上を向いて歩こう   作:バレンシア

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第三話

二月三日。土曜日。その日は麻帆良学園男子高等部バスケットボール部の試合の日だった。

 

「んじゃ、行ってくるわ」

「行ってらっしゃい。僕も達也たちを誘って応援にいくから、頑張ってね」

「・・・マジで来るのかよ、アイツら」

「結構、楽しみにしてたよ」

「いらねー」

 

和也の朝は早かった。外部の県立体育館へ試合を行うために移動するので、朝六時半に麻帆良学園都市前の駅に集合となっていた。もちろん、部長である和也は更に早く集合場所へ行かなければならない。普段は便利な麻帆良だが、こういう時ばかりは広大な敷地が憎かった。

 

「うへぇ、寒っ」

 

外に出ると、冷たい風が身を裂いた。僅かに体が震えた。天候は晴れ。しかし気温は低い。和也は大きく肺に空気を吸い込み、息を吐く。白かった。

 

「ーーー行くか」

 

広大な麻帆良学園において、男子寮から駅前までは近くのバス停からバスで行くことになる。小さな国の国家予算程度なら持っていると称される麻帆良学園では、学生のバス料金は基本的に無料だ。苦学生の和也にとってはありがたい。

バスに乗り込み、暇になった和也が携帯を鞄から取り出す。メールの通知が三件あった。一つは達也から。一つは将希から。一つは裕奈からだった。和也はまず達也からのメールを開いた。

 

『今日の試合、応援行くから頑張れよ!あと、ぜってー負けんな!!』

 

気持ちのいいメールだった。少し力がわいてくる。武道の道を突き進み、決して修練を欠かすことのない友人の前で無様な試合は見せられない。口には出さないが、達也の努力を欠かさないところは大いに認めていた。和也は口角が上がっていることを自覚した。癪だが、更にやる気が出た。

和也は携帯を操作すると、続けて将希からのメールを開いた。

 

『二年の高橋と三浦、あと一年の佐々木と山本、加藤が体調不良で休みだそうだ。他に欠席連絡は聞いてないけど、もう剛さんには連絡はしてあるから。高橋の休みは痛いけど、来られるメンバーで頑張ろう』

 

こっちは事務的な連絡が中心だった。バスケ部では、試合の欠席連絡に関しては代々、副部長の仕事になっていた。連絡を入れての欠席は構わないが、連絡を入れずに休むと地獄の罰走が待っていた。

了解、と返信した和也は最後のメールを開く。最後のメールは裕奈からだ。珍しい。そもそも裕奈から個人的なメールが送られてくることなんて、これまでほとんど経験がなかった。

 

『今日の試合、頑張ってください!亜子とまき絵、アキラも誘って応援に行きます!!あと、お弁当は亜子が持っていくので買わないでくださいねー!!』

 

前半の内容は達也と同じようなものだった。達也の時よりも更にやる気が出た。まだ中学生とはいえ、女の子から応援されると普段以上に頑張れそうな気がするのは男子たるものの性だろう。ただし、中学生を相手に恋愛的な感情はない。

そして後半の内容は、要するにそういうことだろう。妹の手作り弁当なんて年頃の男子からすれば恥ずかしいものだが、亜子本人がやる気を出して作ってくれているなら仕方がない。二人揃って親元を離れて暮らしているのだ。これぐらいで文句は言うまい。せめて、みんなの前で渡さないことを祈っておこう。

ありがとう、と裕奈に返信のメールを送る。間もなく再び携帯がメールを受信した。裕奈だった。

 

『ファイトーっ!オーっ!!』

 

随分と可愛らしくデフォルメされた猫のイラストと共にそんな文面が送られてきた。和也は思わずバスの中で吹き出しかけた。そして、小さく笑った。

 

「これはーーー負けられなくなったな」

 

一人密かに闘志を燃やす。優勝しよう。そして、明日の晩飯は昼の弁当のお礼に何か美味いもんでも奢ってやろう。テンションを上げた和也が携帯を鞄に戻すと、バスは丁度、駅前に着こうとしていた。

バスの窓から外を見ると、増岡の姿があった。相変わらず部活の時は『adidas』スタイルを崩さない。和也がバスを降りると、目敏く増岡が和也を見つけた。

 

「おはよう、和也」

「おはようごさいます」

 

頭を下げて和也が言う。

 

「体調はどうだ?」

「バッチリです」

「朝早いけど、飯はちゃんと食ってきただろうな?」

「はい」

「なら心配はないな。今日は存分に暴れてやれ」

「はい!」

 

