もしもあの時……   作:匿名作者Mr.ハチマソ

2 / 6
前回投稿後にいただいた感想で、翌日に返信したら返信内容が気に入らなかったのか、一時間と経たずに0評価を入れられるということがありました。

今後もそういった酷いマナー違反、というよりは規約違反ですかね。そういった事を極力回避できるよう、感想はログイン状態からのみ、評価は一言必須に変更させていただきました。




第2話

 

 平塚先生との邂逅から幾日か過ぎたが、俺は相も変わらず平和なぼっち生活を優雅に過ごしている。

 

 いやー、マジで全力で拒否しといて良かったわー。

 結局なんの部活かは一切聞かなかったが、あの教師が管轄する部活が碌な部活であるわけがない。

 せいぜい世紀末を拳で乗り切る為のサバイバル術を指導してくれる部活とか、そういったところだろう。そんな部活動ねぇよ。

 まぁなんにせよ、もしもその部活とやらに放り込まれていたとしたら、こうして毎日担任のホームルーム終了の合図をレッドシグナルにして、スタートダッシュ(帰宅)を決める事なんか出来なかったわけだもん。あぶねぇあぶねぇ。

 と、そんなわけで今日も今日とてホームルームという名のフォーメーションラップを終えスターティンググリッドに着いた俺は、エキゾーストノートを響かせスタートの合図と共にポールポジションから得意のロケットスタートで飛び足した。

 八幡早い八幡速い! 今日も誰も追い付けない! まだ人気もまばらなリノリウムの直線をキュキュッっと鳴らし、二位以下をぶっちぎりだー!

 なんぴとたりとも俺の前は走らせねぇ!

 

 そんな、楽しくもちょっぴり虚しい一人脳内フォーミュラに興じすぎていて気が付かなかったのだ。いつもと違い、今日は単独でのレースではなかったという事に。

 

「ま、待ってよ、ヒッキー……!」

 

 それは不意に起こった。

 

 最終コーナ……いや、もうレース設定は面倒くさいからいいか。

 靴を履き替え駐輪場へと向けて角を曲がった辺りで、背中から突然そう声をかけられたのだ。

 

 ※

 

 いやぁ、ちょっとビックリしましたわ。まさか後ろに人が居るなんて、想像もしてなかったですもん。

 だってあれじゃないの? 青春を謳歌している学生諸君は、ホームルームが終わったからといって即座に教室を飛び出したりはしない生き物じゃないの? うぇいうぇい騒いで青春の一ページを刻むんじゃないのん?

 ま、部活に青春を賭けている学生であればアリっちゃアリなのかもな、こうやって終業と共に校舎外に飛び出すのも。

 

 一瞬だけ驚いて多少キモめにビクゥってしちゃったものの、そうと分かれば問題ない。うん。俺には関係ないことだ。

 どこぞのヒッキーさんとやらー、なんか女の子が呼んでますよー? と心の中で呼び掛けつつ、何事もなかったようにトップスピードで最終コーナーを果敢に攻め──

 

「ちょ!? ま、待ってってば!」

 

 ようとしたら肩を掴まれてしまいました。

 ……えぇぇ……俺ー?

 

 いや、生憎俺にはこの学校内において女子の知り合いは居ない。なんなら学校外においても女子どころか家族以外に知り合いが居ないまである。

 だからこれはあれだ。人違いだ。振り向いたら、うわぁ……って顔されるやつだ。

 

 なんで呼び止められて肩まで掴まれた上に、振り向いて嫌〜な顔されにゃならんのだ。

 どう考えても報われない未来に辟易としつつも、この状況ではどう足掻いても振り向かざるを得ないわけで、嫌々ながらも嫌な顔されるのを覚悟してくるりと振り返る。

 

 するとそこには、ふわりとした肩までの明るめの茶髪にお団子を乗せ、三つほどボタンが開けられた胸元にハートのチャームのネックレスをキラリと光らせた、今時の女子高生そのものな少女が、緊張で強ばる顔を真っ赤に染め上げてモジモジと立っていた。

 ……はい。人違い人違い。

 

「も、もー、呼んでんのになんで行っちゃうし……!」

 

 もー? 牛さんかな?

 確かにホルスタインみたいな立派な乳をお持ちですけれどグヘヘ。

 

 つか、え? なんで俺の顔をしっかりと見たのに嫌な顔しないで話進めんの? 人違いのはずなんだが。

 

「……や、ひ、人違いだと思ったにょで」

 

 壮絶に噛み倒した上にもちろん安定の敬語だった。

 

 そりゃね? 普段女子どころか人と話さない俺が、こんなビッチ臭い美少女に突然話し掛けられて、普通に対応できるわけがないじゃないですかやだー。

 てか人違いでしょ?

