Peace Maker   作:柴猫侍

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№47 波動 熾念:オリジン

 意識が落ちたと思った時、熾念は知らない場所に忽然と姿を現していた。

 何もないくらい空間。いや、何もないと言えばウソだ。自分の目の前で、雨曝しになっている青い炎が、弱弱しく灯っていた。

 

 目の前の物体が雨曝しとなっているのだから、すぐ近くに居る熾念も雨に打たれるのは必然。不意に肌寒さを感じた熾念は、自然と炎に手を伸ばし、これ以上炎が雨に曝されないようにと念動力で傘を炎にさしてあげた。

 するとどうだろうか。炎は喜びに震えるかのように、熱く、激しく、その勢いをグングン増していく。

 

 やがて炎は、自分を包み込んでいてくれた緑色の光と一体化し、シアン色の炎へと変貌した。

 

 苛烈さはない。

 怒りは窺えない。

 ただ、自分を包み込んでくれるような温かさを感じた。

 

 しかし、その温かさがどうしようも怖くなる。

 焼かれてしまうのではという懸念ではない。自分にとって、最も恐ろしい一瞬が脳裏に過りそうで怖かったのだ。

 このような感覚を覚えるのは、今回も入れて三度目。毎度、起き上がった時は何かを得た気がする。

 

 いつもは寸前の所で手を引いてウヤムヤにしてしまっていたが、三度目の正直と言わんばかりに、己の内に湧き出る恐怖心を噛み殺し、熾念はグッと手を伸ばす。

 

 

 

―――記憶が蘇る

 

 

 

『ヤダ! こんなのっ……“個性”でどかすからぁ……!』

『危ないから駄目! お願いだから、早く逃げて……』

『ヒーローはこんなトコで逃げないもん!』

『……しー君は、きっと凄いヒーローになれるよ。だからね、ママとパパのお願い聞いて?』

『……え?』

『   』

『おかあさ―――』

 

 紅い炎が燃える室内で、瓦礫を挟んだ状態での親子が会話を繰り広げられたが、突如として崩れた天井の瓦礫により、二者は分断されてしまう。

 その後、男の子は大泣きしながらその場から離れていき、暫くしてペタんと座り込み、そのまま地に伏せてしまった。

 

 すると、ちょうどやって来たヒーローが、男の子を抱きかかえ、近くの窓から颯爽と飛び降りる。

 見慣れた影。あのV字に逆立つ金髪は他でもない、オールマイトだ。

 

(ああ、あれ俺か……)

 

 懐かしさと悲しさに涙を零し、瞬きをすれば場面が変わる。

 今度は病室だ。

 

 小さい頃の自分―――波動少年が、心ここに在らずといった様子でベッドに座っている。近くのテーブルには、両親の形見と思しき指輪が二つ置かれていた。

 看護師、医師、そして波動家の者達が見舞いに来た後、最後に再びオールマイトが来てくれる。

 

 快活な笑い声を上げるヒーローを前に、破顔しながら大泣きする波動少年。

 痛々しすぎて見ていられない。だが、見なくてはならないと、心のどこかで誰かが叫んでいる。

 ジッと波動少年とオールマイトのやり取りを眺めていれば、最後にオールマイトが片手でピースを作り、そのまま指を波動少年の口角に当てた。

 

『いいかい? 怖い時、不安な時こそ笑っちまって臨むんだ! 何故かって? それは、笑っている人間が一番強いからさ!』

 

 

 

―――一度目は『笑顔』

 

 

 

 変わらないオールマイトの姿にクスリと笑ってしまえば、これまた場面が変わる。

 今度は、これまた病院のベッドの上で点滴を打ちながら座っている波動少年の姿だ。

 隣に、若かりし頃の拳藤少女が座っていることから、トラウマで使えなくなっていた“個性”を無理に発動した後だと、予測がついた。

 目に涙を滲ませる拳藤を慰める為、ヘラヘラと笑い続けている波動少年。

 

(そういえば、俺のこの喋り方……一佳が『オールマイトってカッコいいよな』って言ったから、真似し始めてこうなったんだっけ。俺って単純だな、HAHA)

 

 今の熾念を形作るアメリカンな口調。

 それは他でもない、憧憬を抱く相手のことを、初恋の人が『カッコイイ』と言ったからだ。

 そうともなれば、真似することには些少の躊躇いもない。オールマイトから始まり、アメコミにも興味を抱き、誕生日にまとめ買いしてもらった『スーパーマン』や『スパイダーマン』などを読み漁り、現在に至る。

