さがしもの   作:牧田深月

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依頼と過去

「で?依頼っつーのは何なんだ?」

 

新八が椿と銀時の前に薄いピンク色の液体の入ったグラスを置いた。椿はグラスを持ち上げ、口元まで持っていく。いちごの甘酸っぱい匂い。いちごミルクだった。なぜいちごミルクなのかはよくわからなかったが、気分を落ち着かせるために一口いちごミルクを口に含んだ。喉を滑り落ちていく冷たい液体が、次第にぬるくなっていくのを感じた。

 

「兄を探してほしいのです」

 

ぽつん、と零した言葉は切実にか細く宙に浮いた。

銀時は、死んだ魚のようだと評される目を僅かに細めた。椿が『藤袴』の養女であることは、かぶき町では周知の事実。その椿が、兄を探してほしいということは、その兄は血の繋がった兄だろうということは誰しもが想像できた。

 

「こんな美人な妹を放っておくなんて、ひでー兄貴だな」

「兄とはもう十年近く会っていません。生きているか死んでいるかもわかりません。それどころか、兄がどこの誰なのかもよくわからないのです」

「…そりゃあ、どういう意味だ?」

「私が幼い頃、家族と離れ離れになったからです。少し、長くなりますが…聞いていただけますか?」

 

椿は無意識に左手で右の手のひらを撫でた。

自分の過去を、こうして他人に語るのは初めてのことだった。

 

 

 

 

 

 

私が育ったのは、おそらく一般庶民のような家庭ではなかっただろう。子どもながらに、どこまでも続いているかのように長い廊下とがあったことや、掃除や洗濯、食事の膳を運ぶ多くの使用人がいたことを覚えていたからだ。

 

両親との関係は希薄だった。

私の世話をしてくれていたのは乳母のキヨで、キヨには一人娘のおみつがいた。私の遊び相手は専らおみつだった。おみつ以外に私と歳が近い子どもはいなかったからだろう。両親とのふれあいがなくとも、寂しさを感じることはなかった。物心ついたときから、それが当たり前だったから。

 

それでも、時々両親以外で部屋に遊びに来てくれる人がいた。それが兄だった。

 

兄は、私より一回りほど年上だった。

それだからか、泣かされたり、からかわれたりすることはなかった。ただ私が遊んでいる様子を少し離れたところからじっと見ていた。

雨の日、部屋にこもって暇を持て余していると、どこからともなく兄がやってきて、勉強を教えてくれた。

ぎこちなく筆を握る私の手に手を添えて、ひらがなを書いた。これが私の名前だと言ってくれた。じゃあにいさまの名前はと聞くと、違う紙に名前を書いてくれた。漢字だったから読めなかったが。

 

私は兄と勉強する時間が好きだった。

けれど、次第に成長していくにつれ、私は兄について様々なことを知ることになった。

例えば、両親に疎まれていること。例えば、兄がほとんど家にいないこと。

 

でもそんなことはどうでも良かった。

兄が、私を妹として見てくれているだけで十分だった。

 

「にいさま、どこへ行くの?」

 

兄は物々しい格好で、腰に刀を差していた。

今まで兄がそんな格好をしていたところを見たことがなかったので、私はびっくりして尋ねたのだった。

 

「志を果たしに…って言っても、お前にはまだわからねぇか」

 

兄はそう言って苦笑して、私の頭をくしゃりと撫でた。

相も変わらず優しい手だった。

 

「俺に何があっても、お前は生きると約束してくれるか?」

「うん!」

 

兄の、差し出された小指に自分の指を絡めて、私は兄と約束した。舌足らずに指切りげんまん、と歌う私に、兄はいつものように優しい笑みを浮かべていた。

それが、私が兄に会った最後だった。

 

 

 

 

 

 

「椿さま!」

「キヨ!ねぇ、これなんの音?」

 

金属同士がぶつかり合うような音がした。

犬の唸り声のような音と、ヒューヒューと風がなる音。

キヨは私を落ち着かせるように背中を撫でると、おみつの服を取り出して、今着ている着物を脱いで、それに着替えるように言った。

 

「ね、なにがおきてるの?」

 

