Peace Maker   作:柴猫侍

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№48 タイムリミット

 

「チクショウ……俺らはなんもできねえのかよッ!!」

「今はただ皆を信じて待つしかない。心苦しいが……」

 

 敵連合の襲撃を受けている間、肝試しに外に居た者達とは違い、施設の中に居た切島や飯田たちは、自分たちが級友を救けに向かえないという事実に、心臓を握られているかのような心苦しさ―――無力感に苛まれていた。

 敵連合の一人が洸汰に漏らした情報により、相手の目的が爆豪を拉致することであることは明らかとなっている。故に、安易に生徒を表に出せない現状であったのだ。

 

 状況が状況とはいえ、不安や焦燥、恐怖などに苛まれている彼らは気が気ではない状態で、騒ぎ立てる正義感を抑え込む。

 

 一方で、彼らと同じ場に居る小さな子供が一人。

 洸汰だ。あれから緑谷と熾念に、相澤へと託され、その流れでブラドキングが守備についている補習部屋に集められた経緯がある。

 ブルブルと肩を震えさせる少年に、この場唯一の女性であった芦戸が、恐怖でおびえているのかと『大丈夫だよ』と声をかけて慰める。

 

 しかし、洸汰が震えていたのは恐怖が理由ではない。あらんばかりの力で両手を組み、それを額に当てて必死に願っていたのだ。

 

(神様、お願いします! もう、ヒーローのことバカにしないから……ヒーロー目指してる人たちのこと悪く言わないから……あいつらを救けて!!)

 

 脳裏を過る、自分を窮地から救ってくれた者達の顔。

 身をもって学んだ、彼らがこれから臨む社会の恐怖と悪意の塊。今もそれらと彼らが戦っていると思えば、これまでの自分の素行を省みることなど、些少の躊躇いもなかった。

 

 ヒーローが憎いのではない。ヒーローであった両親を殺した敵が許せなかっただけなのだ。

 それにも拘わらず、自分はその本質から目を逸らして、命を懸けて人々を救けるヒーローを目の敵とした。

 どれだけ自分が愚かな真似をしていたかなどは、齢五つの洸汰でさえ理解するに至る。

 

(お願いします、お願いします!! 神様!!)

 

「お、オイ!! あれ見ろ! なんだ……って、ウォ!? なんだこの震動!?」

「わあああ!! 地震!?」

 

 突如として施設を揺らす震動に、室内に居た者達は恐怖に染まった声を上げる。

 ヒーローを志している者達と言えど、たかが15、16の少年少女。得体のしれない理不尽に怯え竦んでしまうことは、なんら不思議なことではない。

 

 だが、そのような状況の中でも洸汰は見逃さなかった。

 

「……流れ星?」

 

 窓の外で煌めく、シアン色の閃光を。

 人が生み出した、“力”の瞬きを。

 

 命を救うのは神ではなく、ヒーローだ。

 洸汰がそれを知るのは、もう少し後―――否、この時既に知っていながらも理解できなかったのは、瞳に映った光景があまりにも綺麗過ぎたからであった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

「はぁ……はぁ……! ありがとう、波動くん。上手く合わせてくれて」

「Don’t worry。俺と出久の仲だろっ?」

 

 熾念の“個性”により着地した緑谷は、地面で倒れて微動だにしないマスキュラーとムーンフィッシュを一瞥した後、未だに体から炎を迸らせている熾念に礼を述べた。

 一見、普通の会話を繰り広げているような彼らだが、如何せん体はボロボロである。

 緑谷は、今の限界を超えた一撃で右腕が使い物にならないほどのダメージを負い、熾念もまた左腕を粉砕骨折し、尚且つ肋骨に罅が入っているという、一般人からしてみれば立っていられるのも可笑しい体だ。

 

 それでも確りと地に足を着けたち続けているのは、偏に人を救おうとする意志の強さ。

 

 例え血みどろになっても、人々を救けんが為に彼らは立ち続けているのだ。

 

「あっ……♥」

 

 そのような二人を遠目から見て、恍惚とした表情を浮かべつつ、何やら慌ただしく下腹部を隠して見せるトガ。

 不審な動きを見せたトガに、敵二人を倒した生徒たちの視線が一斉に己の方へ向く。

 

 しかし、トガの動きは単なる羞恥心が理由ではない。

 

「出久くん。熾念くん。二人とも血みどろでボロボロでカッコよすぎて、()()()()()()()()ァ……♥」

「Huh?」

「また会いに来るね! もっと見てたいけど、捕まるのはヤだから!!」

 

