お風呂、というのは基本的に一人で入るものだ。理由は単純明快、裸になるから。
通常、異性でなくとも裸を見られるのはあまり好きじゃないし、見る方も嫌がるはずだ。
それでも大浴場なるものが存在するのは、やはり大きな風呂というのは豪華な感じがするからだろう。つまり、湯船だけでなく、豪華な気分にも浸りたいのだ。人間というのは。あ、温泉は別。温泉は効能とか色々あるらしいから。
逆説的に、大浴場が好き、という人間は他人に裸を見せるのが好き、と言ってるようなものだ。広いお風呂に入る豪華感を得るメリットと、他人に全裸を見られるデメリット、どう足掻いても俺ならデメリットを切る。
もし、広いお風呂に入りたいのなら、人のいなさそうなタイミングを見計らって銭湯にでも行けば良い。
そう、ましてや部屋に温泉をつけるなんて以ての外だ。
俺はボンヤリと部屋のベランダについている温泉を窓から眺めた。文香は現在、お手洗い。
ご飯も食べて遊ぶことも遊んで、今日の旅行の感想の言い合いもした。残りは歯磨きと風呂だけだ。
「……さて、どうしたものか」
……一緒に入る他ないのか? いや、入りたくないわけじゃない。というか入りたい。あの巨乳を眼前で拝めると思うと今から興奮するし。
でも、その……なんだ? 一抹の不安ってものはやっぱあるじゃん? 特に、その……性的なことに関しては。
俺と文香はもう前に性行為をしてしまっているし、再びお互いに全裸で相見えたら、またそういう流れになっても決しておかしくない。
……しかし、だからといってなぁ、この機会を逃すのは惜しい気がする。そもそも、文香はちゃんと俺と一緒に入るってこと自覚できてんのかな。
「……はぁ」
何だろう、この感じ。このラブホで女の子がシャワーを浴び終えるのを待ってるようなこの感じ。
もしかして……俺って割とすけべなのか? だとしたら、割とショックなんだけど……。
「ダメだ……。とりあえず、やっぱり一緒に風呂は回避しないと……」
はっきり言って我慢できる気がしない。だってあの子、身体どすけべなんだもん。最近は中身もどすけべになって来たが、前までは思春期も来てない純粋な女の子って感じだったから、あのワガママボディを押し付けられた時はマジで死ぬかと思った。主に理性が。
……はぁ、そういえば文香は腐ったんだっけなぁ……。俺とキリトのBL小説を書かれてることを知った時はマジで死のうかと思った。
いや、ほんと凹むよ? 自分の彼女が自分と別の男とのBL小説とか書かれると。
第一、俺がキリトを愛するって事が絶対にあり得ない。リア充だから、とかじゃなくて、何でも出来るイケメンって辺りがムカつく。
まぁ、そんな事はどうでも良い。とりあえず、これからどうするか考えないと……。
「……千秋くん? 難しい顔をしてどうしました?」
「はうわっ⁉︎」
「……どうしました?」
唐突に背後から声をかけられ、背筋が面白いほどピンッと伸び切った。
慌てて声のした方に顔を向けると、文香が不思議そうな顔をして俺を眺めていた。
「……どうしました?」
そう聞かれるのは3回目だ。しかも連続三回だった。
未だに心臓がフルドライブしているのを何とか深呼吸して抑えて、平静を保った。
「い、いやっ……なんでもない……」
「……嘘です。何か、悩んでましたよね?」
ああ、相変わらず人のことになると真剣になる奴だな。良いことだけど、なんでもなんでも首を突っ込んで良いわけじゃない。
「俺も早くトイレに行きたくてムズムズしてただけ」
「……あ、そ、そうでしたか……。す、すみません……その、長くて」
あ、いやそんなつもりじゃなかったんだけど……実際、トイレ行きたかったわけじゃないし。
ただ、お風呂のことで悩んでたなんて言えないので、そっちに持って行かれないようにからかってやることにした。
「じゃ、文香がおしっこした後のトイレに入って来るから」
「っ、な、なんでそう宣言するんですか⁉︎ 大体、おしっこじゃないです!」
「えっ?」
「あっ……」
おしっこじゃないってことは……。
徐々に、徐々に文香の顔が赤くなっていった。それと共に、眉間にシワが寄っていった。
ゆっくりとその場でしゃがんだ文香は、机の下に敷いてある座布団を手にとって、ゆっくりと振りかぶる。
「あ、あの、文香さん? 今のは俺の所為じゃなくね? てか、勝手に自爆しただけじゃね? なのにそれはちょっと理不尽というか……」
「……」
「え、な、何? なんか呟いて……」
「裁きの時だ。世界を裂くは我が乖離剣……!」
「おい待てそれは死んじゃう! 俺、トレースオンできないから……!」
「受けよ! 『天地乖離す開闢の星』‼︎」
「あ」
座布団が思いっきり振り下ろされた。
とても座布団とは思えない威力の宝具が俺の脳天に突き刺さり、その場で突っ伏してる俺を気にも止めずに、文香は鞄の中から下着だけ取り出した。
「お先にお風呂いただきます」
「……へっ?」
「失礼します」
待て待て。「お先にお風呂失礼します」だと? それはつまり……最初から文香は一人で風呂に入る予定だったってのか……?
