「楯無お姉ちゃん……お兄、ちゃん……」
その頃、壱夏――否、今は楯無と伍が住んでるアパートの一室の玄関前には伍が膝を抱えながら座っていた。彼が視線を向けているのは扉であるが見据える表情は哀しい。
誰かを求めていた、帰りを待っていた。その誰かとは楯無――否、楯無と壱夏であった。楯無は一時的な保護者代理であるが本来の保護者でもある壱夏の帰りを求めていた。
あの扉が何者かが開けられ、その何者かは壱夏であり、彼が自分に「ただいま」――壱夏が自分にそう言いながら微笑むのを何度も思い浮かべたかは自分でも判らない。
しかし、それは思い出の様に幻の様に消えて逝く――出来る事なら現実で有って欲しい。壱夏の帰りを待ち続ける。が、限界と言う物があり、何れ、あの事が現実になるのかも知れない。
伍はそれを考えるだけでも震えが止まらず、目に涙を浮かべる。刹那、扉の鍵音が聴こえ、伍は目を見開くと同時に立ち上がる。
――お兄ちゃん!? ――。伍は扉を開けたのは壱夏ではないかと思ったが扉を開けたのは楯無だった。
――……あっ……。――伍は楯無を見て俯く。が、楯無は伍に対して微笑んでいた。
「伍君……お客様がいるわよ?」
――えっ? ――。伍は顔を上げる。刹那、楯無は中に足を踏み入れるが扉を開けたままにしており、横に立つと、扉の方からある人物が横から身を出す。
――あっ……――。伍は瞠目した。が、同時に何かが切れたかの様に目に涙を浮かべる。彼の視線の先には、ある人物が立っていた。伍が良く知り、伍が一番尊敬し、一番目指すべき存在の義理の様な兄、壱夏であった。
忘れる事も出来ないその顔立ちは壱夏であり、彼は伍を見て哀しそうに微笑んでいた。そして、すこしぎこちない口調で彼に、伍に言った。
「ただいま、伍……」
彼は伍に言った。それは伍が一番に望み、一番に聞きたかった言葉――涙は何時の間にか頬を伝い、止まらない。が、伍は顔を涙でくしゃくしゃになりながらも彼に対して駆け寄り、飛びつきながら叫んだ。
「お兄ちゃ――――ん!!」
伍は叫びながら彼に抱き着く。壱夏よりも一回り小さい身体は彼の腹にまでしか届かないが精一杯の彼なりの行動でもあった。逆にそれは関係ない――今の彼は壱夏と再会し、それを吐き出す様に泣いていた。
男の子なのに泣き虫だ――誰もそう言うが好きな人や尊敬する人と再会出来た事に涙を流さない者はいない。彼は壱夏と再会出来た事で、証拠としての涙を流しているのだ。誰も咎めず、怒る事も無い涙を流しているのだ。
「ごめん伍……ごめん」
壱夏は腹に濡れる感触を覚えるが彼を抱き締める。自分よりも一回り小さな身体は彼にとっては抱き辛くも抱き易い。それが逢いたかった義理の弟、伍であると嬉しさと同時に後悔さえも感じた。
三上の命とは言え、伍を傷付け、伍と離れ離れになる事を選んでしまった。伍を守る為に、彼に多くの涙を流させ、哀しませてしまった。
が、もう自由である――三上の計画は全て終わり、自分は伍といられる時間が多くなった。しかし同時に彼はもうすぐ、一人で行動しなければならない時が来る事にも危機感や切願していた。
「良かったわね……伍君」
楯無は二人を微笑ましそうに見ていた――目には微かだが涙を浮かべている――さっきの涙とは違い、伍の願いが届いた事と伍の涙に誘われたかの様に自分も涙を流してしまった。
二人は泣き続けていたが伍は不意に微かに呟いた。
「どうしてなの?」
伍の言葉に壱夏は「えっ?」と惚けてしまうが伍は壱夏を見上げる――表情は涙でくしゃくしゃであるが微かに怒りが込められていた。
理由は言わなくても、あの時の事だろう。壱夏はそれに気付きながらも知らない振りをした。
「どうしてなのお兄ちゃん? どうしてあの時、僕を置いて何処かへ行ったの? どうして!?」
「……済まない、だがな、俺はお前を巻き込みたくなかった……」
「どうして僕を巻き込みたくないの? ――僕だって、お兄ちゃんの力になりたいって……言った筈だよ?」
伍は辛そうに彼に言う――理由は簡単、彼も三上の部下としての認識は有った。あの時、壱夏の力になりたいのも何時までも守られたくないからであった。
