『――んのなら耳揃えて払って貰いまひょか!!』
女性が古びた建物に入ると同時に入り口近くまで怒号が響いてきた。
声が聞こえた奥の方へと視線をやるとその場にへたり込む大人二人と只管怒鳴り散らす男の姿が見える。
男は白のスーツをだらしなく着こなしていて、チンピラかヤクザにしか見えない。
そのヤクザ風の男を見上げる年老いた夫婦らしき二人の人物は白い割烹着を身に着けている。
どうやら女性が侵入した建物は料理屋らしく老夫婦はこの店の亭主達らしい。
その証拠に女性がチラリと見遣った風景の一つに客は居ないが定食屋の体をなした物が配置してあった。
最初の言葉からも分かるがヤクザ風の男が亭主で割烹着を着た老夫婦が来客であると言うのは限りなく不自然だからその可能性が高いだろう。
超展開が無い限り。
未だ目の前の様子を窺いながら突っ立っていた女性は目を細めると足を前へ進める。
『あぁ!? 何の用だ、嬢チャン! ちょっと空気を読んでくれんか!! テメェラも立て看板くらい出しておけよ!!!』
『……すいません。見ての通り、今は少し手が離せないので来てもらってすいませんがお帰り下さい』
丁度、両者の視界に入る位置で歩みを止める女性。
それに気が付いたヤクザ風の男が噛み付く様に怒鳴り散らし、老夫婦は申し訳なさそうに引き取りの言葉を述べた。
恐らく。借金取りと多額債務者の構図に割って入る。
この時点でも女性の行動はあまりにも突飛だったが次に彼女が発した言葉は更にぶっ飛んだモノだった。
『厨房を貸して下さい』
『『『はぁ?』』』
その場に相応しくない言葉に思わず仲良く三者同時に聞き返した。
空気が読めない所か正気かと疑う三人の態度に構わず続ける。
『美味なる物は全てを救います』
更なる場に混乱を及ぼす言葉を吐き出し、女性は目を閉じる。
その姿は場と恐ろしく馴染まなかった。
『ちょっと、嬢チャ――』
『貴方はイライラしていますね!』
ヤクザ風の男はすぐさま思考を正常に戻し、女性へ言葉を投げ掛けようとするも当人から行き成り人差し指と混乱を向けられて言葉を途切らす。
『それはカルシウムが足りないからです。つまり偏食ばかりで養分摂取を怠っている証拠』
『……それは関係無いんじ――』
『貴方達も!』
老人が訂正の言葉をいれようとするも女性は目をカッと見開き老夫婦を見て、指差す。
二人はビクッとして驚き言葉を詰まらせた。
『地べたに足をつけて人の話を聞いているようじゃ、足腰が弱いと推測できます。故に強靭な骨密度強化の為にカルシウム摂取が急務となる事でしょう。幸せな老後生活は泡と消え、そのままでは碌な老後を送れません。ですので、厨房をお借りしたいのです。お分かりですか?』
何一つ分からなかった。
三人は表情を引き攣らせ思う。
こうまで理解不能の変人とは面白く思う所か只管に怖い。
老夫婦は断ったら何かされるんじゃあないかと恐怖し口を噤んでいたが、ヤクザ風の男は馬鹿にされていると判断し、我慢の限界だと女性に掴み掛かろうとする。
しかし、その手は空振り男は宙に舞う事になった。
『――崎守流護身術 赤穂返し』
女性は男を一本背負いの様な形で投げると一拍おいて技名らしき言葉を呟く。
投げられた男は背の痛みに悶えながらも女性の恐怖を味わい逆らう気力を奪われる。
これで彼女を止める存在が居なくなった筈なのだが認識していなかった人物の言葉によってあっさり止まった。
『待ちなさい! ブタ女!!』
振り返ると視線の先には倒れ伏した男の上に仁王立ちしている少女が居た。
「……何やねん、コレ?」
関西弁使いの駒田さんに誘われ、修羅場に発展したメンバーを加え行われたカラオケ親睦会を終えて、マンションに帰っていた。
風呂にパパッと入浴し、動きやすい服装に着替えて日課のアイドルチェックしていたら、とんでもないドラマに出会った次第である。
一応、オーディション会場で直接会った訳では無いが偶然的に私とアイドルデビュー同期でIMSG所属の高垣楓さんが主役という事で視聴していたのだけれど中々に予想の斜め上をいく展開を魅せ付けてくれる出来だ。
第一話だから引き込む演出を狙った上での超展開なのか、はたまた脚本家と製作陣の頭がポンコツなのかはまだ分からないけど視聴者が最後までついていけるのか謎である。
