AM6:30。俺は起床する。普通、女性の朝は男性よりも早く起きる。それは、化粧や髪を整える時間が必要だからだが、文香が俺よりゆっくり起きるのは、髪を整える事はできるが、化粧が出来ないからだ。
つまり、すっぴんで事務所に向かい、仕事がある時はスタイリストやらメイクの人やらに顔をやってもらう。
朝早くから、俺の日課は始まる。
「……」
とりあえず、眠っている文香の頭を撫でてあげる。いや、撫でてあげると言うより撫でたくて撫でているのだろう。寝ているときの方が、抵抗がなくて撫でやすい。あとヘアバンドが無い文香を撫でられるタイミングは、基本的にここだけだ。
このとても身嗜みに興味がないとは思えないほどサラサラな黒い髪、普段は大人びているが、寝顔にはどこか童顔さが残っていて、俺の三つ上とはとても思えない。特に、口元を若干、尖らせて「すぅ、すぅ……」と寝息を漏らしているのが異常に幼くて可愛い。
すると「んむっ……」と、女子大生から吐息が漏れる。目を覚ましたようだ。
「……悪い、起こしたか?」
確信犯である。あ、いやペルソナで学んだ限りだと、確信犯って「正しいと確信しての行動」だったかな? まぁ良いや。
とにかく、起きるのがわかってて撫でた。何故なら……。
「……? あ……ちあき、くん……」
「ああ、俺だよ」
「んー……」
「わっ、とと……」
頭を撫でて起こすと、彼女の甘えん坊な面が垣間見えるからだ。寝ぼけた様子でこっちに身を預けてくる。正面から、胸が当たるのも気にせずに、肩に顎を置いて抱き締めてくるのだ。
「文香ー? どしたー?」
「……んにゅ、おかあさん……」
「はいはい、お母さんですよー?」
適当に返しながら、寝惚けが解消されるまで待機。背中を軽くさする。少しでも長くこの状況を堪能するためだ。
そんな中、つっ……と、肩に何か触れる感覚。寝ぼけてる文香の口元から、涎が垂れたようだ。これはかなりレアである。
そのまま、10分が経過し、ようやく文香は目を覚ます。ボーッとした様子で目が少しずつ開いていく様子を、手鏡を使って観察した。ベッドの後ろに設置されている小さな鏡とスマホの自撮り機能を利用して確認する。可愛い。てか、よだれが少しえっち。
「っ……!」
やがて、自身の今の状況を把握した文香が頬を赤くして目を見開く。鏡があるのだから、そりゃそうだろう。
ガバッと俺から離れ、パジャマの裾でよだれを拭う。
「ち、千秋くん⁉︎ す、すみません……! 私、つい寝ぼけて……パジャマの肩の所、シミに……」
「大丈夫、安いもんだ」
「うう……は、恥ずかしい……」
ちなみに、こうなる事が分かっていて俺がやっている事に、文香はまだ気付いていない。今日ので76回目だが、まだまだ使えそうだ。
そんな中、文香は恥ずかしそうに頬を赤らめて、顔を隠す両手の指の隙間から青い瞳を覗かせながら、俺の顔を覗き込んだ。
「……私、他に何か……してしまいました、か……?」
「俺のことお母さんって呼んでた」
「っ、うう……羞恥心が、くすぐられるようです……」
今度は指を閉じて瞳をシャットアウトしつつ、俯く。ふっ、信じられるか? これが俺より三つ年上の女性なんだぜ……?
ほっこりしつつ、時刻を見た。もう6:50。だいぶ時間を使った。
「文香、それより髪整えて来な。もう時間ないよ。今日仕事でしょ?」
「あっ……は、はい……!」
「それともお母さんがやってあげようか?」
「〜〜〜っ!」
あ、怒った。俺の胸を両手でポカポカと叩く。可愛い。でも力はそれなりにあるから痛い。
「も、もう……意地悪……! 知りませんっ」
「ごめんごめん、朝飯何が良い?」
「……ホットケーキ」
「はいはい」
……割と時間食うな。速攻で終わらせなければ。
さて、文香が準備を済ませる間に、俺はホットケーキの準備と並行し、コーヒーを淹れる準備もする。
もう料理も慣れたもので、スイスイと手際良く進めていく。それでも余裕があるので、台所から文香の様子を観察する。
まず、寝室で着替えを済ませた文香は、いつもの肩が露出する服に、ロングスカート、ストールを装備する。綺麗だが、まだ髪は整えていないからボサボサで、ヘアバンドはつけずに手に持っている。
続いて、洗面所に入った。髪を整えにいったのだろう。その間に、俺は先にコーヒーをセットし終え、コーヒーメーカーの電源を入れる。
しばらくして、文香が洗面所から出てきた。寝癖は消え、ヘアバンドを巻き終え、もう完全にいつもの文香である。
その様子を眺めながら、ホットケーキのタネをフライパンに流し込んだ。
文香はそのままの足でトイレに……と、そこで足を止め、こっちを見た。
「ジロジロ見ないで下さい……!」
「っ、わ、悪い?」
やべっ、バレてた。慌てて顔を背けて料理に集中する。
じゅわわわわっ……と、ホットケーキの様子を眺めながら、皿を用意し、冷蔵庫からバターを出し、棚からハチミツを用意しておく。
そろそろ良いかな? と思った時、ばしゃあぁぁっと流す音がする。文香がトイレから出てきた。
「飯、もう少しできるから、フォークとナイフ用意してくれる?」
「あ、は、はい……。……良い香りですね?」
「そりゃまぁ俺だからな」
数回、ホットケーキを宙返りさせて……よし、完成。皿に乗せて、ハチミツとバターも一緒に運ぶ。
