苦悩の日々から一週間後の事。
今日は来る「アイドルマスター2」関係者の初顔合わせの日だ。
会場は生きていれば一度は聞いた事がある有名高級ホテルのメインホール。
相談した伊嶋Pによると、こうした場合にはパーティー形式になるらしいのだが、マスコミを交えてのキャスト発表ではないためカジュアルな格好でもいいらしい。
パンツに青白のストライブTシャツと薄青ジャケットを着込み、伊嶋Pに車で送ってもらうことに。
事情を先日話したPには、昨日頼んで足をしてもらっている。
「他の三人に手をかけているから、いつも薫ちゃんに色々一人でやってもらっているだろう? だから、これ位しないとP失格だからね」
と、笑っていってくれた。
本当にもう一人のPとは違い、いい人である。
指定された時間は9時から。でも早めに会場入りが出来るようにと7時に事務所前へ待ち合わせ。外は雨がポツポツと降り出してきており、Pに送迎を頼んだのは正解だった。
事務所の屋根の下へ濡れないようにと避難する。
折り畳み傘を常備しているけど、顔合わせ前に服が濡れていると格好が付かないので大人しく待つ。
待ち合わせ時間の少し前になると、事務所の裏から黒塗りの車が目の前に止まった。
運転席の窓が開き、Pの顔が見えた。
「ゴメンね、待ったかい。さ、汚い車だけど乗っちゃって」
「いえ、時間より早い位です。じゃあ、失礼します」
濡れないようにと素早く車まで駆け込み、運転席の後ろに乗車する。中々に座席がふかふかだ。結構、高級な車なのかもしれない。
「それでは、伊嶋P。今日は宜しくお願いします」
「はいはい、出発しまぁーす」
静かに車が動き出した。
□
伊嶋Pは運転中なので話しかけずにいた。
ブゥンとエンジンの音が響くだけで、静かな車内。
私は目的地に到着するまで何もする事が無いから、窓の外に見える景色をぼうっとして見ていた。
「薫ちゃん」
「は、はい? 」
それまで無言だったPが行き成り話しかけてきた為、少し驚いてしまった。なんか恥ずかしい。
「あれから、悩み事は自分の中で解決できたのかい? 」
前を見るとルームミラーにPの顔が映り込んでいる。
運転中だからかも知れないが、いつも笑顔を絶やさない人なのに真剣そのもので私に問いかけてくる。
どうやら、心配してくれていたらしい。余計な気を使わせてしまったようだ。
伊嶋Pには多大に迷惑を掛けてしまっている。
だから私はこれ以上心配する必要が無いように精一杯力を振り絞って答えた。
「はいっ!」
少しの間だけどまた無言になったが短く「そうか」とPは呟いた。
「それは良かった」
再度ルームミラーに映る顔を確認すると表情にいつもの笑みがいつの間にか張り付いていた。
■
「とうちゃーく!」
「はい、有難う御座いました」
ホテルの入り口に車を停車させている。
帰る時に電話してと先程車内で言われたので、このまま事務所に戻るようだ。
「それでは、また連絡しますので」
「はいよ。緊張しないように頑張ってね」
それは無理です、と笑うと折り畳み傘を持って外へ出る。
バタンっとドアを閉めて少し後ろに下がると車が前へ走り出していく。
軽く手を振って見送る。右へと曲がり車体が完全に見えなくなってからホテルの方に振り返った。 入り口の所は屋根が付いているので折り畳み傘の出番が削られて必要性が皆無となったのを今更気付いて、伊嶋Pの車に置いてくれば良かったと軽く後悔した。
