Peace Maker   作:柴猫侍

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№34 『HAHA』と『ハハッ↑』と『母』の違い

 授業参観当日。

 幸いにも天気に恵まれ、生徒の親たちが訪れてもスーツが雨などで汚れることはない、晴れ晴れとした日となった。

 

「それでねー! チョコお餅が意外とイケてね……あ、デクくん! おはよ!」

「おはよう、麗日さん! っていうか、チョコお餅……?」

 

 緑谷が教室に入るや否や、他の女子生徒と仲睦まじげに熱く語っていた麗日が、珍妙な料理の名を口にした後、緑谷に挨拶する。

 料理名を聞く限り、チョコレートと餅を合わせたものなのだろう。

 世の中、ポテトチップスにチョコレートをかけたものがあるのだから、無くはない料理かもしれないが、積極的に口にしたいものとは思えない。

 

 しかし、麗日は嬉々として語る。

 

「うん! 昨日ね、八百万さんと梅雨ちゃんとスーパーに買い物行って、帰りにウチで試食会したの! いやー、餅には無限の可能性があるんだねー」

「そ、そうなんだ……」

 

 その餅のような感触の頬を両手で押さえ、昨日の試食会を思い出し、口の端から涎を少し垂らす麗日。

 本人がおいしいと感じたならば、それで構わないと苦笑する緑谷は、自身の席がある場所へ向かって歩みだそうとした。だが、ただならぬ雰囲気に思わず体が硬直してしまう。

 

「は、波動くん……? おはよ……う」

「……Huh? 出久、Good morning!」

「どうしたの? そんな鬼のような形相をしてらっしゃって……」

「いやさー、テスト勉強を……」

 

 思わず敬語になってしまうほどの威圧感を放っていたのは、他でもない緑谷の前の席に座る熾念だ。目の下に隈を作る彼は、体育祭で爆豪が見せていた修羅の如きオーラに勝るとも劣らない雰囲気を漂わせながら、古文単語帳とにらめっこしていた。

 まだ期末試験には二週間以上猶予があるにも拘わらず、ここまで自分を追い込んでいるとは……自ずと自分も頑張らねばと、無駄に周囲の勉強意欲を昂らせてくる熾念。

 

 しかし、その勉強する理由が不純なものであると知れば、周りはどう思うだろうか。

 どちらにせよ、事情は当人と関係者しか知らぬのだから、周りに好影響を与えている時点では咎める必要性はない。

 

 だが、そのような事情はいざ知らず、緑谷は自然と強張った表情で着席するのであった。

 

「あ、そういえば……波動くんのウチは誰が来るの?」

「俺か? 確か……母親の方だなっ。出久はどうなんだ?」

「僕もお母さんの方だよ。お父さんの方はずっと出張してるからさ」

「Hmmm。そうなのかっ」

 

 緑谷家、波動家共に母親が来るとのこと。

 特に意味もないシンパシーを感じていれば、扉の方から轟が現れる。

 

「轟くん、おはよう」

「おう」

 

 手短に応答する轟は、乏しい表情のまま熾念をジッと見つめ、何があったのだと思慮を巡らせた後、耐えられぬ沈黙を破るように口を開く。

 

「……手紙。お前らは誰に書いたんだ?」

「手紙かー。お母さんにね……轟くんは?」

「俺は姉貴だ」

「お姉さんが来るんだ?」

「わざわざ半休とってな」

 

 小学校の教師を務めている轟の姉・冬美。

 彼女は、ヒーローとしての忙しい父や、病院に入っていて外出できない母の代わりに、轟の授業参観へと来ることになっていた。

 成長した弟の姿を、彼を大事に思っている母へしっかりと伝えるべく……。

 

 そんな姉や母の思いを汲んでか、心なしか今日の轟の雰囲気も神妙だ。

 

「そうなんだ……忙しいのに大変だね」

「ああ」

「おはよう! 皆! 今日は授業参観日和だな!」

「おはよう……あっ、飯田くん! 昨日の遊園地どうだった? 行けなくて本当にごめんね……」

 

 やけに静かな空気を破ったのは、かくかくした動きで入室してくる飯田であった。

 片手に大きな袋を携えている彼は、教室全体に響く挨拶を言い放った後、一目散に緑谷たち三人の下へ足早にやって来る。

 

