ゼロの狩人   作:テアテマ

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13:偏在

 眠らない夜を過ごす狩人にとって、朝は誰よりも早いものである。常に夜と朝の境目を駆け抜けては、白む空に狩りの終わりを感じるものだ。

 が、狩りをするでなく、読む本もなく。ジェヴォーダンにとっては久方ぶりに退屈な夜明けとなり、珍しくうろうろと散歩をするほど。乗馬の疲れがあったからか、またも少しばかり眠気を覚えるまであった。

 いっそ部屋に戻って、どれくらいぶりかもわからないほど久しぶりにベッドに横になってやろうか。真剣にそんなことを考えた頃、思わぬ来客があった。すらりと背筋の伸びた羽帽子の男、あのワルドだ。

 

「おはよう、使い魔くん。ずいぶん早いんだな」

 

 ワルドは驚いたように、しかし友好的に笑った。当然、その表情の全てが嘘だ。こちらが起きていたことも知っているし、好意もないのだろう。

 

「おはようございます。子爵も随分とお早いのですね。出港は明日の朝と聞いていますが」

 

 ジェヴォーダンは決して気取られぬよう警戒しながら、端的に自分の疑問だけを告げる。ワルドはにっこりと笑い、そしておもむろに、聞き捨てならない言葉を発した。

 

「きみは伝説の使い魔『ガンダールヴ』なのだろう?」

「………」

 

 ジェヴォーダンは答えず、ワルドの目をじっと見る。

 その対応にワルドはどう思ったのか、誤魔化すように首をかしげた。

 

「……その、フーケの一件で僕はきみに興味を持ってね。僕は歴史と、兵に昔から興味があった。フーケを尋問したときに君に興味を抱き、王立図書館できみのことを調べたのさ。武器を扱いこなし、無敵の強さを誇る伝説の使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いた。そういうわけさ」

「マイナーな歴史まで、よくご存知だ」

「はっはっは、まぁ僕も、いわゆるオタクというやつさ。オタクついでに、あの『土くれ』をものともせず倒した腕がどんなものなのか知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

 

 ワルドは腰に差した魔法の杖を引き抜いて言う。その顔は笑っているが、目にはほのかな鋭さが走っている。

 

「……手合わせなどどこでするのですか」

「この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦だった。中庭に練兵場があるんだよ」

 

 

 

 

 かつて貴族たちが集い、陛下の閲兵を受けたと言う練兵場。今ではただの物置となったそこで、二人は向き合っていた。

 

「古き時代……王がまだ力を持ち、貴族たちが従った時代。あらゆる時代でもっとも、貴族が貴族らしかった時代。名誉と誇りをかけて、貴族は魔法を唱えあった。でも、実際にはくだらないことで杖をぬきあったものさ。たとえば……女を取り合ったりね」

 

 ジェヴォーダンはいまだ、まんじりともせずワルドを睨みつけている。ワルドはそれを気にせず、さらに芝居掛かった口上を続けた。

 

「立会いにもそれなりの作法というものがある。介添人が、いなくてはならない」

「……そういうことか」

 

 物陰から現れた姿を見て、ジェヴォーダンは全てを理解した。ルイズはそんな彼を見て、驚いた表情を浮かべた。

 

「ワルド、言われてきてみれば……何をする気なの?」

「彼の腕前をちょっと試したくなってね」

 

 ルイズの静止も、ワルドは聞き入れない。話が通じないと見るや、ルイズはジェヴォーダンを見た。

 

「ジェヴォーダンやめて、これは命令よ」

「………」

 

 ジェヴォーダンは答えない。答える必要は、もはやなかった。

 

「では介添人も現れたことだし、始めるとしよう」

「もうっ! 2人ともばかっ!」

 

 ワルドが杖を引き抜き、フェンシングの構えのごとくそれを前に突き出して腰を落とした。

 いつでも始められる。そんな気迫が伝わってくるような臨戦態勢。

 対するジェヴォーダンは……微動だにすることなく、佇んでいた。

 

