修学旅行はいよいよ明日になった。学校では修学旅行の準備も忙しくなっていた。まぁ、行くルートの見直しだの、首里城やひめゆりの塔とか、クラスごとに回る場所の歴史の調べだの、沖縄戦のDVDだのと、そんなもんだ。現在はしおりの最後の確認である。
ま、何にせよ俺には関係ない。風邪を引く予定だからな。前日の氷風呂や冷えピタの準備は着実に進めている。
悪いな、みんな。俺は不参加して文香(結局呼び捨てになった)と五日間、イチャイチャさせてもらうぜ。
「………と、いうわけだ。トランプやウノならまだ良いが、ゲームとか漫画は持って来ないように、良いな?」
学年主任の先生の台詞で、ようやく終わった。そんな何度も何度も読み返さなくてもしおりに書いてあんだから必要ねーだろとは思うが、これで授業が潰れるなら何よりだ。
体育館からクラスごとに出て行って、俺のクラスは出口から一番遠いので一番最後になった。
ぼんやり待機してるうちに、隣のクラスが立ち上がった。
「ね、鷹宮くん」
「ん?」
三村さんが声をかけて来た。名前順的にお前俺より後ろの方だろ、なんで何食わぬ顔で隣まで来てんの?
「良かったの?結局、行きたい場所とか全然言わなかったけど」
「良いんだよ。気にしなくて。俺は希望とかないし」
何処に行っても同じだからな。いや、何処にも行かない、ってのが正確か。悪いな、せっかく班に誘ってくれたのに。でも、三村さんだって余ってたから俺誘ってくれただけでしょ?いてもいなくても同じだろ?俺なんか。
「………でも、鷹宮くんも班員なんだし……」
「気にしなくて良いって。俺は沖縄より京都奈良派だからさ、沖縄ならぶっちゃけどこ行っても同じだから」
「………うん、わかった」
そんな事を話してると、うちのクラスも体育館から出る事になった。体育館を出ると、体育館に入る時よりも肌寒く感じた。空を見上げると、ポツポツと雨が降って来ていた。
「………あっ、雨……」
三村さんが隣で切なそうに呟いた。良かったー、折りたたみ持って来といて。でも、洗濯物死んでるな。………帰るのが憂鬱だ。
「はぁ………」
面倒臭っ………。
教室に戻り、帰りのホームルームが終わり、俺は帰ることにした。明日、旅立つ前に文香成分を補充しないと。
帰りの準備を済ませると、鞄から折りたたみ傘だけ取り出して、教室を出ようとした。だが、三村さんがボーッと空を見ているのが見えた。
「……………」
前までの俺なら気にしないのだが、文香と付き合い始めたからか、少し気になった。
「何してんの?帰らんの?」
聞いてみると、三村さんは頬を掻きながら答えた。
「実は、傘持って来てなくて……」
「あら、そうなん?」
「うん……。どうしよう、この後事務所行かないといけないのに……」
「? 事務所?」
「あ、ううん。なんでもないんだ」
文香みたいなこと言うな、この人。もしかしてこの人も……なんてありえないよね。アイドルがそんなそこら中にゴロゴロいてたまるかってんだよ。
ま、何にせよ明日は修学旅行だ。三村さんに風邪を引かせるわけにはいかない。
「これ、使って良いよ」
「へっ?」
「じゃ、俺帰るから」
「ちょっ……鷹宮くんっ?」
傘を三村さんの近くの机に置くと、俺は教室を出た。これで、明日風邪を引ければ最高だ。
さて、雷雨決行だ。雷は鳴ってないけど。雨の中を走り始めようとした直後、グイッと襟を引っ張られた。お陰で、喉がしまって「グェッ」とカエルのような声を出してしまった。
「ま、待って!」
後ろを見ると、三村さんが立っていた。
「ェホッ!ェゲフッ!……な、何すんだよ……」
「ご、ごめんね?でも……流石に悪いから、せめて一緒に帰ろうよ」
「いやいや、一緒にって……傘一本しかないのに」
三村さんは俺の傘をさすと、一人分のスペースを空けた。ああ、やっぱりそういうことか……。
「ほら、行こ?」
「………は、はぁ」
もう仕方ないや、行こう。文香さんに見られたら怒られるけど、まぁそれなりの理由があるし、大丈夫だろう。
俺が傘を持って、学校を出た。にしても、流石に家まで送るのはヤバイよなぁ。テキトーなところで別れないと。
「鷹宮くん、一応言うけど」
「? 何?」
「逃げたら怒るからね」
「……………」
「明日は修学旅行なんだから」
………いや、途中で逃げるよ俺は。だって、文香に見つかる方が怖いもん。こういう場合、大抵フラグとして文香は近くにいる。見つかるのも時間の問題だ。テキトーなところで傘を持たせて逃げよう。
