「げえ、比叡山を通り抜けねばならぬのか」
伯耆国を目指す伊吹であったが、忌まわしきかの山が立ちはだかる。が、よく考えてみればもうずいぶん昔のことであるし、ホモを拒否され死んだ僧侶など笑い話。今更下手人をとがめるような真似はするまい、掘り返せば寺の評判に関わる。そう開き直りつつも、なるだけ迂回しながら全速力で通過する。自分の噂もないようであったし、やはり杞憂に終わったかと安心。生来の瞬足は師の教えをもって、さらなる神速へと成長し、特に何事もなく伯耆国へ到着した。まあ実際は、強盗などに出くわしたのであるが、商売相手を間違えた彼らは功徳を積まずして仏と相成った。放置すればさらなる被害者が生まれるかもしれぬから仕方ないね。殺生功徳とは因果なものである。
かくて伯耆国入りした伊吹は安綱と名乗ることにした。綱とは長いもの、即ち蛇の暗喩であり、意訳すると『自分の中の大蛇を鎮める』という意味の願掛けである。
差し当たり信用は得られたようである。
さらに十数年が過ぎ、安綱はすっかり精悍な若者と育っていた。まあ幻術なのであるが。鬼であり、神の子(らしい)であり、神仙の類である安綱は老化しない。これでは老いて死ねるかもわからぬと独りごち、身を清め着替える。作業場に向かう安綱を出迎えたのは、刀工の師と自身が鍛えた刀である。まだ未完成の刀に、これから魂を打ち込むのだ。一心不乱に鎚を振ること何刻か、刹那とも永劫とも思える時の経過。気がつけば一振りの太刀が出来上がっていた。師からそう声をかけられ、ようやくその事実に気がつく。作業何日目からか記憶がない。鍛冶の場には神が降りると言われるが、自分がまさにそれであったらしい。なぜなら自分の作はひいき目に見ても傑作の出来映えであったからだ。疲れ果てた安綱は、片付けもほどほどに、しばし死んだように眠るのであった。
数日後、すっかり元気を取り戻した安綱であるが、これほどの太刀を打ったのにけろりとしている弟子に師は静かに驚愕する。ここまでやっても刀に魂を取られぬとは、こいつを教えて正解であったかな。娘をやることを真剣に検討するのであった。銘を切る(ブランド名などの刻印)段階になり少々迷ったが、結局『安綱』、とだけ刻むことにした。こういうのは下手にこだわるとかえって駄目になるのだ。思い切りの良さを珍しく褒められたが、ブランドはしっかり刻んでおかないと贋作が横行するんじゃ……。仕事以外不器用な師を安綱は案じた。一通りの作業が終わり、刃物として完成させるべく仕上研ぎを行う。この時代では研ぎも刀工が行っていたとされるから何ら不思議なことはない。神妙な顔で太刀を持つ安綱、面白いようにすいすいと研いでゆく。まるで太刀自らが研がれに動いているようだ、妖しげにきらめく刃にふと触れてみれば動かしてもいないのに指が切れた。血吸、この太刀にはそう名付けよう。後の名刀が、ここに誕生した。
安綱、ここに骨を埋めないか、お前になら娘をやるぞ。頑固親父の師もずいぶん丸くなったものだ、その顔はやはり老いていた。刀工の娘はすっかり大きくなり、誰もが振り向くほど美しく育っていた。美男美女の鍛冶師、と結婚もしていないのに辺りでは評判だ。師の言葉は嬉しくもあり、しかし人三化七(本来の意味はものすげー不細工)の自分には受け入れられぬ。伊吹山の恩師に報告があるからすぐ行かねばと断った。一家揃って残念そうな顔をする刀工らであったが、婿入りはともかく報告したらすぐに戻ってくると言えば明るくなった。
「その様子だと出来たようだな。ようやった、伊吹」
「師匠……貴方ほどの行者でも……」
伊吹山へと舞い戻った安綱もとい伊吹を出迎えたのは、すっかり老いて病床に伏す大恩の師の姿であった。
「驚いたか?生あるものはいずれ皆こうなる。だからそう嘆くでない」
験力、知識、武芸、そして人格。伊吹を心底より敬服させた大修験者であったが、その彼をして老いには勝てぬらしい。無言で、ただ向かい合う。もはや師弟に、親子に言葉は不要であった。不意に、修験者は微笑む。と、それきり動かなくなった。弟子の、あるいは子の成長を見届けるため、気力にて長らえていた修験者であったが、見るべき物を見届けたのか。その死に顔は、未練と無縁であった。
旅立つときはついぞ見せなかった涙が、あふれ出ては少年の頬を濡らす。さめざめと泣き、泣いて、泣いて、泣いて、ようやっと師の亡骸を葬った。
これから先、ずっとこうしてひとが
老いぬと言うこと、死なぬということは、いつまでも子供なのだ。
永遠の少年は、しかし愛する人を失い、モラトリアム(猶予期間)の終わりを迎える。
少年は大人になったのだ。
泣き腫れて、すっかり赤くなった目で星を見上げる。
伯耆国に戻った伊吹もとい安綱を襲ったのは、またしても世の無常である。鍛刀の師とその妻は、あわれ強盗の手にかかり、あっさりとその命を散らしていた。そう告げたのは見る影もなく痩せ衰えた娘であった。両親が死んですっかり気がふさぎ、収入も激減して困っているうち結核にかかってしまったのである。あにさま、そばにいて。それが
数年後、伊吹は船上の人となっていた。いや、彼は自身を救済の鬼と定めていたのだ。愛しい人々の死は彼を突き動かすのに十分な力を与え、異国の最新医学を求め伊吹は遊学の士と相成っていた。
―――――そうだ、
この世の無常が相手ならば、我が身の外道をもって
―――――たしか陰陽師などは、式神とかいう鬼神を使うそうな―――――
そうだ、これだ。
めぼしい妖魔はあらかた狩り終え、さて千里眼もそろそろ育ってきたか。最初に垣間見た未来の医術、その基本は
気付けば村々もすっかり大きくなり、自分は豪族と認知されていた。いつまでも死なない領主はしかし富をもたらす故、誰一人疎む者はいない。何しろ、伊吹が居座ってからというもの、餓死者、病死者が目に見えて減ったのだ。平安三大疾病の原因は栄養失調にあると