増岡に言われるまでもなく、今日はいつも以上にそのつもりだ。ダブル・ダブルぐらいなら達成できそうな気がする。それも複数回。

今回の大会は二日間にわたる。しかし、今日の試合はそれほど難しい試合というわけではなかった。最後に一つだけ強豪校と当たるぐらいだった。和也たちが本来の実力を発揮できれば確実に明日の決勝トーナメントには残れるだろう。そしてそれは増岡が抱いている印象と同じだった。

 

「お前らなら、俺は優勝できると思ってるからな。特に和也と将希は大会のベスト5にも入ると思ってる。大会最優秀選手まで狙ってしまえ」

 

こういう時、増岡は過大評価もしなければ過小評価もしない男だった。これまでの経験上、増岡がベスト4と言えばベスト4、ベスト8と言えばベスト8が麻帆良男子高等部の成績だった。だからこそバスケットという競技において増岡剛の言葉は信頼できた。その増岡がここまで言ってくれるのだから、和也自身も己の努力と実力を信じきることが出来る。

 

「ホンマ、みんなして人を乗せるのが上手いわ」

 

意図せずして、麻帆良に来て以来、自分の中で話すことを禁じていた方言が出てしまっていた。表情にこそ出ていないが、それぐらい今の和也のテンションは高かった。

そして、苦笑した。もし仮に、将希と共にそうなれば最高だろう。県大会の優勝と個人ベスト5入り。もはや自分でもよく分からないほどに和也の体には気力がみなぎっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー甲高い笛の音が体育館に響いた。

 

 

『試合終了!78対75で、麻帆良学園高等部の勝ち!お互いに、礼!!』

 

『ありがとうございました!!』

 

コートの中にいた選手たちがお互いに頭を下げた。ベンチは熱狂の渦に満ちていた。

 

「将希先輩!お疲れさまっす!!あのブロックショットっ、俺っ、マジで感動しました!!」

「あはは。ありがとう」

「隆司先輩のスリーもキレッキレでした!!」

「ありがとよ。でも、お前らも応援サンキューな」

(しげる)先輩のドライブっ、半端なかったっす!!」

「ま、これぐらい余裕だって、余裕」

「大悟先輩のリバウンドも最高っす!」

「わっはっは!いいぞ、貴様ら!!この天才をもっと誉めろ!!!」

 

選手たちがそれぞれ後輩からタオルやスポーツドリンクを受け取りながら勝利を分かち合う。団体競技における勝利はだれか個人のものではない。ベンチに座るメンバーや、客席から応援してくれる人たちも含めての、みんなで勝ち取った勝利だった。

 

「和也先輩もお疲れ様です!」

「おー。流石に連戦だし、マジで疲れたわ」

 

後輩の一人からタオルを受け取った和也が笑いながら答える。

 

「第3Qの最初っ!あのレッグスルーからのフックショットはマジで神ってましたっ!!」

「神とか、大袈裟だろ」

「いやいやっ、とんでもない!?マジで凄かったっす!!」

「そうか?」

「はい!!」

 

興奮冷めやらぬ後輩の様子に苦笑しつつ、和也が仕方がないかと半ば諦めていた。それもそのはず、この勝利によって麻帆良学園男子高等部は見事に予選リーグ突破を決めたのだった。しかも全勝だった。

 

「でも、相手も強かったね」

「ああ。本当にギリギリだったな」

「相手は埼玉四強の一つだし、いやー強かった」

「だな」

 

結果は僅差だった。どこかで一つでもボタンが掛け違っていれば負けていただろう。将希のブロックが間に合ってなければ、隆司のスリーポイントが少しでもずれていれば、茂のドライブが止められていれば、大悟が一つでもリバウンドを落としていれば、一つでも何かの要素が欠けていれば危なかった。

 

「明日は決勝トーナメントだが、確か合間に休憩あるよな?」

「ああ。ようやく少しホッと出来るよ」

 

将希と二人、ベンチ下に置いてあった荷物を持ち運びながら話を続ける。

 

「ようやくか・・・」

「流石に二日間連続での試合は疲れるな」

「まぁな」

「一年生が記録してくれた戦績表を見る限り他の強豪も順調に勝ち残ってるし、まだまだ先が思いやられるけどね」

 

将希が眼鏡を掛けてノートをチェックする。

 

