Peace Maker   作:柴猫侍

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№50 新星へ…

 日もすっかり沈み、ビルの窓から漏れる光が夜空に瞬く星のような夜景を生み出す時間帯、閑静な病院の駐車場に一人の男子が佇んでいた。

 逆立つような赤髪。紛れもない、切島だ。

 誰かが来るのを今や今やと待ちかねる彼は、ふと病院の正面入り口から出てくる三つの人影に気づき、足早に彼らの元へと駆け寄る。

 

「轟、緑谷……」

 

 まずは、並んで出てきた男子二人の苗字を呼んだ。

 切島の提案にいち早く乗った轟と、最も爆豪に手が届く位置に居ながらも、最後の最後で彼の手を掴み損ねてしまった緑谷。

 二人が来るのは予想通り。提案当初賛同してくれた熾念の姿が散見できないことに違和感を覚えながらも、今度は今回の救出の要となる八百万へ目を向ける。

 

 最終的には彼女が、受信デバイスを作るか否で、全てが決まる。

 

「八百万、答え……」

「私は―――」

「待て」

 

 切島が八百万へ、出発するかどうかの判断を問おうとした瞬間、重い声色で言い放たれた制止の言葉が、四人の体をびくりと揺らす。

 声の元を辿れば、そこには拳を握り、尚且つ歯を食いしばっている飯田と、依然包帯が解けない左腕をズボンのポケットに突っ込む熾念が、困ったような笑みで立っていた。

 

 まるで、爆豪救出に向かおうとする者を阻むように。

 

「飯田、波動……」

「……何でよりにもよって君たちなんだ……! 俺の私的暴走をとがめてくれた……共に特赦を受けたハズの君たち二人が……っ!!! 何で俺と同じ過ちを犯そうとしている!? あんまりじゃないか……!」

 

 暗に、ヒーロー殺しの一件を示唆する飯田。

 公には知られていない事実に、何のことやらと一歩前へ出てくる切島を手で押さえる轟は、まだ何か言いたげに俯いている飯田の言葉を待つ。

 

「俺たちはまだ保護下にいる。ただでさえ雄英が大変な時だぞ。君らの行動の責任は誰がとるのかわかっているのか!?」

「飯田くん、違うんだよ。僕らだってルールを破っていいなんて……」

「―――っ!!」

「っと、暴力沙汰は駄目だ、天哉」

 

 話を聞いていた緑谷が、弁明でもするかのように一歩踏み出した時、飯田が右腕へ力を込めたのを目の当たりにし、すかさず熾念が二人の間に入って仲裁する。

 振りかぶろうとした拳。行き場を無くした激情を、名状しがたい声を発することにより、なんとか発散する飯田の姿は見るに堪えないものだ。

しかし、感情を膨れ上がらせているのは彼だけではない。この場に居る全員が……。

 

「まあ、こんな感じさっ。俺らは、出久たちが救けに行くのを看過できない。これが……答えだ」

「波動くん。だから僕らは……」

「はぁ……まったく。バカな子たちばっかさね」

「!」

 

 どこかで聞き慣れた声に、飯田と熾念以外の視線があちらこちらへ泳ぐ。

 ちょうど、この病院のような消毒液の香りに満ちた部屋で、お小言と一緒に聞いた声。彼女の身長の低さに気が付いた時、四人の視線は、熾念の背後より出てきた小さな老婆を捉えた。

 

「リ、リカバリーガール……!? なんでここに……」

「『なんでここに』って、そりゃあね。イレイザー・ヘッドづてに二人から爆豪救出に行こうとしてる輩が居るって聞いたから、差し向けられたのさね。まだ時間に余裕はあるからね、新幹線とタクシー乗り継いできたのさ」

 

 病院と言った、医療関係の場所に似合う服装―――コスチュームを纏う妙齢のヒーロー、尚且つ雄英の看護教諭であるリカバリーガールが、大層呆れた様子でため息を吐いて立っていた。

 まだ時間に余裕があるとは、一体なんのことやら。

 

 しかし、彼女の言い放った言葉をまとめると、既に救出に向かうことは担任の相澤には筒抜けのようだ。

 あの教師にバレたとなれば、退学は必至だ。勿論、“問題を起こせば”である為、問題を起こす以前であれば、酌量もあって処分も軽いハズ。

 

