突如として、水族館を襲った爆発。
それはヒーロー達が攻め込むと予想し、キュレーターが仕掛けた罠であった。
多かれ少なかれ、ヒーロー達は逮捕すべき目標であるキュレーターを捕らえるべく、水族館内に侵入してくる。それは、例え頭の冴えていない者であっても、容易に想像がつくことだ。
だからこそ、キュレーターは爆破という罠を仕掛けた。
爆破に用いたのは、誰かの“個性”による産物という訳ではなく、海外から買い寄せた爆弾だ。
シンプルだが、それなりに強力な代物。それらを館内の至る所に設置し、まんまとヒーロー達が館内を歩き回っている所を狙い、起爆した。
威力は、火を見るよりも明らか。
粉々にはじけ飛んだガラス。
煤けた外壁。
元々寂れていた水族館であったが、爆破後に至ってはいつ崩壊してもおかしくないほどに、ボロボロに変貌してしまっていた。
これで、館内に居たヒーロー達には少なからずダメージは入る。例え、百戦錬磨のトップヒーロー達だとしてもだ。
この一手で、ヒーロー側にはかなりの損害を与えることが出来た。
流れは次第に敵側へと傾き始めている。
そして、まずその手始めとして、控えさせていた戦力が黒霧のワープゲートを潜り、地上包囲班の前へと姿を現すのであった。
☮
「くッ……元々こういう段取りだったのか!」
「愚痴を言ってる場合か! いや、待てよ……? 出てきた奴ら……もしかして―――」
大規模の爆破に続き、巣穴から這い出て来る黒蟻の如く現れる敵に、どよめきが奔る正面出入り口前。
しかし、困惑する者達の中、一人の警官が出てきた敵―――否、ヒーローの姿に心当たりがあったのか、これまた困惑した表情を浮かべる。
「ゆ、行方不明になってたヒーローじゃないか?」
「なんだと!? だったら、なんで敵側に付いているんだ!」
そう、現れた敵の中には、ここ一か月の間に行方不明となったヒーロー達の姿が在ったのだ。
本来であれば、死亡しているやもしれない者達の生存を確認し喜びたいところであるのだが、現在の状況がそれを許さないことは、言うまでもないだろう。
虚ろな瞳を浮かべ、覚束ない足取りでヒーローと警官らの下へ歩み寄っていく。
どこぞのB級ホラー映画の如く、正気を失っているかのような彼らの様子に、正気を保っている者達はゴクリと生唾を飲んだ。
すると次の瞬間、敵の群れに中に居た者の一人がみるみるうちに巨大化していくではないか。
寝ぼけたような細い目を浮かべ、山のように肥大化していくその体。
「か、彼女は元Team IDATENの相棒エニグマか!?」
「マズい! あの巨体は……!!」
伸縮自在な体を自由自在に操ることができるヒーロー『エニグマ』。飯田の兄、インゲニウムが経営する事務所に所属していた相棒の一人だ。
風船のように膨らむ体は、それこそ六階建てのビルを易々超える程に肥大化させることができる。
ボケッとした顔とは裏腹に、依然として膨らみ続ける体は脅威以外の何物でもなく、地上包囲班の者達を威圧していく。
しかし、そんな中でも只一人動くヒーローが居た。
「でやぁっ!!!」
キャニオンカノン!!
地上に立つ者達に影がかかったかと思えば、Mt.レディがその巨体を生かしての大迫力ドロップキックをエニグマにヒットさせた。
空気が唸る程の巨体のダイナミックな動き。
加えて、吹き飛ばされて地面に叩きつけられるエニグマの体と、華麗な着地を決めてみせるMt.レディによって、周囲には地震と間違えてしまいそうになるほどの激震が奔った。
仕方無いとは言えど、今にも崩れそうな建物の前で行う攻撃のようには思えない。
吹き荒れる旋風と砂煙に唖然とするヒーローと警官らであったが、一人下したMt.レディは至って真剣な表情を浮かべ、味方へ顔を向けた。
「キュレーターとか何とかの味方に付いてるとしても、洗脳されてるとしても、今は暫定敵認定! 現場は一瞬の迷いが命取り! はい、さっさと制圧するわよっ!!」
『私はそれで痛い目を……』と最後に付け足すように呟くMt.レディ。どこか憤慨の色を滲ませる彼女の熱に当てられ、茫然と佇まっていた地上包囲班は即座に動き出す。
現時点では、敵側に付いていると思しきヒーロー達は、任意なのか洗脳されているのかは判断できない。
しかし、本来は社会の平和を担う使者とも言うべきヒーロー達だとしても、作戦の妨害に出るというのであれば、早急に制圧せねばならないだろう。
地上包囲班の役目は、迎撃若しくは逃走を図る敵を制圧・逮捕すること。
ならば、その使命を全うすることに全力を尽くさねば。
(信じて待つのもヒーローに大切な事……そうだよな?)
