「……戻ったか」
「ええ。言われた通り、貴方の部下を送りましたよ」
キュレーター達が待機している場所―――水族館の地下に、秘密裏に造られた空間の最下層に戻って来た黒霧は、労いの言葉に一応一礼を返す。
これから取引する相手になるやもしれないのだ。敵連合の首領・死柄木の為にも、手を組むかもしれない相手にも必要最低限の礼儀は尽くさねばならないというものだ、尤も、ヘコヘコと下手に出て舐められて困るが……。
「じゃあ、敵連合の仕事は大方終わりだな」
「おや? もうそんな段階に……」
「後は何するんだ?」
「おう、俺たちァ何すればいいんだ!? さっさと帰らせろ!」
今回、敵側の作戦の為に呼びだされた敵連合の人員である三人は、大詰めを迎えようとしている作戦に怪訝な表情を浮かべ、キュレーターの次の言葉を待つ。
すると、死んだ魚のように濁っている男の瞳が、暗い部屋に相反してハイテンションのトゥワイスを捉える。
「まぁ、楽な仕事さ」
そう吐き捨てるキュレーターは、踵を返して監視カメラの映像に目を向けた。
そして、一呼吸を置いてから言葉を紡ぐ。
「ビジネスの世界じゃあ、鳥の目、虫の目、魚の目……この三つが大切だと言われてるんだとよ」
突拍子もない話題。
思わず頓狂な声を上げそうになった荼毘であったが、黒霧に目で制されたことで、辛うじて相手の癪に障りそうな声を上げずに済む。
「……で、その三つの目がなんだって?」
「鳥の目は大局を、虫の目は現場を、魚の目は流れを。この三つの視点をバランス良く持つことこそが、ビジネスに限らず勝負事で勝てる人間になるのに必要な力だ。そうだな……おまえらは、将棋とかチェスをやったことは?」
どうだ? と言わんばかりに送られてくる視線に対し、黒霧は『嗜む程度には』と応える。
「そうか。将棋にしろチェスにしろ、勝利条件は相手の王様を取ることだ。どんだけ雑兵を揃えた所で、王様を取られた時点でそいつは負け。言い換えれば、どれだけ雑兵がやられようと、王様が生き残ってれば負けにはならない」
「……成程。そういう訳ですか」
「敏いんだな、黒霧とやら。そうさ」
何かを理解した黒霧に、満足気に頷くキュレーター。
なんとなく荼毘も気が付いたのか、スッとトゥワイスに視線を向けてみるが、肝心のトゥワイスは一切理解していない様子である。
「この戦いにおけるヒーローの勝利条件は、『死者を一人も出さず』、『拉致されたヒーローを救出し』、『事件の首謀者である俺・その他協力者である敵を捕らえる』こと。一つでも欠ければ、お厳しい評論家様方や、記事にデカデカと載せられそうなネタを探しているマスコミ様が勝手に騒いでくれる」
「……中々、えげつないことを考えているようで」
「なんだ? お前らはそういうのを望んじゃあいないのか? いやいや、大丈夫さ。俺は腐ってもビジネスマン。顧客の信頼を裏切るような真似はしないさ」
クツクツと含み笑いを浮かべるキュレーターと黒霧の二人。
―――この戦い、勝ちを譲るつもりはさらさらない。
―――いや、そもそも勝敗が成り立つような試合にするつもりがない。
今日繰り広げられている戦いは、言わばキュレーターの入念な仕込みによって始まったもの。ここまでの戦いの流れは、多少の誤算こそあれど凡そ想定内だ。
全ては己の掌の上。
そう言わんばかりにほくそ笑むキュレーターは、監視カメラの映像に映る、次々と存在が明らかになった隠しフロアへ突入するヒーローや警察を、見下すように眺めるのであった。
☮
病院で母と話している時、よく思うことがあった。
それは、母があれほど父に憎しみに似た感情を抱いていたにも拘わらず、何故離婚しなかったということだ。