 『雨で濡れた』という意味ではない旨を口にしたトガは、頬を異常に紅潮させ、息も荒々しくしたまま、臨戦態勢をとっている緑谷たちの前から颯爽と逃げ去り始める。

 前は隠して尻隠さず。

 そんな全裸のトガに、茫然とするのは自然な反応だろう。あのままトガを捕らえるのは可能だったかもしれないが、消耗している状態での深追いは好手ではない。

 

 追撃よりも避難を。特に轟は、トガのナイフやムーンフィッシュの歯刃による刺突や、マスキュラーの蹴りで、決して軽くない怪我を負ってしまっている。今すぐ死ぬということはないが、早急な手当てが必要であることは、火を見るよりも明らかであった。

 

「焦凍、歩けるか? 肩貸すぜ」

「悪ィ……ヘマやらかした」

「HAHA! なんか、体育祭の時とは逆だな」

「そう……だな。あん時とは、状況も状態も違ェが……」

 

 熾念の肩を借りて立ち上がる轟は、俯き気味に呟いた。

 当たり前だ。喝采と声援に溢れるスタジアムと、閑散とした森の中でいつ敵の襲撃も受けるか分からない状況が、一緒であるはずがない。

 しかし、神妙ながらも力強い笑みを浮かべる熾念は、こう応えた。

 

「ああ、そうさ。前は大団円。襲撃されて大団円もあるかって話だけど……皆無事で居られりゃ、今回も大団円さ」

「……悪ィ」

「謝るなって! 友達だろ?」

「親しき仲にも礼儀あり、だろ」

「Toot♪ 言うねェ」

 

 轟の友達認定を示唆する言葉に口笛を吹きながら、緑谷と麗日の方へと視線を向ける熾念。既に流血自体は収まっている麗日は兎も角、右腕一本やられている緑谷は、怪我を推して尚動くつもりのようだ。

 

「まだマンダレイの『テレパス』が聞こえてこないってことは、かっちゃんが保護されてないってことだ。まだ避難できてないのかもしれない……だったら、僕が迎えに行かなきゃ……!」

「そんな怪我でアカンよ! もしかしたら、人目につかんよう林ン中進んでるかもしれないし……」

 

 そんな彼を制止しようと声をかける麗日であるが、緑谷出久という男を止めることは、そう容易いことではない。

 

「ゴメン、麗日さん。それでも僕は行かなきゃダメなんだ……僕が動いてかっちゃんが救かるかもしれないって思ったら、動かずにいられないんだ!」

「っ……! 分かった。デクくん、せめてこれ……」

 

 雨の中でも伝わるほどの熱気と覇気。思わず気圧されてしまう麗日は、せめてものタシにと、自身が来ていた上着を添え木と共に緑谷の右腕に巻き付ける。

 彼を理解しているからこそ、してしまっているからこそ、止めることなどできようはずもない。

 

 引き留めるのではなく、支える。それが麗日の選んだ選択だった。

 

 だが、爆豪の保護に向かうと言っても、彼の現在地が分からないのであれば迎えに行こうにも行けない。

 どうしたものかと緑谷が眉を顰めた、その時だった。

 

「オイ、あれ見ろ!」

「……敵? 逃げてるのか」

 

 轟が見つけた人影。シルクハットを被った、マジシャン然とした格好に見える人物が、高らかな笑い声を上げながら木々の上を疾走していた。

 ここで不自然な恰好をしている者と言われれば、プロヒーロー以外では、今夜襲撃してきた敵連合の者達しかいない。何事かと怪訝な表情を浮かべれば、間髪入れずに人の足音のような音が、敵が去っていった方向とは逆側から響いてくる。

 

「皆!」

「蛙す……ッ雨ちゃん!?」

 

 ピョンピョンと蛙のように跳ねながら疾走する蛙吹が、普段は能面のように変わらぬ表情を、今にも泣き出しそうな程に歪ませて、四人に声をかけた。

 

「今、ここを敵が通っていかなかったかしら!?」

「ああ、マジシャンみてえな野郎が……」

「そいつが、爆豪ちゃんと常闇ちゃんを攫っていったの!」

「なッ!?」

 

 語られる衝撃の内容に、四人全員が驚愕とした顔になる。

 