明日の朝にはネットの掲示板で
「IMSG高垣楓主演のマジキチなドラマ始まったったwwww」
なんていうスレッドが建っていても不思議ではない。
肩肘をテーブルについてコントローラーを操作し、テレビ紹介を確認してみると
「『秋の孤独』高垣楓初主演ドラマ。愛と優しさを併せ持つ看護士が大病院で過す日常」
なんて内容紹介されている。
…………看護師とか病院の要素なんて今まで全く映っていなかったじゃないか。これからどうするんだろう。
テレビには高垣楓さんが演じる謎の人物が自分をブタ女と呼んだ新垣陽菜さん演じる少女に八宝菜を口移しで食わせている映像が流れている。
話した事無いけれど共演者となって妙に身近に感じるから新垣陽菜さんが心配になってきた。
長い時間これから一緒に活動するであろう仲間になるのだから勝手に老婆心も芽生えるというものだ。
何故か口から光線を出している状態でも彼女の演技は相も変わらず素晴らしいの一言だけれど完全にこけるだろうこのドラマ。
新垣さんで思ったが、そういえば私はまだ碌に共演者達とコミュニケーションをとれていないじゃないか。
今日の会合で少しばかり挨拶回りをしておいても損は無かった筈だ。
いや、損得の問題じゃないな。
芸能人延いては仕事をしている未成年とはいえ責任ある立場の人間がコレでは絶対的によろしくない。
会話した事がある共演者は柊春香、三月早苗さん、駒田栄子さん、葛城奈々さん、優花さん位で12人いる中の5人しか話していないというのは少しばかり不味いな。
あの修羅場トリオの中へ割って入るのは自殺行為にも似た命取りになる予感があるけれど、怠ったばかりにそのまま孤立して
「月島さんは孤独が好きなのよ。だから下手に干渉するのは相手を不快にさせるかもしれないわ」
なんて事態に陥ってしまうのは必然。
まぁ、幾ら初日が大事だと言っても仲良くなるチャンスはまだまだある筈だ。
明日なんて軽い身体力測定があるとか言っていたから機会としては丁度いいかもしれない。
体を動かしたりしながら会話すればすんなりと輪の中に入って行ける気がするから。
よし!
そうと決まれば明日はまだ話していない人物となるべくコミュニケーションを取るのが目標だ。明日から本気出す。
私はコントローラーでTVの電源を消すように操作すると最後に液晶の中で高垣さんがドヤ顔を晒している所でブツリと切れた。
■
集合時間前に間に合う時間帯に家を出て何時もの様に一人スタジオに向かっている。
擦れ違う女子高生らしき集団が昨日のドラマについて話しているのを耳にした。
あれからどの様な超展開で凌いだか、或いは彼女達の頭が以上なのかは分からないが彼女達の言葉を鵜呑みにすると無茶苦茶感動したらしい。
その話を聞いた瞬間、高垣さんや製作人には悪いが耳を思わず疑い、視聴した番組を間違えたか、夢でも見ていたのかと思ってしまった。
正に驚天動地だ。
昨夜に見た続きは一応、録画が残っているから後で確認してみよう。
あの展開から本当に巻き返しが出来ているのならTV史に残る名作になるのは請け合いだろうから。
「――まさん! 月島さん!!」
自分を呼ぶような声が聞こえたので、その場に立ち止まりながら後ろへ振り返るとイケメンがいた。
私の前に来て、息を切らしながら立ち止まると両膝に手を置き御辞儀をするような形で一時休憩をとっている。
はぁはぁと聞こえる吐息がまた中性的かつ凛としたハスキーボイスで艶めかしい。
少し前のお姫様風の彼女なら貴族を思わせる気品ある感じだったろうに今ではすっかりイケメンになってしまいる。これでは王子様だ。
格好もボーイッシュとかじゃなく、ジーパンにTシャツの上からジャケットを羽織るという完全に男のコーディネイトだし。
「よかった、止まってくれて」
息を整え、顔を上げるとイケメン特有の爽やかスマイルを光らせる。
初めて見たわ。キラリと光る白い歯なんて。まるで芸能人だわ。
「……お早う御座います。中川姫さん」
「あっ!? お、おはようございます! ゴメンなさい。挨拶が先でしたね」
「そうですね。私に対しては気にする必要無いですが、仕事する時は挨拶ほど大切な事は無いから気を付けた方がいいですね。芸能界に限った話ではないけど」
「はい、助言ありがとうございます!」
