鷺沢さんがオタク化したのは俺の所為じゃない。   作:バナハロ

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はい、勢いでやっちゃいましたー。
やるなら今しかないと思った。


 朝、目を覚ますと、まず目に入ったのは隣で寝息を立てている文香だった。相変わらず、俺より年上とは思えない程、幼い寝顔をしている。20超えてこんな純粋無垢な寝息を立てられる人も、そうそういないだろう。

 さて、とはいえいつまでも眠ってはいられない。そろそろ仕事だし、朝飯や朝のうちにやっておきたい事もある。

 身体を起こそうとすると、ふとモゾモゾと俺と文香の間で何か揺れるのを感じた。何事? と見下ろすと、そこで寝息を立てているのは、香奈美だった。今年で4歳の娘。俺の腕にしがみつき、口元から小さく涎を垂らしている。このパジャマ、もう二度と洗わない。

 

「……」

 

 ふぅ、熟睡してやがんなぁ……。どうしよう、これ。もうそろそろ起きないと、時間的にもヤバい。保育園に送る時間があるから、文香も早く起こさないと……。

 

「んんっ……パパ、しゅき……」

 

 現在、時刻は6:45。普段の起床予定時刻だが、余裕を持っての設定時刻だ。朝飯は7時からじゃないと間に合わない。それも、作り始めではなく食べ始めるのが7時だ。

 が、朝飯はパンとサラダを味噌汁。パンはトースターに放り込み、味噌汁は昨日の奴を火に通せば良いし、サラダは刻むだけ。5分かからない。

 女の子だから、文香が香奈美の身嗜みを整えるのだが、整えてから飯にすると、たまに髪や服に溢した食べ物がついてしまう。従って、飯の後に身嗜みを整えるようにしている。

 つまり、朝飯の前に香奈美がやる事は何もない。つまり、もう少し堪能してても平気だよね。

 全力で頭の中で計算を終えると、文香と香奈美が同じ顔して寝息を立てている所を見下ろす。

 

「……」

 

 結婚して、早5年。シンデレラガールと俺の間には、お子さんが出来ていた。

 

 ×××

 

 俺と文香は、側から見ればすでに結婚しているように見えていたらしい。そりゃそうだよね。だってほら、高二の頃からほぼ同棲していて、大学でも同じ。

 何なら、大学卒業したら結婚の約束をして、それに備えてバイトや仕事でお金を貯めることさえしていた。

 お互いの両親に挨拶も終えていたし、式場も押さえていた。で、速攻結婚し、子供が出来た。

 俺の就職先は346事務所の事務員。高二以来、色々とバイトしているうちに、なんか信頼と実績を得て、就活するまでもなく就職が決まっていた。

 

「千秋さん、この後の予定はなんですか?」

 

 で、事務員なのに俺は一人の女の子の担当のように仕事をさせられていた。その子は、橘ありす(22)。いやー、この子成長したよ。前まで文香のこと大好きで、大人になろうと必死な女の子だったのに、今では本当に大人っぽくなってしまっている。

 自分のスケジュール管理くらい余裕でこなし、他の子供アイドルの面倒を見ていて、大学生活をしていたときは、見事に両立させていた。ただし、いまだにブラックコーヒーは飲めない。俺と一緒だ。

 

「この後? 帰るだけだよ。てか、18時から仕事は無いでしょ」

「そっちではありません。千秋さんが帰ってからの予定です」

「え、普通に飯だけど……あ、もしかして文香にまた会いたい?」

「いえ、どちらかと言うと香奈美ちゃんに……」

 

 そういえば、この子は香奈美を溺愛してたっけ。文香と本当の姉妹のように仲良かったから、まるで姪っ子でも出来たような感覚なのだろう。

 

「ちょっと待って。文香に聞いてみるから」

 

 電話を掛けた。1コールした辺りで早くも応答がある。

 

『もしもし! ママです!』

 

 ああ、香奈美の声だ……可愛いなぁ、相変わらず。全然、似てないのに真似しちゃうあたりがもう可愛い。

 