「気にすることはない。色々とハプニングはあったが、満喫させてもらった。クラス分の土産も買ってきたから、昼休憩に配ろう!」

「わぁ、ありがとう!」

「常闇くんセレクトのリンゴパイだ! 期間限定発売だったから買ってみたよ」

「へぇ~、常闇くんリンゴが好きなんだ?」

「あぁ……」

 

 飯田が掲げる手土産に、麗日を筆頭にクラスメイトが目を輝かせている間、緑谷は常闇に対して食べ物の趣向を尋ねた。

 彼がリンゴを好んでいるとのことで、頭部の黒い羽毛も相まってか、一瞬脳裏に『人間って……面白!!』と叫ぶ死神の姿が浮かんだが、あえて口には出さなかった緑谷。

 

 すると、彼の後ろの席の峰田が、熾念に負けない形相で身を乗りだし、こう告げる。

 

「聞いてくれよ、緑谷! 常闇、ロリコンだったんだよ……!」

「えぇっ?」

「なッ、虚言を吐くな!」

 

 思わぬ単語に、緑谷のみならず周りに居た者達もポカンとした表情で、慌てる常闇を見つめる。

 そんな彼にフォローを入れるのは、飯田たちと共に遊園地に行っていた上鳴だ。

 

「ははっ、違うって。昨日遊園地で、常闇が幼稚園児にコクられたんだよ」

「どんな経緯で……?」

「話せば長くはなるのだが、出会いはどこに転がっているかわからない。しかし、とりあえず言えるのは、常闇くんがロリコンではないということだ」

 

 最後に飯田がしっかりと訂正すれば、凝視していたクラスメイト(主に女子面子)が興味を失い、赤面している―――羽毛で見えないが―――常闇から目を逸らす。

 仮に、本当に常闇の趣向が少女に向けられたとして、彼女たちがどのような反応を見せるのかは気になるが、クラスで常闇の立場が危うくなるのは理解できる。

 

 閑話休題。

 

 その後、他愛のない会話をしている内に朝のHRの時間となり、席に座って背筋を伸ばすA組二十名。

 いつもなら、ほぼ同時刻に相澤が入室し、出席簿をとることとなるのだが―――

 

「……相澤先生、来ないね」

 

 ふと葉隠が呟いた一言が風となり、クラスが揺れる木の葉のようにざわつき始める。

 おかしい。四六時中倦怠感丸出しの相澤であるが、彼は合理的であることをモットーにする男だ。遅刻など、これまでに一度もしたことはない。

 敵連合によるUSJ襲撃の後、包帯でグルグル巻きになっても時間通りに来る教師がやってこないことに、不穏な空気が流れるのは至極当然と言える事態であった。

 

「みんな、静かにするんだ! 落ち着きたまえ!」

「一番落ち着いてないのオメーだろ」

「むっ……失礼。だが、生徒の模範とあるべき教師が遅刻するとは……これは雄英高校を揺るがす由々しき事態だ!」

「でかく見積もり過ぎだっての」

 

 飯田の一挙一動に対し、的確なツッコミを入れる上鳴。

 だが、そのような茶番をしている間にも相澤が姿を現すことはなく、ただ時間だけが過ぎていった。

 ついにはHRの時間も過ぎてしまうが、尚も一切音沙汰がない。

 

 流石にここまで来ると、先程まで軽く笑い飛ばしていた面々も怪訝な表情となり、いつになったら来るのかと廊下へ耳を澄ませる。

 

「よし、俺が委員長として職員室へ行ってくる。みんなはそのまま待機していてくれ」

 

 真面目な飯田がしびれを切らして立ち上がる。

 その瞬間、まるで頃合いを見計らったかのように全員の携帯が一斉に鳴った。

 

「なんだ? 『今すぐ模擬市街地に来い』……?」

「……まさか、あっちで手紙の朗読と施設の案内する感じ?」

「あー、相澤先生だったらありそう!」

 

 眉を顰めて送られてきた内容を読み上げる緑谷。

 どうやら他の面々にも伝えられた内容は同じようであり、閃いたと言わんばかりに声高々に推理を口にする上鳴に、芦戸が手でピストルの形を作って同意を示す。

 

