狸とグルメ 作:満漢全席
ハナビはお役目があるので強化されます。
「サツキ兄様、例のアレ、ゲットしてきたよ!」
「どれどれ……ほうほう……」
ハナビが差し出して来たリュックの中を覗き、サツキはふむふむと満足そうに頷く。
「なんだよサツキぃ、俺様にも見せろよ」
「お前には後でジックリ見せてやるから、あっち行ってろ砂狸」
しっしと砂狸を追い払う。今回はサプライズであるからして、こいつに見せるわけにはいかないのだ。
サツキがリュックの中身を砂狸に見せないように検分し満足気に頷いていると、ハナビが可愛らしくおねだりをしてきた。
「ねー、それでね、サツキ兄様。それの代わりって言うのはなんだけど、お願いがあるの」
「今回は食材リクエストにも応えてもらったしなぁ……とりあえず言ってみろハナビ、話はそれからだ」
「私にね、修行つけてほしいの」
「修行ぉ?」
これまた急な話だ。
ハナビから
「なんでまたそんな話になったんだ?」
「ヒナタ姉様がね、下忍になってね」
話を聞くところによると。姉であるヒナタが下忍になったため、ハナビは己も精進しなければならないと気持ちを新たにしたらしい。
なるほど、知らない間にも世界は進んでいる。ヒナタが下忍になったということは、ナルトも下忍になったということだ。平和が崩壊する日も近い。サツキも気を引き締めなければならない。
しかしわからない、それがどう曲がってサツキに修行をつけさせる流れになるのだろうか。
「だってサツキ兄様って強いんだよね?」
「強いとか弱いとかは考えたことなかったなぁ」
力なんて使わないに越したことはない、というのがサツキの持論ではあるが、良い機会であることだし己の戦力を分析してみる。
まずサツキは一尾の守鶴と完全に同調可能な人柱力だ。この時点で人間としては強い部類に入るだろう。第四次忍界大戦以前である現代では最強格と言っても過言ではない。
それに加えて料理をするためだけに無駄に研鑽された磁遁の血継限界と、母から与えられた下手な攻撃なら寄せ付けない自動防御能力もある。
「なぁ砂狸、俺ってひょっとして……めっちゃ強い?」
「……サツキお前……気付いてなかったのか?」
「いやだってさぁ、他の連中と比較する機会もなかったわけだし」
「俺様が力を貸してやってんだから強いに決まってんだろ」
なにを言ってるんだと鼻を鳴らす砂狸。なるほどそうか、強かったのか。
正直言って活用する機会もなさそうなので、心底どうでもいい情報であった。
「それで俺がハナビに修行ねぇ……」
「ダメ?」
「別にダメじゃねぇけどさ、戦い方が根本的なとこで噛み合ってないだろ」
サツキが得意としている戦い方は人柱力の膨大なチャクラと、磁遁の血継限界による面制圧を前提とした飽和物量攻撃。ハナビが使っているような拳法系とは根本的に戦い方が違う。前衛と後衛の差というやつだ。
「体術は使えねぇのかって聞かれたらそこそこって答えるレベルだからなぁ、俺」
同年代の下忍連中には負ける気はしなかったが、忍者全体から見て一流かと言われれば首を傾げざるをえない。精々が二流半といったところだろうか。
「むしろそっちの砂狸のほうが体術に関しちゃ詳しいんじゃねぇの?」
「師匠が?」
サツキとハナビの視線が砂狸に集中する。呑気に茶を啜っていた砂狸は、不思議そうに首を傾げていた。この狸に首と呼ばれる部位があるのかは別として。
「俺様か?」
「忍術の研究に行き詰まってた時さ、ストレス解消になるとかで体術に手を出してなかったか?」
「あー、そういやそんなこともあったなぁ」
懐かしいなぁとしみじみ呟く砂狸。懐かしいもなにも、尾獣の感覚からすればついこの間の話みたいなものだろうに。
ちなみにだが。このまんまる狸が体術に挑戦する姿は非常にアレであった。どう頑張ってもマスコットが拳法の真似事をしようと頑張っている姿にしか見えないのだ。
「普段から師匠って呼ばれてんだから、たまには“らしい”ことでもしたらどうだ砂狸」
「……ま、俺様としちゃあ、教えてやるのも
「うーん、本当はサツキ兄様がよかったけど、この際だから師匠でいいや」
「この妥協された感がなぁ……やるせねぇ気持ちにさせてくれるぜ全く」