「ああ、ママか。ありすがうちに遊びに来たいそうなんだけど、どうする?」

『え、ありすお姉ちゃんくりゅの⁉︎』

 

 ふっ、全く文香に擬態する気がなくて可愛いぜ。もはやほっこりしてしまう。

 そんな中、ありすが俺の袖をくいっくいっと引く。その目は爛々としたい。何故なら、電話の向こうにいるのが香奈美である事に気付いたからだろう。

 

「代わって下さい」

 

 何処まで可愛がってんだよお前は。まぁ、俺はいつでも香奈美と話せるが、ありすはそうもいかないからな。話せる時は話したいと考えているのだろう。

 

「だが断る!」

「っ! かーわーっーてー!」

「ダーメーでーすー!」

 

 娘と電話越しで話すことなんて滅多にないんだ。こんなチャンス、逃してたまるか! 

 背伸びをして俺からスマホを奪おうとするありすを無視して、とりあえず文香が出ている体で香奈美に声を掛けた。

 

「ママ、良いかな? ありすを連れて行っても」

『え? あ……え、ええっ。いいわよっ……』

 

 お前は毎日、文香の何を見てるんだ。大人っぽい口調だけど、文香はそんな口調じゃない。

 

「10秒! 10秒で良いので!」

「10年早いわ!」

「10年経っても10秒しか電話しちゃいけないと⁉︎」

 

 こっちはこっちでうるせーな。今から会いに行くんだろうが、まったく。

 とりあえず、さっさと話を進めよう。香奈美に結論を出すように言った。

 

「そっか。じゃあ連れて行……」

『コラ、カナちゃん。勝手にママの電話に出てはいけませんっ』

『あっ、やべっ……』

『あと、パパの口調も真似してはダメです』

 

 あ、やべっ……文香だ。

 

『もしもし?』

「あ、文香?」

『まさか、今カナちゃんに許可を取ってお客さんを連れて来ようとしたわけではありませんよね?』

 

 ……あ、やべっ。おこだ。

 

「そ、そんなわけないでしょ? 改めて確認するつもりだったって」

『……なら良いけど。それで、ありすちゃんも来たいと?』

「うん。香奈美に会いたいって」

『どうぞ。では、晩御飯は四人分という事で。三人分の仕込みを終えたタイミングで』

 

 あ……す、すまんね。でも、俺が主夫やってた時も、唐突に文香が連れてきたお客さんのために調理の分増やしたこともあったよね? イーブンだよね? 

 

「わ、悪かったよ……急で。何せ俺も急に今、言われたもんだから……」

「なんですか、その言い方? 私が悪いんですか? ていうか、早く香奈美ちゃんと話させてください」

「どんだけ執着してんだよ!」

「代わってくれないと、今から抱きつきますよ!」

「やめろ! それやって夜、殺されるのはお前じゃなくて俺の方……」

『ふふ、担当の子と浮気でもするおつもりですか? 良い度胸ですね』

「違うから!」

 

 だーもう、めんどくせえな! なんか幸せな生活の一部分一部分に地雷が埋まってるの何なの⁉︎

 

「文香、ありすが香奈美と話したいって言うんだけど」

『はいはい。今、代わるね』

「悪いな」

『私達も帰ったら、お話ししましょうね?』

 

 ……怒ってるよ。ホント、色々あったからな……。高校の時、色んな嘘をついて自分の首を絞めているから、色んな意味で信用が無いのだ。

 とりあえず、俺はスマホをありすに手渡した。スマホは、家に帰るまで俺の手元に返って来なかった。

 

 ×××

 

 自宅はまだマンション。けど、もうそろそろ一軒家を買えそうなくらい貯まる為、引っ越しも視野に入れている。

 

「たでーまー」

 

 言いながら玄関を開けると、トタトタと辿々しい足音と共に出迎えてくれる、可愛い影があった。

 

「おかえいー!」

「おお。来たな」

 

