Peace Maker   作:柴猫侍

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№46 考えるよりも先に

「肉、みせて」

「ちッ、野郎……!」

 

 夕暮れとは違う紅蓮に染まる空の下、軽やかに跳ねる人影が一つ。

 体から伸ばしている枝分かれした刃物は、地上に佇む二名を斬殺せんと迫りよるが、轟が幾度となく生み出す氷壁で、辛うじて食い止められている。

 

 霜が降り始めている体温を常温に戻すべく、合間を見て左を用い、加熱を試みる轟であるが、全身拘束具という異様な恰好の敵は、絶え間なく刃―――否、歯を伸ばして攻撃を続けていた。

 

 死刑囚『ムーンフィッシュ』。自身の欲求を満たすがために、幾度となく市民を斬殺した男だ。

 『悪』と名乗ることすら烏滸がましいと思えるような『狂気』を宿した男を前に、ヒーロー殺しとはまた違った威圧を覚える轟は、自身の背に隠れている麗日に目を遣る。

 

「麗日、大丈夫か?」

「うん、私は気にせんといて……」

「イヤ、その傷大分ヤバいだろ。早く逃げろって言いてえトコだが……これじゃあ逃がそうにも逃げせねえ。クソ!」

 

 吐き捨てるように呟く轟。

 何故彼がそこまで焦っているのか。理由は単純明快、麗日がムーンフィッシュの奇襲で負った傷であった。

 左の二の腕を大きく斬り裂かれ、彼女の腕からはとめどなく血が流れだしている。

 幸いにも動脈は斬られていなかったが、それでも深く斬られてしまったことには変わりはない。彼女自身の上着を包帯代わりにして圧迫止血法を試みているが、限界はある。

 相応の処置をとらなければ、血を失い、体力を奪われ、動くことさえままならなくなってしまうことは目に見えていた。

 

(相手が三下だったら直ぐにでも氷結してやったが、野郎……―――相当場数踏んでやがる)

 

 轟の氷結から逃れるよう、口から延びる無数の歯刃を操り、ピョンピョン跳ねてみせるムーンフィッシュ。その身のこなしは、例え轟の氷結であっても捉えきれるものではなかった。

 加えて、歯刃の不規則な枝分かれ。これが轟を防戦一方へと追いやる要因の一つだ。

 攻撃の発生源は口という極めて限られた場所からではあるが、上下左右前後へと意図的に伸ばせる辺り、応用性に富んでいると見ていい。

 

 さらに、武器が『歯』というのも厄介だ。歯冠表面を覆うエナメル質という物質は極めて硬く、容易に砕けるものではない。

 ただ、衝撃には弱いという性質があり、増強系の“個性”の者が物理攻撃を加えれば破砕可能……かもしれないが、現在その荒業を可能とできる者は居ない。

 

 無事な生徒は、恐らく施設へ向けて撤退中だ。

 応援の望みは薄い。無論、プロヒーローたちは生徒を救けるべく動くだろうが、それが何分後であるかもわからない。延々と、この死と隣り合わせの戦い―――死闘を繰り広げられなければならないのだ。

 

(気ィ遠くなりそうだ……!)

 

 しかし、怖気づけば自分のみならず、背後に佇んでいる麗日さえも犠牲となってしまう。

 下がれない。自分と相手の間にそびえ立つ氷壁こそが、現時点の絶対防衛線だ。

 

 ここから先は譲らない、譲ることなどできない。

 

 決意を新たに固め、目の前のシリアルキラーへ体を向ける轟であったが、同時に頭の中で再び女性の声が響き渡った。

 

『A組B組総員―――プロヒーロー・イレイザーヘッドの名に於いて、戦闘を許可する!!』

 

 

 

 ☮

 

 

 

(戦闘許可もなんも……こっちぁもうバカスカやってんだよ、ネコババアが)

 

 一人木の陰から、視界の奥で死闘を繰り広げている二者を見遣りながら、マンダレイの『テレパス』による戦闘許可に対し、吐き捨てるような感想を抱く爆豪。

 それもそのはずだ。

 戦うか死ぬかを迫られるような状況で、むざむざ死ぬ方を選ぶ者などは自殺志願者以外存在しない。加えて、敵を前にしてヒーロー志望に戦うなと迫る方が無理という話だ。

 