 

「人違いじゃないし! だってあたし、ヒッキーに用があるんだから」

「……いやだからなんだよそのヒッキーってのは」

 

 そ、そんな恥ずかしい名前の人はしらないっ!

 

「だからヒッキーはヒッ…………あ……」

 

 そう言って両手で慌てて口元を隠す乳牛ビッチは、あわあわと恥ずかしそうに口籠もる。

 

 ああ、あれですか。つい引きこもりのヒッキー君とかいう陰口で呼んじゃったってヤツですかそうですか。なんで初対面の女に引きこもり扱いされなきゃなんねーんだよ。

 ていうか本当に初対面なのか? いくらなんでも初対面の女に俺が引きこもりだとバレてるはずは無いんだが。

 なんなの? 俺ってば引きこもりですってオーラでも纏っちゃってんのかな?

 

 いやちょっと待て、俺別に引きこもりじゃないから。ただちょっと自宅警護が好きすぎて通学以外は極力外に出たくないだけだから!

 

 

「ご、こめん! ……そ、そのぉ……比企谷君だから……ヒッキーって勝手に呼んでただけ……なんだ、ケドぉ……」

 

 どうやら引きこもりだからヒッキーってわけじゃなく、単にこいつのあだ名センスが壊滅的だけだったようです。

 ふぅ、良かった。マジで裏で引きこもりのヒッキー君とか呼ばれてんのかと思っちゃったよ。

 ……ん?

 

「……ん?」

 

 あれ、今こいつ比企谷君って言ったか? この学校で俺を認識してる生徒なんてアレ以外に居たんだな、超意外。

 

「……つかなんで俺の名前知ってんだよ、あんた誰?」

 

 最初こそ突然のビッチ美少女の来襲に戸惑いはしたものの、なんというか……あだ名センスといいアホの子っぽい対応といい、別にこいつ、見た目ほど緊張するようなもんでもなさそうな女だなと認識した俺は、ようやく冷静になってふと浮かんだ疑問を返した。

 

「そりゃ同じクラスだもん、当たり前じゃん! ……てか今あんた誰って言った!?」

 

 げ、どうやら同じクラスだったらしい。

 こう、なんていうか、こんな奴にも覚えられてないんだー、ってショックを与えるのはさすがに忍びないよね。だって俺でさえどうやらこいつに覚えられてんのに。

 

「すまん噛んだだけだ」

 

 失礼、かみまみた。

 

「どう考えたって噛んだとかの言い間違いじゃなくない!?」

 

 ……チッ、誤魔化せなかったか。

 

「由比ヶ浜結衣! ヒッキ……比企谷君と同じ2-Fだから!」

「そ、そうか、そりゃはじめまして」

「う、うん、はじめまして……って違うからね!? はじめましてじゃないからね!?」

「お、おう」

 

 なんつーか、テンションたけー女だなこいつ。ツッコミの勢いについていけないよ。これだからリア充って生き物はぼっちに優しくないんだよ……

 

 ……ん? リア充?

 ああ、そういやよくよく見たらこいつなんか見覚えあんな。

 アレか。なんかキラキラしてるプレイスに集まってる連中の中に、ヘラヘラと愛想笑い浮かべてるこいつが居たような記憶がある。

 

「……あぁ、サッカー部の茶髪イケメンとか金髪うぇ〜い勢とか、金髪ドリルのお蝶夫人みたいなのといつもつるんでる奴か」

「う、うぇ〜い……? ドリルのオチョー……? な、なんかよく分かんないけど、覚えてんならまぁいーや」

 

 なんか納得がいってないようではあるが、取り敢えずこれで初顔合わせは済んだようだ。

 そんなこと言うと、初顔合わせじゃないからね!? とか始まっちゃいそうだから言わんけど。

 

「で、なんか用か?」

 

 そしてここでようやく本題に入る。

 呼び止められてからとてもとても無駄なやりとりをした感が否めないが、あまりの事(ぼっちがビッチに話し掛けられる)にテンパってたんだから仕方ないよね。

 

「っ……! あのっ……やー……あ、あはは」

 

 するとここで乳牛こと由比ヶ浜? さんは、先程までの無駄テンションがまるで嘘であったかのように、急に緊張の面持ちでたはは〜、と引きつった笑顔を見せた。

 その表情は恥ずかしがっているようでもあり、また、動揺しているようでもあり。

 

「……やー、そのぉ、なんと言いますか……ってカンジなんだけど〜……」

 

 右手で頭上のお団子をくしくしと弄り、目は絶賛遊泳中である。

 なんだろう。なんかの罰ゲーム?