 内容に対し、不審に思う者が半分、軽く笑い飛ばす者が半分。

 不審に思う者のほとんどは、普段から相澤が事ある度に口にする『合理的』という言葉を思い出していた。本当に彼が合理性を求めるのであれば、最初から集合場所が向こうであることを説明する筈だ。

 もっとも、彼も人間である以上、ミスはあるというものであるため、単純に伝え忘れていたとすれば、この深読みは杞憂に終わるだけである。

 

 峰田の『めんどくせぇ~』という嘆きを耳にしながら一同は移動を開始する。もちろん、個々人の親若しくは肉親への手紙は携えて、だ。

 因みに、男子更衣室には以前まで張り紙に隠されていた女子更衣室へ繋がっている小さな穴があったが、今ではもう塞がれてしまっていた。そのことについても、峰田は大いに嘆く……退室後、すぐさま耳郎のイヤホンジャックによる制裁を受けることになろうとも知らず。

 

 小さい悲鳴が廊下で響いた後は、校内の広大な敷地を移動するために用意されているバスに乗り込む。大人が居なくとも、タッチパネル方式の画面で操作すれば、エレベーター感覚で使えてしまう便利なバスだ。

 小刻みに揺れる車内の中、徹夜で勉強していた熾念は勿論、飯田までもが小さな欠伸をした。

 

「飯田くん、眠いの? めずらしいね」

「あぁ、すまない。昨日、夜更かししてしまったんだ。母への感謝の手紙を四十枚ほど書いたんだが、余り長すぎたら他の人達の分の時間がなくなってしまうからね。頑張って二十枚まで絞っていたんだ」

「に、二十枚!? 十分凄いと思うけど……」

「もう絞れないんだ……感謝の気持ちがぎゅうぎゅう過ぎて、一文字も削れないんだ……!」

 

 拳を握りながら、涙ながらに語る飯田。

 真面目の極みに到達しようとしている彼のポケットは、感謝の気持ちが盛りだくさんでパンパンに膨れ上がっている。

 そんな飯田のポケットを一瞥した麗日が、ふと『私の財布もあれくらいパンパンやったらいいのに……』と、切なげに呟く。内容の現実味と麗日の切なげな声色が、一周回ってユーモアを感じさせ、一拍の沈黙の後にクラスの皆が大笑いした。

 

 そうこうしている内にも、相澤に指定された模擬市街地に到着した面々は、ここに居るであろう相澤や自身の親たちを探すべく、飯田を先頭に歩み始める。

 すると……

 

「……なんだこの臭いは?」

「オ、オイラじゃねえぞ!?」

 

 障子が複製腕に鼻を複製し、異様な臭いを感知した。

 なぜか峰田のレスポンスが疑いの目をかけたくなるくらいに早かったものの、『いや、違う』と障子が直々に否定することで、全員の注目は別の方へ向く。

 

「ガソリン? ……のような臭いだな」

 

 通常のモノよりも精度が高まる鼻をもって、漂ってくる臭いの正体が分かった。

 

「さっき乗って来たバスからとかじゃないんだな?」

「ああ……こっちだ」

 

 轟の再確認を求める言葉にも頷いた障子。

 その時だった。市街地の奥の方から、甲高い悲鳴のようなものが聞こえてくるではないか。

 

「なんだッ!?」

 

 慌てて声が聞こえてきた方へ駆け出す一同。こういった場面で咄嗟に体が動くのは、ヒーロー科としての性を感じさせるものがある。

 そびえ立つビルの群れを駆け抜け、これまた障子を先頭に進んでいく。

 

 走る、走る、走る。

 

 一刻も早く事態を把握しようと走る生徒たちが、交差点の角を曲がった辺りで目にしたのは、これまた異様な光景であった。

 

「んだ、あれ……!?」

 

 空地だ。

 それもただの空地ではなく、その場に建っていたであろうビルを無理やりどかされてできたような空間である。ビルの名残を感じさせる瓦礫は周りにどかされていることから、何者かの手によって崩されたことは容易に想像できた。