「……? どうしたんだ、早く抜きたまえ」

「………」

「どうした! 怖気付いたか!?」

 

 はぁ。ジェヴォーダンは、この世界に召喚されてから明らかにため息の回数が増えたことを感じている。

 人が圧倒的に多いこの世界。絶対数が多いということは、残念ながら必然だ。

 そうなれば確実に、バカの割合が増える。

 

「来い」

「何……?」

「このままでいい。さっさと来い」

 

 ジェヴォーダンは後ろ腰に携えたデルフリンガーと散弾銃に手をかける気配すら見せず、ワルドと対峙した。

 ワルドも、固唾をのんで見守っていたルイズも驚愕する。それぞれに、別々の意味で。

 

「……ふ、ははっ。さすがに人を舐めすぎというものだろう使い魔くん。確かに、僕は君を伝説の使い魔と評した。君の強さは実際この目で確かめている限りさ。だからといって、それはあくまで平民としての、使い魔としての話だ」

 

 丸腰でメイジに 敵うことなど。ましてそれが、1対1の決闘となればなおさら。

 この時までワルドはジェヴォーダンが何か冗談を言っているのだと半分本気で思っていたのだ。だが、完全に素手のまま姿勢を低く落としたジェヴォーダンを見て、ワルドはとうとう、隠し通していた殺気をほのかにのぞかせるまでに激昂した。

 

「残念だ、君はもう少し賢いと思ったが」

「ベラベラとよく回る。言っているだろう、来るならさっさと来い」

「……いいだろう、なら後悔させてやる!」

 

 瞬間、ワルドは飛ぶような速さで踏み込んだ。レイピア状の杖が空を切り裂き、一点でもってジェヴォーダンに飛びかかる。

 対するジェヴォーダンは、既のところでそれをかわす。剣先が頬の高いところをかすめる。ワルドの攻め手は怒涛のもので風を切る音とともに、数え切れぬほどの斬撃がジェヴォーダンに殺到した。

 翻るマントが、ワルドの攻めの素早さを物語る。それだけを見れば、まるで伝承の騎士のように、力強く美しい光景に見えただろう。

 だが、ジェヴォーダンも凄まじい動きをしていた。それほどの剣さばきを、全てすんでのところで躱しているのだから。

 息もつかせぬ斬撃が、しかしどういうわけかかすり傷ひとつ負わせることも叶わない。だが、ここまではワルドにとっても予想の範疇だった。

 ワルドはただの剣士ではない。魔法衛士隊のメイジの戦いは、その魔法の詠唱さえ戦いに特化されている。

 杖を剣として振るいながら詠唱を完成させ、魔法を放つ。それこそが衛士隊の、軍人としてのメイジの戦い方なのだ。

 

「最後にもう一度確認するが、本当に武器を抜かないつもりか?」

 

 斬撃を繰り出しつつ、ワルドは確認する。いくら単なる手合わせとはいえ、丸腰を相手に全力の魔法を放つのは、ワルドにしてみてもバツが悪かった。

 だが、答えない相手を前にすれば話は違う。もはやこれほどの不遜を前に、いかなる遠慮も必要ない。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 

 ワルドの突きの動きが変わった。一定のリズムと動きを持ってそれを繰り出しながら、低い声でスペルを唱える。

 呪文は瞬く間に完成し、そしてそのリズムに合わせて流れるように、『エア・ハンマー』がジェヴォーダンの頭上に繰り出される。

 もういいだろう。

 ジェヴォーダンがすさっと、身を翻したのは一瞬のことだった。空気のハンマーは空振り、文字通り空気を揺らす。

 ワルドは驚きとともに苦虫を噛みしめるような表情を浮かべた。まさか、自分の最速の魔法が回避されるとは!

