№13 体育祭へ エンジン全開!
依然として体に残る疲労。これは、普段休みでもない日に遠出してあちこちに出掛けた弊害だと確信しつつ、校門を潜る熾念。
臨時休校の次の日は、普段通りの学校生活だ。
休みが名残惜しい気もしなくないが、ねじれのお蔭で多少気分がリラックスできただけ良しとしよう。
昇降口で靴を脱いで上履きに履き替え、教室に入れば敵襲撃を切り抜けた級友たちが出迎えてくれる。
誰もがプロの世界の恐怖を味わった一日であったが、幸いにもそこまでショックを受けている者は少なそうだ。全員顔色もよく、『日常』へ戻れたことに安堵が窺える。
「尾白くん凄かったんだよー! あちょー、って!!」
「ははは、そうかな……?」
顔色を窺うことができない透明少女が一名居るが……。
興奮して語る葉隠に、照れくさそうにして頬を搔く尾白。
「それにしても、生徒二十人よく生き残れたよなぁ……」
「ホントだよなぁ」
切島と上鳴が話す通り、水難ゾーンを切り抜ける為に、リスキーな“個性”の反動で自ら指を怪我した緑谷以外と脳無に肩を脱臼させられた熾念は、基本軽い擦り傷や切り傷程度で済んだ。
流石はヒーローの卵たちと言うべきか。
「でも上鳴、お前ウェイって
「ウェイってってなんだよ!? 新しい動詞!?」
口元を押さえて笑いを堪えながら語る耳郎に、上鳴は抗議の目を向ける。しかし、内容は穏やかではない。一歩間違えれば上鳴もやられていたということなのだから。
それでもこうして笑い話として処理できているのは、死人が一人も出なかったことが大きかっただろう。
そう、死人が一人も出なかった。
それだけで―――。
「皆―――! 朝のHRが始まる、席につけ―――!!」
「ついてるよ。ついてねーのおめーだけだ」
朝から真面目フルスロットルの飯田が張り切っているが、瀬呂にバッサリと切られ、悔しそうに呻きながら自分の席に戻っていく。
「HAHA! やっぱ楽しークラスだなぁ」
「うん、そうだね」
「んでもって、こっから男女がくんずほぐれつのキャッキャうふふな関係によー……!」
((ブレないなぁ……))
襲撃事件を経ても、峰田のエロ魂に変化はないようで、前後で話していた熾念と緑谷は得も言えない安堵を覚えた。明瞭な安堵ではない。得も言えない安堵だ。複雑な心境なのだ。
峰田を見る際に当たって、彼の後ろの席に座っている八百万の視線が痛いということを、ここに追記しておこう。
すると徐に、教室の前の扉が開き―――全身包帯だらけのミイラ男のような相澤が現れた。元々首に捕縛武器を巻いている彼であるが、顔や腕にも大量の包帯を巻いている所為で、視界に入る相澤の姿の約五割が包帯で埋め尽くされてしまっている。
「相澤先生復帰早えええ!!」
「相澤先生、無事だったんですね!!」
「無事言うんかなぁ、アレ……」
無事の定義が知りたい。この時ほど、熾念がそう思った事は無かった。
普段の気だるさに加え、全身包帯という弱弱しい姿の相澤はよろめきながら教壇に着き、包帯の隙間から僅かに覗く瞳で生徒たちを見渡す。
全員登校。それが一先ず確認できた相澤は、HRに則して朝の報告を始める。
「俺の安否はどうでもいい。何よりまだ戦いは終わってねぇ」
「戦い?」
「Battle?」
「まさか……」
「まだ敵が―――!!?」
意味深な匂いを漂わせる発言に、誰もが『戦い』とは何を意味するのか思慮を巡らし、冷や汗を流す。峰田に至っては、先程のエロ魂を一瞬にしてしまいこみ、頭を抱えてガクブル状態となっている。
そんな空気の中、相澤が続けた言葉は―――。
「雄英体育祭が迫ってる!」
『クソ学校っぽいの来たあああ!!!』
なんのことはない―――ただ、規模は規格外の―――学校の行事だった。
☮
形骸化したオリンピックに代わり、現在日本のオリンピックの代わりともなっているのが、この雄英高校で開かれる雄英体育祭。
数多くのプロがスカウト目的で訪れるこの体育祭は、生徒にとっても卒業後の相棒先を見つけるという意味で非常に有意義。一年に一度、卒業までに計三回しかないビッグチャンスにかける皆の想いは並大抵のものではない。