まだ数える程しか言葉を交わしていないが、好感が持てる。
ていうか何故に私は偉そうにして先輩ポジションになっているのだ。
会った瞬間に早速地雷の中心地が寄って来たよと失礼ながら思ってしまった。
流石、現在の形にイメチェンしてきただけで三月さんと赤川しのぶさんを落とし修羅場な関係を構築しただけはあるな。まさか今度は私を落としにかかっているのではあるまいな。
「それで私に何か?」
「僕もスタジオに行く途中だったんですけど、月島さんを見かけたので話しかけました。一人で歩いていると寂しいので」
「そうですか。じゃあスタジオまで一緒に行きます?」
「お願いします!」
こうして月島一行にイケメンと後方三百メートル後ろで並列する二人の修羅が加わった。
遠いので細かくは分からないが二人ともサングラスと帽子装備で怪しい挙動を繰り返しているのでもろ分かりである。
何時の間にかストーカーになっていないか、あの人達。
その後。
私が敬語を無くし下の名前を呼び合う事を提案して、それを了承した姫さんと親しい友達のように歩きながら雑談していた。
お互いの自己紹介も兼ねて。
彼女と笑いながら話して少しするとどこと無く何か違和感を感じ始める。
まともに話した事すらこれまでなかったのに、今日の彼女は彼女らしくないと感じてしまう。
顔合わせの時に彼女が話す姿を見ていないのだから、多分にその時と容姿以外に違う部分があるという事か。
もしかして口調?
そうだ。
口調が男の子という感じにしてる気がする。
どうしてだ?
聞いてみるか。
「ところで話は変わるけれど、今日の姫さんって何だか随分と慣れてなさそうな口調だけれど」
「はははっ! やっぱりバレたか。不自然かな?」
「そうね。少し違和感が残る感じは否めないわ」
頭をかきながら、少年ぽく快活に笑う彼女。
「薫はさ。『菊地真』についてどう思う?」
『菊地真』か。
瞬時に私の頭脳が動き出す。
765プロダクションに所属するアイドルの一人。
その中性的な凛々しい顔立ちにすらっとしたスレンダーな体型、少年を思わせるハスキーボイスという特徴から美少年系アイドルとして経営戦力をとっている。
その為、男性ファンより圧倒的に女性ファンが多いらしい。
765で唯一歌よりもダンスを重要視する生粋のダンサーで『如月千早』が765の歌姫なら『菊地真』は765のダンスマスターである。
内面は女子よりも男子が欲しかった父親による教育により男らしい口調と性格になっているが、自身を女の子らしく在りたいと願い、苦悩しているといった所か。
「なるほど。それが貴女なりの"役作り"なのね」
「うん、そうなんだ。僕はさ、劇団とか演劇部に入ったことないし、右も左も分からない役者は初心者だから今の内からやれることはやっておきたいんだよね。撮影まで時間が大分あるけど、時間はある内にいくら使っても足りないと思うし。と言っても所詮は初心者の浅知恵だから下手にやっちゃいけないことかもしれないけど」
驚いた。
プロ意識というか、何と言うか。姫さんには役者として大事な事が既に備わっているようだ。
挑戦する心。
経験の無い人は萎縮して演技指導の先生の言いなりになるのが精々なのに。
「いいえ。そんなことはないわ。役者の世界では何かをやって無駄になる事なんて何一つも存在しない。経験は私達役者の血と肉になるし、役者が役を全うする為の生命線となるのは至極当然の事。少しばかり私は劇団で活動していたから分かる」
私の返答に呆けた顔を晒した後に照れくさそうな仕草をとる彼女。
きっと根が凄く真面目なのね。
その意識を撮影が終わるまで保持してくれればいいのだけれど。
「そうかー。薫はやっぱり経験者だったか。そんな気はしていたけど。今日、薫に話しかけて良かったよ。実は気にしていたんだよね。素人の癖して勝手にもう役者ぶってさ、役作りに手を出していいものかって」
「私は良いと思うわ。細かい所は撮影時に演技指導が入るだろうし、大雑把な性格や雰囲気は役者自信の自己解釈によるものが強いと思うから」
「ありがとう、薫」
「流石、薫さんです!」
「月島さんって役者経験者なのね。私も何かアドバイス貰えるかしら?」
姫さんの悩みが思いもかけずに解決し、皆で仲良く4人で和やかな雰囲気を醸す。
んっ?