 常闇がマスキュラーを吹き飛ばしてから、二人一組で行動していた爆豪と常闇。彼らはそのまま、蛙吹と彼女に看病されている障子の下にたどり着き、重傷の障子を二人で抱えながら、施設へいそいそと撤退を始めた。

 そして、広場の脇の林を通り抜け、施設へ……と思った時に、マジシャン然とした敵に謎の手口で爆豪と、なぜか常闇も攫われてしまったのだ。

 

「あの敵の服の右ポケットに、ビー玉みたいなのが二つ入ってる筈よ! でも、私じゃとても追いつけない……!」

 

 詳しい経緯を話す時間も惜しい。

 そう言わんばかりの早口で、どこに二人が捉われているのかを伝える蛙吹に、緑谷と熾念の二人が反応した。

 

「梅雨ちゃん! 焦凍を頼んでいいかっ?」

「え? ええ、構わないわ」

「出久!」

「うん!」

 

 肩を貸していた轟を蛙吹に託し、緑谷と視線を交わす熾念は、徐に自分と緑谷の体をシアン色の炎で包み込み、そのまま宙へ浮遊させ始める。

 

「あっちだったなっ? 全速力で行くぞっ!」

「お願い!!」

「ちょっと二人とも!? そんな腕で……」

「俺は右手、出久は左手がある! 二人合わせて二本さっ! 勝己と踏陰の手をとる分はある!! I’m going♪」

 

 蛙吹が止める間もなく、夜の雨空を流れる流星となり、先程の敵を追いかけた二人。

 熾念が『念動力』にて飛行できる最高速度は、念動波の速さである秒速三十メートルとほぼ同じ。時速に換算すれば、約百キロメートルだ。

 それだけの速度を生身で移動するというのは、慣れている者でなければ相当体に負担がのしかかる。熾念自身も、血液が下半身に溜まって意識がブラックアウトするのを恐れ、普段はここ一番という時以外は用いないのだが、今は状況が状況だ。

 

「っ……見えたか!?」

「クソッ、暗くて……いや、見えた!! あそこだ!!」

 

 数十秒共に飛行し、見失ったマジシャン敵を捜索する二人の内、緑谷が森林のとある地点で降り立とうとする敵の存在を確認する。

 

 場所は把握できた。本来であれば、バレないように隠密行動が一番好ましいのだろうが、敵連合には黒霧という『ワープゲート』の“個性”を持つ者が居り、いつ撤退されてもおかしくない状況だ。

 ワープされてしまえば、追うことは最早不可能。

 

 となれば、ワープされるよりも前に二人を奪還するしかない。

 

「先手必勝だ!! Are you ready!!?」

「いつでも!!」

 

 二人は見据える。

 そして構える。

 

 緑谷は拳を。

 熾念は脚を。

 

 灯るのは、シアン色の炎だ。夜には異様な色の光が瞬いたことに、マジシャン敵―――『Mr.コンプレス』が気づいた時には既に、流星が地上へ真っ逆さまに疾走した時であった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

「……チッ、今日は雨なんて天気予報じゃなかったろ。折角の襲撃も、炎とガスの勢いが収まっちまって台無しだ」

「全くそうだよな、荼毘! 最高の襲撃日和だぜ!」

 

 森林のとあるポイント。そこに立っていた二人の男が、つい先ほどから降り出した雨に各々の反応を見せながら、他の開闢行動隊の者達を待ちかねていた。

 体中皮膚がツギハギで、紫色という毒々しい色が目に付く男『荼毘』は、忌々しげに雨に舌打ちをする。一方で、マスクを被りテンションが高い男『トゥワイス』は、自分がたった今口にした言葉に矛盾する内容を続けて言い放つ。

 

 彼らは、数分前にMr.コンプレスから『爆豪勝己を捕まえた』と目的達成した旨を、無線を通じて連絡してきた。その為、事前に打ち合わせした集合場所へ五分以内に付くよう歩いてきたのだが、彼ら以外はまだ誰も到着してはいない。

 

 腕を組み、トントンとリズムよく自身の二の腕を叩く荼毘からは、『早くしろ』と言わんばかりのオーラがにじみ出ている。

 

「……ヘマやらかしやがったか。まあいい。最悪、Mr.だけでも来れりゃ、凡その任務は達成だ」

「ああ! そりゃ、薄情過ぎんだろ!」

「フン。会ってちょっとのイカれた仕事仲間に、情だのなんだの―――」

 

