『好きだよ、霊夢』
『ひゃいぃっ!?』
優しい笑顔でいきなりそんなことを言い始める威。突然のことに、私は顔を赤くするとともに鼓動が速くなるのを感じた。と、唐突にも程があるんじゃないの!?
威は普段ならば絶対に見せないような純粋な笑みを向けると、私の頬に右手を添えてくる。
『初めて会った時から、ずっと好きだった。キミの顔も、身体も、性格も。霊夢の全部に、俺は虜なんだよ』
『あぅ……やっ……ぇ……?』
威の顔がすぐ近くにある。恥ずかしさのあまり、言葉らしい言葉を発することができない。喉の奥からようやく絞り出して出すことができたのは、赤ん坊のようなか細い声だけ。全身が硬直し、思考も曖昧になってきている。
今私はどうなっているのか。状況を掴むために周囲を見渡そうと試みるが、正体不明の力が私の動きを阻害する。顔を一寸たりとも動かせず、威の顔から目を背けることができない。
『霊夢、愛してる……』
『――――――――っ!!』
妙に艶っぽい声で告白をした威は、左の手も頬に置くと顔の距離を近づけはじめた。ゆっくりと、狙いを定めるかのように接近してくる威。
あぁもうなになになんなのよ一体! ってうわわわわっ! 顔が顔が近いって威ぅううう!!
『…………』
『うぁああ……んんん……』
威が目を瞑る。逃げられない。これはもう逃げられない。覚悟を決めて、私も両目を閉じる。
吐息が唇を湿らせ、柔らかい感触が私を襲い――
☆
「……夢オチって、正直死にたくなるわよね」
夏のうだるような暑さに顔をしかめつつ、私は盛大に溜息をついた。
蒸し風呂状態の部屋で寝ていたからだろうか、全身が汗でぐっしょり濡れてしまっている。気持ち悪い。なんか、特に下半身の辺りがヌメヌメと糸を引いたような嫌悪感で……、
「っ!」
嫌な可能性に思い当たり、私は全力で赤面状態になる。巫女なんていう聖職者が、最も想像してはいけない状況。漏らしたわけでもない、この独特の液体はもしかして。
「……お風呂、入ってこよう」
とりあえず、今は着替えることが先決だ。巫女服が汗で重い。お風呂でスッキリして、早く朝食の準備をしないと。
軽い自己嫌悪に陥りかけるが、気を取り直して馬鹿の名を呼ぶ。
「威ぅー、風呂沸かしてくれなーい?」
…………シン、と静まり返った博麗神社内から威の声が返ってくる気配はない。というか、人っ子一人いないような感じだ。
「出かけてるのかしら」
朝からアイツが外出するなんて珍しい。いつもなら居間で蜜柑食べているか、境内の掃除をしているはずなのに。というか、威が外出するほどの知り合いが幻想郷にいただろうか。
……あぁ、なんか考えるのが気怠くなってきた。なんか頭もガンガンするし、昨日飲み過ぎたかなぁ――
『歓迎会を始めるわよぉーっ!』
「……あ」
はた、と足を止める。そういえば、昨日は威の歓迎会をやっていたはずだ。勿論主催者は私。しかし、後片付け云々をした記憶は全くない。基本的に酒で記憶を失う性質ではないため、本当にやっていない。
昨日の記憶を遡ってみる。確か、挨拶を終えた後にレミリアに呼ばれて、そこでワインを飲まされて……、
「……ワイン、飲んじゃってるじゃない」
原因は驚くほど単純だった。ワインを飲んで酔いつぶれてしまったのだ。私の唯一の天敵である、ワイン。あの洋酒だけはどうしても強くなれない。葡萄が駄目なのかしら。
風呂場に行こうとしていた脚を、居間に向け直す。威がいないなら沸かすのも面倒くさい。身体を拭いて、着替えるだけにしておこう。
箪笥から巫女服を取り出すと、すでに濡れそぼっている服とサラシ、下着を脱いだ。
「んっ……」
肌が外気に触れて、ちょっとだけ声を上げてしまう。あんな夢を見たせいか、身体が敏感になっているようだ。夏とはいっても入ってくる風は冷たい。身体が撫でられる度に、キュンと切なくなってくる。
(……ちょっとだけなら、いいかな)
今ならば、誰もいない。多少声をあげても、バレることはない。溜りに溜まった欲求を晴らすなら、今の内だろう。
幸い裸だ、汚れることもない。私は目を閉じると、先ほどの淫夢を思い出しながら胸と下半身に手を伸ばし――
「……その格好、雪走君が見たら悶絶するわよ?」
「わっきゃぁあああああああああああああああああああっっっ!?」
慌てて炬燵に入り、身体を隠す。焦っていたので下着類を放置したままだが、そんなことに気を回している余裕はない。気が動転して、それどころではないのだ。
先ほどとは別の意味で火照っている身体をなんとか鎮めると、林檎の如く赤くなっているであろう顔で目の前の紫ドレスを睨みつける。
「ちゃんと玄関から入ってこいこの不法侵入スキマ妖怪!」
「不法侵入以外は褒め言葉として受け取っておくわ」
いつか威と会った時と同じく、天井からスキマを伝って出現した紫。この阿呆にはそろそろプライバシーの重要さを身を以て知ってもらわねばと思う今日この頃である。藍あたりが制裁してくれないかしら。
紫は胡散臭いほど優雅に着地すると、私が顔を出している方の反対側から炬燵に入ってくる――
「って、入るんじゃないわよこの変態!」
「今の状況を客観的に見て、どちらが変態か説明してあげた方がいいかしら?」
「ひ、人のプライバシーを粉砕して入ってくるような奴は変態よ! 犯罪者よ!」
「誰もいないからって自慰行為に及ぶ淫乱巫女に言われたくはないわね」
「なっ……!」
恥ずかしさとか怒りとか、いろんな感情が混ざりに混ざって顔から火が出そうだ。『淫乱巫女』という単語が私の羞恥心をガリガリと削り始めている。清く正しい博麗の巫女が淫乱であってはいけないはずなのに……やろうとしたことがやろうとしたことなので、強く反論できない。
で、でもっ! こういうのって年頃の女の子ならみんなしてるでしょ!?