なのに俺だけなんか一人でムズムズしてバカみたいじゃねぇか……! 大体、それじゃあ風呂付きの部屋に入った意味がない。まさか、ほんとにインパクトを求めるためだけに……?
この野郎、期待させやがって……! 頭に来たぞ。
「……覗いてやる」
文香は部屋のカーテンを閉めていった。しかし、カーテンの開閉は部屋の内側にいるこっちの主導権だ。だからこそ、こちらから……というのはもちろん愚かな選択だ。
俺がするべきはカーテンからではなく、堂々と入口からだ。脱衣所からの覗きというのも斬新だろう。普通は脱衣所にも入らないし。
抜き足差し足忍び足で脱衣所に入った。籠の中には文香が脱いだ服や下着が綺麗に畳まれて置いてある。
「……」
……そういえば、文香の下着ってこうしてまじまじ見るの初めてだな。普段、洗濯する時はなるべく意識しないようにパパッと済ませてるし。
しかし、今の俺は文香に復讐すべく現界したアベンジャー。ここは一つ、匂いの一つでも嗅いでやろうか。
そう決めて、パンツを手に取った。薄いピンクの紐パンである。本当に文香は中身もムッツリになったものだ。
「……んっ?」
……あ、女の子も陰毛って抜けるんだ……。どうしよう、パンツよりこっちの方がよっぽど興奮するな……。
うん、流石に匂いを嗅ぐのは我慢しよう。なんか陰毛を見てしまってから言うのも遅いけど、これで匂い嗅いだら終わりな気がする。
何より、今の目標は文香の裸体だ。
温泉へ繋がる一枚の扉、女性の身体を護るには取るに足らない、薄い壁だ。
しかし、その薄き盾にも仕掛けがあれば話は別だ。壁の向こうに行くのは簡単だが、向こうに行かずに中の様子を眺めるとなれば話は変わってくる。
物体に力が加わるだけで発生する「音」を殺し、中にいる文香に一切、気付かれる事なく、扉を若干、開いて中の様子を観察する。
……顔を出すのは無理だな。それだけで気付かれる。女性は自分の胸や脚への視線には敏感らしい。
なら、こちらは文明の利器を使うまでだ。そう、スマートフォンだ。スマホと言う奴は便利なもので、先端にカメラが付いている。つまり、扉からはみ出る部位は限りなく少ないのだ。
しかも、形状はかなり薄いため、扉を開ける幅も狭く済む。
「……ふっ」
完璧過ぎて自分が怖い。
早速、扉の音を殺して、なるべく低い位置から隙間からスマホの先端部位のみをはみ出させ、俺も画面が見やすいように脱衣所で寝転がった。もちろん、流石に撮影は自重する。ただ、裸体を拝みに来ただけだ。
カメラを起動したスマホの画面を眺める。どうやら、まだ温泉には浸かっていないようで、その姿はない。若干、カメラを動かしたが、シャワーの前にも文香の姿はない。
……あれ? じゃあ文香は何処に……。
ぽかんとした時だ。俺の手元のスマホに別の箇所から衝撃が走り、お風呂場の中にカラカラカラっと転がった。
直後、嫌な予感が俺の脳天から浸透し、ガラッと勢い良く扉が開いた。
「……」
「……」
しっかりと身体にタオルを巻いた文香が、目の前でオケを担いで立っていた。
下から見上げる角度にはもちろん気を付けているようで、タオルの下から陰部が見える、なんてこともない。代わりに、長い前髪の下からガッツリと冷たい視線が俺に突き刺さっていた。
「……なんで分かったの?」
「勘です。なんか千秋くんの様子がおかしかったので、何となく仕返しに来るかと」
「……」
恐ろしい彼女だ。
「……覚悟は良いですね?」
「……あまり痛くしな」
「『約束された勝利の剣』」
オケが振り下ろされた。
×××
「ってて……ったく、本気で殴るか普通……?」
温泉で顔を抑えながら、俺は星空を眺めていた。まぁ、確かに俺でも怒ると思うけどよ……。
でも、いくらなんでもやり過ぎだろ。良い歳して泣きそうになったわ。というか泣けば少しは向こうの怒りも収まって……いや、収まらないだろうな、あれは。
現在、部屋で文香は一人、プリプリと怒りながら俺のSw○tchでファ○トナイトをやっている。ポケットWi-Fiだから通信感度はかなり悪いだろうにな……。