 中学時代の甘く苦い想い出(罰ゲームの嘘告白)が脳内を駆け巡り、危うく昇天しかけちゃうぜ。どこにも甘い要素なんてなかった。

 

「そ、そのっ」

 

 分かりやすいくらいにゴクリと咽を鳴らした由比ヶ浜さんとやらは、誰にも聞こえないくらいの小さな声で「が、頑張れあたし〜……」とぽしょり呟き、(生憎難聴系ではない俺にはギリギリ聞こえてしまったが)リュックサックからごそごそと何かを取り出した。

 

「……こっ、これ! う、受け取って下さい……!」

 

 真っ赤な顔を俯かせ、両手でぐぐっと突き出してきたモノ。それは、とても可愛らしいラッピングが施された小さな袋に入った、一山のクッキーだった。

 

 ※

 

 ピンクのリボンできゅっと結ばれた袋に入った、多少不恰好ではあるものの普通に美味しそうなクッキー。

 そんな分かりやすいくらいの手作り感丸出しな贈り物を、なぜプロぼっちたる俺が、こんなクラスの中心たるリア充美少女に渡されようとしているのだろうか。

 

 一見謎だらけに見えるこの不可思議な光景も、なんのことはない、その答えはあまりに簡単だ。

 

「なんの罰ゲームだ」

「罰ゲームじゃないし!?」

 

 いやいや、罰ゲーム以外にこんな状況が生まれるはずが無かろうに。

 オレ、ボッチ、オマエ、リアジュウ、オッケー?

 俺は、こんな状況に勘違いしてしまう蒼く甘酸っぱい時期などとうに卒業したのだ。残念だが他の童貞は騙せても俺は騙されんぞ。大方あれだろ。金髪ドリルの女王様あたりにやらされてんだろ。

 

「うぅ……あたしにクッキー貰うのって、そんなに罰ゲームなレベルで嫌なのかなぁ……」

 

 そっちじゃねぇよ。いくらビッチっぽいとはいえ、美少女JKに手作りクッキー貰うのが罰ゲームな男なんて居ないから。

 そんなに落ち込まれると、なんか俺が悪いんじゃないかなって錯覚しちゃうだろうが。

 

「は? いやちげぇから。お前が誰かに罰ゲームさせられてんじゃねーのか? って話なんだが。あーしなんか面白いもん見たいんだけどぉ。あ、そうだ、あんたあの超キモいヤツにクッキーあげてこいし! とかって」

「違うよ!? 優美子そんな事しないし! あとなんでそんなに優美子の物真似うまいの!?」

 

 へぇ、あの金髪ドリル、優美子って名前なのか。超どうでもいい知識が増えました。

 あとあいつクラスで一番目立つし騒がしい存在だから、人間観察が趣味の俺には物真似くらいお手の物です。

 

「……じゃあなんでそんなもん俺に寄越そうとしてんだ? お前とは一切の関わりが無いんだが。むしろ俺と関わりを持つ人間を探す方が難しいレベル」

「なんか悲しい話はじまっちゃった!?」

 

 すっごく可哀想な物を見る目で見られちゃいました。

 

 まぁ実際この学校で俺と関わった事のある人間って言ったら、体育で相方になる厨二デブくらいなもんだからな。うぜぇけど。あとうざい。

 

「か、関わりなら……あるよ……」

 

 つい数時間前の、ぬるっとべちょっとした汗にまみれたデブの手を思い出して身震いしていると、もう一度ゴクリと咽を鳴らしたこいつは、そう言って俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「いや、お前と関わりなんて──」

「一年前、入学式の朝に、ヒッキーがサブレを助けてくれたから……。だから、これはそのお礼の気持ちなの……」

「…………」

 

 ──ああ、そういう事か。こいつ、あの時の女の子なのか。

 

 

 一年前、高校での新生活を無駄に夢見ていた俺は、張り切って早朝に登校しようとした挙げ句、車にひかれて約三週間の入院──つまりGW突入を考えると約一ヶ月遅れの登校──を余儀なくされた。高校ぼっちデビュー決定の瞬間である。