 屈んで抱き上げる。完全に母親似で、瞳の色は青く、前髪も長めで趣味も読書。髪も首の後ろくらいまで伸びていて、ヘアバンドをつけたらそのまま小型文香に見えるくらいだ。

 

「ほら、ありすおばちゃん来てるぞ」

「誰がおばちゃんですか、誰が」

「あいすおばたん!」

「はい、おばたんですよー」

 

 頭を撫でてやりながら、後ろにいるありすにも香奈美を抱っこさせてあげる。うちの娘に言われれば一発でおばたんを認めてしまうが、後ろから俺の脹脛を蹴っているので、全然認めてなかった。

 そんな中、ふと耳に届いたのは新たな足音。香奈美と比べて大人っぽく重たい足音がするが、それは大人なのだから当然だ。

 地味なロングスカートに、地味なノースリーブのニット、その上に薄い生地のシャツを羽織っている。全体的に地味だが、数年前とは違って「自分には地味なものしか似合わない」と言うより「年相応に合わせた服装」という主旨で選ばれた服は、自身が持つ綺麗さを際立たせている。

 そこに立っていたのは、鷺沢文香。俺の三つ上の奥さんで、現在はモデル業を中心に活動しているシンデレラガールだ。

 その物腰柔らかな表情は優しくにこりと微笑み、綺麗な唇からいつもの挨拶を告げた。

 

「おかえりなさい」

「ただいま」

 

 俺もいつも通りに挨拶をした。

 靴を脱ぎ、玄関を上がると文香は俺に声を掛ける。

 

「まずは、手洗いとうがいです。その後、ご飯にしましょう? ありすちゃんも、良いですね?」

「あ、はい。お久しぶりです、文香さん!」

「そうですね。一週間ぶりですね?」

 

 全然、久しぶりじゃねえな。高頻度で来たがるもんだから、この子……。まぁ全然、良いんだけどね? 

 さて、手洗いうがいを済ませて早速、食卓につく。四人で机を囲んで、文香が作った料理を前にする。

 

「では、いただきましょうか」

「いただきます」

「いただきます」

「いただいまう!」

 

 早速、唐揚げを摘んだ。今では、文香も普通に料理を作るようになった。前みたいに男女の立ち位置逆転問題は、もう起こっていない。

 

「あー、美味っ」

「ふふ。美味しいね、香奈美ちゃん?」

「うん! おいひい……! サクサクのころもを噛みしめると、中からあふえてくるアフアフの肉汁が……あちちっ」

「ちょっ、気を付けて食べようね? 千秋さん、氷お願いします」

「はいはい」

「香奈美ちゃん、ぺっして、ぺって」

「ぷぇっ……」

 

 しかし、保育園生とは思えない語彙力である。流石、文香の娘だ。

 感心しながら、冷凍庫から氷を取り出し、コップに入れて持って来る。

 

「香奈美、あーん……」

「あー……ひゃっ、ふふぇはい……!」

「我慢。火傷したら唐揚げ食いにくくなるぞ」

「ふぁーい……」

 

 口の中で、ハフハフと氷を舐め回す香奈美。

 

「ありがとうございます、ありすちゃん」

「いえいえ、こんなに可愛い子のためなら、私は泥でも何でも被ります!」

「いやそんな決意されても困るんだけどな……」

「でも、やっぱり香奈美ちゃんも唐揚げ好きなんですね」

 

 まぁ、俺と文香の娘だからな。好みは基本、遺伝されるのだろう。多分、アニメとか漫画好きになるぞ。

 

「昔はよく俺も唐揚げ作ってたよな。文香も喜んでくれてたし」

「私は、別に唐揚げ自体が好きなわけでは……」

「え、そうなん?」

「ただ、千秋くんが作ってくれた唐揚げだから、好きだったの」

「昔は色々ありましたね……。千秋さんの料理が美味し過ぎて、文香さんの体重が増えてしまったり……」

「少しはカロリーを考えて料理を作って欲しかったな……」

「うるせ。俺は太った事ないから、よく分かんなかったんだよ」

 