とか言いつつもハナビに修行をつける流れになっている辺り、本当にこの砂狸はハナビに甘い。序盤に出てきて即落ちするツンデレヒロイン並みに激甘だ。チョロ狸である。
「んじゃ適当に修行してやるよ」
「よろしくお願いします、師匠!」
「……おう、俺様に任せな!」
ノリノリだった。これがあの砂の守鶴だと言っても誰も信じてはくれないだろう。
尖っていた頃の彼はもう居ない。ここに居るのは物理的にも精神的にも丸い狸だ。
「いいかハナビ……拳法には外部破壊の剛拳と、内部破壊の柔拳があるのは知っているな?」
「うん、日向は柔拳だよね?」
「そうだ……でもな、それはもう古い!」
「古い?」
「これから先の時代、剛拳と柔拳のハイブリッドこそが世界を制すんだ!」
「はいぶりっど! なんだか強そう!」
「外部だけ、内部だけなんて甘っちょろいんだよ! どうせなら両方ぶっ壊すほうが強いに決まってんだろ!」
「おお! 流石は師匠!」
なんだか着々とハナビに良くない影響を与えている気がするのは気のせいなのだろうか。砂狸のせいで日向流がハナビの代で断絶とかになったら割と洒落にならない。
ちなみに砂狸との修行は意外とためになる。疲労をしても尾獣のチャクラで回復してくれるため、延々と修行を続けられるからだ。エンドレスな修行。一部の業界では拷問である。
「……今の内に昼飯の準備でもするか」
ハナビの相手は砂狸に任せて大丈夫だと信じよう。信じたい。
サツキはハナビのリュックを背負い、厨房へと向かった。今思えば、ここで大丈夫だと信じようとしたのがいけなかった。
厨房に到着したサツキは、早速とばかりにリュックの中身を調理台にぶちまける。
それは大量の蕎麦だった。まだ挽いて粉にする前の、実の状態だ。
「前は狐うどんだったからな、今回は狸蕎麦と洒落込もうじゃねぇか」
砂狸のリクエストでもあることだし、全力で美味しい狸蕎麦を提供する所存だ。
ところで蕎麦には三たて、という言葉がある。
三たてとはすなわち“挽きたて、打ちたて、茹でたて”のことだ。風味の劣化が激しい蕎麦にとって、この三たてというのは非常に重要な味の決め手になる。
「粉挽きは砂狸の奴に任せたいところだが……アイツには内緒にしてぇからな」
ここは久しぶりに、サツキ自ら粉挽きをしようではないか。
サツキはチャクラを大量に込めた砂鉄をいつでも使えるように持ち歩いている。その大部分は砂狸の体を構成するために使われているのだが、少量は手元に残してあった。
腰元に括られた瓢箪の栓を抜けば、サラサラと黒い砂鉄が宙を舞い始め、それが蕎麦の実に纏わりついて宙へと運んでいく。
「粉ひきのコツは、優しくジックリ丁寧に、だ」
高速で粉にしてしまうと、摩擦熱によって蕎麦が劣化し風味が飛んでしまう。だから熱が発生しない程度の低速で、ジックリ丁寧に挽く必要がある。
砂鉄が目の細かいヤスリのように変形して蕎麦の実を削り取り、少しずつ蕎麦粉へと変えていく。それをボウルに受け止め、香りを嗅いでみる。
「うん、良い蕎麦粉だ。これなら砂狸も満足するだろ」
緻密に粉挽きの術を制御しつつ、狸蕎麦のメインとも言える揚げ玉の作成に入る。
とはいえ揚げ玉なんて、要するに天ぷら粉を揚げただけの代物だ。特に難しいこともない。
「しっかし……あいつら妙にうるせぇな」
店中でどたばたと暴れる音が聞こえる。拳法の修行のはずなのに、なにがどうなっているのか。
様子を見るべく厨房から顔を出したサツキの目に飛び込んで来たのは、思わず目を疑いたくなるような光景だった。
「よしハナビ、そこでジャブだ、ジャブ! そんで抉るようにストレート!」
「えいっ! やあっ! とおっ!」
ハナビが砂狸を相手にミット打ちモドキをしているのは良い。許そう。砂狸の体は柔らかいサンドバッグのようなものだから、拳を痛める心配もないのでとても安全だ。
だがそれが“店の至る所で同時に”行われているこの現象はなんなのか。サツキの目には分身したハナビと砂狸が映っているのだが気のせいなのか。いや気のせいではないだろう。
「……なにやってんだお前ら」
「おうサツキ!」
「やっほー、サツキ兄様!」
尋ねればサラウンド音声で同じ言葉が返ってきた。そしてポンと音を立ててハナビの影分身達が消滅する。砂狸のほうは分身が残ったままなので、おそらく得意の砂鉄分身だ。
「おい砂狸、これ拳法の修行だよな?」
