

 

「あー、ちょい待ち。自分、訳知り顔でずけずけ言いよるけど、アイズたんの何を知っとんねん」

「何も。だが見えるものはある。他ならぬ(ロキ)ならば、それが分からない筈もない」

「せやけどそれが全部って訳やない。あんまりうちの眷族()苛めんなや」

 

 糸目の隙間から胡乱気な光をロキは揺らす。それにひるむ様子も無く、“灰”は夜空に首をもたげたままだ。

 やはり、分からないと。ロキは心の中でため息をついた。

 

 ロキが“灰”に出会ったのは、家族(ファミリア)が遠征から帰った後だ。

 団員達を労ったあと、フィン、リヴェリア、ガレスに連れられて来た灰髪を引き摺る謎の人物――ロキの最初の評価は、小汚いであった。

 髪は手入れされておらず、乱雑に絡み、地面に引きずられている。体の大半を隠すそれは灰色の外套のようで、一見して乞食だと思わなくもない。

 その間からかろうじて見える服は薄汚れていて、何の変哲もないボロ布だ。肌は白く、生気のない死人のようで、凍てついた太陽のような銀の瞳がただただ暗く輝いていた。

 そんな人物を連れてこられたロキにしてはまるで意味が分からない。そして固い面持ちのフィンに説明を受けてますます分からなくなった。

 

 ダンジョンの深層、51階層で出会った謎の人物。

 来歴不明、名称不明、派閥(ファミリア)不明。扱う魔法も出自不明。

 能力は第一級冒険者に劣らず、それでいて全く無名の冒険者。

 本人曰く旅人で、旅の途中にダンジョンに立ち寄ったという意味不明な言い訳。

 新米の冒険者に家族がいて、これから目を掛けるつもりだと言うどうでもいい発言。

 極めつけは――『神の恩恵(ファルナ)』を受けていないという、前代未聞の不可解存在(ミステリアス)

 流石に最後のはありえないと一笑に付したが、実際に()()()()()を実演され、背中を見せられてはさしものロキも絶句するしかなかった。在り得る筈のない存在が、彼女の目の前に現れたのだ。

 そして唐突に、過去と現在の糸が結ばれたようにロキは思い出した。

 ロキがファミリアをオラリオの頂点に押し上げた時に流れていた、一つの噂。神々の間で面白おかしく、だがまことしやかに囁かれていた話。

 何度死しても黒竜に挑んだ――不死身の冒険者の物語を。

 

(……あん時は、それを確かめるだけで終わってしもうた)

 

 ロキは内心で歯噛みする。不死身である事と黒竜に挑んだ事を肯定した所で、“灰”は時間だと言って早々に去ってしまった。まだ礼も満足に言えてなかったロキ達は勿論止めようとしたが、ロキ達の知識の埒外――《静かに眠る竜印の指輪》と【見えない体】によって振り切られてしまう。

 もっと聞くべき事があったと後悔しながら、残った四人で顔を突き合わせてそれはもう悩んだものだ。

 “灰”は明らかな異常存在(イレギュラー)だ。その話がどこまで本当なのか、()()()()()()()()()という一点においても。どんな些細な情報でも集めて監視すべきだと、【ロキ・ファミリア】上層部は満場一致で意見を合わせた。

 『豊饒(ほうじょう)の女主人』で見かけたのは本当に偶然だ。見つけた瞬間危うく噴き出しそうになったロキは、表面上はいつも通りに音頭を取り、“灰”とその連れが店を出たタイミングで酒に酔ったと嘘をついて来たがっていたアイズと共に追いかけた。

 

(今がチャンスや。何が何でも、聞き出さなアカン事がある)

 

 ロキは消沈するアイズを労わりつつも、鋭い視線を“灰”に向け。

 

「――気に入らねェ」

 

 口を開こうとした瞬間、苛立つ狼の声が割って入った。

 

「ベート!? ついてきとったんか!?」

「ベートさん……」

 

 ロキが驚きの声をあげアイズが目を見開く中、“灰”が見上げていた空の近く、建物の屋上から狼人が降りてくる。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】、ベート・ローガだ。

 

「……ふむ。貴公、苛立っているな。私にか? それともベルにか?」

「……てめえにだよ、“灰”野郎」

「ああ、それならば私の眼にだろうな。貴公からすれば、私の眼ほど神経を逆撫でるものもあるまい。それと悪いのは、私の態度か。

 だがこればかりは、どうしようもない。許したまえよ、ベート・ローガ」

「っ……!」

 

