上を向いて歩こう   作:バレンシア

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第四話

そこは麻帆良にある病院の一室だった。十階建ての病院の七階。その最も奥の個室に二つの人影があった。

一人はベッドの上で寝息をたてていた。心地良さそうに眠る男の胸が、一定のリズムで上下を繰り返す。男がまだ生きているという証だった。

もう一人はそんな男の手を握りながら備え付けの椅子に座っていた。その瞳に光はない。ただベッドで眠っている男を一心に見つめていた。

 

ーーーピッ、ピッ、ピッ。

 

傍らで鳴る機械音が女にとっては酷く不快だった。まるで、男が息を止めるまでのカウントダウンのように聞こえる。女は頭を抱えた。

どうしてこんなことになってしまったのか。昨日まではあんなに普通だったのに。いつもと何一つ変わらずに分かれただけなのに。

涙は既に枯れ果ててしまった。自分が自分でないかのように泣きわめき、そこが女子寮であることを忘れて暴れ狂った。まるで自分の半身を無くしたかのような感覚にさいなまれた。気づけば女は友人たちに付き添われて病院にいた。

いつ目覚めるとも知れない男の横で、女ーーー和泉亜子はすがり付くように男の胸元に頭を置いた。

男の匂いがした。どんな時だって自分のすぐ側にあった匂いだった。少しだけ心の中のざわめきが落ち着いたような気がした。

亜子は改めて男の顔を覗いた。穏やかな表情だった。枯れたと思った涙がまた溢れてきた。

 

「お兄ちゃん・・・。はよ戻ってきてや・・・」

 

亜子の言葉にも男ーーー和泉和也に反応する気配はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは改めて報告を聞こうかの、龍宮君」

「ああ。分かっているよ」

 

麻帆良学園女子中等部において、中等部二年の龍宮真名は学園長ーーー近衛近右衛門と向かい合っていた。

真名に相対するのは近右衛門を合わせて三人の人物たちだった。近右衛門を守るようにして左右に立っているのは、タカミチ=T=高畑と神多羅木幹雄。各々、この広大な麻帆良学園において決して小さくはない発言力を持つ人物たちだった。

 

ーーーまったく、これじゃ割に合わないな。

 

真名は心の中で小さく呟いた。

発端は、特に何かがあったという訳ではなかった。いつも通りの敵襲だった。関西の術士と思われる男が近右衛門の孫にあたる近衛木乃香を狙っていた。その際、真名は近右衛門と結んだ雇用契約に従って対処したに過ぎなかった。

ただ、そこで一つの問題が生じた。その時、確かに真名の瞳は一人の女を捉えていた。見覚えのない女だった。年の頃は恐らく高校生。麻帆良学園の女子高等部に通う女だった。

そこからの真名の判断は早かった。近くにいた使い魔の処理を相棒の桜咲刹那に任せると、自分は今にも女を襲いそうな別の使い魔の狙撃に移った。遮蔽物はなかった。射程距離も問題ない。あとは引き金を引くだけだった。

そして、真名は静かに引き金を引いた。弾丸は秒速1670mの速さで飛んでいく。避ける時間は与えない。そして真名の放った弾丸が敵の使い魔に当たった。そう。()()()()()使()()()()()()()()()()

しかし、蓋を開けてみれば倒れていたのは女の方だった。敵の使い魔はまるで最初からいなかったかのように姿を消していた。

 

ーーーあれは一体なんだったんだ?

 

真名の頭に再生された光景は、長年、海外で生活してきた彼女にとっても不可解なものだった。

 

「ふむ。なるほどのう。そんな事があったのか・・・」

 

一通りの説明が終わると、真名の予想通り、近右衛門の眉間には深い皺が寄っていた。

その混乱は真名にも分かった。むしろ、彼女こそ現状を最も把握しており、同時に、理解できていなかった。

 

「一応、その一般人の事を調べてみたんだが、見るかい?」

「もちろん、受け取るわい」

 

近右衛門に促され、タカミチが真名の取り出した書類を受け取った。そして中身を確認しながら近右衛門へと渡す。

 

「ふむ。『佐野美優』のう」

「ああ。麻帆良学園女子高等部二年、佐野美優。高等部の女子寮暮らしで部活は薙刀部に所属している。明るく活発な性格で、交遊関係も広い。男女問わず人気があり、クラスでは学級委員長を勤めている」

 