 さらに空地の中央にポツンと取り残されるような檻が存在しており、一見宙に浮いていると錯覚しかけないが、目を凝らせば檻の真下に細い塔のような地面がある。辛うじて支えられている……といった具合だろうか。

 

 陸の孤島を思わせる状況。

 檻の中に居たのは―――

 

「お茶子ー! 助けてくれー!」

「焦凍……っ」

「天哉……!」

「い、出久ぅ……」

 

 ひゅっと息をのむ音が聞こえた。

 自身の肉親が檻の中に居るという、理解することに時間がかかる状況を前に、体が一瞬でも拒否反応を起こしたからなのだろうか。

 同級生の面影を感じさせる大人たち。

 その中に、見慣れた家族の姿を次々に見つけていく。

 

「なんなんだ、一体……って、うわっ!? ガソリン……穴の下からか!?」

 

 咄嗟に檻へ駆け寄ろうとする緑谷であったが、目の前に立ちはだかる深い穴に、思わず顔を顰めてしまった。澱んだ液体から発せられる臭いが、家族と車で出掛けた際にガソリンスタンドで嗅ぐものであると思いいたるにも、そう時間はかからない。

 

「なんで檻があんなところに……!」

「つーか、相澤先生は―――」

『相澤先生は眠っているよ。今頃、暗い土の中でね』

 

 突如として響く、冷たさを感じさせる無機質な機械のような声。

 

「誰だ!?」

「暗い土の中……相澤先生、もしかしてやられちゃったってこと……?」

「エイプリルフールはとっくの昔に過ぎてるぞー? 吐くならもっと面白いJokeにしろっての」

 

 飯田、葉隠、熾念が続けざまに口を開く中、周りの生徒も呼応する形でざわざわと騒ぎ始める。

 

『―――騒ぐな』

 

 しかし、再び発せられた敵意の籠った声に、思わず声が途切れてしまった。

 

 どこだ?

 

 耳を澄ませて声の発信源を探る面々の中で、やはり早かったのは索敵に優れてる“個性”を持つ障子であった。

 

「周りじゃない。声は檻の中からだ」

『大正解。ボクはここに居るよ』

 

 檻の中で屯する親たちの間を縫うようにして前へ出てくる一人の男。

 黒い外套に身を包み、どのような顔であるかはフルマスクを着けているために一切うかがえない。一見して分かるのは高身長であり、肩幅が広いものの痩せているということだろうか。

 猫であれば全身の毛が逆立つような危機感を前に、一部の者は持ってきた携帯に手を伸ばそうとする。

 が、

 

『おっと、前もって言っておくが、外部への連絡手段は予め断たせてもらった。もちろん、そこの生徒の“個性”でも不可能だからあしからず。親の命が惜しければ、変な気は起こさないことだ』

 

 敵連合によるUSJ襲撃事件を彷彿とさせる展開。

 外部との連絡手段を断たれてしまった―――正確には、親の命を握られてしまっているがために、断たざるを得なくなった。

 

「……親の命がなんだって?」

「待て、波動」

 

 スッと一歩前に歩み出たのは、鬼のような形相を浮かべる熾念であった。

 入学当初より一度も見たことがない、明確な怒りを面に出す表情に、予想だにしていなかったクラスメイトは一瞬反応が遅れる。

 だが、ただ一人―――轟だけはすぐに反応し、彼の肩に手を置いて制止した。

 

「気持ちは察する。でも、だからって他の奴らを危険に晒すのは違うだろ」

「……I see」

 

 唯一知っている轟の言葉に、苦心に満ちた表情で踏み出した足を元の位置まで戻す熾念。

 次に、その一連の流れに反応するのは飯田だ。

 

「……家族の身に危険が晒されて焦る気持ちも怒る気持ちもわかるよ。これは俺だから言える。今は堪えてくれ」

 

 なんとか平静を保っている飯田の言葉で、ようやく熾念の顔から皺が消える。

 『Sorry』と軽く謝る熾念は、そそくさと飯田の後ろ辺りに移動し、徐にピースサインを右手で作ったかと思えば、自分の口角にあてがい始めた。

 変なおまじないだなーと、周囲の者が思いながら外套の男へ目を向けた頃、機を見計らっていた男がようやく口を開く。

 