 しかし、普段であれば戦闘許可を与えられれば鉄砲玉のように先行くであろう爆豪が、観戦に徹していたのは、冷静に戦場を分析していたからである。

 “個性”が暴走している常闇と拮抗する敵。

 大地を割り、木々を容易く薙ぎ払うその膂力は尋常ではない。

 

(見た感じ、『筋肉増強』ってトコか? 気味悪ィ繊維みてえなモンが体に巻き付いてる辺り、不正解って訳じゃねえはずだ。単純に力と速さ、んでもって筋肉の鎧で防御力も上げてやがる……腹立つが、俺が今前に出てっても状況悪くなるだけだな。腹立つが)

 

 心の中で燻る戦意やらなにやらを必死に抑え込む爆豪。

 敵―――『血狂いマスキュラー』の“個性”は、たった今彼が推測したように『筋力増強』だ。皮下に収まりきらないほどの筋繊維で、力、速さ、防御力を向上させるシンプルながら強力な“個性”だ。

 ザッと見る限り、USJにて襲撃してきた脳無とタメを張れそうな程、フィジカルはあると見ていい。

 

 となれば、今自分が前線に出るのは好手ではない。寧ろ悪手だ。

 常闇の“個性”は、夜という闇が深い時間帯であり、且つ障子に傷を負わせられたことによる義憤や悔恨がトリガーとなり、現在の暴走状態に陥っている。

 黒影を抑える手っ取り早い方法は『光』を見せることであり、爆豪であれば『爆破』で黒影を抑えることが叶う。

 

 しかし、黒影を抑えた後はどうだろうか?

 つい先日の期末試験で、オールマイトの強さは再認識したばかり。そんなオールマイトとタメを張れるような脳無と同等の男……安易に勝てると思うほど、爆豪もバカではない。

 

 もし、ここで常闇を鎮圧して爆豪が前に出たとしよう。

 

 周囲が森である以上、迂闊に最大火力を放つことはできない。

 だが、あの筋肉の鎧を剥がすには、最大火力しか方法がないのだ。

 他の手として、常闇を鎮圧した後に二人して広場へ逃げるという手もあるが、あれだけの速力を前に撤退を成功させるのは至難の技。

 爆豪自身は空を飛んで逃げることが可能だが、常闇はその限りではなく、結果として常闇が追い付かれて殺害されでもしたら、それは爆豪の所為となってしまう。それはそれで後味が悪くなってしまう為、爆豪的にもアウトだ。

 

(となりゃあ、鳥頭があの筋肉クソ敵をブッ殺した後、俺が出てって暴走止めんのが“筋”か)

 

 勝ち筋は極めて限られている。

 そのうちの一つ―――クラスメイトが敵を倒すことに勝ち筋を見出し、爆豪は観戦に徹していたのだ。

 本音を言えば、今すぐにでも前へ出て行って爆殺したいと考えている彼。

 

 自身が前へ出て行って勝利する筋は、不意打ちして敵の目を爆破し、視力を奪うことで無力化するというものだが、如何せん博打の要素が強い。

 それ以上に、この手段は常闇が敗北してしまった際に残しておきたい手段だった。

 ヒーロー的に、いくら敵と言えど後遺症の残る傷を負わせるのは如何なものかと騒ぐ輩も居るだろうが、既に何人もの人間を殺害しているシリアルキラーの瞳など、前途ある若者の命とは比べることすら烏滸がましい価値しかない。

 

 悪名高いマスキュラーの目を潰したところで、正当防衛で済むはず―――と、爆豪は考えていないが、確かに目つぶしは手段の一つに選んでいた。

 

(ムカつくが……―――その必要はねえみてェだな)

 

 しかし、状況は芳しくない。敵にとって、だ。

 

「お、おおぉっ……!?」

(カルマ)を数えろ、(ヴィラン)ヨ!!」

 