虚ろな眼差しを浮かべる敵の踵落としをいなし、反撃の裏拳を叩き込む拳藤は、黒煙が収まらない建物を一瞥するのであった。
☮
(Holy shit! まんまと分断されたな……! 二度目だってのにな)
視界が暗黒に覆われる中、熾念は自身に呆れるようにため息を吐いていた。
黒霧の“個性”によって分断されるのは、USJ襲撃と合わせて二回目。敵側が作り上げた状況の中で、防ぐことがほぼ不可能と判断される奇襲でもあったが、やはり嵌められるのは面白くない。
(Huh! どうせ出会い頭にドンパチするつもりだろうな……だったら!)
次第に薄れていく靄。
記憶が正しければ、もうすぐワープゲートから解放されて、転移された場所に放り出されるハズである。
少ない情報を頼りに、せめてもの抵抗手段を頭から捻り出す熾念は、潮が引くかのように開けていく視界を前に、己の体へ念動力を働かせた。
「っとォ! ……なんだ此処?」
一瞬重力に引かれる感覚を覚えたが、出る直前に浮遊するべく身構えていた為、真っ逆さまに落ちると言った事態にはならずに済んだ。
そのまま肉眼とバイザーに映し出される映像を頼りに、周囲の状況の把握に努める熾念。
僅かな電灯だけが光源の空間に放り出された瞬間から、必要以上に鼓膜を揺るがす音源となっているのは、天井から滝のように流れ落ちている水―――否、海水だろうか?
どちらにせよ、流れ落ちる透明な液体は、窓が一つもない無機質なテニスコート三面分程の空間にどんどん溜まっていっている。壁も天井も、頑丈そうな鉄製だ。天井までの高さは二十メートル程だろうか。水の勢いを見ると、あと十分程度で空間は水に満たされてしまうことだろう。
「ヤダ、ナニコレ。この探偵アニメによくありそうな
誰に聞かせる訳でもない物悲しい呟きは、すぐ近くで轟いている水流の音に掻き消される。
刻一刻と窒息&溺死の危機が迫る密室空間。
なんとなしに謎を解かなければならない責任感が胸の内にこみあげるが、今はそのような暇はない。そもそも謎がない。いや、『現在地がどこなのか?』という謎はあるが、最優先事項はこの場からの脱出だ。
―――一先ず、天井付近まで浮上しよう。
そう考えた熾念であったが、実際に彼が向かったのは天井などではなく、荒々しく水面が荒れ狂う水中だった。
「!? がぼっ……!」
驚く間もなく水中へ引きずり込まれた熾念は、困惑した様子で、異様な圧迫感に苛まれる右足に目を遣る。
一見、何も絡まっていないように見える右足。
しかし、よく目を凝らして注視すると、ズボンが透明な物体に締め付けられているではないか。
「ん゛んっ……!!」
力尽くで、脚を締め付ける物体を引き剥がそうと試みる。
数秒、手に力を込めるものの引き剥がれないのを認めれば、次は念動力での脱出を図った。
「ぶ……?」
しかし、この時熾念は初めて気が付いたことがあった。
彼を象徴する“個性”である『念動力』は、遮蔽物があると極端に威力が減衰してしまうこと。それ自体は既に把握していたが……
(Shit!! 水もダメだったか……!!)