しばらく歩いてると、自販機があった。こいつは使える。
「ごめん、ちょっとこれ持ってて」
「あ、うん」
傘を持ってもらい、俺は自販機でコンポタを二本買い、一本差し出した。
「はい、これ」
「………あ、ありがとう。ちょうど、肌寒い季節になったもんね」
「ああ。じゃ、俺帰るわ」
「へっ?」
俺は傘の下から飛び出した。
「ちょっ、鷹宮くん!」
「あばよーとっつぁーん!」
「明日、怒るからねー‼︎………まったく」
自宅に向かって走った。よし、これで大丈夫。これで文香に見つからなければ大丈夫。
しばらく走ってると、見覚えのある背中が傘をさして歩いてるのが見えた。どう見ても文香だ。一瞬、冷やっとしたけど、走り始めてから2分ほど経っている。見られたとは限らない。
俺は後ろからその傘に入り込んだ。
「すみません、文香。傘の中入れて下さいっ」
「ひゃっ⁉︎……ち、千秋くん……?どうしたんですか?」
「傘持って来てなくて……」
「………へー、そうなんですか」
あれっ、なんか怒ってるのかな。まぁ良いか。
「すみませんっ……。何処に向かってます?俺ん家?文香ん家?」
「………千秋くんの方です」
「じゃ、先に俺家帰ってお茶淹れときますね」
「……だ、ダメです。風邪引いちゃいますよ」
「いやいや、それより文香と二人で相合傘なんてしてる方がマズイでしょう。周りの人達に知られたら……」
「………大丈夫です。私、前髪おろして眼鏡かけてると、まったくの別人に見えるらしいんです」
「そうなんですか?」
「………はい。ですから、このままでいたいです」
さりげなく俺に一歩寄ってきて、肩をくっ付ける文香。俺は文香の持つ傘を持った。
「持ちますよ」
「………千秋くんも、大分恋人っぽいことするようになりましたね、照れが残ってますが」
「……………」
文香は俺をニヤニヤした顔で見たが、もうからかわれるのも慣れたので黙ってることにした。
自宅に向かって歩いてると、ふと公園の草を見た。そこに、一匹カエルが止まってるのが見えた。
「あ、カエル」
カエルって冬は冬眠してるんじゃなかった……?と、思ったが、まだ11月だった。カエルを持つと文香に見せた。
「文香、カエル」
「………あら、可愛いですね」
そう言いながら、文香はいつの間にか遠くに離れていた。
「って、文香!濡れてる濡れてる!傘、傘!」
「……そうですね」
「いや、いいともじゃないんだから!」
だが、追っても離れる文香。その視線は、俺の持つカエルに向いていた。………あ、もしかしてこの人。
「カエル、ダメなんですか?」
「…………いえ、その……ダメというか」
「ケロロ軍曹見たのに?」
「………それは関係ないかと。ただ、見るぶんには良いのですが、触るのは………」
この時、俺はどんな顔をしていたのだろうか。多分、すごい意地悪な顔。文香がビクッと肩を震わせるくらいには。
俺はカエルを持って文香に突撃した。
「我輩、ガマ星雲第58番惑星、宇宙侵攻軍特殊先行工作部隊隊長、ケロロ軍曹であります!」
「きゃっ……⁉︎ぼ、ボケガエル!いい加減にしなさい‼︎」
日向家長女にも負けない威力の拳が俺の溝を的確に捉えた。俺はその場で前のめりに倒れ込みそうになったが、なんとか膝立ちで耐えた。カエルは逃げていった。
俺の前に、文香は仁王立ちして立った。
「………何か言うことは?」
「………調子に乗ってすみませんでした」
「………はい」
肩を借りて、結局傘も文香がさして家に到着した。
帰宅すると、まず雨にガッツリ濡れた俺は風呂、文香はタオルで良い、との事で風呂には入らなかった。別に一緒に入りたかったわけじゃないってばよ。
シャワーを浴び終えて、頭を拭きながら洗面所を出た。部屋では文香が正座して待っていた。
「ふぅ……お待たせしました。なんか飲みます?」
「………お茶をお願いします」
との事で、麦茶を入れて俺も座った。
「それで、何のご用ですか?」
いや、大体分かってるけど。多分、俺の成分でも貯めに来たとかそんなんだろ。
「………いえ、明日から修学旅行との事なので、ちゃんと準備はしているのかな、と思いまして、様子を見に来ました」
「母ちゃんかよ………。俺は割と自分のことはしっかりしてる人なんだけど」
「………期末テストほぼほぼ一桁の人の台詞ですか」
「いや、まぁでもちゃんと準備は済ませてあるんで」
「……それなら良いですけど」
「他に用は?」
「………ありませんよ?」
「え、え、え?」
え、な、ないの?夏休み入る前はあんなに求めて来たくせに………?