 

 

 

―――二度目は『恋』

 

 

 

 それからは走馬燈のように記憶があふれ出す。

 小中高と、多くの友人や大人たちとの思い出。馬鹿をやったりもした。ガミガミと説教されたりもした。皆で一日一日を楽しんだ日々の中、笑顔を忘れたことは一日足りとない。

 

 憧れのヒーローになりたいと願って。

 

 だが、溢れかえる記憶の中で、意識を落とす直前のことを思い出した。突然、横の林から飛び出してきた男に殴り飛ばされ、そのまま吐血し、起き上がることすらままならなくなって、瞼を閉じてしまったことを。

 なんと情けない姿だろうか。

 一体、誰がこんな姿の者を『ヒーロー』と呼んでくれるのだろう。

 

 痛みが蘇る。

 

(……違う)

 

 口から血が溢れかえる。

 

(倒されても……血を吐いても……)

 

 体が悲鳴を上げる。

 

(何度も立ち上がって、立ち向かえるのが―――)

 

 体に、熱が迸る。

 

 

 

「―――ヒーローの特権さっ!!!」

 

 

 

 自分に言い聞かせるように、雄叫びに似た叫びを上げれば、彼の体を覆いつくしていたシアン色の炎が一条の光線となり、濛々と空に溜まっていた雨雲を貫く。

 するとどうだろう。雨雲は、波紋が広がるようにサッと消え去っていき、見渡す限りの蒼天が、熾念の頭上に広がっていくではないか。

 

(有象無象だっていい。ちっぽけな存在でもいい。でも……俺も、誰かの願い背負って戦うヒーローになってみたいんだ。だから……)

 

 熾念の身体から迸る、澄み切ったシアン色の炎。

 空色にも似た彼の意思の熱は、不意に彼に幻影を見せる。

 

 今ならはっきりと思い出せる。

 大好きだった、母と父の顔も。自分が、彼らの願いを継いで今日まで生きているということを。

 長い人生に比べ、他人よりも両親と一緒に入れた期間は少ないと言えども、確かに愛情を注がれて生きていた。その事実に勝るトラウマなど存在しない。

 

『生きて』

 

 両親から託された想いを全うしたい。

 そう思うだけで、死んでも死にきれないと言わんばかりに、熾念の身体が、細胞が、心が生命の熱を持ち始める。

 

 

 

―――三度目は『ヒーロー』

 

 

 

 ヒーローとは、逸脱し、超越し、一線を隔す破格の存在……などではなく、『救けて』という想い・願いに応えて何度でも立ち上がる者のことを指す。

 ならばもう迷う必要はない。

 雨は既に上がっている。あれほどまでにざわついていた雨音は聞こえることなく、波一つ立たない透明な水面が地平線まで伸びている。明鏡止水とはこのことかと納得しつつ、太陽に似た光が地平線から覗くのを確認し、徐に歩み出す。

 

 視界は明瞭だ。

 笑顔のまま、まっすぐ進めばいい。

 

 

 

 それがヒーローだ。

 

 

 

 ☮

 

 

 

「SMASH!!」

「なんだ? これが“個性”か……軽ィな!!」

「ぐあっ!」

 

 熾念がマスキュラーに襲撃を受けた直後、すぐさま緑谷はフルカウルでの『DETROIT SMASH』を相手に繰り出した。

 しかし、マスキュラーはその腕の筋肉の鎧でいとも容易く受け止め、あろうことかそのまま弾き飛ばして見せる。

 

 蹴られたボールのように、地面をバウンドする緑谷は、幸か不幸かムーンフィッシュと攻防を広げる轟たちの下まで弾んでいった。

 

「デクくん!」

「大丈ぶ……僕のことは」

「っ、緑谷!! 来てるぞ!!」

 

 せき込む緑谷を心配する麗日であったが、片足をやられて片膝をついている轟が、マスキュラーの襲来を告げる。

 咄嗟に見上げれば、嬉々とした表情で拳を振りかざそうとしている。

 ただ無慈悲に死を与える鉄槌。その接近に、既に血色が悪かった三人の顔から、更に血の気が引いていく。

 

(狙いは……!)