 仲間意識が希薄な荼毘に、薄情と声を上げるトゥワイス。

 しかし、一応同じ組織に所属しているとは言え、社会のはみ出し者である彼らに世間一般に通じるような仲間意識というものが存在するかは、甚だ疑問な部分である。

 そういった点では、荼毘の言葉は正しい言葉だ。

 

 しかし、そのような言葉を紡ごうとした際に響いてきた、何かの落下音。もしや、Mr.コンプレスがやって来たのではと振り返った荼毘が目にしたのは、確かにMr.コンプレスだった。

 余計な者もプラスしての状態ではあったが。

 

「ARIZONA―――」

「COMET―――」

「「SMASH!!!」」

「ぐぼぁ……!?」

 

 驟雨を切り裂く勢いで、迸る火炎を纏った四肢でMr.コンプレスに攻撃を加えた緑谷と熾念は、爆豪らを攫った彼をそのまま拘束するように抑えかかった。

 思わぬ者達の登場に瞠目する荼毘であったが、すぐさま掌を翳し、迎撃態勢に入る。

 

「Mr.、避けろ」

「! 了解」

 

 ジジッ、と歪な火花を散らす音を響かせ、回避するように促す荼毘。彼の左手に灯る炎は、熾念たちが纏う炎とは真逆―――どす黒い赤色の炎だ。

 禍々しい色合いの炎を砲弾のようにして解き放った彼に合わせ、Mr.コンプレスも自身の“個性”で体をビー玉のような物体に圧縮してみせる。

 

 突然消える人間と、同時に抉れるように凹んだ地面に目を丸くする二人。そうしている間にも、どす黒い炎は眼前に迫る。

 

「It’s no use!!」

 

 しかし、ただやられる訳もない。

 荼毘に対抗するように、異常な反応の速さで動いた熾念はシアン色の炎を解き放つ、荼毘の放った炎の中心を貫いた。

 『念動力』と『発火能力』が一体化しているが故の炎は、言い換えれば『視認できる炎と念動力の性質を持ったエネルギー』。単純な炎と力比べすれば、よほど相手の炎に勢いがなければ、容易く打ち負かすことができる。

 

 芯を貫かれ、霧散する荼毘の炎。

 逆に熾念の放った炎は、彼の視界を塞ぐように瞬く。

 

 夜には眩しすぎる光に荼毘が目を細めれば、なんと、荼毘の正面に対して放射状に広がっていた炎の中央から、何者かの拳が突き出てくる。

 

Take that(それでも喰らいな)!!」

「DETROIT SMASH!!」

「なッ……ぐ!」

 

 予想外の攻撃に、防ぐ間もなく鼻っ面に緑谷の一撃を喰らう荼毘は、殴られた衝撃で後方へヨタヨタと後退る。

 

「死柄木の殺せリストにあった顔だ! そこの地味ボロ君とおまえ! なかったけどな!」

「Huh!?」

 

 そのような荼毘の援護に入るべく、腕輪からメジャーのような武器を取り出すトゥワイス。

 ムチの要領で、熾念に攻撃を仕掛ける彼であったが、全力で眉を顰めている彼の念動力で、あっという間にその場で五回転アクセルさせられるハメとなり、流れで地面に叩きつけられる。ついでに、武器として取り出した自身のメジャーで縛られる有様だ。

 

 文字通り瞬殺。熾念が急いでいた、“個性”の相性が悪かったなど、要素は色々あるものの、総評すれば『運がなかった』と言うべきだ。

 しかし、悪運はそれなりにあるらしい。

 

 茂みからひょっこりと、一人の女が姿を現したのだ。

 

「わ! わわ!! わわわ!!? 回収地点が騒がしいと思って急いでみれば、二人ともサプライズで私を待っててくれたんですね! 感動です! 私、とっても嬉しいよ!!」

「おや、トガちゃんのご到着だ」

 

 今度は全裸ではない、おどろおどろしい器具を背負ったトガが、荼毘たちと先行して交戦していた二人を目の当たりにし、歓喜を瞳に宿す。

 ある意味、年相応に燥ぐトガに対し、いつのまにやら元の姿へと戻っていたMr.コンプレスが、彼女の到着に仰々しいリアクションをとる。

 

「じゃあトガちゃん。彼らと遊んだげて」

「了解です!!」

 

 飄々とした態度で後退するMr.コンプレスに対し、注射器を投擲するトガ。狙いは、熾念だ。

 病院の採血でも使わないレベルの針の大きさに戦慄する熾念であるが、彼女の攻撃は、ゾーンに入っている彼に対して迂闊過ぎた。即座に注射器が宙で静止し、逆に針をトガの方へ向け、炎を纏いながら彼女の体をグルグルに縛り始める。

