上を向いて歩こう   作:バレンシア

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第六話

和也の退院は思っていたよりも早かった。

約一日の行方不明。発見されてからも意識を取り戻すのに一日かかった。事件性があり、警察からの取り調べもあった。その合間をぬっての診察は、正直、ひどく退屈だった。

たったの一週間程度だが、それでも和也が現状を嘆くには十分な時間だった。

 

「ついに、戻ってきたのか・・・っ」

 

久し振りの教室を前に、思わず胸が熱くなった。

たったの一週間ほど学校に行けなかっただけなのに、不思議と何ヵ月も通ってなかったかのような感覚だった。かつてこれほどまでに自分のクラスを懐かしいと思ったことはなかった。

 

「おはよーさん」

 

教室に入り、取り敢えずクラスメートたちと挨拶を交わす。

 

「あ、和也じゃん。おはよう!」

「おっひさー。この一週間入院だって?大変だったな」

「重役出勤とは羨ましいじゃねーかよ。俺も一週間ぐらい休みたいぜ!」

 

一部のバカを除いてそれぞれが普通に、これまでとなにも変わらず挨拶を返してくる。当たり前だが、このやり取りすら懐かしい。病室にはお爺ちゃんたちしかおらず、やはり同年代との会話に飢えていたのだろう。

 

「で?そこのバカはバカにもかかわらず、人のことバカみたいにバカにしてんのか?」

「人のことをバカバカ言い過ぎなんじゃねーかなっ、おい!?」

 

一週間の間を置いても変わらない会話だった。クラスメートたちも既に慣れた光景であり、みんな適当に二人の会話を流していた。喧嘩するほど仲がいいらしいが、少なくとも和泉和也と中村達也は友人だった。

 

「でもさ、なんだかんだ言いながらも友達思いだよなー、達也って」

「そうそう。俺もこの前、不良に絡まれてるところを助けてもらったし」

「俺の時なんて、風邪引いて休んだ時にわざわざノート持ってきてくれたぜ」

「あ!俺も、俺も!」

 

クラスメートたちの声は当然、達也の耳にも入っていた。横を見れば、耳まで真っ赤にした達也がいた。

そういえば、と思い出す。結局、この一週間で裕奈たち四人やバスケ部のメンバー、そしてクラスメートと多くの人が病院に来てくれた。でも一週間、毎日顔を見せに来てくれたのは亜子と達也、そして刀子の三人だけだった。

 

「止めろよっ、お前ら!?照れるだろうがっ!?」

 

羞恥に負けて達也が叫ぶ。

ただ、その程度でへこたれない奴らが集まっているからこそ、刀子をもってしても苦労するのが男子高等部の二年一組だった。

 

「それをストレートに言っちゃうところが達也だよな」

「本当にな。普通、照れるなんて素直に言わねーぞ」

「まぁ、達也だし?」

「達也、バカだからなー」

「あっはっは」

「お前ら人をバカ扱いすんのもいい加減にしとけよっ!?」

 

クラスメートたちにからかわれながら暴れる達也をみていると、ひしひしと日常を感じる。

同時に、クラスメートたちからの気遣いにも感謝した。久し振りの登校で妙な雰囲気にならないように敢えて()()()()()()()()()()()でいてくれている。本当に友人たちに恵まれたものだった。

 

「なんだか随分と今日は賑やかですね」

「俺も不思議なんですけど、妙にテンションは上がってます」

「ほどほどにお願いしますよ」

「分かってます」

 

教室に姿を表したのは刀子だった。相変わらず惚れ惚れするほどにスーツ姿を着こなしている。これほどの美貌やスタイルを持っていながらも彼氏がいないのは、全くの謎だった。

そして、刀子の登場と共にクラスの騒然とした様子はおさまりを見せる。刀子による教育の賜物だった。

そしていつものようにホームルームが始まり、刀子が連絡事項を伝えていく。

 

「週の終わりに久し振りの登校で気分が高揚している子もいるみたいですが、学生の本分は勉強です。将来のためにも今、しっかりと学びなさい。騒ぐのも結構ですが、切り替えは大切ですよーーーーー分かっていますよね?」

 

最後の言葉でクラスの中に緊張が生まれた。刀子は笑顔だが、その言葉は鋭い抜き身の刀のようであった。

連絡は以上です、と刀子は手に持っていた出席簿を閉じた。それだけで、男子高等部二年一組は再び騒がしくなった。そこら中で元気のいい声が響き渡る。刀子も注意はしない。やるべき時にやればそれで構わない。それが刀子がつくったクラスのルールだった。