 そう、熾念たちが考えた策は単純明快。担任に、クラスメイトを止める手段を教えてほしいと頼んだのだ。有事で忙しいにも拘わらず、未だ退学処分を下していない可愛い教え子の為、相澤はこうして、時間があるリカバリーガールを差し向けてくれた。

 無論、リカバリーガールも暇ではない。これから始まる“ある作戦”の医療担当として所定の場所へ待機する時間まで、すでにミッチミチだったスケジュールをなんとか組みなおし、雄英を潰しかねない真似をしでかそうとする生徒たちを止めに来てくれた訳だ。

 

 顔面蒼白になる緑谷と切島。まだ行くと口にしていない八百万や、普段能面の轟さえも、この時ばかりは大量の冷や汗を掻いて立ち尽くしていた。

 保健室に居る際の温和な雰囲気とは違い、“オールマイト”以前の個性犯罪の激流に身を投じていた頃の覇気を纏わせ、バイザーの奥の眼光を鋭くする。

 

「おバカ」

「イダっ!」

「アンポンタン」

「ぎゃ!」

「バカちん」

「っ……!」

 

 老齢とは思えぬ手首のスナップによって振るう杖で、救出組の男性三名の尻を叩くリカバリーガール。景気のいい音が駐車場に響く。

 言動自体は可愛らしいものの、それなりの威力であったのか、三人は臀部を痛そうに擦っている。

 

「はぁ、呆れてものも言えないさね。アンタたちがしようとしていることが、ホントに分かっているのかい?」

「分かって……います」

「分かってたら、こんなことできやしないよ。いや、分かってるからこそ、目を逸らしてるのかねぇ……でも、カワイイ生徒であっても見過ごせることと見過ごせないことはある。今回が後者だってことは、言わなくても分かるだろう?」

「……」

 

 リカバリーガールの呆れた口調に、唇を噛み締めて俯く緑谷たち。

 そんな彼らの心情を知ってか否か、リカバリーガールは言葉を紡いでいく。

 

「言いたいことが多くて困るよ。保護下の生徒が敵地に乗り込もうとしている……これがどれだけ危険なのか、分からないほどバカじゃないだろう。同時に、その行動をしたということは、暗にプロヒーローを信用していないってことを示唆していることもね」

「っ……そんな訳じゃ……!」

「仕方ないさね、それについてはね。何度も襲撃を許して、あまつさえ生徒の一人を攫われた。アンタたちにも少なくない怪我を負わせたよ。いずれ、根津が直接来ると思うけどね、まずは私が代わりに頭を下げるよ。雄英の怠慢で傷を負わせたこと、本当に済まなかったさね」

「ち、違うんです、リカバリーガール! 僕……僕……」

 

 リカバリーガールの謝罪に対し、何か思うところがあったのか、熾念とは対照的に、包帯が巻かれている右腕で胸のあたりを掴む緑谷。

 

「僕も正直……わからないんです。でも、手が届くんじゃないかって気が付いた時、居ても立っても居られなくなって―――……救けたいって思ってしまうんです!」

「……アンタは本当にねぇ……似ているよ」

「え?」

 

 しみじみとした口調に、唖然として顔を上げる緑谷は『誰に似ているのか?』とでも聞きたげな表情を浮かべている。

 それが彼の師、『オールマイト』のことであるのだが、敢て彼女は『誰か』ははぐらかし、幾分か柔和になった顔のまま緑谷たちを見渡す。

 

「なにも私は、救けたいって思うことを否定したい訳じゃないさね。でもね、その思い……正義の欲求とでも言っておこうか。己の正義の欲求を満たさんが為、無鉄砲に救けに行こうとすることは勇気じゃない。無謀って言うのさね」

 

 昔、とある人物が『勇気と無謀を混同してはならない』と言った。

 ここで、それら二つに如何なる違いが存在するのかという部分が問題になる。

 

『勇気』とは、結果やリスクを冷静に分析し、危険を分析した上で、その恐怖に打ち勝ち、実際に行動を起こす心の強さ。逆に、危険を全くかえりみず、衝動のままに行動すれば、その者は『無謀』と呼ばれる。

 

 では、今の緑谷たちはどうだろうか。

 明らかに彼らは、理性ではなく感情のままに行動を起こそうとしている。多少残った理性で危険を分析し、策は立てていることであろうが、かえりみている危険が些か少なすぎるのだ。

 