 返す踵で翻り、背後へ回ったであろうジェヴォーダンへ剣を繰り出して……その剣も、空を貫いた。

 一瞬ワルドは「えっ」と、素っ頓狂な声を素であげてしまった。一瞬の間、ワルドはジェヴォーダンを見失う。時間は、それで十分だった。

 強烈な衝撃がワルドの背中側を襲う。一瞬何をされたかわからず、膝が地面に着く。

 ジェヴォーダンの拳で態勢を崩されたのだと気づくまでに一瞬の時間を要し、その間にジェヴォーダンの手はワルドの背中へ急行し……

 

 ワルドの脳裏に、昨夜見たジェヴォーダンの戦いの光景がフラッシュバックした。

 素手を人の体内にねじり込む腕力、躊躇なく引き抜かれる内臓。それをするにはまず相手の態勢を崩していて。

 まさか。ワルドの後ろ、もう寸前に迫るこの腕は、まさか。

 

 ジェヴォーダンの腕は凄まじい勢いを持ってワルドへ迫り……既のところでかすめ、彼の羽帽子を取った。

 一瞬、何をされたのかわからないでいるワルドの視界に、羽帽子をくるくる回しながらジェヴォーダンが入って来る。

 

「子爵、手品のようなものです」

「え……?」

 

 呆然とするワルドにジェヴォーダンが言う。その顔は、先ほどまでの邪悪さとは打って変わり、少しいたずらっぽく笑っていた。

 

「我々狩人の戦いは何かと相手の背後を取ることが多くてね。一度背後に回られれば、振り向いて追撃しようと思うのは当たり前。であればその振り向いた後の背後へ動けるよう、再び返す受け身を取ればいい。それだけで相手の視界からは消え去ることができる」

 

 ワルドはハッとした。ジェヴォーダンは帽子を回しながらさらに続ける。

 

「狩人の戦いというのはこういうものなのです、子爵。視野外からの一撃、意識しない方法での攻撃、相手の攻撃を誘発させるミスディレクション……様々な手段を講じて相手の命を奪います。それらは騎士道精神などを重んじる貴族からすれば、暗く、卑怯で、許されざる戦いというもの。伝説の使い魔と言いましたか……このような戦い方をするものが、そんなものであるはずがありませんよ」

 

 そしてジェヴォーダンは、ワルドの頭に帽子を戻した。傾いた帽子が、素っ頓狂な表情のワルドの顔を半分隠す。

 

「戯れをお許しください。卑しい男なのです、私は」

「……………ふ、はは。そうか、そういうことか」

 

 ようやく合点が行ったワルドは、帽子を直しながら立ち上がった。

 

「正面から戦えば勝つことはできない。そう踏んでこんなことをしたわけか?」

「御察しの通りです、子爵。まぁそれに、そんな下賎な技の1つで子爵と手合わせとするのもどうかと思いまして」

「ん?」

「私は武器を抜いていない。手合わせは、なかったのです。それでよろしいかと」

 

 ワルドはルイズを見た。心配そうにこちらを見るルイズに、いいところを見せるつもりだったが。ジェヴォーダンは負ける気はなく、かといって勝つつもりもなく、自分の貴族としての名誉すら傷つける気はないと、そういうことのようだ。

 

「ふふふ、まぁいいだろう。これほどまでに1本取られると、帰って清々しいな」

「ご無礼を失礼しました」

「いいんだ、だが君の実力は知れた。正面を切って戦えば僕が勝つというのであれば、まぁそれでいいだろう。手合わせは、またの機会としようじゃないか」

 

 ワルドは笑いながらルイズの方へ歩いて行き、「行こう」と促した。ルイズは1度心配そうにジェヴォーダンを見たが、そのままワルドの手に促され歩いて行った。

 二人の姿が見えなくなってから、羽帽子をかすめた手をコキコキと鳴らした。

 そして、「奴の背骨を見てやるのはまたの機会にしよう」と、誰にも聞こえないよう小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 その日の夜。ジェヴォーダンは2階で、月明かりを頼りに散弾銃を解体して掃除していた。