迫る体育祭へ心躍らせる者達はそのまま午前の授業を経て、昼休みに至る。
「鋭児郎! メシ食いに行こうぜ!」
「おう、いいぜ! 上鳴、瀬呂! おめェらもどうだ?」
熾念の誘いを受けて、近くに居た二人も誘う切島。コミュ力の権化と呼ばれる彼は、近くに誰かが居たらその人も誘うなど、当たり前なのだ。
『帯電』の“個性”を持つ上鳴と、『テープ』の“個性”を持つ瀬呂が切島の誘いを受けて席を立とうとし、いざ食堂へ向かおうとしたその時だった。
「お? なんだあの女の人。美人じゃね?」
扉の方へ視線を向けていた上鳴が、誰かを見つけたようだ。
彼の声に反応して、一斉に上鳴の視線を辿る三人も、上鳴曰く『美人』の女性を視界に捉え、一名を除いて頬をポッと赤らめる。
「おぉ、マジだ……!」
「他のクラスの子か?」
「お、おい! 誰かメアド交換してこいよ!」
「……」
他三名が未知の美人の登場に興奮している間、熾念は『Why?』と言わんばかりの表情で、手を招く仕草を見せるねじれを見つめる。
恐らく手招いているのは、十中八九自分のことだろう。B組なら一佳が居るのでまだ分かったが、このクラスには己以外彼女の知り合いは居ない。
暫し熾念が茫然としていると、中々反応してくれない弟に憤慨したのか、一年生のクラスに堂々と足を踏み入れて熾念に歩み寄るねじれ。
「ねえねえ、熾念くん! お昼ご飯一緒に食べよ!」
「Wait。俺これから友達と一緒に―――」
「ねえ、聞いて! 今日もお財布ちゃんと持ってきたんだけどね、昨日お買いもので残金が無くなってたことに気付かなかったから、お昼ご飯買うお金ないの! ね?」
「Hey!? 弟に奢れと、そういうことなのかッ!?」
「借りるだけだよー! ねえ、ほら! 一緒に行こー!」
「あぁ!? Sorry、みんな! また後で!」
結局は言い包められた熾念が、親猫に首根っこを噛まれる子猫のように、襟元を掴まれて引きずられていく。確か、このような画像をネットで見たことがあるな……などと考えていると、上鳴がバイブのように震え始め、椅子が倒れる勢いで立ち上がった。
「帰ってきたら、波動にアイツの姉ちゃんのアドレス聞くぞ―――!!!」
キェェエエエイ! と、訳の分からない雄叫びを上げる上鳴にドン引きする切島は、どこから湧き出てきたのか『オイラにも教えてくれ』と囁いてくる峰田も含め、彼にしては珍しくドン引きした視線で彼等を眺めるのであった。
☮
「ム? あれは波動くんじゃないか?」
「あ、ホントだ」
「アレ? 誰かと一緒にいるよ……女の人?」
廊下を歩いて食堂に向かっていた飯田、緑谷、麗日の三人組は、自分たちが向かっている方向と同じ進路を辿っている熾念ともう一人の姿を捉えた。
よく似た髪色。ボリュームたっぷりの長髪を一瞥した彼等は、一度熾念に見せてもらった画像のことを思いだす。
「もしかして、波動くんのお姉さんかな?」
「うむ、そうに違いないだろう。外見的特徴は一緒だ」
「わぁ! 生で見ると一層綺麗やー!」
「Huh? Hey、一旦ストップ!」
すれ違う瞬間に緑谷たちに気が付いた熾念は、一直線に食堂へ向かうねじれの肩を叩いて止まってもらう。
すると彼女も自分たちへ好奇の目を向ける三人に気が付き、パァッと顔を明るくして緑谷の下へ向かった。そしてやっと襟元を放された熾念は、ホッと安堵の息を吐く。
しかし、安堵もつかの間、ねじれは何を思ったのか三人組の中央に居た緑谷の手を握り、眼前まで顔を近付けるではないか。同年代の女子に免疫のない緑谷はこの瞬間、心拍数が急激に上昇し、瞬く間に顔が茹蛸のように染まり上がる。
その横で、先程まできゃぴきゃぴしていた麗日が突然死んだような眼になるが、幸い彼女の様子は誰にも見られることはなかった。
「ねえねえ、皆ってもしかして熾念くんと同じクラスの子?」
「ははは、はいッ!! 一年、うぇ、A組の緑谷出久でっす!」
「同じく飯田天哉です」
「あ、私……麗日お茶子です」
「へー! 私は波動ねじれって言います! 是非、熾念くんと仲良くしたげてね! ね?」