すべて報告書に記されている情報だが、一応、真名は直接近右衛門にも説明する。

女は特に裏と通じるような要素は一つもなかった。殆ど徹夜に近い状態になりながらも真名が調べ、結論は出ていた。彼女は白だ。一般人で間違いはないだろう。

 

「魔法関係者である可能性は限りなく低いだろうね。まぁ、別の意味で神多羅木教諭は彼女に対して指導を入れた方がいいとは思うけどね」

 

真名が視線を送ると、神多羅木は苦笑しながら報告書から目を離した。

 

「これはまた派手な交際歴だな」

「どうやら彼女は自分が異性に好感を持たれやすいという自覚を持っていたみたいだね」

「最近の学生はなんというか、色々と早いなぁ」

 

神多羅木とタカミチ、そして真名が会話を交わす。

厳密に言えば、麻帆良に所属するのではなく、あくまでも近右衛門との個人的な契約関係でしかない真名の麻帆良における立ち位置は微妙だった。しかし、少なくともこの二人は敵対する間柄ではなかった。

 

「この子はもういいじゃろ。龍宮君がこれほど調べても何も出てこぬのであれば、まず間違いなく一般人じゃろうて」

「僕もそう思います」

「高畑先生に同じく」

 

どうやら近右衛門の意見は決まったようだった。二人の魔法先生の意見も同様だ。この件はこれでこのまま処理されていくのだろう。問題はない。いつも通り彼女の記憶を一部だけ消去し、魔法に関わることを忘れてもらうだけだ。

だが、と真名は自らの頭に問いかける。なんだか釈然としない終わり方だった。あの関西呪術協会の術士はいい。所詮、真名やタカミチ、神多羅木らの敵ではない。それに女の方も一般人なら気にする必要もない。

しかし、真名の頭にはまだ問題が残っていた。果たして、あの使い魔は一体なんなのだろうか?

 

「それより問題なのは、龍宮君が遭遇したという鬼じゃな」

 

思考の渦に入り込もうとしていた真名の頭が切り替わる。どうやら近右衛門もまた真名と同じことを考えていたらしい。

おもむろに近右衛門が話を切り出した。

 

「龍宮君の銃弾によるものもそうじゃが、基本的に「返された」使い魔や魔物は術士が用意した寄り代に戻るか、或いは自立型であればその場に寄り代となった物が残るはずなんじゃ。それは決まりじゃ。太古の昔より変わらぬ呪術士たちの法じゃ。そこに偽りはないんじゃよ」

 

近右衛門の言葉通りだった。召喚した使い魔や魔物は、倒されれば術士のもとに返る。それが洋の東西を問わない呪術士たちの決まりだった。

即ち、唐突に()()()()()()()()()()()()なんてことは、本来であればあり得なかった。

 

「だが、間違いなくあの使い魔は私の目の前で消えたよ。それに、術士本人にも呪いは返ってきていないようだしね」

「ふーむ。ワシも長い間生きてきたが、こんな不思議なことは始めてじゃわい。関西の術士はあくまでも『呪術士』じゃ。呪術と魔法は違うんじゃがのう」

 

長い髭を擦りながら近右衛門が唸る。答えはでない。関東魔法協会の長である近右衛門の知識をして答えはでなかった。

時計の針が時を刻む。一分。二分。三分。それでも答えなんて出ようはずもない。圧倒的なまでに情報が不足していた。

 

「ま。私としては雇われている身だからね。一応、耳にいれておいた方がいいと思ったまでだ。答え合わせが出来ないのなら失礼するよ」

 

このままでは埒があかない。時間の浪費は経済的ではない。

真名がそう告げると、近右衛門は了承の意を伝えるように頷いた。

 

「今回の報酬は、いつもの口座に振り込んでくれればいい」

「あい、分かった。明日にでも振り込むように言っておくわい」

 

真名は近右衛門の言葉を聞くと、ひとまず納得したように頷いた。

 

「では、失礼するよ」

「うむ。また頼んだぞい」

「ああ。私は報酬さえもらえれば何でもするよ」

 

一際大きな扉に手を掛ける。無駄に金が掛かっていそうだ。誰もが羨む「権威」というものも、真名に言わせればただ虚しいだけだった。

扉の向こうには人の気配があった。相棒として使い魔たちと戦った桜咲刹那のものだろう。真名の瞳には彼女の姿が既に写っていた。

真名が扉を開けて外に出る。予想通りの人物が彼女を待っていた。

 

「龍宮。報告は終わったのか?」

 