「うーん。やっぱり決勝トーナメントに残ってるようなチームにはそれぞれ凄そうな奴がいるなぁ」

「たとえば?」

「○○高校のPG(ポイントガード)。視野が広いし、スティールが上手い。速攻の時にやられると流れを一気に持っていかれる」

「うぇ。そいつ、俺の嫌いなタイプだわ」

「他には××高校のSF(スモールフォワード)もいい。きっとドライブのテクニックとスキルの豊富さでは今大会でナンバーワンだろうね」

「茂よりも凄いのか?」

「茂はどちらかといえば鋭さと速度で突破するタイプだから、少し特徴が違うかな」

「そういえば、そんな感じだな」

「あとは△△高校のC(センター)もいいね。デカイ、上手い、強いの三拍子揃った選手だ。特に身長は高校二年生ながら2mは超えているみたいだ」

「うへぇ。大悟の193cmでもデカ過ぎると思ってんのに、マジかよ」

「PGの和也の181cmも十分デカイと思うけど、まぁ相手は2m超えだからな。こればかりは文句を言っても変わらない」

「確かにそうだな」

 

ここ数年、埼玉県のバスケットレベルは飛躍的に上がっていた。全国でも確実にベスト8に入れる学校が必ず2~3校はあった。特に現在の三年生たちは凄くかった。県大会の決勝戦はまるで全国大会の決勝戦であるかのようにハイレベルな試合だった。

 

「ちっ。そいつらのいる学校が負けてくれれば楽なんだけどな」

「今年の埼玉でそれは難しいだろうね。今日の記録でも順調に勝ち進んでる。明日の決勝トーナメントでは確実にどこかと当たるよ」

 

将希が持っていたノートを閉じる。

 

「本当に楽をさせてくれねーよな」

「そりゃ勝ち残る学校は一つだけだからね」

「・・・嫌な現実だ」

 

和也は鬱々とした気分を誤魔化すように頭を掻いた。麻帆良の実力を疑ったことはない。けれども、確実に勝てると思えるほど自分達が強くないことも和也には分かっていた。昨年度の全国大会に出てきた化け物たちの実力はもっと凄かった。これまで凄いと思ってきた三年生の先輩たちでさえ負けた。上には上がいる。ショックだった。

将希と共に和也は部員たちの最後尾を歩いていた。振り返ってみれば、既に次の試合が始まっていた。残る試合は四試合だった。

和也は後ろ髪を引かれながらもみんなと一緒に体育館を後にした。広場の方へ出ると、増岡を中心にして部員たちによる円が出来ていた。

 

「さて、それじゃあこの後は飯食って午後の試合の観戦といこう。この予選リーグ最大の目玉である○○高校と××高校の試合を観戦したら、今日は解散だ」

 

『はい!』

 

「一時間後にもう一度ここに集合。いつも通りルールは二つ。他人様に迷惑を掛けるな。俺はこの辺にいるから、なにかあれば言いにこい。以上。ひとまず解散」

 

『あざーっす!!』

 

部員たちが三々五々、散らばって飯を食いにいく。問題さえ起こさなければ比較的自由なのが麻帆良バスケ部の良いところだった。

他のみんなと同じように和也も広場から離れる。携帯を見ると、亜子からメールが送られてきていた。どうやら既に体育館から出て、近くまで来ているようだった。場所を確認した和也も亜子たちの場所へ向かおうとして、足を止めた。背後には二人、人の影があった。

 

「ーーーで?なんでお前らは付いてくるんだ?」

「まぁまぁ。どうせ亜子ちゃんたちだろ?じゃあ俺たちがいてもいいだろ、別に」

「そうだ!まだ中学生とはいえ、あんな可愛い子たちの独占なんて、たとえ神様が許してもこの茂様が許さないからな!!」

「・・・好きにしろ」

 

将希と茂を伴って二、三分も歩けば、人垣の向こうから見知った姿が見えた。真っ先に和也たちに気付いたのは先頭を歩く裕奈だった。体をいっぱいに使って裕奈は手を振っていた。そして、そんな裕奈の様子に()()()()も和也たちに気付いたようだった。

 

「おめでとうございます!和也先輩!!将希先輩!!」

「サンキュー、裕奈ちゃん」

「ありがとう」

 

音が鳴りそうな勢いで手を振りながら裕奈が走り寄ってきた。

 

「あれ!?裕奈ちゃん、俺は!?」

「あ、茂先輩。いたんですか」

「なっ!?ひ、ひでぇ!?」

「あはは。冗談ですよ、冗談。茂先輩もおめでとうございます!」

「ありがとう!裕奈ちゃん!!」

 

裕奈と茂が漫才のようなやり取りをしている間に、置いていかれた亜子たちも追い付いていた。

 