 

「それと、和泉君は少し話があるのでついてきなさい」

 

同時に、刀子が和也を呼び出した。

別段、珍しいことではない。和也自身も忘れがちだが、一応、クラスの委員長であった。

 

「どうしたんすか?」

 

和也が廊下に出ると、刀子は妙に難しい表情を浮かべていた。

 

「学園長が呼んでいます」

 

刀子は額を押さえながら答えた。

 

「学園長が?」

「はい」

 

刀子の返事に和也は首をかしげた。

麻帆良学園都市をまとめる学園長は、基本的に学園に通っている一生徒と会ったりはしない。一つの教育機関としては日本最大の敷地面積を持ち、所属する職員数も麻帆良学園は同じく日本最大だ。その頂点に君臨する学園長なんて、和也たちにとっては雲の上の存在だった。

ちなみに、和也はこれまで毎年一度の頻度で学園長には会ったことがあった。それは決まって四月の始め。奨学金の書類に判子を押してもらう時だった。

 

「人違いじゃないですか?」

「いえ。間違いなく貴方を呼んでいます」

「まだ二月ですよ?」

「分かっています」

「・・・俺、なにかしましたっけ?」

「・・・私が訊きたいくらいです」

 

確認してみるものの、どうやら確実に和也を呼んでいるらしい。

これまでは奨学金という明確な理由があったからこそ気にも留めなかったが、今回は理由もよくわからない。背筋に嫌な汗が流れた。

 

「分かりました。なんか凄く嫌な予感しかしないんで、かなり行きたくないんですけど、取り敢えず行きます」

「私も担任として同行するので、放課後は空けておいてください」

「了解っす」

 

和也が返事をしたところで丁度、チャイムが鳴った。予鈴だった。途端に教室の中でバタバタと激しい足音が響いた。授業の用意をする音だった。

 

「・・・さすが、よく教育されてやがる」

 

改めて、今年の四月最初の授業日を思い出す。

あの日に起こった『葛葉刀子抜刀事件』は男子高等部では伝説だった。事件の中身はなんのことはない。ただ単に、刀子が二年一組全員の心をぶった斬り、そして、()()()()()だけだ。

それ以降、この二年一組というクラスはいつもこんな感じだった。

 

「相変わらず仲がいいようだな、お二人さん」

 

唐突に、頭を軽く叩かれた。

振り返って見れば、そこにいたのは男子高等部で数学を担当している神多羅木幹雄だった。

 

「一週間ぶりだな、和也」

「うっす」

 

サングラスに黒い髭、短髪ながらオールバックにした髪型は、まるでドラマや映画にでも出てくるヤクザのようだ。今日も黒いスーツがきまっている。

この見た目であるにもかかわらず、女子高等部の生徒や保護者たちからの人気は凄まじく高いのだから、人は見た目だけではない。

そしてなにより、その渋い風貌に憧れている男子高等部の生徒は意外と多い。敬愛をもって「ヒゲグラ先生」と呼ばれるほどに影響力はあった。

 

「取り合えず、退院おめでとうと言っておこう」

「ありがとうございます」

「大変だったみたいだが、戻ってきたならしっかりやれよ」

「はい」

 

トレードマークのグラサンで表情は見えないが、その口元は確かに笑っていた。クラスの男子たちみたいに馬鹿笑いはしない。この人はこうして小さく笑うのだ。

そして神多羅木の場合、単に教え子の無事が嬉しいという理由だけではないことも、和也には分かっていた。

 

「お前がいない期間、色々と大変だったぞーーーーー葛葉がな」

「ちょっと待ってください、神多羅木先生。一体、なんの話をしているんですか?」

 

クツクツと神多木は喉を鳴らして笑う。

 

「これはあくまでも内密の話だがな、和也。お前が行方不明だと知った時の葛葉の慌てぶりは見物だったぞ」

「ちょっ!?なにを口走ってるんですか!?」

 

目を剥いた刀子が睨み付けるが、神多羅木は飄々と話を続ける。

 

