東方霊恋記(本編完結)   作:ふゆい

56 / 69
マイペースに告白

『たけるーっ、こっちこっちーっ!』

 

 不意に響いた幼い声に、私ははっと目を覚ました。現状を把握するために慌てて周囲を見渡すと、広がっているのは先程までの閑散とした村ではなく見覚えのある神社。裏庭と参道の二方向に鳥居が建っている珍しい形式のここは、紛れもなく私の神社、博麗神社だ。少し肌寒いのと辺りの桜が咲き誇っているのを見ると、この時間軸は春なのだろうことが分かる。威の記憶の中で春の風景が出たということは……。

 思考の波に身を任せながら賽銭箱の隣に座ると、ちょうどいいタイミングで二人の子供達が目の前に現れた。裏庭から走ってきたのだろうか、二人して木の枝を持った彼らは幼げな声を出しながらチャンバラ染みた遊びをしている。

 

『えーい! むそーふーいん!』

『なんのっ! きかないぜ!』

 

 紅白の巫女服を着た少女が振り下ろす枝を、黒髪の少年が軽々と受け止める。中性的顔立ちながらもどこか間の抜けたような印象を抱かせる彼は、私の記憶にもあるとある人物と完全に一致した。ついでに言わせてもらえば、紅白少女の方も見覚えがある。……いや、見覚えどころの騒ぎじゃないか。

 あれは、幼い頃の私と威。アイツの本性が表に出て、お母さんによって封印される前の、威の姿。

 二人が仲良く遊ぶ光景を見ていると、脳裏に過去の記憶が不意に浮かび上がってきた。この日は確か、紫に連れられて神社に来た威と私が初めて知り合った日。嵐の予感なんて微塵もない、のんびりとした平和な一日。私にとって、人生を変えたと言ってもいい出会いの日。

 二人が走ってきた方向に視線をやると、保護者的存在の年長組が仲睦まじい様子で会話しながらこちらに歩いてくるのが見えた。いつも通り胡散臭さ全開の紫と、全身傷だらけのお母さん。彼女達はどこまでも慈愛に満ちた表情で、遊び続ける私達を見守っている。捨て子だった威も、紫にとっては我が子同然の存在なのだろう。記憶を取り戻した時、彼女は不意に涙を流していた。大切な息子の記憶を失っていたショックが相当大きかったらしい。幽々子に慰められながらも、紫は威を取り戻すことを決心していた。いつかまた、かつてのように共に生きる為に。

 懐かしい光景を目の前にして、心が安らぐような感覚を覚える。いつまでもこんな時が続けばいいのに。そんな事を考えながら平和な日常を見守る。

 

 ――――が、不意に景色が暗転。瞬いた頃には、先程とは打って変わって荒れ果てた神社が目の前にはあった。

 

 急な場面展開に慌てて周囲を見渡す。石畳は無残に剥げ、母屋の方も一部が破壊されている。あちこちについた焦げ跡は弾幕によるものなのか、妖力の残滓が微かではあるが残っていた。辺りに幾枚もの札や無数の封魔針が落ちていることから予測すると、お母さんが何者かと戦闘を行っているのだろう。

 ……何者か、だなんて。ぼかして言う必要もないか。

 分かっていた。記憶を取り戻した今の私なら、分からずを得なかった。

 全身が震えるのを自覚しながらも、私は視線を上空に向ける。

 そこには。

 

『あははははは! どうした、どうしたよ博麗さんよォ! テメェの本気はまだこんなもんじゃねぇだろォ!?』

『ちっ……五月蝿いわね、充分本気よこのクソガキ!』

『年のせいかぁ? おいおい、オレを幻滅させるんじゃねぇってのぉ!』

 

 威が振るった拳を交差した腕で受け止めるお母さん。子供の姿である威に対して体格では勝る彼女だが、人間と妖怪では根本的な腕力が違う。鈍い音を立てながら耐えきれずに後退するお母さんの左腕は、だらりと力なく垂れ下がっていた。真正面から攻撃を受けた為に、腕の骨が折れてしまったのだろう。