透明と言えど、水もまた立派な遮蔽物だ。
地上の視界が明瞭な場所で発動するときよりも、幾分か力の衰えた念動力では、脚を締め付ける物体を引き剥がすには至らなかった。
次第に息を止めていられる時間もなくなって来たことに焦り始める熾念であったが、本当の悪夢はここから。
次第に脚を締め付ける力が強まっていく。
ただでさえ引き剥がせないというのに、これでは尚更脱出は困難を極めることになってしまう。
「もがっ……!!」
「そそそ、そう暴れてくれるれるな……」
「っ!!?」
必死に足掻く熾念。そんな彼の耳元で、確かに何者かが呟いた。
すぐ近くで高所から水が流れ込む音が轟いているのに、これほどまでにハッキリと聞こえるということは、相手の居場所は自分のすぐ近く。
ほぼ反射的に熾念が振り返れば、彼の眼前にはギョロリと目を引ん剝くタコ男が居た。
(こんな近くに……!? 一体どこに……)
「おお驚いてるな……知らないならら教えてやるよ。タタタ、タコはぎぎ擬態ができるんだぜ……?」
たどたどしい口調で囁いてくるタコ男。十中八九、キュレーターに与する敵の一人だろうが、彼の言葉に熾念はハッとした。
タコは海の忍者と呼ばれる程に身を隠すことが上手い。それは偏に、タコに高度な擬態能力が備わっているからだ。
その能力を鑑みるに、このタコ男は熾念が連れてこられる瞬間より前から、密室空間に身を隠して居たのだろう。
こんな事なら、もっと高度を高く維持すべきだった。
だが、そんな後悔も最早遅い。タコ男は熾念を確実に溺れさせるべく、残りの指の触手も体に絡ませ、雁字搦めに縛り上げていく。
その間も抵抗を試みる熾念であったが、筋肉の塊とすら呼ばれるタコの触手を振りほどけるハズもなく、為されるがままに縛り上げられてしまった。
「へ、へへへ……ああ後はちちちょっと噛むだけだだ……」
「もがっ!!?」
「おおお俺もこんなガキじゃなくて、美人を襲いたいんだが、しし仕事だかららな……悪く思うななよ……?」
どうやら、思春期真っ盛りで青春謳歌中の男子高校生へ噛みつこうとしている様子のタコ男。
それは無論、彼が男色という訳ではなく、彼の“個性”が理由であることは上記の発言からご理解頂けるだろう。
デビルフィッシュ:個性『蛸』
蛸っぽいことなら大抵できる! 触手のようにうねる腕を自在に操ることは勿論、隅を吐いたり、毒性の唾液を分泌することもできるぞ!!
すぼんでいた口が大きく開き、黒い嘴のような鋭く尖った歯―――所謂カラストンビを露わにし、熾念へ噛みつこうと顔を近寄せるデビルフィッシュ。
彼が分泌する唾液には神経毒が含まれており、体内に入れば激痛や麻痺を引き起こす。
幸い、ヒョウモンダコのような死に至らしめる毒こそ分泌できないが、一対一での戦闘においては余りあるほどの効力を発揮する効果だ。
後に続く作戦を滞りのないモノにするべく、デビルフィッシュはニヤニヤとほくそ笑みながら、熾念の首元へ歯を―――。
「
「あ?」
「
「ぎ、ぎゃあああ!!? ああ熱ぁつああ、あ゛……!!?」
しかし彼の目論見は、突如として熾念の身体からシアン色の光と共に噴き出した熱により、失敗に終わった。
窒息寸前、尚且つ得体の知れないタコ男に口付けされると思った熾念は、土壇場で『SUPER NOVA MODE』を発動させたのだ。
それに伴い、彼の体から発せられた熱を間近で受けたデビルフィッシュは、半ば反射的に拘束を緩めてしまい、熾念の脱出を許してしまった。
拘束が緩むや否や、全速力で水面へ向かって浮上する熾念。
数秒後には、巨大な水柱を上げ、水の尾を引きながら空中に飛び出すことに成功し、一分以上味わえなかった空気の味を堪能する。
「ぶはーッ!! はーッ……はーッ……Huh!! 絶世の美女の人魚姫なら兎も角、タコ野郎にキスマーク付けられるのは御免さっ! お生憎様、そっちの気はないんでね」
「てて、てめぇ……よくもおお俺の体を……茹蛸にななるところだたぞッ……!!」
「Toot♪ いいじゃないか、茹蛸。嫌いじゃないぜ。でも、個人的にはたこ焼きの方が好きだな、HAHA! 皆とシェアできるしなっ!」
「こ、このガキ……い言わせておけば……!!」
ここぞとばかりに煽り倒す熾念。彼に対して怒りを露わにするデビルフィッシュは、怒りを体現するように全身を紅蓮に染め上げてみせる。
しかし、紅蓮になったのもつかの間、デビルフィッシュの体は部屋を満たす水に同化するように、再び無色透明へと変色していく。
(早速擬態したか……tsk!)