 

「Tsk、ホント懲りないなっ!」

「おや? や~~~!!」

 

 バレリーナのように、その場で回されるトガ。あっという間に縛られたかと思えば、地面で芋虫のようにジタバタ動いているトゥワイスと一緒くたにされるような形で、チューブを縛り付けられてしまった。

 

 キツくキツく。それももう、チューブがギシギシと軋む音が鳴るレベルで。

 

「やー、近い! 加齢臭~~~!!」

「くそ、解け!! もっとキツく縛れよ!!」

「ホホウ、短時間でこんな真似をするとは! 君はエンターテイナーの気質があるな!」

 

 ミノムシ状態のトガとトゥワイスを一瞥し、彼らを封殺してみせた熾念にMr.コンプレスは、感嘆の声を上げる。

 余裕綽々といった彼の様子に、面白くなさそうな笑みを浮かべる熾念は、荼毘と交戦している緑谷へ目を向けた。右腕は使えないものの、比較的荼毘の攻撃が単調で隙が多いことから、大事に至るような致命傷は負っていないようだ。

 

 彼の身をそれほど案じる必要なないと考えた熾念は、今一度Mr.コンプレスへとシアン色の光の尾を引く瞳を向ける。

 仮面を被り、どのような表情を浮かべているのかはっきりしない男であるが、悠々と封殺されているトガとトゥワイスを『圧縮』している辺り、余裕のある微笑みを浮かべていることだろう。

 

「さてさて。……!?」

「もしかして、お探し物はこれか?」

 

 回収した味方をポケットに仕舞おうとしたMr.コンプレスの様子に、異変が生じる。

 その時を見計らっていたかのように、にんまりとしてやった顔の熾念は、人差し指と中指に挟めているビー玉らしき物体を、堂々と見せつけた。

 

「右ポケットのビー玉……勝己と踏陰はこれだなっ。エンターテイナー気取り!」

「あの短時間でよく……! こりゃ、一本取られたな!」

「波動くん!」

「アホが……」

 

 蛙吹に伝えられた内容通り、右ポケットに入っていたビー玉を手に入れ勝ち誇った笑みを見せる熾念に、緑谷も思わず歓喜の声を上げる。

 対して荼毘は、目標を奪還されたことに不満げに声色を重くした。

 まんまと奪い返された味方もそうだが、学生如きに一杯食わされたことも助長し、荼毘を好戦的にさせていたのだ。ジリジリと燻る彼の皮膚はまさに、現在の心境を表していると言えよう。

 

 まだ黒霧は来ていない。

 

 ここからは、緑谷たちが追われる側、荼毘たちが追う側になる―――ハズだった。

 

「合図から五分経ちました。行きますよ、荼毘」

 

 熾念の体から迸っていた炎が収まると同時に、何もない空間からにじみ出る暗闇。

 それがUSJで恐怖を運んできた敵の一員の仕業であると判断するには、そう時間はかからなかった。

 

「ワープの……!?」

「くっ……Huh?」

 

 既に撤退モードに入っていた二人は、黒霧に呑まれないようにと身構える。二人の内、熾念は“個性”で牽制しようと―――最悪、飛行して逃げればいいと考えつつ、発動しようとした。

 が、

 

(っ!? “個性”……発動できない!?)

 

 うんともすんとも反応しない“個性”。

 以前ならば、インターバルであろうとも無理すれば発動はできた。それなのにも拘わらず、シアン色の炎が収まったかと思えば、突如として“個性”が使えなくなってしまう。

 

 何が原因なのか分からず瞠目している間にも、敵連合は撤退ムードに入っている。

 尤も、爆豪らを奪還されたとばかり思っている荼毘は、依然として逃げる二人を追撃しようとするが、それを阻んだのは他でもない、Mr.コンプレスであった。

 

「俺の悪い癖だ……マジックの基本でね。モノを見せびらかす時ってのは、見せたくないモノがある時だぜ?」

 

 仮面を脱ぎ捨て、徐に舌を出す。

 すると舌の上には、見たことのある人影がぼんやりと映っているビー玉のようなモノが乗っかっているではないか。

 同時に、熾念が手に持っていたビー玉は大量の木の葉へ一変し、二人の視界を遮る。

 

 不味い、一杯食わされた。

 

