Peace Maker   作:柴猫侍

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文化祭が来た!
№71 緑谷の悩み


 小鳥囀る朝。

 まだまだ残暑で昼間は暑い時期であるが、朝は比較的過ごしやすい時間帯だ。雄英高校1年A組の生徒らも、爽やかな朝に向か入れられ、朝食をとるべく食堂へ集おうとする。

 

 春から夏にかけて起こった襲撃により、急遽寮生活に移行することになった生徒達。

 学校生活に慣れてきた矢先での、更なる変化に戸惑う者も少なからず居たが、これはこれで楽しんでいるようだ。

 こうして朝夕を友人と共に食事することができる―――これまで以上に“協力”が必要になってくる社会情勢の中で、自然と友好を深められる機会が増えたと思えば、寮生活も合理的と言っていいのかもしれない。

 

 因みに、月曜日から土曜日にかけて、朝食と夕食は学校から提供される形となっている。

 日曜日だけは自炊する形となるが、基本的には高校側が学生の生活をサポートしてくれるのだ。

 

 食事の場所は、雄英生がお袋の味を提供してくれるランチラッシュ主導の食堂。

 食堂が広いとは言え、生徒数が多い為に時間を区切っての朝食を摂るというスタイルでの朝食だ。

 

 その為、生徒は時間に間に合うよう身支度を整え、食堂に向かう必要が出てくる。

 

「教科書と筆記用具は……ある。よし、電気も消してっと……」

 

 緑谷も絶品の朝飯にありつくべく、忘れ物がないか確りと確かめた上で自室を出る。

 すると、狙ったかのようなタイミングで同じ階の扉が開き、クラスメイトがニュッと姿を現した。

 

「Good morning、出久! 今日もいい天気だなっ」

「あ、波動くん。おはよう! 昨日は帰ってくるの随分遅かったね……って、どうしたのその怪我!?」

「火傷と打撲、切り傷を少々……」

「そんな調味料の分量っぽく言われても!?」

 

 包帯と絆創膏で痛々しく飾られている熾念の登場に、緑谷は朝からそれなりの声量で声を上げてしまう。爆豪が近くに居れば、即座に壁or床ドン対象だ。

 

 それは兎も角として、友人の痛々しい様に慌てふためく緑谷は、ハッと気づいたかのように言葉を紡ぐ。

 

「もしかして、昨日の校外活動で……?」

「ま、察してくれ。HAHA、でも大丈夫さ! 命に別条はないからさっ、心配しなくてもダイジョーブってな」

「う、うん。命に別条があったら、まずここに居ないと思うし……」

「それもそっか!」

 

 HAHAHA! と笑い飛ばす友人を前に緑谷は、どこかインターン先で世話になっている先輩の面影を重ねてしまう。どんな時でも笑顔を絶やそうとしない精神は、是非ともオールマイトの後継者として見習いたい所だ。

 怪我に対し思う所はあれど、本人が生きて元気で居るのであれば、それ以上望むことはない。

 一先ず、ホッと一息吐く緑谷は、朝から絶好調のトークを聞きながら、朝食へ向かうのであった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

「おっぱいにはなぁ! 夢と希望と脂肪が詰まってんだよ! だからデカい方がいいに決まってんだろぉ!」

「馬鹿言え! ただデカいなんて下品だろうが!」

「朝っぱら胸の話するお前らの会話の方が下品だ、クソが」

 

 女性の胸の議論がヒートアップしていた峰田と上鳴に、痺れを切らした耳郎がドスの利いた声で、彼らを有無も言わさず黙らせる。意外と乙女な彼女だ。少々慎ましい体をコンプレックスに思っている節がある為、性欲がままに女体を語る男子高校生の会話は、生理的にも精神的にも受け付けなかったのだろう。

 

 因みに今は、朝のホームルーム前だ。決して深夜ではない。

 

「うぅ……波動ォ……おめェはどのカップが好きなんだよ?」

「I see。俺に振っちゃうのか、その話題」

「そうだぞ、このリア充めが。さっさと言わんか、おのれェ……!!」

 

