押し寄せる黒い波。
生きている者を喰らわんと全力疾走する辛うじて人型を保っている異形の者。
それらは口々に叫ぶ。その声には憎念、恐怖、狂気がねじ込まれていた。
「寒イ、寒イ、寒イ寒イサムイサムイ……!」
「熱ヲッ…! クレェ!」
「俺ノタメニ……! シンデクレヨ!タノムカラ!」
死臭腐臭と共に押し寄せる黒い波を、セイバーは白銀の長剣で切り伏せる。
「くそっ…! なんなんだ、コイツら!!」
悪態をつきながらも己がマスターを守るために腕を振う。しかして潰した数に比例するようにわんさかと何処からともなく死徒は現れた。
セイバーのマスター、藤丸立夏は庭園上空を覆っている巨大な木馬を視認する。
アレが現れた瞬間に今の人型は落ちてきた。ならば、あれが原因だと立夏は察する。
「あの木馬……! アレを何とかしないと!」
「何とかって、俺の宝具じゃあ無理そう—マスターっ!」
「え、うわっ!」
セイバーが高速で立夏を自分の背に隠すように引っ張りこみ──セイバーは正面から迫る閃光を持ち替えた短剣で叩き落とす。
その閃光が何かなど考えるまでもなく立夏には判る。
「アーチャーの狙撃!」
「吸血種の迎撃に、アーチャーの狙撃……、なるほど。ライダーの推測もあながち間違いじゃなかったわけだ!」
「グギッッ――!」
バーサーカーの存在など大して気にしていないだけ。存在如何に関わらず嬲り殺す策をアーチャーは考えていたのである。
押し寄せる死徒―――魂こそ堕落し穢れているが、精神性は大きく変質していないらしく、片腕を切り落とすだけといったマネをすれば、痛みにのたうち回っている。
―――パニックになって押し寄せる民衆。
立夏とセイバーにはそう見えた。
「――ち、これじゃあジリ貧だ! ライダー、君に良い策はないか!?」
殺到する死徒どもを切り裂きながらセイバーはライダーに叫ぶように問いかける。セイバーの宝具では現状をひっくり返せるほどの効果は無い。巨大な建造物―――宝具を何とかするならそれこそ対城宝具クラスのものが必要になる。
もっとも逃げるのに徹すれば撤退が出来なくもないが……英雄の矜持がそれを許さない。そしてなにより、自分のマスターがそれを望まないことをセイバーは知っていた。
「魔力さえあれば、あの木馬程度消し飛ばせる。しかし―――ちと無理をさせすぎたか……」
「無理? ライダーじゃなくて?」
「――魔力が途切れた。どうやら、気絶したらしい。少々絞りとりすぎたか」
見れば、ライダーの炎を形容したような剣は輝きを失い、熱も感じない。魔力が足りていない、と言うのは本当だと立夏には判った。
「……どうする?」
「こちらは打つ手なし。頼るべきはバーサーカーだが……まあ、無理だろうな」
「でも、ここを引くわけにはいかない…!」
ここを引けば―――死徒は市街に漏れ出す。そうなれば最後死屍累々、生きた屍による地獄が生まれてしまう。
それだけは避けたい、というのが立夏の考えだった。
例え、眼前の死徒がどれだけ人間の感覚を残していたとしても―――彼は倒すことを選んだ。
「セイバー、苦しいかもしればいけど――」
「――僕に気を遣う必要はないよマスター。この状況を作り上げた魔術師、アーチャーを嫌悪するけど……目の前の敵を殺すのに僕は負い目を感じない!」
撃ち込まれる閃光切り伏せ、側面から迫る死者を斬り飛ばしてセイバーはそう言った。
「……ふ」
その決意を見たライダーは薄く笑う。その笑みは決して立夏を嘲笑するものではなく、優しげに口元に笑みを携えていた。
「―――よいマスターを持ったなセイバー」
「ああ、全くだ。僕には過ぎたマスターだとすら思える」
「では、セイバー。そのマスターを守るついでに余も守れ」
「は?」
ライダーはいきなり長弓を何処からともなく取り出し、構え始めた。そして魔力で形成した矢を番える。
