レオキングがビャッコフを下した。
その事実に、劣勢を強いられていたヒーロー勢は一筋の光明を見出す。自分達の戦力が増えたことも勿論あるが、やって来たのは作戦中に行方不明になったインターン生達だ。
逞しく、尚且つ若さを感じさせる姿は、自然と周囲の者へ活力を与えるというモノである。
「敵っぽいのが……四人っと。焦凍!」
「あぁ」
すると、レオキングの勝利に続くように熾念と轟の二人が動く。
これが平凡な実力のヒーローであったらならば、ベアヘッドらも取るに足らない戦力だと一蹴したことだろう。
しかし、今回が悪かった。
敵側に残っている戦力は、近距離向きの“個性”持ちが四人。つまり、どういうことかと言うと―――。
「よっと!」
「っ!? クソッ!」
熾念の瞳から緑色の閃光が奔った瞬間、彼に敵と認定されたベアヘッド、ロデオ、クラウン、華の四人が瞬時に宙へ浮かされる。
これでもう、彼らに抵抗の余地は残されてはいない。
「よっしゃ! よくやった、どっかの!」
「どっかの!?」
相手の隙を見逃さず、宙へ浮かされたベアヘッドへ一撃決めるべく跳ねたディレクター。その際に、隙を作った熾念へ礼を述べたディレクターであったが、肝心の名前を憶えていないという非礼によって、礼を言われた少年は引きつった笑みを浮かべる事となった。
だが、なんにせよ相手が致命的な隙を見せた事には違い無い。
「ウチの者に手ェかけた罪……思い知れェっ!!」
「グッ――――オォっ!?」
浮かぶベアヘッドへ、まずは叩き落すように振り落とされた一撃が入る。
それに伴い、常人の二倍の体格はありそうな体が、勢いよく鉄製の床に叩きつけられた。鏜鑼が叩きならされたように、部屋中に響きわたる轟音。それだけで、今の一撃がどれだけ重いモノであったかは計られよう。
無論、ベアヘッドがそれだけで倒れることはなく、ディレクターの攻撃も留まることはない。
床から起き上がろうとするベアヘッドの胸板へ、追撃と言わんばかりに放たれた掌打。
乾いた破裂音にも似た音が響けば、再びその巨体が吹き飛び、今度は壁に叩きつけられる。肺から空気が抜ける感覚を覚える攻撃に、既にベアヘッドの意識は朦朧とし始めた。
そこへ、最後に渾身の一撃が叩き込まれる。
ラビットWピース!!
「こぁっ……!?」
壁からずり落ちようとするベアヘッドの両頬へ、圧し潰すかの如く放たれた両手の掌打が入る。
威力は勿論、頭部への強烈な打撃を前に、ベアヘッドの意識は完全に刈り取られた。
今の技を喰らった彼は、白目を剥いて床に崩れ落ちる。調子づいていた先程と比べると、余りにも呆気ない終わりに、見事彼を下したディレクターも面白くないと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「うっわ……痛そー……」
一連の流れを見ていた熾念は、両頬に幻痛を覚えつつ、苦笑を浮かべる。
それからぐるりと辺りを見渡せば、轟が氷結でロデオとクラウンを拘束したのが目に入った為、一旦念動力の発動を止めた。
一人の少女―――華は拘束しないのか? と目線で訴える熾念であったが、痛そうに額を擦るウワバミが『大丈夫』と口パクで応えてくれる。
と、そうこうしている間に、ビャッコフにギリギリではあったが勝利を掴んだレオキングが、徐に凍らされているクラウンの下へ歩み寄っているではないか。
並ではない威圧感。
彼の鬼のような形相が目に入っているクラウンは、滝の如く汗を流し、その白塗りの化粧を溶かしていく。
「おい」
「っ! ななな、なんだよ……ひぃっ!?」
震えた口調で反応したクラウンへ、レオキングは眼前へ詰め寄り、これでもかと鋭い牙を剥く。
