「「パイスライダー?」」
「現場に居合わせた人のことだよ。授業でやったでしょ」
「一般市民を指す意味でも使われますわ」
二次試験―――バイスタンダーとなり、救助演習を行うという内容。
その『バイスタンダー』という単語を『パイスライダー』と聞き間違えた峰田と上鳴に、葉隠と八百万が丁寧に訂正をする。
明らかに煩悩がある故の聞き間違い。
しかし、やけに頭の残る響きに、自然と耳郎と八百万を順に見てしまう熾念。
すると、彼の視線に気が付いた耳郎が、キッと眼光を鋭くさせて熾念を睨んだ。彼女の腕は何故か、自分の胸元を隠すように組まれている。
つまりはそういうことだ。スラッシュできるか否かである。
「この前の仕返しか! うっかり漏らしたことに対する仕返しかァ!?」
「Huh? なんのこと?」
「人が気にしてるトコ見比べやがってェ!!」
黄色い声を上げる耳郎に、熾念は思わずタジタジだ。ほとんど耳郎の被害妄想であったが、如何せん見た順番がイケなかった。あの豊満な双丘と比べれば、自分のささやかな上り坂など無いに等しい。言ってしまえば平原だ。
と、緊迫した空気が緩んでいる間にも、モニターによる説明は続く。
『ここでは一般市民としてではなく、仮免許を取得した者として、どれだけ適切な救助を行えるか試させて頂きます』
「む……人がいる」
「え……あァ!?」
「あァア!? 老人に子ども!? 危ねえ、何やってんだ!?」
モニターに映る破壊された街並みの中、老若男女問わない多くの者達が、ノソノソと歩いている。今に崩れてもおかしくはない建物の合間を自分から向かうなど、並みの神経では考えられない行動だ。
しかし、“仕事”であれば話は別。
『彼らはあらゆる訓練において、今引っ張りダコの要救助者のプロ!! 『HELP・US・COMPANY』、略して『HUC』の皆さんです』
「色んなお仕事あるんだな……!」
「ヒーロー人気のこの現代に則した仕事だ」
人を救ける仕事がヒーローであるならば、そんなヒーローを育てる為に救けられるのが、彼らHUCの仕事という訳だ。
血糊片手に、せっせと持ち場に付いて行く彼らを眺めていると、まだまだ世界は広いと感じざるを得ない。
『傷病者に扮した『HUC』がフィールド全域にスタンバイ中。皆さんには、これから彼らの救出を行ってもらいます。尚、今回は皆さんの救助活動をポイントで採点していき、演習終了後に基準値を超えていれば合格とします。10分後に始めますので、トイレなど済ましといて下さいねー……』
最後の最後に倦怠感を隠さない説明にも慣れ慣れだ。特に呆れた様子も見せず、一時の休憩でラストに備え始める面々。
すると、途中で士傑高校を率いるような佇まいの全身毛人間―――『
「雄英とは良い関係を築き上げていきたい。すまなかったね。それでは」
「おい、坊主の奴」
毛原を先頭に、去って行こうとする士傑であったが、そこへ轟が止めに入った。
呼び止めたのは夜嵐だ。会った士傑生の中でも、特にインパクトが強い相手に一体轟がどのような用があるのだろうか。近くに居た熾念たちは、怪訝な顔をして轟らに目を遣る。
「俺、なんかしたか?」
「……ほホゥ。いやァ、申し訳ないっスけど……エンデヴァーの息子さん、俺はあんたらが嫌いだ。あの時よりいくらか雰囲気変わったみたいスけど、あんたの目はエンデヴァーと同じっス」
ドロリ、と滲み出す嫌悪感を隠さない夜嵐。どうやら轟は、自分が何かしてしまったかと気になり声をかけたようだったのだが、そう話は簡単なモノではなさそうだ。
毛原が口にした言葉とは真逆―――明確な敵対の意思を見せる夜嵐に、思わず轟の目も鋭くなる。
「夜嵐、どうした」
「何でもないっス!!」
一触即発と言わんばかりの空気が漂っていたが、不審がった毛原に呼ばれ、夜嵐は元の熱血風の雰囲気を取り戻し、さっさと轟の前から去っていく。こころなしか、轟から早く離れたいと言わんばかりの気持ちさえ窺えそうな足取りの速さだ。
不穏な空気に緑谷と熾念も心配し、颯爽と轟に駆け寄る。
