世界の果てに白亜の城が存在した。
それはとある王国の再現だった。
かつて存在したとされる王城、花のキャメロット。
ブリテン島にてアーサー王が統治したという、超常の騎士たちが集った理想の城。
最上階に位置する王の間の外壁は、無理やり引き剥がしたかのように消滅していた。
そこから見える景色は限りのない荒野と光の海。無限に広がる最果ての地平が眺められる位置には、荘厳な椅子が用意されている。
其は王のみが腰を下ろすことを許された玉座。
ならばそこに在る人物は紛れもなく王である。
瞑目するように目を閉じた騎士。
王位を証明する装束を着こんだ美しい女性。
かの人物こそは聖槍の獅子王。嵐の化身、亡霊を総べるワイルドハント。
長きにわたり最果ての塔を所持した結果、
獅子王は瞼をゆっくりと持ち上げる。
表情は優しげな微笑みを浮かべていた。
──そうか、人理修復は成った、か。
安堵したのか感心したのか。それとも以前の自分の予想を超えてみせた、人類最後のマスターへの称賛か。
この時に抱いた感情を彼女は上手く表現できそうもない。
きっと、その全てではあったのだろう。
「……ならば、もはや私のすべきことは何もない。おとなしくこのまま消えるとしようか」
彼女は魔神王の企みを利用した神霊だった。
千をゆうに越える時間を神の一柱として過ごしたことで得た、魔術王ソロモンと同等の視界。
過去を、未来をも見通す千里眼。
人の営みを見た。
人の幸福を見た。
人の美徳を見た。
人の嘆きを見た。
人の悲哀を見た。
人の憤怒を見た。人の慟哭を見た。人の邪悪を見た。人の絶望を見た。人の不幸を見た。
そして人の──弱さを見た。
その中で、魔神王が目的とするものを理解した。
共感はなかった。見たものが同じでも感じ入ることまで同じとは限らない。仮に魔神王と同じ結論に至っていたなら、そちらと合流していたろう。どちらかと言えば賛同しかねる思想であり、叶うならば邪魔立てしたかったくらいである。
だが、その計画には一点の隙もなく、神の身とは言え一介の霊体にすぎぬ獅子王には到底打ち破れるものではなかった。
千数百年かけ力を得ようとも、同等以上の力が三千年も費やした策には届かない。人理滅亡は確実だった。
ゆえに自らの手で人類を保護すると決めたのだ。
特異点なる時代に赴き、理想的な人間たち──悪を知れど悪に傾かぬ魂を集めて自らが築いた理想都市に収容するという計画を立てた。
人間を後世にまで残すため、善なる魂の持ち主をのみ
──それが、人々の伝説に生きていた時代の自分ならば決して選ばない道だと理解しながら。
神霊に属するものとして、最も正しいと信じた手段をとった。
結果は失敗。
理想都市は失われ、いまや王は一人である。
手足とすべく召喚した円卓の騎士たち、騎士王の臣としてアーサー王にかようなことはさせじと刃を向けた者たちも、獅子王と名乗る王もまたアーサー王なりと信じた者たちも、すべて、すべて消え去った。
……だが、これでよかったのだろう。
既に最果ての塔はこの手にない。
あるのはかつて失った聖剣のみ。その影響か、今の獅子王には人の頃の価値観が若干だが戻っていた。
人間を人間たらしめるものが何であるか。ヒトの何を守りたいと願ったのか。
神の視座にあっては忘れ去っていた、大切なことを取り戻しつつあった。
ここに在るのは最果ての化身ではなく、その残滓である。
もうすぐ特異点の歪みは無くなる。
その消失をもって、特異点に現れたもう一つの歪みたる獅子王も消え失せる。
世界は非ざる異常を許さない。元凶が絶えれば後は修復されるだけ。魔術王の影響も無くなった今、ワイルドハントは世界による修正の波に呑まれてこの世から消え去るのだ。