俺だったら、精神が病んで病院に入ってしまうよりも前に、さっさとあんな男から離れてしまうだろう。
元々、親父が母を必要としていたのは、自分の野望を託すに足りる“個性”を持った子供を作ることだ。ならば、もし母が離婚を申し出た所で、俺の親権が自分にあるのならば、母が家から出ていくことを止めなかったかもしれない。
それなのに、母が親父の下から離れることができなかったのは、俺の存在が在ったからだったのだろう。
確かに、母は俺に愛情を注いでくれた。それが一時、俺に親父の面影を重ねてしまったことで、愛情が憎悪へと変貌してしまったものの、それは変わらぬ事実である。
母と親父を引き離せぬようにしていたモノは、俺という二人の血が通った子供が居たから。
成程、母と親父は俺を挟んで絆が繋がっていたのかもしれない。本来の意味である、“束縛”という意味で。
母が親父と結婚したのは、親父に実家を買収されたからだということは何度も聞いた。
だが、俺にはずっと疑問だったのだ。
―――本当に、人一人の人生は金だけで縛られてしまうのだろうか?
俺が思うには母は、俺が生まれるより前は、割と普通に暮らしていたのかもしれない。
それは希望的観測とも言えるが、愛情無しに家庭を築けるとは到底思えない。結婚までの経緯には、複雑な感情を抱かざるを得ないとしか言いようがないが、それでもどこかで母は親父のことを愛していたんだと思う。
……実際どうだったのかは、本人に聞いてみなければ分からない。だが、現に親父の所為で入院している母に、そのような事実を確かめることは酷だ。
結局、真実を確かめる機会は今の所無い。
それでも俺は、母と親父に余所の家とは違う絆の形があるのだと悟った。
とても歪な家族愛。
俺が生まれてしまったが為に歪んでしまった家族愛。
それは他でもない、俺が正さなければならない歪み。
どうやった所で今更、俺と母、そして親父の結びつきが無くなる訳ではない。
ならばできることは何なのか? それは、俺たちの間にある結びつきを―――絆が持つ意味を、もう一度あるべき形へ戻すことではないのか。
例えば、俺が死んだら母は悲しんでくれるだろう。
そして親父も、母とは若干意味が違うかもしれないが、俺の死を悲しんでくれるだろう。
そうだ。二人には、息子の死を悲しむ情は持ち合わせているハズ。
似たような絆は持ち合わせている。
絆は依然として、俺を中間として結びつているのだ。
俺に限った話ではない。
俺が死ねば、周りに居る友人たちは悲しんでくれると断言できる。以前ならば、このような思考さえ持ち合わせていなかったが、今だからこそハッキリと―――人前で言うのは恥ずかしいが―――言えることなのだ。
人と人は結びついている。
それが最近俺の気が付いたこと。
一つの点を中心として、人と人の結びつきは蜘蛛の巣のように広がっている。
誰かの感情の揺らぎが、近くに居てくれる誰かの喜びに、悲しみに、怒りに、楽しみに。それこそ“個性”のような十人十色な反応が、一つの点から伝播される事実によって生み出されるのだ。
他人の不幸は蜜の味―――そう言う連中は兎も角として、親しい人の悲劇に素直に悲しむ人々、喜劇に喜ぶ人々が居たとすれば……その絆の名は『愛』と言うのかもしれない。
友人に借りて読んだ昔の漫画本。それがアニメ化された際の主題歌の中には、スーパーヒーローには心に愛を必要としているらしいではないか。
人と人の温かい結びつきである『愛』。それを守っていく者、成程、確かにその者は英雄だ。
子供の頃に憧憬を抱いた英雄が守っていたモノは、確かに『愛』だったのだろう。
柄にもない考えだ。