「飲んでいた紅茶を書類の上にぶちまけたり、授業のクラスを間違えたり、挙げ句の果てには何もない場所で勝手に転んだりしていてな。いや、あれは後処理が大変だった」

「神多羅木先生っ、一度、口を閉じましょう!そして暫く開かないでください!!」

「む。ああ、すまんすまん。忘れてたが、これは口止めされていたんだったな」

「最初に自分で「内密の話」って言いましたよね!?」 

「おお、そうだった。じゃあ秘密だからな、和也」

「「じゃあ」ってなんですかっ、「じゃあ」って!?違いますよ!違いますからねっ、和泉君!!神多羅木先生の話はすべて作り話ですから信じないでくださいね!!!」

「愛されているな、和泉」

「貴方はいい加減に黙りなさいっ!!」

 

この二人が絡んだ場合、ほぼ毎回のようにこんな状態だった。一方的に刀子が弄られ、神多羅木はその様子を面白そうに眺めている。実はかなり仲がいいのではないか、と和也は睨んでいたりする。

 

「あー・・・その、ありがとうございます?」

「良かったな、葛葉」

「和泉君も答えないでください!!!」

 

何故か刀子の矛先が和也へと向いた。

 

「大体、貴方が夜に一人でフラフラとコンビニなんか行ってるから悪いんです!」

「なっ!?それはもう何度も謝ったはず!?」

「知りません!ええっ、そうで

す!すべて貴方の夜更かしが悪いんです!!」

「そんな横暴な!?」

「ーーーっ、もう知りません!!」

 

失礼しますっ、なんて怒りながら刀子の背中が遠ざかっていく。

理不尽だと思わないでもないが、そんなことは口に出来ない。これ以上は確実に放課後の説教コースは間違いなかった。

 

「あとで機嫌を取っておけよ、和也」

「もとは誰の責任だと思っていやがるっ?」

 

自分よりも更に身長の高い神多羅木を睨み付けるが、そんなことはまるで意に介した様子もない。

 

「なに、アイツもこれで少しは「らしく」なっただろ?」

「・・・ちっ」

 

ニヤリと口元が笑った瞬間を和也は見逃さなかった。

それでも文句の一つも言えないのは、先日の見舞い以降、少し刀子との距離感を見失いかけていたからだった。

あの日、初めて葛葉刀子という人間が泣く姿を見た。もちろん、刀子は人前では泣かないし、それが生徒の前では尚のことだ。生徒の前ではカッコよくしていたい。だからこそ弱いところは決して見せない。目から涙は溢れていなかった。

しかし、()()()()()()()()()()()()()()

その出来事以降、少しばかり見失っていた距離感が戻ったような感覚だった。

 

「別に礼はいらんが、あとで自分のフォローはしておけよ。アイツはあれで、拗ねると長い」

「・・・分かってますよ」

「フ。それならいい」

 

憎たらしいほど神多羅木は余裕な笑みを浮かべていた。これが大人だった。いろんな意味で、まだまだ勝てる気がしない。

 

「・・・その内、絶対にアンタを超えてやる」

 

身長でも、中身でも。ある種の憧れの念を抱いているからこそ、なんとなく悔しかった。

 

「お前はお前で可愛い奴だな」

 

クツクツと喉を鳴らして笑いながら、神多羅木が和也の頭をグシャグシャにする。

そして、再び軽く頭を叩かれる。さっきは気付かなかったが、どうやら獲物は教科書だった。

 

「さて、授業だ。お前もさっさと教室に入れ」

「・・・うっす」

 

丁度、チャイムが鳴った。

我らが男子高等部二年一組の本日最初の授業は数学だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します、葛葉刀子です」

 

刀子の声がいつもとは異なる廊下に響いた。

放課後になり、現在二人がいるのは男子高等部の校舎ではなく、女子中等部の校舎だった。

いつものバカな男たちしかいない空間を出ると、まったくの異世界のように感じる。しかもここは女子しかいない女の園だ。和也の存在は完全に場違いだった。果たして学園長室の前に来るまでに、どれほど奇異の目で見られたのか分からない。隣に刀子がいなければ間違いなく逃げ出していただろう。

 

『うむ。入りたまえ』

 

部屋の中からは老人の声がした。麻帆良学園の学園長である近衛近右衛門の声だった。

 

「失礼します」

 

刀子の後ろに続き、和也も学園長室の中へと入っていった。

荘厳とした佇まいの割に、学園長室の中は意外と普通だ。権力者というのは往々にして己の威を示したがるものらしいが、少なくとも近衛近右衛門には当てはまらないらしい。

学園長室の中には、和也たちを除くと四人の人物がいた。

 

「やあ。久し振りだね、和泉君」

「げっ、デスメガネかよ・・・」

 