地上ならまだしも、こうも水面が波打つ場所で擬態されれば、発見するのは至難の業だ。
着けているバイザーに、サーモグラフィー機能が備わっていればマシであっただろうに……などとため息を吐く熾念であったが、今の段階でもかなりハイテクなバイザーに、これ以上の機能を求めるのは欲しがり過ぎかもしれない。
(さてと……どこから来るかなっ?)
バイザーの話題はさておき、熾念は意識を水面へ向ける。
部屋に水が満ちるタイムリミットもそうだが、意図的に個性因子をブーストさせているに等しい『SUPER NOVA MODE』も、長くは続かないのだ。
しかも、解除後は使用した時間と同じ時を、無個性に等しい状態で過ごさねばならない。
倒すのに長く時間を掛け過ぎても詰みだが、時間を気にする余り仕留め損ね、反撃を喰らっても詰みだ。
悶々と思案する間にも、熾念は壁際に移動し、ノックするかのように鉄製の壁を叩く。
(……All right。向こうにゃ空洞があるな)
ドンドンと鈍い音ではなく、ゴゥンと暫し間延びするかのように振動する壁。
そこまで索敵に長けている熾念ではないが、壁の向かい側に空間があるかどうか判別する程度、ヒーロー見習いであっても訳はない。
重大な事実を発見した熾念は、次にどのような行動を起こすべきか思案する。
導き出した答えは、
「この状態が切れてもGame Over。部屋に水がタップタプに溜まってもGame Over。なら、こう言う時は逃げるが勝ちってね、HAHA!
―――戦略的撤退だ。
直接的な逃げ道は用意されていない。
ならば、作ってしまえばいいではないか。
そう言わんばかりに溌剌とした笑い声を上げる熾念は、煌々とシアン色の炎が灯る掌を鉄製の壁に翳す。
常人であれば、道具も無しに鉄製の壁をどうにかすることなど不可能だ。
だが、今ここに居る少年は無辜の民を救わんと戦う者の一人だ。
そして、現にソレができるからこそ、行動を起こそうとしている。
「さささ、させるかぁっ……!!」
ブラフの可能性も勿論ある。
それでも、打開される可能性が一かけらでもあるのならば、摘まねばなるまい―――一種の強迫観念によって身を潜めていたデビルフィッシュは、気を自分の方に引かせようと声を荒げた。
次の瞬間、先程とは比べ物にならないほど巨大になった触手が、熾念へ向かって襲い掛かる。
異様に肥大化した触手。
まだ実戦経験に乏しい熾念であっても、原因が個性因子誘発物質を含む薬物を摂取したからであろうとは、即座に予想が付いた。
そして、自分が何かアクションを起こそうとすれば、未然に防ごうとする相手が動くことも予想していたのだ。
「タコの~~~!!」
襲い掛かる触腕を紙一重で躱し、そのまま水面から飛び出している部分に念動力を働かせる熾念。
―――水中でなく、こうして空中へ向かって伸びているならば話は別。
水中で触手を引き剥がさんとしていた時とは比較にならない力が、触手を拘束する。
ガッチリと念動力に捕まってしまった触手は、最早引くことも押すことも許されない状態に陥っていた。
そんな触腕を、熾念は気合いの一声と共に勢い良く宙へ引っ張り上げる。
「一本釣りィッ!! ……Huh?」
釣りあげたのは、不自然に綺麗な断面を見せる触手。
本体であるデビルフィッシュの体は無く、まるで囮であるかのように、腕だけが引き上げられたのだ。
「まま、まんまと引っかかかりやがった……!」
怪訝な顔を浮かべる熾念。そんな彼の背後から、得意げな声が聞こえてくる。
すぐさま振り返れば、そこには触手の吸盤で壁に張り付くようにして登り、自切した触手を瞬時に再生するデビルフィッシュが佇んでいた。
その再生の速さは、USJ襲撃の際にやって来た脳無を思い出させる。
タコには自切―――自らの触手を切り離す能力が備わっており、同時に再生する能力も備わっているのだ。
しかし、自然界に住むタコはあれほどの速さで再生などしない。デビルフィッシュの異様な再生の速さは、トリガーを服用したことによる“個性”ブーストの結果なのだろう。
「けけっ、これでも喰らえェッ……!」
トリガー服用による精神が高揚しているデビルフィッシュは、再生した触手を早速攻撃に用いる。
シンリンカムイの『先制必縛ウルシ鎖牢』のように、四方八方へ伸びる触手は、宙へ浮かぶ熾念へ襲い掛かる。
更には、器用に触手の間からタコ墨狙撃をしてくるではないか。
消防車のホースから放たれていると錯覚してしまうほどの漆黒の激流と、視界を防ぐように暴れ狂う巨大な触手による乱撃。
(こりゃ、一発も喰らえないなっ!)
