キャラメル風味の短編集   作:とけるキャラメル

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FGOネタ 朱纏の草子 其の二

「げえ、比叡山を通り抜けねばならぬのか」

 

伯耆国を目指す伊吹であったが、忌まわしきかの山が立ちはだかる。が、よく考えてみればもうずいぶん昔のことであるし、ホモを拒否され死んだ僧侶など笑い話。今更下手人をとがめるような真似はするまい、掘り返せば寺の評判に関わる。そう開き直りつつも、なるだけ迂回しながら全速力で通過する。自分の噂もないようであったし、やはり杞憂に終わったかと安心。生来の瞬足は師の教えをもって、さらなる神速へと成長し、特に何事もなく伯耆国へ到着した。まあ実際は、強盗などに出くわしたのであるが、商売相手を間違えた彼らは功徳を積まずして仏と相成った。放置すればさらなる被害者が生まれるかもしれぬから仕方ないね。殺生功徳とは因果なものである。

 

 

 

かくて伯耆国入りした伊吹は安綱と名乗ることにした。綱とは長いもの、即ち蛇の暗喩であり、意訳すると『自分の中の大蛇を鎮める』という意味の願掛けである。(おれ)の人生偽名ばかりだな、というか、(おれ)の親父は蛇であったのか、とお決まりのパターンを交えての独白。ともあれ名工と評判の鍛冶師に弟子入りすることにした。が、ポッと出の余所者は怪しすぎて、さんざん頼み込んでようやく下働きはさせてもらえたが、肝心の鍛刀はまるで教えてもらえぬ。まだ信用が足りぬのか盗み見ることすら許されず、しかし安綱はくそ真面目に働いた。あいにく下働きは慣れきっていたので苦ではなかったが、もう二年も経過しようと言う頃。突然やってみろ、と言われたのだからさすがに面食らった。まあ隙を見て覗いていたので大まかな手順は記憶していたが、いきなり手伝わされたのだからおっかなびっくりである。

 

差し当たり信用は得られたようである。(おれ)の人生修行と雑用ばっか、デジャヴを感じつつ食事の支度をする安綱である。刀工の幼い娘がかまってくれと妨害してくる中、弟子を取ったのは安綱が初なのだと婦人から教えられた。鍛冶以外は不器用なの、あれで貴方に期待しているのよ、とは彼女の弁である。そう言われると、もとより軽い気持ちでは断じてないが、一層真剣に、文字通り真剣に取り組もうという気にもなるものだ。決意を新たにする中しつこく娘が話しかけてくる。あにさま、あにさまが名工になったら私があにさまと夫婦(めおと)になってあげる。人生何度目かのデジャヴを感じ、また呪われてはかなわぬ今度は鬼以下の魔物にされるのかと考えそっと釘を刺す。おう(つが)ってやろうとも、(おれ)並に(つら)がようなったらな、と言うのだから童女相手にナチュラルな鬼畜である。

 

さらに十数年が過ぎ、安綱はすっかり精悍な若者と育っていた。まあ幻術なのであるが。鬼であり、神の子(らしい)であり、神仙の類である安綱は老化しない。これでは老いて死ねるかもわからぬと独りごち、身を清め着替える。作業場に向かう安綱を出迎えたのは、刀工の師と自身が鍛えた刀である。まだ未完成の刀に、これから魂を打ち込むのだ。一心不乱に鎚を振ること何刻か、刹那とも永劫とも思える時の経過。気がつけば一振りの太刀が出来上がっていた。師からそう声をかけられ、ようやくその事実に気がつく。作業何日目からか記憶がない。鍛冶の場には神が降りると言われるが、自分がまさにそれであったらしい。なぜなら自分の作はひいき目に見ても傑作の出来映えであったからだ。疲れ果てた安綱は、片付けもほどほどに、しばし死んだように眠るのであった。

 

 

 