 その事故の関係者が、この由比ヶ浜とやらというわけか。

 

「……そうか、お前あの時の」

「……うん」

 

 確かあのとき犬のリードを放してしまったドジっ子は、もっとこう……地味? だったというか、黒髪にパジャマ姿の垢抜けない女の子だった記憶があったから、言われるまで全く気付かなかった。

 

「……あの時は本当にありがとうございました! 比企谷くんのおかげでサブレが助かりましたっ……。あとお礼がめっちゃ遅くなっちゃってごめんなさい!」

 

 深々と頭を下げた由比ヶ浜は、今度こそはとずずいとクッキーを突き出してくる。

 

 ……別に、本当に別にお礼を言われるような事をした覚えは無い。自分でもなんで飛び出したのか、未だに分からないのだから。

 それは、目の前で可愛い犬の悲惨な事故現場を見たくなかっただけかもしれない。もしくは目の前で悲惨な事故現場を目撃した女の子の悲痛な顔を見たくなかっただけなのかもしれない。

 でもそれはどちらにせよ俺の、俺自身の心の安寧の為の行動でしかなく、第三者に礼を言われるような行動ではないのだ。

 

 だからお礼の品を貰う謂われもなければお礼が遅れたからと謝罪を受ける謂われもない。ないのだが、……一つだけどうしても気になってしまったことがある事に気付いた俺は、差し出されたクッキーを受け取ることもなく、こう疑問を口にする。

 

「いや、別に謝意も謝罪も要らねぇんだけどさ、……なんで今なんだ?」

 

 そう。これだけがよく分からない。

 別に助けたつもりのない俺からしたら不必要と思われるお礼だとしても、助けられた側のこいつにとっては必要なんだろう。それは分かる。

 だがなぜ今なのだろうか。だってあれから一年だぞ?

 

 するとこいつは申し訳なさそうに表情を曇らせ、ぽつりぽつりとその理由を語りだす。

 

「……うん、だよね。……ホントはね、一年前、入院先の病院にお見舞いにいくつもりだったの」

 

 つもりだった。つまり実際にその思いは叶わなかったというわけだ。

 それもそのはずだ。だってあの入院中に見舞いに来たのは家族だけなのだから。

 ま、実際コミュ障の俺にとって、見ず知らずの女の子に見舞いに来られたら迷惑もいいとこだけれど。

 

「……でも、なんでか分かんないんだけど……病院行ったらお見舞いは家族だけだって断られちゃって」

「……は?」

「やー、なんかね? 都築さん、だっけ、あの事故で車運転してた人。その人のたっての希望? だかなんだかで、お見舞いは家族だけにして欲しいんだって言われちゃって……」

「……」

 

 ああ、成る程な。それで合点がいったわ。

 ちょっとおかしいと思ってたんだよな、なんで見舞いが家族だけなんだろうって。

 だって普通担任くらい来そうなもんじゃね? なにせ入学から一ヶ月も学校行けないんだもん。色々とあるはずでしょ? この四月から担任になる○○です。初日から大変な目に合っちゃったけどこれから宜しくね、的な連絡事項的なあれが。

 

 

 あの事故の相手は多分相当な金持ちとか権力者っぽかった。

 なにせたかが事故、しかも高校生が突然道路に飛び出すという、言わば被害者的な加害者だ。

 たまたま道路交通法上加害者と呼ばれているだけで、もしもこれが電車だったら、JRに多大な賠償金を支払わなければならなかったのはむしろ比企谷家側だったってくらいに、落ち度は全面的にこちらにある。

 にも関わらず、弁護士を寄越したあの事故での賠償金はかなりの額だったっぽいし、金持ちしか入れないようなあんな個室まで用意してくれた。

 

 それはつまり口止め料と隔離……までは行かないにしても、事故を起こしたという事実が公になるとなにかと面倒な人物という事になる。

 別にこれといった過失があるわけではなく、わざわざ世間に隠すほどの必要はないから──なにせ突然道路に飛び出された被害者でもあるわけだし──、おおっぴらになったらなったでそこまで問題はないのだろうが、なるべくなら穏便に済ませたかったのだろう。

 

 と考えたら、あまり目立った行動、つまり友達とかが大勢で連れ立って来る見舞いとかはして欲しくない立場だったんだろうな。ならば個室をあてがうと同時に面会謝絶扱いにしたってなんら不思議ではない。

 残念ながらわざわざそんな事してくれなくても、大勢で押し寄せてくる友達など皆無だったがな! でも加害者側は被害者側のぼっち事情なんて知らないもんね。

 

「……で、病院にはお見舞い行けなかったから、退院してからヒッキーんちにお菓子持ってお礼に行ったんだ」

「……へ?」

「あ、あはは、でもあたし間が悪いってゆーか、ちょうどヒッキー寝てたみたいだから、妹さん……小町ちゃんにお菓子だけ渡して帰ってきたの。同じ学校だし、今度学校でお礼言いますって」

「なにそれ初耳」

「……え!? うそ!? まじ!?」

 

 え、なにこの子、うちに来てたのん? やだ、女の子が実家に訪ねて来るなんてちょっと恥ずかしい!