小柄な刹那が真名を見上げながら問う。その傍らには包みにいれたままの真剣が携えられていた。

 

「ああ。丁度終わったところさ」

 

廊下を共に歩きながら真名が答える。

 

「お嬢様はいいのかい?」

「ああ。こんな朝から襲撃してくる輩もいないだろうし、お嬢様には『ちびせつな』を付けている」

「『ちびせつな』?」

「私の式神だ」

「なるほどね」

 

二人は麻帆良女子中等部の廊下を歩いていく。

人は疎にしかいなかった。まだ時間は早い。真名が腕時計で確認すると、時計の針は七時半を指していた。学園長室に入ったのが七時であったことを考えれば、随分と長居をしてしまったらしい。

 

「剣道部の朝練はないのかい?」

 

ふと、思い出した出来事を刹那にたずねる。

 

「今日はいい。昨日のことなら、私もあの場にはいたから無関係ではないからな」

 

刹那は目線すら向けずに淡々と答えた。

 

「そうか。それは件の先輩が残念がりそうだな」

「先輩?」

「いつもお前に挑んではコテンパンにのされている彼だよ」

「ああ、安達先輩か」

 

本気で忘れていたらしく、刹那が彼を思い出すのには僅かばかりの時間を要した。

それは、剣道部では毎朝恒例の風景だった。本人は知らないことだが、桜咲刹那はある種の有名人だ。圧倒的な強さと端麗な容姿を備える彼女は、一部では『氷の剣姫(けんひめ)』と称されている。しかし、ここ最近、そんな彼女に毎朝戦いを申し込む男がいた。名を安達翔という。無論、敵うはずもない。だが、それでも諦めずに挑み続ける男を応援する者は少なくなかった。

 

「安達先輩は決して弱くはない。私との差は積み重ねてきた年月と修練の密度だ。あれほどの貪欲さがあるなら誰と戦っても強くなれるだろう」

「ーーーそういう意味じゃないんだけどね」

「うん?」

「いや、いいよ。まだ刹那には少し早い話だったみたいだ」

 

真名はこれ見よがしに大きく首を横に振った。

お嬢様命である刹那にとって、男子との色恋なんてまだまだ先の話だった。それでも真名の目から見れば刹那も少しは成長していた。少なくとも、以前までの彼女であれば先輩の名前なんて覚えていなかったはずだ。そもそも剣道部に入ったことですら、葛葉刀子に促されてのことだった。

 

「なんだか少し気になる言い方だな」

「なに、そのうち刹那にも意味がわかるようになるさ。人間は生きてさえいれば嫌が応にも大人になるんだ。今はまだ、刹那は刹那のままでいいんじゃないか?」

「・・・なにか誤魔化そうとしてないか?」

「いやいや。気のせいだよ」

 

どことなく釈然としない様子の刹那を横目で見ながら真名は教室までの道のりを歩いていく。

窓から外を見れば、女子サッカー部や陸上部が活動していた。朝早くから元気なことだ。よく見てみれば、同じクラスの春日美空もいた。普段はいたずら好きのサボり魔なのに、グラウンドで朝を流す彼女は溌剌としたスポーツ少女だった。

そして真名と刹那が教室の前に着く。中からはクラスメートの話し声がした。いつもギリギリが多い2-Aにしては珍しい。扉を開けると、中には三人の女子生徒がいた。明石裕奈、佐々木まき絵、大河内アキラだった。

 

「あ、おはよー!龍宮さん!桜咲さん!」

「おっはよー!!」

 

いつも元気なまき絵と裕奈から挨拶が飛んできた。

 

「おはよう。明石、佐々木、それに大河内も」

「おはようございます」

 

真名と刹那も挨拶を返す。

 

「・・・うん、おはよ」

 

元気な二人組に置いていかれる形になったアキラも挨拶を返す。いつも落ち着いているアキラだが、今日の様子はいつもと違っていた。落ち着いているというよりは沈んでいる。悲しさを全身で表していた。

 

「珍しいね、君らが三人でいるなんて。いつもなら和泉も一緒だろう?」

 

不意に、真名がアキラたちへと尋ねた。

彼女たちは四人でいることが多かった。即ち、この場には和泉亜子が足りなかった。

すると三人は顔を見合わせ、一様にしてその表情を曇らせた。どうやら悪いことを尋ねてしまったらしい。アキラに関して言えば、もはや泣きそうなほどだった。

三人を代表して裕奈が答えた。

 