数日後、すっかり元気を取り戻した安綱であるが、これほどの太刀を打ったのにけろりとしている弟子に師は静かに驚愕する。ここまでやっても刀に魂を取られぬとは、こいつを教えて正解であったかな。娘をやることを真剣に検討するのであった。銘を切る(ブランド名などの刻印)段階になり少々迷ったが、結局『安綱』、とだけ刻むことにした。こういうのは下手にこだわるとかえって駄目になるのだ。思い切りの良さを珍しく褒められたが、ブランドはしっかり刻んでおかないと贋作が横行するんじゃ……。仕事以外不器用な師を安綱は案じた。一通りの作業が終わり、刃物として完成させるべく仕上研ぎを行う。この時代では研ぎも刀工が行っていたとされるから何ら不思議なことはない。神妙な顔で太刀を持つ安綱、面白いようにすいすいと研いでゆく。まるで太刀自らが研がれに動いているようだ、妖しげにきらめく刃にふと触れてみれば動かしてもいないのに指が切れた。血吸、この太刀にはそう名付けよう。後の名刀が、ここに誕生した。

 

 

安綱、ここに骨を埋めないか、お前になら娘をやるぞ。頑固親父の師もずいぶん丸くなったものだ、その顔はやはり老いていた。刀工の娘はすっかり大きくなり、誰もが振り向くほど美しく育っていた。美男美女の鍛冶師、と結婚もしていないのに辺りでは評判だ。師の言葉は嬉しくもあり、しかし人三化七(本来の意味はものすげー不細工)の自分には受け入れられぬ。伊吹山の恩師に報告があるからすぐ行かねばと断った。一家揃って残念そうな顔をする刀工らであったが、婿入りはともかく報告したらすぐに戻ってくると言えば明るくなった。

 

 

 

 

 

「その様子だと出来たようだな。ようやった、伊吹」

「師匠……貴方ほどの行者でも……」

 

伊吹山へと舞い戻った安綱もとい伊吹を出迎えたのは、すっかり老いて病床に伏す大恩の師の姿であった。

 

「驚いたか?生あるものはいずれ皆こうなる。だからそう嘆くでない」

 

験力、知識、武芸、そして人格。伊吹を心底より敬服させた大修験者であったが、その彼をして老いには勝てぬらしい。無言で、ただ向かい合う。もはや師弟に、親子に言葉は不要であった。不意に、修験者は微笑む。と、それきり動かなくなった。弟子の、あるいは子の成長を見届けるため、気力にて長らえていた修験者であったが、見るべき物を見届けたのか。その死に顔は、未練と無縁であった。

 

旅立つときはついぞ見せなかった涙が、あふれ出ては少年の頬を濡らす。さめざめと泣き、泣いて、泣いて、泣いて、ようやっと師の亡骸を葬った。

 

これから先、ずっとこうしてひとが()くさまを見届けねばならぬのか

 

老いぬと言うこと、死なぬということは、いつまでも子供なのだ。

永遠の少年は、しかし愛する人を失い、モラトリアム(猶予期間)の終わりを迎える。

少年は大人になったのだ。

 

泣き腫れて、すっかり赤くなった目で星を見上げる。

 

 

 

 

 

伯耆国に戻った伊吹もとい安綱を襲ったのは、またしても世の無常である。鍛刀の師とその妻は、あわれ強盗の手にかかり、あっさりとその命を散らしていた。そう告げたのは見る影もなく痩せ衰えた娘であった。両親が死んですっかり気がふさぎ、収入も激減して困っているうち結核にかかってしまったのである。あにさま、そばにいて。それが末期(まつご)の言葉。方々手を尽くしたものの、よき人ばかりが先に()く。神仏よこれはあまりに殺生ではないか。現世(うつしよ)に救いはないのか!?命の儚さ、神仏の無情。そして医療の貧弱を嘆いた少年は、この悲劇を繰り返さぬようさらなる勉学を志した。

 

 

 

 

 

数年後、伊吹は船上の人となっていた。いや、彼は自身を救済の鬼と定めていたのだ。愛しい人々の死は彼を突き動かすのに十分な力を与え、異国の最新医学を求め伊吹は遊学の士と相成っていた。唐国(からくに)、天竺、はては羅馬(ローマ)から埃及(エジプト)まで。しかし迷信と技術限界の蔓延る様が、伊吹を失望させるのにそう時間はかからなかった。すっかり酒浸りになった伊吹であったが、酩酊した頭脳が唐突に天啓を得た。