 

 頭上に『ガーン!』とオノマトペを浮かべて「ひどいよ小町ちゃ〜ん……!」と小声で喚いている由比ヶ浜を見て思う。

 そりゃこっちのセリフだあのバカ妹め。あんにゃろう、まさかお菓子を独り占めしやがったな?

 

「と、とにかくね……!?」

 

 なんか涙目になりながらも、まだ何か言い足りないらしい由比ヶ浜が話を続ける。

 

「GW明けにヒッキーにお礼言おうって思って探したんだけど、なんか全然見付かんなくて、誰に聞いても知らないって言われるし──」

 

 ああ、そりゃね。だって俺の存在自体が認識されてないもん。

 よし、ここに命名しよう。俺の固有アビリティーはステルスヒッキーと。

 

「先生に聞いてようやくクラスは分かったんだけど、いつ行っても居なくって──」

 

 ああ、そりゃね。だってクラスに居場所ないんだもの。授業以外は即座に撤退余裕ですわ。

 

「……で、ようやく発見できた時には……なんかちょっと、声、掛けづらくなっちゃって……。でもそれはあたしが勇気無かったから、だよね……ごめん」

「謝るような事じゃねぇだろ……」

 

 お礼なんてのは、機会を逃せばしづらくなるのは当然だ。その機会を与えなかったのは他でもない、俺が誰とも関わろうとしなかったからだし。

 

 あの事故のせいでぼっちデビュー決定? アホか、そんなわけあるか。あの事故があろうがなかろうが、俺のぼっちデビューなんて遥か前から決まってただろうが。

 それは、義務教育の九年間の毎日が如実に証明している。

 

 そもそも入学式に車にはねられたとか、話題性だけならピカイチじゃん。そんなん退院後の自己紹介で誰よりも目立てるわ。

 入学が一ヶ月遅れでぼっちになりましたなんて、そんなのただの言い訳だ。やり方次第で、人次第で、いくらでもぼっちにはならずに済んだだろう。

 それをしなかったのは、それをする努力をしなかったのは、他でもない俺自身。

 

 そして完全なるぼっち、完全なる陰キャと化した俺に、どこからどう見てもリア充丸出しの別クラスの女子が話しかける難易度ってのは、果たしていかほどだろうか。

 しかもこいつはクラスでの様子を見るにいかにもなキョロ充だ。まわりの、特に女王の顔色を窺い、空気を読んで薄っぺらな笑顔を浮かべて自分を殺す。

 そんな奴が、別クラスの俺に話し掛けるなんて高難度な真似、出来るわけがない。逆に考えれば、俺みたいな最底辺カーストのぼっちが別クラスの金髪ドリル女王に自分から話し掛けに行くようなもんだろ? なに、それって自殺しろってことかな?

 

 こいつは勇気が無かったとか言ってるが、それはちょっとやそっとの勇気でなんとかなるもんじゃない。

 だから今なんだ。

 

「……で、二年で同じクラスになって、話し掛けるきっかけが出来たから、ってとこか」

「……うん。そうなんだ」

 たははと居心地悪そうに笑う由比ヶ浜を見て俺は確信する。

 こいつは、俺が嫌いなタイプの女の子なんだ、と。

 

「……あたし料理とか全然だから、美味しいって思ってもらえるか分かんないけど、ゆきのんに教えてもらって、ようやく満足出来るクッキーが出来たの。超スパルタ過ぎて死ぬかと思ったけど……てかゆきのんが死んじゃいそうだったけど。色んな意味で」

 

 誰だよゆきのん。てか色んな意味で死んじゃいそうって、一体こいつになにされたんだよゆきのん。

 

「……だから、受け取って下さい」

 