最初に声を掛けてきたのはタカミチ=T=高畑だった。

いつもの遅刻は神多羅木が担当しているが、回数を重ねていくとたまに現れるレアキャラ。これまで何度か和也も顔を合わせた事があるが、即ち、言ってしまえば天敵だった。

 

「君!高畑先生になんという言葉づかいをしているんだ!?」

「えっと・・・、すいません、だれっすか?」

 

二人目は肌の浅黒いガタイのいい男だった。見覚えはない。初めて見る男だった。

 

「私はガンドルフィーニという。麻帆良学園女子高等部を担当している者だ」

「はあ?」

「それよりも、だ!君も高校生ならその言葉づかいをなんとかしたまえ!!」

「・・・えっと」

 

なんなのこの人、と若干の非難を込めた視線を隣へ向けてみれば、刀子はすぐに視線をそらした。どうやらこの人を苦手としているのは彼女も同じらしい。

それならとばかりに和也は三人目へと視線を向ける。

 

「ーーーーー」

 

黒いサングラスの奥で、目が楽しそうに笑っているような気がした。どうやら助ける気はないようだ。むしろこっちの困った様子を嬉々として見ているらしい。なんて教師だ。

 

「聞いているのかねっ、君は!」

「はいはい。聞いてますよ、えーと、ガンドル先生?」

「ガンドルフィーニだ!」

 

どうやら頭の固い人らしい。憤慨しながら和也に向かって一歩を踏み出した時、ガンドルフィーニを止めたのは最後の人物だった。

 

「これこれ。もうそろそろその辺にしておかんかの、ガンドルフィーニ先生」

 

最後の一人は言わずもがな、この部屋の主である学園長ーーー近衛近右衛門だった。

以前、和也がその姿を見かけたのは昨年の四月のことだった。それ以来、一度たりとも目にしたことはなかった。

 

「和泉和也君じゃったな?」

「はい」

 

名前を呼ばれ、返事をする。深みのある声だった。まるで()()()()()()()()()()()()

かのようだ。

 

「昨年の四月以来じゃから、随分と久しいのう。息災であったかな?」

「まぁ、はい。一週間ほど入院していましたけど、それ以外は特に問題はないかと思います」

「それは大変じゃったのう」

「でも特に何もなかったので気にしてません」

「ふむ。なるほどのう」

 

笑みを深めた近右衛門には何かよく分からない凄みがあった。高畑とも神多羅木とも異なる妙な威圧感。ここに達也がいれば何かしらを答えてくれるのかもしれないが、残念ながら今はいない。

 

「それにしても、中学一年生の頃から数えて五年間もの長い間、よく精進してきたのう」

「ありがとうございます」

「このまま学費全額免除に値する学年上位五%を維持できれば、大学の方の推薦はもちろんじゃし、学費の方も免除対象になるかもしれんのう」

「はい。正直、狙ってます」

「うむ。正直は美徳じゃ、大切にせねばならんぞ」

「はい」

 

近右衛門はこちらの様子を伺っているようだった。

いきなり本丸を攻めるというよりは、あくまでも外堀を埋めていくらしい。回りくどいと感じる一方で、必要なことなんだろうとも思った。

それから二、三程度の話に付き合った。クラスでの話や部活動について、果てには孫の木乃香という少女について。ハッキリ言って、近右衛門の目的は謎だった。

そして、それは突然のことだった。

 

「それでじゃがのう、和泉君」

「なんですか?」

 

返事を瞬間、景色が歪んだ。

 

「ーーーあれ?」

 

唐突に歪む視界の中で、刀子の声が聞こえた。何かを叫んでいるようだった。必死そうな表情が僅かに伺えた。しかし、その声は和也に届くことはない。

脳が揺れたのだと理解するのに五秒掛かった。あごが妙に痺れていた。顎を撃ち抜かれたのだと気付くのに更に五秒。合計十秒掛かって、漸く理解した。なるほど、どうやら自分は倒れるらしい。

体が言うことを聞いてくれなかった。地面との距離が、スローモーションのようにゆっくりと無くなっていく。

そして、和也の意識は何か柔らかい感触を最後に途絶えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学園長!?」

 

何をしているんですかっ、と和也の体を受け止めながら刀子は叫んだ。

ここに和也を連れてきた理由は知っていた。しかし、その結果を導き出す手段までは知らされていなかった。

 

「落ち着きたまえ、葛葉先生」

 

声の主はガンドルフィーニだった。

その焦り一つない余裕な姿が勘に触った。

 