 苦し紛れに舌打ちするお母さんに対して、威は心底嫌らしい高笑いで彼女に睨みを利かせている。

 そうだ。これは十年前の記憶。お母さんが暴走した威を止める為に、命を張って戦いを挑んだ日の記憶。

 この時私は紫によって眠らされ、戦いの場から遠ざけられていた。まだ幼く、力も弱い私では足手まといになることが目に見えていたから。お母さんの邪魔にならないように、藍に預けられていた。

 

『ぐぅっ……!?』

『お次は脚だ、一本貰うぜ!』

『うぁぁぁあああああああっ!?』

 

 威の手刀で右足を切断されたお母さんがけたたましく悲鳴を上げる。耳をつんざくような絶叫に威は口元を吊り上げるが、瞬時に首を掴まれたことで余裕の表情は一瞬して消え去った。目を丸くしながら、威はお母さんに視線を飛ばす。

 お母さんの口には、いつの間にか一枚の札が咥えられていた。

 

『てめっ……!?』

『…………』

 

 ニィ、と札を咥えたまま勝ち誇ったような笑みを浮かべるお母さん。戦闘の中で詠唱を終えていたのだろう、咥えた札が急に光を放ち始め、二人を中心にして巨大な六芒星が夕暮れの空に浮かび上がる。封印術にはそれなりに詳しい私であっても見たことがない術式。威は全身をよじってなんとか術から逃れようとするものの、最期の力を振り絞るお母さんの手を振りほどくことはできない。

 お母さんの口から札が零れる。たっぷりと彼女の血を吸ったソレは六芒星の中心で一際明るい輝きを放つと、威の身体を呑み込んでいく。

 

『なに、を……オレに、何をしたぁああああ!!』

『暴れすぎ、よ……。少、し、反省しな……さい……』

『畜生ぉおおおおおおおお!!』

 

 威の絶叫が幻想郷を貫く。徐々に輝きを増していく光は、ついには目も開けていられない程に眩しくなり始め――――――――

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 ――――気がつくと、私は博麗神社の中庭にいた。

 先程まで咲き誇っていたはずの桜は青々とした葉を大量につけ、夏の到来を告げている。威とお母さんの戦闘による爪痕は影も形も残っておらず、博麗神社は完璧な姿で私の目の前にそびえ立っていた。頭上には雲一つない青空が広がり、夏を司る妖精達が意気揚々と飛び回っているのが見えた。

 これはいつの記憶だろう。手がかりを見つけようと首を回すと、背後の縁側に誰かが座っているのが見えた。

 何やら文字が書かれた白色の半袖シャツに、幻想郷では珍しい生地のズボン。間の抜けた顔はぼんやりと目の前の葉桜を見つめていて、彼が持つマイペースさが一際強くなっているように見えた。普段から阿呆な彼だが、こうして見るとまた違った意味で阿呆っぽい感じがする。……私は、好きだけど。

 桜を見上げる彼を見て、強烈な既視感に襲われた。この構図に見覚えがありすぎる。

 状況的には、私と威が出会った時だ。だが、今までとは違って妙な疎外感を覚えない。過去の事象を眺めることしかできなかった先程までとは異なった、リアルタイムな感覚が私の肌を刺激する。

 異様な雰囲気に混乱しながらも、私は思わず目の前の彼の名前を呼んでいた。

 

「威」

「……霊夢か。なんか、久しぶりだな」

 

 反応した。それどころか、彼は私の名を呼び返すと変わらない笑みを浮かべる。底抜けに明るい普段通りの笑顔を見て、私は安堵に胸を撫で下ろした。肩の荷が下りたとでも言うか。ようやく会えたという感覚が強すぎて緊張が一気に解けていく。気が抜けてふらつきそうになるが、なんとかこらえて威の隣に腰を下ろした。

 息を整えると、再び隣の彼を見る。

 のほほんとした雰囲気を纏って座っている彼は、記憶の残滓が作り出した幻影ではない。正真正銘、私達と共に過ごした雪走威だ。馬鹿で口が軽くて助平で、誰よりもマイペースな私の大好きな人。

 

「霊夢?」

「……なんでもないわよ、バカ」

 