「……洗脳の解き方教えろ」
「し、仕方なかったんだ! 俺はキュレーターに金で雇われたんだが、実際は奴の為に働きゃなきゃ殺されるから、仕方なく従ってたんだよぉ! だから、な! な!? ホントはこれっぽっちもアンタのお仲間さんに手をかけるなんて事は……」
「俺が聞いてんのは洗脳ってやつの解き方だっ! 早く言わねえと噛み殺すゾっ!」
「ひぃぃ! ゆ、許してくれぇ! 言ったら俺が殺される!」
「今ここで殺してやってもいいんだぜ!? 原因の“個性”持ちのてめェを殺しゃあ、解けるかもしんねえからな!!」
「そ、そ、それはぁ……!」
過呼吸寸前に陥っているクラウン。彼曰く、キュレーターに脅されて使役されていたようだが、レオキングに同情の余地はないらしい。
「早くしやがれ。俺ァこれでも短気なんだ。噛み殺されたくないにしろ、そのキュウリみてェな名前の敵をムショにぶち込むにも、白状は早いに越したこたァねえぞ?」
「は……はぁい」
事情はどうあれ敵に加担した彼が、与した敵に殺される事態になりたくなければ、その与した敵諸共刑務所へ入れるのが一番。
暗にそう伝えるヒーローを前に、顔面蒼白の敵は漸く白状する気になったようだ。これではどちらが敵かなど分かったものではない。だがしかし、その鬼気迫る表情が仲間を想うが故であると知っていれば、過去の彼を知っている者からすれば微笑ましい限りである。
これにて、この場の敵は制圧完了。
負った傷は少なくないが、一息吐くだけの時間を得ることはできた……
「よぅし! 次じゃ、次!」
と、思いきや、頬に血を滲ませているディレクターが、進撃の号令をかける。
「動ける奴らは付いてこい! 早よ行かんと逃げられるぞ!」
ごもっともな意見である。
しかし、頭が理解していても、体が言うことを聞かない状態というのがまさに今。辛うじて動けているとはいえ、後頭部の皮膚が割れるように裂けてしまっているレオキングに、『調教』の“個性”の影響を受けてしまっているライノスなど、戦力は低下してしまっている。
一旦、応援がやって来るのを待つのも手。
しかし、そうしている間にも敵が逃亡している可能性も否めない。ディレクターが急ぐ理由も理解できるが、何の考えも無しに進める状況ではないのだ。
「―――ここに居たか……はぁ……手間取らせやがって」
「逃げ足の速いネズミ共が……年寄りを労われいィ!?」
「Huh!? ここまで追ってきやがってのか!
そのように、進むか進まないかで悩んでいる時、先程熾念達が蹴り破って来た穴から蟹男とセイウチ男がやって来た。
げっ、と頬を引きつらせる熾念。
だが、今は先程と違って場所も広く、味方もある程度多い状況だ。
ここでならば、容易に二人の敵を倒せるだろう―――そう思った時だった。
突然、天井から轟音が鳴り響く。同時に、一つの人影が壁に赤熱の軌跡を残しつつ、滑るように床へ向かっていき、
「ヌゥンっ!!」
「たらばっ!?」
業火を纏った拳で、蟹男の方を殴り飛ばした。
「むっ、貴様……エンデヴァーか!」
片方が殴られるや否や、自分の傍らに降り立ったヒーローに気が付き、若干の驚愕を含んだ声を上げるセイウチ男。
そう、意外な場所からやって来たのはエンデヴァーであったのだ。
それなりの高さがある天井から、自らの炎を器用に操り、足を掛けた壁を溶かして降りてくる離れ業を披露する様は、流石と言うしかないが、壁を蹴り破って来た息子の所業を思い返せば、血の繋がりを覚えずには居られない。
それは兎も角とし、早速セイウチ男はヒーロー勢の首領ともいえるエンデヴァーを仕留めるべく、その巨腕を振るう。
エンデヴァーよりも大きい―――それこそ三メートル以上もあると思しき巨体から放たれる一撃を目の当たりにし、すかさず応援に入ろうと駆けだす熾念と轟。