 ギリッ、と牙を軋らせベートは憤怒の形相で“灰”の襟首を掴み上げた。“灰”はそうされてようやく彼らに眼を向ける。

 凍てつく太陽のような暗い銀の輝きを。

 敬意も敵意も感じられない、(むし)を見下ろすような底冷えする瞳を。

 冷たい谷のような色に射抜かれて、けれどベートは激昂した。

 

「ざけんじゃねえぞっ……! てめえは俺たちを『雑魚』だとすら思っちゃいねえ! 鬱陶しい小バエか何かみてえに思ってやがる!

 あの時もそうだっ! てめえが俺たちをモンスターごと吹っ飛ばそうとした時も、石ころ見るような眼ぇしやがって!

 イラつくんだよ!! 俺を――俺たちを見下すんじゃねえ!!」

 

 “灰”の胸元で握られる拳と、灰毛逆立つ狼の咆哮。大気を喰らう裂帛(れっぱく)が“灰”の体と周囲の建物を揺らす。

 それでも“灰”は変わらずに、暗い瞳で平然と話す。

 

「ああ、許したまえよ、ベート・ローガ。永く生きると、見え過ぎる。何処(どこ)彼処(かしこ)海嘯(かいしょう)のようで、あまり区別がつかんのだ。

 この星空に蠅と竜が居たところで、どちらも等しく点に過ぎない。それと同じだ。私からすればただそうであり、見下してなどいないのだよ」

「ハッ、じゃあ何だ、てめえは何でも同じに見えるってか? 俺も(ロキ)も、第一級冒険者(アイズ)新米(あのガキ)も、全部まとめて石ころみてぇに思ってるってか!?」

「否定はせんよ。そうせざるを得ない生き方をしてきた。今更、変えられるようなものでもない」

「――クソ野郎が」

 

 ギチリとベートが牙を剥く。狼人に巡る激憤がまるで圧を発したかのように風が吹き荒れる。

 怒りを滾らせるベートを見て、アイズは動こうとした。このままでは“灰”に手を出してしまうかもしれない。個人として、【ロキ・ファミリア】の一員として、それは許されないとベートを止めようとして――ロキがアイズの肩に手を乗せる。

 振り向けば、ベートを信じろと、薄く開かれた朱色の目が言っているような気がした。主神に止められたアイズは、少し逡巡して、動かず場を見守る。

 

「――何なんだ、てめえは」

 

 今にも爆発しそうな雰囲気のまま、ベートは“灰”を睨む。“灰”はやはり起伏なく、繰り返した答えを返す。

 

「旅人だ」

「そうじゃねえ! ()()()()存在(もん)()()()()()()()()

 てめえはまるで得体が知れねえ。(つえ)えのか(よえ)えのかも分からねえ。気持ち(わり)いくらい何も見えねえし見させねえ癖に、こっちばっかりジッと見てきやがる。

 ()()()()()()()()()()()でウゼぇんだよ! 鼻が利かなくてしょうがねえっ! てめえみてえなヤツなんか、それこそ神々(バカ)連中の中にもいなかった!

 そらすんじゃねえよ、ちゃんと答えやがれ! てめえは――()()()()()()!?」

「…………」

 

 渾身の咆哮でもって問いかけるベート。瞠目するアイズと、期せずして聞きたかった事を代弁したベートに心中でガッツポーズをするロキ。

 “灰”は、そこで初めて表情を変えた。生白い月のように呆けた顔をする。そして眼を何度か(しばたた)かせて――クツクツと、掠れた笑い声を擦り鳴らした。

 

「……何笑ってやがる」

「いや……いや。貴公を笑っているわけではない。ただ、そんな事を聞かれるとは思わなかった。よもや私が、私自身の事を問われるなど……久しく、いや、この生涯になかった事だ」

「あぁ?」

「私がどのような誰であれ、関係はなかったという事さ。望もうが望むまいが、その『器』ならば()べられる。我らの使命は、そういう呪い(もの)だった」

「……言ってる意味が分からねえ」

「ああ、すまない。こういうのは初めてだから、上手くできるか分からないが――貴公の期待に応えられるよう、どうにか言葉を紡いでみよう」

 