とりあえず、此処で突っ立って居たって使用が無いので、入り口に入る。
通ろうとしたらスーツを着た男性がドアを開けてくれた。この人はドアマンというのかなと心の中で思い「有難う」と御礼を伝えて通る。
それにしても、初めて高級ホテルなんて入ったけど内装が本当に凄い凝っている。
一面に敷き詰められた絨毯に大きく煌びやかなクリスタル製のシャンデリアとか。
やっぱり、予め緊張しないようにイメージしてきたのだけど、こういう場所に慣れていないからどうしても緊張してしまう。素であるように演技しているけど全く効果が無い。
後ろから新たな客が入って来て、ハッとなり、まずは受付を済ませないといけない事に気付く。えぇと、受付はと。
先程入ってきた客がそのままカウンターへと進み、そこにいるスーツ姿をした壮年の男性に話しかけているのを見つける。あそこが受付らしい。
そのまま、なにくわぬ顔で男性の後ろへ並んで待つ。
数分後、受付が済んだようで入り口正面にあった大きな扉の方に進んでいった。あそこがメインホールのようだ。
いつまでもそっちを見ている訳にはいかないので、カウンターで私を待つように立つ待壮年の従業員に話しかける。
「すいません。今日、九時からのメインホールにて行われるパーティに招待された者なんですけど」
「はい。お名前と招待状はお持ちですか? 」
顔合わせ、なんて言っても分からないだろうから適当に伝えたけど、通じたらしい。早速ジャケットのポケットに仕舞っていた招待状の封筒を出す。
「どうぞ。名前は月島薫です」
渡すと裏表を確認し、ホテルの印字を最後に見て頷く。
「確認しました。メインホールは既に準備が整っているので入場できます。入り口正面の扉へ進み下さい」
扉の方へと手を向けて丁寧に説明してくれた。最後にお礼を述べてから扉の方へ向かった。
「うわぁ」
メインホールに入ってから思わず声が出てしまった。
玄関口、エントランスホールも凝っていたが此方はそれ以上だ。想像してみて欲しい。映画やドラマで見る中世ヨーロッパの貴族社会の間で開かれるパーティー広場の光景を。目の前にそれと全く同じものが広がっている。
場所の案内を見てからずっと思っていたけど、普通はドラマの顔合わせなんて出演者全員が集まれる日にスタジオ内やミーティングルームなんかで軽く行われるのが定番だ。
私もスカウトされる前は地方の劇団に入っていて何回か人数合わせで小さいTV局のドラマにチョイ役として呼ばれた事があるからわかる。その時は軽く挨拶をして共演者の間を周った際に緊張してぎこちない私を見かねてベテラン俳優の方から
「顔合わせなんて番組の規模が大きくとも小さくても一緒でこんなもんだよ。だから楽にしてさ」
と、言われたから大体そういうものなんだと思っていた。
アイドルランクFランクの最底辺がドラマなんて出演できるはずが無く、事実は不明だけど本当はこうやって大きなパーティー会場などでするかもしれない。
大ヒットした作品のリメイクだし、ここ数年で一番話題になっている作品だからかもしれないが。
中に入って、劇場の舞台に劣らないステージを見ていると、行き成りドンっと背中に衝撃がぶつかり倒れそうになる。
華奢な足を精一杯踏ん張らせて立ち止まった。
「かーおーるーちゃーん」
耳元に女性の甘い声が響く。
何時の間にか両手が目を隠す形でまわされており、意識すると背中に柔らかいものが押し付けられているのが分かる。
「ワタシだよ? 」
誰だ?