 

「危ない、麗日さん!」

 

 フルカウルの跳躍力をもって、心配して寄り添ってきてくれた麗日を庇うように飛び込んだ緑谷。

 そんな彼の背中を、マスキュラーの巨大な拳が掠る。掠ると言っても、その威力や木々を軽くなぎ倒せる程。一瞬、全身に痺れのようなものを覚えた緑谷は、歯を食いしばりながら、敵から目を逸らさぬように、着地した途端に振り返る。

 

「があっ!」

「轟くん!?」

「はっはあ! やっぱこれだよ、血だ!」

 

 緑谷に拳を掠めた後、すぐさま近くに居た轟を、繰り出された氷結こと殴り飛ばしたマスキュラー。体育祭で見せたように、背後へ氷結を放って勢いを相殺しているが、殴られたダメージはかなり大きく、轟の息も大きく乱れ始めている。

 

「ああああ―――……僕の肉。横取りするなあああ……!」

「ああ? 水臭えこと言うなよ。さっきぶっ飛ばした餓鬼と合わせて四匹だ。お互い楽しめる分にゃ山分けできんだろ」

「あれれ? 私の分忘れてませんか。私、もっと出久くんや焦凍くんと遊びたいんですが」

 

 文字通り、狂った内容の会話を広げる敵三人に、身の毛もよだつ思いをする麗日。

 

(アカン。アカンアカン……アカン!! このままやと、皆が……!!)

 

 USJ襲撃と比肩する―――否、それ以上の焦燥や恐怖の波が、麗日の思考を溺れさせていく。

 落ち着けと自分に言い聞かせようとしても、ガチガチと歯が鳴る音しか耳に入らず、景色が歪んで見えてくるような気さえした。

 だが、一人であれば発狂していたかもしれないこの状況下でも、自分を庇ってくれた緑谷が居るお陰で、目の前に迫る危機に反応することができた。

 

「青春してんなぁ、オイ。真っ赤に染めてやるよっ!」

「ッ!」

 

 近くにあった手ごろな凍った木を砕き割り、槍投げのフォームで緑谷と麗日が居る場所へ向けて投擲するマスキュラー。

 あれだけの質量を、風を切る音を響かせる速度のままぶつかれば、人一人くらいはミンチになりそうだ。

 

(アカン! デクくんは―――)

 

 気づいた時に、麗日はすでに先程自分を庇ってくれた緑谷を庇う形で、彼の体に覆いかぶさる。それだけで、どれだけの衝撃を緩和できるかなど分からないものの、無いよりはマシだ。

 自分が生存しているよりも、緑谷が生存している方が、離れた場所で倒れている轟の救出に役立つ。理論などではない、信頼だ。

 

 緑谷に後を託すべく、麗日は迫りくる凶器に身構えた。

 

「……え?」

 

 しかし、待てども待てども痛みや衝撃はおろか、物体が迫りよる風圧さえ感じないではないか。

 異変に気付き目を見開けば、たった今投擲された凍った木が、シアン色の炎に包み込まれるようにして、宙に浮かんでいるのが目に入って来た。

 

 一度、この光景を見たことがある。

 

 もしや、と思い辺りを見渡せば、案の定彼が佇んでいた。

 目が眩まんばかりの炎を身に纏い、のらりくらりと林から歩み出る、一人の少年が……

 

「Phew……森で寝起きってのもいいかもしんないけど、体は痛いは虫に刺されるはで最悪な目覚めだっ。こりゃ、モーニングコーヒーくらいのサービスつけてくれなきゃ、割に合わないな。ま、俺コーヒーなんて飲めないんだけどさっ」

「波動くん!」

「彼女が淹れてくれたって意味の、甘々なのならOKだけど」

 

 口の端から血を流す熾念が、さも大した怪我でないかのように振舞い、軽口を叩きながら戻って来た。

 そんな彼の登場に、敵の視線は釘付けだ。

 

「はは、元気そうじゃねえか……だったらもっと遊ぼうぜ!!」

「肉面、見せて」

 

 同時に、彼らの凶刃も熾念一人へ向かう。

 

「All right。注目されるのはそれなりに好きだぜっ」

 

 しかし、凶刃の切っ先を鈍らせる閃光が瞬く。

 FOOSH! と爆炎にも似た炎が、熾念の体から噴き上がるのを目の当たりにし、目を潰された二者は思わず動きが鈍る。

 その隙を逃がさず、熾念は先程受け止めた木をムーンフィッシュが伸ばしかけている歯刃へ衝突させ、バラバラに砕き割って見せた。

 