「無謀は時に人を殺す。人の人生をめちゃくちゃにすることもある。アンタたちが救出に向かえば、学校は然るべき処分を下さなきゃならなくなるのさね。責任っていうのは何にだって付きまとう。アンタたちが問題を起こせば、責任は学校へ、そしてアンタたちの親にも行くのさ」

「っ~……でもッ!!」

「『でも』じゃないんだよ。もし、救出に行ったアンタたちが殺されでもしてみな。雄英は最悪取り潰しさね。全校生に働いている教員、彼らの家族……それだけの人数の責任を、アンタたちがとれると思うのかい? 自殺がいい例さね。当人は死んでそれで良しかもしれないけど、家族や関係者が被る被害ってのも考えなさい」

 

 依然として燻っている緑谷へ、淡々とした口調で畳みかけるリカバリーガール。

 次第に、救出へ向かおうとしていた者達の覇気も小さくなり、ただただ悔しそうな瞳でアスファルトの地面を見つめるだけになる。

 自分たちが行おうとしていたことのリスクの大きさ。それを再確認した―――否、された以上、当初のように声高々に『行く』とは口に出せない。

 

「出久」

「波動くん……」

 

 中々喋り辛そうな雰囲気の中、俯く緑谷へ声をかけるのは熾念だ。

 緑谷に勝るとも劣らない悔恨に満ちた表情で、彼の肩へ手を置きながら、話し始める。

 

「ゴメンなっ。色々考えて……それでいて、出久たちが救けに行くの認められなくなったんだ。皆……皆だ。俺さ、皆を救けたかったんだ」

「それは……僕も同じだよ。僕だって皆を……」

「でも、ここで言う俺と出久の『皆を救けたい』って言葉、きっと意味違うんだよな」

「……」

 

 改めて実感する価値観の違いに、緑谷は林間合宿で一度噛み締めた感覚を思い出す。

 恐らくは、合宿の時において、共に動いていた時の『皆を救けたい』という思いは一緒だった。

 しかし、この場面になって、言葉に含まれる意味に齟齬が露わになっただけだ。

 

 爆豪を救けた先、自分や他人がどうなるかの一点において生まれた価値観の違いは、『救けたい』というヒーローの正義の欲求を突き詰めた際に、ようやく明らかになる。

 

 緑谷は『救けるべくして救ける』。

 熾念は『失わせぬために救ける』。

 

 同じ人物へ憧憬を抱く者同士であっても、やはり他人は他人。本質的な部分に、違いは生じるものなのだ。

 

「……納得してくれとは言わないさ。でも、俺たちの気持ちをわかってはほしい」

「……わかるよ、痛いくらい……わかっちゃったよ……!」

 

 納得は求めない。しかし、理解を求める熾念に対し、震えた声で答える緑谷。

 普段、仲がいい二人だからこそ、級友の危機に瀕した際に直面した意見の違いは、堪えるというものなのだろう。

 切島に至っては、この場に来てから一度も熾念と言葉を交わしていないにも拘わらず、今にも泣き出しそうに顔を歪めている。

 

 重々しい空気が場に流れ始めた。

 

「……行動ってのには理由が付き物さ。それを正当化させなきゃ、行動は起こせないものさね」

 

 そのような雰囲気の中、再び口火を切るのはリカバリーガールだ。

 年の功を重ねた彼女の一言一言には、得も言わせぬ重厚感というものが存在する。『雀の千声、鶴の一声』とは言ったものだ。感情にあれこれ言わせる生徒の騒ぎなど、彼女の一言に比べれば、余りにも軽くて浅い。

 

「自分なりの信念が、個々人にあるのさ。正当化した信念こそ、本人にとっての正義さ。それが立場によって許容できるか否かで、客観的に正義と悪は分けられる。爆豪を救けに行くことは、社会的に見ればそりゃあ悪に分類されてもおかしくない。でもね……」

 

 ポンッと、優しく緑谷と熾念の脚に触れるリカバリーガール。

 

「今回に限っては……アンタたちにしてみれば、どっちも正義だったから譲らない―――譲れなかったんだろうね。お互い理解し合ってるから、胸が痛いんだろうね……」

「っ……!」

 

 誰が息を飲んだかは解らない。一人か、はたまた全員か。

 それでも、的を射た発言に動揺した者が居たことは確かだ。

 

 駐車場を吹き渡る夏の温い風が、澱んだ空気を攫っていく。熱気や怒気を含んだ陰鬱な空気が無くなれば、残るのは虚無感。帰る場所を失った孤児のような瞳が、石のように固まってしまった足を射抜く。