 耳郎から逃げるようにやって来た二人が、同じく包帯と絆創膏だらけの轟と談笑していた熾念の下へやって来る。

 峰田は悲哀を、上鳴は激情を面に浮かべ、熾念へ詰め寄った。

 その質問には、彼の好みのカップを把握し、彼女を推測しようという魂胆がある。言わずもがな、そのような試みはほとんど無謀と言ってもいいのだが……。

 

「ケロッ。二人とも、ちょっといいかしら」

「蛙吹、どうかしたのか?」

 

 熾念が口を開きかけようとしたその時、どこからともなく現れた蛙吹が峰田と上鳴を退ける。

 突然やって来た蛙吹に何事かと問いかけてみる轟。まさか彼女が、『私もその議論に混ぜさせてもらうわ』などと言うハズもない―――言ったら言ったで興味深いが―――為に、一層不思議に思えてしまう。

 

 すると、徐に携帯を取り出した蛙吹が、とあるニュースが載っているページを画面に映して見せてきた。

 

「行方不明になってたヒーロー、皆無事だったみたいで安心したわ」

「……そういやそうだな」

「Yeah! これで世間も一安心、ってトコさ」

「そうね。だから、頑張ってくれた二人にありがとうって言いたい気持ちだわ。ありがとね、轟ちゃん。波動ちゃん」

「?」

 

 唐突に礼を言う蛙吹に、一瞬目を点にして困惑する二人。

 すると普段は表情に乏しい蛙吹が、いじらしい笑みを浮かべて、画面のとある文面を指さすではないか。

 

「ちょっと良く読めば、エンデヴァー事務所が関わってる事くらい分かるわ」

「Ah……でもなぁ」

「……俺ら、割とそのあたりに直接係わってねえな」

「“でも”なのよ。例え露ほどでも、私がお世話になった人()救ける為に、お友達が頑張ってくれたっていう事実を考える度、胸がポッと温かくなるの。これがきっと、ありがとうを言いたい気持ち。そう思わせてくれる二人は、もう立派なヒーローなのね」

「……」

 

 真っすぐな蛙吹の言葉。

 

 行方不明になったヒーローの中には、蛙吹が職場体験で世話になったシリウスと言う名のヒーローが居る。彼女も今回の共同作戦で救出され、今は入院中ではあるものの、命に別条はないとされている。

 そのような彼女も救けるべく、クラスメイトが怪我を負ってまで奮闘したという事実に、蛙吹は心を温かくしてくれていたのだ。

 

 誰かは誰かと繋がっている。

 曖昧ながらも感じていた事実を、こうも目の前で知り、ましてや感謝の言葉を述べられるとなると、熾念のみならず表情筋の硬い轟さえも頬が緩んでしまう。

 

「なんだコレ……クソ真面目な雰囲気じゃねえか……ッ!」

「これが自己嫌悪! 朝っぱら俺たちは何を……ッ!」

「反省したなら座っとけ。な?」

 

 一方で、そんな三人のやり取りを眺めていた峰田と上鳴は、おっぱいについて語り合っていたことに対し、大なり小なり反省していた。

 そこで瀬呂が二人に席へ座るよう勧めた辺りで、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴る。

 

「お早う、諸君」

『おはようございます!』

 

 現れたのは相澤だ。

 どことなく普段よりも倦怠感を覚える彼の様子に、クラスの皆へ、何かがこれから起こるのではないかという予感をさせた。

 

「さて……まず一つ目だが、諸君らに伝えなきゃならないことがある」

 

 重苦しい雰囲気を漂わせて言葉を紡ぐ担任に、否応なしに皆の緊張が高まっていく。

 敵連合の出方も窺いながら始まったインターン。既に問題が一つ浮上してきている中、事実を知っている生徒もそうでない生徒も、生唾を呑み込んで次の言葉を待つ。

 そして、

 

 

 

「雄英文化祭が迫ってる」

『クソ学校っぽいヤツ来たあああ!!!』

 

 

 

 この後、騒ぎ立てる生徒を相澤が視線で黙らせたのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 体育祭があれば、文化祭も勿論ある。そもそも地域によっては、体育祭という学校行事さえ知られていない場合もあるだろう。

 一方で文化祭と言えば、学校それぞれの特色などの差異はあれど、基本的にポピュラーな学校行事と言ってもいい。

 

 しかし、A組に佇む生徒達は、当初の喧騒を収めた後に訝しげに首を傾けていた。

 