 文字通り、筋肉達磨と化しているマスキュラーに対し、息もつかせぬ怒涛の連撃を加える黒影。最早、そこに常闇の意思が介在する余地はなく、ほとんど彼は黒影の傀儡となっていた。

 だが、彼の根っこであるヒーローとしての素質は、辛うじて黒影の表層にもにじみ出ている。

 

「貴様を断罪するのは英雄でも敵でもナイ!! コノ俺だア゛ア゛ア゛!!」

「おまえ……最高に狂ってやがるな!! ヒーロー志望の名が泣くぜ!? はっはあッ!!」

 

 巨大な影の掌打を真正面から受け止めるマスキュラー。

 しかし、刻一刻と暴走する闇を前に、完全に勢いを押し殺すことはできず、そのまま地面に轍を残しながら後方へ押し出されてしまう。

 

「おおっ!?」

「闇ニ飲マレテ、消エ失セロオ゛オ゛ッッッ!!!」

「お゛―――」

 

 留まることを知らない闇の爬行。

 列車に激突されたような衝撃をその身に受けるマスキュラーは、そのまま後方の木々に打ち付けられる形で木々をなぎ倒していった後、トドメと言わんばかりにアンダースローの形で夜空に放り出された。

 度重なる攻撃によりちぎれた筋繊維が、ボトボトと地面に落ちる。だが、それすらも呑み込まんとするもう片方の腕での一撃が、宙を舞うマスキュラーを穿つ。

 

 そのまま、一つの人影は夜では捉えられないような遠くまで弾き飛ばされる。

 

「……は!」

「ア゛ア゛ア゛!! まだ暴れ足リンゾォ!! ソコニ誰か居るのかア゛ア゛ア゛!!?」

「俺だが……どうしたぁ!?」

「ひゃん!」

 

 爆豪が鼻で笑った音に反応し、見境なく爆豪へ襲い掛かる黒影であったが、即座に掌で爆破を起こした爆豪によって光を見せつけられ、先程までの巨体が嘘であったかのように縮こまる。

 そのまま委縮する黒影へ向け、断続的に小さな爆破を起こし、追い込んでく爆豪。

 一分も経たぬうち、黒影は昼間のサイズ程度に縮まり、常闇はようやく一息吐くことができるようになった。

 

「てめェと俺の相性が残念だぜ……」

「……? すまん助かった。は、そうだ! 障子はどこだ? アイツはひどい怪我を……」

「タコ男なら蛙女が看てる。野郎なら割かし頑丈だから、死にゃしねえだろ」

 

 我に返り、第一に負傷した障子の身を案じる常闇であったが、爆豪の言葉にホッと一息つく。

 

「そうか……お前が来てくれたのも、障子の差し向けか」

「勘違いすんな。俺はてめェを救ける為に此処来た訳じゃねえ。クソ敵共ブッ殺すために来たんだ!」

「……フッ、お前がそう言うならばそれでいい。だが、蛙吹一人に障子を任せるのは危険だ。それと、俺の黒影もまたいつ暴走するか分からん。手間をかけてすまないが、障子たちの下に案内してくれないか?」

「は!? ……わーったよ! こっちださっさと来い早よ来い俺ァイライラしてんだ」

 

 障子と蛙吹の迎えに行くべく、爆豪を先頭にして道を戻る二人。

 だからこそ、彼らは知りようがなかった。たった今、常闇が撃退した強大な狂気が、目を覚まし再び蠢き始めていたということを。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 場面は、再び轟たちへと戻る。

 戦闘許可を受けたはいいものの、状況が好転する訳ではなく、依然としてムーンフィッシュの歯刃を防御する防戦一方の攻防を続けていた二人。

 

 しかし、ただ守るだけの二人ではない。

 

「今だ、麗日!」

「うん! おりゃあああ!!」

「肉肉肉肉ぅ~、肉面見せ、え゛ッ」

 

 軽やかに宙を跳ねていたムーンフィッシュの胴体に降り注ぐ、無数の氷塊。

 そう、麗日の“個性”で砕かれた氷塊を淡々と宙に打ち上げ、頃合いを見計らって解除することによって、体育祭に爆豪へ繰り出したような流星群を繰り出したのだ。

 