 思わず彼の手を握ってしまった私に首を傾げる威。相変わらず女心なんて微塵も考えていないいつも通りの威に妙に気恥ずかしさを感じてしまい、私はそっぽを向くと口を尖らせて悪口を返した。ドキドキと弾む心臓の音が彼に聞こえやしないかと心配しながらも、久しぶりに感じる彼の温もりで幸福感に包まれる。

 私の奇行に怪訝な視線を向けていた威だったが、特に気にすることでもないと思ったのか再び葉桜に視線を戻した。……私が言うのもなんだけど、この鈍感さは致命的だと思うのよね。

 はぁ、と何気に溜息をついていると、不意に威が口を開いた。

 

「なぁ、霊夢」

「な、何よ」

「……ごめんな」

「へ?」

 

 急に放たれた謝罪の言葉に気の抜けた声を漏らしてしまう。言葉の真意が掴めないまま威の顔を見ると、彼は苦笑交じりながらもどこか罪悪感に駆られたような顔で私の方を見ていた。悪戯が見つかった時の子供のように苦笑いを浮かべる彼に、私は思わずぽかんと間抜けに口を開けてしまう。

 威は私を見たまま、ゆっくりと話し始めた。

 

「俺のせいで、お前をこんな目に遭わせちまって。俺が封印を解きさえしなけりゃ、こんなことにはならなかったのに」

「それは……でも、それはアンタのせいじゃ……」

「いや、俺のせいだよ。たとえ俺自身に自覚がなくても、裏の俺(アイツ)がやったことならそれは俺のせいなんだ。アイツと俺は表裏一体。マイペースで明るい俺も雪走威だし、残忍で憎悪に塗れた俺も雪走威。人間と同じさ。善の感情も負の感情も、二つが揃って初めて一人の人間なんだ」

 

 「まぁ、俺は幽霊みたいなもんだけどさ」自嘲気味に笑う威はどこか達観したような表情で、そんな悟りきった彼を前にして私は何一つ言い返すことはできない。悔しいが、威の言っていることは正論だ。表の感情だけ持っている人間なんていない。誰もが内に秘めた裏の感情を持っている。もしも表の感情しか持たない存在がいるならば、それはもはや人間とは呼べない。だから、威の意見は正しい。

 ……でも、だからって、このまま言わせたままにしておくのはどうにも癪だった。

 

「……威」

「なんだい、霊夢――――――――っ!?」

 

 私は威の反応を待たず、不意に彼の胸の中に飛び込んだ。背中に手を回し、思いっきり抱き締める。あまりにも突然すぎる抱擁に自他ともに認めるマイペースである威でさえも目を白黒させていた。久方ぶりに彼の意表を突けたことが無性に嬉しくて、威の胸に顔を埋めたまま舌を悪戯っぽく軽く出す。

 威の温もりを全身に感じて、心臓の鳴り方が尋常じゃないくらいに速くなっていた。もうすぐ爆発するのではないかと心配になるほどけたたましく鳴り響く心音を自覚すると、いっそう気恥ずかしさが募っていく。普段の私が私なだけに、似合わないことをしているなぁと妙に客観的に自分を観察してしまっていた。それほど、今の私は相当に恥ずかしいことをしている。

 だけど、そんな恥ずかしいはずの行為が、今の私にとってはどうしようもない程に幸せだった。

 

「霊夢、あの、何を……?」

「……アンタに、伝えないといけないことがあるの」

 

 珍しく顔を真っ赤にしてテンパった様子の威に新鮮さを感じつつも、私は高鳴る鼓動を愛おしく思いながら決意した。伝えよう。私がこの胸に抱いている、雪走威への素直な思いを。

 彼の両肩に手を置き、身体を少し離す。彼の体温を名残惜しく思いながらも、私は精一杯の笑顔を浮かべて威の目を見つめた。薄茶色で透き通ったような彼の瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われるが、大きく深呼吸を繰り返して気持ちを整える。落ち着こう。落ち着いて、私の気持ちを伝えるんだ。

 状況が掴めない様子で呆気にとられたような顔をしている威に微笑みかけると、彼の肩を掴む両手に力を込め――――

 

「好きよ、威。世界で一番、貴方の事を愛してる」

 

 恥ずかしさを吹っ切るように、迷いなく彼とお互いの唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。