「落ち着けるわけないじゃないですかっ!この子は魔法使いではなく、ただの一般人ですよ!?ただの一般人の生徒を相手に魔法を使うなんてっ、正気ですか!?」

「っ、学園長に向かって失礼だろう!!」

「だから私は学園長に訊ねてるんです!邪魔ですから退きなさい!!」

 

思わず腰に帯びた刀に手が伸びる。しかしその手は空を切った。見れば、あるはずの刀がそこにはなかった。

次いで、刀子は高畑を見た。この中で、自分に気付かれることなく刀を奪い取るなんて芸当ができるのは彼だけだった。

 

「僕じゃないよ」

「ーーーっ!?」

 

両手を上げた高畑を睨み付ける。確かに高畑の手に彼女の愛刀はなかった。あれだけの質量だ。隠すことは難しいはずだ。

では誰が、と思考の渦に入る前に声は聞こえた。

 

「落ち着け、葛葉」

「ーーー神多羅木先生」

 

刀子の愛刀を肩に乗せ、神多羅木は僅かにずれたサングラスを直した。

 

「お前の混乱は分からんでもないが、ここは一度、落ち着け。話が先に進まん」

「ですがっ!?」

「葛葉。二度は言わんぞ」

「っ!?」

 

二度目は、一度目よりも更に低く、そして重さのある声だった。思わず刀子は勢いを失う。有無を言わさぬ威圧感があった。

完全に勢いを失った刀子の姿を確認すると、神多羅木は持っていた刀を返却した。

風系統の魔法を使わせれば神多羅木の実力は麻帆良の中でも随一を誇る。それは同時に、速度ではかなりの実力を持っている事を意味していた。

 

「和也に当たったのは無詠唱の魔法の射手(サギタ・マギカ)一発だ。別に死にはせん」

「神多羅木先生の言う通りだ。万が一にも障害が残ることはないし、傷跡すら残らないだろう」

 

神多羅木の言葉にガンドルフィーニが同意する。魔法の射手(サギタ・マギカ)といえば、魔法の中では最も威力が低いものの一つである。ともすれば幼子ですら使える魔法で人は死なない。

 

「・・・分かりました。ですが、理由は聞かせていただきます。和泉君はまがりなりにも一般人。それに私のクラスの生徒です。どうして魔法の射手(サギタ・マギカ)を撃ったのか、納得のいく説明をお願いします」

 

刀子が学園長に問い掛ける。

京都の人間である刀子が近衛近右衛門に対して強く出ることは珍しい。しかし、この時ばかりは普段の彼女とは違っていた。

 

「うむ。説明しよう」

 

近右衛門が立ち上がり、高畑と共に接客用のソファーへ腰を下ろす。促され、ガンドルフィーニや神多羅木も椅子に腰かけた。

 

「和泉君はそちらに寝かしておいてあげなさい」

 

そう言って近右衛門が軽く杖を振ると、奥にしまってあった一枚の毛布が床に敷かれた。

刀子は頷くと、和也を毛布の上に寝かせる。寝顔は穏やかで、目元の隈がハッキリとよく見える。恐らく、あまり寝ていないのだろう。入院中も、妹に持ってきてもらった教科書を片手に夜遅くまで勉強していたという話は聞いている。麻帆良学園で奨学金をもらうというのはそれほどまでに難しい。止まってなどいられないのだ。

和也を寝かせると、刀子もまたソファーに腰を下ろした。

 

「和泉和也君には、魔法使いかもしれんという疑いが掛かっておるんじゃよ」

 

開口一番。近右衛門がそう切り出した。

 

「バカなっ!?」

「本当じゃよ」

 

声を張り上げた刀子に、近右衛門がやんわりと告げる。

 

「先日、女子中等部の龍宮君に調べてもらった案件に関して気になる記述が見つかったんだ」

 

次いで、高畑が手元の書類を確認しながら説明する。あくまでも淡々と、ただ事実のみを列挙していく。

 

「前回の襲撃の際、中等部女子寮の近くで彼の姿は高音=D=グッドマン君たちのグループによって確認されている」

 

「もちろん、これはあくまでも「近くで」ということであって、具体的に何かがあったわけじゃない」

 

「だが、彼のあの日の行動は、その後に彼自身が語っている内容と矛盾している」

「男子寮の近くにあるコンビニと中等部女子寮の方角はーーーーー真逆だ」

 

そこまで語って高畑は一旦、間を置いた。

そこまでの内容は刀子ももちろん知っていた。だからこそ、ここ最近の放課後は和也の所に顔を出していたのだから。

 