「おう、見りゃわかるだろ?」
「……なんで影分身なんて代物を教えてるんだ?」
「いや、修行つったら影分身だって言い出したのはお前だろ、サツキ」
思い出した。そういえば昔、修行する時は影分身を使うと効率が良いみたいな話をこの砂狸にしたような気がする。少し懐かしい。昔はサツキもこうして修行をしたものだ。
ちなみにチャクラと体力は砂狸から無限供給されるので、この修行法の問題点である疲労度という点については無視出来る。
「いや確かに言った気はするけどなぁ……まさかそれをハナビ相手にやるとは……」
これは大変なことをやらかしたのではないか、と背筋に嫌な汗が流れた。今回の件に関しては誰も悪くない。強いて言うならサツキが悪い。ついでに道連れで砂狸も悪いということにしておこう。
本来の流れを捻じ曲げる感覚。多分これはサツキにしかわからない代物だろう。根っからのこの世界の住人であるハナビと砂狸に言ったところで仕方のないことだ。彼等にとってはこの世界が全てなのだから。
「……ほどほどにしとけよ、あと厨房ではやるなよ」
それだけ言ってサツキは厨房へと引っ込む。こうなってしまったからには仕方がない。ハナビについては諦めよう。気を取り直して、揚げ玉の作成に取りかかる。
市販の揚げ玉は天ぷらを作る際のオマケなのだが、今回はあくまで揚げ玉がメイン。そういうわけで油は新品を使う。古くなった油では、折角の蕎麦の香りを油が消してしまう。
「ちょっと勿体ねぇ気もするが、折角の挽きたて蕎麦だからな!」
揚げ物を作る際の油にも色々と流派があるのだが、今回は癖のない菜種油を使おうと思う。新品の油の封を切ると、惜しげもなく中華鍋に投入していく。
「油の温度は、菜箸をつけて軽く気泡が出る程度っと」
そこにポトポトと天ぷら粉を落としていく。
天ぷら粉は薄力粉と片栗粉に塩を加え、水と少量の菜種油で溶いたものだ。ごま油を使うと風味の良い天ぷら粉が出来るのだが、今回は淡白な味を目指すべくこの配合である。
「うん、カラッと揚がったな」
この頃には蕎麦粉も挽き終わっていた。
それではメインである蕎麦打ちの儀に移りたいと思う。
「十割でも良いんだがな、今回は狸蕎麦ってことだし
二八、というのは小麦粉二割、蕎麦粉八割で打つ蕎麦のことだ。香りは十割蕎麦に劣るものの、つなぎである小麦粉がつるりとした食感を生んでくれる。
まずは蕎麦粉につなぎである小麦粉を足して、良く混ぜておく。
「次は水回し、だな」
蕎麦を打つ際は一気に水を入れるのではなく、蕎麦粉の様子を見ながら少量ずつ水を加えていくのがポイントだ。
この時に水の入れ方や混ぜ方が悪いと、ボソボソとした切れやすく食感の悪い蕎麦になってしまう。つまりこれは蕎麦の出来を左右すると言っても良い、とても大事な工程である。
「こういう時に忍術が使えると楽でいいよなぁ」
金属製の計量カップが磁遁によって宙に浮かび、完璧なタイミングで加水を行ってくれている。この辺りは忍界でなければ出来ない技だ。
生地がそぼろ状になり、それがゴロゴロと大きくなり始めた所で一気に練り上げる。練り過ぎると風味が落ちるので、手早く纏める。
「よし、こんなもんか」
次は蕎麦を切る作業だ。まずは麺棒で生地を丸く広げ、それから四角く形成していく。それぞれに名前がついていた気がするが、専門家ではないサツキは忘れてしまった。丸出しとかそんな名前だったような気がする。
広げた生地を畳み、中華包丁で均等に切っていく。本当なら専用の蕎麦切り包丁が欲しいが、蕎麦だけのために買う気にはなれなかった。刃物は買ってから小まめに手入れをしなければならないのだ。沢山あると面倒くさい。
ちなみに普通の包丁で畳んだ蕎麦を切るのは一種の特殊技法らしいのだが、仮にも刃物の扱いに慣れた忍であるサツキにかかればこれくらいは簡単だ。
「俺はこの中華包丁と柳刃包丁が一本ずつあれば充分だな」
普段使いの中華包丁とは別に、サツキは魚用の柳刃包丁を所持していた。
これだけあれば、凡その料理には対応できる。他の刃物が必要になる場面が思いつかないが、どうしても必要になったら砂鉄を使って一時的に刃を形成すれば良いのだ。本当に磁遁は便利である。
「さぁて、湯加減のほうはいかがかなっと」