「お兄ちゃん、予選突破おめでとう」

「サンキュー。亜子も応援ありがとな」

「ええよ、ええよ。いつものことやん」

 

亜子が当たり前のように答える。亜子が麻帆良に来て以降、サッカー部の試合が重なった日を除けば、ほとんど和也が出場する試合の応援に来ていた。そして、それは亜子の隣にいるアキラもまた同じだった。

 

「アキラちゃんもわざわざ休みの日に悪いな」

「いえ。私もいつものことですから」

「そっか。いつもありがとな」

「はい」

 

横で妙に笑顔を深めた亜子の様子が気になるところだが、それ以上に気になる存在が彼女たちの後ろにいた。いつも四人で行動することが多い亜子たちだが、今日は六人で行動していた。残った二人は、まき絵と一緒に和也たちの前にやって来た。

 

「和也さん!予選突破おめでとう!!」

「ありがとう、まき絵ちゃん」

 

最初に口を開いたのは顔見知りのまき絵だった。

 

「なんか、よく分からなかったけど凄かったよ!こう、ビュンッ!グルッ!スパンッて!!」

 

身ぶり手振りを交えながらまき絵が熱弁する。

 

「明日も応援に行くから、頑張ってね!」

「おう」

 

まるで向日葵のように屈託のない笑顔を浮かべてまき絵が和也を見上げる。いつの間にか手を握られていた。上下に大きく振られる。握手のつもりらしい。

 

「それにしても、お前は来なくてよかったんだぞ、達也」

「てめっ、せっかく応援に来てやったダチに対しての第一声がそれかっ!?」

 

まき絵の手を離し、和也は残った二人組に視線を向けた。そこには二人の男がいた。もちろん、二人は和也もよく知る人物だった。一人は中村達也。珍しく普通に制服を着ていた。休日かつ学園の外であるにもかかわらず制服である、という点を除けば変なところはなかった。

 

「翔もわざわざ応援サンキューな」

「うん。和也も試合、お疲れ様」

 

もう一人は安達翔だった。家を出る前の言葉通り応援に来てくれたらしい。

 

「亜子たちと合流してたんだな」

「まあね。達也と二人で応援するのもいいけど、ちょっと華が無さすぎてね」

「ま、達也と二人じゃな」

「だよねー」

「聞こえてっからなっ!お前ら!?」

「あはは!達也先輩おもしろーい!!」

 

和也と翔のやり取りを聞いていた達也が叫ぶ。いつものやり取りだった。さっきまで必死にバスケットをしていた熱が下がり、落ち着きを取り戻していくのが分かった。

 

「おーい、和也。さっさと飯にしようぜ。剛さんの事だし、遅刻はシャレになんねーぞ」

「それもそうだな」

 

茂に呼ばれ、和也が振り向く。周囲を確認すると、偶然にも開かれた場所が視界に入った。昼食時間は一時間。ルールは徹底順守が信条の増岡のことだ。遅刻でもしようものなら明日が怖い。

将希と顔を見合わせた和也は、亜子たちや翔たちを伴って場所を移動した。

 

「じゃーん!今日のお昼はサンドイッチにしてみました!!」

 

広場の芝生に敷かれたシートの上で、裕奈が元気よくバスケットを開けた。中には鮮やかな色のサンドイッチが入っていた。卵にトマト、レタスにハムと、非常にバリエーションは豊富だった。

 

「悪いな、大変だったろ?」

「んー。みんなでワイワイ作っとったから楽しかったし、別に大変ちゃうかったで」

「早起きしたんだろ?」

「試合は九時からやったし、余裕やったよ」

「そっか。いつもありがとな」

「うん。今度、なんか甘い物でも奢ってくれたらそれでええよ」

「はいはい。分かってるよ」

 

和也が亜子と話をしている間に、既に他のメンバーは食事を開始していた。裕奈と茂がサンドイッチを我先にと取り合い、達也と翔はまき絵と談笑していた。少し距離を感じていたアキラも、今は将希と水泳の話をしていた。

 

「はい、お兄ちゃん。まずはタマゴサンドな」

「サンキュー」

 

和也も亜子が取ってくれたタマゴサンドを食べる。美味かった。時間が経っているにもかかわらず、卵はフワフワのままだった。

 

「美味しいやろ。さっちゃんに教えてもろてん」

「さっちゃん?」

「うん。超包子(チャオパオズ)の料理長でな、メッチャ料理上手い子やねん」

「ああ、超包子か。なんとなく顔は分かった。たぶん、見たことある」

「卵の焼き方とかレタスの保存法とか、時間が経っても美味しい作り方をなろてん」

「だからこんなに美味いのか。凄いな、さっちゃん」

「うちもなろててビックリしたわ」

 