「轟くん……?」
「焦凍。あの熱血士傑Boyとなんかあったのか?」
「いや……心当たりがねぇ」
困惑と苛立ち。
複雑な感情が入り乱れる轟は、試験前だというのに如何せん気が立ってしまっている。こんな轟は体育祭以来だ。
「Hmmm……じゃ、悩んでても仕方ないなっ! それよりその怖い顔はもうダメダメ! これから救けに行くって時に、オールマイトだったらそんな顔するか?」
こりゃイカン、と考える熾念は、ムッっと表情を強張らせる轟の頬に、ピースした指を当て無理やり笑顔を作る。
更には、深々と皺が刻んでいる眉間も念動力で押し広げたため、轟の顔は内心に抱く感情とは裏腹に、かなり間抜けな面構えとなってしまった。夏祭りの轟サンタ以来の変顔に、心配して駆け寄った緑谷も思わず吹き出しそうになるが、なんとか寸前で堪える。
ムニーッと取り繕わされた顔で暫し思案する轟。
その間も、延々と熾念はニコニコと笑顔を浮かべる。
「……それもそうだな。まずは、試験合格すること考えねえとな」
「Yeah! 汝、愛を持って接しなさい。さすれば、相手の貴方の気持ちは伝わるでしょう……ってなッ!」
「……なんだソレ」
「B組の茨ちゃんの受け売り」
「そうか。意味はよく分からねえな」
「よーするに、嫌ァ~な感じの相手にも親切にってことさっ!」
「……そうか」
溌剌な熾念との会話で大分苛立ちが収まったのか、無理に引き延ばされていた眉間に入れる力も弱まる。
B組に居る慈愛の使徒・塩崎の言葉は、鈍そうな轟にも一応の効果を発揮したようだ。だが実際は、熾念が直接塩崎に言われたのではない。物間との触れ合い方を如何にするかという問題で、B組委員長の拳藤が、塩崎の言葉をA組に広めてくれるよう熾念に頼んだだけなのだ。
あの全自動煽りマシーンである物間に、どれだけ親切心を持って接することができるかは分からないが、普通に生活していく上では十分タメになる言葉だろう。
聞かされた際、『いい言葉だなー』と思う熾念ではあったが、現在に至るまでその教えは一切A組に広まっていない。彼が、このことをギルティチョップ案件と気づくのはもう少し後だった。制裁は学校に帰った後……。
それは兎も角、二次試験はまだかまだかと待ちかねる受験者たちは、短いような長いような時間を過ごす。
すると、突如としてけたたましい警報音が控室に鳴り響いた。
『
「演習の
「え!? じゃあ……」
「始まりね」
警報音と共に聞こえてくるアナウンスに、蛙吹はそれが何の意味を示しているのかと代弁する。
そしてまたもや控室は、荒廃したフィールドを受験者に見せつけるように、部屋の壁と天井を開き始めた。生で見れば分かる凄惨さ。依然として漂う火薬のにおいが、生理的な嫌悪感を受験者へ与える。
『道路の損壊が激しく、救急先着隊の到着に著しい遅れ! 到着するまでの間、その場にいるヒーロー達が指揮をとり行う。一人でも多くの命を救い出すこと!!!』
『START!』と救助の火蓋が切って落とされた瞬間、受験者は颯爽と現場へ走って赴いていく。
二次試験は一次試験と違い、採点方式。しかし、採点の基準は結局明かされてはいない。
加点方式か、はたまた減点方式か。合格の基準値は何点なのか。考えても答えの出ない悩みが脳裏を過るが、結局は―――
「全力でやるだけさっ!!」
爆破で豪快に飛ぶ爆豪の横を、念動力で滑らかに飛翔する熾念が、上空から傷病者の捜索に向かう。これだけの破壊された街並みの中、平面的にしか動けない者達に比べ、空から俯瞰的に眺めることのできる飛行能力を有す者は重宝される。
熾念もそれを理解してか、移動能力の速さも生かしてフィールドの奥の方へ向かっていく。場所的には、岩場やビル群のフィールドの奥にある都市部だ。高速道路を模したと思しき橋もあり、崩れた橋が中々の迫力を醸し出している。
「っとぉ、それよりも……ッ!」
早速傷病者と思しき老婆を見つけ、スッと目の前に舞い降りる熾念。
「おばあちゃん、聞こえるー!? ヒーローが来たからもう安心だっ!」
「うぅ~……」