 下の階ではギーシュたちが、酒を飲んで騒ぎまくっている。明日はいよいよアルビオンへ渡る日。なんでも明日、2つの月が重なる夜が、アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づくと言うことだった。

 見上げた空、赤い月の後ろに青い月が隠れ、1つだけに見える赤い月がギラギラと輝いている。

 そうでないとわかっていても、ジェヴォーダンにはこの光景が不吉なものに思えてならない。思い返す、ヤーナムの月。これでもし赤ん坊の声など聞こえてこようものなら発狂ものである。

 そんなわけでそわそわと落ち着かないジェヴォーダンは、いつでも戦えるようにと散弾銃の調整を始めたのだった。

 水銀弾がもう残り少ないな。ストックを確認しそんなことを思っていると、後ろから声がかけられ、驚いて思わずデルフリンガーを抜いた。

 

「ひゃっ! ちょ、ちょっとジェヴォーダン!?」

「あぁ、すまん」

 

 本当にとっさの反応だったため、素直にルイズに謝罪すると、それはそれで驚いた顔をされてしまった。

 

「……驚いたからっていきなり主人に剣を向けないで」

「あぁ……いや、すまん」

「まぁ別にいいわ。ねぇそれより、聞きたいことがあるんだけど」

 

 ルイズは散弾銃を組み立てるジェヴォーダンの隣にきて、しゃがみこんだ。

 

「あんた、ワルドと正面切って戦ったら勝てないって、嘘でしょう」

 

 またも驚いて、ルイズを見る。リアクションの大きさに、ルイズも驚いて顔を見合わせる。

 

「だって私、あんたがギーシュと決闘してるところも、フーケと戦ってるところも見てるわけだしそりゃあわかるわよ……なんであんな嘘ついたのよ」

「そのことを、ワルドに言ったか」

「言わないわ。言うわけないわよ」

 

 ほっと胸をなでおろす。そんなさまを、ルイズがじとっと見つめた。

 

「子爵を信用していないのね」

「あまりな」

「どうしてよ」

 

 どう答えるべきか困る。まさか正直に『味方に内通者がいるかもしれないからだ』とは言えない。

 

「貴族の顔を立てようなんて、あんたが考えるはずないわ。本当のことを教えて」

「それは……」

 

 何か言い訳をしようとしたその時、異様な気配を感じて振り返る。月明かりが巨大な何かに遮られ、その輪郭が影となって現れた。

 それは、巨大な岩でできたゴーレムだった。そのゴーレムの肩に、誰かが座っている。その姿を確認したジェヴォーダンの目が、ぎらりと見開かれた。

 

「『土くれ』ぇ……っ!」

「あら、覚えててくれたのね。感激だわ」

「フーケ!? あなた、牢屋に入ってたんじゃあ……」

 

 遅れてルイズが、驚いた声をあげた。ジェヴォーダンはデルフリンガーに手をかける。

 

「親切な人がいてね、私みたいな美人はもっと世の中の役に立たなきゃいけないと言って出してくれたのよ」

 

 嘯くフーケの隣には、黒マントを着た男が立っている。白い仮面で顔は確認できず、だんまりを決め込んでいた。

 

「今日はねぇ、素敵なバカンスをありがとうって、お礼を言いに……」

 

 言いかけたフーケが身を翻す。厳密には、隣のマントの男に引っ張られて。フーケの頭があった場所に、ギザ歯の投げナイフが突き刺さった。

 

「ぐ、このぉ……!」

 

 フーケの目が釣り上がる。巨大ゴーレムが拳をうならせ、ベランダの手すりを粉々に破壊した。硬い岩でできたベランダにもかかわらず。ゴーレムは、以前にもまして攻撃力をあげているようだ。

 

「ここらは岩しかないからね。土がないからって、安心しちゃダメよ!」

「退くぞ!」

 