しかし、エンデヴァーの対応はそれよりも早かった。
「ふんっ!」
「ヌゥオ!?」
縦に振るわれる両腕の一撃を前に、エンデヴァーは相手の懐へ潜り込む。
そのまま、その山のような巨体を支えている二本の足の内、片方を全身全霊の力を以て抱え上げた。
体重は百キロ―――否、二百キロは優に超えている体。動かすには容易い話ではない。
だが、エンデヴァーにはこれまでの人生で、“努力”によって培われてきた鋼の肉体がある。彼の筋肉が唸り、血潮が滾ったとすれば、それは有象無象の増強型と勝るとも劣らないパワーを発揮できるのだ。
「う、ぉおお!?」
まさか自分の体を持ち上げられるとは思っていなかったセイウチ男は、情けない声を上げて後ろへひっくり返る。
そこへエンデヴァーが畳みかけるようにマウントを取り、たった一発顎へ拳撃を加え、敵の意識を刈り取ることに成功した。
「ヒーローが敵のマウントとって、ぶん殴って気絶させる……Toot♪」
「止めろ」
流れるような制圧に感嘆の呟きを漏らす熾念であったが、得も言えぬ表情をしている轟に窘められてしまった。
確かに、今のエンデヴァーの動きを文にすると、子供の夢もへったくれもないような内容だ。
―――敵を倒す。
一口にそう言っても、やり方はヒーローの数だけある。そう思う、熾念と轟なのだった。
「いや、それよりも……エンデヴァー! よくここに……って、なんかコスチューム焦げてるような……何かあったんですか?」
「フンッ。敵は爆弾で俺を殺すつもりだったようだ。だが、生憎そんなヤワな体に鍛えたつもりはない。それよりも早く先へ進むぞ。俺が焼いて開けた穴から、他のヒーローと警察ももうすぐ来る。負傷者はこの場で待機。動ける者は行くぞ」
爆弾の事は知らない熾念が疑問の声を上げれば、サラリと自分の身に起こった事実を述べ、『それよりも』と言わんばかりに指示を出す。
爆弾でほぼ無傷なのもそうだが、かなりの深さにあるこのフロアまで来るのに、『焼いて開けた』と一瞬耳を疑うような事も述べている辺り、彼も規格外な人間の部類に入ることを匂わせている。前任の№1がそれ以上に人外染みていたことも考えれば、そのくらいは驚くに値しないことかもしれない。
「よっしゃ! ぶっ殺したらぁ!」
「馬鹿。アンタは重傷なんだからここで待機」
「は!? ざけんな、俺も―――……ぉう」
「はぁ……ほら、言わんこっちゃない」
エンデヴァーの突撃発言に、いきり立つレオキングであったが、突然足がたどたどしくなりその場に膝から崩れ落ちてしまう。やはり、頭を強く打った上で血を流した事が良くなかったのだろう。こうして意識がある方が不思議と言っても過言ではない。
そんな仲間に駆け寄り、ため息を吐いてから困ったように微笑むウワバミ。気分としては、元気が良すぎる弟を見る姉のような感じだろう。
「アンタはここで待つ。いい? 華ちゃん任せたわよ」
「……おう」
ウワバミの言葉に、不承不承といった様子で頷くレオキング。
そうこうしている間にも、エンデヴァーが開けた穴からは縄梯子が垂らされ、続々とヒーローと警察が現れる。
どうやら、作戦もとうとう佳境に入ってきたようだ。
爆弾による攻撃を受けつつも、無事だったヒーローも赴き、戦力は確実に揃ってきている。
「よしっ、俺に続け!」
ある程度の人数が揃うや否や、怒号にも似た声を上げ、敵が待ち構えているであろう最深部への突入を再開するエンデヴァー。多少の荒々しさは、ニュースの街頭インタビューでも一般市民に言われている事であるが、現場に立つ者にしてみれば、頼りになることこの上ない。