「ひゃ、ふぁい!」
ピュアスマイルを浮かべるねじれだが、眼前の緑谷は直視することができず、終始挙動不審に目が泳いでいる。
そんな彼を見かねたのか、熾念が苦笑を浮かべて緑谷の手を握るねじれの手を放す。
「Ah……この前写真見せたから分かると思うけど、ねえちゃんだ」
「うむ! 髪の色や瞳の色彩がそっくりな所に繋がりを感じるな!」
飯田が熾念とねじれの似ている部分を挙げる際、独特の腕の動きを見せた。
その時、ねじれの目の色が変わった。
「! ねえねえ、その腕の動きってなんなの? ね?」
「はい? あぁ、これは何というか癖のような」
「眼鏡掛けてるね。あ、視力が悪いの? なんで眼鏡かけるようになっちゃったのかな? 小さい頃ゲームやり過ぎちゃったとか、本読み過ぎちゃったとか? それともファッション?」
「む? 俺の視力についてはですね」
「体しっかりしてるね! 筋トレとか欠かさずにしてるのかな? ね? “個性”は増強系? それとも発動系?」
「あの、俺の返答を遮……」
「ねえねえ!」
絶え間ないマシンガンのような質問。
流石の飯田にも、頬に汗が伝う。
特徴的なお姉ちゃんだね……と、横で見ていた麗日は頬をポリポリと掻き始めたが、その際垣間見えた肉球に、ねじれの質問照準が変更される。
「ねえねえ! その指の肉球ってなあに? 生まれつき? “個性”に関係とかあるの?」
「ふぇ? あの、これは私の“個性”関係で」
「どんな感触? 触っても大丈夫?」
「あ、ダメです! 触ったら浮いちゃいます!」
「浮く? ねえ、どういう浮き方? 風船みたいに? その肉球で触れたら勝手に浮いちゃうの? その肉球がついてる自分は浮かないの? 不思議!」
「は、波動くん……!」
助け船を求めるような視線を熾念に向ける麗日。
「Sorry」
「謝らんといて!?」
しかし、俺には無理だと言わんばかりに目を俯かせて廊下を眺める熾念に、思わず訛ってしまった麗日。
すかさずねじれが『今方言出てたけど、出身どこなの? ね?』と新たな質問を投げかける。
「……好奇心の塊みたいなお姉さんだね、ははッ」
「父親の方が記者の仕事してるし、そっちの血を継いだんだろうな、HAHA」
「へぇ、波動くんのお父さんって記者なんだ! 雑誌? それとも……」
「アレ? ねえねえ、きみ!」
「へぁ!?」
蚊帳の外と言わんばかりの様子で佇んでいた緑谷であったが、とうとうねじれの魔の手が及んでしまった。
恐らく、右手の中指に巻きつけられている包帯が目についたのだろう。
麗日の前から移動して再び緑谷の前に立ちはだかるねじれ。彼女の後ろでは、『デクくんゴメン』と麗日が安堵の息を吐いていた。
「ねえその怪我どうしたの? 突き指でもしちゃったの? それとも敵襲撃でしちゃった怪我?」
「えと、これは“個性”の反動で」
「“個性”の反動? 自分の指を犠牲にして発動する“個性”なの? ね?」
「い、いえ! 僕のは単純に超パワーが出る増強系みたいなんですけど、体が耐えられなくて」
「増強系なのに、反動で怪我しちゃうの? 不思議! ねえねえ、どんな感じで“個性”発動させるの?」
「あの……オールマイトみたいにSMASHって叫んで、こう……力む? みたいな」
「へー! 超パワーって、オールマイトみたい! 怪我するけど、必殺技みたいに超パワー! って! ね? でも、それって発動系みたい!」
「へ?」
ねじれの一言に、緑谷の表情が固まる。
彼は以前、USJに向かう際のバスの車内で蛙吹に『貴方の“個性”ってオールマイトに似てるわ』と言われた。
それについてはなんとか流すことに成功したが、ねじれのように『発動系』と言われたことは一度たりともなかったのだ。切島にもちゃんと増強系と把握されていたので、彼は特に疑問に思うことはなかったのだが……。
(発動系? 僕の……オールマイトの“個性”が? そんな筈はない、オールマイトの個性は、詳細こそ知られてないけれど世間にだって増強系だって知られてるんだ。だったら、波動くんのお姉さんは、なにを思って僕のを発動系だと感じたんだ?)