 分が悪い。ジェヴォーダンはルイズの手を掴み、部屋を抜けて一気に階段を駆け下りた。

 

 

 

 降りた先の一階もまたすでに戦場と化していた。玄関から現れた傭兵の集団が、一階で飲んでいたワルドたちを襲ったようだ。

 ギーシュ、キュルケ、ワルド、タバサが魔法で応戦しているが、いくら魔法があるとはいえ多勢に無勢、苦戦しているようだ。

 キュルケたちはテーブルの脚を折って倒し、盾にして傭兵たちと応戦していた。歴戦の傭兵たちはメイジとの戦いに慣れているようで、キュルケたちの魔法の射程外から矢を射かけていた。

 暗闇を背にしているのもあり、地の利は向こうにある。魔法を唱えようと立ち上がれば、矢が雨のように飛んでくるだろう。

 ジェヴォーダンは低い姿勢でキュルケたちと合流した。

 

「参ったね」

 

 ワルドの言葉にジェヴォーダンが頷く。

 

「先日の貴族派の連中でしょう。どうやらここで我々を袋にするつもりのようだ」

「貴族派? こないだ襲ってきてたの、あれ貴族派の連中だったの?」

 

 驚くルイズを横に、キュルケが杖をいじりながら呟く。

 

「やつらはこっちが魔法を使う精神力が切れたところで、一斉に突撃してくるでしょうね。どうするの?」

「その時は、僕のゴーレムでふせいでやる」

 

 ギーシュが青ざめながらバラの造花を握りしめる。キュルケはため息をついた。

 

「ギーシュ、あんたの『ワルキューレ』じゃあ、一個小隊くらいが関の山よ。相手は手練れの傭兵たちよ?」

「やってみなくちゃわからない!」

「あたしは戦のことならあなたよりちょっと専門家なの」

「ぼくはグラモン元帥の息子だぞ、卑しい傭兵ごときに遅れをとるわけがない」

 

 折れないギーシュにキュルケは呆れて諦め、ギーシュは立ち上がろうとする。ワルドがシャツの裾を引っ張ってそれを制すると、全員の顔をぐるりと見渡しながら言った。

 

「いいか諸君。このような任務は、半数が目的地に到達すれば成功とされている」

 

 それを聞いたタバサが広げていた本を閉じ、ワルドを見た。自分、キュルケ、ギーシュと杖で指し、「囮」と呟く。

 そして、ワルドとジェヴォーダン、青ざめるルイズを指して「桟橋へ」と呟いた。

 

「時間は?」

「今すぐ」

 

 ワルドはタバサに確認を取り、すぐに動き出した。

 

 

「行くぞ!」

「え? でも! そんな!」

 

 ルイズが信じられないという声をあげる。

 

「今からここで彼女たちが敵をひきつけてくれる。派手に暴れて目立ってもらうんだ。その間に僕らは裏口から桟橋へと向かう、それだけだ」

「でも、みんなを置いていくなんて!」

 

 ルイズがキュルケたちを見る。キュルケはいつものように赤髪をかきあげ、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

「ま、しかたないかな。あたしたちいきなり押しかけちゃったし、あなたたちがなんでアルビオンに行くのかも知らないものね」

「ううむ、ここで死ぬのかな。死んだら、姫殿下とモンモランシーに会えなくなってしまうな……」

「行って」

 

 タバサが呟く。ジェヴォーダンは頷き、懐から自分のメモ帳を取り出してタバサに手渡した。タバサは頷いて、それを受け取った。

 

「行くぞ、ルイズ」

「……っ!」

 

 ジェヴォーダンに促され、ルイズもその場を離れる。ジェヴォーダンたちは姿勢を低く保ち、厨房の方にある通用口へと向かった。

 

 

 

 キュルケたちが暴れ始めたころ、3人は桟橋へ向けて走った。建物の隙間を抜け、階段を登って行く。

 長い階段を抜けると、丘の上に出た。山ほどもある樹が四方八方に枝を伸ばしている。どうやら『桟橋』はこの上にあるようで、上空には『船』が浮いているのが見えた。

 