蕎麦を茹でる時はたっぷりのお湯で。サツキ宅には特大の鍋があるので、それに溢れんばかりの湯を沸かす。
そこに打ちたての蕎麦を投入。茹で時間は二八蕎麦だと、一度沈んだ蕎麦が浮いてきてから三十秒くらいだろうか。気温や湿度に左右されるので、この辺りは勘の領域だ。
茹で加減を見極め、ザルに掬い取って流水で洗う。ぬめりを取ってコシを出すためだ。洗ったらしっかりと水を切っておく。
「さて、麺つゆの出番だな」
麺つゆは前回のうどんを作る際に作ったものを流用する。サツキ特製の麺つゆは日持ちしないので、早めに使い切ってしまうのが吉だ。
「三たて蕎麦に、特製の合わせ出汁の麺つゆ、そこにカラッと揚がった揚げ玉!」
完璧な狸蕎麦の完成であった。
それでは実食に移りたいと思う。
例の如く“三人で”ちゃぶ台を囲む。そう、やっと三人になったのだ。
増殖していたハナビと砂狸は食事になるや否や途端に姿を消してくれた。これだ、この静かで穏やかな空間こそが、この店の本来の姿なのだ。
「うっひょお! 狸蕎麦じゃねぇかサツキぃ!」
「おう、約束したからな」
「いやっほぅ!」
砂狸のテンションは最高潮だった。最近では例を見ないくらいには高い。
待たせるのも可哀そうなので、さっさと号令をかける。
「それじゃ早速、いただきます」
「いただきまーす!」
「いただくぜぇ! 待ちきれねぇ!」
砂狸が早速とばかりに蕎麦をすする。
そして気持ちよさそうに唸った。
「くぅ! この香りは三たて蕎麦だな、サツキぃ!」
「ハナビに実を貰ってな、それで打ってみたんだが、どうよ」
「蕎麦の香りが最高だぜ! ハナビもありがとなぁ!」
「どーいたしまして、師匠!」
砂狸が待ちきれないとばかりに食べ始める中、サツキはあえて箸を置いていた。揚げ玉の食べ方にも流派があるのだ。
それすなわち、カリカリの揚げ玉派と、出汁でひたひたの揚げ玉派である。砂狸が前者で、サツキが後者だ。サツキは揚げ玉がひたひたになるまで、じっとその機会を伺っているのだ。
「サツキ、アレくれ、アレ」
「そらよ、かけ過ぎるなよ」
砂狸の言う“アレ”とは、ずばり一味唐辛子のことだ。
うどんは淡白な味わいのため七味唐辛子が合うが、蕎麦は香りを楽しむ食材であるため香りのない一味唐辛子を使う。
「ひぃ! 蕎麦の香りと、このピリッとした感触がたまらねぇぜ!」
実に美味そうに食う砂狸。それに触発されてか、ハナビがそっと一味唐辛子の小瓶を手に取り、一匙自分の蕎麦に振りかけた。振りかけてしまった。
そして一すすりしてからの、絶叫。
「……んーっ!? 辛いっ! 辛いよぅ!」
ひーひーと涙目になりながら、小さく舌を出すハナビ。どうやらハナビにはまだ早い味覚であったようだ。
「ほら、俺のと変えてやるよ」
「うー、ごめんなさい、サツキ兄様」
「仕方ねぇさ、こればっかりは挑戦してみねぇとな」
辛味というのはある種の挑戦だ。時には破れることもある。次回、乗り越えられることを祈ろう。これはそういう戦いだ。
「ギャハハ! まだハナビには早かったみてぇだな!」
ゲラゲラ笑いながら一味唐辛子を己の蕎麦に振りかける砂狸。こいつは大の辛い物好きであるため、出汁が赤くなるまで振りかけるのがデフォルトだ。
お子様扱いされたと感じたのか、ハナビがむっと頬を膨らませる。
「むぅ……私だってそのうち食べられるようになるもん!」
「まぁ、気長に行こうぜハナビ。こんなもんは慣れだよ、慣れ」
サツキはそう言いつつ、ハナビが一味唐辛子を入れてしまった蕎麦をすする。ピリッと舌を刺激する辛味が心地いい。もう一匙くらい振っておこう。
辛味というのは、舌を痛みに慣れさせて調教した結果得られる快楽の境地みたいなものだ。誰でも最初からこの心地よさを得られるわけではない。
とはいえこの店に通う限り、ハナビの舌はじっくりねっとりと調教されていくことだろう。やがては砂狸の如く唐辛子の小瓶が手放せない体になるはずだ。
「将来に期待ってな」
一気につゆまで飲み干したサツキは、ごちそうさまと手を叩く。
今日も満足の一品であった。
蕎麦は本当に難しいです。
ところで皆さんは狸蕎麦派ですか、狐うどん派ですか。
作者は蕎麦派です。
正式には「たぬきそば」と「きつねうどん」で平仮名らしいのですが、読みづらいので漢字で統一しました。