暗い。果てしなく広がる暗黒の中へ、ベールの意識は沈みつつあった。
抗いようもなく、ただただすーっと落ちていくように、意識が真っ黒に塗りつぶされていく。私はこのまま消えてしまうのか、愛するリーンボックスはあの侵略者に蹂躙されてしまうのか――消えゆく意識の中、彼女が思ったその時、
『――……って』
ふとベールは何者かの声を聞いた。どこか聞き覚えのある、女性らしき声だったが、今何と言ったのか。耳――今の彼女にあるのか分からないが、とりあえずもう一度その声に耳を傾けようとした、瞬間、
『――まだです、気をしっかりもって! 『この世界』の女神よ!!』
力強く、澄んだ女性の声が響き渡ると共に、黒く沈んだ視界が一気に晴れていく。
気がつくとベールは黒々とした地面に足をつけ、そこに立っていた。辺りは沈む寸前の夕焼けのような、赤黒い色に染まった荒涼とした大地が広がっている。空は暗く、風も吹いていない、ひどく寂れた場所である。周囲を見回し、彼女はつぶやいた。
「ここは……? 確か、暗黒星くろめと戦って……」
『よく、生き延びてくれましたね。リーンボックスの女神、ベール』
「この声……! あなたは一体? どこにいらっしゃいますの!?」
とその時、再び先程の声が聞こえてきた。なぜかどこにも姿は見えないが、気配だけは近くに感じる。そこでベールはようやく思い出した。くろめとの戦いの最中、もう一度変身を促してくれた声と同じだ。
その主を探しつつ発せられた彼女の問いに、謎の女性の声は答えて言った。
『私はヘルヘイムの女神……『だった者』です。ええと、うちのトウコがお世話になっております』
「ヘルヘイムの……ではあなた、『女神様』!? なぜ姿をお見せになりませんの? それに、この場所は一体」
『落ち着いて。順を追ってご説明します』
ベールの言葉を制して、声は話し始める。彼女は耳を傾けた。
『トウコから聞いているかとは思いますが……私は『暗黒星くろめ』の手によって、一度は闇に堕ちてしまいました。しかし、どうにか自我を取り戻した時に肉体を捨て、こうして『魂』の状態で生きながらえてきたのです』
「『魂』……それで、わたくしのサポートをしてくださった……ということ、ですのね?」
『ええ、その通りです』
ベールの問いかけを、『女神様』は肯定する。思えばベルトを使って変身した後から、自らの身のこなしや思考が、自分のものではないように感じていたのだ。ベール自身、アーチェリーの経験はあるが、戦闘には役立たない嗜み程度のものであったし、それに変身できなかったはずが、なぜか二度目には変身できたり、くろめがベルトを破壊しにかかった時、なぜか何も起きなかったりと、不思議なことが立て続けにあった。
とそこで、一旦言葉を切って相手は言った。
『しかし……私にはもう、残された時間がありません。帰るべき肉体も無き今、この世を離れねばならない運命なのでしょう……そこで、あなたに託したいことがあるのです』
「託したいこと? それが、わたくしをここに呼んだ理由ですのね?」
彼女に体があれば、恐らく頷いたであろう。『女神様』は続ける。
『ええ。説明が遅れましたが……ここはトウコの心の中、『精神の世界』と言ったところでしょうか。消えかけていたあなたの『魂』を一時的に、トウコの精神と同化させることで、この世に繋ぎ止めているのが現状です』
「トウコの心? 精神? 彼女は、くろめの精神に乗っ取られてしまったのでは?」
『いいえ……トウコはまだ、死んではいません。くろめが彼女の体をもって生き返ったことで、本来の宿主であるトウコも一時的にではありますが、死を免れることができたのです。彼女の魂はまだ、『ここ』にあります』
『女神様』の言葉と共に、ベールの目の前の地面に突如亀裂が入り、口を開いたクレバスの中から『何か』が地表に出現した。彼女の前に現れた、その淡い青色の光を放つ球体は、地表から数センチぐらいの所に静止しており、その中には、
「こ、これは……本当に!?」
『ええ。しかし今の彼女は、魂の『カタチ』だけが残っている状態です。私に残った力では、こうして『カタチ』を保つ程度が限界でしたが……』
トウコの姿があった。しかし彼女は球体の中でうずくまり、眠ったように目を閉じたまま、動こうとする気配も無い。目の前の光景に息をのむベールに『女神様』は再度、語りかける。