 予期していたか否か、熾念の“個性”は現在発動できない。

 加えて、逃げようとしていた為に、二人ともMr.コンプレスとそれなりの距離が開いてしまっている。

 敵連合は既に撤退態勢。今すぐワープゲートを潜られ、どこかも分からぬ場所に級友を攫われてしまうのも、時間の問題であった。

 

 歯を砕けんばかりに食い縛り、全速力でMr.コンプレスへ向かう二人の顔には笑顔はなく、鬼のような形相が浮かべられている。一方で、Mr.コンプレスは仮面を再び被りながら、必死な彼らを嘲るようにお辞儀した。

 

「そんじゃー、お後がよろしいようで……―――」

 

 しかし、一条の光線が煌く。

 

「っ……!」

 

 空へ上る光線は仮面を砕き、口の中に仕舞われていたビー玉を吐き出させるに至る。

 発射元を見れば、茂みに一人の男子生徒―――青山優雅が、『ネビルレーザー』の射出態勢をとったまま固まっていた。

 恐れを堪えた状態での、決死の一撃。

 それは生徒たちの怒りを嘲るエンターテイナーに、一矢報いる結果を生み出した。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

 

 雄叫びを上げ、宙を舞うビー玉へ向けて肩が外れんばかりに手を伸ばす緑谷。フルカウル状態の彼に一歩遅れて熾念も続く。

 

「黒霧」

「はい」

 

 しかし、一歩遅れているからこそ気づけた。

 黒霧の『ワープゲート』を利用した、緑谷に対して死角からの攻撃に。

 

「っ―――!!!」

 

 気づいた時には、体が動いていた。

 緑谷の背後を付け狙う、炎を灯した荼毘の掌の前へ、熾念は飛び出す。自分の速力では爆豪らを救けられないと判断した上での自己犠牲だ。

 掌に対し、背中を向けて緑谷を庇う熾念に灼熱が奔ったのは、緑谷が左手の方にあるビー玉をつかみ取った時だった。

 

「ッ!!!!!」

 

 焼ける。

 焦げる。

 全身の血が沸騰するような感覚が、痛みが、熾念の脳を殴ったかのような衝撃と共に襲い掛かった。

 肉が焦げる臭いに気が付いた緑谷が一瞬振り返るが、血走った瞳を浮かべる少年が言い放った言葉は、

 

「二人を゛ッッッ!!!」

 

 それだけだった。

 

「ッソオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 降りしきる雨を突き破る怒号と共に、残りの一つ―――右手側にあるビー玉を掴もうと試みる緑谷。

 だが、フルカウルとは違う電撃が右腕に走った。走ってしまった。

 

(違う!! 違う!! 違う!! 違う!! 今じゃないんだよ今じゃないんだよ今じゃないんだよ!!!!)

 

「動―――」

「哀しいなあ」

 

 現実は非情。

 

 幸運にも恵まれれば、不運にも恵まれる。

 ヒーローとしての本質に付け入って級友を傷つけた上で、取り戻そうとしていたものを目の前で掻っ攫う。

 

 二人を嘲笑する荼毘の声が、やけに透き通って聞こえてきた。

 

 緑谷が掴み損ねたビー玉を掴み上げ、Mr.コンプレスに解除させることにより、首を掴んだ状態で爆豪を出現させる。同時に、緑谷の左手の中から常闇も現れるが、今はそれどころではなかった。

 

「かっちゃん!!」

 

 叫ぶ幼馴染に、爆豪の瞳は何を映したのだろうか。

 

 襤褸雑巾のようになりながら、自分へ手を指し伸ばそうとする幼馴染か。

 背中を煤けさせて、濡れた地面に倒れ伏すクラスメイトの姿か。

 

 どちらにせよ、いっぺんに目の当たりにした光景に、長々と感想を述べることなどできようはずも、抵抗もできようはずもなかった。

 

 故に、言い残した言葉は

 

「来んな、デク」

 

 幾らでも、解釈のしようがある端的なものであった。

 激しさを増す雨に紛れ、黒い靄の中へと呑み込まれていく爆豪。伸ばした手が届くことはなく、ただ、無理に動かしたために疼く痛みだけが、『救けられなかった』という事実をジンジンと訴えかけていた。

 

「―――っ……ああ゛!!!」

 

 緑谷の上げる慟哭もまた、雨の音に掻き消され、目元から零れ落ちる涙を是非もなく攫って行く。

 

 完全敗北。

 

 訪れた結末は、大団円などではなかった。

 


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