4人?
右隣を見ると姫さんの隣に何時の間にか三月さん、赤川さんといった順番に並列している。
修羅場トリオが完成してしまっているではないか。
音も無く、違和感無く進入するテクニックが半端じゃ無い程に上手いな。先祖に忍者がいたと言っても信じてしまうわ。
「お早う御座います。三月さん、赤川しのぶさん」
「おはようございます! 姫君! 月島さん!!」
「お早う御座います。姫ちゃんに月島さん」
「うわっ!? 何時の間に居たの? 二人とも」
驚きが勝ったようで挨拶より先に疑問が口に出ていたが、慌てて挨拶する姫さん。
気が付いて無かったのかよ。姫さん、隣に居たのに。
というか、二人とも既に名前呼びなのね。
ささっと私に挨拶した後、三人は昨日のカラオケと同じくイチャイチャしだし、私が一人空気となる。
序に赤川さんとも仲良くなっておこうかと思ったけれど、コミュニティー能力が不足する私には会話に混ざる事が如何しても出来ない。
何か言おうとして輪に入れなくて黙るを繰り返し、段々と恥ずかしくなって遂にはスタジオに着くまで無表情に隣を歩くというスタイルを確立、ボッチと化した。
今なら対人恐怖症になる人達の気持ちが切に分かる気がする。
心で泣くとはこういう時に感じる事か。
まぁ、なんでもいいですけれど。
■
建物に入り、3人の後で受付を済ますと昨日と同じ大Aスタジオに向かう。
途中、休憩所で缶ジュースを飲んでいた柊春香が合流し、私の孤独が癒される。
思わず彼女の肩を掴み
「貴女こそ私の真の朋友だわ!」
と普段なら絶対に口にしない事を相手に伝えてしまった。
彼女は嬉しそうに
「そうだね。私もそう思うよ! 月島さん」
と気の利いた言葉をくれた。
ええ子や! 柊春香はとてもええ子やで、感動した!
感情値が上限を超えてメーターを振り切り、私は柊春香、いや春香に下の名前で呼んでくれる様に頼んでお互い下の名前で呼ぶ事が決定した。
春香には『天海春香』の件で対抗意識が少なからずあって、あまり好い感情を持て無かったのだけれど今では逆に好印象しか持てない。
あの三人は意識はしてやった訳では無いと思うけれど冷たくされた後に優しくされるともう好きになるしかない。
ちょろ過ぎるだろう私。
三人の後に私と春香は二人並んで大Aスタジオに入り、仲良く並んで昨日と同じ様に設置して在ったパイプ椅子に座る。
スタジオをに来るまでに味わったあの疎外感を埋める為、時間になるまで春香と会話。
私は聞き役に徹するが春香の豊富なコミュニティー能力のお陰で楽しい。
存分に心が満たされた後、スタジオの扉が唐突に開く。
中に入ってきたのは榊原さんで、今日も引き続きディレクターの彼女が指導を務めるのかといぶかしんでいると彼女の後ろからまた人が入ってくる。
白のワイシャツに黒のスラックス、頭がアフロの個性的な男性。
何か何処かで見たことがある人だなと思っていると隣の春香が小声で耳打ちしてくる。
「(あの人、『ハルちゃん』じゃない?)」
その言葉で気付く。
あの人は確か。
「はぁ~い! オハヨウ! 初めまして皆さん!! TVで見て知っている人はいると思うけど、知らない人の為に自己紹介しとくわね。私は今回、皆さんのダンス、ヴォーカル、ヴィジュアルのインストラクターを務めるハルちゃんよ! よろしく!!」
体をくねらせながら自己紹介した人物は現在TVや雑誌に引っ張り蛸のプロデューサー兼アイドル養成のインストラクターのプロフェッショナル。
強烈的なオカマのキャラクターを持つ大物だった。