上を向いて歩こう   作:バレンシア

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第五話

「もう!本当に心配したんですからね!!」

「そーだよ!アキラなんてスッゴく泣いちゃって大変だっんだからーっ!!」

「ま、まき絵っ、それは言わないで・・・っ!?」

「ちょっとっ、裕奈さん!まき絵さん!アキラさん!ここは病室なんですからもう少しお静かにっ!?」

「・・・いや、君も存外、声が大きいからな」

 

裕奈たちが病院に来てから約十分。ずっとこんな調子で和也は責められていた。

 

「そもそも意識不明じゃなかったんですかっ!?」

「いやいや、これでも一時間前までは意識がなかったんだって」

 

最初に吠えたのは裕奈だった。

意識不明というから心配して来てみれば、なんのことはなく、和也は元気そうな姿で彼女たちを出迎えた。どう見ても意識だってはっきりしていた。心配して損をしたとは言わないが、少しぐらい文句を言っても許されるだろう。裕奈の目は鋭かった。

 

「アキラがどれだけ泣いたか分かってるっ!?」

「・・・なんでアキラちゃん?」

「ま、まき絵っ、ほ、ホントに止めて・・・っ!?」

 

次に吠えたのはまき絵だった。

亜子やアキラ、そして裕奈ら友人たちの憔悴した様子をまき絵は見てきた。みんながこれだけ落ち込んでいたのに、当の和也は飄々とした姿で自分たちを出迎えた。少しぐらいムカッときていても許されるだろう。まき絵の目は鋭かった。

 

「あー、その、なんだ。悪かったな、アキラちゃん」

「い、いえ。私もちょっと混乱してて・・・」

 

戸惑いながら答えたのはアキラだった。

今回の一件で最も取り乱していたのは三人の中では彼女だった。電話を受けた時、頭の中が真っ白になった。そこからとにかく落ち込んだ。嘘であればいいと何度考えたか分からない。しかし実際に元気そうな顔を見ると、もう何を話せばいいのかよく分からなかった。アキラの目は回っていた。

 

「えっと・・・」

「雪広あやかですわ」

「そうか。雪広さんも悪かったな」

「お礼は受け取っておきますわ。ですがお気になさらないでくださいませ。少しばかり、クラスメートとの親交を深めただけですから」

 

あやかが和也に対して思うところは特になかった。

クラスメートの兄であり、どうやら何名かには()()()()()()()()として慕われているのだろうという程度だった。ただ、どれだけ裕奈やまき絵から責められようとも、しっかりとその責めを受け止めているところには好感を持った。あやかの目は優しかった。

 

「そっか。サンキューな」

「いえ。クラスメートの窮地に駆け付けるのは、委員長として当たり前の事ですから」

 

あやかの視線が和也から外れてベッドへと向かう。そこには亜子が眠っていた。備え付けの椅子に座っているものの、その体は和也のベッドへと投げ出されている。丁度、和也の太股の辺りにある顔は穏やかだった。安心した笑みだった。余程良い夢を見ているらしい。

 

「亜子さんは目を覚まされたことをご存知で?」

 

いまだ裕奈とまき絵によって質問攻めにされている和也にあやかが尋ねた。

 

「ああ。目を覚ましたら思い切り泣かれたよ」

 

苦笑しながら和也が答える。

 

「兄妹で仲がよろしい事は良いことですわ」

「まあ、今回は心配をかけたからな」

 

和也が優しく亜子の頭を撫でる。さらさらと、綺麗な髪の間を和也の手が通っていく。前髪の間から覗く亜子の目元は赤い。亜子は泣き疲れて眠っていた。

そんな亜子の様子を見ていると罪悪感が身を染める。まだ中学生に過ぎない妹にここまで心配を掛けるなんて情けない。

 

「昨日の様子から察するに、よほど心配だったのでしょう。なにがあったのかは存じ上げませんけれど、あまり妹に心配をかけるようなら兄失格ですわよ」

 

あやかの言葉に和也も大きく頷いた。

 

「そうだな。雪広さん、君の言う通りだと思う」

「今後はこういう事のないようにお願い致します」

「ああ。本当に心配かけて悪かったと思ってる」

 

和也は深々とあやかたちに頭を下げた。

 