 「その前に降ろしてくれ」と笑う“灰”に少し毒気を抜かれながら、ベートは胸元から手を放す。“灰”はなおも笑いながらよれた衣服を()め直し――遠い日々を思い返すように、瞳に憧憬を(はし)らせた。

 

「さて……では、私について語ってみようか。

 私に名前はない。ただ“灰”と呼ばれている。

 私は不死だ。死ぬ事がない。

 私は(うつわ)だ。無限のソウルを呑んできた。

 私は灰だ。火に寄る辺なく、闇に吹き溜まる暗い魂だ。

 私は王だ。火の時代の終わりに芽生えた、最後の薪の王。

 そして私は、狂王だった。私が火の時代を――終わらせたのさ」

 

 月下、一柱の神と二人の眷族()を前に――“灰”は、(かす)かに微笑んだ。

 

 

 

 

『世界とは、もとより悲劇だ』

『分からないか』

『本当は誰も望んではいないのだ……』

 

 それはもう、“灰”が忘れ去った記憶。

 『最初の火』が(おこ)った黎明期。闇より生まれた幾匹かが、『王のソウル』を見出した。

 最初の死者、ニト。

 太陽の光の王、グウィン。

 火の魔女イザリス。

 そして――誰も知らぬ小人。

 “灰”は、誰も知らぬ小人の一人だった。古竜が滅び、火の時代が始まる中、密かに、だが不屈をもって闇の到来を待ち望んだ。

 大王グウィンはそれを恐れた。誰も知らぬ小人とその子孫たちを恐れ、末娘フィリアノールと共に輪の都へ閉ざした。

 いつか迎えを寄こすと約して。

 だがその時は決して訪れなかった。

 

 “灰”の前に真実を語る蛇が現れたのは、グウィンが最初の薪の王となって千年も後だ。

 “灰”は憤った。グウィンの謀略を、神が人に与えた欺瞞の使命を。矮小な身の上で、不相応に怒り狂ったのだ。

 そして“灰”は、狂王となった。

 本来ならば、“灰”はそこで終わったのだ。“フィリアノールの騎士、シラ”の手によって屠られ、滅ばぬ(はりつけ)となる筈だった。

 だが――“灰”は逆に討ち倒した。死を忘れさせる刻印が、数多もの己の屍の果てにシラの命を奪い去った。

 “灰”は狂王だ。ただひたすらに狂っていた。そしてもはや、止める者はいなかった。

 “灰”は小人の王たちを貪った。闇を喰らう古竜をも喰らった。大王の愛しい末娘を殺し漁った。王女の眠りを守る勇士たちも、火を穿たれながら都を守った騎士たちさえ、例外ではなかった。

 強大な存在を次々失った輪の都はやがて均衡を失い、崩れ、莫大なソウルとなった。それすらも“灰”は呑み干し――そして因果が、崩壊した。

 

 “灰”は繰り返される火の時代に囚われた。それでもなお狂っていた。

 亡者も英雄も区別なく、ソウルをかき集め、喰らい、肥大した。幾度も幾度も火の時代を繰り返し、何ともつかぬ膨れ上がったソウルの塊になった“灰”は、その最果てに最後の薪の王となった。

 だが、“灰”は狂王だ。火継ぎをせず、火の時代を終わらせる。

 正気を失った“灰”は共にあった火防女(ひもりめ)を踏み躙り――消えかけた『最初の火』を我が物とした。

 全ては火の時代に抗わんがために。闇の時代をもたらさんがために。

 “灰”は『最初の火』を手に入れ――そして真に発狂した。

 『最初の火』に照らされた『王のソウル』――『ダークソウル』が深海に達したのだ。人間性と記憶は深海に溶け、二度と浮かび上がる事はなかった。

 残ったのはソウルと、僅かな記憶、枯れた人間性ばかりだった。火の時代に抗わんとした妄念すら忘れ去った“灰”は、喪失者となり闇の時代を彷徨った。

 そして永い、あまりに永い旅路の果てに――“灰”は分かたれた世界へと辿り着いた。

 大地に穿たれた深い穴に蝕まれた世界に。その中心とも言われる、迷宮都市オラリオに。

 それは今から、15年前の出来事だった。

 

 

 

 