(からの―――)

 

 そのまま流れるような動きで、バラバラになった歯刃も念動力で制御下におき、シアン色の炎を纏わせ、目にもとまらぬ速さでマスキュラーに投擲する。

 眼前に迫る歯刃に、咄嗟に筋繊維の鎧を纏うマスキュラーであったが、派手な血飛沫を上げる、もしくは筋繊維に深々と突き刺さり、マスキュラーに少なくないダメージを与えることに成功した。

 

 しかも、決して温くない熱付きだ。刺された途端に、体の内側から焼かれるような激痛が走り、マスキュラーは柄にもない声を上げる。

 

「あっぢィ!!?」

「HAHA! 丸太って便利だと思わないか、Huh?」

 

 そう言う熾念は、マスキュラーに突き刺した歯刃をさっさと回収し、それらで身近の木にテキパキと切りつけていき、あっという間に数本の木を切り倒す。

 歯刃に加え、即席の鈍器の完成だ。ジャグリングで投げられているナイフのようにクルクル宙で回る歯刃は、庭師に勝るとも劣らない速度で、鬱蒼と生い茂っていた木の葉を斬りおとしていく。

 

「一丁上がりっと」

「あああ―――、肉面、肉肉肉ゥ~……」

 

 再度、ムーンフィッシュが枝分かれする歯で熾念に攻撃を繰り出すも、今度は数の増えた丸太で次々と横から殴られ、砕き割られていく。

 割られ、弾け飛ぶたびに念動力の制御下におかれ、ますます熾念の武器は増えていくのだ。

 

 それでもムーンフィッシュは、自身の欲求を満たすが為に攻撃を続ける。

 それが、下で自身の血を見ることになっているマスキュラーの首を絞めることになったとしても、だ。

 

(頭がすっきりしてる。思考が軽い。反射も早い。今なら……―――なんだってできる!)

 

 襲い掛かる敵二人の猛攻を、笑顔のままあしらう熾念は、感じたことのない感覚を覚えていた。

 

 

 

―――『ゾーン』

 

 

 

 スポーツや勉強、その他諸々において最高のパフォーマンスを発揮できるような精神状態を指す言葉であり、言い換えれば『無我の境地』や『極限の集中状態』とも呼ばれている。

 現在熾念は、そのゾーンに当たる精神状態だ。

 

 リラックスしているのに、目の前の戦闘に集中できている。

 考えた時には既に、体が動いている。

 『念動力』にしても、普段の思考のプロセスを吹っ飛ばしたかのようなレスポンスの速さが見られる。

 

 まるで、思考と反射が融合し、一体化したような感覚。

 それこそがゾーン。その状態に至っているが故の、彼の身に纏う炎の色だ。

 

 だが、理由はそれだけではない。

 

(イメージしてたこと、ソックリそのまま出来てる)

 

 相澤とマンツーマンで練習していた、『自身の“個性”をブーストさせられないか』という課題。

 理屈は云々、体中にエネルギーが巡り巡るかのような感覚が、『念動力』にも『発火能力』にも上手く作用しているようだ。完全解放している『念動力』の余剰エネルギーが、無駄なく『発火能力』へと回され、排熱される感覚だ。

 

 今ならば、延々と“個性”を使い続けて居られるような、そんな錯覚さえしてしまう。

 

 だが、そう悠長と構えられる訳もない。

 

「また会ったね、熾念くん!」

「Huh?! Toot、うら若き女子が裸って。こんな状況じゃなきゃ、ガン見しちゃうところだなっ!」

「出久くんと一緒に会いに来てくれたんだね!? 今、熾念くん血まみれでとってもカッコイイよ!! 切り刻ませてください!!」

「Sorry! No thank youだ!」

 

 ナイフ片手に飛びかかるトガに対し、浮かせていた歯刃を仕向け、斬撃を受け止める熾念。

 現在彼は、ムーンフィッシュの攻撃を丸太で防ぎ、こちらに来ようとするマスキュラーを炎付の歯刃で牽制し、インファイトを試みる全裸のトガをあしらっている。

 1対3。とてもではないが、長時間は続きそうにない攻防だ。

 

「麗日さん」

「っ……どうしたの、デクくん?」

 