しかし、これは流石に俺も謝らないとなぁ……。今にして思えば、俺のテンションかなり壊れてたんだろうな。たまにこういうことがあるから俺って人間は怖い。
……まぁ、でもすぐに仲直りできるだろう。お互いの性癖はお互いすでに理解しているし、心から謝れば、成績以外のことなら文香はちゃんと許してくれる。もうそういう仲だ、俺達は。
反省すべき点はしなきゃいけないんだけどな。特に、今、経験して思ったが、外での風呂も悪くない。温泉が好きではない俺だったが、どうにも考えを改めそうだ。文香には感謝しなければならない。
東京以外の星空を温泉に入りながら眺めるなんてそう出来る経験ではない。悪くない、うん。実に悪くない……。ユクモ村の温泉はこんな感じなのかもしれん……。
そんなことを考えながらのんびりと目を閉じ、小さく伸びをした。
「ふぅ……」
……そろそろ上がるか。文香に謝らなきゃいけないし、それにそろそろ堪能しただろうし。
湯船から出てタオルを絞り、自分の身体を拭いて再び絞り、最後に絞ったタオルを腰に巻いて脱衣所の扉を開けた。
「あっ」
俺のパンツを手に持ってる文香と遭遇した。これから履こうとしてた方ではなく、今日1日履いていた方を持っている。
お風呂上がりだからか、髪をアップにしてお淑やかに見えるのに、顔を真っ赤にしてパンツを握ってどうしようもない文香に、俺は呆れ気味にぶちまけた。
「勘で相手の行動が読めるのは自分だけだと思ったか?」
「……す、すみませんでした」
「嗅いでて良いよ。ただし、脱衣所から出て」
「オーバーキルやめて下さい!」
パンツを捨てて脱衣所から出て行ったので、俺も体を拭いてさっさと着替えて脱衣所を出た。
うん、これでお互い様だし、仲直りはもっとしやすくなった。
「あ、あの……千秋くん」
「お互い様だから。それより、髪乾かして」
「……もう、私がいないと何も出来ないんですから」
髪を乾かしてもらうのは日課になりつつある。
文香も苦笑して、ドライヤーを使って俺の頭に暖かい風をあてがってくれた。
「速水さんに言われてようやく髪を乾かすことを覚えた奴に言われてもな」
「……うるさいです」
基本的に髪を触れるのは好きではないが、文香の場合は別だ。さっさっと髪の間に指を通されるのはくすぐったくて心地良い。
あまりに心地良すぎて、後ろにそのまま倒れ込み、文香の膝の上に頭を置いた。
「んー……」
「あっ、も、もう……まだ半乾きなのに……」
そう言いながらも、下から見上げる文香の顔は満更でもなさそうだ。
まるで手のかかる子供に接するような笑みを浮かべて、俺の頭を優しく撫でてくれた。
「……甘えん坊ですね」
「たまには良いでしょ」
「はい……。たまには、甘えて下さい」
いつも甘やかしてるからなぁ。文香の部屋の炊事洗濯掃除ほとんど俺がやってる。
と、いうのも、文香が休日の時は思いっきり二人でイチャイチャ出来るように、だ。家事で休日がつぶれるのはもったいない。
他にも、文香に楽をして欲しいとか色々あるが、まぁ一番は頑張ってる文香にしてやれることなんて家事くらいだからかな。
だから、今日はうんと甘えてやろうと思い、とりあえず膝枕してもらいながら、ふと気になったことを聞いた。
「そういえばさ、文香。なんで風呂付きの部屋にしたん?」
もうお互いに温泉に入り終えた後だ。これから一緒に風呂に入ることはないと踏んで聞いてみた。
「サプライズのためだけ、ってことはないでしょ?」
「……はい。もちろん、一緒にお風呂に入ろうと思ってましたよ?」
……おいおい、マジかよ。相変わらず気を許した相手にはオープンな奴だ。
「……たまには、そういうのも良いと思いましたから」
「ったく……この野郎」
「……ですが、流石にエヌマってから一緒にお風呂に入る気にはなれなかったので」
「あそう……」
ていうか、エヌマるって何? そんな造語ねぇだろ。
しかし、元からそのつもりだったのなら、俺は俺で堂々としてりゃ良かったな。そうすれば、文香と一緒に風呂に……クッ!