「……つまり、話をまとめるとや。神々(うちら)でも知らんような(ふっる)ーい時代から、ずぅーっと生き延びてきた不老不死(ティーターン)()()()――それが自分っちゅう訳やな?」

「ああ、その認識で構わない。私自身、忘れた事の方が多い。口にこそするが、当てにならない情報も多いだろう」

「まあ、突っ込みどころ満載やったしなあ。話は虫食いだらけで訳分からんし、『最初の火』だの『薪の王』だの、聞いた事ない単語ばっかりやし。ちゅうかグウィンとか誰やねん、知らんわそんな神!」

 

 ベチッ、と隣に立つベートにノリツッコミを入れる(ロキ)。ベートはイラッとするも、ダメージはないので無視する。今はロキよりも“灰”に関心があった。

 憤怒を抑え、静かに睨んでくるベートに“灰”は元の無表情を向ける。

 

「私が口にできる事は全て話した。これ以上は、()()を見せる以外に証明の手段もない。あとは貴公の、受け取り方次第だ」

「……てめえがぶっちぎりでイカれてるってのだけは分かった。こんな話、信じられるわけがねェ」

 

 吐き捨てるように言って、ベートは静かに吼える。

 

「けどよォ、一つだけ言うんなら――てめえは()()()()()()()()()()』だ。間違っても俺たちと対等にはなれねえ、一生地面を這い(つくば)ってるだけの野郎だ」

 

 ベートは断言する。“灰”は決して、高みにはいないのだと。

 どれ程の戦いを経ようと、どれ程のソウルと呼ばれる何かを得ようと。

 “灰”は“灰”だ。所詮風に崩れ去る砂粒でしかない。

 そう、言葉に籠めるベートの意志を、“灰”は当たり前のように肯定する。

 

「そうだな。私は決して強者ではない。語った事も、全てが私の意志の下で行った事ではない。

 それ以外に道はなく、何があろうと前に進み続けるしかなかった。(ひとえ)に不死があってこそ、遂げられただけだ。

 だから私は旅人なのさ。ただ前に進むだけの――それだけの不死だ」

「…………ちっ」

 

 暗い銀の半眼を僅かに揺らして、“灰”は答えた。ベートはその瞳を自らの眼に捉え、見定め……舌打ちをして踵を返す。

 

「ベート、どこ行くん?」

「決まってんだろ。帰るんだよ」

「……ええのか?」

「良いも悪いもねえ。俺ぁ、雑魚(ザコ)をいたぶる雑魚(クズ)じゃねえ。そいつは『雑魚』だ、かかずらってる暇なんかねえんだよ」

 

 問いかけるロキに吐き捨てて、ベートは去っていく。その前に“灰”を一瞥し、牙を剥いた。

 

「もうその面を俺に見せんな。あのガキみてえに巣に逃げ込んで、二度と出てくるんじゃねえ。雑魚は雑魚らしく大人しく巣穴で震えてろ」

「保証はしかねるな。こんな私にも、(たっと)ぶものはある。それのためならば、何をも(いと)わないつもりだ」

「ハッ、下らねえ」

「それと一つ、訂正をしておこう。ベルは本拠(ホーム)に帰っていない。今頃はダンジョンに潜っているだろう」

「……あ?」

 

 そのまま立ち去ろうとしたベートは、“灰”の一言に足を止めた。黙って話を聞いていたアイズが僅かに眼を見開く。“灰”はまた月を見上げて言葉を綴る。

 

「アレは、私とは違う。弱者ではあるが、怯えてばかりではない。純真で、無垢で、真っ直ぐだ。一度こうと決めたら、どこまでも突き進んでいく。

 ()()()()()()()()()()()()()()。それで折れるなら、それも良し。だがきっと、ベルは高みを目指すだろう。そう思ったから、私はベルを否定した。

 まあ、アレは駆け出しだ。己の限界よりも深い階層へ進んで死んでしまうかもしれないが、それも致し方ない事だろう。

 人は、いずれ死ぬものだ」

「っ……」

 

 そこまで聞いて、ベートは足早に夜の闇へと消えていった。アイズはそれに続こうとして、雷に打たれたかのように立ち止まる。ロキは「難儀やなあ」と頭を掻いて、ジロリと“灰”をねめつけた。

 