 しかし、黙って見ているだけのヒーロー志望など、この場に存在しない。

 今が好機と見た緑谷が、傍に居る麗日にコソコソと耳打ちをし始めた。

 

「今、敵は波動くんに目が向いてる。あの筋肉の“個性”の奴もだ」

「うん。私が触れられれば、無力化できそうなんやけど……」

「その通りだよ。だから、僕の作戦聞いてくれるかい?」

「―――うん。私、デクくん信じてるから」

「ありがとう。じゃあ、聞いて」

 

 麗日の迷いのない瞳を目の当たりにした緑谷は、即興で考え出した単純明快な案を彼女に伝える。

 怖がる表情を見る限り、与えられた役目の重さが軽いものではないことが窺えるが、それでも麗日は、信頼に値する人間の言葉に、己を委ねることにした。

 

「準備はいい? 麗日さん」

「うん、いつでもオッケー」

 

(なんでやろ……デクくんの声聞くと、めっちゃ安心する)

 

 手を繋ぐ二人。

 同時に、フルカウルを発動した緑谷の体の熱が、掌を伝わって麗日に伝播する。そのまま、自身の体を肉球で触れ、“個性”を発動した彼女は、ふわりと浮かび始めた。

 もう―――恐怖は薄れている。

 

()()()()!」

「うん!!」

 

 直後、臓器が一方向に引っ張られる感覚を覚えながら、尋常ではない速度でマスキュラーの頭上を通り過ぎた麗日。通り過ぎざまに、マスキュラーの頭を肉球で触れたことにより、無重力になった彼の体が動き始める。

 

「お? お? なんだこりゃ」

 

 じたばたするマスキュラーであるが、無重力状態で自由に動けるはずもなく、次第に彼の体は地上から十メートルも離れた場所を漂うこととなる。

 意図せぬ戦線離脱に、額に青筋を立て、元凶となった麗日を睨むマスキュラーは怒号を上げた。

 

「おい! おまえだろ、女! こんなちゃっちい真似してんなよ! 下ろしてくれたら遊んでやるからよ!!」

「―――遊ぶ? ふざけるなァッッ!!!」

「あん?」

 

 首が動く範囲で、己が発した声とは違う怒気を含んだ叫びが聞こえてくる方へ、顔を向けるマスキュラー。

 こんなにも高い場所で人の声など、相手が飛べる“個性”でも有していなければ聞こえてこない筈。今いる中では、辛うじて熾念がそれに該当する“個性”持ちだが、現在彼はトガやムーンフィッシュと交戦中だ。

 

 では、一体誰だ?

 

 振り向けば、答えは明白。

 

「緑谷ァ……! そんなに俺と遊びたかったのか!!」

「うるせえッ!! そんなに人を弄んで! 壊そうとして!! 命を奪おうとして!!! だってのに、ヘラヘラ笑いやがって!!!!」

 

 ありったけの声を上げる緑谷は、この高度へ、轟とムーンフィッシュの戦いの残骸―――大氷壁を巧みに上り、天辺で飛び上がることで、マスキュラーの上をとったのだ。

 無重力状態で殴り落とせば、拳撃の威力だけではなく、落下の衝撃も加わって大ダメージを与えられる。そう踏んだ上での行動であった。

 

 しかし、マスキュラーの地力もある。もし、逆に殴り飛ばされでもしたら、緑谷が地面に叩きつけられて怪我を、最悪死ぬことだってあり得る手段だ。

 

 チャンスはこれっきり。

 

 そう考えた直後、緑谷の服の右半分が溢れ出るパワーによって弾け飛ぶ。

 

「おまえらは僕たちが……倒す!! 倒して、皆を救ける!!!」

「命かけても不可能な綺麗事、喚いてんじゃねえよ緑谷ァ!!!」

「ヒーローは! 命賭して綺麗事実践するお仕事だ!! 英雄(ヒーロー)は、いつだって命懸け!!!」

 

 漲る“力”―――久しぶりに発動する100%に、肉と骨が悲鳴を上げている。

 対してマスキュラーは、様子がおかしい緑谷を前にして、彼もまた限界に近い量の筋繊維を体に纏い、万全を期そうとした。

 

(まだだ! チャンスはこれっきりなんだ!! だったら、100%を……限界を超えろ!!!)