『暗黒星くろめも今や、『精神』のみの存在。トウコの『魂』を蘇生させ、もう一度意識を取り戻すことができれば……彼女、を……倒せる……かも、しれな……』
「『女神様』!?」
『……本当に、私は……ここまで、のようです。でも、あなたの、『シェア』エネルギー、と……トウコへの『想い』の力が……あれば……必ず』
『女神様』の声が、徐々に遠のいていくかのように小さくなっていく。消え入りそうな声で彼女はベールへ、最後に言った。
『必ず……でき、る……! トウコを……私の、愛する娘を……頼みます』
言い終えると同時に、先程までベールのそばにあった気配が消え去る。一人取り残された彼女は、顔を上げるとトウコの入った球体に向き直った。
そして、両手を広げて前に突き出すと目を閉じる。
「トウコも一つの『世界』を司る『女神』……だとしたらこの世界の信仰、『シェア』のエネルギーで力を取り戻せるはず……!」
彼女が強く念じると、その手の平から青白い光が粒子となって溢れ出し、トウコの元へと流れ込んでいった。淡く光を放っていた球体が徐々にその輝きを増していく。
しかしそれと共に、ベールの体の輪郭が少しずつぼやけていった。
「くっ、力が……! わたくしも、もはや残っているのは『魂』のみ……『シェア』のエネルギーを失えば、存在自体が危ういですわね。でも、トウコの為なら」
「この命惜しくは無い、ってかい?」
更に強く念じようとしたその時、突如聞こえたその声と共にベールは、強い衝撃と共に前方へ突き飛ばされた。そのままトウコを包んだ光の球体に突っ込み、中にいた彼女と共に地面に倒れ込んでしまう。
ベールが顔を上げると、『相手』は土煙を上げる右足を、苛立たし気に踏み鳴らしつつ言った。
「あーあ美しいねえ、感動的だ。だが……」
そして、その青紫色の長髪をなびかせつつ歩み寄ってくると、
「無意味だ!」
「ぐああああっ!! あ、暗黒星……くろ、め……!」
「何かおかしいと思ってみれば、これだ。全くトウコもきみもしぶとい奴だよ、いや『しぶとい』なんて言葉じゃ片付かないほど……忌々しい!」
うつ伏せに倒れたベールを思い切り踏みつけた。ギリギリとその足に力を込めつつ、くろめは続ける。
「ぶっ殺しても、ぶっ殺しても! なぜ『死なない』!?」
「ぐあああっ! 」
「一体何回! 殺せば! 死んでくれるんだ! 『お前たち』は!!」
「あああっ! あ、うう……」
そして足を再度上げると、立て続けに何度も踏みつけを相手に見舞った。
息も絶え絶えになったベールを、軽く蹴飛ばして仰向けに転がすと、くろめは怒りに燃えた瞳で彼女を見下ろし、睨みつける。
「まあいい、今度こそ終わりだ。ここできみを消し去ってしまえば、全ての『希望』は潰える。さあ、闇に堕ちろぉ!!」
その右の拳を握り固め、漆黒のオーラをまとうと、大きく振りかぶってベールに振り下ろす。本当に、ここで終わりなのか――今度ばかりは彼女も覚悟を決め、目を閉じた。が、
「ぐ、う……っ!? な、何だ! これ、は……!?」
急にくろめがうめき声を上げる。振り下ろされた彼女の拳は相手に届く寸前でピタッと静止し、まとったオーラも消えてしまった。
そこでベールが目を開けたのとほぼ同時に、くろめは自分の右腕を押さえると数歩後ずさり、その場に膝をついてうずくまってしまう。
「体が……動かな、い……それ、に……く、苦しい……っ!」
「い、一体何が……?」
目の前の事態に、くろめ自身だけでなくベールも戸惑いを隠せない。押さえた右手を胸に押し当て、うめく彼女の元に、
「何だ……なんだよ、これは!?」
「光、が……」
どこからともなく無数の光球が、流星の如く尾を引いて飛来し、彼女の周囲を取り囲むように回り始める。淡い青色の輝きを放つその光球たちは、徐々に寄り集まって強い輝きを放っていく。
その光が強くなるにつれて、くろめは声を上げ激しく苦しみだした。
「ぐ、ううっ……! この、光……信仰、の……『シェア』のエネルギー、か……! くそっ! 忌々しい……っ!! ぐうああああっ!?」
彼女を取り囲む青い輝きは目もくらむほどのものになり、倒れたベールをも包み込んでいく。その中で、ベールは何者かの声を聞いた。