時折、外れた触手が壁に激突するが、触手が離れた部位には生々しい凹みが出来上がっている。
鉄製の壁さえも凹ませるほどの威力。人間が喰らえば骨の一本や二本、軽く折れてしまうことだろう。
しかも、幾度となく発射されるタコ墨により、辛うじて透明であった水も黒く濁ってしまっている。もし水中へ落下すれば、不明瞭な視界の中、そのままデビルフィッシュの凶刃に掛かってしまうハズだ。
(Huh? いや、待てよ……そうかっ!)
―――発想の転換。
自分から見えないということは、相手からも見えないのではないか。
(使えそうなの……あるなっ♪)
一つ打開策が浮かぶや否や、頭はどんどん冴えわたっていく。
タコ墨によって濁った水。
そして、相手が囮として使い、自ら切り離した……
「どっ、どこ見てるるんだ……!」
「わぁっ!」
思案する熾念へ、叩きつけられるように振り下された触手。
次の瞬間、熾念は悲鳴を上げ、巨大な水飛沫を上げる勢いで水中へ呑み込まれていった。
「……? いい今の当たったか? まっ、まあいいや……」
手応えのなさを覚えるデビルフィッシュ。しかし、トリガーによって気分が高揚している彼にとって、それは些細な事だ。
水中こそ、自分のテリトリー。
今度こそ、あの学生を仕留めんと、デビルフィッシュは水中へ飛び込もうと身構えた。
だがその時、一つの影が水面から天井を衝かん勢いで飛び出してくる。
「っ!!」
飛び出してきた物体は、デビルフィッシュが即座に向かわせた触手によって、反対側の壁へ押し付けられた。
そして、デビルフィッシュは驚愕の色を顔に浮かべる。
―――てっきり、今叩き落した学生かと思った。
―――性懲りもなく、また嬲られに来たのかと思った。
―――だが、今しがた自分が捕らえた物体は、反吐が出るような目出度い思考回路をする子供などではない。
「ここっ、これは……おお
「―――
刹那、この場の全てを眩い蒼い閃光が包んでいく。
網膜が焼き切れんと錯覚してしまいそうな眩い光であったが、デビルフィッシュは明るさなどよりも、一瞬にして全身へ奔る激痛と熱に、その意識を落とすこととなった。
自らに囮として使った物体を、そのまま相手に囮として用いられたことに、まんまと嵌められたという屈辱感を覚えながら。
一方で、勝利を掴んだ少年が高らかにVサインを掲げていたのは、デビルフィッシュの目に入ることなかった。
☮
同時刻、熾念と同じく黒霧によって見知らぬ場所へ飛ばされた轟はと言うと、
「
「ちっ……!」
風を切る勢いでの刺突を、顔を傾けることで辛うじて回避する。
螺旋の溝が彫られているレイピア―――否、長い歯を武器とする相手は、軽やかな身のこなしで、轟との距離を一定に保つ。
フェンシング選手の如きステップ。
幼い頃から鍛えている轟の身体能力を以てしても、洗練された動きを見切ることは簡単ではない。
轟たちが居たのは、これまた鉄製の壁や天井、床に包まれる無機質な空間であった。
移動の為だけに作られたような狭さは、否応なしに場に窮屈感をもたらす。目の前に敵がいれば尚更だ。
(どうにかして隙を……!!)