 潰れた蛙のような鳴き声を発し、バランスを崩して地面に落下するムーンフィッシュ。

 轟の氷結を喰らわまいと、高い場所を右往左往していたのが災いしたようであり、高い場所から地面に打ち付けられたムーンフィッシュは、気絶でもしたのかピクリとも動かない。

 その様子に、安堵の息を吐く二人だが、顔の血色はよろしくないものだ。

 じっとりとした脂汗が滲み出て、且つ不規則に荒い息遣いが、彼らの体力の限界を告げている。

 

「はぁ……はぁ……やったみてえだな」

「う、うん。死ぬかと思ったあ」

「今の内だ。さっさとズラかるぞ」

 

 早速撤退しようとする二人。

 だが、そこへ聞き慣れた声が響いてくる。

 

「おーい!」

「あ、デクくん!」

「緑谷か……無事だったか」

「大丈夫、二人とも!?」

 

 息も絶え絶えとなり、ズッタカターとへっぽこ感が出ている走り方が、茂みの奥より姿を現したのは緑谷であった。

 よほど急いできたのか、いつものボサボサヘアーも流れる汗でどこかしんなりとしてしまっている。

 

 そんな緑谷は二人を一瞥し、続いて辺りも見渡す。

 

「あれは……敵!? 二人が倒したの?」

「ああ……ギリギリだったけどな。だが、いつ起きるか分かんねえ。すぐにでも此処離れて、先生たちと合流しよう」

「うん、それが一番いいよ! 三人で固まって動こう。轟くんが一番前で、僕が真ん中。麗日さんは後ろ警戒して」

「そうか。頼んだ」

 

(……あれ?)

 

 男子二人のやり取りを眺め、どこか引っかかりを覚える麗日。

 形容しがたい違和感が、落ち着いてきた心を酷く五月蠅くノックし始める。そのきっかけはとても小さく、しかも傲慢な考えであったかもしれないが、それでも麗日には無視することができなかった一瞬だった。

 

(デクくん、私の傷見たのに何も言わんかった……)

 

 自分らを確認した時、緑谷は確実に自分の腕の傷を目にしたはず。

 血が染みて、真っ赤に染まった衣服も。

 それなのにも拘わらず、今目の前に居る緑谷は、そのことになんの言及もせずに施設に戻る旨を口にした。

 

 麗日の中の緑谷であれば、絶対に一先ず傷を案じてくれるものだとばかり思っていたのだ。それだけで、この傷口に広がる熱さも忘れてしまえるような安心感を覚えるのに……そう期待していた。

 

 無論、彼が急いでいる余り、麗日の傷を言及し忘れた可能性も十分ありえる。

 寧ろ、怪我について言及する時間があれば、施設へ向かうのが最優先だと考え、あえて言及していない可能性もある。

 だが、ヒーロー実習で不安を覚えている人間には声をかける―――これはヒーロー科であればだれでも習った内容だ。

 情けない話であると思いながらも麗日はこの時、自分が不安を顔に浮かべていると自覚していた。

 

 デクくんはきっと声をかけてくれる。

 何様のつもりだ。傲慢な考えだ。そんな罵倒が聞こえてくる気もしたが、麗日は確信を抱いていた。

 

 にも拘わらず、この緑谷は無視を決め込んだ。

 

(……アカン。きっとちゃう)

 

 サッと顔から血の気が引く。

 

(ちゃうわ……ちゃう!)

