「すぐに戻りますわ。この部屋から出てはいけませんわよ?」
「う、うん」
呆気にとられるトウコを背に、グリーンハートは窓から飛び出し、宙を翔ける。そしてあの少女のいる地点まで接近し、相手から十メートルほど離れた空中で静止した。女神の登場に、周囲の人々がどよめく。
こちらを見上げる少女に、彼女は言った。
「わたくしがリーンボックスの女神、『グリーンハート』ですわ。ええと、『ヘルヘイム』の代表様?」
「貴殿がこの国の『女神』か、要求は先程の通りだ。聞き入れては頂けないか」
「申し訳ありませんが、そのような者は存じませんわね。それに、仮にこの国にいるとしても、捜索には少し時間がかかりますわ」
グリーンハートの答えに、少女はため息をつくと言った。
「偽りはよろしくないな、リーンボックスの女神よ。貴殿は、トウコのことをかくまっているのだろう?」
「……何を根拠にそのようなことを?」
「分かっているからこそ、こうして交渉に来た。すぐに彼女を引き渡せば、我々も貴国に危害を加える意図は」
「存じ上げないと言っておりますのに、一体どうしろと? それにあなた、初めに『危害を加えるつもりはない』とおっしゃっていましたが?」
相手の言葉に、少しも表情を変えずにグリーンハートは答えた。国民の手前、弱気な態度は見せられないということもあった。しかし加えて、向こうの言い分は一見して正論だが、どこかおかしい気がする。トウコが何者かはよく分からないが、この相手にすぐさま引き渡す気にはなれなかった。
少女は一旦黙ると、再びため息を一つついた。そして、メガホンを構えると静かに続ける。
「……先程、申し上げたが。彼女は、全能の力を司る『禁断の果実』を盗み出した者。一刻も早く確保しなければ、この国だけでなく、世界全体の脅威となり得る。どうしても、彼女を引き渡さないのなら――」
トウコの姿を映し出した空間の裂け目が、再び揺らいでいく。そして、また深い森を映し出したその時、
「――こちらも、少々手荒な手段を使わざるを得ない」
少女の言葉と同時に、空間の裂け目から甲虫のような姿をした異形の生物が飛び出してきた。それも一匹や二匹ではなく、街中の至る所に開いた裂け目から、何体も何体も飛び出してくる。
誰かの上げた甲高い悲鳴と共に、異形の生物たちは近くにいた人々に襲い掛かった。一瞬で群衆はパニックに陥り、押し合いへし合い我先にと逃げようとする。グリーンハートは少女に、怒りを込めた視線をぶつけた。
「あなた……一体これは、どういうおつもり!?」
「交渉に応じないのなら、こちらで勝手に捜索させてもらうだけだよ。まあ、よく考え直してみることだ」
少女は急に口調を変えると、そのまま背後に開いた空間の裂け目に飛び込んだ。グリーンハートは彼女を追おうとするが、その目の前でジッパーのような裂け目は閉じてしまう。
「お待ちなさい! ……くっ!」
彼女は唇を噛むと、後ろを振り返った。無数の怪物どもが住民を襲い、周囲の建造物を壊している。手中に自身の得物である槍を召喚すると、グリーンハートは今まさに女性に襲い掛かろうとしていた怪物を、槍の一突きで刺し貫いた。
背中から入った穂先が腹部の辺りから突き出し、怪物は気味の悪い断末魔を上げて爆散する。
「しっかり! 今のうちにお逃げなさい!」
グリーンハートは女性の手を取って立たせると、避難を促す。礼を言う女性を背に、彼女は再び槍を構えると、今度は怪物の群れの中に切り込んだ。
一方その頃、
「ど、どうしよう……」
ベールの部屋に一人残されたトウコは、窓の外の光景を目にして言葉を失っていた。怪物どもがリーンボックスの住民たちを、その鋭い爪で引っ掻き、またその尖った牙で噛みついたりしている。
そんな中を、緑色をした一筋の閃光が翔けていき、怪物を薙ぎ払っていった。トウコにはそれがグリーンハートだと分かったが、敵の数は中々減らない。また他に兵士らしき人々も戦ってはいるが状況は完全に、多勢に無勢であることは明らかだった。
「私のせいで、こんな……『女神様』だったら、こういう時どうするかな……」
両手の拳をぎゅっと握りしめ、彼女はつぶやいた。
とその時、トウコのその声に応えるかのように、突然彼女の左胸の辺りから、黄金色の光が溢れ出した。その光が彼女の体を包み込み、
「うわっ! 何!? 『果実』が……こ、これは?」
光が弾けると、いつの間にか、トウコの腰に黒いバックルのついた黄色いベルトが巻かれていた。更に彼女の手にはオレンジのような形をした錠前が握られている。トウコは自分の腰のベルト、手にした錠前を交互に見つめると、再び窓の方へ向き直った。
「そっか。これが、『果実』の導きだって言うなら……」
そして何かを決心したような表情になると、錠前の側面についたボタンを押す。電子音声と共にハンガーが開いた。
『オレンジ!』
「……私は、戦う。変身!」
『ロック、オン!』
錠前をバックルのくぼみにセットし、ハンガーを閉じる。するとベルトから、ほら貝の笛の音と共に、和風ロックのような音楽が流れ始めた。同時に、トウコの頭上にジッパーのような空間の裂け目が開き、中から巨大なオレンジのような物体が現れる。
それから彼女がバックルについた小刀のようなレバーを倒すと、セットされたオレンジ型の錠前がちょうど輪切りのような形で、パカッと開いた。続けて電子音声がベルトから流れ出す。
『オレンジアームズ! 花道、オンステージ!!』
頭上にあった巨大なオレンジが落ちてきて、トウコの頭に被さる。直後、『それ』はまるで鎧のような形に展開し、彼女の体を覆った。そしてトウコは、オレンジをかたどった様な鎧を身にまとい、隻眼の仮面を被った武者のような戦士へとその姿を変えていた。
心なしか、と言うより明らかに、身長が伸びている。小柄な少女であったのに、今はベール、もといグリーンハートと同じくらいの背丈だ。
「これが『禁断の果実』の力、か。これなら、ベールを助けられるかもしれない」
大人の女性のような、低い声でそう言うと、彼女は窓辺から外に飛び出した。
そして地面に着地すると、悲鳴の聞こえてくる方へ向き直る。が、ここからでは少々距離があるようだ。
「少し、遠いな。何か、乗り物があれば良いのだが……む?」
彼女が呟くと、右の手の平から再び黄金色の光が溢れ出した。光が収束し、彼女の手の中で、新たな錠前となって実体化する。こちらは桜の花のような形だ。
「何という力……私の願望が、形になるとは」
先程と同じようにボタンを押してハンガーを開き、放り投げる。すると錠前が空中で変形し、桜色をした小型のバイクに変わった。
変身したトウコはバイクにまたがると、アクセルを全開して急発進させ、怪物の群れと戦うグリーンハートのもとへ全速力で向かった。