友人に聞かせてみれば、『何か悪いモノでも食ったのか?』と聞かれそうな思考をしているかもしれない。
だが、受け売りだと言われようとも、『愛の為に戦うヒーローだ』と公言すれば、あの頃ヒーローを夢見ていた自分のような年頃の子たちは、目を輝かせてくれるだろう。
要は、ヒーローは救けた人一人だけではない……救けた人と、その者が持つ絆で繋がっている人々の心も救けているのだ。
するとどうだろうか。
長々と熟考していた俺の脳裏には、このような考えが過った。
『なんだ。最初から、することなんて何も変わってねえじゃねえか』と。
☮
俯く轟は、“その時”を今や今やと待ちかねていた。
今戦っている相手は、自分の挙動が大雑把という弱点を突くかのように、無駄のない洗練された動きで詰め寄り、近接攻撃を仕掛けてくる。
虚仮威しの炎熱や氷結では隙を作れそうにもない。
だからこそ、轟はあえて自分から隙を晒した。
そして、轟の予想にたがわず、ナワールは“誇り”と呼んでいた歯のサーベルの切っ先を向けてきて、風を切る勢いで突き出してくる。
(幸いだったのは、斬撃じゃなくて刺突に特化した形状だったトコか……―――!!)
跪く轟に向かって繰り出されるサーベルは、異形型である彼の歯を加工(という名の切断)して作られたもの。
螺旋の掘り込みもあり、刺突に関しては鉄板を貫くなど、絶大な攻撃力を発揮する。
しかし、サーベルと言っても形はレイピアに近い。つまり、攻撃に関しては刺突にしか用いられないということ。
急所さえ外れれば―――。
(―――そこだっ!!)
「むっ!?」
突然顔を上げた轟に驚いた声を上げるナワール。だが、彼の繰り出した刺突はかなりの勢いが付いており、今更止まらない―――止められない。
(肉を切らせて……)
薄氷が纏わりついている右腕を振り上げ、刺突の軌道をずらす。
その際、タイミングが完璧でなかった為に、サーベルの先は薄氷を剥がしてその下にある轟の肉を抉るように爬行する。
右腕に奔る灼熱。つい先程まで氷の盾を作っていたお陰で感覚が鈍っているものの、酸欠でやや朦朧としていた意識が覚醒する程度の激痛が、轟を襲った。
だが、轟の右手は確りとサーベルを握るに至る。
「ぐっ……!」
「なッ、私の剣を!?」
「あんだけ誇り誇り騒いでたんだ……そう易々と手放せるモンじゃあねえだろ……!」
「っ!!?」
そう言い放った轟の視線。
右目には、見る者の背筋を凍てつかせる冷たさを。
左目には、見る者全てに恐怖を与える業火を錯覚させる闘志を。
迫真の眼光に思わず動きを止めてしまうナワール。無論、彼が動きを止めたのはそれだけが理由ではない。
轟に握られているサーベルを伝い、極寒の地であると錯覚させるほどの冷気を放つ氷が、ナワールを凍てつかせたのだ。
これまで頭部から放つ超音波で氷結を防いでいた彼であるが、自分の体も凍り付いている状態でそのような真似はできない。
もし、半身が凍った状態で砕いてみろ。お前は直ちに死ぬぞ。
そう言わんばかりの威圧感を放つ轟の半身もまた、敵と同じように氷が纏っている。
(こ、この者は……私を死ぬ覚悟で―――!?)
仮に、轟の相手をしていたのが余程の馬鹿か自殺志願者であれば、自分の体などお構いなしに氷を砕き、そのまま二人とも運命を共にしていたかもしれない。
文字通り、自分の命を懸けた攻撃。
更には、自分の死は厭わないとでも言わんばかりの威圧感。
どちらをとっても、ナワールはショートというヒーローを前に、動くことができなくなってしまった。
そんな敵の一方で、轟はというと、左半身に轟々と燃え盛る炎熱をスタンバイさせている。
(―――骨を、断つッ!!)