 ……はぁ〜、仕方ねぇな。

 お礼を言われる謂われも施しを受ける謂われも無いけれど、こんな必死な顔しちゃってる女の子からこれを受け取らなければ、どうにも寝覚めが悪そうだ。

 可愛い女子の手作りクッキーなんて一生味わう機会もないだろうし、ここは大人しく受け取っておきますかね。

 

「……ま、あんがとさん」

 そうして俺は、由比ヶ浜の手には決して触れないよう、恐る恐るクッキーの包みを受け取る。

 やっべぇ、なんかちょっとワクドキもんだぜ、女子の手作りクッキー! こんなに女子と話したのもすげぇ久しぶり(むしろ初体験まである)だし、ほんのちょっとだけ口角が上がってしまうのを感じる。

 

 

 ──ただし、あくまでも礼として受け取るだけだ。それ以上は、一切の関わりは持たない。

 だってこいつは……

 

 ※

 

 緊張感の張り詰めた先ほどまでの空気とは一転、この場は弛緩した空気に包まれる。まぁそれは由比ヶ浜の回りの空気だけなのだが。

 良かったぁ、と、ふにゃっと弛みきった笑顔を浮かべる由比ヶ浜。しかし俺は、次にこいつが言いそうであろう言葉に対して身構えている。

 多分これは自意識過剰とかではなく、こいつなら、俺の嫌いなタイプの女の子のこいつなら、おそらく言ってくるであろう言葉。

 だから俺は気を緩めず身構える。少しでも気を緩めたら、すぐにでも揺らいでしまいそうなほど、今の俺は意外にもこの一時を楽しいと感じてしまっているから。

 

「……で、あのね?」

 

 果たして由比ヶ浜は口を開く。

 そしてそのぷるつやな唇から発せられた言葉は、おおよそ予想に違わぬ言葉だった。

 

「も、もし良かったらなんだけど、これからも仲良くしよーよ……!」

 

 ……ああ、やはりか。

 やはりこいつは俺が嫌いな女の子だ。

 由比ヶ浜からの問いに、俺は無言のまま目を細める。そんな俺の態度に慌てたのか、由比ヶ浜は焦った様子で両手をぱたぱたと振った。

 

「ち、違くて、ななななんちゅーか、ほ、ほら、ヒッキーっていつも一人で居るし、クラスでも居心地悪そうじゃん……っ? だ、だからもし良かったら、あたしと……そのぉ」

 

 耳まで真っ赤に染め上げ、慌てた様子で身振り手振り理由を説明する少女。

 やはりこいつは、……優しい女の子なんだな。

 

「その……とも──」

「なぁ」

 

 とも……

 その先を口に出させてしまう前に、俺はこいつの言葉を遮った。

 

「な、なに?」

「あれだな。お前ってパッと見ただのビッチにしか見えないのに、案外優しい奴なんだな」

「は、はぁ!? 誰がビッチだし! あたしまだ処じ……、う、うわわわ! な、なんでもないなんでもない! ……て、てか、べべべ別に優しいとかそんなんでもないし……!」

 

 こいつ今とんでもねぇこと口走りそうになってやがったな。

 ほぅ、こいつこう見えてまだ処……いや、その件は夜まで置いておこう。

 

「……いや、お前は優しい奴だ」

 

 未だ男性経験が無い事を口走りかけたからか、はたまた優しいと言われたからか、照れくさそうに手をぶんぶんする真っ赤な由比ヶ浜に、念を押すようにもう一度言う。お前は優しい奴だと。

 

 だってそうだろう。例えどんな事情があろうとも、今さら一年前の事故のお礼なんかに来られるものか?

 

 俺は恩を売りたいから犬を助けたわけではない。しかしそれがもしも恩着せがましい奴だったら、一年後のお礼をふざけんなと罵る奴だっているだろう。

 事情を考えようともせず、恩着せがましく「犬を『助けてやった』のに、一年もお礼に来ないとかお前常識あんのかよ」とかって、せっかく犬が助かったのに、その自らの善意を台無しにしてしまう奴だって居るかもしれない。ていうか『助けてやった』とか、それ最早善意でもなんでもねぇわ。

 

 そんな嫌な思いをする可能性だって少なからずあるにも関わらず、こいつはお礼に来てくれた。わざわざ苦手だという料理を練習してまでも。

 

 そしてさらにこいつは言う。友達になろう、と。

 

 どうせあれだろ? 自分のせいで入学が遅れたからぼっちになったんじゃないかって、気を遣ってくれてんだろ?

