Peace Maker   作:柴猫侍

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№3 THE DAY HAS COME

 夏、某日。

 騒々しい蝉の鳴き声をバックにアスファルトの道路の上を歩む熾念は、徒歩数歩の隣の家へ向かっていた。

 

Hot(暑ィ)……」

 

 家を出て一分も経たずに、額には汗がにじみ出る。

 熾念は暑いのが苦手だ。個性の関係上、気温が高ければ高い程、脳がオーバーヒートを起こすのが早くなってしまうからだ。

 故に、雄英の入試が肌を突き刺す寒さの二月であることは幸いだと言えよう。

 

 それは兎も角、肌を焼くような暑さから早く逃れんとばかりに、『拳藤』と表札が下がっている家の外壁を通り過ぎ、淡々とした動きでインターホンを押す。

 

『はーい』

「Hello……」

『あー、はいはい熾念な。今開けるから待ってろ』

「OK……」

 

 押してから数秒ほどで、一佳の声が聞こえてくる。

 何やらジュージューと焼ける音が響いていることから、炒めものでも作っていたのだろうか。

 この暑い日によく炒め物など……と考えていれば、勢いよく玄関の扉が開かれる。

 

「……裸エプロンで御出迎えか? HAHA……」

「は?」

 

 張りの無い笑い声を上げる熾念に、眉を顰める一佳。

 そして、言われて気が付いた。

 

 料理途中であった彼女は、普段母親が着るゆったりとしたエプロンを、首から下げる形で纏っている。

 だが、上着は細い紐を肩に掛けるタイプのタンクトップ。そして、デニム生地のショートパンツを穿いていた為、前から見れば確かに裸エプロンに見えてしまう。

 

 熾念の胸に込みあがる背徳感。

 

「あ~……ちゃんと着てるからな?」

「OK OK……Sense of immorality(背徳感)

「ん、なんて?」

No problem(なんでもない)。とりあえず、お邪魔するぜぃ」

 

 ただ立っているだけでも汗が噴き出す気温の中、延々と駄弁っているのも体力を消耗する為、多少陰になっている玄関へと足を踏み入れた。

 今日、拳藤家を訪れたのは勉強を教えてもらうため。

 四月以降、スパーリングを相手する対価として勉強を見てもらっている訳だが、七月の模試でギリギリB判定を得ることができた。

 しかし、万全を期すためにはAが欲しいところ。数学と理科は既に申し分ない成績であるものの、他の教科を詰めに詰めて行く為、こうして炎天下でも足を運んでいるのだ。

 

「Huh? 甘い匂いするな」

「さっきまでホットケーキ作ってたんだよ。食べるか?」

 

 成程。先程焼いていたような音はホットケーキだったのか。

 合点がいくと同時に、あの優しい甘さが舌の上に蘇っていき、涎が垂れそうになる。

 

「食う。あ、バニラアイス持ってきたけど、どうだ?」

「お、いいね! 折角だし、一緒に添えて食べるか」

「サイダーもあるぜ?」

「私はコーヒーあるしいらないよ」

「……そうか」

「え? なんでそんな残念そうなんだ?」

Don`t worry(気にするな)……」

 

 飲んでくれるかと思って買ってきたとは言わない。

 しかし、傍目から見ても落ち込んだ様子の熾念に、悪いことをしてしまったかと思慮を巡らす一佳。

 だがいくら聞いても『気にするな』としか言わない為、悶々としたまま自室へ招く。

 

 焼いていたホットケーキと、コーヒーの入ったカップ。そして氷を入れたコップも携えて入った私室は、彼女の気質を表しているのか、きちんと整頓されていた。

 女子らしい可愛らしい内装の部屋。しかし、所々にバイクの模型やら、格闘術に関する本も置かれている。一際目を引くのは『人体の急所』という本だ。

 

「I see。あれで当身勉強してるのか」

「ん? なんか言ったか?」

Never mind(なんでもない)

 

 差し出されたクッションに腰掛ける熾念は、時折喰らう一佳の当身を思い出しながら、用意されたコップにサイダーを注ぐ。

 

「夏はやっぱりサイダーだなッ、HAHA。こんな暑い日に熱々のコーヒーなんて気が触れてるぜ」

「……んだよ、見んなよ。このクーラーの効いた部屋で飲むコーヒーが旨いんだろ」

「冬の炬燵でアイス食うみたいなもんか。それは同意する」

「だろ?」

 

 緩い会話。

 クーラーが28℃に設定されているらしいこの部屋は、外よりかは幾分か涼しい。そんな中で、出来立てのホットケーキにバニラアイスを乗せる二人は、庶民的な贅沢を楽しんでいた。片やサイダーを片手に、片やコーヒーを片手に。