「自分、矛盾しとるの分かっとるか?」

「家族を見殺しにする、私の行為はそうだろうな」

「家族言うなや、反吐が出る。死ぬかもしれん分かってて何もせん癖に、気取んなやボケ」

「……そうだな。家族など、一つとして持たなかった私が口にすべき言葉ではない。

 だが、アレの祖父に託された以上は、紛い物でもそうしなくては立つ瀬がない。私はこれからも家族(それ)を続けるよ。

 それが私の権利であり、義務だ」

「はっ、勝手にせえ」

 

 「行くで、アイズたん」と言ってロキはずかずかと歩き去る。アイズはハッとして女神(ロキ)の後を追おうとするが、数歩歩いて立ち止まり、月を見上げたままの“灰”を見遣る。

 口を開いては、つぐみ。それを数度繰り返して、アイズはやっと言葉を発した。

 

「……あの子を、どうしたいの……?」

「……先も言ったな。私には(たっと)ぶものがある。

 私は多くを喪い過ぎた。もはや何の感情も浮かばぬほどに。そして失わないものもまた、私の裡に燻っている。

 この世には、喪われるものと失わないものがある。

 一方は人の営み、その全て。

 一方は天の神々と、この世そのもの。

 私はそのどちらにも価値を見出さない。そこに尊厳を感じようにも、私の感性は枯れ果ててしまった。

 だがなおも、私には(たっと)べるものがある」

 

 “灰”は月から瞳を下ろし、己の手のひらをじっと眺める。そこに灯る何かを幻視するように。

 

「あらゆる場所、あらゆる時代を超えて紡がれるもの。担い手を変えながら脈々と受け継がれるもの。誰かが死に絶え、誰かが生まれ、その系譜に流れるもの。

 名も無き者たちが継ぐ物語。まだ見ぬ果てへと突き進む――命の螺旋。

 ただそれのみを、私は(たっと)ぶ」

 

 月下に佇む灰髪の存在。そこから揺らぐ“残り火”を、アイズは見た気がした。

 

「私は、見ていたいのさ。ベル・クラネルの螺旋の先を。そのために私は、血の繋がらぬ家族となったのだ」

「…………」

「話はこれで終わりだ、アイズ・ヴァレンシュタイン。またいずれ、出会う事になるだろう」

 

 “灰”はそれっきり沈黙し、静かな足取りで去っていった。残されたアイズは灰髪の後ろ姿を見送る事しかできなかった。

 

 

 

 

 ベートはダンジョンに潜っていた。

 深い理由はない。ただあの“灰”との会話があまりに荒唐無稽で、その『雑魚』っぷりに苛立ってしょうがなかった。それを晴らすためにダンジョンに潜った。ベートは言い訳するように理由を積み立てる。

 

(……っち。もう()()()かよ)

(本当にいやがるのか? あの新米(ガキ)は)

 

 ベートは迷宮をズンズンと進んでいく。普段冒険者を見つけては襲い掛かるモンスターも、第一級冒険者(ベート)の威圧に気圧(けお)されて微塵も姿を現さない。

 8階層の大半をまわり次の階層へ行こうかと思いながら、“灰”の言葉を真に受けた自分に馬鹿らしさを覚えるベート。苛立ち紛れにLv.5の脚力で蹴られた石が破砕し粉塵をまき散らす。

 

(うざってぇ。これ以上“灰”野郎の戯言に付き合ってられるか)

 

 石をもう一つ土煙に変えて、ベートは踵を返そうとする。その時、狼人特有の鋭い聴覚が、鋼のぶつかる音を拾った。

 瞬間、【凶狼(ヴァナルガンド)】は秘めた敏捷を如何なく発揮する。音の方向へ10秒もかからず辿り着き――そこでナイフをモンスターの胸元に深々と突き刺す、ボロボロの(ベル)を視界に入れた。

 魔石に達した傷はモンスターを消滅させる。全体重をかけて覆いかぶさるように突き立てていたベルは、灰となったモンスターの死骸へ倒れる。

 ナイフは半ばから折れかけていた。脇目も振らずダンジョンに飛び込んだのだろう、衣服は着のみ着のままの冒険者を舐めた格好だった。鎧の役割など当然期待できず、当たり前のようにボロボロで、ベルの全身は傷に覆われている。

 右も左もどころではない、前後不覚の新米(シロウト)以下。ベートの眼に映ったのは、そんな大馬鹿野郎だ。

 