「ねえねえ! “個性”発動させた時って、君の体どうなるの? やっぱりオールマイトみたいにムキムキになっちゃうの? それともパワーだけ出る感じなの? ね?」
(オールマイトは本当の姿からマッスルフォームに変わる時、力んでるって言ってたけど……それは僕も同じなんだ。だったら何が違うんだ? 僕とオールマイトの違い……僕がまだオールマイトに倣い切れていない部分? 僕の“個性”が発動系だと思われて、オールマイトが増強系だと思われる決定的な違いは―――)
「ねえ聞いて! 君の“個性”って体のどこでも出来るの? 指は出来るんだよね? 腕でも? 足でも? 胴体にも? それとも
「―――!!!」
分かった。
曇りが掛かったレンズが、一瞬にして晴れたような感覚を、緑谷は覚えた。
ねじれの絶え間ない質問が―――客観的な疑問が、緑谷自身には見えていなかった着眼点を突いたのだ。
同じ増強系であるにも拘わらず、自身の『ワン・フォー・オール』が発動系だと思われる所以が。
(段階だ! オールマイトは戦ってる時はずっとマッスルフォームだけど、僕はいちいち『使う』って一部分だけに力を込めてる! 最初はロクに調整もできなかったから、そんなこと思いもしなかったけど……あの感覚が全身に伝われば―――僕の許容限界で、マッスルフォームのオールマイトを真似できれば!)
―――リフレインするのは、死柄木から蛙吹を守ろうと拳を振るった時
―――初めて、腕が砕けない威力の調整が出来た時
「ねえねえー、聞いてるー?」
「Hey, Hey……ホラ、あんまり迷惑かけないの」
「ぶー」
「あの、波動くんのお姉さん! ありがとうございます!」
「「ん?」」
突然緑谷が放心状態になり、話を聞かれなくなったとブー垂れていたねじれと、彼女を連れて行こうとする熾念であったが、我に返った緑谷に礼を言われて目が点になった。
なにか礼を言われることでもしたのだろうか?
寧ろ、迷惑をかけただけでは……と口走ろうとしたが、余りにも燦然と輝く緑谷の瞳を見て、そのような無粋な発言はできなくなった。
飯田も麗日も、一体彼が何を思って感謝しているのだと首を傾げていたが、廊下の奥から響いてくる足音の方が気になってしまう。
「おお! 緑谷少年が、居た!!」
「オールマイト!?」
「わあ、オールマイトだー!」
ビュンと颯爽と現れた筋骨隆々のヒーローの登場に、誰もがビクッと肩を揺らす。
だが、数秒後にはスターの登場に誰もが声を上げ、彼の登場に歓喜の声を上げる。
しかし、『緑谷少年』と言うからには彼のことを探していたのだろう。一体どのような用件で来たのかと周りの者達が思えば、徐にオールマイトはカワイイ小包に包まれた弁当を示して見せる。
「ごはん……一緒に食べよ?」
「乙女やッ!!」
意外過ぎる理由に噴き出す麗日。
そのまま緑谷はオールマイトに連れて行かれ、共に来ていた飯田や麗日を置いて行ってしまう。謝っていたことから、食事以外に真の目的があるのだろうということは、想像に難くない。
『食事を摂りながら話でも……』と言ったところなのだろう。
「ねえねえ、熾念くん聞いて。あの子、オールマイトに気をかけられてるの?」
「Ah、どうだろうな? 超絶パワーは似てるから、なくはないと思うけど……あッ、似てるからこそアドバイスとか?」
「へー」
聞いてきた割にはあっけらかんとした返事だ。
だが、もう何年もの付き合いである為、この程度でどうこう思う熾念ではない。
「天哉とお茶子ちゃんはこれから食堂か?」
「ああ。緑谷くんとも行くつもりだったんだがな」
「うん。そういう波動くんはお姉さんと?」
「そーだよ! 今日私お財布忘れちゃったから、熾念くんに奢ってもらうの!」
「Hey。今、確実に奢ってもらうって言ったな?」
無垢な顔して性質が悪い。
餅のように弾力のある頬を突きながら熾念が抗議すると、
「気にしない気にしなーい。あ、そうだ! ねえ聞いて、さっき色々訊いちゃったから、今度は私に質問あったらじゃんじゃんしていいよ! ね?」
「「いいんですかッ!?」」