二人で揃ってタマゴサンドを食べ終えると、次はこれとばかりに亜子が野菜サンドを一つとって渡してきた。

 

「今回作ったサンドイッチの中でも一番美味しいんが()()()()()()()やで」

「そうなのか?」 

 

手渡された野菜サンドをじっくり見てみるが、特に変わったところはなかった。スライスしたトマトが新鮮そうな二枚のレタスによって挟まれている。他のサンドイッチ同様、とても美味しそうだった。

 

「うん、美味いな」

「せやろ。それ、自信作やねん」

「へぇ。でも、なんでこいつが一番美味しいんだ?」

「そら愛がーーーあぷっ!?」

 

亜子が何事かを口にしようとした瞬間、横から手が伸びてきた。そして亜子の口を思いきり覆った。あまりに強い衝撃に、亜子は涙目になっていた。

 

「あ、亜子っ、ダメっ!」

 

横を見てみれば、顔どころか首まで真っ赤にしたアキラが亜子の口を覆っていた。

 

「・・・いきなりなにしてんだ、アキラちゃん」

「あっ、こ、これはっ、その、約束がっ!?」

「約束?」

「えっ、あ、ちっ、ちがっ!?」

 

亜子たち四人の中で最も身長が高いアキラが、今はまるで小動物のように小さく頭を振っていた。その大きな瞳は今にも泣き出しそうなほどに潤んでいる。体格が中学生離れしているからかもしれない。その弱々しい仕草に妙な色気を感じてしまう。

 

「・・・取り敢えず亜子が悪いのは分かったから、そろそろ離してやらないと亜子の顔色がヤバいぞ」

「え?あ、亜子っ!?」

 

和也に言われてアキラが亜子の口から手を放した。亜子の顔は少し青白くなっていた。アキラが優しく亜子の背中を撫でる。

 

「大丈夫か?」

「ちょ、ちょっとだけ頭がふらつくけど、大丈夫やで」

「なんかよく分からんが、因果応報ってやつだ。反省しろ」

「あたっ!?」

 

亜子は両手で額を押さえた。予想したよりも和也のデコピンは痛かった。

 

「あたた。なんか、こういう時のお兄ちゃんはいつもアキラの味方やな」

「そりゃ亜子とアキラちゃんなら、どっちがより正しそうなのかは少し考えれば分かるだろ」

「ひ、ひどっ!?」

「基本的にアキラちゃんは大切なことは間違えねーよ」

 

な、と同意を求めてアキラの方を向くと、すぐに顔を逸らされた。アキラと話していると、時折、こういう瞬間があった。やはりアキラとの間にはまだまだ縮めきれない距離感があるようだった。

 

「アキラちゃん?」

「・・・」

 

少し粘って顔を覗こうとすると、和也の動きに合わせてアキラの顔も少しずつ逸らされていく。二回ほどチャレンジしたところで和也も諦めた。耳まで真っ赤にしたアキラの反応に、取り敢えずそういう事かと理解する。

 

「ありがとな、アキラちゃん。このサンドイッチ、メチャクチャ美味いよ」

「ーーーっ!?」

 

和也の言葉にアキラの体が大きく跳ねる。前髪の間から見える大きな瞳が揺れていた。恥ずかしさから逃れるように、アキラは俯きながらサンドイッチに手を伸ばした。果たしてこれはどんな想いによる行動なのか。彼女たちとの今後を思い、和也は一人、誰にもバレないようにため息をはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

予選リーグを突破した麻帆良学園男子高等部のバスケットボール部は、この大会をベスト4で締め括ることになった。準決勝で△△高校と当たり、惜しくも敗北を喫した。その差は僅かに三点だった。

 

大会の関係者は挙って麻帆良学園を褒め称えた。昨年度に比べればまだ劣るものの、素晴らしい才能が芽吹こうとしている。このまま順調に育っていけば、昨年度のチームを軽く越えていくかもしれない。期待は非常に高かった。

 

しかし、彼らは同時に口を揃えて同じことを言っていた。もしベストメンバーであるならば、恐らく優勝していただろう。本当に惜しかった。それほどの実力が今の麻帆良にはあった、と。

 

この日の麻帆良はこれまでとは決定的に違っていた。コートの中にも、ベンチにも、応援席にも、それどころか会場のどこにも不可欠な存在がいなかった。

 

ーーー麻帆良学園男子高等部が大会でベスト4を決めたこの日、和泉和也の姿は会場のどこにもなかった。


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