威圧感は勿論、冷静な思考、洗練された“個性”の扱い。どれをとっても超一流の彼の背中を付いて行けば、どのような苦難も何とかなりそうな気さえしてくると言うものだ。
熾念は勿論、轟も父という名のヒーローの背中を見て何か思う所があるのか、神妙な面持ちで口を一文字に結びつつ、無言のまま無機質な通路を駆け抜けていく。
親子として、これ以上ない程に婉曲した道のりを歩んだ以上、何かしら思う所はあるだろうが、それを追求することは野暮だ。
クスリと一笑。今回の作戦の感想は大団円の後に。そう思案した熾念は、無言のままヒーロー達と共に突き進む。
そして、異様な空気が漂う巨大な扉の前までやって来た。
雄英の教室の扉よりも巨大だ。あの規格外の大きさの扉に勝るというのだから、その大きさがどれだけのモノであるかは計り知れよう。
なんにせよ、扉の大きさに圧巻して息を飲んだ面々であったが、エンデヴァーが数秒の思案の後に扉を蹴り破った。
すると、目の前に広がるのは今までにない程の広大な空間。
幾つかの鉄柱が、支柱としてこの地下の空間を支えるようにそびえ立っている。薄暗いじっとりとした空気が漂う中、皆が目を向けたのは、キャットウォークの上に悠々と佇む一人の男だった。
「……思ってたより早かったな。チッ、所詮は使えない雑魚共だったな―――」
「Got it!」
「っと。話す暇も与えてくれないか。随分余裕がないんだな」
「Tsk!」
見下してくるような視線を向け、不遜な物言いでヒーローを迎え入れようとする男―――そう、彼こそがキュレーター。
しかし熾念は、彼が話している途中で念動波を発し、早速彼の捕獲に取り掛かった。
薄暗い故に、肉眼で見ることのできる念動波の爬行。すぐさまキュレーターは回避行動に移り、そのまま自身のコートのポケットをまさぐった。
次の瞬間、部屋のあちこちで小規模の爆発が起こる。
眩い爆炎の閃きにヒーローらの目が眩む中、只一人エンデヴァーは怯む様子もなく、右腕から業火を放ち、キュレーターへ追撃を加えようとした。
「むっ!?」
だが、足元に濛々と立ち込める白い煙に気が付き、一旦炎を止める。
爆発の余波による煙ではない。
「これは……催涙ガス! 吸うな!」
「察しがいいな。ついで、これはどうだ?」
目に突き刺されたような痛みが、ヒーローを襲う。
そう、現在進行形で部屋に充満し始めているのは催涙ガスだ。皮膚や粘膜に付着するとヒリヒリとした痛みが奔る他、咳が止まらなくなるといった症状が現れる代物であり、早速ヒーロー達にもその効果が現れ始めている。
更に、キュレーターの攻撃は止まらない。
徐にフィンガースナップを鳴らすや否や、部屋の壁際に整列していたコンテナの蓋が開き、中からガスマスクを被り、尚且つ銃で武装した者達が現れるではないか。
「ちっ!」
「穏やかじゃないなっ、Huh!」
“個性”ならまだしも、さも当然と言わんばかりに銃を携える者達の登場に、皮膚の痛さを忘れて新たに現れた者達の制圧に移行する熾念と轟。
数としては四、五十人だろうか。それだけの者達が一斉に襲い掛かってくるのは脅威に他ならない。
何時ぞやの仮免試験と同じく、念動力で無効化し、続いて轟が氷結で拘束する。
熾念はバイザーを着けている分マシだが、轟は催涙ガスで視界がぼやけている中での行動だ。多少、氷結の操作に精細さは欠けてしまっているが、何とか敵の拘束はやってのけてみせている。
無論、ベテランのヒーロー勢も動いていない訳がなく、各々の“個性”を用いて制圧に当たった。
中でも、火傷を推してやって来たシンリンカムイは、『先制必縛ウルシ鎖牢』で一度に複数人を捕縛する。
しかし、次の瞬間に彼が目の当たりにしたのは、目を疑う光景であった。
