目の前でぱちぱちと光が信号のように点滅して鍛錬の終了を知らせた。スカサハが放った魔術である。“たかがアラームに神秘をつかってんじゃねえよ”と魔術師なヒビノ君は思いました。まる。
「ああああああああああーー…………」
俺は体に残った最後の気力で、全身を覆うけだるさを吐き出した。ばたんと、床に崩れ落ち、床の冷たさを堪能したが同時に吐き気もしてきたのですぐ立ち上がった。
……地獄を見た。あそこまできついのはいつぶりか。
時計を見れば──午後7時半。四時間半ぶっ続けで筋トレである。しかも油断もへったくそもない。一瞬でも気を緩めれば何処からかルーンが飛んでくる始末。自分の口が招いた災厄とは言え、アイツもアイツだ。嬉々として乗るやつがあるか。
途中でおもりを追加してきたのはいい。いや、全く良くないし無駄に疲れたし。どうして『いいペースだな。これなら夕餉前に間に合うだろう』という言葉から『重り追加な』という悪魔のセリフが出て来るのか。
おかげで、腕がぱっつんぱっつんだし、腰も背もめちゃめちゃ痛い。かなりの精神的疲労も感じている。腹筋も“はたらきたくない”と言っているようだ。全身がストライキしようとしている。
階段を降りていくと、階下リビングのある方からかなり良い匂いが漂ってきた。
がちゃりと扉を開けるとさらに良い匂いが濃く漂ってくる。あれだけ運動したのだ。腹が減るのは当然だった。
この家はキッチンカウンターになっているのでリビングから料理をこなしているだろうスカサハの背が覗ける。
……ふむ? 香りからすると、なかなか
そんな彼女の背に声を掛けようと、
「直にできる。お前はさっさとシャワーでも浴びてこい。」
と、こちらが声を掛けるよりははやく、軽く振り向いてそう彼女は言った。
結構こちらは空腹なのだが……彼女はそういったきり、料理に専念しているのか、はたまた俺に意識を昨季がないのか──恐らく後者だろう。仕方ない。
……さっさと風呂に入って飯食おう。
そう考えて脱衣所で服を脱いでから風呂場に入る、が、
──瞬間、思考が固まった。
理由は語るまでもなく、視界に入ってきたものだ。うちの風呂場は、大きめの湯船と体の洗い場というよくある配置である。
湯船にはお湯が張ってあり、恐らくはスカサハが用意したのだろうが……それが異常な光景となって現れている。
湯船からは白い湯気、ではなく──黒い湯気が上っていた。いや、湯気のようというよりは、水面からナニカが噴き出ているような印象を受ける。
これは、異常だ。噴き出ているそれを視界から『解析』しようとしたが……特に害は見つからない。
そっと、湯船の中に手を入れ、直接『解析』魔術を使う。害のある物体があるわけでも、何かしらの呪術が掛かっているというわけでもなかった。だが、神秘が残っている。
含まれている神秘は少量ではあるが……いやなら、この現象は一体……。
俺の“眼”……つまりは神秘を見出す『妖精眼』が何かしらを映し出しているのではないか、と推測したが、魔術の類いとしてそれがあるわけではなく、単純に内包された神秘を“眼”が見出しているようだ。
……どうも、いやな予感がする。
偶々、そこに現れた神秘というものを“黒”と認識してしまったせいもあるだろうが。確認はしておくか。
脱衣所から顔を出し、リビングにいるだろうスカサハに向って声をかける。
「お~い! スカサハさ~ん! お前って、風呂入ったの~?」
と大声で聞いてみると、
「入ったがな。──飲むなよ~!」
アイツぶっ殺してやろうか。(不可能)
俺のことをどう思っているのか話会う必要がありそうだ。
ふむ、しかし入ったのか。『飲むな』と口にしたということはヤツは湯船に浸かったということだろう。なら神秘が残っている、と解釈できる。
しかし、俺はヤツを何度も見ているがこんな黒い粒が立ち上るような光景を見たことはない。神秘の残り香というのなら、空気や彼女が触れたそれなどにも残っていなければおかしいが、見た覚えはない。つまり、ランサーのせいではない。ならば──、
シャワーから水を出す。すると始めこそ、全うだったが、10秒もしないうちに黒い粒が吐き出され湯気のように上って消えていく。
「……なんじゃ、こりゃ」
体にはなんともないが、どうも精神の衛生に悪い。
結局ただの神秘である、というだけならそう気にするものではないのだろうが……彼女が気づかないはずもないし。
というわけで、普通に風呂を堪能した。
風呂に浸かれば久しぶりに“極楽“という言葉が頭によぎった。もっとも、依然として黒い湯気は出ているので、非常に気分が損なわれているが。
水が加工されたわけではない? ひょっとして、何かの魔術儀式が行われ、その結果がこの神秘の漏洩?
シャワーから排出された水を確認した以上……魔術儀式は──上水道を通して行われている可能性が高い。魔術儀式の結果、というよりは、魔術儀式の一部として、触媒に近い形で使っているのではないだろうか。
──水道を利用した、魔術ねぇ……。
水道を利点は? ──街全域に影響を出せる。
水自体に効果は無い──加工した水を摂取させている?