「……おい、『雑魚』。そんな所で寝てんじゃねえ。通るのに邪魔だろうが」

 

 だからベートは、嘲笑を顔に貼りつける。うつぶせに倒れ虫のように小さなうめき声を上げるベルを脚で転がし、あおむけに裏返す。

 

「ぐぅっ……!?」

(いて)えか? そうだろうなあ。てめえみてえな雑魚が(わきま)えもしねーでダンジョンに潜ったんだ。こんな塵屑(ゴミクズ)同然になっちまってよ、笑えてくるぜ」

「うっ、うぅ……」

「ハッ、吼える事もできねーか。みっともねえったらありゃしねぇ」

 

 血を吐いて呻くばかりのベルをベートは見下す。【凶狼(ヴァナルガンド)】は口元を裂かせ、ベルの無様をせせら笑う。

 

「これに懲りたら、もうダンジョンに入ってくんな。てめえの命も守れねー雑魚は、一生巣穴に引っ込んでろ。

 雑魚は雑魚らしくしてろ――二度と、『冒険者』を名乗るんじゃねえ」

 

 放たれた嘲笑が、朦朧としたベルの意識を掻き回す。自分が何をしているのか、何をしていたのかも分からない少年は――折れかけたナイフの柄を、砕けんばかりに握りしめた。

 

「……がう……」

「……何だ、聞こえねーぞ」

「……違う……僕は……」

 

 ベルが動く。傷の無い所など見当たらない体で、限界まで酷使した手足を引いて――無様でも、みっともなくても立ち上がる。

 

「僕は……冒険者だ……!」

 

 血反吐を吐きながら、ベルは吼える。

 

「弱いままじゃ、いられないんだ……!」

 

 体がとっくに折れかけていても、前を見る。

 

「あの人に、追いつくんだっ……!!」

 

 ベルの双眸が見開かれる。弱者ではない、怯えではない――『男』の意志が燃え盛る深紅(ルベライト)の光が、瞠目するベートを貫く。

 

「僕は――強くなるんだっ!!!」

 

 喉から絞り出される声は血混じりで、けして強くはない。だが、誰にも折られない誓いを立てるように、ベルは咆哮し――ふらりと意識を手放した。

 かろうじて繋がっていた意識の糸が途切れる。少年の体は力なく崩れ……倒れる寸前、ベートが胸倉を掴み、持ち上げる。

 

「……だったら、こんな所で死にかけてんじゃねえぞ。……『兎野郎』」

 

 牙を剥き、顔に走る刺青を歪ませながら、ベートは呟く。そしてベルの体を乱暴に担ぎ上げ、苦々しそうに唾を吐いて来た道を引き返した。

 

 

 

 

「ベート、どこ行っとったん?」

 

 【ロキ・ファミリア】、本拠(ホーム)。『黄昏の館』に帰還したベートを迎えたロキは、不機嫌そうな空気を隠しもしない狼人に呑気に尋ねる。

 

「どこでもいいだろ。俺の勝手だ」

 

 ベートは一言そう言い捨てて、階段を上っていく。その途中で足を止め、ロキも訝しむ程長い沈黙の後、虚空の先に何かを見据えるように口を開いた。

 

「なあ、ロキ」

「なんや?」

「“灰”野郎が言ってた事……どこまで本当だ?」

 

 ()は神に嘘をつけない。オラリオならば誰もが知る事実を元に、ベートは“灰”の言葉を見極めようとした。

 だがロキは「う~ん」と悩む素振りを見せ、面目なさそうに答えた。

 

「それがなぁ、分からんねん」

「……あぁ? 寝惚けてんのか? てめえ、神だろうが」

「そうや。そんであのけったいなヤツは()の筈や。その筈なんやけど……何でか、ウソかホントか判別できんねん。

 せやからベート、ウチが言えるのは一つっきりや」

「…………」

「“(アレ)”は()より、神々(ウチら)に近い。ヤツに関わるつもりなら、気ぃ付けえよ」

「……あんな『雑魚』に用なんかねえよ」

 

 吐き捨てて、ベートは上階に消えていく。「おやすみ~」と見送ったロキは、青い光の降り注ぐ窓から月を見上げ、目を薄く開いた。

 

「……にしても、眉唾やと思っとったヤツが実在するとはなあ。これやから、下界ってのは面白い」

 

 月明かりの下、滑稽に嗤う道化のように。酷薄な笑みをロキは裂かせた。

 