親しそうに名前を言われているが底辺アイドルの私なんかが過去に知り合える程の人なんているはずが無い世界に現在いる。その所為で本気で誰だか分からない。最低限、女性だって言える位だ。
「ギブアップ? 」
「降参です」
ハリーアップ。諸手を挙げて降参の意図を伝える。
そうするとゆっくりと手が引いていき視界に光が満ちた。
いったいこんな幼稚な事を恥ずかしげも無くやるなんて、と後ろを振り返ると
「貴方ですか」
「私です」
そこには私と同じ青みかかった髪色にロングヘアーの良く似合う美人が立っていた。
真ん中の髪の毛を左右に別けておでこを露出させているから綺麗に整った顔がよく見える。
青のカーディガンに山形になって腰の部分では逆の曲線を見せる起伏が激しいブラウスに足の細さを強調させるスリム型のジーンズ。
女性が羨む体型の究極系の一つに間違いない。昔よりスタイルが良くなっているようだ。
それにしても、完全に盲点だった。
数年前まで私と同じ劇団にいて、売れないアイドルをしていた人だけど、この人なら此処にいてもおかしくは無い。
「お久しぶりですね、七瀬優花さん」
一年前に『日暮れのワルツ』という作品で日本アカデミー賞を総なめにし、たった一年でトップへと上り詰めたシンデレラガールとして名を馳せたこの人なら。
「えぇ、久しぶりね。薫ちゃん」
本当に久しぶりだ。
私の方はTVで度々ドラマやバラエティに出ているのを見ているので、あまり久しぶりっていう感じはしないけど。
「優花さん、良く気が付きましたね。私が会場にいる事」
「うん。最初は人違いかと思ったのだけれど、気になってじっと後ろ姿見ていたら確信してね。伊達に3年間、一緒に演劇活動してた訳じゃないわ」
「それもそうですね」
手を頬に当て、首を傾け、おっとりと話す優花さん。
おねぇさん系の癒し効果が溢れんばかりに場へと充満する。本当に昔と少しも変わらない。
売れてしまうと傲慢、天狗になって性格が変わるなんて言われているけど、この人にはその法則は当て嵌らないらしい。
「知らなかったわ。こっちに来てた事。それで、何時の間に上京して来たの?言ってくれれば良かったのに。ワタシはてっきり茨城の劇団で演劇続けてるかと思ったのだけど? 」
「一年前に劇団が公演している時にスカウトされて、半年前に正式で此方に移ることになりました。今は、アイドルをやっています。アイドルランクは未だにFランクですけど」
私が現状を述べた時に向かい合っている優花さんが少しだけ片眉を上へ上げた。
「Fランクアイドル? それで薫ちゃんは一般応募でオーディションを受けて合格したの? 薫ちゃんの演技力と演劇への情熱を考えると別に不思議な事じゃないけど」
確かにそう思っても仕方ないよね。
アイドルランクを何段階か飛ばして合格しているのだから。
実力さえ伴っていればランクが基準より低くともランクは実力と実績の目安でしかないので開催している側がそれでいいと思えばそれまでの話だから。
ランクはアイドル協会という所が管理しているのだけど、現在はその協会を相手側が信用しきっていてランクが低いアイドルは最初から相手にされない事もあるけど。
「そういう優花さんは一般応募じゃなくて誘われた感じですか?」
「うん。今回の仕事は相手側から話が来たらしいわ。原作者の先生が私がイメージにぴったりだと推薦して頂いたみたいね。正直、嬉しかったわ」
「ぴったり?いったいどんな役が? 」
ナムコ先生が直々に?