 

 これは只の女の勘。

 しかし、“個性”の使い過ぎた際の吐き気よりも激しい吐き気が、警鐘として麗日の中で轟くように響く。

 

「と、轟くん!! アカン!!」

「ん? 急にどうした、麗―――」

 

 振り返り、焦燥に満ちた麗日の顔を見遣る轟であったが、次の瞬間、彼の口からは赤い粘性の液体が吐き出された。

 

「なッ……み、どり……!?」

「こんばんはぁ♪」

 

 視線を落とした轟が見たのは、深々と自身の腹部に突き刺さるナイフだ。真紅の液体を、刃と皮膚の隙間から垂らす光景に瞠目し、その元凶となった人物へ目を向ける。

 先程まであった緑谷の顔はなく、ただただ狂気に、歓喜に、恍惚とした笑みを浮かべる女―――トガの顔が在った。

 

 刹那、緑谷が贋物であったことを理解した轟が、相手との距離を測るべく右半身から氷結を迸らせる。

 しかし、トガは氷結が来ることを予測していたのか、轟から見て左側へ軽やか動きで回避し、そのまま木の上へ退避した。

 

「初めましてトガです、焦凍くん! 血出てる姿とってもイカしてるよ!」

「てめっ……!」

「轟くん!?」

「気にするなっ! 今はアイツを……!」

 

 溢れ出る血を止めるべく、左手を傷口に当てて炎熱を発動する轟。

 焼灼止血法にて失血を防ごうとする彼であるが、血を止める引き換えに激痛と肉が焼ける異臭が場に漂う。

 

 それでも苦痛に耐えながら、再び氷結を繰り出してトガの拘束を試みるも、トガは嘲笑するようにケラケラ笑いながら、地から突き立つ氷柱の群れを掻い潜っていく。

 地形を生かした闇に紛れるような動き。

 酷い既視感を覚えるが、今はそれどころではない。

 

(他人に化ける“個性”か、あの女……!)

 

 自分にナイフを突き立てたトガを見遣れば、既に“個性”を解いて真っ裸の姿が目に入る。

 これが峰田などの煩悩溢れた人間が目の当たりにすれば、釘付けになってしまうだろうものの、元々性欲に乏しい轟は、腹部に走る痛みも相まって、見とれるような真似はしなかった。

 

―――この女は不味い

 

 首筋に生暖かい舌と、冷たい刃物を同時に突き立てられるような恐怖感。

 精神論の話ではない。彼女の生来の素質に対し、轟の本能が警鐘を鳴らしているのだ。

 

「ちッ! さっきの奴といい、イカレてやがる奴に絡まれ過ぎだろ……」

「サプライズ、喜んでくれましたか?! 私、ボロボロで血の香りがする人大好きなんです! 焦凍くんにも、そんな感じのお化粧してあげるね」

 

 凡そ、常人が吐かぬ言葉を何食わぬ顔で言い放つトガに、これでもかと言うほどの険しい顔を浮かべる轟は、右足を踏み込んだ。

 

「―――あー……肉」

 

 撫でるような呟きが響く。

 同時に、氷結で冷えかけていた脚に、灼熱が迸った。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 時は少し遡る。

 

「あの氷……轟くんと麗日さんだ!」

「敵と交戦中って訳かっ。すぐに応援行こう!」

「うん!」

 

 本物の緑谷と熾念は、二人して並んで走り、爆豪の捜索と同時に逃げ遅れた者達の救助へ向かっていた。

 洸汰を保護した後、そのまま施設へ連れて行く途中で相澤と出会い、洸汰を引き渡す代わりに戦闘許可を出す旨を言付かれ、マンダレイが居る広場へ一度戻ったのだ。

 

 その時、爆豪が狙われている旨も発信するようマンダレイには伝えたため、会敵さえしていなければ爆豪は避難を開始している可能性が高いが、凶悪な敵と交戦していればその限りではない。

 さらには、まだB組の生徒もかなりの人数が帰還していないことが分かっている。

 その理由までは分からないものの、プロヒーロー六名―――施設の防衛に回っているブラドキングを抜けば五名ばかりでは、生徒の保護に徹するに余りにも人手が少なすぎた。故に、二人は動いているのだ。

 

 洸汰を相澤に預けた際、幼い瞳が二人を捉えて、このような問いかけをしてきた。

 

『なんで、そんな必死になってまで他人救けようとすんだよ!?』

 

 涙ぐんだ声での質問に、二人はこう答えた。

 

『僕が動いて救けられるなら、僕は救けに行かなきゃダメなんだ』

『強いて言えば、後悔しない生き方したいからさっ』

 