「そしてここからが大切なんだけど」

 

コホン、と高畑が仕切り直す。

 

「では、どうして彼はそんな嘘、或いは異なる事実を語ったのかを考えた」

 

「そして()()()()()()()()()は、彼が魔法使いであり、襲撃者たちと内通しているのではないかという考えに至った」

 

「彼の人柄については、彼が奨学生ということもあって、何度も学園長自らが問題がないことを確認している。だから内通者の可能性は極めて低いだろう」

 

「後の問題は、彼が魔法使いではないかということだった」

 

高畑は手元の書類を閉じて、学園長に渡した。後はもう、わざわざ語るまでもないことだった。即ち、そちらに関しても確認してみればいい。要するに、そういうことだった。

 

「・・・それで、あの魔法の射手(サギタ・マギカ)ですか?」

「うむ。儂も出来ればこういう手は使いたくないんじゃがのう」

「僕も反対はしたんだけどね」

 

近右衛門と高畑が苦笑しながら答えた。

そして刀子は二人の目線を追った。その先には彼女もよく知る人物がいた。相変わらずの黒いサングラスで表情はよく読み取れなかった。

 

「やれ、と言ったのは俺だ」

 

神多羅木は胸ポケットから煙草を取り出し、年季の入ったライターで火を着けた。そして旨そうに、楽しそうに紫煙を吐いた。そこが学園長室であることを忘れたような振る舞いだった。

 

「・・・神多羅木先生」

「面倒な役を押し付けられたんだ。これぐらいは許せ」

 

ガンドルフィーニが顔をしかめるものの、神多羅木は特に気にした様子も見せずに飄々と答えた。近右衛門も高畑も何も言わなかった。

 

「貴方が原因じゃないですかっ!?」

 

刀子が吠えた。

 

「これが一番手っ取り早いだろ」

「ですが、やはりこれはやり過ぎです!」

「和也なら大丈夫だ。誰が撃ったと思ってる。学園長は、この学園どころか魔法界全体を見ても最強クラスの魔法使いだ。万に一つも問題はない」

 

打てる手はちゃんと打ってあると言わんばかりだった。確かに学園長ならば魔法の射手(サギタ・マギカ)なんていう初歩的な魔法を失敗するはずもない。魔法使いたちの中でも、純粋な魔法で戦えば、目の前の老人に勝つことが出来る者は一握りだろう。それもごく少数の英雄と称される者たちしか刀子の頭には浮かばない。

 

「まぁ、俺がやってもよかったんだがな」

 

クツクツと神多羅木はいつものように喉を鳴らす。その姿が、今は妙に腹立たしい。一度は燻ったイライラが再燃してくるようだった。

 

「いいですかっ、神多羅木先生!!」

 

それは決して意図したものではなかった。気が高ぶり、声が大きくなる。気づけば声を荒げていた。

 

「技術云々の問題ではなくっ、私は一般人に魔法を放つ倫理観を問題にしているんです!!」

 

尚も刀子は食い下がった。

ここで引いてしまってはいけないと思った。自分の生徒の一人だからという理由もあった。委員長としてクラスをまとめ、自らは家のために学業に励み、部活動も部長として頑張っている。

確かにガンドルフィーニの実力なら何も起きはしないだろう。そこに不安はない。彼の実力のほどは知っている。

だが一人の魔法に関わるものとして、何よりも彼ーーーーー和泉和也の担任として、引くことはできなかった。

 

「そんなに和泉君のことが信じられないならっ、私が責任もって彼の事を監視しておきます!!!」

 

もはや胸ぐらをつかまんばかりの勢いで神多羅木に迫った。どうだ、とばかりにそのサングラスで隠した顔を睨み付ける。

サングラス越しで睨み付けたその目は、本当に楽しそうに笑っていた。

 

「だ、そうですよ、学園長」

 

これまでに比べて明らかに軽やかな声だった。さっきまで学園長室を覆っていた威圧感も霧散した。世間話でもするかのような軽さで神多羅木は近右衛門へと話を振った。

 

「フォッフォッフォッ。そうじゃな、葛葉先生。生徒を守ることが教師の勤めじゃ。その思いを今後も大切にしていってほしいものじゃわい」

 

机を挟んで笑う近右衛門を見て、そして、その横で苦笑いを浮かべている高畑と頭を押さえているガンドルフィーニの姿を確認すると、刀子は自分がまんまと嵌められたという事実を悟った。


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