なんの為に? ──可能性その一、操る。
誰を? ──人間、マスター、サーヴァント。
……情報が足りない。この判断は保留。
「……調べて見るか」
既に時刻は8時を迎えようとし、日は沈み夜が来た──魔術師の時間だ。
***
さて、夕飯も無事に食べ終わり夜の街に繰出す。しかし、スカサハの作った食事にも黒い靄が浮かんでおり、少々食欲に影響がでた。ちなみに味は非常に旨かった。GJ。
スカサハも水に神秘が含まれていたことに気づいたが特に対策をとるものではないと判断したらしい。
ちなみに彼女は今黒い戦闘服を纏っている。全身黒タイツという謎仕様。そしてその服の一番の謎は、申し訳程度についた肩アーマーである。必要か、それ。
しかも、遠目からみればただの痴女である。え? 近くから見ても痴女? 全くもって祖の通り。これでもいい歳してるんだぜ、コイツ。それを加味すると非常に可哀想なものに見えてくる。
まあ、この女のことはどうでもいい。今に集中しよう。
今オレたちは、俺の、火々乃本邸へ向って移動している。たった一日しか開けていないが合流を行うのならこのタイミングが良い。
昼に行く、という手段もあったが──俺の魔術、『折神』が全く機能していないことがネックになっていた。この町中に敷いたハズの式神は、どういうわけかラインを繋ぐことが出来ない。億近くあった呪術兵装とラインの再接続が出来ないのだ。
一日程度では、そう簡単に機能を放棄しない。にもかかわらず、接続できない。絶対の監視網が使え無い以上、情報でこちらは劣っている。
億近く生産してあった『折神』であるが、その全てが街に配置されているわけではない。街の監視など、それこそ0.1%程度で事足りる。ある意味で決戦兵器として使えるそれは──火々乃本邸に隠されていた。
最悪の外敵が襲撃してきたとき、自動で撃退する兵器としてスタンバイさせていたのだ。
──ソレと連絡がつかない。つまりは、本邸いるはずの彼らとも現状連絡がつかない、ということでもあるのだ。
まったく、水の件しかりイヤな予感が連続している。これはよくない。最悪の想像が頭によぎる。
道路には、未だ黒い靄が浮かび上がっている。地下を流れる水、その神秘が地上に漏れ出ているようだ。一般人には認識できないのは当然、凡庸な魔術師でも気づかないほど少量。痕跡が完全に消えてしまう前になんとか上水道施設を調べたいものだ。
セイバーと、カルデアのマスターこと藤丸立夏。
ライダーと、我が家のメイドこと椎名ナツキ。
アサシンと、最後の同盟相手である土御門晴之。
ここにオレたちが加わる時点で、サーヴァントは四騎集まることになる。この聖杯戦争、勝ったな(慢心)。
“未来の俺”は自分が死んだあとの展開をカルデア側が有利に動けるように整えたつもりらしい──自殺したあと、彼女、スカサハがカルデア側に尽きやすいよう……俺に非があるように見せつけていた。マスター殺しをしてもおかしくない状況で、スカサハ側に理があったとし、恐らく再契約者になるだろうカルデアのマスター、藤丸立夏に余計な疑念・猜疑心を植え付けないようにしていたのだ。
──スカサハに探査のルーンを飛ばして貰って周囲に注意を払っているが、一向になにもかからない。
完全に整ったスカサハの存在は、同じ英霊ならば感覚でわかるはず。今にも死にそうだったサーヴァントではない。結界も張らず移動している以上、感知できないはずがないのだが。
家を離れてから何十分とたったが、何もない。不気味なほど静かな夜だ。
それから程なく歩けば、程なく山が見える。その中腹には本邸がある。
久しぶりにみる町並みに、心躍らせ、目的地に近づいてきたことも分かる。
“ここからなら本邸のある山も眼に入る”なんて思って、
「なっ──」
それが、目に入ったとき絶句した。
同じく、それを認識したランサーも驚きと、警戒を強めるのを感じた。
「──お前の“眼”ではどう見えている?」
「……特に、変なもんは………。だが、
視界に広がる黒い丘。
そう山ではなく、丘だ。
その山を包んでいた結界は無残に破壊され、その上森林は全て炭に変わっていた。酷い山火事があった……にしては徹底的だ。そもそもうちの結界そこまで柔じゃない。魔術の火が放たれても相応の神秘がなければ、枯れ木にすら火がつかないようになっている。逆に言えば、高濃度の神秘を内包する攻撃ならば火がつくということだ。それが出来るのは、サーヴァントだけだろう。
「──急ごう。何が起こったかはさておき、彼らの無事は確認したい」
山を覆っていた森林が剥げ、炭、あるいは硝子のように溶け固まった場所を歩いて行く。地面を踏みしめれば、ぱりぱり、と薄い硝子が割れるような音が出る。
スカサハが地面を抉り、硝子板になってしまった元地面を取り出す。それをみて彼女は言った。
「みろ。ほぼ二層化しているぞ。上から下に向って結晶の粒が大きくなっているが、中央に小さい粒が集まって線に見えるせいだろうな。波のように、満遍なく熱が広がったようだ。」
二層あるってことは、一度目に高火力の炎が放たれさらに二度目の炎が放たれた、ということだろうか。結晶は粘り気に応じて色々な姿を見せるが、物質は基本的に高温状態から緩やかに冷えれば結晶を大きくし、急冷すれば小さくなる。
外気の方が冷たいので、外気から遠い下層のほうは大きめの結晶ができるということだ。というか、こう言う現象が起きるって──。
地面が完全に融解した火力があったてことか。それどこの神代?
