――また、旧い夢を見返している。
それはもう、いつだったか思い出せないほど昔の夢だろう。
かなりの風圧を感じる。風が自分の体を押し返している。ここはお前のいるべき場所ではないと。
何処かに自分は立っていて。
その背中を見ている。
やけに黒が似合いそうな背中だった。
やけに眩しく見える女だった。
――ああ、本当に。眩しい生き物だった。
だと、言うのに。見ぼれてしまうほど美しいのに。
その生涯を俺は認められなかった。
栄転。栄光ある犠牲。追放。
きっとあの女にも人間らしい、怒りがあった。
きっとあの女にも人間らしい、慟哭があった。
きっとあの女にも人間らしい、嘆きがあった。
――だが、あまりにも長い時間が、それをどこかへ押しやった。
人のように美しい死も、醜い死もなく、ただ世界と、その外側が消えてゆくその時まで、在り続けなければならなくなった。自分でも死ねない領域にヤツは踏み込んでしまった。
現世でもない、幽世でもない。亡霊になることはない、生者としてあることも許されない。
人類の一つの到達点として、ヤツは保存されることになったのだ。
――ふと、思い出す。やはり昔のことだが、あの背中に問いかけたことがある。
どうして、お前はそこまで強くなったのか、と。何が、そこにたどり着かせたのか、と。
まあ、解答は俺の望んだソレではない。
『――はて、何だったか。もっとこう……いや、たいした理由はなかった、と、思う?』
『なんで疑問系なんだよ。だからお前はBBAなんだ』
『ははは、んー死ぬか。よし、決めた。お前は死ぬ。私の槍でな!』
『バッ、マジで振りかざすヤツがあるか! アンタ英霊、俺人間!』
―――長い年月。最低でも2000、最長で4000、あるいはそれ以上か。
涙が枯れるほど長く、怒りが消えてしまうほど、流してしまうほど長い。
初めて会った時。俺は、あの女に同情した。勝手にその生涯を想像して、勝手に怒った。そこに追いやったのは――一体何なのかと。
―――ああ、腹が立つ。この世で最も腹が立つ。最も認められない。
何よりも俺を腹ただせるのは―――ヤツの魂が死んでいることだ……!
あれではただの魔物と相違ない!
輝かしい人間が、認められるべき人間が、なぜ、化け物でなくてはならぬ!
ヤツには正当な『死』が与えられるべきだった。それこそがヤツに与えるべき報酬である。そのために人理を剥がしてでも殺す。人類を滅ぼしてでも殺す。誰が、泣こうが喚こうが、殺す。
『献身』の暴走がこの末路を引き起こした。
空には黒い月が浮かび。俺はその中で嗤い。
その女の求めるべき『死』を与えた。
あらゆる死因を与えてやった。玩具に相応しい末路を。
銃殺、撲殺、蹴殺、圧殺、絞殺、刺殺、溺死、水死、圧死、轢死。手始めに。
惨殺、斬殺、爆殺、鏖殺、圧殺、焼殺、抉殺、誅殺、扼殺。あらゆる死因を経験させてやった。死んでは蘇生させ、儀礼的に殺してやったとも。
最後の
「……終わりましたか。いやはや、最後まで抗うとは――これが汎人類史の英霊の力というわけですか。ですが、それもここまで。今や貴方は完成した。これで、何もかも救える」
「……救う?」
「ええ。何もかも。貴方の一存で」
おそらく、今回の黒幕と謳うべきであろうヤツがそんなことを抜かしてきた。しかし、何というか、俺というのはこの期に及んでソレをどうでもいいと思っていた。
―――ふと、思うのだ。
そう、アイツは抗った。終わる最後の瞬間まで、アイツは戦い続けた。
最後は、苦悶とともに死んだ。
「さぁ、願いなさい。今や貴方にはその能力が、権威がある。あらゆる事実を書き換えられる能力が―――」
「ちょっと五月蠅い。君、黙れ」
取り敢えず。さっきから煩わしい魔神柱を消し飛ばした。そこに感傷はない。
だいたい、今の俺の前で魔神ってどうよ。恥ずかしいと思わんのかね?
しかし、アレことなどどうでもいい。真相を知ってしまえば、本当にどうでも良いから困る。
アイツは、なんでオレなんぞに食ってかかれたんだろうか。
地上が剥がれ、もはや凡百の娘と同じ存在に落ちてなお、あの女、俺を認めないと抜かしたのだ。
―――何故。何故。何故……。
ふむ。それに考えを巡らす俺も俺だ。もうヒトと呼べるものは地上から消え去った。目的も果たした。だというのに、何を考えている。いや、気になるのは……この胸中を閉めるしこりのようなもの。
―――そうだ。俺は、後悔というものを覚えている。
死を与えたことは、うむ、一つの功績だろう。そこに後悔はない。
だが、もし。もし。本当に、もしだが。俺が、
未練だ。俺は未練を無様に抱いている。
これでは、終われない。ヤツがどうだとかじゃない。俺が、気にくわない…!