「……ふふ、もしかして、様子がおかしかったのはお風呂のことでずっとテンパってたからですか?」
「……るせーよ」
「……相変わらず、なんだかんだ言って私よりも照れ屋さんですよね?」
「ほんとにうるせーよ……」
この野郎……。誰だ、文香に人のからかい方を教えた奴は。……俺だな、間違いなく。
あー……結局、文香の掌の上だったわけか。なんだか癪だな、色々と。正直、悔しい。よし、こっちも一つ仕返ししてやろう。
立ち上がりながら、撫でてくれている文香の手を握った。
「そうだ、文香。それなら一緒に風呂入る?」
「へっ……? い、今から、ですか……?」
「そう」
「で、でもっ……もう、髪を乾かしてしまいましたし……!」
「また乾かせば良くね?」
「ち、千秋くんはそうかもしれませんが、私の髪は長いから……!」
「大丈夫、あんま濡らさないから。ほら、行こう」
「ええっ⁉︎ で、ですが……!」
「ごちゃごちゃ言うな」
徐々に顔が真っ赤になっていく文香。髪はアップになってるから髪を整える必要はない。
無理矢理、脱衣所の中に連れて行った。普段ならもっと抵抗するのにその力が小さい辺り、ほんとは嫌じゃないんだろう。
「ま、待ってください! そんな急に……!」
「いいから、女なら覚悟決めろって。まぁ、覚悟決めるようなことじゃないけど」
「ど、どういう……!」
浴衣を脱ぐこともなく、温泉に入った。そろそろ文香は俺の意図を察したはずだ。
「……ま、まさか……このまま温泉に入って、濡れ浴衣で透かすつもりですかっ……?」
「違ぇよ」
「そ、そんなのっ……宿の方に迷惑です!」
「自宅だったらやるのかよ」
「っ……ち、千秋くんが、お願いするなら……」
「……」
誰だよ、文香をこんなんにした奴。いや、これはこれで可愛いが。
「そういうんじゃなくて、足だけ浸かれば良いだろ」
「……へっ?」
「湯煙で多少、髪は濡れるかもしんないけど、まぁ基本は脚だけだし、温泉には浸かれてるし、良いでしょ」
「……な、なるほど……」
というか、普通はこっちが先に出ると思うんだけどね。文香の思考をここまで汚くした人物を、俺は断じて許さない。
「……では、入りましょうか」
「んっ」
二人で足をお湯に浸けて、岩の上に腰を下ろした。夜空には相変わらず、星空が広がっていて、まさしく「星が降るようで」という表現に適していると言えるほどだった。
すっと文香は俺の右手に手を絡めて来て、肩の上に頭を置く。その頭を後ろから撫でてやった。
「ふふっ……千秋くん」
「……文香」
「んっ……」
撫でやすいように俺の肩に頭を擦り付ける文香。その仕草が、足に頭を擦りつける猫みたいだった。
「やっぱ可愛いなお前」
「千秋くんに言われたくないです」
「……どういう意味だよ」
「……千秋くんも、可愛いってことです」
そのままの意味かよ……。
「……千秋くん」
「何?」
「……今年度も、よろしくお願いします」
「……んっ」
「受験、頑張りましょうね」
「…………んっ」
「間がありましたね」
そんな話をしながら、そのまま二人でのんびりと足を湯に浸けた。