歯を食い縛り、何とか相手の隙を作れないかと思考を巡らせる轟であったが、絶え間ない相手の怒涛の連撃に、真面に思案することさえできない。
クリンと丸い頭部。なめしたかのように艶やかな黒い皮膚。つぶらな黒い瞳。鼻の部分には、断面が露わになっている“歯”の名残があるなど、中々面白い顔をしている。
だが、反面実力は本物だ。
(炎熱出しても―――)
「ふっ!!」
左腕から放った炎熱が、振るわれた歯のサーベルによって薙ぎ払われる。
(氷結出しても―――)
「むんっ!!」
今度は、右足から氷結を走らせた轟であったが、直後に敵の頭部からクリック音が通路に響きわたり、爬行する氷塊がバラバラに砕かれる。
(これだ。出来ることなら、最大出力の氷結で通路ごと凍らすのが無難だろうが、そのデカいのを出す隙がねえ……! かと言って、長物持ってる手練れ相手に、無策に肉迫するのは死にに行くようなモンだ……)
「その程度か、ヒーローよ!」
「っ……?」
突然大声を上げる敵に、『なんだコイツ?』と言わんばかりの怪訝な表情を浮かべる轟。
それもそうだ。こうして話しかけている間にも、相手は武器を振るっているのだから。
「ヒーローとは、命を懸けて正義を執行・敢行する者! 一方で敵と呼ばれる者達は、己の正義を、言わば悪を為す者のこと! 悪という文字は、“心の次位”を意味する!」
「くっ……はぁっ……!?」
「では、“心”とは一体なんだ!? 私は、“心”を“誇り”と考えている!!」
「それがっ……なんだって?」
絶え間ない攻撃の応酬の中でも、辛うじて言葉を交わす二人。
「私の誇りは、この歯の剣と
「犯罪者がよく言うな……!」
「全ては、己が利益が為に働くヒーロー紛いによる、ヒーロー社会の堕落が原因だっ!」
「づッ!?」
渾身の刺突が、轟の頬を抉る。掠ったのではなく、抉ったのだ。
皮膚下に潜り込むかのような鋭い刃の侵入。しかし、轟も持ち前の反射神経で頭を反らし、顔の肉を持っていかれるまでの傷を負うまでには至らなかった。
それでも、深々と傷が刻まれた頬からは、とめどなく血が溢れている。
しかし、そのような轟が苦々しい表情を浮かべるのは、自分が負った傷が理由ではない。
「……おまえ、もしかしてヒーロー殺しの信者か?」
「氏の意見には、私も大いに感銘を受けた!」
轟の問いに対し、肯定の意を示す敵は、歯のサーベルを振るって刃についた血を払う。
「だが、私が今この場で剣を振るうのは、氏の意見を受けて贋物を正さんとしているからではない! 全ては私の意志! 私の誇りが為だ!」
「……タチが悪ィな」
「なんとでも言うがいい! さぁ、私は自分の誇りを明言した。次は君が自分の正義を述べる番だ!」
「……言うと思うか?」
「なんと! 実に横柄! これがヒーロー社会の実態か……ならばっ!」
流れるような動きで、サーベルを自身の胸の前に構える敵は、鋭い眼光を轟に向ける。
まん丸とつぶらな瞳であるのに、放たれる威圧感は確かなものだ。思想犯が瞳に宿すソレと同じ。
「私が、
敵名『ナワール』―――本名『
ナワール:個性『イッカク』
イッカクっぽいことなら大抵できる! 角のように鋭く伸びる歯を武器にすることや、超音波攻撃を繰り出せる!!
「……有難……迷惑だっ!」
そんな相手に対し、轟は右腕に即席の氷の盾を生み出す。刺突攻撃をいなす為だ。
「成程。私の剣を、その盾で受け止めようと言うのか! 面白い! 私の“誇り”を防げるというのならば、やって見せるがいい!」
「―――っ!!」
漢の決闘。不本意に始まった形だが、片やヒーロー、片や敵。これ以上、ぶつかり合うのに理由は必要ない。
戦いの火蓋は、どこぞと知れぬ通路の中で切られるのであった。
☮
同時刻。
とある階層、そこの天井で何度も衝突音が鳴り響く。何度も何度も鳴り響く音と共に、天井の埃がパラパラと舞い降りる。
そして次の瞬間、ゆらりゆらりと落ちていく埃を押しのける形で、天井が凄まじい勢いで落下した。
―――数人のヒーローと共に。
「お、なんじゃ!
他の者達が落下の衝撃で身悶える中、一人あっけらかんとしたウサギヒーローが、辺りを見渡してそう言い放つのであった。