カッと閃く炎の輝き。
それは、氷で繋がっていた二人を中心に、爆発するかのように広がっていく。暗がりだった通路が、一瞬にして紅蓮に染まり、周りの鉄板を赤熱に焦がしていく様はまさに、
「ぐわぁぁぁああああああああッ!!!」
身を焦がす灼熱の炎に、堪らず悲鳴を上げるナワール。
通路を奔っている炎熱の津波は数秒後に終わるものの、海洋生物の異形型であったナワールに炎攻撃は一たまりもなかったのか、そのまま地面に膝から崩れ、
「ぬぅんッ!」
「お」
落ちない。
「んんッ!?」
「お」
と思いきや、前のめりに倒れる。どうやら、杖代わりに床に突き刺したサーベルがぽっきりと折れてしまったようだ。
今の流れるような緩いシーンを前に、轟は合宿の肝試しの際に発したような、頓狂な声を上げる。
暫し、床に伏せる敵をジッと眺める轟。
武器は逝ってしまったようだが、彼にはまだ超音波攻撃があるのだ。ジリジリと後退りし、距離をとろうと図る轟の顔には冷や汗が流れている。
「……やった……か?」
「見、事だ……」
「! まだ意識があったか……!」
誰に向けて放った訳でもない呟きであったが、目の前の男から返答が来たことに、轟は再び神経を研ぎ澄ませる。
「ふっ……私には、最早抵抗する力は……残っていない」
「……どうだかな」
「くっ、人の言葉をロクに信用しないとは横柄! ……とは言えないだろう。何故ならば、君はヒーローで、私は敵なのだからな。警戒されるのは致し方なし。ただ、私が君と行った決闘で敗北したのは紛れもない事実だ。何より……―――私の剣は折れてしまった」
床に伏せたまま、弱弱しい声色で語るナワールは、床に転がるサーベルの刀身を見遣る。
氷結による急激な温度低下に続いての、炎熱での温度上昇。その温度差にやられてしまい、剣は折れてしまったのだろう。
“誇り”と呼んでいた剣。経緯はどうあれ、轟の一手が決定打となって折れたことには間違いない。
“誇り”を相手に折られた。それ即ち、敗北を意味する。
「……私は、あの時の攻撃を前に、君の瞳に強い意志を感じた。言わずとも分かる。あれは、君の内に秘める正義が滾った故に露わになったモノだ。私はそれに……心を打たれた」
「……は?」
「後生の頼みだ……せめて、我らが野望をヒーローである君が打ち崩す前に、君の正義を教えてはくれまいか……?」
「……」
何やらベラベラと、自分の予想だにしない方向に話を進めている敵に、轟は表情には出さないものの困惑する。
特段無視してもいいのだが、敵とは言え瀕死の体にムチ打って聞いてくる相手に失礼な気がしてならないのだ。これが有象無象のチンピラならまだしも、それなりの実力者で、間違っていても自身の“正義”の為に戦った相手への礼儀として。
しかし、今は時間が惜しい。
轟はうまく思考が回らない中、この敵が納得しそうな答えを脳みそが絞り出そうとする。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……愛……とかでいいんじゃねえのか?」
「あ、愛……愛だと? 成程、愛なのかっ! 愛……愛でること、慈しむこと、または惜しんだり悲しむこと。そうか、君の正義は……愛、つまり心なのだな!」
「おう?」
「いや、皆まで言う必要はない! 愛という文字、それ自体に“心”が含まれている! そうか、悪の上位に当たるものには愛が在るのだな! くっ……ならば、悪に殉ずる私が、愛に殉ずる君に負けるのはやむなし! 完敗だ! 勝者は君だ!」
「……おう?」
「行け、君の道を! その強き精神で、道を拓いてくれ!! ―――ぐふっ」
「……おぉう」
適当に言い放った言葉で、勝手に相手が解釈し、そして勝手に満足して気絶した。
少し様子見し、本当に気絶したことを確かめてから、予め渡されていた拘束用の道具で倒れたナワールを縛った轟は、ふぅと一息吐く。
素敵な面をしていた割りに思ったよりも強敵だった。
中々に疲弊してしまったが、それでも自分に立ち止まっている暇はない。
(……無線も届きそうにねえな。どうせなら、今の奴言い包めて道聞いとくんだった)
今になって後悔するが、気絶した相手が起きるのを待っている時間は皆無。
さっさとこの場から離れるのが吉だ。
「つっても、どこに行けば……ん?」
当てもなく彷徨うハメになるのか、とため息を吐く轟であったが、ふと通路の奥からドタバタと騒がしい足音が響いてくることに気が付いた。
―――もう次の手先が来たのだろうか?