「分かって頂けているならこれ以上は何も申しません。今後はもう少々、亜子さんの事を考えてあげてくださいませ」

「そのつもりだ」

 

再度、和也は亜子の頭を優しく撫でた。その感触と温もりに、亜子が僅かに身を揺する。しかしすぐにまた心地良さそうな寝息を立てた。

なんとなく、みんなが揃って亜子の顔を覗く。本当に穏やかで、心の底から安心した表情だった。幸せそうで、癒される。

 

「昨夜は寝てなかったらしいからな。今ぐらいはゆっくりと眠らせてやろう」

「そうですわね。みなさん、もう少しお静かにしてあげましょう。亜子さんが起きてしまいます」

 

和也とあやかの言葉に残りの三人も頷いた。

みんな、今の亜子が疲れきっていることは分かっていた。昨日の様子を見ていれば、彼女がどれほど心労を蓄えているのかは窺い知れた。

裕奈が、まき絵が、アキラが、それぞれが穏やかに眠る亜子のことを優しく見つめていた。

 

「でもさ、和也さん。ホントになにがあったの?」

 

改めてみんなが椅子に座って一息つくと、徐に尋ねてきたのはまき絵だった。

 

「亜子とアキラがビックリするぐらい反応してたから逆に落ち着いちゃったけど、実は私もビックリしてたんだよね」

 

あははー、とまき絵は呑気に笑う。

その姿はどこかおどけているようだが、それが意図的ではないところが彼女の凄いところだった。

 

「いや、実は俺もよく分からないんだよ」

「どういうことですか?」

 

アキラが首を傾げる。他のみんなも反応は似たり寄ったりだった。

 

「一昨日の夜は普通に家に帰って、ちょっと小腹が空いたからコンビニまで出掛けたんだ」

 

一昨日の行動を和也はゆっくりと思い返す。

 

「翔ーーー同室の奴と一緒に行く予定だったんだが、ちょっとやることがあるらしくてな。結局、俺一人で出掛けたんだが」

 

和也はそこで一呼吸置いた。

 

「コンビニでカップ麺と缶コーヒーを買って店を出たところまでは覚えてるんだけどな」

 

そのあとの事はよく覚えていなかった。まるで頭に靄が掛かったかのようにハッキリとしない。急に気が遠くなったと思ったら、ついさっき目を覚ました。そして、そこが病院であると理解する前に亜子が飛び付いてきた。そのあと三十分ほど泣かれた。あんなにも泣き崩れた亜子を見るのは、これで三度目だった。

 

「医者が言うには、なんか親切な人が電話で救急車を呼んでくれたらしい」

 

しかしその電話でさえ、病院に掛かってきたのは行方不明になった翌日の話だった。土曜の夜から日曜の夕方まで、果たして一日もの間、なにをしていたのか和也自身にも分からなかった。

 

「どんな人だったんですか?」

「分からない。どうやら救急車が着いたときにはもういなかったらしい」

 

和也は肩をすくめて言った。

どこの誰かは知らないが、命の恩人なら礼の一つぐらいは言わせてもらいたかった。

 

「不思議なこともあるものですわね」

「俺もそう思う。結局、声の調子から男性だろうってことしか分からなかったからな」

 

探すにしろ、あまりにも手掛かりが少なすぎた。麻帆良学園都市という巨大な空間において、果たして男性がどれほどいるのか。想像もしたくない。

 

「助かったのは助かったけど、俺自身、何が起きたのかは知りたいんだけどな・・・」

 

残念だ、と小さく和也が呟いた。

自分を助けてくれた感謝も伝えたいが、それ以上に、自分の身に何が起きたのかを知りたかった。意味も分からず気を失い、一日以上も眠っていたなんて、なんとも気味が悪く、そして恐ろしい話だった。

 

「分かりましたわ。この件はこの雪広あやかがお預かりします」

 

強い意思の込められた瞳であやかが答えた。

 

「いやいや、流石にそこまでしてもらうのは雪広さんに悪い。この件は忘れてくれ」

 

そこまでしてもらう恩も縁も義理もない。

和也が断りを入れると、あやかは口元に白魚のような手を添える。その仕草はどこまでも流麗で、上品で、まるで絵本から抜け出してきたかのようなお嬢様だった。

 

「ここまで来れば、もう乗り掛かった船ですわ」

 