倒れて呻く老婆に歩み寄り、顔の傍に己の側頭部を近づけ、尚且つ肩をポンポンと叩く熾念。
「お~ば~あ~ちゃ~ん!? だ~い~じょ~う~ぶ~!?」
「ぅ~……」
「……意識なし! でも呼吸と脈は有り! 頭部からの出血も結構ある! トリアージは……Ah……ヤバいけど呼吸有りだから赤かっ! えっ~と、次は……あ、周辺の危険確認忘れてたっ! 確認ついでに瓦礫どかして、応急処置の場所とかの確保っと……」
手探りで一つ一つの作業を行う熾念。そう、救助訓練を受けているとはいえ、彼はまだ1年生。この会場に居る大部分の受験者に比べ、初動といった部分で遅れが生じてしまう。
だが、初動で生じてしまった遅れの分は、他の部分で一秒でも早く迅速な行動をし、取り戻そうと奮闘する。他の受験者が救助に来るよりも前に、早速“個性”で瓦礫をどかし、一時救出場とヘリが下りられる分の場所を確保した。
ヒーローの仕事は、単に被災現場から人を救け出すだけではない。
消防や警察が到着するまでの間、その代わりを務める権限を行使し、スムーズに橋渡しを行えるよう最善を尽くすことも仕事だ。
一つに捉われて動けば、却って人の命を奪いかねない結果に陥ることもある。
作業はできるだけ迅速に、尚且つ効率よく。
そのことを念頭に置き、場所を確保している間にも、ポーチから取り出した簡易医療セットを取り出し、慣れない手つきながらも頭部の止血に勤しんでいた熾念。
彼の顔は真剣そのものだが、尚も笑顔は崩さず、延々と声をかけ続ける。
「おばあちゃん、もう大丈夫だからな~! すぐ救護所に連れてくぞー!」
「ぅ~……」
「もう少しの辛抱だから、俺と一緒に頑張ろうなっ!」
演習試験である為、本当に老婆の役をしている者が意識を失っている訳ではない。
こうして演技をしている間にも、自身の救助に携わっているヒーローの卵の行動を審査しているのだ。
(初動こそ初心者そのものだが、基本になぞろうという点はまあまあ。応急処置も慣れていないように見えるが、その分他で取りもどそうとしている。ふむふむ……)
念動力で飛行し、救護所へ向かっている間は、傷病者の身体に障りそうな揺れがないかなどを審査する。折角処置した人間が、運ばれる途中で怪我が悪化してしまったら本末転倒甚だしい為だ。
しかし、現時点ではそのような兆候は見られない。
繊細な“個性”のコントロールで、インターバルを挟む間の自由落下中も体に与えられる震動は最小限に留められていた。
「ほら、もう救護所見えてきたぞー! 救かるよおばあちゃんっ、HAHA!!」
(よし……意識のない者に対する声かけは十分。生きるか死ぬかの瀬戸際……案外、他人に声をかけられ続けるというのも、生命の灯を手放さない要因にもなり得る。そこに関しては及第点だ。しかし! まだまだ無駄がある! もっと迅速に! 効率よく!!)
意識を失っている設定であるが故に、直接声をかけて指導できないことをもどかしく覚えながらも、熾念の救助について一通り審査した老婆。
救護所へ連れられてからの言動もしっかり確認した後は、預けられる役を担った他の受験者の採点に移る。
(さて、本番はこれからだ。受験者たちよ……)
☮
「君! その坊や見せて!」
「あっ、ハイ! 頭怪我してます。出血多いけど、そんなに深くないです。受け答えはハッキリしてます!」
「……うん! じゃあ、右のスペースに運んで!」
一人のHUCの要救助者を運んできた緑谷は、救護場に居た女性受験者に要救助者を診てもらった後、言われた通りの場所へ向かう。
既に多くの傷病者が運ばれているのを見る辺り、二次試験も折り返し地点に来ているのかもしれない。だが、だからといって油断できる訳はない。寧ろ、今まで以上に迅速に動き、少しでも救助に貢献しなければ……緑谷の頭を、そんな考えが過る。
その時だった。
鼓膜が破れそうなほどの爆音と共に、肌に焼き付けるような熱風が襲い掛かる。腹の奥底に響く震動に続き、フィールドの各所ではまた新たな爆発が巻き起こる。
―――大規模破壊が発生!!
