舞台袖から去り、控え室に戻って持参してきた雑誌を読んでいると置いてきた最低男がやってきた。
「ひどいじゃない、薫ちゃ~ん。探したよ?」
雑誌から目を離し、顔を上げて最低男を一瞥すると私は口を開く。
「すいません。会話の邪魔しちゃいけないかなと思いまして」
その一言に思い当たる節が在り過ぎたせいか口の端を引きつかせたのを確認すると私は雑誌に視線を戻した。
そんな冷たい対応をする私にめげず少しでも会話を長続きさせようと頑張る最低男に対して適当な相槌を繰り返しながら暇を潰す。
本来なら所属している事務所のプロデューサーにする態度では無いがこの最低男になら問題無いと思ってしまうから仕方ないね。
決して舐めている訳ではない。
仕事をちゃんとしてくれれば敬意も示すし、態度も改める。
けれど、この最低男は三ヶ月の間碌に仕事しないで他事務所のアイドルを口説こうと必死だし、残った仕事をもう一人のプロデューサーである先輩の伊嶋Pに押し付けたりして過している。
何故首にならないのか不思議だ。
最初の内は私も年上で上司な訳だから話も聞いたし、頼まれれば使い走りもした。
だけど、少しずつ現場の現状が分かってきて頑張っている伊嶋Pの悪口すら言った時に私はキレてしまい、現在のような態度をするようになったのだ。
要はこの最低男が嫌いなのだ、私は。
アイドルをプロデュース出来ないし、しないプロデューサーに何の価値があるというのか。
ただの給料泥棒にしか見えない。
横目で最低男を見る。
軽薄な笑みを浮かべて何事かを一生懸命に話している。
そんな最低男の姿に我慢出来ず、私は溜息をつきながらその場を離れようと適当な理由をつけて持って来ていた鞄を持ちつつ席を立つ。
「お花を摘みに行ってきます」
「あっ、トイレ? 行ってらっしゃい」
隠語を使い誤魔化した言い方をしたのに態々訂正しながら送り出す最低男。
更なるイラつきが生まれ、これ以上下げようの無い評価が底に溜まった。
控え室を静かに出て通路を右に顔を向けると飲料水の自動販売機が見える。
あの男から離れたくて適当にトイレに行くと出てきたので当然行き場なんて最初から無い訳で、飲み物を飲んでいれば暇を潰すには丁度いい。
それに自販機の前にはベンチが仮設されてるから尚更だ。
鞄から青い財布を取り出し、大量に溜まった小銭を漁る。
買い物する時に焦ってお札しか出さないからついついこうなってしまう。
10円とか1円が多くて目当ての100円が発掘されない。
もう10円玉を全部使えばペットボトルの飲料水一本位は買えるのでは、とやけくそになる。
「何か飲みます?」
小銭にを取り出すのに手間取っていると横から声を掛けられた。
財布から視線を動かすと女の子が立っている。
「貴女はさっきの……」
「はい! 十時愛梨です」
笑顔全開で私に答えるとときさん。
そういえば自己紹介していなかったな。失礼した。
「私は月島薫。夜に浮かぶ月に島国の島、霞が薫るの薫で月島薫。失礼かもしれないけれど'ととき'さんはどういう字で読むのか教えて貰えないかしら」
「時計の十時で十時。愛する梨で愛梨です。それで何を飲みます?」
彼女が言っている後半部分が私にはよく分からない。
もしかして奢ってくれるという事だろうか。
理由が無いし、何か彼女にした覚えも無い。
勿論、理由なんて無い場合も一日一善良い事をしないと気が済まないという性分かもしれないが。分からない、どういうことだ?
「それは奢ってくれるという事かしら?」
「舞台袖にいた時にお世話になりましたからそのお礼ですっ!」
舞台袖にいた時?
ああ。私が緊張している彼女に声を掛けた時の事を言っているのか。
大げさに感謝の言葉を告げられたな。そういえば。
「月島さんに声を掛けてもらって助かりましたっ。あの時、頭の中で自己嫌悪していたんです。才能無いし、そんなに容姿も良い方じゃないし、周りの皆は綺麗で可愛くて才能有ってキラキラしているし。このままじゃ、絶対受からないなって。アイドルになれないじゃないかって」
彼女の言葉を真剣に聞くと審査前になるとよくあるらしい事だった。
デビュー前は他事務所のアイドルがどれ程の実力を有しているかなんて分からない。
敵の姿すら想像出来ない時期だ。
だからデビューに向けて自分は自分なりに精一杯頑張って練習するけれど、いざ今後ライバルとなるかもしれない他事務所のアイドルの姿を直視し、自分の姿を失う。
自分以外のアイドルが持つ実力よりも自分が持っている可能性とか実力の方が自分にとって評価しづらいからだ。
ずっと見てきた自分の姿よりも初めて見たライバル達の方がよく見える。
ちゃんと自分も相手も正等に見える人もいない訳では無いがデビュー前のアイドル候補生が自分の実力を客観的に見る実力を持っている方が圧倒的に少ない。
私が見た彼女の実力は今日のオーディションに参加したアイドル候補生の中でトップレベルだと思う。少なくとも私より断然アイドルに向いている。
段々、嫌味に聞こえてくる位に。
「あの時。貴女が舞台上の審査員に立ち向かった時。まるでTVに映るアイドルの様だったわ。その一曲は貴女が今まで流してきた汗と身体を作り変える痛みで出来ている。その積み重ねは決して嘘をつかない。やがてそれは貴女の自信へと変わり、貴女を支える栄養剤となる。そしてステージの上で綺麗な花を咲かせるの。昔読んだ本の受け売りだけれど私自信そうだと思う。だから―――」
「もっと自分に自信をもっていいのよ?」
突然の長口上に十時さんは唖然とし、呆けた顔を晒す。
その表情は思わず同姓の私でも可愛らしく思えてしまうものだった。
数秒を置いてから、私の言葉の意味を理解したようで徐々に口の端を持ち上げ笑顔を形作る。
「いいんですか? 自信持っちゃいますよ? このオーディションに受かってデビューが決まれば他事務所だから嫌でもライバルになるのに?」
その言葉が出てくるという事はもう既に自分を見詰め直し、自信を取り戻したという事だ。
私も少し笑いながら言う。
「気にする事ではないわね。相手にならないし」
主に私が雑魚過ぎて相手にならない。
ステージに並んで立てばボッロボロに負けるのは目に見えている。くっ。
なんだか悔しくなってきたぜ。
こうなったら、もういいよね。奢ってもらってもいいよね。相手から言い出した事だし。
何にしようかな~。あ、ナタデココがあるっ! アロエも捨て難いな。迷う。
「えへ、そうですよねっ。次に会う時はステージの上でです! 負けませんよっ!」
彼女はその言葉を勢いよく言い残し去っていった。
何を奢ってもらうか悩む私を置いたまま。
「えっ?」
結局、私は自腹でアロエを買いました。喉に良いしねっ!
■
「何だっけ。何か忘れている気がする。……うぅ、思い出せないよぉ」
控え室に戻り、結果発表を持つ十時。
天然の為に彼女はすっかり月島への恩返しを忘れていた。