何度も頭の中を反芻する。アイツの浮かべる顔は、いつもどこか寂しそうで、悲しそう。
―――ああ、そうだ。俺はアイツの最高の顔ってヤツを見ていない。
「ああ、なるほど。俺は『献身』だというのに。それは、あまりにもおかしな話じゃないか――それに、約束がまだだ。それは、果たさないと。」
言って思い出す。アイツとは約束をした。いや、アイツ自身は覚えていないだろうけど。
「―――お前の槍で、殺してくれるんだろう? それに、俺もお前から奪えなかったモノを思い出した」
誇り、なるほど誇りか。ヤツから奪えなかった略奪品。命さえ奪っても、それだけが手に入らなかった。それは、やはり後悔であって未練なのだ。
「……ははっ、はははっ、ふはっははははっははは!! 良いことを思いついた。俺が、アイツを倒そう。ふははは! 余りにも荒唐無稽、無理難題にも程がある。―――だからこそ。成し遂げれば、アイツも腹の底から笑うやもしれん」
計画を組み立てる。真っ当な手段ではヤツに傷一つ付けられない。だが、勝て。妄執を滾らせろ。計算し尽くせ。あらゆる行動に、結末を再設定。
「俺の前で、そんな死に方は赦さない」
究極的な矛盾。
殺しておきながら、その死が気に入らない。
■■■になり果てた今なら、星の『理』が使用できる。
―――人理が剥がれている今ならば。聖杯戦争の一週間前には、なんとか戻れよう。
***
目が覚めた。
同時に、記憶まで戻ってきた。俺が記憶処理で何ヶ月と時間を掛けるべきそれを僅か一週間足らずで終えた。
なるほど。俺の『』にアイツがいたのは、俺の記憶を整理するためか。
なるほどなるほど。
―――あまりにもこっぱずかしいことも思い出したので、床……というか瓦に頭をこすりつける。というかぶつける。
なんつうことを口走っているんだ俺は! “死なせない(キリっ)”だよっ、お前が暴走して殺してんだよ。黒歴史ノート開いちゃった気分だよ!
恥ずかしすぎて、思い出すだけで頬に熱が籠もる。理由もなんかヤンでるし! ホント、どうしてこうなった。
ひゅー、と吹く風が俺を馬鹿にしてるようにも感じられる。
今は寺の屋根の上にいるわけだが、上を見ればイラッとくるほど美しい半月が浮いている。
……俺、そんな願い抱えていたのか。というか、めんどくさすぎるだろ俺。
あー、なんか死にたくなってきた。まさか、俺アレに惚れてるわけじゃないよな。いや目悪すぎだろ、アレはないよアレは。だって目死んでるよ? 殆ど魔王だよ、アレ。
しかも、浮気ってどうよ。俺にはライダーっていうサイカワサーヴァントがいるはずなのだが、何を考えているんだ俺は。あ、あのナツキが召喚したアレじゃないよ? もちろん俺が月で召喚したサーヴァントの方である。
やべーよ。殺されるよ。テムジンに。(川柳)
殺される。焼き殺される。テムジンに。
……なんか、やる気減退してきたなー。黒幕候補(胴雷)も殺しちゃったし。もう良いんじゃない? 俺、働き過ぎじゃない?
つーか、カルデアのマスター! 君も働きなさい! このままだとワシ、おっぱいタイツランサーと殺し合うはめになるんで! そのまえに修正して!
いやまあ無理だろうけどね?
黒幕はこうなったら十中八九アイツだろうし。ていうか夢で“五月蠅い”って理由だけで殺してたんですが……。盤上に引きずり出さなきゃ、デッドエンドとかいうやべー計画組んでるやつだってのに退場理由が適当すぎやしないか?
……でも引き摺りだすなら、他の―――それこそ魔女でもいいし。というかテムジンでも……、いや無理だな。勝っちゃうし。二日もかからずバッドエンド行きだわ。クソかな?
―――いま良い感じで進んでいるのか。それは吉兆、でも死兆。おう死期は近そう。都合良く直視の魔眼とか使えるようにならないかナー?