「ハッ! 皆さん! 演習のシナリオ―――……」
「まじか……」
「そういう……」
依然として鳴動する大地。
困惑とどよめきが奔る中、崩れた壁からはゾロゾロと蜘蛛の子のように黒い集団が現れる。
異様なコスチュームを纏う者達の中、ひと際威圧を放って佇む者が、瓦礫を足蹴にし、ギロリと悍ましい眼光を閃かせた。なめされた皮のような質感を持つ黒い肌。首の後ろからっ下すように伸びる背びれ。そして、身に纏うスーツ。紛れもない、あれは№10ヒーローである―――
「サメぇっ!?」
「「いや、ギャングオルカはシャチだから!! はっ……!?」」
頓狂な声で吼えたライオン男・シシドの的外れな言葉に、反射的にツッコミを入れてしまった緑谷ともう一人の少女―――一次試験でシシドと共に緑谷に襲い掛かって来た人物は、驚いた顔で互いを見合う。
「ど、どうも……」
「い、いえ……こちらこそ……」
ペコペコと頭を下げる二人。どこかシンパシーのようなものを覚える二人であったが、切迫した状況の中、いつまでもふざけている訳にもいかない為、すぐさまヒーロー然とした真摯な眼差しを浮かべ、現れた敵へ目を向ける。
『敵が姿を現し追撃を開始! 現場のヒーロー候補生は敵を制圧しつつ、救助を続行して下さい』
空を衝く爆音が響き終わった頃合いを見計らい、アナウンスも入る。
事前に用意されていた明確な“壁”に、受験者の顔も思わず強張る。対敵と救助の並行処理は、プロでも高難度の案件と言われているのだ。それを仮免試験でやらせることが、どれだけ受験者を追いやっているか……オールマイトの引退も含め、今年の試験はかなり力が入れられていることが分かる。
しかも、ギャングオルカ率いる敵たちが現れたのは救護所の目の前。すぐさま戦線を構築しなければ、あっという間に傷病者が襲われる距離だ。
「よっしゃあ!! オレぁあの魚ぶっ殺しに行くぞ、ハナぁ!!」
「いや、待ちなよシシドくん! 完全にノープランでしょ!?」
「あぁ!? 作戦ならあるぜ! 頭ぶっ潰しに行く!!」
「いや、それをノープランって言ってるの!!」
「群れなんざ、頭潰しゃあ勝手に死んでくモンなんだから、サッサと頭の首刈りに行くののナニが悪ィんだよ!」
「ん~、やっ、それもそうなんだけど……ッ!」
どうやらシシドの扱いに困っている『ハナ』と呼ばれた少女。モップ片手に頭を抱え、今も救護場へ向けて奔ってきている敵へどうするべきか、ウンウン唸って考えている。
だが、悩む1年生を置いて、ちょうど救護場に居た真堂が颯爽と前線に出て行った。
「皆を避難させろ! 奥へ! 敵からできるだけ距離をおけ! インターバル一秒程の震動でたたみかける!」
真堂揺:個性『揺らす』
触れたものを揺らす! ただし、揺れの大きさ・速度に応じた余震が体に来て動けなくなる。
一次試験で繰り出した震動よりも小さめの震動を放ち、敵の行く手を阻むように地面へ亀裂を入れた真堂。
見事動きを止めることに成功したものの、余震による一秒ほどのインターバルを挟み、彼は動けなくなってしまう。
そこへスッと肉迫してきた影が一つ。それは他でもない、敵を率いる頭のギャングオルカであった。
たった一秒の隙に詰め寄り、本能的に嫌悪感を覚える音を鳴り響かせ、真堂をものの数秒でダウンさせてしまう。圧倒的な実力だ。№10の名は伊達ではない。
海のギャングである『シャチ』の“個性”を有すギャングオルカは、見る者全てに畏怖を覚えさせる眼光を閃かせ、やれやれと避難する傷病者たちと受験者を睨みつける。
「この実力差で殿が一人……? なめられたものだ……!」
「だァから言ったろ! やっぱし俺がァ……!!」
「待って!!」
