終わりの一日
「さて、お説教の時間だ、マシュ」
「……」
管制室に座ったロマンはマシュに着席を促し、彼女の目を見た。
真紅に染まった彼女の目は寧ろ雄弁にすら思えた。彼女にはまだ信念があった。こうあるべきだという妄執があった。
だがそれはロマンには憂れうべきことだった。
当然のことだった。当たり前のことだった。
誰だって、見知った少女が絶望の末に自死して、その末に何度も死に様を見せつけてくるなんて状況になれば納得はするまい。
「ボクは言ったはずだ。死ぬな、と。幸い
「……それでも、そうしなければティアマトは倒せませんでした」
「そうだとしても!! そうだとしても──」
しかしロマンは、そこまで言って思いとどまる。今自分は何と言おうとした? 『人理修復よりマシュの命が大切なのか?』
……そこで思いきることは出来なかった。結局彼は、どこか中途半端だった。
人理は守りたい。かつて彼が視た破滅が彼を突き動かしたのだから、それは当然の感情で。それは今のカルデアにおいて、マシュの安寧を守ることとはかけ離れていた。
「──いや、何でもない。とにかく、魔力減少は厳しい問題だ。次の特異点でも、魔術王への抵抗として魔力は大量に消費する。無駄遣いは控えてくれ」
「……善処します」
「またそう言って……」
マシュは全く悪びれなかった。彼女は正しい選択をしたと思っていた。
正しい人間は何の謂れがあってもその道を阻まれるべきではない、彼女の考えはほとんどそれだった。
「……気分は、どうだい?」
「良いですね。第七特異点も無事修復出来ましたから。この調子です」
「……そうかい」
彼にも思うことはある。大いにある。
今目の前で笑顔を見せるマシュを本当に幸せにする手段は、あの状況にもきっとあった筈だと、ひたすらに考えた。
しかし、具体的に……と言われたら、よく分からない。
あの燃え盛る管制室で死ねばよかったのかとも彼は考えたが、それは幸せ、ではないのだろう。相対的に見れば楽になることは請け合いだが、その時の感情は不幸しか感じまい。
そも幸せとは基準なきものだ。ロマン本人にとっての幸せとマシュの幸せがずれている可能性はある。いや、実際今現在、マシュの幸せは外敵の破壊にのみ向いていて、ロマンとは同じのようで別の方向に向いていた。
……何が、いけなかったのだろう。
「……マシュ」
「何ですか?」
「……どんな人がマスターなら良かった?」
いけなかったこと。それで思い至るとすれば最早黎斗しかあり得ない。
彼は異常だ。サーヴァントを圧倒するパワー、艱難辛苦を容易いタスクにランクダウンさせる才能。神から与えられたと言うにしても生温い、最早神そのものにすら思える才能。
彼女は彼に立ち向かおうとして折れた……そうとも、思えた。
「誰がマスターでも変わりはしません。私は私が人理を救うんです。マスターなんて……マスター、なんて、置物で十分なんです」
「……」
泣きたい衝動にロマンは駆られた。この目の前の少女をひしと抱き締めて、せめて慰めてやりたいと思った。意味がないことだとしても、それでも。
だが、しかし。
もう時間は、ない。
ウーウーウー ウーウーウー
『
「っ!?」
カルデア中に鳴り響くサイレン。スタッフは慌てふためき、極度の緊張が周囲を覆う。ロマンは慌てて立ち上がり、現在のカルデアの状況を確かめた。
『館内を形成する疑似霊子の強度に揺らぎが発生。量子記録固定帯に引き寄せられています。カルデア外周部が2016年に確定するまで、あとマイナス4368時間。カルデア中心部が2016年12月31に確定するまで、あと■■■時間です』
「これは……ソロモンからの引き寄せか」
「クラッキング……ドクター、まさか」
「ああ、ボク達は第七特異点の聖杯で魔術王のいる特異点の座標を確定した。それと同時に、魔術王の方もカルデアの座標を特定した……」
それらによって起こるのは、カルデアと特異点の融合。そしてカルデアの消滅だ。その前に、ソロモンを打倒しなければならない。
「明日だ。明日、最後の戦いを開始する」
ロマンはそう言った。そして名残を惜しみながらもマシュを立たせ、退出を促す。
「今日一日は、体をベストコンディションに保ってくれ。とうとう最後の戦いが始まるんだ」
「っ……」
「明日、君と黎斗、そして全てのサーヴァントが集ったときに、最後の特異点へのレイシフトを行う。向かう先は終局特異点。冠位時間神殿ソロモンだ──!!」
───
明日、最後の戦いを開始する。その司令は風の如くカルデアを吹き抜け、全員に知れ渡った。
アヴェンジャー、エドモン・ダンテス。彼がその知らせを察したのは、自室でコーヒーを淹れている時だった。
「……まだ外が騒がしいな。……無理もないか」コポコポ
コーヒーの泡が立っては消える。黒い水面に彼の髪が写る。
アヴェンジャーはその様を見つめながら、ため息を吐いた。
「……ふぅ」
湯気が軽く吐息に吹かれる。
アヴェンジャーはそれに白い指を潜らせ、黙っていた。
「……」ズズッ
飲み干す。熱いという感覚が彼の脳を揺らす。
「……そうか」
そして、時計を見た。まだ寝るには少し早い。かといって下手に文でも書いてみたり、誰かにあったりすれば、『抑止力』に邪魔をされないとも限らない。
彼はすることもなく目を閉じた。思い出すなら……誰にしようか。
「……イリヤ」
何故かはよく分からないが、最初に頭に出てきた存在はイリヤスフィールだった。あの魔法少女の特異点で出会った、サーヴァントですらない少女。あのイラつくステッキと共に戦っていた幼い戦士。
彼女はどうしているだろうか。何処かで眠っているのか。何か夢は見ているだろうか。
……どちらにせよ、彼女を
「……彼女には、これからオレ達が見るだろう恩讐は似合うまい」
そう呟いた。カップを手早く洗い、棚に干す。寂しい気がしたが、きっと気のせいだ。
「……今回の出来事の原因など、オレは分かっていたとも。そして、その恩讐に最期まで付き合ってやるサーヴァントの中に、彼女は必要ない……オレがいればいい」
───
「……」カタカタ
ダ・ヴィンチは、自分の工房に籠りながら作業を続けていた。いや、何かを生み出している訳ではない。ただ、レポートを書いていた。
『件名:檀黎斗の特異性についての考察
檀黎斗。このカルデアに現れた真の天才。神の才能をもつ男。……私より優れた万能の天才足り得る人間。
私、レオナルド・ダ・ヴィンチは正直な話、彼に劣等感を抱いている。だってそうだろう? 万能の天才だよ? 普通二人もいないって。あと天才って見ててイラつくんだよね……イラつかない?