「亜子なら病院だよ」

「病院?怪我でもしたのかい?」

 

重ねて尋ねた真名を前に、遂にアキラは我慢の限界にきたようだった。机の上に腕を重ねて顔を隠してしまった。そんなアキラをまき絵が慰めていた。

なんだろうか、これは。そんなに泣くほどのことを自分は尋ねたのだろうか。意味も分からず戸惑っている真名に答えたのは、またしても裕奈だった。

 

「ううん。ちょっとお兄ちゃんが入院したから付き添うんだって」

「それはなんというか、悪かったね」

「うん。ありがと」

 

朗らかな笑みを浮かべて裕奈が答える。

そして裕奈もまたアキラを慰めに向かった。

 

「もう、アキラは心配性だなぁ」

「だっ、だって・・・っ」

「はいはい。分かってるからもう泣きなさんな。みんなそろそろ来るし、心配するよ」

「う、うん・・・っ」

「まったく、なんのために早く来たんだか」

 

裕奈は優しくアキラの頭を撫でていた。普段の様子とはまるで逆だった。しかし、妙に様になっていた。

 

「・・・ま、身内の不幸なら私には関係ないな」

「そうだな」

 

真名の呟きに刹那が返す。刹那は既に意識を式神に向けているようだった。

結局、アキラはある程度みんなが揃うまで落ち込んでいた。周囲の友人たちに心配されるなか、いつも通り学校は始まる。そして、担任であるタカミチの口から和泉亜子の欠席及びその理由が告げられた。

しかし、ここは年頃の娘が揃った麻帆良女子中等部だ。みんなの関心を誘う話題には事欠かない。一日が終わる頃には、大多数のクラスメートたちの頭から亜子の欠席の理由なんて些事は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーいつの間にか時間は放課後になっていた。

 

 

目の前で呆然としている大河内アキラの心情を表すと、裕奈の頭にはそんな言葉が浮かんだ。

アキラがこんな風になってしまったのは、昨夜、病院から掛かってきた電話がきっかけだった。

その日の夜は、応援から帰ってきてからみんなで女子寮の部屋で騒いでいた。確か、明日のお弁当の話をしている時だった。病院から電話が掛かってきたのは。

曰く、お兄さんが意識不明で入院している。

曰く、今すぐ来れないか。

曰く、ご両親にも連絡は済んでいる。

その時はじめて裕奈は『人間が呆然とする瞬間』を見た。そしてそのすぐ後だった。亜子が泣き崩れ、まるで子どものように暴れ始めたのは。

アキラの側にはまき絵がいた。同じく唖然として焦点の定まらない目をしていたアキラはまき絵が支えている。ならば自分は亜子を止めればいい。そう判断した裕奈は、裸足で部屋から駆け出そうとする亜子を抱き締めて止めた。友人からあんな親の仇でも見るかのような視線を向けられる経験は、もうしたくない。

尚も止まろうとしない亜子は、駆けつけたいいんちょーーー雪広あやかの手刀によって気を失った。

そこからはあやかの独断場だった。事態を把握したあやかは、携帯電話を片手に色んな手はずを整えてくれた。気付けば、裕奈たち三人はあやかと共に病院にいた。

ガラス越しに見た和也は静かに眠っていた。その姿に亜子とアキラは大声をあげて泣いていた。だからこそ、裕奈は落ち着くことができた。理性的であることができた。

そして次の日。即ち今日。裕奈とまき絵、アキラの三人は部活を休んでまで教室に残っていた。

 

「いいんちょ。今からいい?」

「ええ。もちろんですわ」

 

教室には更にあやかも残っていた。放課後、あやかは三人を病院へ連れていく約束をしていた。

 

「裕奈さんとまき絵さんはまだ冷静ですので構いませんが、アキラさんはーーー」

「い、行くっ、行かせて!大丈夫っ、今はもう落ち着いてるから!」

 

あやかの言葉にアキラは大きく手を上げて答えた。普段の彼女らしからぬ大きな声だった。その瞳は酷く揺れていた。少なくともあやかの目にはそう写った。アキラもあやかにとっては大切なクラスメートだ。

本当に大丈夫なのかと、あやかは正確な情報を得るために裕奈とまき絵を見た。二人は大きく頷いた。

 

「分かりましたわ。それでは雪広財閥の車を用意していますので、そちらに参りましょう」

「うん!」

 