「これは驚いた……」

「なに、あんたの宇宙には桟橋も船もないの?」

「どちらもあるのは海の上だ」

「海に浮かぶ船もあるし、空に浮かぶ船もあるわ」

 

 ルイズは事も無げに言う。一行はそのまま樹の根本に駆け寄る。目当ての階段を見つけるとそのまま駆け上り始めた。ボロボロの階段の隙間、足元の闇夜にラ・ロシェールの街明かりが見える。

 階段を駆け上がる最中だった。ジェヴォーダンは踊り場で突然立ち止まり、振り返った。ルイズが気づいて振り返る。

 

「ジェヴォーダン?」

 

 追いかけて来た黒い影がさっと翻る。すかさず、発砲音。散弾が影を捉え、男が地に落ちた。

 先ほどフーケの隣に立っていた、黒マントのメイジだった。倒れたメイジの白い仮面が、カタンと音を立てて落ちる。その遺体が、煙のように消えてしまった。

 

「これは……?」

 

 消えた遺体を確認するが、やはりマントと仮面だけが落ちている。その体はどこにもなかった。

 

「これは『偏在』? へぇ、こいつどうやら相当な『風』の使い手だな」

 

 それを見ていたのだろう、デルフリンガーがカチカチと鍔を鳴らした。

 

「知っているのか、デルフ」

「あぁ、風を使って作るゴーレムみたいなもの、有り体に言えば分身だよな。実体はあるけど幻みたいなもんだ」

「よく知っているな、インテリジェンスソード君。だが、今は口を閉じていてくれ。偏在が相手となれば1人とは限らない、今は少しでも音を立てず、身をひそめるんだ」

 

 ワルドが低い声で言う。警戒心を強めているのだろう、眼光にはむき出しの殺意が込められていた。

 

「行こう、桟橋はもうすぐだ」

 

 

 

 階段を駆け上った先、1本の枝に沿って、一艘の船が空中に停泊していた。舷側からは羽が突き出し、上からのびたロープで枝に吊るされている。ジェヴォーダンたちが乗る枝からはタラップが甲板に伸びていた。

 ワルドたちが船上に現れると、甲板で寝込んでいた船員が慌てて起き上がる。

 こちらを止めようとした船員にワルドは自分たちは貴族だと告げ、船長を呼ぶよう言いつける。ほどなくして、寝ぼけ眼の初老の男が、胡散臭げに現れた。

 

「これはこれは貴族の旦那。して、当船へいったいどういった御用向きで?」

「嬢王陛下の魔法衛士隊隊長、ワルド子爵だ。アルビオンへ、今すぐ出港してもらいたい」

「無茶を!」

「勅命だ。王室に逆らうつもりか?」

「あなたがたが何しにアルビオンに行くのかこっちは知ったこっちゃありませんが、朝にならないと出港は無理ですよ!」

「どうしてだ?」

「アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づくのは朝です! その前に出港したんでは、風石が足りませんや! 子爵様、当船が積んだ風石は、アルビオンへの最短距離分しかありません。それ以上積んだら足が出ちまいますから。なので、今は出港できません。途中で落っこちちまいます」

 

 だがワルドは、一歩も引かず淡々と言った。

 

「風石が足りぬ分は、僕が補う。僕は『風』のスクウェアだ」

 

 船長と船員は顔を見合わせる。船長がワルドの方を向いて頷いた。

 

「ならば結構ですが、料金ははずんでもらいますよ」

「積荷はなんだ」

「硫黄で。アルビオンでは今や黄金並みの値段がつきますんで」

「その運賃と同額を出そう」

 

 船長は卑しく笑いを浮かべ頷いた。商談が成立したので、船長は矢継ぎ早に命令を下した。

 

「出港だ! もやいを放て! 帆を打て!」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、船員達は船長の命令に従い、手際よく出港の準備を進める。