樹木によって拘束される敵の中、一人が徐にナイフを取り出し、何と自分の手を切り落としたではないか。
するとどうだろうか。
露わになった敵の手からは、新たな手が。
そして、切り落とされた手首の断面からは、凄まじい速度で裸の男が生えてくる。
「ナニ!?」
「プラナリアって知ってるか? どこから真っ二つに切られようとも、両方が新たな個体として再生するっていう生き物。その生き物の特徴を反映した“個性”を、そいつは持ってるんだよ」
驚くシンリンカムイを見てほくそ笑むキュレーター。
「ここに居る兵は、全員一人の人間から分裂して誕生した奴らだ。まったく、世の中探してみるもんだな。こんなに便利な“個性”を持ってるヤツが居るんだからな」
「っ……人を何だと思ってやがるんだ、あの畜生は」
「胸糞悪いことこの上ないなっ。中指を突き立てたい気分だ」
得意げに語るキュレーターに対し、不快感を隠そうともしない轟と熾念。
だが、忌々し気に言葉を吐き捨てている一方、舞い上がる催涙ガスや新たに現れた敵によって、状況は混戦を極めることとなり、中々キュレーターに近づくことは叶わない。
催涙ガスによって視覚を潰され、部屋が暗所なのも相まって、いちいち相手を捕捉することさえ困難。
「ふんッ!!」
そんな中、床を大きく蹴りつけて五メートルも跳躍してみせたディレクターが、余裕綽々に見物していたキュレーターへ飛びかかっていく。
目元を涙、鼻下を鼻水で濡らしつつも、確りと敵の位置と捉えての跳躍だ。
相手へ迫っていく速度も中々。これならば、一矢報いることもできるかもしれない。
そのような期待が抱かれたディレクターは、キュレーターの顔面目掛け、長い脚を鎌のように振るう。
「どぅぉりゃ!」
「おっと」
これは少し屈まれて躱される。
しかし、攻撃がこれだけに留まる訳がない。
蹴り終えた後にキャットウォークに足を着ければ、流れるように霞んだ視界の中、キュレーターを凹まさんと拳や足を次々に振るっていく。
撓るような動き。並みの敵では反応し切れず、一撃は確実に喰らうであろう連撃であったが、それでもキュレーターを仕留めるには至らない。
暗所の中、しきりに舌打ちのような音を響かせては、ディレクターの攻撃を次々に避けてみせるキュレーター。その顔は、実に得意げだった。
「ようく狙え。当たってねえじゃあねえか」
「待ってろ! もうちょいで凹ましたらぁ!」
「悪いな。生憎、俺は気が長くないんでね」
「ッ!」
やはり、催涙ガスで視界を潰されてしまった上では不利だったのか、ディレクターはビンタを躱されてしまい、その際に肉迫され、頭部から放たれる零距離での超音波攻撃を喰らってしまった。
ギャングオルカが放つモノと同質の攻撃。喰らえば体は麻痺してしまうという恐ろしい代物だ。
堪らずディレクターが膝を着けば、瞳孔が開かれんばかりに目を開くキュレーターが、勢いよく長い耳が生えている頭部を踏みつけた。
「今、どんな気分だ? 俺は最高で最低な気分さ。お前らに受けた傷……屈辱! 何一つ忘れてないぞ、俺は」
「ぐぬぬッ……!」
「国内での違法取引が摘発された後、俺は築き上げた財を失い、海外へ命からがら逃げ延びた。そこから一介のチンピラ組織を乗っ取ってここまで来るのに、どれだけ時間がかかったと思う? 『時は金なり』っていうよな? お前らの所為で! 俺は! 時間も! 金も! 無駄にした!」
「ぐッ、ぎッ!」
怒りを露わにし、何度も頭を踏みつけるキュレーター。
彼は国内で暗躍している際、麻薬、違法薬物など数えきれないほどの罪を犯していた。それによって積み上げられた財は莫大。このままいけば順風満帆な人生を歩める―――彼はそう思っていた。