 

 

 

 空をたなびく闇が去り、変わらぬ光が昇る朝。

 “灰”はダンジョンに蓋をする白亜の摩天楼、『バベル』の正面で、静かにそれを眺めていた。

 隙間なく傷付けられた襤褸(らんる)をさらす、朝霧に包まれたベル・クラネルを。

 ベルの側には、空になった試験管が転がっている。誰かが治療し、ここに投げ捨てたのだろう。深く傷ついていたと思しき箇所は、血の固まった痕を残して綺麗に治っている。

 

「……『器』が変わった。螺旋の先が、また見えなくなった」

 

 折れかけたナイフを握りしめて眠るベルを、見透かすように“灰”は呟く。子供の成長を喜ぶように、ほんの少し口角を上げて。

 

「……う、くぅ……?」

 

 丸くなった兎が身じろぎをする。体を伸ばし、ぱちぱちと目を瞬かせるベルは焦点の合わない深紅(ルベライト)の瞳を“灰”へ向けた。

 

「……アス、カさん……?」

「起きたか、ベル」

 

 寝起きの口から奏でられる覚束(おぼつか)ない旋律を聴いて、“灰”は『アスカ』となる。

 

「ここは……?」

「バベルの神前だ。貴公こそ、何故ここで眠りこけていた?」

「……僕、ダンジョンに潜って……モンスターと戦ってたら、倒れて……」

「そうか。ならば誰かに助けられたのだな。その割には打ち捨てていくあたり、相当な捻くれ者だろうが。

 だが、貴公の命はその誰かに救われた。感謝は忘れぬことだ」

「……っ……はい……!」

 

 何かを思い出したのか、はっきりと覚醒したベルは泣き出しそうになりながら強く返事をする。無言で差し出されるアスカの手をとってベルは立ち上がり、ふらりと倒れてしまいそうになった。

 

「す、すいません、アスカさん」

「気にするな。最低限の治療はされているようだが、体力が戻っていないのだろう。今は私に甘えておけ」

「はい……」

 

 ふらつく体を支えるアスカの言葉にベルは顔を落とす。「ホームはどこだ?」と聞いてくるアスカに説明しながら帰路につき……その道中、うつむくベルが消え入りそうな声を発する。

 

「……アスカさんはまだ、僕に冒険者を辞めてほしいって思ってる……?」

「ああ。貴公にはあまりに荷が重い。適正もなければ力もない、このままではいつかダンジョンの何処かで死を迎える。

 私は、そうなって欲しくはない。だから辞めろと、そう言った」

「…………」

「だが、これは貴公の道だ。進むべき彼方も足を踏み出すかどうかも、貴公以外に定められる事ではない。

 故にこそ、好きに選べ。覚悟があるなら迷いを振り切れ。これは、貴公の物語なのだから。

 貴公の祖父ならば、そう言っただろう」

「……アスカさん」

「何だ?」

「……ありがとう」

「……今回の発端は私なのだがな。だがまあ、礼は受け取っておこう。その上で言っておくが、もう頭は下げるな。

 我らは、家族だ」

「……うん」

 

 断言するアスカに、ベルは嬉しそうに微笑んで。二人は日の昇る中を歩いていった。

 

 ベルのホームである廃教会へ二人は到着する。扉を開けると同時に現れたベルの主神、ヘスティアは全身傷だらけに見えるベルの姿にそれはもう慌てた。アスカが口を挟むまでも無く急いでベルをベッドに寝かせる。

 疲れていたのだろう、すぐに眠るベルに安心した表情を見せて、ヘスティアはアスカに向き直った。

 

「ベル君をここまで連れてきた事を、あの子の主神として感謝するよ。それはそれとして聞きたいんだけど、君は誰なんだい?」

「名前はない。ただ“灰”と呼ばれている」

「は、“灰”? えーっと……ひょっとして、ベル君がオラリオに来る前に失踪したっていう、アスカってのが君かい?」

「私をそう呼ぶのはベルとその祖父だけだ。私の大事な、家族だけだ」

「……その割には、何も言わずに急にいなくなったってボクは聞いていたんだけど?」

「私にも事情はある。その辺りはおいおい話そう。その前に一つ、貴公に願いたい事がある」

「ん? 何だい?」

「私を――貴公の【ファミリア】に入れてほしい。

 家族とは、共にあるべきものだろう?」

 