地面に片膝をついて構えるその姿は、弓の絢爛さも相まって神々しさを感じるが―――同時に、死徒に囲まれている現状からして無防備極まりない状態だった。
「いきなりっ、君は―――!」
「まあ、見ておれ」
機を見て襲いかかってくる死徒を切り払うも―――セイバーは狙撃を懸念する。
「あのバーサーカー目に言われて今し方思い出したが―――ああ、確かに。余の得意な得物は剣などではない。ましては槍でも、銃でもない。この弓よ!」
ライダーのぎりりと弦を弾く行動に合わせて、突風が吹き彼女の周り、いや矢に集まって束ねられていく。
「さっきからズコバコと打ち込みおって―――舐めるなよ!」
放たれた閃光は音すら置き去りにして遙か彼方へと飛び去っていく。
そして―――曇天の夜空にいくつもの爆発が起こった。
***
「オイオイ、そりゃありか? 結構自信あったんだがなぁ……!」
緑衣を纏ったアーチャーはそう毒づく。
何せ彼の放った矢をライダーが打ち落としやがったのである。
しかし―――彼も叉、強弓を使いこなした大英雄。世界規模でその名前を知らぬ者はいないほどだ。
「飛んでくる矢を視認して打ち落とす。まさか、親族の出か? アキレウスの師匠もトンデモねぇ弓使いって話だが……アイツはその域だろう」
並の英雄ならいざ知らず、彼の矢を打ち落とすなど飛んだ妙技、いや絶技だ。
「何処の英雄だよ、ホント。いやぁ、オレ、パワータイプとは相性悪いんだよね」
アーチャーが得意とする射撃は、その連射性と精密性だ。確かに強力な一射は出来るが――あの一撃ほどではない。
「ふむ、そろそろ引き上げどきかね」
『そろそろ戻ってこい、アーチャー』
しわがれた老人を思わせる声が響く。それは壁によじ登るヤモリから発せられていた。
「ジイさんの使い魔か」
『くかかか。ヤツラも一筋縄ではいかんようだ。コレは儂の命も危ないかな?』
「ハ―――よく言うぜ。最初から
『ほう? 負けるとは思わないのか?』
「オレに負けなんかねぇ……どっかの阿呆腐れ外道ジジイがアサシンなりに暗殺されなければの話だがね。むしろ、世のため人のためになるんじゃないか?」
『辛辣だのう。ギリシャの大英雄に嫌われるとは―――おっと、お主は嫌われ者だったか』
「いってろ、ボケ」
カカ、と無性に癪に障る嗤い声にアーチャーは悪態をつく。
彼の宝具、木馬はただの輸送装置に過ぎない。アレの中にごまんと詰められた死徒は己がマスターが端正に調教――いや製造したものである。
丁寧に壊したそれらをアイツラに押しつけたのだ。
『死徒どももそろそろ尽きる。ここが潮時じゃ』
「へいへい。……結果を見りゃあ、野糞ばらまいたようなもんだがな」
送りつけた死徒は全て目的をもっている。一つは生き抜くこと―――凄惨な、尊厳を奪い去った死を見せ続けられ精神を加工された者。もう一つは子を生き返らせるため―――送りつける前に食わせた子供をよみがえらせるという約束を彼らにした。親に彼ら自身の子を食わせる悪鬼が如き所行。
悪意の粋を極めたものをアーチャーは目の当たりにした。
『そら、逃げる速くしろアーチャー。ランサーが迫っておるぞ』
「それをさきに言えっての」
アーチャーはすぐさま宝具を展開し姿を消す。
『かのアテナの加護、いや魔法か。くくく、スカサハも大概だが、お前も大概よな?』
「……はぁ。口の減らねぇジジイだな、オイ」
***
庭園の空を覆っていた木馬は消え、同時にライダーは弓の構えを解いた。
「―――逃げたか。よかったなセイバー。これで屍は打ち止めだ」
「まだ、ざっと二百はいるぜ?」
「所詮は有象無象。薙げば死ぬ。今の余ですら圧倒できる」
「……向こう見てみろよ、ライダー」
「ん?」
セイバーの指さすほうを見やれば――鮮血をまき散らしながら吹っ飛ぶ死体。それも一つや二つではなく、何十も吹っ飛んでいる。その全ての死体は―――首がない。