だが、盛者必衰の理と言う言葉がある通り、どれだけ盛んになろうとも、必ず衰えはやって来るものだ。ましては、行っている事が悪事であれば尚更。
そんなキュレーターの悪事を止めんと立ちあがったのが、ギャングオルカとディレクターであったのだが、あと一歩というところで取り逃がしてしまった。
それから数年、息を潜め、虎視眈々と“力”を蓄えていた彼は、今こうして舞い戻って復讐を成し遂げようとしていたのだ。
「はぁ……はぁ……まあ、一つだけ感謝してる所は、俺の見聞を広めてくれたことだな。海外は刺激的だったぁ……なにせ、“個性”目当てで人身売買なんても行われてるんだからな。いつの時代だって言いたくなるだろ? 俺が海外で学んだのは、“手段は択ばない事”……そしてもう一つ、“金こそが力”ってことだ」
「ッ!」
徐にキュレーターが取り出したのは―――銃。
銃口は勿論、目の前のヒーローへ向けられている。
「じゃあな、偽善者。何も救えず死ね」
そして、引き金が―――、
「ッ! チィ……!」
引かれる直前に、拳大の氷の礫がキュレーター目掛けて飛来した。
その氷を砕くべく、顔を氷の方へ向けて再び超音波を放てば、瞬く間に氷は弾け飛び、パラパラと粉雪のように宙を舞い、床目掛けて舞い落ちていく。
「なにッ!?」
「さっきから、なんかベラベラ長ったらしく喋ってたけどさ……」
しかし、キュレーターは眼前に迫って来た人影に目を見開いた。
氷とは違い、キャットウォークの真下からヌルリと現れた人影―――それは熾念だ。
己に念動力を掛けている証拠である緑色の光を纏いながら飛んできた熾念は、険しい顔つきで、敵を蹴るべく足を振ろうと身構えている。
そんなヒーローを目の前に、キュレーターは即座に銃口を向ける対象を切り替えようとした。
だがしかし、ディレクターへ向けていた銃は、まるで石のようにピクリとも動かない。違和感を覚えて一瞥してみれば、先程まで地に伏せていたディレクターが、万力の如き握力で彼の腕を握っていたのだ。
そうしている間にも、今度は青く燃ゆる足が閃き、
「コイツッ……!」
「それは要するにッ、自業自得ゥウッ!!!!!」
「ぐゥ!?」
キュレーターが被っていた潜水ヘルメットを凹ます勢いで振り払われた。
「
蹴り終えた後、軽やかにキャットウォークの上に降り立った熾念は、煽り気味にそう言い放った。
一方で、全力で蹴られたキュレーターはふら付き気味に立ち上がり、手すりに掴まって熾念とディレクターの二人を睨みつける。
「雑魚ォ……よくも俺を……」
「雑魚? HAHA! ここには小さい魚なんて一匹も居ないぞ~? 見間違えてるんじゃないかァ?」
「ソイツを最初に殺るつもりだったが……やめだ。まずはお前から……!」
「出来るモンなら―――わぷッ!?」
「ぐぉッ!?」
口撃の応酬を繰り広げていた二人であったが、そこへ熾念の背中を跳び箱のように扱うディレクターが前に出てきて、前のめりな姿勢になっていたキュレーターの顔面へ靴底を叩き込む。
熾念の背中から嫌な音が鳴り響いた代わりに、それなりに強烈な一撃は入ったようだ。
「よしッ、まず一発!」
「せ、背中がぁッ……!」
「悪いな、青髪」
「名前を覚えられてない!? Oh, shit! 俺のヒーローネームは“Peace Maker”! 以後、お見知りおきを!」
「長い! 却下!」
「Huh!?」
尻もちを着いて倒れている敵の前で行われる漫才。
やや暢気すぎるやり取りにも思えるが、それをできるだけの余裕というものが出来ている証拠でもあった。
「ふんっ、さっさとソイツを取り押さえてしまえ!」
「らじゃ!」
キャットウォークの下では、既に『プラナリア』の“個性”持ちの兵隊らがヒーローに取り押さえられていた。