 

 しかし、まだ力を振り絞ろうと力む。力に打ち震える腕で精密な照準を定めつつ、限界以上の力が漲るその時を待つ。

 

 時を。マスキュラーとムーンフィッシュが重なる、その時を。

 

 重なったその時、照準を定めていた目とは違うもう一つが、トガたちと攻防を繰り広げている熾念と、視線が重なった。

 彼らには、それだけで十分。

 トガを念動力であしらった熾念が、徐に力を解放しようとする緑谷へ向けて掌を翳す。

 

 するとどうだ。

 

 100%以上の“力”に溢れる拳の表面に、収まりきらない程の炎が溢れかえり始めるではないか。

 発火地点に定められた拳に収まりきらない程の炎。

 それもそのはず、彼が一撃に賭けていることを瞬時に察した熾念が、それに見合うだけのエネルギーを差し向けているのだから。

 

(ワン・フォー・オール、1000000%!!!)

 

 限界を超えろと、誰かが自分を激励してくれているような気がした。

 その時にはもう、暴れまわっていた炎も規則性を見出し、拳から十字に伸びる形で激突の瞬間を待つ。

 

 そして、正義の鉄槌は振るわれる。

 

ARIZONA(アリゾナ)!」

「ンの餓鬼が!! ヤる気満々ってか、ああ!?」

 

 重なる両者の拳。

 その隙間からは、どこに在ったのかと疑いたくなるほどのシアン色の炎が、辺りを煌々と照らすように噴き出す。

 

FLAGSTAFF(フラッグスタッフ)!!」

「ッ……ハ、ァア゛ン!!?」

 

 筋肉の鎧。

 絶対の自信を抱いていた己の“個性”が、崩され始めるのを感じたマスキュラーは、覚えたことのない感覚を覚える。

 

 焼け、焦げ、千切れ、押しつぶされ、弾け、軋み、剥がれ、突き破る衝撃。

 

 防ぎようのない一撃が、分厚い肉の壁を容易く貫き、本体を捉えるにはそう時間がかからなかった。

 

「待―――!」

「SMAAAAAAASH!!!!!」

「駄目ああああ!! 肉面見せてよ~、にくめん~!! 肉肉に゛」

 

 魂の叫びと大地を衝く衝撃、そして轟音に巻き込まれ、地面に叩き付けられるのはマスキュラーと、彼が吹き飛ばされた射線上に居たムーンフィッシュだ。

 反面、緑谷の限界を超えた一撃に『BIG BANG SMASH』級のバフをかけ、トドメの一手に一役買った炎は、拳が放った衝撃とは真逆の空へ、螺旋を描くようにして突き昇る。

 

「んやああ!」

「ッ……出久!」

「デクくん!」

「緑谷……!」

 

 森を津波のように走る衝撃に、無防備だったトガは転がっていき、他の者達も近くの木にしがみつくなどして、何処かへ飛んでしまわないようにと踏ん張る。

 

 何秒経ったか、時間を忘れてしまうほどの光景を前に、彼らは今の見逃さんと目を見開く。

 

「……あ?」

 

 ちょうど、吹き荒れる風が収まった頃、轟は頬を伝う水滴に気が付いた。

 すると気づくや否や、ポツポツと雨が降り始める。雨雲などなかったというのに、火照る体を覚ましてくれるような癒しの雨が、サアサアと彼らの身を包んでいくのだ。

 地に伏せるマスキュラーとムーンフィッシュは微動だにせず、熾念の補助を得て地に足をつけた緑谷は、ボロボロの右腕を掴みながら雄叫びを上げる。

 

 この時だけは、雨粒によって騒めく木の葉の音が、彼を賞賛する喝采のように聞こえた。

 

「まさか……」

 

 

 

 今の緑谷の一撃による風圧と、熾念の炎の熱による上昇気流で、雲を作り出したのか?

 

 

 

「右手一本で……天気変えやがった……!」

 

 驚愕と歓喜が、轟の顔に浮かぶ。

 敵連合の手により、森は炎とガスに包まれている。しかし、雨が降ればそれらの被害も小さくなるはず。

 たった一撃が状況を変えた。敵を倒し、命を救い、絶望的状況に一筋の希望を見出してみせたのだ。

 

 

 

 奇しくも()()は、彼の師が為してみせた業と比肩するということを、この時轟や麗日は知らない。

 しかし、理解したのは限界を超えた二人が起こしたヒーローが目の前に居る。

 

 それだけだ。


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