 一人は自分に言い聞かせるように、一人は自分を笑うかのように言い放ち、ここまでやって来たのだ。

 考えるよりも先に体が動くヒーロー志望に、第一に理由を求めるなど無粋も無粋。

 心の中で『救けたい』と思った時には、彼らの身体は既に動いているのだ。だからこそ、紅蓮に燃え盛っていたり有毒ガスが溜まっていたり、平気で人を殺せるような殺人者が潜んでいるかもしれない森の中へと駆けることができる。

 

「っ、見えた!!」

 

 轟と麗日による氷塊流星群を目にして数分後、漸く肉眼で彼らを捉えられる位置まで辿り着き、緑谷が声を上げる。

 暗い森を抜けた先にあるのは、高々とそびえ立つ氷壁と、それに対し枝分かれする白い刃物を突き立てる全身黒づくめの男。加えて、黄色い笑い声を上げながら木々を飛び移る全裸の女子。

 

 近代の画家が描きそうな混沌とした様相だ。

 そんな者達を相手にする轟たちの様子は、砕かれた氷壁の合間から覗くことができた。まさしく生命の危機に瀕しているかのような、必死の形相。

 

「っ……! 焦凍、今行―――」

「はっはあッ!!」

「ぐッ!!?」

「波動くん!?」

 

 “個性”で体を浮かし、すぐさま飛翔しようとした熾念の体を打ち付ける、強烈な一撃。

 耳を塞ぎたくなるような鈍く軋むような音を断続的に響かせる熾念は、体を横にくの字に折り曲げながら、左方の茂みへ殴り飛ばされた。

 

 吐血したのか、赤黒い液体が緑谷の頬にパタパタと付着する。

 生暖かい血液の存在を感じ取った緑谷は、彼を殴り飛ばした張本人の姿をその目に捉えた。

 

 ボロボロのタンクトップを身に着け、体中の至るところに擦り傷を作る、左目がおどろおどろしい模様である義眼の男。

 熾念を殴り飛ばしたと思われる腕には、グネグネと蛆のように蠢いている筋繊維が纏わりついているではないか。

 

 見た目もさることながら、友人を軽々と殴り飛ばした男の腕に、一瞬息を飲む緑谷。

 そんな彼に対し、男―――マスキュラーは何かに気づいたかのように、間の抜けた顔を浮かべてみせる。

 

「あ? おまえ……リストにあった顔だな。ちょうどいいや! さっき面白い奴と戦ったけど、途中で吹っ飛ばされて消化不良なんだ!! 気分転換に()()と合わせて、一杯やらせろや!!」

「おまえェ……ッ!!」

 

 まるで、これから戯れをする子供のように無邪気な、それでもって邪気に満ちた笑みを浮かべ、緑谷を襲い掛からんとするマスキュラーに、緑谷もまた全身にワン・フォー・オールを張り巡らせ、臨戦態勢に入る。

 

(だけど……!)

 

 前門の虎後門の狼?

 四面楚歌?

 背水の陣?

 

 凶悪な敵三人に囲まれている状況、どれだけの語彙で表せば足りるだろうか。

 

 ただ一つ明瞭なのは、彼らが今居るこの場は―――死地(じごく)と呼ぶに値する。

 

 

 

 ☮

 

 

 

(―――なに、起こった?)

 

 木の葉が騒めいている。

 

(……体中痛い)

 

 大地が震えている。

 

(……あれ? 出久は? そういえば、勝己探してたんだよなぁ……)

 

 何かが砕ける音が聞こえる。

 

(ダメだ。目の前真っ暗で……いや、真っ赤だ)

 

 何かが聞こえる。

 

(ウデ……いや、胸も痛いなッ……)

 

 音が薄れ始める。

 

(ボーっとして……痛くなくなって……)

 

 景色も。

 

(楽になれそうだな……)

 

 何もかも。

 

(今、息吐けば―――)

 

 想いも。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『生きて』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☮

 

 

 

「―――All right」

 

 嗚呼、最悪の覚醒(めざめ)だ。

 こんなときはブラックコーヒーでも飲みたい気分だ。

 

 

 

 とびっきり、アツアツのを。

 


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