渋々傷病者を運んでいたシシドであったが、真堂がやられた光景に嬉々とし始め、背負っていた傷病者を隣の加西に押し付けようとし、敵たちの下へ赴こうとする。
だが、そんな彼の歩みはハナの制止と、ギャングオルカに迫る巨大な氷壁によって止まることとなった。迫る氷壁はギャングオルカの超音波アタックで破砕されてしまったが、彼の足を止めるには充分な攻撃であった。
あれだけの氷結を繰り出されるのは、100人いる受験者の中でも限られている。もしや! と氷壁の発生源に目を遣れば、轟が見慣れた態勢で佇んでいた。
彼の背後には、一足遅れて応援に来たと思しきA組の生徒の姿も窺える。
そして尾白を始めとし、芦戸や常闇など見慣れた面々が、避難を手伝うべく緑谷たちの下へやって来てくれた。
避難を遂行すべき守らなければいけない絶対防衛線は、範囲制圧に長けている轟が担ってくれるようだ。
一安心とホッと息を吐く緑谷であったが、ふと横から感じ取れた不穏な空気に振り返れば、悶々とした感情を隠さないシシドが、ハナの説得を受けながら運搬を続けている。
(よしっ……避難を終えたら、僕も轟くんのところに―――!)
「あのっ! もしかして、後でギャングオルカのトコに行くつもりですか!?」
「え……? あ、はい!」
老人を背負って走る緑谷に並走するハナという少女。彼女もまた子供を背負っているが、中々の足の速さだ。
顔見知りとは言えど、一度は敵対した相手に声をかけられるとは不思議な気分。
しかし、今はこうして共に人命を救ける味方だ。緑谷は素直に受け答え、必死に自分に追走する少女の言葉に耳を傾ける。
「だったら、後でこの……シシドくんって言うんですけど、彼と一緒に行ってください! 一度戦ったから分かると思うんですけど、ケッコー強いです!」
「あ……はい!」
「その、暴走してまんまと返り討ちにされないか、見張っててほしいっていうのもありますけど……」
「えぇ……ッ!?」
「それは兎も角! ギャングオルカと戦うつもりなら、教えといた方がイイと思うことが……ああっ!!?」
「え!? どうしたんですかっ!?」
途端に黄色い声を上げる相手に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまう緑谷。
疑問に満ちた顔を暫し向けていれば、ムムっと唇を硬く結んでいたハナが、神妙な顔で緑谷を見つめる。
「自己紹介……した方がいいかなって……」
「あっ……そういえば。僕、緑谷です! 緑谷出久! ヒーロー名は『デク』です!」
「デクさんですね!? じゃあ、今度は私の番!」
信頼関係を築く上で、名前を知っているか否かは大きく今後に作用する。
「―――
☮
時は、轟がギャングオルカの下へ来た場面まで遡る。
牽制用だが、決して小規模ではない氷結はいとも容易く超音波で砕かれてしまった。こうなっては炎熱を使った方が好手か。
(シャチっぽいし、乾燥に弱そうだしな……)
海洋生物ならば火に弱いハズ。安易な発想であるが、あながち間違っていない次なる手立てを頭に浮かべる轟。
しかしその時、髪の毛をふわりと靡かせるそよ風が吹き渡り、直後にギャングオルカ以外の敵役の者達を吹き飛ばす烈風が暴れ過ぎていった。
「風……」
「敵乱入とか!!! なかなか熱い展開にしてくれるじゃないっスか!!」
ゴゥンゴゥンと独特な駆動音を響かせ空を舞っているのは、やけに轟を敵視していた士傑生の夜嵐だ。
印象がやや悪い相手の登場に、思わずムッとしてしまう轟。一方夜嵐もまた、地上から自分を見上げる轟に気が付いてしかめっ面を浮かべる。
「あんたと同着とは……!!」
そして棘のある言葉。
控室で言われた『嫌いな相手にも親切に』という行為をしようにも、心情的に難しいものはある。あからさまな嫌悪感を向けられ、好ましく思う人間などほとんど居ないだろう。轟もその例外には漏れない。