『さて、勿論外部へ助けを呼びに行くのも禁止な訳だ』

「目的はなんだ!?」

「大人一人を50㎏として、あの中には生徒一人につき片方の親が来ているとして、アイツも合わせて二十一人いる訳だから、大体1tか……んで、檻の重さも考えると……あ、割とイケるかも」

「やめてね、波動くん……!?」

 

 飯田が男に目的を問いただそうとしている最中、不穏な計算をしていた熾念を、冷や汗を垂らす緑谷が制止する。『中の敵が暴れることも考えてね』と最後に付け足すと、『それもそうか』とハッとした様子でまたもや一歩下がる。

 

『……目的は一つ。輝かしい君たちの明るい未来を壊すこと。その為に大事な家族を君たちの目の前で壊してしまおうと思ってね』

「それだけの為にかッ?」

「俺たちが憎いなら俺たちに来いよ! 家族を巻き込むんじゃねえ!」

「透明……全裸……Huh!?」

「波動くん……君は今冷静じゃない……! 一旦落ち着いて」

 

 何かを思い立った熾念であったが、これまた緑谷が制止する。

 尾白と切島が男に何か叫んでいたが、漫才のようなやり取りを続ける二人の所為で中々話が頭に入ってこない。

 生徒たちに伝播する怒りの熱が、一周回って怒りが消えた熾念が風となって、熱を奪い去っていく。イイことなのか、悪いことなのか。

 

『僕が壊したいのは、君たちの体じゃない。自分を傷つけられるより、自分の所為で大事な誰かを傷つけられた方が、君たちは痛い筈だ。ヒーロー志望の君たちならね』

「……こんなことをしても、すぐに捕まりますよ」

 

 男の言葉に八百万が震えた声を上げれば、男は仰々しく腕を開く。

 

『逃げるつもりはない。僕には失うものなんてなにもないんだ。だから苦しむ顔を最後に観ておこうと思ってね。君たちも、大事な家族の最後をよく見ておくんだね』

「生きてれば割とイイコトあるって。今の内にやめとけって、な?」

「……口調が軽ィな」

 

 一応説得してはいるのだろう。

 かなりあっさりとした口調で説得する熾念に、今度は轟がツッコミを入れる。彼の境遇を鑑みるに、実際はかなりの重さを伴った言葉であるのだが、男が熾念の背景を知るはずもない為、ただの“言葉”として受け取られてしまったようだ。部類としては、野次馬やガヤが上げる言葉に近いだろうか。

 

「……犯人に気づかれずにお母さんを逃がすことは無理そうだ……檻の周りに死角になりそうな場所もないし……。それにここから檻までは数十メートルある。檻にたどり着くまでに気づかれる……ダメだ、思いつかない」

「緑谷、もっと声小さくしろ。気づかれるぞ」

「あッ、ごめん、つい……」

「緑谷くん、なにかいいアイディアは浮かんだのか?」

「いや、まだ……」

 

 ぶつぶつと呟いていた緑谷を隠す形で、轟と飯田の二人が彼の前に立つ。

 

「そうか……みんな、犯人の気を逸らしてくれないか。気づかれないように」

「わかった、任せろ」

「なるべく早く思い浮かべろよッ」

 

 まだ思考が途中の緑谷の為に時間を稼ぐべく、飯田はクラスメイトに応援を頼む。

 すると切島と上鳴が小さくサムズアップして答えて見せた。以前のUSJオールマイトドッキリ授業においても、緑谷は通用する策を思い浮かべてみせた経緯がある。

 信用しているのだ、彼を。

 期待を寄せているとも言う。

 

(みんな……!)

 

 同級生に期待をかけられているという事実と、親の命がかかっているという事実。

 二つの重圧がのしかかってくるものの、なんとか平静を保ち、知恵熱で発火しそうな頭を掻きながら案を思い浮かべようとする。

 

「甲司……『生き物ボイス』♪」

「~~~!!?」

「波動、おまえ口田に無茶ぶりやめろ!」

 

 爽やかな笑みを浮かべながら、サムズアップで口田に声をかける熾念。

 恐らくは、口田の“個性”で犯人を操れと言いたいのだろう。

 

 口田甲司:個性『生き物ボイス』

 直接声を出して命令することで、動物たちを操ることができるぞ! 魚類、両生類、爬虫類、鳥類、ほ乳類、さらには虫までなんでもござれだ!