 アホかこいつ。トップカーストの女の子が、教室内で陰キャぼっちなんかと仲良くしてみろ。どんな薄汚い目に晒されるかなんて、キョロ充のお前にならよく分かんだろ。

 それでもこいつは気を遣ってこう言うのだ。友達に、と。

 

「あのさ、別に俺の事なら気にする必要ないぞ。お前んちの犬を助けたのは偶然だし、それにあの事故がなくても、俺たぶんぼっちだったし。お前が気に病む必要まったくなし」

「……え、待って、違うよ、……あ、あたしそんなつもりじゃ──」

「悪いな、逆に変な気を遣わせたみたいで。まぁ、でもこれからはもう気にしなくていい」

 

 

 ──俺は、優しい女の子が嫌いだ。

 俺に優しい人間は、分け隔てなく他の人にも平等に優しい。でも人間関係に不慣れな俺は、ついそんな当たり前の事も忘れて、勘違いして、そして期待してしまう。

 

 そして裏切られるのだ。

 いや、それを裏切りと言うのはあまりにも傲慢だ。だって、こっちが勝手に期待しただけなのだから。

 

 だから俺は、裏切られるのが嫌なわけじゃない。裏切られたと思ってしまう自分が、どうしようもなく嫌なのだ。

 

「負い目に感じる必要も同情する必要もない。……気にして優しくしてんなら、そんなのはやめろ」

「違う……よ。あたし、同情とか、気を遣うとか、……そんな風に思ってたわけじゃ……」

 

 ああ、そうなんだろう。でもそれは、お前が優しい奴だからだ。優しい行動をとるのが当たり前過ぎるから、自分で気付いていないだけなのだ。

 でもいつかきっと後悔するに決まっている。俺に優しくした事を。

 そして俺はまた裏切られる……、違う。

 ……勝手に裏切られたと感じて、そして自己嫌悪するのだ。

 

「俺はな、好きでぼっちやってんだ。心からお一人様をエンジョイしてるまである。だからぶっちゃけ、こういうの結構迷惑なんだわ」

「ヒッ、キー……」

 

 いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。

 だから俺は由比ヶ浜を……他人からの優しさを拒絶する。

 他の誰の為でもない。自分の為に。

 

「つーわけだ。ま、犬を助けたのは、このクッキーでチャラって事にしといてくれると助かる。……だからまぁ、これで終わりだ。もう、俺に関わらないでくれ」

 

 

 大きな瞳に涙をたっぷり貯めた女の子に背を向け、俺は愛する我が家へ向けて歩を進める。

 早くここから逃げ出そう。俺には耐え切れそうにない、この重く苦しい空気から。

 

 ※

 

「は? え、ちょ、なになに? なんかさー、ユイこないだもそんなん言って放課後ばっくれなかった? ちょっと最近付き合い悪くない?」

「やー、それはなんて言うか、やむにやまれぬというか私事で恐縮ですというか……」

 

 あれからしばらく経ったとある昼休みのこと。

 普段ならベストプレイスで優雅にぼっち飯を楽しむ俺だが、生憎今日は朝から雨模様。雨の日ばかりはさすがの俺でも教室で食う事にしているわけだが、もしゃもしゃとコンビニパンを咀嚼している時、それは起きた。

 ……チッ、そんな日に限ってこの騒ぎかよ。

 

「それじゃ分かんないから。言いたい事あんならはっきり言いなよ、あーしら友達じゃん。そういうさー、隠し事? とかよくなくない?」

「ごめん……」

 

 あー、うるせー。せっかくのパンが不味くなるっつの。

 

 このクラス最高派閥の女子同士が言い争いを始めてしまったが為に、教室内は不穏な空気に包まれている。

 いや訂正、これは言い争いとかそういう優しい世界のお話ではなく、ただただ女王が侍女を一方的に責めているって構図だ。

 

 責めている女王の名は優美子? とかいう金髪ドリルのお蝶夫人。

 そして責められている侍女の名は……よりにもよってあのクッキーの女だ。確かなんとかガハマとか言ってたっけ。

 まぁ実際忘れられるわけもない名前だが、精神衛生上忘れた事にしたい為、ここは敢えてガハマさんという事にしておこう。

 

 どうやら昼飯を一緒に食うだの食わないだので女王がひどくおかんむりのご様子なのだが、実に下らない。

 なぜリア充はたかだかメシごときでさえも群れないと食えないのか。一人で食った方が早く食い終わるし、昼寝の時間だってしっかり確保できんだろうが。やはりぼっちって最強。

 

 

 ……正直な話、こう見えてかなりイライラしている。なんつうか、なんか気に入らない。

 

 別に、ついこないだ中々美味しいクッキーをくれた女の子が、一方的に責められて泣きそうな顔をしてるから気に入らないってわけではない。違うったら違う。

 ただ、女王の機嫌の上下ごときでクラスが騒がしくなったり萎縮したり、そんな風にクラスメイトから気を遣われてまでも、周りを一切気にせず嫌な雰囲気を出しまくっている何様な態度が気に食わないだけの話なんだから!