眉間に皺を寄せ、いつでも相手が仕掛けてきてもいいように身構える轟。
しかし、通路の角から姿を現したのは、思ってもいなかった人物であった。
「HAHAHAHA! しつこい追っかけはお断りさっ! ここはサイン一つで手を打ってくれないか?」
「面白いね―――! あんた速いのね!」
「鉄火マキ、いつまで遊んでる! そのガキ早く捕まえろ!」
「はぁ……はぁ……この年の鬼ごっこは腰に堪えるわい……」
何か来ている。
先頭を突き進むのは、緑色の光を体に纏わせ、ステップするように通路を駆け抜ける熾念。
そんな彼を追いかける一人の女・鉄火マキと呼ばれる下半身が魚の敵は、床下に一定の感覚で敷かれているグレーチングを取りはずし、逃げる熾念を捕えようと飛び出している。
更に後方からは、ぜぇぜぇと息を切らして駆けてくる蟹男とセイウチ男が、遅れて追いかけてきていた。
一見、熾念は楽しんでいるように見える様子であるが、暗がりの通路の床から人間が飛び出てくるなど軽くホラーだ。彼の浮かべている笑顔がどことなく引きつっているのを見れば、逃げることに必死になっているのは明らかだった。
(つーか、こっち来てるな)
「ひー! いつまで付いて来るんだ……って、Huh? 焦凍、焦凍じゃないか!」
「波動、おまえ―――」
「Get away!!」
「いや、まあ……だろうな」
熾念が横に並んだ瞬間から、轟も彼に並走する形で逃走劇に加わる。
易々と追走を許さぬ為に、足の裏に氷壁を重ねて移動する手段を用い、逃走と妨害を図る辺り、轟もまだまだ頭が回転する程度に息は整ってきたようだ。
これで、後方の敵二名はなんとかできるだろう。
問題は、床下の水路を通って奇襲してくる鉄火マキだが―――
「鬼ごっこなら負けないよー!」
かなりの速度で移動している二人であったが、それを上回る速度で先回りし、グレーチングを外して姿を現した鉄火マキが、二人のどちらかを水路へ引き摺り下ろすべく、グッと腕を広げて待ち構えてきた。
だが、ここで鉄火マキは選択を間違えた。先程までのように多対一のような状況ならまだしも、一対二……それも遠距離攻撃に長けている二名を相手に回すという状況に出るのは、余りにも悪手だ。
「焦凍!」
「あららっ?」
突如として、鉄火マキの体を襲う浮遊感。
それが熾念の念動力によるものであることは、言うまでもないだろう。
下半身がマグロの尾のようになっている鉄火マキ。水中では無類の突進速度を誇る彼女だが、宙に浮かべられたら無力に等しい状態だ。
そこへ轟が横を通り過ぎれば、一瞬にして彼の氷結で冷凍マグロの出来上がりである。
「ぐぇっ!?」
「一丁上がりだ」
氷結で体を氷に覆われた鉄火マキは動くこともままならず、そのまま水路へと水飛沫を上げて落水する。
何も処置をしないなら、体が壊死してしまうことだろうが、水中に居るのならば勝手に解凍するだろう。
「Toot♪ よっ、大将! 流石な手際!」
「……ふざけてねえで、さっさと他のヒーローんトコと合流するぞ。偶然おまえとは合流できたが、ここがどこなのかはまだ分かってねえんだからな」