さらにしばらく歩くと、火々乃本邸があった場所にたどり着く。もっともかつての大屋敷感はなく、真っ黒に焦げ落ちた姿があるのみだが。
重たい沈黙。何があったかは分からないが、神代の炎を受けて生き残れるメンバーが彼らにいただろうか。
いや。いるはずがない。
「スカサハ、ちょっとここ頼むわ。」
スカサハには屋敷の前で警戒に当たらせる。
俺が向うのは屋敷の地下へ。ボロボロになった日常の残骸など目にとめる必要は無い。花崗岩のような滑らかな場所になった時点で、何があったかなど想像ができる。
地下、つまりは俺の偽工房、実験場があった場所は──完膚なきまでに破壊されていた。この徹底ぶり、最初から見つけてはちくちくと破壊工作をしていたのだろう。最下層の血の池すら蒸発している。最奥の霊基板すらも破壊されていた。
結界を構成する要石が、
「用事は済んだか?」
屋敷だった場所の門までたどり着くと、スカサハがそんな言葉を掛けてきた。
「ああ。どうして、こうなったか分かった……マスターらがどうなったかは分からんがな」
かつての彼女と同じように門に背を預け答える。
屋敷の中に死体がなかった、痕跡もなかった以上、その生死は俺には問えない。いや、死体が残らないほど丁寧に焼いた、とあらば死んでいる可能性は高い。しかし、その必要性が俺には計れない。
分かったのはこの森が焦土と化した、その理由。神代の炎。広範囲で放たれた高熱。結界の破壊工作……内部犯の存在。
一体誰が……など考える意味も成し。事実は単純明快、一人のことしか指していない。
神代の炎をこれだけの威力で、このタイミングで放てるのは一人しか居ない。
「──
「な、に……?」
目を見開いて驚きを顕にするスカサハ。しかし、これはそうおかしい状況ではない。端から、彼女がこちらに協力する気がなかったのなら色々と納得がいく。
「結界の一部だけを破壊し、何者かが介入しやすい状況をつくった痕跡もあった。恐らく、ライダー、チンギス・ハンは何らかのタイミングで魔神アウナスとコンタクトを取っていた。魔神側がそそのかしたのではない、ライダーが裏切るために魔神に協力したんだ」
「……ありえん」
「ありえるさ。これは、聖杯戦争だ。忘れたか、ランサー。この戦争には、“叶えたい願いをもった英雄”が集い、“叶えたい願いをもった”マスターと共に戦う戦争だ。
願望機を手に入れるためにオレたちは戦争をしているんだ。」
「ライダーに、そこまでの願望があったのか……? それこそ──」
なぜか、彼女はそこで言葉を切って俺を見た。その視線には困惑と、憐憫が混じっているように思った。
「……考えてみろよ、スカサハ。俺たちは事実上最高の主従だ。この聖杯戦争に勝利するためには──どうしても邪魔になる。」
「────、」
何か言おうとしたスカサハの言葉を遮るように言う。
「俺はね、知っているんだよ……アイツがどういう英雄だったのかなんて。……アイツは雌伏を知ってる女だ。大局の勝利を得るためにどんなこともする、出来る英雄だ。どれだけの屈辱を得ようとも、どれだけ自陣営が貧弱だろうと──勝利を睨む。自分の欲しいモノは誰にも譲らない、手放さない狼なんだよ」
──唇は弧を描く。
状況は最悪だが、結果を見ればかなり面白くなってきた。
いろいろ、見えている角度が変わってきた。同じものでも角度を変えるだけでいかようにも印象は変わる。
──ああ、本当に愉しい。
なんてことを考えて居ると、すぱんっと思いっきり頭をはたかれた。
いきなり、はたきやがった下手人をジト目でみる。ちょっと気分が高まっていたのに一気に霧散した。
「……あんで、はたくんだよ」
「あまりにも邪悪な念を感じたものでな」
全然悪びれず、そう彼女は言った。むしろ俺がしばきたい気分になった。だれが邪悪だ。性悪ではあるが、邪悪ではないぞ俺は。
「……もうここには用がないんだろう。さっさと下山するぞ」
といって、マスター置いてすたすたと歩いて行く。妙な話だが、言葉尻に“気に入らない”とでもいいたげな不満が滲んだように感じた。
一体何があったんだろうか...?(すっとぼけ)
聖杯戦争はここからだ!
嫁自慢の激しい男である。