 

 早めのおやつを済ませれば、あと六ヶ月ほどでやって来る雄英の入試へ向けての受験勉強へ移る。

 

「熾念、国語ができないんだっけ?」

「Yeah」

「日本人なのに」

「Shut up」

「んでもって英語もできないんだっけか?」

「Shut up! That`s rude(失礼だな)! 英語は七月の模試で八割とったからな!?」

「おお、凄いじゃん。私は九割だったけどな」

All right(よーし)!! You`ll regret this(覚えてろよ)!!」

「ん、そか」

 

 憤る熾念の言葉をあっけらかんとした態度でスルーする一佳。

 元々オールマイトへのリスペクトで英語を多用していた熾念は、英語を勉強することにさほど抵抗感は覚えなかったようで、中々捗っているようだ。

 しかし、やはり国語はできない。

 

 そこで頼みの拳藤先生の出番なのだが、彼女は基本的に放任主義。というよりも、国語は他人があれこれ教えて解ける問題が少ない為、『寝そうになったらたたき起こす』役として、熾念の面倒を見ているのだ。

 もしこの役目をねじれに頼んだのであれば、勉強中に『ねえねえ』と話して来て、一向に勉強が進まないという事態になりかねない。故に、わざわざ幼少期以来訪れていなかった幼馴染の家まで足を運んでいるのだ。

 

 クーラーが起動している音と、紙を捲る音。ノートに文字が書かれている音だけが響く空間の中、熾念は音楽プレーやから伸びるイヤホンを耳に挿し、何かの音楽を聴いているようだった。

 ノリのいい曲を聴いているのだろうか。古典を解きながら首を上下に振る様はやけにシュールだ。

 

「……誰の曲聴いてんの?」

「ん? DEEP DOPE」

「ディープドープ?」

「Non non。DEEP DOPE」

 

(発音良いのが腹立つな……)

 

 中高生に流行りのロックバンド『DEEP DOPE』の曲を聴いているとのこと。因みにバンド名の意味は、『麻薬のように深く虜になってしまう』という意味らしいが、

 

「古典解きながら聴くバンドじゃないな」

「Oh no!」

 

 集中力を妨げるという理由で、一佳に音楽プレーヤーごと没収されるのであった。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 燦々と陽の光が降り注ぐ、緑が映える夏が終われば、次にやって来るのは紅葉の季節―――秋だ。

 食べ物の秋。芸術の秋。スポーツの秋……etc.

 兎に角秋は、様々なことを行うことに適した季節。

 

 しかし、受験生である熾念たちには『勉強の秋』としかなり得ない。日中は学校で勉強。帰ってきても勉強。勉強という言葉がゲシュタルト崩壊してしまうほどに。

 それもこれも、今年の雄英高校の偏差値の高さに起因する。

 

79。

 

 一瞬正気を疑ってしまうほどの偏差値の高さだが、これは一重に一般入試の定員が36名という数の少なさが理由だ。

 №1ヒーロー『オールマイト』を始め、フレイムヒーロー『エンデヴァー』。そして八年連続ベストジーニスト賞受賞の『ベストジーニスト』など、名立たる有名ヒーローを輩出しているだけあって、全国各地から人が集まることは仕方ないとして、余りにも席が少ない。

 

「Huh……」

「ねえねえ熾念くん、聞いて。コレでアレやってー!」

「……OK」

 

 休日に、リビングの机に突っ伏して溜め息を吐く熾念に、『ねえちゃん』改めヒーローネーム『ねじれちゃん』となったねじれが、近くのコンビニで買ってきたジャスミンティーを差し出してきた。

 机に突っ伏したまま、掌を翳す熾念。

 するとペットボトルの容器を満たしていた液体の一部が球状に固まって、ねじれの前に浮かび上がった。

 

 そこへ唇を突出し、チュ~とジャスミンティーを飲むねじれ。彼女曰く、『無重力気分』らしい。確かに、宇宙飛行士が宙に飲み物を浮かべて啜る動画は見るが、あくまで熾念は念動力を使ってソレっぽく見せているだけだ。ふと気を抜けば、床が大惨事となる。ねじれの服も大惨事だ。特に夏。

 

 入試まで時間も少なくなってきたにも拘わらず呑気に思われるかもしれないが、これも一応特訓の一環。

 

『ねえねえ聞いて! 発動系の個性は、限界突破するぐらい頑張れば上限の底上げができるんだって! 不思議!』

 

 夏の林間合宿を終え帰宅し、死んだ魚のような目で教えてくれたねじれに戦慄しながらも、熾念は毎日毎日コツコツと、発動限界時間の底上げをするべく、念動力で様々な物を浮かせていた。