「だよなっ。ま、こういう迷路ん所は道の右に沿って進むのが定石さ。いや、待てよ……焦凍が助け呼べば、案外エンデヴァー来てくれるんじゃないか?」
「……なんでそういう発想に至った」
「昔のロボットアニメ的なノリでさ」
「来たら苦労しねえ。って言うか、来たらそれはそれで怖ぇ」
「『焦凍ォ―――!!』って来るぜ、多分」
「……話戻すぞ」
「Yeah」
十数分ぶりの対面にテンションアゲアゲだった熾念であったが、轟の有無も言わさぬ威圧感に、一度その軽口を止められてしまうこととなった。敵地の中であるにも拘わらず、ペチャクチャ喋っているのだから、自業自得と言えば自業自得である。
「情報を整理する。現在地不明。ただ、敵陣の中に居るのは確かだ。無線は試したが繋がらねえ。恐らく、ここが地下なんだからだろうな」
「Huh? なんで地下だって分かるんだ?」
「窓が一つも見当たらねえ。まあ、判断材料はそんぐらいしかねえが、大方合ってるハズだ」
「ほー。じゃ、案外ここも水族館の真下って可能性も無きにしも非ずって訳―――」
互いに持ち合わせた情報を元に推察を口にしていたが、突如として熾念の言葉を遮る形で、通路の奥から戦闘音と思しき轟音が響いてきた。
追手は依然として二人の後ろに居るハズ。
となれば、前方から聞こえてくる音は、追手以外の者達が奏でているものと見て間違いはない。
例えば、ここに屯する敵とヒーローが激突しているのでは。
「……聞こえたか?」
「Yeah。とりあえず、行って見てみることには始まらないなっ!」
一筋の光明が見えた二人は、フッと口元を緩ませて、一層駆ける速度を速める。
味方が居るという確証はない。寧ろ、予想だにしない数の敵が屯しているかもしれない。しかし、動かなければ事は始まらないこともまた事実。
そして何より、今は一人ではない。
一人では進むことすら億劫に思えてしまう状況下でも、仲間と一緒であれば、互いに肩を貸し、背中を押し合うようにして進んでいくことが出来るのだ。
投げ遣り?
行き当たりばったり?
無鉄砲?
否。仲間の力を信じ、五里霧中な現状を打破しようと行動を起こそうとするのは、“無謀”ではなく“勇気”だ。
“勇気”を胸に抱く二人は、全力で今を駆け抜けていく。
全ては、ヒーローとして救けに行かんが為に。
☮
時は同じくして、とある広い空間。
部屋の中央を境に相対すのは、自然界を思わせる面々だ。各々が弱肉強食の世界での闘争を勝ち残らんと放つ闘志は、地下の湿った空気を一瞬にして乾かし、張り詰めさせていく。
片や並び立つは、兎と獅子、蛇、象、犀の五体。
片や並び立つは、熊と白虎、馬、道化師、虚ろな瞳を浮かべる傀儡にされた少女の五体。
既に戦闘は始まっているのか、辺りには血が点々と床に描かれている。さらに言えば、傷を負っているのは兎を首領とする者達だ。
浅い傷から深い傷まで、体に痛々しく残る裂傷や痣は、常人からしてみれば見るのも憚れる様。
しかし、尚も闘争の炎を瞳に宿す兎は、下衆な瞳を浮かべる熊を睨む。
「退け、クマ」
「やってみろ、ウサギが」
刹那、両者の拳が激突する。
ここでまた、譲れない戦いの火蓋が再び切られるのだった。