 でも、人間は無理!

 

 人には通用しないことを知っている口田は、凄まじい速度で首を横に振り、無理であることを告げている。

 そんな口田に助っ人するのは砂藤だ。

 

「ハハッ! わかってるって。ちょっと言ってみただけさっ。ねえねえ、動物と喋れるってどんな感じなんだ? 俺、ハリネズミ飼ってみたいんだよ。甲司はなにか動物飼ってる?」

「う、うさぎ……」

「尚も口田に話し続けるのか、おまえ!?」

 

 熾念はもはや冷静ではない。

 クラス1の無口な口田に話しかけることによって犯人の気を逸らそうなど、他の者達から見てみれば正気の沙汰とは思えなかった。

 

「ハハッ! 力道。ねえねえ、好きなスイーツなんだ?」

「は? 俺は……ケーキとかだな」

「ハハッ! そうか、俺はバニラアイスが好きなんだよな。でも最近、フレーバーとしてはチョコチップもマイブームでさー。話変わるけど、ねえ響香ちゃん、今月発売のDEEP DOPEの新曲買った?」

「へ? まあ、買ったけどさ……」

「ハハッ! ねえ勝己、髪切った?」

「切ってねえよ、クソが!!」

 

(なんだ、この波動……果てしなくウザイ!)

 

 次々と話す相手を変えて、絶え間なく話題を振る熾念に、言いようのない嫌悪感を覚える面々。

 

「笑い声にキレがねえ……夢の国のネズミ(ミ〇キーマウス)の声にしか聞こえないぞ」

「ちょうどイントネーションもそっくりだ。でも、キレッキレの笑い声出せない波動なんて波動じゃねえ! いつもの波動に戻ってくれ!」

「お前ら、アイツのことなんだと思ってんだ」

 

 ちょうど昨日、千葉とは別にある夢の国へ遊びに行った上鳴と峰田が、熾念の笑い声に物申す。

 だが、耳郎のイヤホンジャックによる制裁によって、彼らの訴えは途中でやめさせられることとなる。

 

 緑谷的には不本意な気の逸らし方であったが、十分犯人の気は本命から逸れていた。

 

(完全に犯人の目は波動くんに向いてる! これなら葉隠さんにも気づかないはずだ!)

 

 現在、犯人が居る檻の下へ、葉隠が向かっている最中だ。

 制服を全て脱ぎ捨てた葉隠を認識するのは容易ではない。そんな彼女は、麗日による『無重力』で浮かびつつ、八百万が『創造』で作ったスタンガンを携え、ゆっくりと犯人の下へと進んでいっていた。

 なぜ、麗日の『無重力』なのか―――それは、熾念の『念動力』では浮かばせた対象が若干光る為、犯人の目に留まるかもしれない危険性があるからだ。そしてついでに、葉隠のオールヌードを保護者の前で見せる訳にはいかないという理由もある。

 

(もう少しだ……)

 

『だから黙ってくれと何度言えば分かる? 一番うるさい生徒の親を始末すれば、おとなしくなるかな……』

 

 緑谷が念じている間、騒がしくしていた生徒にしびれを切らしかけていた男が、徐に足元に近づいていたスタンガンを勢いよく蹴り飛ばす。

 

「あっ……」

『だが、見えないコバエが紛れ込んでいたようだ……一人ずつ始末するのはやめにして、みんな仲良く地獄行きだ』

 

 檻の中から外へ歩み出た男が取り出したのは、市販のライターだ。

 檻の下に溜まっているのはガソリン。となれば、男がこれからすることは容易に想像できた。

 手から零れ落ちる、火のついたライターは、一直線に落ち―――ない。

 

『あ』

「あ」

 

 なにかのマジックのように、宙でとどまり続けるライター。

 仄かに纏うのは、優し気な緑色の光だった。

 

「Toot♪ HAHA、エンデヴァーお墨付きのことだけはあるよな、俺の“個性”!」

 