 戒めが解かれた船は一瞬空中に沈んだが、発動した『風石』の力で宙に浮かぶ。

 帆と羽が風を受け、ぶわっと張りつめ船が動き出した。

 

「アルビオンにはいつ着く?」

「明日の昼過ぎには、スカボローの港に到着しまさあ」

 

 ワルドの問いに船長が答える。

 ジェヴォーダンは舷側から地面を見た。桟橋の隙間から見えるラ・ロシェールの街明かりが、どんどん遠ざかって行く。

 あの中に、キュルケたちが残った宿屋の明かりもあるはずだろう。ジェヴォーダンは奥歯を噛み締めた。

 

「ジェヴォーダン? その、大丈夫?」

「……?」

 

 ルイズが心配そうにこちらを覗き込むので、ジェヴォーダンはようやく、随分表情に力が入っていたことに気がついた。ずっと恐ろしい顔をしていたのだろう。

 バツが悪くなったジェヴォーダンは、とりあえず話題をそらすことにした。

 

「……あいつらは、キュルケたちは逃げ果せただろうか」

「わかんない。大丈夫だって思いたいけど……」

「キュルケの方は力がある、タバサは賢く、ギーシュは指令に従って行動できる。おそらく上手くやれば、脱出くらいはできているだろうが……『土くれ』、あいつは……」

 

 ジェヴォーダンがもっとも気にしていたのは、そこだった。『土くれ』のフーケ、かつて狩り取ったはずの獲物。それがのうのうと自分の前に現れた。

 己の狩りを邪魔されたようで、ジェヴォーダンは怒りを隠せない。ルイズは再び硬くなったジェヴォーダンの表情を見て、冷や汗を流した。

 そんな二人の元へ、ワルドが寄ってきた。

 

「船長の話では、ニューカッスル付近に潜伏していた王軍は、攻囲されて苦戦中のようだ」

 

 ルイズがハッとして尋ねる。

 

「ウェールズ皇太子は?」

「わからん。生きてはいるだろうが……」

「どうせ、港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう」

「そうだね」

「どうやって、王党派と連絡を取ればいいのかしら」

「陣中突破しかあるまいな。スカボローから、ニューカッスルまでは馬で一日だ」

「反乱軍の間をすり抜けて?」

「それしかないだろう。まあ、反乱軍も公然とトリステインの貴族に手出しはできんだろう。隙を見て包囲線を突破し、ニューカッスルの陣へ向かう、ただ、夜の闇には気をつけなければならないがな」

 

 ルイズは緊張した顔で頷いた。

 

「そういえばワルド、あなたのグリフォンはどうしたの?」

 

 ワルドは微笑んで口笛を吹いた。下からグリフォンの羽音が聞こえてきて、そのまま甲板に着陸して船員達を驚かせた。

 

「ふむ、グリフォンでアルビオンへは行けないのか?」

「竜じゃあるまいし、そんなに長い距離は飛べないわ」

 

 ジェヴォーダンの解いにルイズが答えた。

 

「……使い魔くん、礼を言わねばならんな。階段での襲撃にいち早く気づいたのは君だった」

「俺はやるべきことをしているだけです。それよりも『偏在』、あれは警戒すべき相手です。フーケの側にもいた、貴族派に付いていることは間違いない。襲撃の傭兵のこともあります、今後は子爵も警戒を」

「あぁ……そうさせてもらう。到着は朝だ、ゆっくり休んでいてくれ」

 

 ワルドは振り向いて帽子を直す。そして悟られぬよう、小さく舌打ちをした。

 




遍在

風のユビキタス。風を用いて分身を作り出す魔法。
風のトライアングル以上のメイジが扱うことができる。

作り上げられた分身は思考し、魔法を使うこともできる。

地上にあって風はどこへでも吹き荒れる。
風の吹かぬ水底には、何が『遍在』しているのだろうか。

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