沖縄、鎮守府の提督室。そこに備え付けられている椅子に腰掛けて、糸井川提督は深刻な面持ちで艦娘達の報告を待っていた。
内容はもちろん、木曾救出のために出撃して未だに帰ってこない天龍、球磨、多摩……そしてレンゲの消息についてである。
と、そこに息を切らせて時雨が飛び込むようにして、ノックもせずに入って来た。
「……どうだった?」
その行為を一切咎めずに報告を聞こうとするところに彼の憔悴が見てとれる。だがそれが許されても仕方ない程に、状況は深刻であったのだ。
「はぁ、っはぁ……帰って、来ました。全員……」
肩でリズムを取りながら乱れた呼吸を直してからようやく時雨が告げた報告に、糸井川はほっとした様子で椅子の背もたれに身を預けた。
だがそれも一時のことで、すぐに姿勢を正すと時雨にどのような状況であるかを問いかける。
「損害は」
「球磨と多摩が大破、レンゲと天龍が中破です。レンゲの方は首に締められた跡がありますが、米軍の軍医の話ではすぐに意識は回復するそうです」
それと、と付け加えながら時雨は更に言葉を続ける。
「他の皆は船渠の方に既に移動したんですが、天龍さんが提督にだけ話したいことがあるみたいで……至急桟橋の方まで行ってあげて下さい」
「分かった。高速修復材は出し惜しむなよ、この隙を狙って深海棲艦が攻勢を仕掛ける前に建て直しを図らなければな」
糸井川がそう言い残しながら出ていった後、時雨は大きなため息を吐いてこれから糸井川が直面するだろう事態に思考を巡らせる。
「天龍さんの言う通りに内容に触れなかったけど、……
@
「やっと来たか。取り敢えずここで話すのもなんだから少し場所を移しても良いか?」
「おいおい……更に場所移すのかよ。そんなに秘密にしたいことなのか?」
応急手当として肋骨の辺りにギプスを着けられ、衣服のあちこちが煤けた天龍の姿は痛ましいものだった。
本来ならすぐにでも船渠に運ばれるべき状態だが、その傷を押してでも早急に伝えたいことなのだろう。
周りに自分と糸井川以外誰もいないことを確認してから二人が移動した先は米軍の駐屯基地や鎮守府からかなり離れた、普段は誰も近づかない海岸であった。
「───ここまで来たなら大丈夫だな」
「こんな僻地まで移動したんだ、余程秘密にしたいことらしいな」
「ああ。取り敢えず聞きたいことも多いだろうけど……それは
そう言うと天龍は消波ブロックの居並ぶ海岸に向かって「おい、生きてるか」と厳しい声音で呼び掛ける。
と、消波ブロックに引っ掛かっていた漂流物の一つが天龍の声によってか否か、崩れるように落ちる。
……いや、漂流物ではない。糸井川は大本営からの連絡で『それ』を知っていた。
漆黒の鱗と甲殻、鰐のように強靭長大な尾。そして石榴のように赤く爬虫類のように二つに縦割れた瞳。
《丙型生命体》第一号、リヴァイア・サンズの姿がそこにはあった。
「……よォ。どうした、ずいぶんシケた面してんじゃねェか」
「お前は……!?」
突如として目の前に現れた怪物に驚愕を隠せずにはいられない糸井川。しかし、瞬時に対抗しようと腰の軍刀を抜刀してサンズの方へと鋒を向けたのは流石軍人と言うべきだろう。
だがその行動を、天龍は制した。
「待ってくれ。……コイツはロクに動けねぇ、そうじゃなきゃここまで引っ張って来られなかったからな」
天龍が首で指し示した先をよく見ると、サンズの左脇腹が大きく抉れていたことに糸井川は気付く。
傷口は既に塞がりつつある所にサンズの生命力の強さが伺えるが、それでも相当なダメージらしくその声には覇気が失われていた。
「《丙型生命体》の鹵獲……確かに秘密にしたいことだ」
「ああ。どこに知れても厄介な事態になり得る。特にコイツには前科があるしな」
《丙型生命体》は未だに謎に包まれた敵性存在。更に言えば深海棲艦に比べ言語によるコミュニケーションを取る余地のある存在でもある。
もしそれの生きたサンプルや情報を手に入れ、研究することが出来れば日本は外国よりも大きなアドバンテージを得られるだろう。
糸井川がこの思わぬ収穫に思考を巡らせていると、消波ブロックにもたれ掛かっていたサンズがゆっくりと口を開いた。
「……なあ、沖縄鎮守府の提督さんよォ。俺の皮算用は一先ず置いておいて……一つ
「取引……だと?お前にそんな権利があると思うのか」
厳しい表情でサンズを睨み付け、サンズの取引を一蹴する糸井川。
確かに、今サンズが置かれているのは重傷の身で鹵獲され、生殺与奪の自由を奪われている最悪の状況である。糸井川が冷徹に拒否するのも頷けるものだった。
「ク、カカカカッ……!!厳しいねぇ、だが正論だ。……テメェがそう邪険にするのも分かる。故に、こちらが先に二つの