もうちょっと具体的に言うと、ランサーと殺し合うのは必要ないよね。正直、ポイントに放り投げたらそれでいいよね。俺、たたかう必要ないよね。
ほんと、未来のほうの俺がやれよな。俺じゃなくて
「あー、でも、約束しちゃったんだよナー。はぁ……やるしか、ないのか……」
そう、現実逃避をこれでもかと繰り返していると。
かつん、かつんと。ヤツの足音が聞こえてきた。
ここ、赤町の寺と言えば此処しかない。近くには俺も御用達の墓場がある。―――さっき半壊したけど。
もっとも、そこでの戦闘で『鵺』が阿呆みたいに魔力を使ったもんだから、さっさと居場所が突き止められたというわけだ。
しかし、あの女ときたら、ホントにかわいげがない。わざわざ、俺のサーヴァントですらなくなったくせに、他のマスター、それこそカルデアのマスターにでも仮宿に鳴ってもらえばよかったろうに。それくらいの時間はあったのに。
ヤツの霊基は弱くなったまま。俺というマスターを失っても現界していられるのは「魔境の智慧」とかいうチートスキルのおかげだろう。例えば、単独行動とか。
弓兵の真似事、……彼女なら普通にそっちもこなせそうだから困る。
階段を上がってきて、中央まで来た所でヤツは俺を見定めた。暗い髪色を、風に揺らし優美に歩いている。
そんな彼女に、俺は声を掛けた。かちり、と人格を切り替える。
「よう、ランサー。ご機嫌いかが? さぞ良い気分だろう」
「ふふ、まさか機嫌を尋ねる言葉を持っていることに驚いたぞ。存外博識だったんだな、貴様」
「機嫌くらい犬でも尋ねられる。―――しかしまあ、お前、俺を殺しに来たってことであってるよね」
「ああ、合っているぞ。私はお前を殺しに来た。挑発にしては少々言い過ぎたな」
「……では、どうして他のマスターと契約しなかった。マスターのいないお前では十全に力を振るえまい」
「それこそ、お前を殺した後でも出来る。それとも―――お前を殺すのに本来の力がいるとでも?」
「ほんと可愛くねぇやつだな、オイ」
「それにな。アレを言われてから他のマスターと契約しようものなら、お前の言った雌犬そのものじゃないか」
絶対そっちが本心じゃないか。俺の言う通りになるのが気にくわなかっただけだろ。
「じゃあ何? お前は捨てられてもご主人様を思う見事な忠犬ってわけだ」
「軟弱なネズミよりはマシだろう? 生憎、お前のようにずる賢くなくてな」
この悲しくなる煽り合い、なんの意味があるんだろうか。って、だれがネズミだ。誰が。夢の国にお連れするぞコノヤロー。
……ここにたどり着くのには探知のルーンを使うまでもなかったろうことは分かる。あの魔力の放出に気づかないヤツはいないだろうし。そこに驚きはないのだが―――ふむ。思ったより、殺意が薄いような。
「……これも、お前の計画とやらか?」
何を思ったか、そんなことをランサーは言い出した。
「お前の行動には余りにも矛盾点が多い。人質も、同盟のタイミングも。いやよくよく考えれば、
なら、やたら私に突っかかってきたのは―――」
「突っかかってきたのはお前の方だぞ、ランサー。俺は無視しただけだ。あと、俺はお前が大っ嫌いというのも事実で偽りないよバカ」
「……お主、よく胡散臭いと言われないか?」
「だれが、ウ○コ臭いだ!」
「ふむ。よほど耳が悪いらしいな。この槍で耳穴を増やしてやろう」
それやったら死ぬな。間違いなく。でもお前より年取ってないんだけどなーとか、ぼけるのはやめとこう。しかし……意外に乗ってきたな。実は割とノリいいタイプなのか?