綺麗に頭だけ切り落とされていた。
「このままだとバーサーカーと対峙する羽目にもなるんだよなぁ……この状況で勝てそうか? もちろん負ける気はないが」
「そうだな。余はもう魔力が無い故、使徒を殲滅しだい撤退がよかろう。そこのマスターも疲労が濃いようだしな……まあ、無理もない。こんなものを見れば、な」
死徒は精神を加工されただけで―――死んでいた訳でも無かった。痛ければ大声嘆き、涙を流す。死に際には決まって恨み言。暴徒化した市民を切り捨てているような後味の悪さを彼らは感じていた。
「わ、たしは、まだ……しにたく、たすけ」
「くるなクルナくる―――」
「クソォ、シねよ、オレタチのタメにシンデクレョォ!!」
例外なく、死徒は抹殺される。元が日常を生きていた人間だけに、たいした抵抗もなく蹂躙されていく。地面を覆う屍と腐ったタンパク質の悪臭がこちらの精神を削っていく。
あと何体、殺せば―――そうセイバーらが胸くそ悪さに顔を歪ませていると。
―――突然、空から色取り取りのナニカが落ちてきた。
バサバサと激しい紙のこすれる音とともに黒い――死徒の群れに纏わり付いていく。
飛来した数は異常とも言える数で、黒き異形は色の波に呑まれていく。
「な、なんだこれ―――これは、鶴?」
立夏が飛んでいるものを一つ掴み見てみると、それは紙で出来た鶴―――つまり折り鶴だと判った。
そして直後に声が響いてくる。
『私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない』
それは、詠唱だ。誰が言っていたかは思い出せないが立夏には聞き覚えがあった。
洗礼詠唱。もっとも広い「基盤」を持つ魔術理論であり、「魂に訴える」奇蹟。
それは聞き覚えのある男の声で紡がれる。
『打ち砕かれよ。
敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。
休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる。
装うなかれ。
許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。
休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。
永遠の命は、死の中でこそ与えられる。
許しはここに。受肉した私が誓う
“
絶叫が響く。
死徒達の体が燃え、焼けただれ、灰へと帰って行く。
しかして、不十分に浄化されず、肉体を残す者もいたが―――声はもう挙がらなかった。
彼らの前には――巨大な骸骨が行く手を阻むよう居座っている。そんなものを見れば誰だって驚きで口をつぐんでしまう。
その肩の骨に座っているのは―――先ほどの詠唱をした男、火々乃晃平がそこにいた。
「はぁ……やっぱ教会に帰属してない俺じゃこの程度か。―――無駄に苦痛を与えるのも考えもんだなっと」
滑り落ちて、地面に着地した彼はもう一度宣言する。しかし、内容は洗礼詠唱ではなく――、
「喰え、我者髑髏」
骸骨は大きな手を伸ばし、消え損なった死徒は瞬く間につままれて丸呑みにされていく。
のど元を通り過ぎた死徒は高魔力の圧縮路――エーテルで出来た心臓部に到達し、蒸発する。喰われた誰もが助けをこうが、火々乃は耳をかさない。
全てを喰った骸骨は、その骨のそれぞれを液体状に溶かしていき―――彼の持つビンの中に取り込まれた。
「コイツは使い勝手がよすぎるな。コストパフォーマンスは悪いけど―――おう、無事か!」
彼は、立夏達の姿を目で認めると親しげに手を振って言った。
「なんだ、その変な者を見る目は? せっかく助けに来てやったていうのに、礼の一つも名しか?」