と、ブーメラン発言は程々にしておいて。
ここから推測に入ろう。あまり立ち入った話をすると抑止力(恐らく)に妨害をされてしまうから、なるべく抽象的に。
檀黎斗は生み出すものだ。ガシャット、ウェポン、それだけじゃない。私が生み出せるものはおよそ彼も生み出せる。しかも上位互換のものを。
しかし私が分析してみる限り、ガシャットとはかなり無理があるシステムなのではないか、という疑念が浮かんできた。……当然何度か倒れて、各々で残した手記からのデータだから怪しいものだけど。
とにかく、ガシャットは無理がある。特にマイティアクションNEXTが分かりやすい。大体、無限に攻撃を強化するなんて、そんなもの基本的にあり得る技術じゃない!!
さらにバグスターというものも大概イカれている。意思を持ち人だけでなくサーヴァントにまで感染するコンピューターウィルスなんて本来あり得ないはずなのに。
……今にして思えば、檀黎斗は異常だった。サーヴァントの真名に私達より早く気づいている節があった。目的地に運よく辿り着いているなんてしょっちゅうあった。
異常だった。天才の私がそこまで言うんだからよっぽどだ。
だからこそ、一つの仮説を私は導きだした。天才を嘗めるな。
……檀黎斗は神だ。全能の神だ。そしてつまり、その正──
』
ブチンッ
パソコンはそこでフリーズした。
そしてダ・ヴィンチの意識は後悔と共に闇に呑まれていく。
懐かしい感覚だった。
───
「……」
部屋に戻ったマシュがしたことは、マーリンからの手紙の開封だった。
……しかし、そこには大したことは書いてなかった。というか、殆どが読めなかった。
『道を見失うな。君にしか救えない世界がある。■■■■■■■■■■■■──』
後は全ての文字が塗りつぶされているように見えた。しかしインクが滲んでいるなんてことはなかったため、もしかすれば何かの魔術かもしれない。
大したことは書いていなかった。マシュが世界を救う。それはマシュ自身にとって当然の目標。当たり前の目的地。今さら言われるまでもない。
「……でも、まあ」
だからと言って捨てる謂われもない。
マシュはその手紙を、自分のロッカーの棚に入れた。
その一瞬だけ、マシュの真紅の目は光っていた。
───
「ねえ、子ブタ」
「何だいエリちゃん。明日早いんだろう?」
「子ブタが起こしてくれるし……」
エリザベートは既にベッドの上で布団にくるまっていた。晴人が彼女の目覚ましがわりとして側に座っている。エリザベートは天を仰いでいた。いや、ベッドの上なのだから、仰向けに寝ていたとも言えるが。
彼女は考えていた。明日全てが完結する、その後どうするかを。
「……ねえ、子ブタ」
「ん?」
「……私って、人理修復したら還るのかしら」
「皆、退去を強制しようとは思わないと思うけど?」
「……そうよね。でも、怖いの」
彼女の中で引っ掛かっていたこと。それは、自分の態度だった。
エリザベート・バートリーは残虐に生き血にまみれ孤独に死んだ存在だ。その在り方は人々を恐怖させ血の伯爵婦人と言わしめたほど。
そんな自分が、恐らく抑止力によって人理修復に好意的になっている。
きっと抑止力がなければ、自分はカルデアの敵になっていたのだろう。根拠はないが、エリザベートは考える。そして、人理を救い抑止力からの圧力が失せたら、自分は好き勝手してカルデアの敵になるのではないかとも考えた。
どこか寂しかった。そして彼女は、それを晴人に打ち明けた。
「……大丈夫でしょ、エリちゃんなら」
「そんな、気楽に言わないでよ」
「だって、ほら。今悩んでいる君は君だ。今君はきっと君の意思で悩んでいる」
「……」
「俺も、君も、最後の希望なんだ。誰も見ていなくても、君は今全世界を背負ってる、立派な女の子だ」
晴人の言葉は、エリザベートを納得させるには至らず。しかし、どこか暖かかった。
「……じゃあ。何かあったら、止めてくれる? 教えてくれる?」
「当然だ。そのときは俺が、最後の希望になってやる」
希望。漢字にして二文字のそれ自体には意味はない。それでも少女は、少し笑った。
終わりは近い。
何度も言ってきたけど、もし今後の展開に気づいても絶対に言わないでね!! 言わないで下さいね!! お願いだから!!
フリではないからね、絶対だからね!!