それに、とあやかが言葉を続ける。

 

「私も少し、みなさんがお慕いしている男性に興味がありまして。この場で切ってしまうには少々惜しい縁ですわ」

「ちょっ、いいんちょっ!?」

 

あやかの言葉に焦ったように声をあげたのは裕奈だった。

周囲を見てみれば、まき絵はよく意味が分からずに首を傾げている。バカレンジャーには難しい言い回しだったらしい。

次いでアキラを見る。そこには顔を赤くしたアキラが意味もなく右手を宙にさ迷わせていた。まき絵とは違った意味で難しい言い回しだったらしい。

裕奈は大きく息をはく。なんだか焦っているのがバカらしくなった。もういいや、と再び席につく。

三人の様子を満足そうに伺ったあやかが、楽しそうに笑った。

 

「なんというか、本当に分かりやすいですわね、みなさん」

 

その姿は可憐な花のようで、本当に可愛らしく、愛らしい。その淡く仄かな想いは、見るものを惹き付け、思わず背中を押してあげたくなる。

 

「止めてやれ、雪広さん」

 

その悪戯めいた行動を和也が止める。

 

()()()()()()()慕ってくれてる子たちだ。俺にとっても大切なんだ。そういじめてやるな」

 

和也は少し言葉を強調させながら答えた。

反応は四者四様だった。

 

「フフフ。これは冗談が過ぎたようですわね」

「色々と心臓に悪い話だ」

「では、次は心に痛いお話をいたしましょう」

「・・・勘弁してくれ」

 

額を押さえた和也の姿にあやかは上品に笑った。

ふと病室の時計を見ると、午後五時半だった。あやかたちが和也の病室を訪れてから、既に一時間が経とうとしていた。

 

「あら?もう、五時半ですか」

 

どうやら和也と同じようにあやかも時間を確認したようだった。

 

「では、私たちはこの辺りで失礼いたしますわ」

 

スカートの裾を払いながらあやかが立ち上がった。

 

「えぇー。もうちょっといいじゃん!いいんちょ!!」

「そうだよ!まだお話したいことが山ほどあるんだから!!」

 

声を張り上げて文句を言うのは裕奈とまき絵だった。

 

「いけません。和泉先輩もまだ起きられたところなのですから、長居をしてしまっては疲れさせてしまいますから、今日のところは帰りますわよ」

「ええーっ!」

「もっとお話したいのにーっ!」

「なにもお見舞いに来れる日は今日だけではないのですから、我慢なさい」

 

食い下がる二人は遂に首根っこを掴まれる。そして、そのままズルズルと引き摺られていく。

 

「いっ、いいんちょっ!ストップっ!!おしりっ!おしりが擦れてるからっ!?」

「裕奈さん、もう少しお静かに退場いたしましょう」

「あぅーっ、かずやさぁーん!」

「まき絵さんも、いい加減にしつこいですわよ」

「ほ、ほどほどにしてやれよー」

 

あやかの強引な手腕に思わず和也の声も小さくなる。

片手で人を引きずるにはそれなりの力がいる。それを同時に二人。しかもそれぞれ片手ずつで引きずるあやかの力は外見からは到底想像もできない。

 

「それじゃあ和也さん、また来ます」

 

あやかの後ろを大人しく付いていきながらアキラが頭を下げる。

 

「おう、サンキュー。でも無理はしなくていいからな」

「はい。分かってます」

 

優しくアキラが微笑む。とても愛らしい。こうして接していると、当たり前だが年相応の中学生だった。

 

「亜子が起きたら「お疲れ様」って伝えておいてください」

「分かった。確かに伝えとくよ」

 

こうしてアキラたちは病室を去っていき、再び静かな雰囲気が戻ってきた。

足元では尚も心地良さそうな寝息をたてる亜子がいた。お見舞いに来てくれた人と賑やかに過ごすのも嫌いではないが、こうして落ち着いて兄妹の時間を過ごすのも悪くはない。

隣から聞こえてくる木の打つ音に身を任せ、和也もまたゆっくりと意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きろっ、和也!見舞いに来てやったぜ!!」

 

頬を叩く音と微妙な痛みで和也が目を覚ますと、そこには達也がいた。

 