 元々止めに来た者は勿論、八百万や切島、轟さえも微動だにしない。

 

 それだけリカバリーガールのお小言が効いたということだろうか。

 

 しかし、割り切れていない者はまだ居る。

 

「リカバリーガール」

「……なにさね、緑谷」

「僕……見初めてもらったんです。それを原動力に、今まで頑張ってきました……頑張ってこれました」

「そうさね」

「今更後戻りなんて―――」

「後戻りするなとは一言も言ってないよ。今は耐えなさいと言っているのさ。簡単なことじゃないか。それともなんだい、アンタの中の№1は攫われた生徒一人救けられないほど軟なのかい?」

 

 拳を握り、勢いよく顔を上げたはいいものの、自分の行おうとしている行為が、他でもない己の師を信頼していないこととなると示唆され、紡ごうとした言葉の行き先も見失い、口をパクパク開けたり閉じたりを繰り返す。

 分かりやすく葛藤が面に出ている緑谷にリカバリーガールは、最後にこう紡ぐ。

 

「有り余る正義感……今はとっときなさい。ここで耐え忍ぶことが、いつかアンタの人生にとって大きな意味を持つハズさね」

 

 染み渡るように響く穏やかな声が、これほどまでに自身の無力を虚しく悟らせるとは思いもしなかった。

 ただ怒鳴られるより、よっぽど堪える。

 

 信じて待つしかない。

 

 爆豪が戻ってくるまでの一分一秒……己の無力を噛み締める時間が、この時はただただ辛いものであった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 その後、リカバリーガールの催促により各々の家路へとついた六人。

 “万が一”のこともある為、受信デバイスを作れてしまう八百万はリカバリーガールと共に連れられていったが、男子たちが駅で別れることとなった。

 

 熾念と切島は千葉県在住である為、必然的に同じ新幹線だ。

 途中まで東京都在住の飯田も同席していたが、言うまでもなく彼は降りるべき駅で降りた。

 

 長野から千葉。それなりの距離がある。

 終始無言の熾念と切島は、特に交わす言葉もなく、ジッとシートに腰かけて目的地に着くのを待つ。

 

 だが、瞼が重くなる心地よい揺れを生み出していた新幹線の車内で、驚愕に満ちたような声が響き渡る。

 

「げっ! 怪獣映画の特撮かよ、これ……」

「どれどれ……嘘! ビルめっちゃ崩れてんじゃん!」

「今、オールマイトと敵が戦ってるんだとよ! ヤバくね?」

 

 若い男女と思しき声が聞こえたのを皮切りに、『もしや』と思い至った熾念たちは視線を交わし、すぐさま自身の携帯のワンセグで、片っ端から該当するニュースを探す。

 

 するとすぐに見つかった。

 

 リポーターが緊迫した様子で報道している、オールマイトと黒いスーツを着た敵が戦っている映像が。

 恐らくはビルが立ち並んでいただろう場所は、大爆発でも起こったかのように抉れ、更地と化している。周囲のビルの被害も尋常ではなく、今にも崩壊しそうな危うさを匂わせていた。

 

「っ……おい! 波動、これ……!」

「勝己……!」

 

 映画を見るかのような興奮に満ちた声を上げる他人とは違い、鬼気迫る表情になってしまう二人。

 何を隠そう、常人を寄せ付けぬ超常な激戦の横で、敵連合の者達数人を爆豪が相手取っていたのだ。1対6―――例え爆豪ほどの人間であっても、数分持つか持たないかの戦況。

 

 どうやら敵連合は攫った爆豪を、オールマイトが居る場から連れ去りたい様子。

 しかし、爆豪の必死な抵抗により、中々それが叶わない状況らしい。

 

 一方で、オールマイトもそのような爆豪に手を貸したそうに近づこうとするも、黒スーツの男の指先から伸びる黒い稲妻によって妨害を受けている。

 

 このままでは爆豪が連れ去られてしまう……!