まず一つ、とサンズは人差し指をぴんと立てて愉快そうな顔で最初の対価の内容を話し始める。
「こいつはそこの艦娘に助けて貰う代わりに先程払った。《俺達が鹵獲、交戦した沖縄及び横須賀鎮守府の艦娘の返還》だ。レ級、球磨、多摩、天龍」
そして、とサンズが口走ると共に海面から音も立てずにサンズの艤装である骨の怪物が姿を現す。当然糸井川と天龍は迎撃の構えを見せるが、それよりも速く怪物はその
「……以前拉致した木曾。これで全員だろう?」
五体満足の姿で横たわる木曾の姿を二人に見せた。
「サンズ、貴様……ッ!!」
「まあ待てよ。どこも傷付けちゃいねェ。……それに、
何を、と口に仕掛けて糸井川も気付く。戻ってきた球磨と多摩は艤装が大破、天龍は意識こそしっかりしているが重傷。レ級は意識不明と帰投するのが不可能に近いものだった。
サンズの助けがなければ、誰かが助からなかったのは確実だったであろう。
払われた対価の価値に気付いた糸井川を畳み掛けるように、二つ目の対価についてサンズが言葉を続ける。
「2つ目の対価……《三宅島を襲撃した理由》なんてどうだ。本来ならネットの海にでも流そうと思ってたが……テメェに話してみるのも面白そうだ。……あぁ、ちゃんとお前にとっては価値のある話だ」
「どうせ、嘘を吐くだろう。話したことをそのまま鵜呑みに出来る程俺は馬鹿じゃない」
取引に乗るべきかどうか。その選択に煩悶しながらも二つ目の対価に拒否の返答をする糸井川。確かにサンズの話そうという内容の正当性、価値はとても低いものに感じられる。
「……良いのか?国内世論が反戦に傾くぞ」
だが返されたサンズの一言が、糸井川の背筋に冷たく突き刺さった。
「それは、一体どういう……!?」
「
「だ、だが市民がそんなデマを信じる訳が」「信じるよ」
糸井川に僅かに走った動揺を狙い澄ましたかのように、サンズは彼の言葉を遮った。
その顔に、死にかけとは思えない笑みの表情を浮かべて。
「市民にとって
つまらねえ政治の話よか女優の不倫の方がウケが良いだろ?嘘か真実なんて二の次。インパクトの問題なのさ」
話している途中でどこかの傷口が開いたのか、咳き込みながら血を吐き出すサンズ。だがその舌鋒は終わらない。
「もし……これがニュースになったら叩かれるのは大本営だけじゃすまないだろーなァ。ひょっとしたら、いや間違いなく艦娘も叩かれるなァ。デマを信じ込んだ奴は見境ねェからなァ」
「……いい加減その口を閉じろ。さもねェと……」
半死半生の身で滔々と悪辣な内容を語り続けるサンズに堪忍袋の緒が切れた天龍が、軍刀を抜き放つ。
しかしサンズはそれに怯みもしなかった。ただ一瞬、天龍を見つめてから間を置いて冷徹に一言。
「───やってみろよ」
「上等だ……楽に死ねると思うなよテメェ!!」
「ッ……!!よせ、天龍!!」
先程とは逆に糸井川が天龍の前に立ってその激昂を抑える。天龍より幾分か冷静な彼には否応なしに理解せざるを得なかったのだ。
(この態度……この男を殺したらまずいことになりうるか……!!)
そうでもなければ死にかけであのような態度は取れない。殺せばむしろ事態の悪化に繋がりかねないことになると踏んだのだ。
無理やり殺す選択も一瞬脳裏に浮かんだが、先程語られたようなデマによる国内世論の操作や艦娘達への中傷は糸井川としても御免
「俺が死んだ時は仲間に情報を流すよう前もって伝えてある。勿論、確固たる証拠付きの奴をだ」
なんなら今証拠の写しでも出してやろうか、という一言に天龍と糸井川はただならぬ戦慄と共に確信を抱く。
間違いなくサンズは確固たる証拠を抑えている。そして、それはこちら側にとって大きなダメージを与えるものであると。
天龍達の内心をよそに、再び愉快げな調子に戻ったサンズは取引の是非を問いかける。
「……ま、そんな訳でだ。俺がテメェらに保証してもらいたいのが二つ。《怪我の治療》と《俺の身柄を米軍に引き渡さないこと》。これさえ守ってもらえりゃ良い。ちゃんと守ってくれるなら他の情報も教えてやるよ」
「……一つ聞いても良いか」
苦々しい顔で糸井川が絞り出すように放った言葉の裏側に、いかに彼が内心で葛藤したのかが容易く読み取れた。
「その二つを守れば……その証拠、
「……きちんと守ってくれるならな」
サンズの口調にどこか嘲るような雰囲気があったのは、糸井川の返答が分かりきっていたからに違いなかった。
「分かった。……応じよう」
「取引成立だな。途中で反古にしてくれるなよ?」
無言で頷き、天龍と共に海岸から立ち去る糸井川。
その後ろから、サンズの忍び笑いがクックッと波の音に紛れて二人の耳に流れ込んで来ていた。
─────悪魔め。
糸井川が忌々しげな様子で吐いた一言は、開けつつある宵闇に消えていった。
漸く沖縄側の動向へ移ります。