「なにすんだよ、このボケ」

「見舞いだぜっ、見舞い!わざわざ来てやったのに、お前が寝てちゃ面白くねーだろ!」

「こっちが病人だって分かってるか?」

「もう大丈夫なんだろ。じゃあ多少騒いだところで平気だって、へーき、へーき」

「・・・まぁ、いいけどよ」

 

遠慮を知らないかのように達也は椅子に座った。

達也は相変わらずの胴着姿で、どうやら今日の修練を終えたところのようだった。制服ではなく胴着であるところがいかにも達也らしかった。

 

「いい加減、制服ぐらい着ろよ」

「嫌なこった。俺は可能なら一日中だって胴着を来てたいんだよ」

「でもお前、刀子先生の前だと制服じゃねーか」

「バカ野郎!世話になってる人の前でそんな事出来るわけねーだろうが!!」

「・・・あっそ」

 

あまりの変わり身の早さに呆れてものも言えない。まぁ、別に関係あるのは達也だけなので好きにしてくれればいいのだが。

自由に振る舞う達也を見ていると、和也が違和感に気づいた。ついさっきまで椅子に座り、和也の眠るベッドに倒れこんでいた亜子の姿がなかった。

 

「あれ?亜子はどうしたんだ?」

 

勝手に冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して飲み始めた達也に尋ねる。

 

「亜子ちゃん?」

「ああ。さっきまでお前が座ってる椅子に座ってたと思うんだか・・・?」

 

和也が重ねて問い掛けると、達也は紙コップを置いた。

 

「亜子ちゃんならさっき財布持って出掛けてったから、お菓子でも買いに行ったんじゃねーの?」

「そうか。まぁ、もう六時過ぎだしな。病院内にいるのが分かってるならそれでいい」

「その内帰って来んだろ」

「そうだな」

 

達也が頷く。そしてその手が再び冷蔵庫に向かった。目的は板チョコだった。

 

「これ、貰うぜ?」

「べつに構わんけど、貰い物だから食い過ぎんなよ」

「分かってるって」

 

嬉々として達也は板チョコを食べ始めた。

自由というよりは勝手気ままに振る舞う達也を見ていると、次第に肩の力が抜けていく感覚になる。

こういう変化を狙ってやっているのならば凄い奴だが、残念ながらそこまで達也に器用さはない。何も考えずとも出来てしまうからこそ中村達也は凄い奴なのだ。

 

「そういえば、昨日の事なんだがよ」

 

板チョコを完食した達也が、まるで様子を伺うように和也を見ていた。

珍しくも精悍な顔付きだ。武道の修練に励んでいる時のようだ。どうやら真面目モードに切り替えたらしい。

 

「お前、コンビニの前でぶっ倒れる前に森の方に行ったか?」

 

不思議な質問だった。質問というよりは確認に近かった。

 

「いや、行ってないけど、それがどうかしたのか?」

 

昨日の記憶を辿りながら和也が答えた。

 

「んー。行ってないんなら見間違いだろうし、それで構やしねーんだけどよ・・・」

 

何処か言いづらそうに達也は言葉を渋る。

 

「なんだよ。ハッキリ言えよ気持ち悪い」

 

和也は続きを促した。こうもハッキリとしない達也の姿は珍しかった。

達也は頭の後ろを掻くと、やはり言いづらそうにしながらではあるものの話を続けた。

 

「なんか一昨日の夜、お前を森の方で見たって奴がいたからよ、ちょっと気になったんだよ」

「ふーん。それ、誰だよ」

「誰かは俺も知らねーよ。なんか体操服を着た女子たちが話してたのを聞いただけだしな」

「・・・お前、放課後の麻帆良学園に体操服姿の女の子が何人いると思ってんだよ」

「だから言いたくなかったんだよっ、ちくしょーっ!!」

 

達也の話に身に覚えはなかった。

昨日は間違いなく、和也は部屋から直接コンビニに行き、そして気を失ったはずだった。そこまでは記憶もハッキリしている。そのあたの記憶は定かではないが、そこまでは真実であるはずだ。

 

「達也じゃねーんだから、流石に俺も影分身なんて使えねーぞ」

「む?安心しろ、俺も()()無理だ」

 

()()、と前に言葉がついているあたり、そのうち達也なら完成しそうだと思う。少なくとも漫画やアニメの世界でしか見たことがない「気」なんてものを使える時点で可能性はゼロではないだろう。