嬉しそうに返事をしたのはアキラだった。裕奈とまき絵は顔を見合わせ苦笑する。元から素直な性格だが、アキラがこういう方向での素直さを発揮するのは珍しかった。小さく胸の前で指を絡める姿は正に乙女のようだった。

あやかの用意した車で移動すること約二十分。車は和也が入院している病院の前へと到着した。

 

「いやぁー、私、リムジンなんて乗ったの生まれてはじめてだわ。流石、いいんちょ。いい車乗ってる」

「ありがとうございます。ですが、厳密に言えばこの車は雪広あやか個人が所有するものではなく、雪広家の所有するものですわ」

「ほぇー。いいんちょの家ってやっぱりすごいんだねー」

 

あやかを先頭にして裕奈たちが車を降りる。病院は裕奈たちの想像以上に大きかった。恐らくそれは麻帆良の中にある病院では最大の規模を誇っていた。経営している人物の名は雪広源蔵(げんぞう)。即ち、雪広財閥の長であり、裕奈たちのクラスメートである雪広あやかの祖父であった。

 

「裕奈!まき絵!早くっ、早く!」

「分かってるから急がないの、アキラ。ここまで来たんだから和也先輩と亜子は逃げたりしないよ」

 

慌てて病院に向かうアキラをたしなめながら裕奈が後に続いた。本当にらしくない。本来これはアキラの役目であって、裕奈はどちらかといえば騒いでいる方が好きなのだ。それが今やその役割は逆転していた。

 

「亜子さんに連絡を入れなくてよろしいんですの?」

 

あやかが裕奈に問う。どうやら誰が最も冷静なのか、あやかも分かっているようだった。

 

「んー、別にいいんじゃない?昨日送ったメールも返ってきてないし、電話の折り返しもない。ダメだね。たぶん亜子、本格的に参ってるかもしれない」

 

携帯電話を片手に裕奈が答える。

 

「それでは直接向かった方が早そうですわね」

「うん。でもいいんちょ、和也先輩の病室とかってもう分かってるの?」

 

昨日、裕奈たちが病院に来た際には集中治療室に和也は運ばれていた。そして、そこから女子寮へ帰宅してからは亜子と一切の連絡が取れなかった。故に和也の入院している病室に関しては誰も分からなかった。

 

「ええ、抜かりはありませんわ。既にフロントを通じて把握しておりましてよ」

 

そう言うと、あやかは一枚の紙を裕奈に渡した。開いてみると、そこには三種類の数字が書かれていた。

 

「そこが和泉さんのお兄様が入院されている病室ですわ」

「『701』ね。分かった!ありがと、いいんちょ!」

「お気になさらなくてよろしいですわ。これもクラスメートの誼。この雪広あやか、委員長として困っているクラスメートを見捨てるような事は致しません」

 

どこまでも優雅に、そして、強い意思をもってあやかが告げた。まるでそれがさも当たり前であるかのようだった。ちょっと感動してしまった。

 

「アキラーっ!置いてっちゃうよーっ!!」

「う、うん!」

 

受付の近くで右往左往していたアキラを拾って裕奈たちはエレベーターに乗り込んだ。向かう先は七階。和也の入院している一室だ。

四人はエレベーターを降りる。目の前のナースステーションを回り、通路の奥に歩みを進める。どうやら七階は共同部屋らしい。どの部屋の前にも二人ないし三人の名前が書かれたプレートが取り付けてあった。

 

「あ、あった。この病室だ」

 

そしてついに裕奈たちは和也の部屋の前に着いた。扉は既に開いていた。手前のベッドでは二人のお爺さんが将棋を打っていた。笑顔で会釈されたので、裕奈たちも揃って会釈を返した。反応は非常にぎこちなかった。

和也のベッドは窓際だった。みんなで顔を見合わせる。そして、裕奈が代表して奥の病床を覆っていたカーテンを開けた。

 

「ーーーなに、これ?」

 

唖然として呟いたのは裕奈だった。

裕奈が得ていた情報では、兄の和也は昨夜から意識不明であり、妹の亜子はそんな和也の様子に憔悴しきっていたはずだった。

 

「ーーーえ?」

 

もう一度、しっかりと裕奈は目をつむる。そして、再度、目の前の光景を視界に入れた。

 

「よ。わざわざお見舞いなんて悪いな、みんな」

 

そこには何事もなかったかのように右手を上げて礼を述べる和也と、そんな和也に優しく頭を撫でられながら眠っている亜子の姿があった。


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