『暗黒の星よ、お前の思い通りになどさせない!』
『我々の『魂』までも、奪えると思うなよ!』
『我々の世界を……我々の女神、トウコ様を返してもらおうか!』
あの『女神様』の声ではない。しかも一人ではなく、男の声に女の声、若い者から老いた者の声まで、多くの人々が話している声だ。
ベールは思い当った。
「これは、まさか!?」
「ぐうおお……!! お、お前たち、『ヘルヘイム』の……! なぜ、だ……なぜ『魂』まで、闇に堕ちない!? うああああっ!!」
くろめがもがき苦しむ一方で更に輝きは強さを増し、ベールの後方で倒れたトウコの元にも届いた。そして更に多くの声が響き渡る。
『ベール様をお守りする!』
『たとえ怪物に成り果てようと私達の、ベール様への信仰は変わらない!』
『ヘルヘイムの方々、私達も手を貸します!』
「……ふ、ふざ……けるな。ふざけるなぁっ! 民衆、なんて……都合が悪く、なれば……女神、だろうと……すぐ見捨てる、そういうモンだろ!? ええっ!?」
「み、みんな……!」
思わずもらした声と共に、目尻から涙がこぼれる。愛する国民たちは、自国がどうなろうと、更には自分たちが怪物になろうとも、私への信仰心だけはずっと持ち続けてくれていたのだ。みんなの為にもここで倒れるわけにはいかない、ベールは体の奥底から力が湧いてくるのを感じた。そして、
「みんな、の……声が、聞こえる……?」
「ハッ!? や、やめろぉ! お、起きるんじゃあ、ないっ!!」
「トウコ!? 意識が……」
背後から聞こえた、小さな声に振り返ると、倒れたトウコの体が微かに動きを見せる。それに気付いたくろめの表情に、明らかな焦燥が見て取れた。彼女は歯を食いしばり、右の拳を固めると、
「うるさい、奴らだ……『お前たち』は、消えろおおおオオオッ!!!」
「なっ……!? みんなの『魂』が……!」
振り払うような動作と共に、自分を取り囲んでいた光球たちを消し去ってしまった。辺りを照らし出していた光は消失し、再び暗闇が舞い戻る。先程は動いたように見えたトウコも、今では再び倒れ伏したまま、沈黙している。
息を切らせつつ、しかし不敵な笑みを浮かべてくろめは言った。
「はあ、はあ……ふふ、ふ……『光』が強く、なれば……それだけ、『闇』もその深さを増す、ものさ……今度、こそ……希望は、潰えたね」
「どうかしら。あなたも随分と消耗しているのではなくって? それに……」
それに対しベールは立ち上がると、
「みんなが最後まで持ち続けた『信仰』の力、それがある今……わたくしは負ける気がしませんわ!」
そのままグリーンハートへと変身した。その手の中に槍が生成され、彼女はそれを構えて戦闘態勢に入る。
変身を遂げた彼女を前に、くろめは苛立ったように叫んだ。
「ああもう一体、何度きみの顔を見ればいいんだか……いい加減に消えてもらえると嬉しいんだけどなぁ!?」
「ぐうっ!」
「それに忘れてないかなあ!? ここはトウコの……いや、オレの『精神』の世界だ、全てがオレにとって有利に働く!!」
突如、目の前に現れたくろめの右ストレートを槍の柄で防いだグリーンハートだったが、パンチの衝撃で後方へ押しやられてしまう。更に、足元の赤黒い砂がまるでコンクリートのように固化し、彼女の動きを封じ込めた。続けて砂が二本の柱のように吹き上がり、同じく固化して、両腕までも固定してしまう。
磔のようにさせられたグリーンハートを前に、くろめはあざ笑うように言った。
「詰み、だね。もはやきみを支える者も一人としていない。せっかくここまで頑張ったのに、きみも哀れなものだ」
「いいえ、わたくしには今……リーンボックスとヘルヘイムの、全ての人々が共にいる!」
「ふん、たわごとを……何っ!?」
相手の言葉を笑い飛ばしたくろめだったが、直後、グリーンハートを磔にした砂の塊が粉々に砕け散った。その衝撃に彼女は顔を伏せたが、すぐさま上げ直す。
そこへ、砂煙の中から青白い光をまとったグリーンハートが姿を現した。
「わたくしは一人ではない。みんなが共にいて、その全ての希望を背負って戦っているのですわ! だからこそ、何度でも立ち上がる!!」
彼女は再び槍を構えると、言い放った。
「暗黒星くろめ、あなたはここで……倒す!!」
「へえ、いきがっちゃって……やれるものなら、やってみなよ!」