「うん! 一番近いイベントは体育祭だよね。ねえねえ、何か聞きたいことある?」
「「はいッ! それはもう!」」
グッと拳を握って声を合わせる二人に、熾念は思わず噴き出してしまう。
彼等もまた、体育祭にかける想いが強い者達ということなのだろう。少しでも先達の知識を得るという情報アドバンテージを得たい―――そんな意図が見える。
だが、他人が一生懸命頑張ろうとする姿を見ていると、こちらにも熱が伝播して無性に頑張りたくなってしまうものだ。
体育祭まで二週間。やれることは数少ないかもしれないが、やれるだけのことはやって過ごしていきたい。
人事を尽くして天命を待つ。自分の限界までの努力を重ねたと言える状態で臨みたい。
―――オールマイトなら、笑って臨むだろう
憧れの人を思い浮かべながら、熾念はそのままねじれに付いていく二人の背を追い掛けるように食堂へ入っていくのであった。
☮
午後の授業も終わった放課後。普段とは違い、何故かA組の教室の前に屯する生徒たちを前にし、『ソーリーソーリー』と茶化すような口ぶりで謝りながらすり抜けていく熾念。
まだ人が集まり切る前だったようであり、次第に屯する人数がどんどん増えていくのが目に入るが、既に廊下へ脱出した熾念の知るところではない。
何やら、麗日が仰天したかのような声を上げたり、爆豪がヘイトを高める発言もしたようだが、自分は既に蚊帳の外。早々に、予約していたトレーニングルームに向かおうとしたその時であった。
「お、熾念じゃん」
「Wow、一佳か。どうした?」
「いや、特に用はないんだけどな。なんか野次馬集まってたみたいだし、なんとなく」
「Huh、野次馬の野次馬って訳か」
そりゃあ人がこれだけ集まる筈だ。
尤も、彼等の集まっている理由は敵襲撃を受けるも生き延びたA組の面々を見ておきたいというのが本心なのだろう。戦力調査も兼ねているのかもしれないが、放課後に大した情報を得られるとは思えない。
しかし、何の利益にもならないことであっても、一度は見てみたいと思ってしまうのが人間の心理。
気持ちは解らなくもないが、相澤が此処に居れば『合理的じゃない』と一刀両断してくれるだろう。
「それよりだ。電話で元気なのは確かめたけど、やっぱり直に見てみて安心したよ」
「HAHA、この通り俺は元気だぜ?」
「そか……ホントよかったよ」
つい先日賭けを一つしてしまい険悪な雰囲気になってしまったが、やはりそこは付き合いの長さ。心配なものは心配だったのだろう。
しかし、普段通りの飄々とした様子を見て安堵の息を漏らす一佳は、腰に手を当てて未だに屯する生徒たちを見遣る。
「隣のB組のモンだけどよォ!! 敵と戦ったから話聞こうと思ったんだがよぅ!! エラく調子づいちゃってんな、オイ!! 本番で恥ずかしい事んなっぞ!!」
ちょうど二人が見やった時は、銀髪で強面の少年が声を荒げて爆豪を中心にA組へ宣戦布告している場面であった。
「……ゴメンな。あいつ、鉄哲って言うんだけど、普段は良いヤツなんだ」
「I see。普段良いヤツなだけマシだな。
「え?」
『誰が悪人だ、似非バイリンガルがッ!!』
小さい声で呟いた筈だが、地獄耳らしい爆豪が鉄哲という少年以上に声を荒げて熾念に怒鳴りつける。
その様子に、おどけるように肩を竦める熾念は踵を返して歩き始めた。
「聞こえてたか。じゃあ怒られる前に逃げるとするか。俺はこれからトレーニングルーム行くからなッ」
「おう。怪我すんなよー」
「Goodbye」
「じゃあな」
そのまま颯爽と一佳の前から去り、通路の角を曲がった熾念。そのままピタリと立ち止まった熾念は、胸元をギュッと掴んで赤らんだ頬を冷やすために、自販機の飲み物を買うべく、ポケットから財布を取り出した。
(久し振りに一佳と二人で話せた)
彼の恋に関する精神年齢が小学生で停滞していることを、ここに追記しておこう。
そんなウキウキしている熾念はなんとなしサイダーを買って飲むのだが、筋トレ前に炭酸飲料を飲むことが間違いであったのに気付いたのは、もう少し後であった。