私が驚いた顔を向けると優花さんは蕩けるような笑顔を向けて
「それは、まだひ・み・つ」
人差し指を自分の唇に当てた。
私がもし男性だったならこの瞬間、確実に恋に落ちていただろう。
トップ女優にもなると魅力も段違いみたいだ。
でも、私は男性じゃないから誤魔化されず疑問は解決しないので少しもやもやしていると
「ふふっ。そんなに残念そうな顔をしないで。直ぐに分かるわ。今日はその為の顔合わせなんだから」
「あっ、そうでしたね」
そうだ。
どうせこの後にキャスト全員が揃って自己紹介する。誰がどの役かなんて直ぐに分かる。
此処まで来ても、まだ自分も出演者だと自覚出来ていなかったようだ。
「じゃ、ワタシはまだ挨拶周りがあるから。また」
優花さんは腕時計を確認すると予定された時刻に近づき、入り口からぞろぞろと入ってくる共演者や関係者の姿を確認すると私から離れて行った。
あの人位になると礼儀を絶対に弁えていなければならない。同じ挨拶回りも私のように気楽な新人とはやっぱり違う。
すっかり優花さんにははぐらかされたけど、他の共演者か。
私はそれまで自分の役が大役過ぎて周りの事を考える余裕なんて無かったけど、この中にはなりたかった憧れの『天海春香』役の共演者が何処かにいる。
そう考えると、まだ知らない役者に対して微かに嫉妬している自分がいた。
《時間になりましたので、これよりドラマ「アイドルマスター2」初顔合わせパーティを開催いたします》
丁寧な口調のアナウンスが響き、入場扉が閉められる。
入ってから日が浅く、何事もこの業界の経験の無い私は下手に挨拶回りも出来ずに時間まで隅の方にずっと固まっていた。
壁に寄りかかり腕を組みじっと舞台の方を見ているやつには相手の方も話掛けづらいらしく一切声を掛けられる事も一切無い。
《それでは、原作者にしてパーティの主催者であるナムコ先生からのお話から、ナムコ先生お願いします》
粗方の今日行われる説明が済むとナムコ先生が呼ばれ舞台に上がり、先程からアナウンスをしている女性からマイクを渡されている。
ナムコ先生は此方の方を一寸確認するように見ると一呼吸置いてから口を開いた。
《皆さん、既に会った事がある人もいらっしゃると思われますが初めまして。「アイドルマスター2」の原作を担当していますナムコです。まず今回、リメイクに至った理由をこれから話をさせていただきます》
オーディションの時に聞いた声が会場の中に響く。
《まず最初に一人、会場の皆様へご紹介したい人物がいます。柊さん、舞台の上へ上がって来て下さい》
ひいらぎ?
私はその名前に些か心当たりが在り、密かに胸を高鳴らせた。
でも、その考えが確かなのか本人を見てみなくては分からない。
心を逸らせながら舞台へ上がる人物探す。結局、会場隅の方に居る私には舞台上に上がろうとしている人物がよく見えなかった。
しかし、モーゼの如く人の波をを割って入るその人物が通過した場所が妙に雰囲気がざわついているが分かる。
その人物が舞台へ上がるだけの短い時間なのに途轍もなく長い時間待っている錯覚を受けて、好奇心がウズウズと高まっていく。
やがてざわめきも静まり場がひっそりとしだした頃に漸く軽快に階段を上がる音が微かに耳へと入ってくる。
「なっ!? 」
真に勝手な事だけど期待高まる人物の姿を確認した時。
思わず声を上げるほどに期待を裏切られ、また驚きを隠しえなかった。
ナムコ先生の隣へ移動し終わると正面を向いて若干気恥ずかしそうにする女の子が見える。
ナムコ先生は隣へ来た人物をチラリと見ると満足気な表情を作り頷く。
《今、舞台上に上がって頂いたお嬢さん。名前は……》
そこまでナムコ先生が言うと言葉を止め、マイクを隣の少女へ向ける。
女の子は緊張しているのかガッチガッチになってマイクとナムコ先生を何度も見た。
《自己紹介をお願いします》
見かねたナムコ先生は女の子をフォローする。女の子は顔を赤くすると慌てて口を開いた。
《「アイドルマスター2」『天海春香』役に選ばれました。柊春香です》
柊春香。
私も参加したオーディションで見事何万分の一を勝ち抜き『天海春香』役に選ばれた少女。
恐らく私が勘違いした相手の血縁者で、まるで小説やドラマの中の彼女を現実世界に刳り貫いて来たような生き写し。
十人十色の世界なので私が感じた感想だけど、これほど『天海春香』に似合う人間はいないと思わされている。
段上に上がった彼女を見る関係者達の顔もそういう顔で、彼女がいればまたすごい作品になるだろうという喜色満面の笑みを浮かべていた。
しかし、彼女を見た時に私が感じた感情は憧れを盗られたという嫉妬心。
知らずの内に私は彼女を睨みつけるように見ていた。