「………あの、俺明日から五日間……」
「……知っています。修学旅行ですよね?」
「………大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
なんだよ。まぁ、俺も風邪引くから別に平気だけど。………あれ、もしかして、風邪引く予定なのバレてる?もしくは、三村さんと一緒に帰ってたことも………。
「…………」
いやいやいや、落ち着け。文香は誕生日パーティー以来、俺の部屋には来ていない。それからはまた文香の家で遊んだらアニメ見たりゲームしたり噛んだり匂い嗅いだりしてたから。だから、氷や冷えピタがバレている事はない。
三村さんと帰っていた事だって、文香なら正面から何か言って来るはずだ。問題はないはず………。
「………千秋くんは大丈夫ですか?」
「何が?」
「………そ、そのっ……ふ、ふみふみ成分は……」
かわいい!何そのふみふみ成分って⁉︎成分関係無しに抱き締めたい!ていうか、抱き締めても良いよね!俺も成分足りないことにすれば良いだけだし、何より成分取らないと怪しまれるかもしれないしね!
「………じ、じゃあ、その……失礼します」
俺がそう言うと、文香は両手を広げた。俺がハグをしようとした時、文香は少し膝立ちになった。お陰で俺の顔は文香の胸に埋める形になった。
「っ⁉︎」
「………ふふ、どうですか?」
「……っ!」
どうですかって、声出せねえよ!パイ圧が、すごい……!間近で感じるとこんなにすごいのかこの人!苦しさが気持ちよさに変わって来やがる……!
って、そうじゃねぇ!なんの真似だ⁉︎
「んーっ!んーっ!」
「………ふふ、楽しそうでしたね。クラスメートと相合傘までしてましたからね」
「っ⁉︎」
み、見られてたぁあーーーッ⁉︎
「………楽しそうに二人で歩いて。まるで恋人同士のようでした」
か、完全にヤキモチを……!ちょっと嬉しいけどそれ以上に怖い。
「んー!んー!」
「………なんですか?言い訳があるなら聞きますよ?」
ならまず離せよ!という、俺の思いが通じたのか、離してもらった。
「………柔らかかった……」
「………もう一回やります?」
「お願いします」
「………そうですね、同じ事しても面白くありませんから、スネークさんのようにCQCというのはどうでしょう?」
「………ごめんなさい、勘弁して下さい」
CQCって……締め上げられたまま話さなきゃいけないのかよ……。
「………その、三村さんっていうんですけど、三村さん傘忘れたみたいで……本当は、傘だけ貸して帰るつもりだったんですけど、一緒に帰らないと怒るって言うから……で、でも俺なりに考えて、文香に見られたら傷付けると思って、途中で抜けてきたんです!」
「…………わかってます」
「………わかってたの?」
「………はい。だけど、やっぱり腹立たしくて……」
「…………すみません」
断り切れなかった俺が悪い。
「………でも、千秋くんも断ろうとしていたようですし、その件は大丈夫です」
「………良いんですか?」
「………ええ、その件は」
…………その件は?え、じゃあ他に何かあんの?
「………なんで、風邪引くかもしれないのに傘から飛び出して行ったんですか」
「…………えっ」
「………明日から修学旅行、一生に一度の思い出なのに、何故それを放り投げるような真似をしたんですか」
「………あー」
正直、サボろうと思ってた、とは言えなかった。
「…………もしかして、明日の修学旅行、わざと風邪引いてサボるつもりでしたか?」
「…………違うヨ?(裏声)」
「………学祭や体育祭もサボろうとしてた癖に?」
「……………」
「………確かに、明日から離れ離れは寂しいですけど、私との思い出と学校での思い出はそれぞれ持っておくべきです!」
「………すみません」
バレた……クッソ!前日で抜かったか………!これで明日サボったら嫌われそうだなぁ………。仕方ない、諦めるか。
「………氷、どうしよう」
「? 氷って何ですか?」
「………いえ、文香の言う通り、修学旅行は風邪引く予定でしたから、冷凍庫に大量の氷が置いてありまして」
「………大量って、どのくらい?」
「………10月からコツコツ溜めてたんですよ。うちの氷作るトレー40枚分くらい」
「…………バカじゃないですか?」
「………すみません」
「……まったく、こんな事でそんな無駄な執念を……ま、まぁ、それだけ私と離れたくなかった、と思えば悪い気はしませんが……」
「……………」
なんで怒ってる最中に照れてんだよ。可愛いからやめてくれ。
とにかく、氷どうしよう。これからは冬だし、氷使う機会なんて………。
「………仕方ありませんね、少し私が氷を引き取ります」
「マジですか⁉︎」
「………次はありませんからね」
「ありがとうございます!文香さん大好きー!」
「大っ……!べ、ベルくんの真似しなくて結構です!」
分かっちゃったよこの人………。てか、分かってるのに照れるなよ……。
でも、それで明日から五日間、文香と会えないのか……。何というか、我ながら情けないが寂しい……。
「………ね、文香」
「? 何ですか?」
「………もっかい、成分補充しても良いですか?」
「………どうぞ。匂いも嗅ぎますか?」
「………お願いします」
また飛び付いた。
明日から、修学旅行だ。