敵にとっては死屍累々の光景。その中央に佇む修羅が如き威圧感を放つエンデヴァーは、目を真っ赤に充血させながらも、敵らを拘束するようにヒーロー・警察両者に指示を飛ばす。不利な状況とは言え、流石に分裂と再生程度が特徴の“個性”程度では、現№1を倒すには至らなかったということだ。
そして、催涙ガスの所為で血走る瞳により、普段の二割増しに威圧感が伴っているエンデヴァーの指示を受けた熾念は、念動力を用いてキュレーターの拘束に取り掛かった。
しかし、ただやられる訳もなく超音波攻撃で対抗しようと試みるキュレーター。そんな彼であったが、即座にディレクターによるおかわりの一撃が、彼の頭部を鉄製の床に叩きつける。
その間に熾念は、キュレーターの背中側からマウントを取り、いつ使うかとワクワクしながら普段から携えている手錠を取り出し、手際よく敵の腕にかけてみせた。
「Toot♪ 一丁上がり!」
「……目出度い奴らだ。こんなモンで勝ちだと思ってるのか?」
「負け惜しみか、Huh? 大人のそういうの見苦しいぜ」
「俺を捕まえたら勝ちだと思ってるなら甘い考えだ。この勝負は元々成り立ってないようなモンだからな」
「Hmmm……何言ってるんだっ?」
「反面敵は、一人で多くそっちに被害を出せば勝ち。この戦いは、俺にとっては勝ち戦。お前らに勝利なんてありえない―――最初から用意されてないんだよ」
取り押さえられた後、長々と意味深な内容の言葉を吐き捨てるキュレーターに、流石に強がりだろうと思っていた熾念も訝し気に眉を顰める。
その間にも、拘束器具を携えてきた警官がキャットウォークへと向かって来ていた。
この状況では、敵に勝ちもへったくれもなさそうに見える為、尚更キュレーターの強気な発言が不気味だ。
そんな中、キュレーターがとんでもない一言を言い放つ。
「もし……俺がお前らを海の藻屑にするため、ここに更なる爆弾を仕込んでるとしたら……どうする?」
―――背筋が凍るとは、この感覚の事を言うのだろうか?
(まさか、さっきみたいなリモコンか!? だったらすぐに……)
途轍もない悪寒を覚えた熾念は、即座にキュレーターが先程弄ったリモコンを取り上げるべく、一層念動力による拘束を強める。
だが、そこへ不意の声が響き渡った。
「どうするもこうも……爆弾なら俺が処理しておいた」
「っ……お前は!」
「ギャングオルカ!」
ヒーロー達が突入した扉から、一足遅く水を滴らせながらやって来たギャングオルカ。
“爆弾を処理した”とは一体なんのことなのか? そう問いかけるような皆の視線に、彼は濡れたコートを絞りながら語り始める。
「さっきの今だ。どうせ、俺たちを地下へおびき寄せてから爆弾で殺そうと目論んだんだろうが……残念だったな。元々、こんな廃墟に突然電気が通るのがおかしい。だから、大本を叩いてきた。そいつを探すのに一苦労したな」
「サカマタぁ……!」
「トリガーを服用させた電気ウナギの“個性”持ちで水族館の電力を賄うとは、中々面白い方法だったな。だが、その“個性”持ちも、電力の管理制御室に居た敵も既に拘束済みだ。貴様は人を道具のように扱う奴だからな。下っ端に一番大きい爆破を任せ、自分はのうのうと逃げおおせるつもりだったんだろう?」
つまりはこうだ。
ヒーローを迎え撃つには、それなりの電力が要る。しかし、普通に電力会社から電気を引いてくる訳にもいかず、キュレーターは人力(と言う名の“個性”)を用いての発電手段をとって、一時的に水族館の電力を賄った。
一方で、ヒーローを迎え撃つ一番の攻撃として、彼は既に何度も用いた爆弾による爆破を用意していたのだ。流石のヒーロー達と言えど、地下深くで爆破され、生き埋めにされてしまえば一たまりもない。