 

 ゴクリと固唾を飲む二人であるが、現場に居る訳でもない彼らにできることは何一つない。あるとすれば、天才肌の爆豪が持ち前のセンスで敵連合を一蹴し、自身の力で逃げてくれることを願うこと。もしくは、オールマイトが早々に黒スーツの男を倒し、爆豪に加勢してくれることだ。

 

 だが、黒スーツの猛攻には流石のオールマイトも振り切れず、ただ時間が過ぎていくだけ。

 

 スロースターターである爆豪にとっては、時間が経つほど攻撃力・機動力など、戦闘力が向上する。一方で、多対一を強いられている中、極限までに研ぎ澄ませている集中を続けられるか否かで言えば、それは難しい話となってくるだろう。

 

「爆豪! 負けんなっ!! いつもの威勢でぶっ飛ばしてやれ!!!」

 

 ジッとしていられなくなった切島はと言うと、画面越しにでも声援が届くようにと、新幹線に居るにも拘わらず、人目をはばからないで大声を上げる。

 何事かと二人を見る者達は、二人が手にする携帯―――そして画面に映すニュースを一瞥し、『自分も……』と各々の携帯でワンセグを起動し、緊迫した生中継に目を向けた。

 

「っ……Huh!?」

 

 歯を食いしばって画面を凝視していた熾念は、画面の端から一陣の風となって参上する二つの影に気が付いた。

 爆豪を攫おうとする敵たちに肉迫する二人のヒーローは、一瞬にして四人を蹴散らす。

 

「おぉ、すげェ!!! やっぱ現場のプロはすげえな!!!」

「Wow! 確か……グラントリノ!! と……誰だ、このRabbitヒーローは?」

 

 黄色いマントを靡かせる矮躯の老人は、一度見たことがある為、辛うじて記憶を掘り起こすことができた。

 

 しかしもう一方の、白い水玉模様がある赤いマントを靡かす、ウサギの異形型と思しきヒーローは見たことがない。何やら、足技で敵を蹴散らしたグラントリノとは違い、手をピースの形にした徒手空拳で戦っているようだが、素人目からみても分かるほどの手練れ。映し出されている映像は彼の動きを捉えられず、一見すると線しか映っていないように見える。

 

 要は、爆豪救出のために選出されたであろう手練れのヒーローの一人ということだ。

 

 そう思い至るや否や、跳ねるように駆けるウサギヒーローは、茫然としている爆豪の手を引き、あっという間に戦場から離れていく。

 

『脱兎のごとく人質確保!!』

『イデデデ!! オイ、無理やり腕引っ張んじゃねえよ!!』

 

(ああ、勝己だ。元気そうだ……)

 

 そのままウサギヒーローに手を引かれ、凄まじい速度でフェードアウトする爆豪に、ホッと胸を撫で下ろす熾念。

 

 これで状況は好転……するかと思いきや、ここで黒スーツの男が再び動いた。

 残されたグラントリノから死柄木たちを逃すため、気絶している黒霧に黒い稲妻を突き立て、そのままワープゲートの“個性”を発動させ、放り投げるようにして死柄木たちを撤退させる。

 

 更に戦闘は続き、オールマイトが一度黒スーツの“個性”で上空に打ち飛ばされた後、二度目の砲撃を拳撃で打ち消した時だった。

 

 濛々と立ち込める砂煙。次第に晴れていく景色の中、オールマイトと全く同じ格好をしたガリガリの男性が、拳を突き出したまま立ち尽くしていたのだ。

 

「……え?」

 

 人は、理解できぬ事象を目の前にした時、これほどまで自然に声が出てしまうものなのか。

 熾念は何気なく頭の片隅で考えながら、血まみれの男に―――本当の姿のオールマイトに目を向けた。

 

『えっと……何が、え……? 皆さん、見えますでしょうか? オールマイトが……しぼんでしまっています……』

 

 しぼんでいる。

 確かに、そう形容するほかない状態だ。山のように隆起し、鋼のように硬かった筋肉は見る影もない。

 本当であれば、オールマイト本人であるかどうかすら疑っているが、状況的に彼が平和の象徴であることは間違いではないのだ。

 

 

 

―――怖い時、不安な時こそ笑っちまって臨むんだ!

 

 

 

「オー……ル、マイト……」

 

 笑えない。

 何故なら、その矜持を自分に与えてくれた人物が笑えていないから。

 

「オール、マイト……」

 

 笑ってほしいなら、まず自分から。

 

「オールマイト……!」

 

 ふと、体育祭の表彰式を思い出した。

 オールマイトは、自分の笑顔を百点満点と告げてくれたが、始まりは他でもない、オールマイトだ。彼に与えられ、育んできた笑顔こそが自分の……―――。

 

 そう思い至った時、熾念は車内漂う不穏な空気を切り裂くように、声を上げた。

 

「頑張れ、オールマイトォ!!!!!」

 