「雄英にも文化祭あったんスね!」

「そりゃまあな。体育祭と違って生中継されてない分、世間の認知度は劣るのも致し方ないことだ」

 

 困惑と歓喜を表現する切島に、相澤は頭を掻きながらこう続ける。

 

「こう言っちゃなんだが、体育祭はヒーロー科が主役だ。一方で文化祭は、他の学科……端的に言えばサポート科が主役の行事と言ってもいい」

「サポート科……ですか?」

「ああ。文化祭では雄英の大ホールに現役のプロヒーローの他、サポート会社が見に来る。そこでサポート科の生徒は創意工夫を凝らした作品を携えて、両者に自分の技術や発想をプレゼンするんだ」

「ほ~、成程~……。……!」

 

 ポンと手を叩く麗日。

 しかし、何時ぞやの流れを彷彿とさせるように数拍黙ってから、勢いよく席から立った。

 

「文化祭って、我々の出番……っていうか、楽しみはあるんですか!!?」

「確かに……今の説明聞く限りじゃあ、ヒーロー科とか出る幕ないよね」

 

 相澤の説明を聞く限りでは、単なるサポート科によるプレゼン会にしか聞こえない。

 そう訴える麗日と芦戸に、他の生徒らもウンウン頷いて同意を示している。

 

 文化祭(若しくは学園祭)と言えば、高校において修学旅行に次ぐビッグイベント。大抵は出店を出したり、クラスが一丸となって練習した歌やダンス、他諸々などを発表するイメージが強い。

 『ここは雄英高校だ』と言われてしまえばそれまでなのだが、今を時めく高校生にしてみれば、文化祭がつまらないイベントであるなど死活問題。青春をドブに捨てるようなモノである。

 

「話を急ぐな。それについては今から話す」

 

 どうどうと両手を翳す相澤は、ヒートアップする生徒を宥める。

 

「例年は、メインはサポート科の今言ったプレゼン。その他は、校舎内の自分らの教室で何かしらの出店を出す。縁日だったりとかな。後は、有志を募ってホールで演劇だったり演奏とかだ」

「縁日!」

「演劇!?」

「演奏……!」

 

 担任の言葉に反応する熾念、葉隠、耳郎の三人。

 彼ら以外にも、至って普通に思える文化祭の内容に安堵の息を吐いたりと、反応は様々だ。

 

 サポート科は一学年に三クラス。それが三学年分あるのだから、単純計算でプレゼンをする者は180人にも及ぶ。サポート科もヒーロー科に劣らず個性的な面子が多い学科だ。なんやかんやでプレゼンは長くなってしまうのだろう。

 流石にそのプレゼンを、経営科やヒーロー科は兎も角として、普通科も巻き込んでプレゼンを見るだけというのは余りにも地味過ぎる。

 

 そこで、余興として有志発表を行えるようにするなど、学生らも楽しめるよう配慮しているのだろう。

 

「だが……」

『だが?』

「今年はかつてなく色々あった年だ。ホイホイと余所の人間を雄英に呼び込む訳にもいかなくなった。その為職員会議の結果、サポート科のプレゼンは、別の機会に校外で施設を借りて行うと決定した。そして更に……」

『更に?』

「折角空いた大ホールだ。使わないのもアレって事で、今年は一クラスで一つ、何らかの発表を行ってもらうことになった。有志とか関係なしでな」

『発表~!?』

 

 見事にハモるA組の声。

 面白そうと歓喜に踊る者も居れば、面倒なことになったと苦笑を浮かべる者、そもそも学園祭など楽しむ気もない者など、十人十色な反応があちこちで起こった。

 

 とどのつまり、今年の文化祭は純粋に学生と教員らで楽しむイベントとなった訳だ。

 

「は、発表って一体何するんスか!?」

「諸君らに任せる。因みに一クラスの持ち時間は20分だ」

「割とある!!?」

 

 唐突に発表を行えと言われ、困惑を隠しきれない切島が問いかければ、にべもなく相澤は持ち時間も答えてくれた。

 学園祭の日程は二日間。合計三十三クラスにも及ぶ発表と、例年通り募集する有志発表の分を合わせれば、恐らく妥当と言える数字だ。勿論、寮生活で時間もとれる分を考えた上での話である。