 突然の申し入れに目を瞬かせるヘスティアに、アスカは柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 “灰”に語りかける者は、もういない。

 火の時代は過ぎ去った。黎明期、闇より生まれた幾匹かも、“灰”を残して皆消えた。

 闇の時代を彷徨う中、“灰”の眼を捉えたのは憧憬だ。

 最後の薪の王たる“灰”の以前にあった、かつての薪の王たち。火は陰り、王たちに玉座なくとも、その身を賭して継いだ『最初の火』。

 彼らの亡骸に灯る残り火が、“灰”の道しるべだった。たとえ彼らを喰らい、ソウルを呑んで淀んだ臓腑(はらわた)に同じ火が燃えていたとしても。

 記憶のほとんどを摩耗し、僅かな人間性と肥大したソウルばかりの怪物であった“灰”には、それが何よりも(とうと)いものに見えたのだ。

 故にこそ“灰”は(たっと)び、その行く末を見守ろうとした。闇の時代の儚い光、それが示す道の先を。

 “灰”が、狂王たる前の誰も知らぬ小人であった頃。とうに忘れ果てた原初の記憶、『最初の火』に見出した憧憬を。

 それを思い出させてくれた少年のために、“灰”は生きる事を決めた。

 

 これは、埋もれた【灰の物語】。

 少年が歩み、女神が記す。そのそばに常にあったという、一人の“灰”の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “灰”

 Lv.1

 力:I0 耐久:I0 器用:I0 敏捷:I0 魔力:I0

 

《魔法》

【魔術】

・ウロコのない白竜が探究したソウルの業。

・ソウルの扱いにより、様々な効果をもたらす。

・才能により継承可能。

 

【呪術】

・火の魔女が創造した混沌の炎を扱う(すべ)

・火への憧憬により、あらゆる炎を操る。

・才能により継承可能。

 

【奇跡】

・神々の物語を学び恩恵を受ける祈り。

(ぎん)じる物語によって受ける恩恵は異なる。

・才能により継承可能。

 

《スキル》

暗い魂(ダークソウル)

・不死となる。

・死亡する度に人間性を損失する。

・完全に死亡するまで致命傷を無視して戦闘続行可能。

・【経験値(エクセリア)】獲得不可。

 

 『最初の火』が(おこ)った黎明期、『ダークソウル』を見出した誰も知らぬ小人の一人。

 輪の都に閉じ込められ、不相応に憤り、火の時代に抗わんとした狂王。

 “フィリアノールの騎士、シラ”によって(ほふ)られ滅びぬ(はりつけ)となるはずが、逆に討ち倒し輪の都をソウルへと変え呑み干した。それにより因果が崩れ、繰り返される火の時代に囚われる。

 幾度となく繰り返される火の時代でソウルを吸収し続け、肥大し、やがてその終わりに最後の薪の王となった。だが狂王は消えかける『最初の火』を奪い我が物としてしまう。

 闇の時代が訪れる中、『最初の火』を得た事で『ダークソウル』の闇が深海に達し発狂、人間性と記憶を摩耗し、火の時代に抗わんとした妄念さえ忘れ去ってしまった。

 ソウルと僅かな人間性ばかりが残った狂王は、喪失者となり闇の時代を彷徨(さまよ)った。そして永い時の果てに分かたれた世界の一つへ達する事となる。

 

 身長100(セルチ)を少し超える程度の幼女。『ダークソウル』の影響により老いず、また朽ちない。

 生まれより伸びる灰色の髪を持つ。手入れはされておらず乱雑に絡み、地面に落ちた髪を引き摺って歩く。

 肌は死人のように白い。凍てついた太陽とも称される銀の瞳を持っている。平時のほとんどを半眼で過ごすため、灰色の睫毛に隠される瞳は妙に暗く、底が見えない。

 見た目は完全に小人族(パルゥム)であり、時折自らを小人と呼ぶため周囲からは小人族(パルゥム)と認識されている。

 実際何の種族かは“灰”本人にも分からない。誰も知らぬ小人の子孫が人間なれど、誰も知らぬ小人そのものが人間であるとは限らないからである。

 




僕の考えた最強の幼女ソウル。
これ読んでダクソかブラボとダンまちのクロス書きたくなったら書いて(懇願)

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