 しかし、限界を超えれば即座に血が流れるような個性。毎日流血すれば、自ずと貧血になっていく。

 そこで、失った血液を補うべく、血を作るに必要な栄養素が含まれる食べ物を胃袋に納めるのだが、彼は泣きそうになっていた。というより、実際泣いた。

 

 たくさん血を作るには、相応の食事量を摂らなければならない。故に、大食漢と呼ばれても仕方がない程、多量の食べ物を口に含んでいた。吐きそうになるほど。

 

 これらの涙ぐましい努力の末、念動力の発動時間の上限は二秒増えた。

 たった二秒。されど二秒。

 熾念の“個性”は万能だ。デメリットに見合うだけのメリットはある。

 

 例えば、単純に攻撃に用いたとしよう。小学生の時でもトラックを浮かせられるだけの力―――大人一人であれば、余裕で吹き飛ばすことができる。更には周囲の瓦礫を用いての遠距離攻撃。更に言えば、相手を直接上に浮かべて落とすだけでも、大抵の敵はノックダウンだ。

 防御については、周囲の瓦礫を用いて盾を作るなり、迫りくる攻撃そのものに念動力による圧力をかければ無効化が可能。

 そして移動手段。放物線を描くように一秒飛行し、インターバルの0.2秒をやり過ごせば、再び念動力を用いて飛ぶことができる。とどのつまり、発動時間の限界ギリギリまで行使するのではなく、短時間の行使を断続的に続ければ、スーパーマンさながらの高速飛行が可能という訳だ。これについては実行が難しい為、あくまでも予測論の域を出ないが。

 

 小さい頃から読んでいた、超能力を持つヒーローが活躍する漫画から得た知識が、今になって役立っている。

 尤も、自身に応用が利きそうな“個性”を持つ人間が、身近に居ることも大きな役割を果たしていた。

 

 実技試験は、例年と異ならない限りは対ロボット。

 己の“個性”を鑑みれば、よほどのことが無い限り実技試験は大丈夫だと考えている熾念は、必死に古典用語が載っているテキストとにらめっこする。

 

「熾念くんも大変そーだね」

「Umm……まあ」

「ねえねえ、お母さん言ってたよ? 『無理に雄英行かなくてもいいよ』って」

「……Why?」

「さー? ね、不思議だよね」

 

 ぷはぁ、とジャスミンティーを飲み干したねじれは、頬に人差し指を当てて首を傾げる。一見あざとい挙動だが、ねじれが行えば普通に見えてしまうのが不思議なところだ。

 『無理に雄英に行かなくてもいいよ』とは、何か雄英に行かれると困る事情でもあるのだろうか。国立の雄英は、他の公立や私立の高校よりも学費が安い。多少登下校に要する交通費はかかるが、それでも総合的に見れば安上がりの筈。

 

 息子が全国有数のトップ校に通うことに、一体何の問題があるのだろうか。いや、ない。

 寧ろ、姉弟ともに雄英に入学したという事実が、波動家に一流の箔を付けるように思えるが、

 

「ここまで来て投げ出すのはcoolじゃない……HAHA!」

「ねえ、知ってる? 熾念くんの『自分がカッコいいと思わないことはやらない』って考え、一種の強迫観念だよ? そこまで自分を追い込むって不思議だね! ね?」

「No。俺は曲がったことが嫌いなだけさッ」

「小学校の時、女の子のスカートを念動力で捲ってたのに?」

That`s youthful passion(それは若気の至り)

 

 “個性”発現し立ての時、やましい考えを持つ友人に唆されて、同級生でクラスのマドンナと呼ばれていた女子のスカートを捲ったことがある熾念。

 それ以来、一佳の手刀が延髄に飛ぶようになったことを記しておこう。因みに、手刀のキレはその時が一番凄まじかった。

 

 風を切る音に戦慄を覚えたのも、その時が初めてだ。

 

 だが、そんな当身を繰り出す少女に恋してしまった。

 

 これこそ若気の至りと言われてもよい。

 憧れのヒーローの背を追い、最高峰の学び舎でヒーローとしての基礎を学び、いずれは平和の象徴を超えるだけの人間になりたい―――それが彼の目標だ。あわよくば、幼馴染との仲の発展も……。

 

 短い青春は、全身全霊をかけて最高のものに仕上げたいのだ。

 

「俺は雄英に入る。入ってみせる! 誰がどー言おうとも関係ないのさ。結局選ぶのは自分なんだから、後悔するにしても自分が選んだ選択で後悔したい!」

 

 硬く拳を握る熾念。

 彼の本心の吐露を聞いたねじれはと言うと、ニッと笑ってこう語る。

 