 

 出し物に困惑するのは、主に男子勢。

 一方で女子―――特に芦戸は、触覚をピコピコ動かしながら手を挙げる。

 

「ハイハーイ! 私、皆でダンスしたーい!! ぶれいくだ~んす♪」

「三奈ちゃんは確かダンスが得意だったのよね? 案の一つとしてはいいんじゃないかしら」

「でも20分ぶっ通しで踊るのはキツクないかな……?」

「そうだぞ、芦戸。オイラがブレイクダンスでもしてみろ。床が大惨事になるぞ」

 

 ダンスが趣味の芦戸が提案に、頬を指で突きながら好意的に捉える蛙吹。

 一方で尾白は、持ち時間を考慮した上でダンスという提案に物申す。それに便乗する形で、峰田は自分の頭部を指してみせる。

 確かに、峰田がブレイクダンスをすれば、もぎもぎが床にへばりついて大変な事態になってしまうことだろう。尤も、ブレイクダンスをしなければいい話なのだが。

 

「葡萄の舞踏」

「……常闇、お前」

「……轟。今俺が言った事は忘れてくれ、頼む」

「……おう」

 

 皆が盛り上がる中、ひっそりと母音を踏んだ駄洒落っぽいことを呟いた常闇に、轟只一人が反応する。

 だが、結果としては聞いてあげない方がよかったらしい。

 

「意見を出し合うのは構わないが、それについては寮で話し合ってくれ。ホームルーム中に終わらないからな。後、他の連絡事項がある」

 

 生徒たちがワイワイと騒ぐ中、今度は手を叩いて静かにさせる相澤は、一変として神妙な面持ちになった後、意味深に熾念と轟を一瞥する。

 

「……校外活動についてだ。詳細は省くが、雄英生がインターン先で敵連合と接触した」

「えっ……」

 

 誰とも知らぬ声が漏れ、高まっていた熱が一瞬にして氷点下まで下がっていく。

 寮生活になるそもそもの原因である組織。わずかばかりニュースから聞く機会が少なくなった組織だが、神野の悪夢の後も密かに動いている―――その事実は、仮免をとってはいるものの、依然として庇護対象である雄英生にとっては警戒すべき事態だ。

 

「幸い大事にはならなかったが、敵も積極的に雄英生を狙おうとしている節がある。だから最悪、一年生のインターンは中止になるかもしれない」

「そんなッ!!?」

 

 ここで悲痛な声を上げ、思わず身を乗り出したのは緑谷であった。

 普段とは違った様子の彼に、クラスメイトも怪訝そうに眉を顰めるが、真意までは測りかねる。

 

「落ち着け、緑谷。“最悪”と言った。だが、敵連合が関わってくる以上、学校側が慎重にならざるを得なくなるのは分かるな?」

「……ッ、はい」

「この件については、再度職員会議をした上で報告する。インターン中止は、それまで保留だ。だからまァ……中止されるまではヒーローとしての務めを全力で果たせ。いいな? 校外活動に出向いている諸君」

『はい!』

 

 インターン中止を匂わせつつも、ヒーロー活動を真摯に取り組むように告げる相澤に対し、緑谷を始めとした校外活動を行っている者達が声を上げる。

 

 その時、ちょうどホームルーム終了のチャイムが鳴った。

 かなり濃密な内容のホームルームを過ごし、朝からやや疲れ―――主に精神的なモノが垣間見える生徒らであるが、本番はここからだ。

 

「さて……連絡事項は以上の二点だ。文化祭に思いを馳せるのは結構だが、学生の本分は守るよう。以上」

 

 ヌルっと教壇から去っていく相澤が教室から出ていけば、入れ替わりでセメントスが入室してくる。

 一時間目は現代文だ。セメントスののっぺりとした喋り方も相まって、生徒達には“魔の時間”と呼ばれる程に睡魔が襲ってくる授業でもある。

 

「昨日は遅く寝たからなァ……俺、寝ちゃうかもしんないなっ。なあ、出……」

 

 昨日の今日で学校に赴いている熾念。見た目こそ重傷だったが、実際はそうでもなく、ある程度の処置を経た上で当日の夜に寮へ帰る事が出来た。

 しかし、その分就寝時間が遅れてしまった為、普段通りのパフォーマンスができるかどうか怪しい所だ。

 