 

「じゃあやっぱり見間違いみたいだな」

「ああ。ま、よくある顔だからな」

「確かに」

 

大きく達也が頷いた。

 

「ーーーよし、そこに立って腹に力を込めろ。なに、時間は掛からんし、痛みもない。ちょっと呼吸ができなくなるだけだ」

「なにするつもりだっ、テメェ!?」

 

飛び上がって距離をとる達也。さすが武道を志す者だ。その反応は明らかに一般人とは一線を画していた。

警戒しながも達也は再度、椅子に座る。そして、顔を見合わせ二人で笑う。バカみたいに。この雰囲気が好きだった。

 

「おや?中村君も来ていたんですね」

 

不意に、そんな声が聞こえた。

達也と揃って入り口を見てみれば、そこには和也たちの担任である葛葉刀子が立っていた。こちらも同じく見慣れたスーツ姿。相変わらず惚れ惚れするような美人だった。

 

「刀子先生、どうしたんすか?」

「「どうしたんすか?」じゃありませんよ。まったく、どれだけ心配させれば気が済むんですか、貴方は」

 

鋭い目で睨み付けながら刀子が近付いてきた。

美人ほど怒れば怖いと言うが、まさに今の刀子は震えるような凄みがあった。その迫力にあてられて、達也は椅子から立ち上がって刀子のために場所をあけた。

 

「・・・もうちょっと頑張れよ、武道家」

「無茶言うな!?不可能ってのはなっ、頑張っても不可能だから不可能なんだよ!?」

 

まるで怯える子犬のような反応だった。情けない。気持ちはわかるが、情けない。男子高等部二年一組の生徒なら全員同じ反応をするだろうが、情けない。

 

「・・・なにか言いたいことがありそうですね、和泉君?」

「なっ、なんもないっす!はい!!」

「そうですか。それならいいんですが、ね」

 

そう言って刀子は腰に帯びた刀の柄に触れた。

それは本気で刀子が怒っている時に出る仕草だった。瞬時に和也と達也は悟った。マズイ。これは逃げられないやつだと。

首もとに()()()()()()()()()()()を感じた。

 

「貴方は私に恨みでもあるのでしょうね、和泉君」

 

椅子に腰を下ろした刀子は笑顔だった。見惚れてしまうほどに綺麗で、そして、恐ろしい。綺麗な花にはトゲがある、なんて言い出したのは果たしてだれであっただろうか。

 

「いや、その、恨みなんてそんな恐れ多いーーー」

「え?何か言いましたか?」

「・・・いえ」

 

刀子の笑みが深まると同時に和也の背筋に冷たい汗が流れる。

なるほど、どうやら本当の意味で死ぬのは今日らしい。

 

「土曜日の夜から行方不明になり、日曜日の夜に発見され、あげく月曜日の夕方に目を覚ます」

「うぐっ」

「あれだけ早く眠るように言っていたのに、わざわざ夜更けにコンビニに行くからこういうことになるんですよ」

 

刀子のイライラが伝わってくるかのようだった。

この人は怒るべき時には怒る人だ。それが生徒のためと思えば周囲のことなんて気にもとめない。ただ真っ直ぐに生徒のことを考えている人だ。だからこそ、彼女の感情は生徒たちにもよく伝わってくる。

 

「申し開きもありません」

 

自分に出来ることを考えた結果、和也に出来ることはただ頭を下げることだけだった。

 

だって、考えてもみてほしい。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

いつもならパリッと着こなしているはずのスーツが妙に汚れていた。

 

男なら誰もが見惚れるはずの顔は酷く疲れているように見える。

 

綺麗にセットされているはずの流れるような髪も今は乱れている。

 

もう一度言おう。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「土曜日の夜から日曜日に発見されるまでの間、貴方のことを探しました」

 

 

ーーー声が震えていた。

 

 

「行方不明と聞いて、最悪、貴方はもう死んでしまっているのかと思いました」

 

 

ーーー頭を上げることが出来なかった。

 

 

「必死に、必死に探しました」

 

 

ーーー自分の手は拳を握っていた。

 

 

「もう一度だけ言います」

 

 

ーーー耳に、響く。

 

 

「貴方は私に恨みでもあるんですか?」

 

 

ーーー答えはなかった。


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