「そっかー! じゃあ、頑張ってね! お母さんの考えてることは分からないけど、私は応援してるから! ね?」

「Thank you!」

「あ、聞いて。あとねー、これからお母さんに頼まれたおつかいに行ってくるけど、なにか買って欲しい物ある?」

「アイスとサイダー!」

「いつものねー! じゃあ行ってきまーす。留守番よろしくね! ね?」

 

 そう言って、エコバッグ片手に出掛けていくねじれ。

 天真爛漫な彼女の言葉は、時に心に茨の如く棘を突き立てることもあるが、無神経に背中を押して一歩進ませてくれることもある。

 それが良い所でもあり悪い所でもあるのだが、今は単純に嬉しい。

 

 義姉の激励に心を奮わせながら、熾念は徐に首から下げるネックレスに手を掛けた。

 簡素なシルバーチェーンに通っているのは、二つの指輪。サイズが違う指輪の裏には、二人分の名前がローマ字表記で掘られており、間にハートマークも掘られている。

 

 しかし、本来は美しい金属光沢を放つ筈の指輪は、所々不恰好に黒ずんでいた。

 

 瞼を閉じれば、鮮明に思い出せる。

 猛々しく燃え盛る紅蓮の炎を突っ切って駆け寄って来てくれた、一人の英雄(ヒーロー)の姿を。

 

 

 

―――もう大丈夫!! 何故って!?

 

 

 

―――私が来た!!

 

 

 

「……よしッ! ねえちゃん帰ってくるまで、参考書のこのページ終わらせるとするか!」

 

 自身のヒーローを目指す原点を思い返して気合を入れ直した熾念は、未だに苦手な古典の問題に取り掛かる。

 全ては、憧れのヒーローの辿った道筋を歩み為。

 そして、いずれは追い越す為。

 

 自分が、誰かに手を差し伸べられるヒーローとなる為、今は可能な限り己を磨いていく。

 

 

 

 ☮

 

 

 

 時は流れ、肌を突き刺す寒さが身に染みて感じる冬。

 街道では、枯れた落葉がつむじ風に巻かれて舞い上がる。

 

 見慣れぬ道。強張る体を動かして進む先には、仰々しい門と巨大な建造物が堂々と佇んでいた。

 まるで凱旋門に勝るとも劣らないセキュリティが備えられている門の隣には、『雄英高等学校 入学試験』と達筆に書かれている看板が立てかけられている。

 

 今日は二月二十六日。雄英高校一般入試当日だ。

 

「Oh……So big(でけぇ)

「おまえ呑気だなぁ。ついさっきまで、『駅で迷った。迎えに来て』ってメール送ってきた奴とは思えないんだけど」

「都心の駅は複雑」

「それは否定しない。ってか、目的地一緒なんだから、家から一緒に来れば良かったんじゃないのかよ?」

「……その発想は無かったわぁ」

「んバカ」

 

 平常運転の熾念と一佳。ツッコミ代わりに、手刀が熾念の脇腹に突き刺さる。

 一時、最寄駅で迷子になった熾念を一佳が牽引する形で歩いてきたのだが、極めて平然とした様子だ。

 すぐ横を過ぎていく者達は、歩きながら参考書を眺めていたり、緊張で顔色を悪くして居たりと、尋常ならざる雰囲気を身に纏っている。

 

「Huh……みんな張り詰めてるな。俺なんか昨日、なにすればいいのか分からなくて早く寝過ぎた結果、これまた早く起き過ぎたから二度寝しちまったんだが。HAHA」

「……呑気だなぁ」

 

 しんみりとした様子で再び言い放つ一佳。

 確かに、試験前日になにをすればいいのか分からない気分は理解できるが、それにしてもマイペース過ぎる。

 逆に、それだけ自信があるということの裏返しなのかもしれないが……。

 

「All right! 行こうぜ、一佳! まずは筆記っと~♪」

「はいはい……」

 

(ま、緊張してるよりかはマシか)

 

 呑気な幼馴染を見て苦笑を浮かべる一佳は、彼の夢の実現に手を貸し、または借りた者として、ささやかに彼の合格を願いながら、筆記試験会場へ向かうのだった。

 

 変えたい『日常』もあるが、変わらない方がいい『日常』もある。

 

「よし、いっちょ頑張るか!」

 

 彼と、高校も共に登下校できるなら、それはそれで面倒だとも思うが、楽しいとも思える一佳なのであった。

 

 

 

 雄英高校一般入試、開幕。

 




備考
・『DEEP DOPE』は、耳郎のTシャツや寮の部屋に飾ってあったポスターに書かれていた文字。彼女の好きなジャンルを鑑みるに、恐らくロックバンドの名前。


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