「だからって居間で堂々とはしないと思うわよ? 普通は厠とか、風呂場とかじゃない」
「そんなの知るかぁーっ!」
そもそも論点はそこじゃあないでしょう! 今は紫が不法侵入してきた件について問いただしているのに、なんで私が説教されないといけないのよ!
怒りを込めて再び睨む。視線に「早く本題に入れコノヤロー」という気持ちも込めて。
「まぁ本題っちゃあ本題なんだけどね。でも、わざわざ霊夢に言うことでもないかなぁ。どうせしょうもないことだし」
「しょうもないことでプライバシーを覗き見するのかアンタは」
「うーん。だって私が持ってきた情報は雪走君の居場所くらいのもんだし……」
「オイ待てコラ。紫今アンタなんて言った?」
「え? 人里の鯛焼きは格別ねって」
「一瞬で話すり替えるな!」
威の居場所、なんていう私が今タイムリーで欲しているネタを持ってくるあたり、コイツは人外だと思う。最終的にはブン屋に依頼しようと思っていたので、手間が省けた。……まぁ、コイツのことだからどうせ裏で何かしていたのだろうけど。
紫はこともなげに座布団に座り込むと、スキマから取り出した紅茶を上品に啜りつつ、しれっと言い放った。
「雪走君、白玉楼で修行するそうだからしばらく帰ってこないわよ」
「……霊符・夢想封印……!」
「ちょっと待ちなさい霊夢! なんで私が襲われないといけないのよ!」
「うっさい年増! どうせアンタと幽々子が裏で何か取引したんでしょー!」
「…………てへっ☆」
「よしきた封印タイムだコラー!」
大幣片手に紫の胸ぐらを掴む私。今は全裸だが、幸い紫しかいないので自重しない。これがイラスト付きの作品じゃなくてよかったと心から安堵している。
「選びなさい紫。封印されるか、滅されるか」
「何の違いが!」
「あらお言葉ね。封印は身体は残るけど、滅殺は全部消えちゃうのよ? それくらい考えればわかるでしょ紫なんだし♪」
「アンタは封印したうえで滅殺しそうだから両方却下!」
「嫌ならさっさと威連れ戻してこい!」
居候を勝手に連れて行かれてこちとら日常生活に支障をきたしているのだ。私の大切な便利アイテムを持って行かれて、黙っているわけにはいかない。
とりあえず裏の池にでも捨てて、玄爺の話し相手にでもしてやろうと意気込む私。しかし紫はその場を凌ぐためなのか、私の顔を指差すとこんな言葉を漏らした。
「そ、そんなに怒るってことはやっぱり雪走君に依存しているってことじゃなくて?」
「……何を馬鹿らしいことを。アイツはただの居候よ。便利なだけの、同居人」
「あの子が来てから笑顔が増えたわよね、霊夢。これはただの偶然かしら?」
「…………」
思わず押し黙ってしまう。確かに、威が来てから笑うことが多くなったような気がする。
昔から笑わなかった無表情女だとは言わない。それなりに人生楽しんでいたし、愉快でもあった。……でも、今の暮らしは以前に比べてはるかに楽しいということもまた事実。
「そろそろ認めてもいい頃じゃない? 貴女の、雪走君に対する感情の真意を」
「……アホらし」
だが、認めるわけにはいかなかった。博麗の巫女として。そしてなにより、私の馬鹿らしいほど高いプライドに懸けて。自分から負けを認めるなんて、私の流儀に反する。
「いや、好き嫌いに勝敗は関係ないんじゃ……」
「否よ、紫。何事にも勝ち負けはある。今回だってその例には漏れない。私が威に惚れている? 馬鹿も休み休み言いなさい。そんな乙女みたいな展開誰が望むか!」
「少なくとも、私及び幻想郷の住人諸君、そして画面の前の同志達は望んでいると思うけど……」
「と・に・か・く! 私は威なんかに惚れたりしてないから! わかったらさっさと帰れ馬鹿!」
「分かったわよ……」
「結局怒鳴られただけじゃない……」と肩を落として去る紫。本当、何をしに来たのだろうか。
紫がスキマの奥に消え、居間は再び静寂を取り戻す。私一人以外は誰もいない。本当の静寂が博麗神社を取り囲む。
「……静か、ね」
こんなに静かなのはいつ以来だろうか。いつもならば、威がいるから騒がしいのに。
心なしか、胸の奥が疼いてくる。おかしい。一人でいる方が、好きだったはずなのに。異変に駆り出されるよりも、一人でお茶を啜っていた方が幸せだったはずなのに。
視線の先に脱ぎ散らかされた巫女服が入る。あぁ、そういえばまだ全裸のままだったっけ。身体はすっかり冷えてしまい、濡れていた下腹部も乾ききっていた。
「魔理沙の所にでも、行こうかな」
このまま一人でいても辛いだけだ。気を紛らわせるためにも、あの悪友のもとに転がり込もう。
新しい巫女服を着て、魔法の森へと飛行する。
紫にあれだけの啖呵を切ったあとなのに、私の脳内から威の存在が消えることは無かった。
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