しかし、それだけの爆弾を起爆するには、水族館の広さや地下という電波などが通じにくい場所も相まって、水族館全体に設置された爆弾を管理できるような機能が揃った制御室が必要になった。一応、敵の安全面から見ても、誰か一人が懐に携え、ふとした瞬間に誤って起爆してしまえば作戦もクソも無くなってしまう。
だが、ヒーロー側からすれば、その爆弾を管理できる制御室が最優先制圧対象とも言える。
そこでギャングオルカは、水族館のあちこちに張り巡らされている迷路のような水路を泳ぎまわり、制御室を見事見つけ出し、そのまま制圧するに至ったのだ。
今は他のヒーローや警官もそこへ駆けつけ、制御室を完全にヒーロー側の管理下に置いている。
そうそう敵に取り返せる状況ではない。
「貴様の目論見は潰えた……さぁ、終わりだ」
「終わり? 終わりだと?」
ギャングオルカの宣言に、ゆっくりと頭を下ろして額を床につけるキュレーターは……。
「それはぁ……こっちの台詞だっ!!!」
突如、キュレーターの胸元から閃光が閃く。
「Huh?」
「っ、離れろ! 波ど―――」
異変に気が付いた轟が、咄嗟に離れるよう熾念へ喚起する。
だが、その甲斐虚しく、次の瞬間には熾念の身体は爆炎に包まれるのであった。
☮
同時刻、水族館の屋上。
そこには黒い靄にも似たワープゲートが広がっており、中からは無傷のキュレーターがゆっくりと歩み出てきた。
「では、ご武運を」
「あぁ」
彼を送り届け、用事を済ませた黒霧は早々にこの場から去っていく。
一方で、キュレーターは特に感謝する様子も見せずに応えた後、コートの裏側から一本の注射器を取り出した。
すると徐に、その注射針を自分の首筋に突き立て、中に入っていた液体を流し込み始めるではないか。
注ぐこと数秒。
空になった注射器を投げ捨てたキュレーターは、『うぁ……』と呻き声を上げた後、血走った眼を大きく見開いた。
「ゥゥォォォォオオオオオオッ!!!!!」
次の瞬間、キュレーターの体は大きく膨れ上がっていく。
大きく大きく、それこそ天井を突き破り、既に崩れかかっていた床を崩してしまうほどに。
数秒後には、鞣したような黒い皮が普段の肌色にとって代わり、全身が異形に変貌していく。
鎚のように出っ張った額。鋭く小さい並んだ牙。巨大な体に比例する巨大な尾は、ヨットに掲げられる帆をイメージさせる。
一見すれば鯨にも見える姿だ。しかし、決定的に違うのは鯨に本来ない腕や足が生えていることであった。鯨と人間を足して二で割ったような異形。しかし、大きさは鯨順守―――否、それ以上だった。それは偏に、たった今投与したトリガーによる効果だ。
「ハァ……ア゛ァ!」
本来の彼であれば、精々十五メートル程の体長にしかなりはしないが、今は三十メートルに達しそうな程に巨大化していた。
それに伴い、彼が現れた部屋が重さに耐え切れず、ガラガラと積み木崩しのように崩れる。
更に彼は腕を振り回し、邪魔な壁を砕き割って、窮屈な空間から自らを解放してみせた。
すれば、当然外に居た者達の目にも触れる。
「な、なんだアレは……!?」
「まさかアイツが!? エンデヴァー達はどうしたんだ!」
突如として現れた鯨―――ではなく、今回の案件の首領の登場に戸惑いが奔る地上包囲班の面々。
そんなヒーローらを見下し、キュレーターは水族館を崩すように降りていく。
迫力はまさに怪獣大決戦だ。それだけ、迫ってくるキュレーターが化け物染みている。
そして、化け物が一言。
「さて……どいつから潰してやろうか……」
まさに悪魔の呟き。
戦いの終幕は、刻一刻と迫ってきている。