 ニヤリと一笑する熾念。

 念動力で浮かせられていたライターは、穴の下ではなく明後日の方向へと投げ飛ばされる。

 その瞬間、誰よりも早く爆豪が『爆速ターボ』にて前へ繰り出していった。

 

「いぃよっしゃぁああああ!! ブチ殺したるわ、クソ敵がああ!!」

 

 溜まった鬱憤を晴らすべく、あらんばかりの怒号を上げながら呆気に取られている男の確保へ向かう。途中、爆豪の母・光己が『勝己、アンタまたクソなんて言って!』と息子に食って掛かるも、『うるせえクソババア!』と爆豪は機敏な動きで男を締め上げる。

 

「よしっ! 今の内だ! 爆豪くんが犯人を取り押さえている間に……」

「俺が橋をかける。少しどけてくれ」

 

 颯爽と走る飯田を抜く速度で、轟の氷結が地面を伝い、陸の孤島状態であった檻へ橋をかけるように伸びていった。

 

「やった! これで……!」

「つー訳だ! このクソカスボケナスビ敵!! てめェの負けだクソが!! ムショで一生頭冷やしゃあ!!」

「かっちゃん、ここぞとばかりに……!」

 

 生徒たちが、形勢が変わったことに喜ぶ一方で、爆豪は律儀に今日まで守っていた『暴言禁止』を解禁してストレスを発散する。

 早口言葉並みの滑舌で言い放たれたヒーローとは思えぬ言葉に、緑谷は呆れを通り越して戦慄した。

 

 そうしている間にも、檻の中からは次々に親が生徒たちの誘導に従って、氷の端を渡っていく。万が一にも落ちないようにと、瀬呂が発したテープを掴ませ、川渡の際に綱を伝って渡る要領で、親たちを静かに地盤が安定している方へ渡らせる。

 

「落ち着いてくださーい! ゆーっくりで大丈夫でーす!」

「お茶子ぉ……立派になってなぁ。お父ちゃん、感動したわぁ」

「と、父ちゃん……今言わんといてぇ。泣きそうになるやんかぁ」

 

 声をかけて相手に安心感を与える―――授業で習ったことを忠実に行う麗日の姿に、彼女の父であるガタイのいい男性が微笑んで応答する。

 そんな中、一組の親子が……

 

「きゃあ!」

「っと、OK? ()()()

「へ?」

「Huh?」

 

 橋を渡りきる際に、足を滑らしかけた母・量子の体を支えた熾念。

 その際の一言で量子の動きがピタリと止まる。

 

「……ギックリ腰?」

「う、ううん。なんでもないわ……ありがとね、熾念」

「You’re welcome♪」

 

 なんともないと告げる母に、いつもの笑みを見せて穴から離れるよう誘導する熾念。

 もしも落ちた人間がいる場合、咄嗟に救けるという役目がある以上、そんなに長くは檻周辺から目を逸らすことはできないが、それでも量子にとってはとても幸福に感じる時間を長く過ごしたように感じさせた一瞬であったことを、熾念はこの時はまだ知らなかった。

 

 避難させること約一分。

 

 檻の中はすでにもぬけの殻となり、残っているのは犯人と彼を締め上げる爆豪だけだ。

 

『授業は終了だ。おめでとう』

「は? 何言って……」

「耳貸すな。それより、相澤先生を探す―――」

 

 やられたと思しき相澤を探すべく、生徒が一先ず辺りをぐるりと見渡した。

 

「はい、先生はここです」

「……は?」

 

 少し離れたビルの陰。

 倦怠感を隠さない教師が一人、無傷で立っていた。

 

 

 

 ☮

 

 

 

「―――要するに保護者の皆さんにも協力してもらってお前らに仕掛けたドッキリってことだ」

「えぇ~……」

 

 生徒たちの気の抜けた驚きのため息が、寂し気にビルの谷間を縫っていく。

 

「あの、先生……じゃあ、この人は?」

「えー……劇団の人です。頼んできてもらいました」

『えッ……あ、はい。驚かせてごめんね』

 

 合掌し、ちょこんと首を傾げて謝ってくる犯人役の男に、生徒たちはこれまた『嘘だろ……』と気の抜けた呟きが響く。

 