 そのことを笑いながら緑谷へ語ろうとする彼であったが、心ここに在らずの緑谷に、開けた口が固まってしまった。

 

「今度こそ……全力で……僕が……」

 

 

 

 彼の癖であるブツブツも、心なしかこの時ばかりは暗い感情に染まってしまっているように思えてしまった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 時間は圧倒言う間に過ぎ、夜が訪れる。

 虫の鳴く声が響き始める夜中、A組のハイツアライアンスのリビングには、ほとんどの面子が集結していた。

 

 全ては、学園祭での発表及び出店を決める為。

 

「それでは各員、各々の意見を述べて下さい!! まずは出店から!!」

 

 自分は既に一つ意見を出していることもあり、率先して音頭をとる芦戸。

 彼女の煽りを受け、集まっていた生徒たちは次々に挙手し、己の意見を述べてみせる。

 

「無難に縁日!」

「メイド喫茶!」

「菓子売るってのはどうだ?」

「……かき氷屋」

「タコ焼き屋!」

「迷路!」

「脱出ゲームとかは!? どうどう!?」

「お~ば~け~や~し~きィ~……!」

「いやぁ~!」

 

 実に楽しそうに意見を出し合う面々。

 しかし、意見を出し合っている最中、緑谷は『ちょっと抜けるね』と皆に告げてから自室へ向かう。

 

 少々心苦しいが、今はとても学園祭について話せる心境ではなかったのだ。

 昼食の時、飯田にいつぞや自分がかけた言葉を言われ、轟にも落ち込んでいる自分を見かねられて激励を贈られた。

 まだまだペーペーのヒーロー。心が未熟なのは承知であったが、まさか涙を流すとは思わなんだ。

 

(少し落ち着こう……皆に迷惑もかけれないし……)

 

 全員が集う場で辛気臭い顔をすれば、否応なしに空気を澱ませてしまうだろう。

 それを懸念して渡り廊下に出てきた緑谷であったが、不意に窓の外で瞬く星空を見上げ、一人茫然と立ち尽くしてしまった。

 

―――手の届かない場所の人間は救えないさ。

 

「っ……」

 

 ふと、オールマイトの言葉を思い出し、再び涙があふれ出してしまった。

 今、こうして自分が立ち尽くしている間にも、あの少女が辛い目に遭っていればと思う度、胸が締め付けられるようで堪らない。

 

「な~んでっ、そんなセンチになってんだ出久~♪」

「うわっ、波動くん!?」

 

 夜空の広さに自分を見失っていたかのような感覚に襲われていた緑谷を、現実に引き戻す声。

 頬に残る涙の筋を、固く握った拳でグリグリと押し付けて拭い去るのは、太陽のように明るい笑みを浮かべた熾念であった。

 

 情けない所を見られてしまったようだ。

 羞恥と後悔が同時に襲い掛かり、緑谷はまた涙を零しそうになる。

 

 そんな時、熾念は涙を拭った拳を緑谷の胸へ押し付けた。

 

「涙は拳骨で拭ってやりな! 自分の弱い心をKnockoutしてやるのさっ!」

「……波動くん?」

「HAHA! 今の自分をPlus Ultra~! ってな」

 

 それだけ言ってから、熾念は皆が居るリビングの方へ向かっていってしまった。

 

―――そんなにいっぱいいっぱいに見えてたんだ……。

 

 彼なりにさり気ないつもりだろうが、慰めようとする魂胆が丸見えだ。

 情けない。本当に自分が情けない。

 自分の情けない姿をさらした上で、友人に励まされてしまうなど。

 

 

 

 だがしかし―――、

 

 

 

(今度こそは……救ける!!)

 

 一度目がダメだったとしても、二度目は必ず。

 緑谷は決意を新たにし、固く握った歪な拳で、眼尻の涙を拭うのであった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

『緑谷~? 出店メイド喫茶になりそうだけどいいか~?』

「ん……あ、うん! って、えぇ!?」

 

 廊下の先から聞こえてきた上鳴の声に、反射的に頷いてしまった緑谷。

 

 別の意味でもまた、悩みが増えてしまった。

 


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