 そんな話をしていると、氷を噛み砕いた香奈美が顔を上げる。

 

「えっ、パパもおりょーりできるの⁉︎」

「あん? ああ、そりゃあね。昔は俺の方がよく作ってたんだよ?」

「すごーい! ほいくえんのセンサーたちは、たまに『うちの旦那、料理全然出来ないのよ』って、たまにおはなししてるのに……!」

 

 なんて事を子供の前で愚痴るんだ。……いや、多分昼寝の時間に愚痴ってたのか? だとしたら、まぁ寝が浅いうちの子ならではなのかもしれない。

 

「千秋さん、本当にお料理上手なんだよ? 昔は、文香さんよりも千秋さんの方がおうちのことを色々、やっていたんです」

「ありすちゃん……あまり余計なことは……」

「そうだぞ、ありす。良い調子だ。本当はパパの方がすごいことを教えてやれ」

「あ、あなたまで……」

 

 あの頃の文香は、女子力俺より低かったからなぁ。まぁ、そんな恥ずかしがる事ではないさ。良い香奈美の反面教師だ。

 談笑している中、香奈美が笑顔で俺と文香に尋ねた。

 

「じゃあ、パパの唐揚げとママの唐揚げ、どっちがおいひい?」

「「……」」

「あっ……」

 

 俺と文香の間にスイッチが入ったのを察し、額に手を当てるありす。でももう遅い。聞かれた以上は白黒つける。

 

「俺の唐揚げのが美味いよ。料理歴が全然、ちがうから」

「いえいえ、私の方が美味しいと思うよ? もうずっと私が料理しているからね。ブランク空いてる人は勘を取り戻すだけでも時間が掛かるんじゃないかな?」

「料理は長期記憶だから。勘も何も無いから。その辺、分かってない人とは比べ物にならないよ」

「ふふ、どうかな? 試してみても良いんだよ?」

「……言ったな?」

「恥をかきたくなければやめておいた方が賢明じゃない?」

「上等」

 

 久しぶりだ。俺は立ち上がり、冷凍庫に向かう。

 もっさもっさと唐揚げを食べている香奈美を抱き上げたありすが、俺と文香に言った。

 

「では、勝った方が香奈美ちゃんと一緒にお風呂に入れる、ということで」

「「OK!」」

 

 この後、唐揚げの処理が大変だった。

 

 ×××

 

 お腹いっぱいになったありすを、俺が車で家まで送っている間、勝利した文香が香奈美をお風呂に入れている。空腹後に作ったほうが美味いと感じるのは当たり前でしょ……。

 とにかく、次にやるときは公平な勝負にする、と強く思いながら、再び家に戻ってきた。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

「香奈美は?」

「眠てる。今日は香奈美用の布団で」

「あそう」

 

 結婚してから、文香は俺に対してはタメ口を話すようになった。そんな事が、昔は馬鹿みたいに嬉しかったっけ。何処かにあった壁が、完全に消え失せたような感じがして。

 

「俺達も、さっさと寝よう。俺、風呂入ってくる」

「明日は、お仕事?」

「いや?」

「……そう。では、今夜……どう?」

 

 言いながら文香は、慈愛に近い笑みを浮かべて寝室を指す。結婚したからと言って、特に大きな変化があったわけではない俺と文香だが、子供が出来てある程度の変化は起きた。

 が、その中でも絶対不変、本当なら毎日やりたい所であった営みがもう一つあった。こればっかりは外せない、と決めていた大事なルール。これをしなければ、一週間は終わらない、とまで言えることだ。

 俺はシャワーを浴びにいき、文香は寝室に戻る。これからは夫婦なのだ。遠慮する事はない。

 

 ×××

 

「……クッ、そう来たか……」

「推しが亡くなるのは、いつ見てもなれませんね……」

 

 完徹して、撮り溜めしていた深夜アニメを一気見した。

 

 


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