「本当だったら、ライターをガソリンの中に放り投げて、炎上してからいかに早く救出させるかがメインだったんだが、そのあたりは波動のレスポンスが異様に早くて、用意していた工程が無意味になった」

「え、俺の所為ですか?」

「いや、反応が早いのはいいことだ。だが、万全を期すためには作戦を二段構えにするべきだと、俺たち教師側も反省することにしたってことは伝えておく」

「ヤベェよ……またあとでレベルが高い授業来るぞ、これ……!」

 

 相澤の言葉に戦慄する上鳴。

 今回の授業でも中々肝を冷やしたというのに、これよりも万全を期したドッキリと与えられるとなると、胃が痛くなってくる。

 だが、そんな上鳴に相澤はこう反論し始めた。

 

「ヌルイ授業やって何の身になる? 今回の授業は、わざわざ授業参観にまでかこつけて行った大切なことを教える授業だ。……飯田、わかるか?」

「……身近にいる家族の大切さ。そして、大事な家族を危険に晒されていても平静を保てるか、ということでしょうか?」

「正解だ。いいか、人を救けるには力、技術、知識、そして判断力が不可欠だ。しかし、判断力は感情に左右される。お前たちが将来ヒーローになれたとして、自分の大切な家族が危険な目にあっていてもヘンに取り乱さず、救けることができるか。それを学ぶ授業だったんだ」

 

 あえて飯田を指名したのには理由がある―――そう言わんばかりの相澤の瞳に、生徒たちは神妙な面持ちとなった。

 

「……それともう一つ。冷静なだけじゃヒーローは務まらない。救けようとする誰かは、ただの命じゃない。大切な家族が待っている誰かなんだ。それも肝に銘じておけ」

「……はい!」

 

 一斉に頷く生徒たち。

 言われてみればそうだ。この場に居る生徒の保護者たちを見ても、直接的に自分と関わりがある者はほとんど居ないが、いずれも同級生の家族という他人の大切な存在。そのことを実感させるために授業参観にかこつけたのは、確かに合理的だっただろう。

 

「ああ、それと……結果的に全員救けることはできたが、もうちょいやりようはあった。及第点でも反省すべき点は多々ある。明日、個々人でそれまとめて提出な」

「あ……先生! 手紙の件は……」

「手紙を書くことで、ふだんより家族のことを考えただろ?」

「たしかに……!」

 

 反省点をまとめての提出に生徒が不満げな声を上げる中、唯一腑に落ちない飯田が、手紙について相澤に質問したが、五秒で解決した。

 つまり、この手紙はドッキリをカモフラージュするための『合理的虚偽』であった訳だ。

 

『えー!?』とこれには大声を上げる生徒。

しかし相澤が、威圧感たっぷりでこう言い放った。

 

「来週は勇学園高校との合同授業で、気色は違うが似たような戦闘訓練を行う。しっかり復習・反省して期末テストに今から備えておけ。それじゃ、今日はこのまま解散」

 

 クルリと体の向きを変え、今度は保護者の方にペコリと一礼する。

 

「保護者の皆様、ご協力有難うございました」

 

 借りてきた猫のようにヘコヘコしている相澤は珍しい。

 そんなことを思いながらも、皆の意識はすでに自分の親の方へと向かっていた。和気あいあいと談笑する親子。一変して温かな空気が場を包み込んでいく。

 

「ねえ、熾念。もう一回、『母さん』って呼んで! お願い」

「ここじゃ恥ずかしいから嫌だ」

「お~ね~が~い~」

「い~や~だ~」

 

 ゆさゆさと母に体を揺さぶられる熾念。

 咄嗟に出た呼称が、量子のお気に召したようであり、延々と再度口にするようねだられる。この後、この場はなんとか切り抜けられた熾念ではあったが、家に帰ってからはねじれの加勢もあり、言わざるを得ない状況になったことを、ここに追記しておこう。

 

 こうして、通算二回目のドッキリは、無事幕を閉じるのであった。

 





【挿絵表示】


ハリネズミは、生物学上ではネズミよりもモグラに近いらしいです。
ということで、下らない落書きを一枚

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