「……おまえは、救護所の避難を手伝ったらどうだ。“個性”的にも適任だろ。こっちは俺がやる」
これが最大の譲歩だ。
少々上から目線な物言いにはなってしまったが、轟が口にした内容は決して間違ってはいない。轟は炎と氷で、人を運ぶことには適していない。しかし、夜嵐の風の“個性”は、彼自身の信じ難い繊細なコントロールにより、多数の物体の運搬を可能なのだ。
捉えようによっては実力を認めているが故の言葉であったが、如何せん目が曇っている夜嵐には、そういった意味に考えは及ばなかった。
「ムムム……」
納得しかねた夜嵐は、依然空中に佇んだまま、敵へ向けて攻撃を放つべく風を溜める。
一方轟はと言うと、先程の攻撃を省みて左手を構え、炎熱を放とうとしていた。
敵から見れば、地と空からの同時攻撃。身構えるギャングオルカたちであったが、いざ同時に放たれてみれば、炎による熱で夜嵐の風は浮いてしまい、風による勢いで炎の軌道も逸れてしまう。
結果的に、どちらの攻撃も当たらないという事態に、互いに悪い方へ“個性”が作用してしまった二人は睨み合った。
「何で炎だ!! 熱で風が浮くんだよ!!」
「さっき氷結が防がれたからだ。俺の炎だって風で飛ばされた」
「あんたが合わせたんだろ!! 手柄を渡さないように!!」
「は?」
とんだ言いがかりに、流石に轟の声に怒気が混ざってくる。
(こいつ……さっきから一体なんなんだよ。落ち着け……気を荒立てるな……今は試験に集中しろ)
―――俺はあんたらが嫌いだ
ようやく鎮まりかけていた嫌悪が、再び風に焚きつけられ、勢いを増すかのような錯覚を覚えた。
―――あんたの目は、エンデヴァーと同じっス
目。ふと、火傷痕が疼いた。
忌まわしい過去の象徴だ。しかし、今は友人たちの救けもあって、過去に対しての執着はほとんどといっていいほど消え失せた。
なのに何故だ。自分のことをほとんど知らない者に敵対視されるだけで、この胸の内の燻りようは。
ジリジリと。焚きつけられた嫌悪は、確かにその勢いを増している。
気が付いた時には、すでに左腕をまた翳していた。
―――嗚呼……俺自分で、『アイツのしたことを赦すつもりはない』とか言ってたじゃねえか
もう止められない。
長い間刷り込まれた感情によって動く腕は、そう容易く止められるものではなかったのだ。胸の内で燻る怒りを発散せんと、今にも爆発しそうな炎が左腕に纏っている。
横目で上を見上げれば、また夜嵐が風を放とうとしているではないか。これではさっきの焼き直しだ。
一体どうすれば―――。
☮
『―――こっちの子は?』
『緑谷って言うんだ。体育祭で戦って……アイツ、ボロボロで、手もぐちゃぐちゃになってんのに、それでも向かってくるんだ』
『……うん』
『初めて、全力で戦った』
『……そう』
『……凄い奴なんだ』
『……じゃあ、こっちの子は?』
『波動。決勝で戦って……火ィ怖いのに、頑張って克服しようとしてた。あと……話して、お母さんの見舞いに行ったらどうだ? って……背中押してくれた』
『……そう。いいお友達ができたのね』
『……お母さん? なんで泣いて……』
『ううん。なんでもないの。ちょっと……嬉しいだけだから』
『……うん』
『焦凍……ホント、おっきくなったね』
☮
(―――違う……そうじゃないだろがっ!!!!!)
反射的に右腕が動いた。
(親父への怒りも……お母さんが喜んで、そんでもって悲しんでたのも、全部変えられねえ事実だ! 受け止めなきゃ進めねえ……向き合ってたつもりで、結局逃げてたばっかじゃねえか、俺は!! 受け止めなきゃなんなかったんだ、全部!!!)