子どもながらに、何か異常なことが起きているのだというのはなんとなくわかっていた。

 

「お兄様とお約束なさったでしょう。そのために、ここからお逃げください。」

 

おみつが私の手を握った。いつの間にか、彼女は私の着物を着ていた。なぜなのか考える暇もなく、キヨは低い声で囁いた。

 

「屋敷の裏の、塀が崩れているところから外へ出て、できるだけ遠くへお逃げなさい。さあ、早く!」

 

言われるがまま、私たちは部屋の外へ飛び出した。

部屋を出た瞬間、先程からずっと聞こえていた音が悲鳴だと気づいて、背筋が寒くなった。それでも私が逃げ出さなかったのは、おみつが私の手を握っていたからだった。

 

雑草に隠れるように庭を横切った。ぼうぼうに伸びた草は、私たちをうまく隠してくれた。時折響く怒声や、追い詰められた動物が放つ最期の叫びに足が止まりそうになりながらも、私たちは走った。

やっと土壁の破れ目にたどり着いたとき、私たちはどちらも汗だくになっていた。穴は小さく、子ども一人が通るのがやっとだった。おみつは私に、早く穴をくぐるように言った。言われたとおり、青臭い地面に這いつくばって、身体半分ほど向こう側に出たときだった。

 

「おい!餓鬼がいたぞ!」

 

思いの外近くで野太い男の声がして、続いて草をかき分ける音が聞こえた。まだおみつが潜っていないのに。私は必死になって穴を潜ろうとしたが、恐怖で手にうまく力が入らなかった。おみつの汗に濡れた手が私の足を押しているのを感じた。足音がどんどん近づいてくる。どうしよう、どうしよう…。

 

「あ」

 

小さな声がぽとりと地に落ちた。

おみつの声だった。まだおみつが押してくれていた足に、生温い水がかかったのを感じた。やったか、と声がした。穴から這い出ると、足にべっとりと赤いものがついていた。這い出てきた穴から、蛇のようにじわじわと浸食する赤い液体。それがおみつの血だと理解するのに、そう時間はかからなかった。

 

震える足を殴りつけて、なんとか立ち上がると、家とは反対方向に走った。逃げなければ、殺される。その思いが私を突き動かしていた。夕暮れで、あたりは真っ赤に染まっていた。

まるで、血のように。

 

 

 

 

 

「それから、何里歩いたかはよく覚えていません。もっとも、子どもの足ですからそう遠くは歩いていないのかもしれません。何しろ無我夢中でしたので…」

 

しばらく誰も話さなかった。

いや、話せなかったという方が正しいのかもしれない。思いもよらぬ壮絶な話に、皆、言葉が出なかったのだ。

椿はコップに残っていたいちごミルクを飲み干した。すっかりぬるくなってしまったそれは、あまり美味しくなかった。

 

「それで、万事屋さん。兄を探していただくことは可能ですか?」

「できる限りはやるが、保証はできねーぜ」

「それでも構いません。依頼料は前払いで。もし、兄が見つかれば、この倍額払います」

 

銀時は、差し出された封筒を受け取らなかった。

正直なところ、喉から手が出そうなくらい欲しかった。だが、依頼を叶える確証もないのに金を受け取るような真似はしたくなかった。

 

「金は、兄貴が見つかったらもらうわ」

 

椿はびっくりしたように目をぱちぱちと瞬かせた。お妙ちゃんは、万事屋を金欠だと言っていた。けれど、彼はお金を受け取ろうとしない。お金を受け取らないのも、彼らなりの流儀があってこそだろう。思っていたよりまともな人なのかもしれない。

椿は封筒を懐に戻すと、背筋を伸ばして深々と頭を下げた。

 

「どうかよろしくお願いいたします」

 

 

微笑んだ椿に、どこか懐かしさを感じて、銀時は首を傾げた。どこかで会ったことがあるような。誰かとよく似ているような。そんな気がしたけれど、さっぱり思い出せなかった。いくら頭をひねっても、どこからともなく湧いてきた既視感を消し去ることはできなかった。




子供の足じゃあそう遠くは行けねぇよ!っていうツッコミはなしでお願いします。

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