どうせ自分のような間違いが生まれるのは剪定世界だ。幹を生かすために捨て去られる枝葉の歴史に生まれた獅子王は、この特異点に来なければ遅かれ消失していただろう。いずれ消える定めだったなら早いか否かの違いである。
そう思えばこの結末に未練は一切なかったし、受け入れていた。
元より己の命、人生に執着があったわけではないのだから、永らえようとも思わなかった。
──その筈だった。
目の前に、古ぼけた鏡が現れなければ。
「姿見ではない。一見すると鏡だが、これは転移魔術によるゲートの類……」
その異常がなんであるのか獅子王は一目で看破する。
何者かが自分を呼んでいる。
いや、聖槍の獅子王を選んでのことではなく此処に偶然つながっただけかもしれないが……とにかく誰かが、人では至れぬ最果てにまで手を伸ばしている。
「面白い。もはや消えゆくのみと思っていたが、召喚とあっては捨て置けない。これほどの力を持つ魔術師が何処なりに存在するならば、一介のサーヴァントのように振る舞うのも悪くはないな」
玉座から立ち上がる。
この鏡の向こうが見知った人類史ではないことは神霊としての感覚で理解していた。
並行した世界とも違う、まったくの異界。見たこともない生態や風景、知らない常識を積み重ねた歴史。幹が根底からして違う次元が待っているのだと。
下手をすれば全てが敵として襲い掛かってくる可能性すらあったが、嵐の王に恐れはない。未知なる領域を目指す彼女の横顔に翳りはなかった。
かつて想った海の先──ブリテン統一の暁には、伝え聞く様々な異教の文化を手にしに行こう思ったあの頃。その熱意が心に湧き立っていた。さかのぼるならば、まだ騎士王の名乗りを上げる以前の花の旅路……その時の純粋な気持ちにも似ている。
傍らには、呼ばずとも主の出立を察したらしい愛馬、英霊としての格をも有する白きドゥン・スタリオン。
主人の共をせんと、鼻を鳴らして存在を主張する。
ふむ。と口元に指を当てる。
未開の地へと赴くのに、共が駿馬一頭では些か勿体ないか。と獅子王は考える。
「そうだな。円卓もなき今、側仕えは必要か」
再び円卓の騎士らを召喚するのは
一度目は人々の、二度目には神の理想を実現するためにつき合わせてしまったのだ。さすがに三度目の従属を求めるのはない。そうなった場合、円卓の半数以上が喜んで付き従うのだとしても。
となると他の英霊か。
存在が不安定となった此処から英霊の座に働きかけるとなると多少ノイズが多くなるかもしれないが。
いや、いっそそのくらいがいいだろう。カルデアのマスターのようにランダムな召喚を試みるのだ。心機一転見知らぬ地へ赴くのだし、旅は道連れ。複数の、誰ともわからぬ者たちを連れていくのも悪くはない。
「我こそは異界に臨まんと願う者よ。我が手足となる代わりにその権利を与えよう」
威圧的に呼びかける。
神であり王である彼女はマスター以外の者に対して妥協する気はなかった。多少なりの圧力なくして英霊を束ねるなど務まらない、という確たる意思があった。
同時に、その程度で怖気る英霊などいないだろうということも。
ややあって複数の英霊の気配を感じ取る。
何人か召喚の声が届いた英霊がやってきたらしい。
それが何処の誰であるのか……いま確認するのはやめておく。
せっかくだ。実体化は後回しにして、マスターとなる者の前でお披露目するとしよう。
「では行こう。私が──いや、お前たちも満足する世界があることをせいぜい期待するとしよう」
これ以上マスターを待たせることもない。ついに獅子王は鏡に触れる。
追従するドゥン・スタリオン、ついてくる英霊たちの気配と共に、獅子王は鏡のゲートをくぐっていった。
残されたものは、座すべき者を失った玉座だけだった。
エタる可能性高め。