 

―――――そうだ、(おれ)は鬼で修験者ではないか―――――

 

この世の無常が相手ならば、我が身の外道をもって相対(あいたい)すればよい。大陸の神仙は千里眼をもって三千大千世界を見わたすという。中には未来を覗く秘法もあるとか。しかし鬼たる自身が修練しても、功徳を積むまでどれほど時間がかかるか見当も付かない。

 

―――――たしか陰陽師などは、式神とかいう鬼神を使うそうな―――――

 

そうだ、これだ。蠱術(こじゅつ)、これをやろう。(おれ)の体で。秋津島を箱に見立て、妖魔どもを殺し回り力とするのだ。さすれば病魔に勝る大鬼神となりて万病の処方を知ることもできよう。名付けて八津島蠱術、とでもいったところか。思い立ったが吉日、されど妖魔どもにとっては凶日のはじまりである。百鬼夜行を千切っては投げ、千切っては投げ。殺戮の嵐と化し、美しい顔を返り血で染めた伊吹はいつしか妖魔どもから朱纏(しゅてん)童子と仇名され、神州広しといえど妖魔どもにその名を知らぬ者はいないほど恐れ忌み嫌われるのであった。

 

めぼしい妖魔はあらかた狩り終え、さて千里眼もそろそろ育ってきたか。最初に垣間見た未来の医術、その基本は酒精(アルコール)をもって傷口を清めることであった。古は破傷風も恐ろしい死因のひとつ。しかし消毒に使えるのは焼酎すなわち蒸留酒である。平安の世で主流な酒は濁り酒。ジャムの如き甘さでアルコール度数がまるで足りない、そも酒の流通量、ひいては原料たる米の収穫量が足りない。そうだ、稲作普及活動しよう、平民の主食はアワやヒエで、全然お米がない。よしまずは農業改革だ。酒造など、現時点では夢のまた夢よ……。嘉祥2年(849年)、大江山に居を構えることにした朱纏童子こと伊吹。なぜ山暮らしかというと山パワーを得るためであり修験者だからである。ふもとの農民らに技術とそれによる富をもたらす引き替えに、何やら労働者を募って酒造所を設立する。大酒喰らいとの誤解が広まるのに大した時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

気付けば村々もすっかり大きくなり、自分は豪族と認知されていた。いつまでも死なない領主はしかし富をもたらす故、誰一人疎む者はいない。何しろ、伊吹が居座ってからというもの、餓死者、病死者が目に見えて減ったのだ。平安三大疾病の原因は栄養失調にあると()()()()伊吹は、食生活を改めるよう啓蒙を徹底した。肉食え、玄米食え、野菜食え、ていうか量食えよ、うわっ…平民の食事量、少なすぎ……。おっと、皮膚病対策も忘れずに。羅馬(ローマ)を参考に上下水道や公衆浴場、原始的な水洗トイレの開発・普及を指示。江戸時代よりはるかに早く、劇的な衛生都市となった大江山ふもと村。酒造(というかアルコール)技術開発研究の一環で山葡萄を原料としたワインを製造。ポリフェノールなるものが豊富に含まれ、健康長寿に一役買うという。とはいえ度数が高く、まだ量産が利かないため飲み過ぎないよう注意も欠かさない。おっと、鉱毒対策とやらもしておかなければ。大江山地下に何かを感じ、気になった伊吹が占ってみたところ無尽蔵の金属資源が埋もれていることを発見した。丁度良い、(おれ)が鍛冶を教え、金属製新型農具を普及させれば収穫も増えて諸問題は一挙に解決。仕事があると知れれば労働者はそこかしこから集まってくる。さらなる採掘を行うために未来知識を見てみると恐るべき鉱毒被害の情報を得る。まだ実害が出る前で良かった。病を防ぎ癒やすための技術開発だのに、それが元で病をばらまいてどうする。ほっと胸をなで下ろし、開発と平行して対策を指示する伊吹であった。

 

 

 

 

 

 

 


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