怒りに燃え上がる左腕を抑えようと、母の悲しみを確かに知った右腕が抑え付けに入る。
しかし、ここで左を無理やり止めようとしても、最早とどまりが効かない域に達していることは、轟が一番よく理解していた。
故に轟が行ったのは、左の熱を相殺し得るだけの冷気を右腕で放つこと。
十日間の圧縮訓練でも、同時発動で“ソレ”をできたことは数度程度。しかし、今やらねばいつやるのか?
(今やるしか……!)
イメージするのは他でもない。
体育祭で相対した緑谷と波動との試合だ。自分にきっかけを与えてくれた、分岐点とも言うべき思い出。
その時彼らは、確かに笑って自分を見ていてくれていたではないか。
そう思い至った時、不思議と型の緊張は抜け、轟は―――笑みを浮かべていた。
「―――っ、ぉぉおおおおおお!!!!!」
「む!!?」
雄叫びを上げて両手を翳し、熱気と冷気を同時に放つ轟。次の瞬間、彼の両手からは炎でも氷でもなく、この仮免中に一度も態勢を崩さなかったギャングオルカを浮かばせるほどの爆風が、拡散するように敵らへ向けて解き放たれたではないか。あまりの勢いに、轟自身も後方へ吹き飛びそうになるも、そこは扱い慣れている氷結でストッパーを瞬時に作り、なんとか飛ばされずに済んだ。
轟が行ったのは、体育祭のステージを破壊するほどの熱膨張による爆発の簡易版。手の間の空気を一気に冷やし、一気に熱することで放てる技だ。同時発動であると、どうしても細かい調節が効かず、周りに被害を及ぼさないレベルまで威力を引き下げることが難しかったのだ。しかし彼は、この土壇場でやってみせたのだ!
更に轟が生み出した強烈な爆風に合わせ、上空から吹き荒れる風が敵らを追撃開始地点間近まで押し戻す。
部下と思しき敵役が『シャチョー!』と叫びながら吹き飛ぶが、流石のギャングオルカも、部下に構っている余裕のないほどの風圧だったのだというのだから、その威力はお分かりいただけるであろう。
「ほう……!」
思いもよらぬ連携に、喜色を面に滲ませるギャングオルカ。
例え偶然であったとしても、学生の身分で自分をここまで押しのけてみせるとは、感嘆に値すると、凶悪な笑みを作って浮かべて見せた。
(始めこそどうなるかと思ったが……己を省みて一歩歩み寄る。何に近寄るかは知らんが、面構えを見れば分かる)
「ようやく―――……ヒーローらしくなったじゃあないか」
轟は、単に苛立っていた子供から、人命を救けるヒーローへ格上げだ。
「そして―――」
「焦凍ォ―――っ!!!」
「っ! 波動かっ」
「HAHAHA! I’m here!!!」
ギャングオルカの威圧感による静けさを貫くような快活な笑い声が、天から大地へ突き刺さるように舞い降りてくる。
そして、その笑い声の主の少年は、身に纏っていた緑色の光をわざとらしく弾けさせるというヒーロー的演出を見せた後、フッと柔らかな笑みを浮かべる轟の横に並び、共に目の前の敵に目を向けた。
「待たせたな! でも、もう大丈夫だろ焦凍!? こっから後ろは……」
「ああ……行かせねえよ」
並び立つ雄英1年の両雄。
共に炎を操る実力者が、避難する者達を守る炎の壁となって敵たちを阻むのを、ギャングオルカは幻視した。
「相手にとって不足はナシ、か」
強者を好むギャングオルカの笑みが止まることはない。
己が苦手とする力を持つ未熟者。彼らは未熟のまま、経験で勝る自分がそのまま勝利してしまうか。はたまた戦いの中で成長し、自分という壁を乗り越えていくか。大いに見ものだ。
「ふっ……この世は弱肉強食。強い者が喰らい、弱い者は淘汰される。さァ、ヒヨッ子共。喉元に食らいついてこい。最後の勝った方が……
雄たけび代わりに、空へ超音波を放つギャングオルカ。
さァ、第二ラウンドの始まりだ。