 

 ……もしあのとき由比ヶ浜を受け入れていたのであれば、もしかしたら女王に文句の一言でも浴びせたのかもしれない。てかやっぱり名前覚えてんじゃねぇか。

 しかし俺は拒絶した。そして拒絶されたガハマさんは俺と関わらないという事を受け入れ、あれ以来一切近づいてくる事はなかった。

 

 であれば、どんなにイラつこうがどんなに気に入らなかろうが、この事態は俺にとってなんら関係のない出来事。

 しかしたった一時とはいえ、関わりを持った女の子が責められている様子を好き好んで見ているような趣味は俺にはない。

 だから、俺はそのまま教室をあとにした。関係もなく見たくもないのであれば、おのずと導きだされる答えは一つしかない。そう、嫌な事から逃げ出すのだ。あの日由比ヶ浜の優しさから逃げ出したように。

 

 

 

 昼休みが始まったばかりの廊下はまだ人気もまばら。

 ベストプレイスは雨で無理だし、もちろん屋上も同じ理由で無理だ。

 ならば仕方ない、中学以来の便所飯とでも洒落込みましょうかね、と人影少ない廊下を歩いていると、なんと前方から見慣れない女子生徒が歩いてくるではないか。

 

 いや、見慣れないのではない。見慣れないどころか、その人物はぼっちの俺でさえも知っている、我が校の超有名人。

 見慣れないのではなく、その人物がここを歩いている事が珍しいのだ。

 

 ──雪ノ下雪乃。

 我が校で一番の有名人。

 県内有数の進学校の我が校で、さらにもう一段階上のレベル、国際教養科。そんな中でさえさらに異彩を放っている少女。

 成績優秀容姿端麗文武両道。この学校内において、彼女を褒めそやす言葉は数知れず。

 そんな雪ノ下雪乃が、なぜこちらに向かって歩いてくるのか。

 

 確かJ組の教室は、我が教室とは階段を隔てた向こう側に鎮座していたはずだ。

 だからこそ異質なのだ。彼女がその階段を越えて、こちら側……普通科側の廊下に足を踏み入れるだなんて。

 

 今まで遠目からは何度か見た事はあるのだが、こんなにも近い距離で雪ノ下雪乃の姿を見るのは初めてだ。

 まるで絵画から抜け出してきたかような美しい面差しで、絹のごとき艶やかな黒髪をふわりなびかせる。

 やっべぇ……マジですげぇ美人だな。

 あとこの他者を寄せ付けない極寒のオーラもすげぇな。なんと自信に満ち溢れている事か。

 

 

 

 とはいうものの、やはり俺にはまったく関係のない存在だ。

 由比ヶ浜みたいな普通のリア充でさえ、俺にとっては別世界の住人。

 そういった意味では、雪ノ下雪乃は俺にとっては別次元の住人にも等しい。一生関わる事などない、高嶺の花の中のさらにまた特別な最高級品。

 

 彼女が普通科側になんの用があって来たのかは知らないが、俺がその理由を知る事は無いのだろう。

 

 そして俺と雪ノ下雪乃は、まるで見えない壁でも存在するかのように、一生交わる事のない道をただ静かにすれ違うのだった。




ちょっと長くなってしまいましたが、これにて奉仕部仲間フラグ折りは終了です。

あと何件か「由比ヶ浜奉仕部入りは微妙」との感想いただいたのですが、由比ヶ浜は普通に奉仕部に入部しました。理由としては、

八幡が居ようが居まいが由比ヶ浜は雪乃の自分には無い強さに憧れたから。

八幡が居なかった分スパルタでクッキー作りを教わるという結果となり、その間に仲良くなったから。(唯一の親友になれるレベルで馬が合うことは原作で確定済みなので、教えてもらっている間に確実に懐くでしょう。由比ヶ浜が)

という感じですかね。
ちなみにバレンタインで雪乃監修のもとでならお菓子が作れる事も確定してるので、今回のクッキーはちゃんと美味しく出来たという設定です。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。