「……お察しの通り。お前と、俺が戦うように俺は仕向けていた。もっともついさっき思い出したんだけどな」
「思い出した?」
「俺、嘘付けない性格でね。騙すのは、まず味方を、って話があるように。俺は、俺を
「何を……――っ」
最後の仕込みが、ランサー背後から現れる。
登場したのはアサシンと、そのマスター土御門だ。
「―――来ると思ってたぜ。いやぁ、こなかったらどうしようかと」
「よく言う。最初からこのために、あんなマネさせたんだな?」
「はて? 記憶にございませんなぁ?」
土御門が察している通り、ランサーが裏切るように、俺は仕向けた。アイツがそう動くことはもはや計画のうちだった。そうでなくては彼女たり得ず、そこで動かなかったら―――なんて考える気も起きなかった。
すべては、俺の計画通り。一切の滞りない。矛盾? 何もかもが合理的。カルデアにかのホームズがいると聞いた時は焦ったものだが。何せ暴かれて万が一ランサーに吹聴されれば、俺が恥ずかしい。
俺は懐から小瓶を出し、複数の紙束と一緒に土御門に投げつける。ついでに、本邸に入れるようになる鈴も。
受け取ったのを確認して話す。
「ここに来たってことは、あの
「もちろんだ。だから、コレを貰いに来た」
土御門に渡したものは―――いつぞやの小娘の呪い解き薬~! 実はランサーが裏切ったあの事件には裏があれこれ。一つ。娘の呪いは完全には解けてませんでした! いや、あえて解かなかったんだ。ほら、裏切ると分かっていたし。
二つ。小娘の服の中に自己強制証明を突っ込んでおいた。そしてそこには、完全な解呪用の薬、そしてソレを仕組んだと思われる魔術家系を洗い出した紙束を代価に―――俺の本邸でカルデアのマスターを一日足止めしてもらうことを条件にしていた。
そして、土御門はそれを飲んだ。
当然、飲み込むと分かっている。なぜなら、彼のサーヴァントの真名はハン・ジェバット。カルデアのマスターのサーヴァント、ハン・トゥアとは、その身命を掛け殺し合った中だ。恐らく、ハン・ジェバットの願いは―――狂気に呑まれることなく、本心本気で拳を打ち合うことだ。それこそが、ヤツの未練。ならば、ちょうどいいから叶えるといい。
「嬉しいよ。まさか、受けてもらえるなんて思わなかったからさ」
「……噂には聞いていたが、噂以上に胡散臭いなお前は。しかし、これじゃあ問いただされるなー。いいのかー? 俺がお前と、交渉した結果だって言って?」
「いいぜ。ついでに、俺ァランデブーで忙しいから邪魔するなって言って置いて」
「……死ぬ気か?」
「……そう思うなら何も言わず俺の私室にあるハード水没させといて」
「邪魔するなって伝えるのはいいが、バーサーカーは?」
「そっちは問題無い。今しがた俺のデコイに引っかかって在らぬ場所に誘い出されている所だ。問題ない。――――用は済んだろ。さっさといけ。巻き添え食うぜ?」
「……らしいな。用は終わった。すまない、待たせたなアサシン」
土御門は側に控えていたアサシンに声を掛け去っていた。
アサシンはよほど俺を警戒しているようでいつでも飛びかかれる用意をしていた。肝が冷えるどころか潰れそう。
それを見届けてからランサーに話を持ちかける。
高い寺の屋根から降りてランサーに近づく。多少の警戒はあるようだが、まあ、ここで俺が何しようと倒せる自負があるんだろう。構えることもしなかった。
「ちょっと、待たせたな。俺の用は終わった。そろそろ、行こうか?」
「……ここでヤる気ではなかったのか? 私はそれでも構わんぞ?」
「ばか。一般人を巻き込む気か?」
ちらりと背後に目線を向ける。それだけでランサーは察してくれた。
奥にはもちろん寺そのものがある。当然そこには寝食を成す、住職や寺小僧が何人かも。
「……用意周到もここまで来れば気味が悪いな。私が、いの一番にお前に掛けだしてたら―――」
「坊主共の命はなかった。いや、秤に掛けられていた。ご英断感謝しますよ、影の国の女王様?」
「本当に口の減らん男だな。お前は」
それからは、無言で坂を下りていく。殺そうとすれば、いつでも俺を殺せるだろうに律儀なヤツだ。雌犬と言ったのは意外と英断だった…? いや、それはなさそうだ。
かつかつと、歩みを無言で進めて早十分。
ふと、気づいた。
「なあ、お前。俺のサーヴァントをしていた時より口数多くね?」
「……ああ。許せ。なにぶんこの身は人に仕えたことなどなくてな。あるべき心得の一つも無い。お主をどう相手をすればいいのか分からなかった。初っぱなから素っ気ないし、無視するし。挙げ句の果てには自由にしてこいだ。兵器の役割を求めるとかいっておきながら、その後に自由とかほざきよって。わけがわからん」
「おっふ」
つまり、俺は上司にしたくないクソ人間だった、というわけだ。
一度封を解けば、あれやあれよと出て来る俺への不満。
それを背に聞きながら、耳が痛くなるのを堪えながら、黒い空に浮かぶ白い月を見て歩く。
そして、いつものようにこう思うのだ。
――――――今日も、月が綺麗だ。
「―――聞いているのか!」
「はいはい、俺が悪ーござんした!」
「―――今夜は月が綺麗ですね?」
「...なんだその目は。俺が何したっていうんだ?」
「私が日本文学を知らないと思ったら大間違いです。その言葉はI love you的なヤツだと...!!」
「別に文学的表現ってわけじゃあ...つーか俺は全人類愛してますしお寿司」
「...そう言えば、そうでしたね」
「文学表現だったら、その後に、”貴方と見ているせいでしょうか”とか”貴方とずっと一緒に見れたなら素敵ですね”とか、返しがないとなぁ...」
「.........ちょっと、今から月を見に行きませんか?」
「なんで?」
「何でもです」