 とびっきりの笑顔で。

 

 刹那、画面越しのオールマイトの右腕が膨れ上がる。

 

 気が付けば涙を流していた。

 気が付けば乗り合わせた者達も、あらん限りの声でオールマイトを応援していた。

 気が付けば―――オールマイトに笑みが戻っていた。

 

―――願いを背負って立つ英雄が、そこに立っていた

 

 声援に包まれる車内は、一種の狂気に満ちている光景であったが、これほどまでに魂の奥から叫びが出ることなど、早々ない。

 止められない声援を、届くはずのない者へ向けて必死に叫ぶ者達は、戦いの行方を熱心に見つめる。

 

 すると、オールマイトと相対す黒スーツの男へ、猛々しい紅蓮の炎が襲い掛かる。

 宙を奔る炎は、男が繰り出した砲撃によって相殺されるものの、続けざまに先程のグラントリノたち以上の速度で動く“線”が、間隙を突くように攻撃を仕掛けた。

 

 №2ヒーローのエンデヴァーと、№5ヒーローのエッジショットだ。

 更に、少し離れた場所ではワイプシの虎と、シンリンカムイが救助活動に勤しむ姿が見える。そこで漸く気が付けた事実は、№4ヒーロー・ベストジーニストや№11ヒーロー・ギャング・オルカ、更にはMt.レディも倒れていたということ。

 

 『ヘルフレイム』と『紙肢』の“個性”の連撃で、敵に一撃でも食らわせられないかと試みるも、全て回避か迎撃されてしまっている。

 日本でも五本の指に入るトップヒーローでも、一撃与えることさえ叶わない。

 恐らくは、先のベストジーニストらも、あの敵に倒されてしまったということは、未だ情報の少ない現状でも理解できた。

 

 やはり、オールマイトしか勝てないのでは。

 そう思うや否や、痺れを切らした様子の敵が、再度周囲を均す大爆発を解き放ち、オールマイト以外のヒーローを吹き飛ばす。

 

 一瞬ワンセグにノイズが奔ったかと思えば、電波が悪くなった間に、腕に異変が生じる敵。異様に肥大化する右腕はまさしく“混沌”。人ひとり分までに膨れ上がった右腕は、人々の希望を具現化したオールマイトの右腕とは違い、悲嘆、恐怖、絶望などといった負の感情を無理にまとめ上げているようだった。

 

 刹那、その禍々しい右腕を振るう敵に、負けじと渾身の一振りを放つオールマイト。

 

 今度は、先程とは比にならないほどのノイズが奔り、画面は砂嵐に染まってしまう。

 長い。

 これほどまでに時間を長く感じるのは、人生の中でも数えるほどしかない。一瞬とは言えぬ緊張が続き、息をするのも忘れて画面を凝視し続ける熾念。

 

『―――は動かず!!』

 

 報道リポーターの声が、先行して伝わってきた。

 

『勝利!! オールマイト!! 勝利の!! スタンディングです!!!』

 

 電波が戻れば、否応なしに結末が映し出された。

 

「HAHA、おっかしいな……」

「っ、は、ハドーおめェどうしたんだよォ~……!?」

「画面さっ……汚れてて見えなィっ……!!!」

「そりゃ、オメー……泣いてっからだろうがァ!! 俺も……だけどよォっ!!」

 

 年甲斐もなく嗚咽を上げる熾念と切島の二人。

 拭っても拭っても溢れ出る涙が、結末を見届けようとする視界を遮り、ハッキリとオールマイトの姿を見ることができない。

 しかし、そのような歪んだ視界でも捉えることはできた。

 

 

 

 平和の象徴(オールマイト)が勝利を掴んで拳を掲げる、その姿を。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 世間に晒されてしまった『平和の象徴』の本当の姿。

 

 しかし、尚も戦い続け、不撓不屈の精神を見せつけた上で勝利したオールマイトに、誰もが歓喜し、涙を流した。

 

 そして、血塗れで立ち尽くすオールマイトが、報道カメラに向けて言い放った言葉が、目の周りを赤く泣き腫らした熾念に、大きな印象を与える。

 

 

 

『次は、君だ』

 

 

 

 幾分か低いトーンで言い放たれた言葉は、まだ見ぬ犯罪者への『警鐘』、オールマイトの時代の『終焉』。

 

 そして次なる世代へ社会を―――ヒーローを託すという『継承』。

 

 次世代を担う新星へ。

 


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