そうなったのも全て、壱夏が自分を三上との会議から離れさせていた事で自分も壱夏の力になりたいと感じたのだ。あの時ああ言ったのも三上の部下として、壱夏達と戦いたいと思ったからだ。
「僕だって戦える……僕だって、遊戯を与えられた……それに『伍』と言う名前を与えられた――なのに」
伍は泣きながら壱夏に言葉を述べると、彼の腹に顔を埋める。
「僕は何の為にILを与えられたの? 何の為にお兄ちゃんの帰りを待つ事になった、の?」
伍は辛そうにそう言いきった。彼なりの哀しみと怒りが込められた口調であるが彼自身の辛い気持ちが良く解る。そんな彼の言葉に壱夏は何も言えず下唇を噛むと、彼の抱く腕に力を入れ、包み込む。
彼なりの謝罪であるが彼を抱き締めたい気持ちは誰よりもあった。逆に、彼の行動は一時の謝罪でしかないが壱夏はそれに気付きながらも彼を抱き締める腕に力を入れ続けた
「ごめん……だが、もう終わりだ」
――えっ? ――。壱夏の言葉に伍は惚けるが壱夏は言葉を続ける。
「俺達はもう自由だ――俺達はもう、解放されたようなものだ」
「お、お兄ちゃん……そ、それって、あの人からの命令は、無いって事、なの?」
「……それは違うかも知れない――だが今は、俺達は自由であるのと同時に一緒にいられる」
――!? ――。壱夏の言葉に伍は瞠目した。そして、彼を見上げようとしたが出来なかった――壱夏が自分を強く抱き締めている為であった。
「俺達は一緒だ――今はその事を忘れないでくれ――今まで、否、二、三日くらいしか離れ離れになっていたけど今はもう、俺達は一緒だ」
「……本当、本当に?」
伍は信じられない物を見たかの様に愕然した。三上からの命令は無いのと、壱夏と一緒――それは伍にとって嬉しくも何処か不安を隠しきれない。
三上があんなことを言う筈も無い――あの時、三上が壱夏達が自分に言わない事を聞かず――否、彼等が三上に言わなかった事が原因だが三上は伍に対し、壱夏に内緒で連絡していたのだ。
内容は簡単――暴動が始まる前に壱夏が出掛けている間、留守番している自分に電話してきたのだ。伍は驚いた物の、壱夏に言えなかったのは彼を心配させたくなかったからであった。
伍は壱夏の言葉に驚きながらも彼に訊ねると、壱夏は微笑んでいた。
「ああ……一緒だ、だがなお前はもうすぐ、小学生になる――でもずっと一緒だと言う事に変わりは無い」
「小学、生?」
伍の言葉に壱夏は深く頷くと、それを指摘する。伍はもうすぐ、後一年もしたら小学生になる。彼が一人で行動しなければならないと言うのはそれの事であった。
壱夏は伍が小学生になる事を望んでいた、彼は何時も何かをと自分と一緒にいる事が多い。しかし、巣立ちするには他の者達と接する事の大切さを知って欲しい。
壱夏は伍にそう願うと共にそう教えた。伍は驚いていた物の、壱夏が自分を思ってそう言った事に再び泣きそうになっていたが彼は腕に力を入れると壱夏に「うん……うん!」と喜んでいた。
彼の優しさに嬉しいのと、彼の為にも成長しなければならないと思っていたのだ。
「伍……これからも宜しくな……」
「うん……うん!!」
壱夏の言葉に伍は泣きながら言うと、壱夏は彼を抱き締めながら頭を撫でる。二人は一層、義理であるが兄弟としての絆が確かにある様にも思えた――同時に少し深まった。
そんな二人を見ていた楯無は少し涙を流し続けていたが不意に表情に影が差される。彼女は二人を見て、ある事を思い出してしまった。
それは自分とある者との確執――それは幼き頃は一緒に遊んだが今は冷えきっており、顔を合わせる事も難しい。出来る事なら彼や伍と同じ様に和解したい。
が、悪いのは自分であり、傷付けたのも自分だ。楯無はそう思いながらも哀しそうに俯く。そんな楯無に壱夏と伍は気付かなかった――否、気付いていなかった。
二人は互いに再会し、また一緒になれる事に喜びと、また離れ離れになる不安を抱き、覚えていたからであった。
次回、夜咄(一楯(一夏×楯無の略)要素あり)