食材と食器を並べ、テレビをつけ、ニュースをチラ見しながら席に着いた。
「よし、食べようか」
「……ふふ、彼氏に女子力で負ける私……」
「大丈夫、俺は男子力で負けてるから」
「……なんですか、男子力って?」
「稼ぎとか運転とか?」
「……それならば、時がくれば私は追い抜かれてしまうと思いますが」
「なら、女子力も同じじゃね?」
まぁ、文香がやれば、の話だけど。
しかし、今の一言で文香は気合が入ったようで「確かに……」とだけ呟き、反論してくることは無かった。
で、一緒に「いただきます」と挨拶して食事にした。
「んっ……おいひい……」
「良かった」
なんだかんだ言って、甘いものを食べている文香は、それはもう幸せそうだ。瞳を閉じて、モキュモキュと音がしそうな程、美味しそうに食べてくれる。こういう表情を見ると、こっちとしても作った甲斐があるというものだ。
キコキコとフォークとナイフを器用に使いこなし、切れたかけらをフォークで刺し、口に運ぶ。
やはり、甘いものが嫌いな女の人はいないもんなのよ。前も俺がよくスイーツ作ってあげたら喜んでたし。その後、ダイエットに付き合わされたわけだが。
「……お、お代わり、良いですか……?」
女の子が朝からガッツリ甘いものを食べるのは恥ずかしい、と思ってなのだろうか? 頬を赤らめて、恥ずかしそうに言う。可愛い。
「……別に良いけど、太っても知らんぞ」
「うう……そ、そうですね……やっぱりやめておきます……」
……そんな顔されると、なんか罪悪感が……一応、文香のためを思ってことなんだが……。
うん、まぁ……仕方ないか。たくさん食べてる文香を見るのが嫌なわけではないし……うん。
「……ランニングで良いなら、俺も付き合ってやれるけど」
「え……?」
「ダイエット」
「ほ、ほんとうですか……?」
「いつも勉強見てもらってるし」
「……」
すると、文香はさらに顔を赤くし、俯きながらぽつりと呟いた。
「で、では……お、お願い……しま、す……」
「はいはい」
お代わりを焼いた。手早く焼き上げると、お皿を持って文香の前に置く。
「はい、お待たせしました」
「……美味しそうです……あと五皿はいけます」
「時間的には行けないよ。早く食べな」
「え? ……あっ、そ、そうでした!」
大急ぎで食べ始める文香を眺めながら、一皿しか平らげなかった俺は、とりあえず食器を洗いと着替えを済ませた。
さっさと終わらせると、文香は食べ終えたお皿を流しに戻してくれていた。
「コーヒー飲む?」
「あ……は、はい。お願いします……」
コーヒーを注ぎ、机の上に置く。これで、お互いにあとは歯磨きだけして家を出るだけだ。
二人でズズッ……と熱々のコーヒーを啜りつつ、ホッと一息つく。
「ふぅ……朝ごはん食べ終えてすぐにコーヒーが飲めるなんて……一家に一台、千秋くんですね……」
「じゃあ、他の人の家とか行っても良いの?」
「……ダメです……」
「冗談だよ。……三村さんの家とか行ったら、ここで作る倍の料理作らされそうだし……」
「た、たしかに……?」
今の、三村さんには絶対、バレちゃいけない会話だ。
とりあえず、墓穴を掘らないためにも話を変えよう。
「今日はどんな仕事?」
「……レッスンのみです」
「ふーん……ぶっちゃけさ、レッスンってどうなの? キツイ?」
「……そうですね。私もこれでも体力がついてきた方のはずですが……やはり、レッスンが終わった後は、5〜10分は動けなくなって、しまいます……」
「やっぱそうなんだ。真夏とか死ぬんじゃないの」
「は、はい……正直、未だに脱水症状に陥っていない自分に、驚いています……」
それは俺も思うわ。夏コミでダウンした文香を見たことあるから尚更。あの時はマジで危なかったんだと思う。参加前に病院へ向かって正解だった。
「ちゃんと、塩分と水分は補給するようにな?」
「は、はい……」
「休憩中、読書に熱中し過ぎて、必要なもの取り損ねた、という風になるなよ?」
「……な、なりませんよ……?」
「何で疑問系?」
……そういうとこだぞマジで。少し心配になってきたな……っと、そろそろ歯磨きしないと。
コーヒーを口の中に流し込むと、立ち上がって洗面所に向かった。文香もほぼ同時にコーヒーを飲み干して向かう。
二人で歯磨きをするのは決して日課ではないが、俺が必然的に家事をすることになっている現状、歯磨きの時間だけ被るようになっていた。
にゅーっと歯磨き粉を歯ブラシの上に垂らし、口の中に突っ込み、二人でほぼ同時に磨き続け、ほぼ同時にうがいをし、口元を拭う。
洗面所を出て時計を見ると、文香は家を出る時間だった。
「……では、私はそろそろ……」
「おお」
寝室に鞄を取りに行く文香を横目で見つつ、俺は棚から水筒を取り出した。中に氷を入れて、上からポカリを注ぎ、蓋を閉める。
部屋から出てきた文香に、俺は水筒を手渡した。
「はい、文香」
「え?」
「なんか心配だから、水筒」
「……あ、ありがとうございます……」
文香は良い子だから、基本的にこっちの気配りを無碍にはしない。とりあえず水筒を渡しておけば、多少は飲んでくれるだろう。
「じゃ、頑張ってな」
「は、はい……!」
水筒を受け取り、笑顔を浮かべた文香は、小さく手を振りながら部屋を出て行った。
アイドル、と言う職業を大学生と兼任しているだけあって、忙しさは人の倍以上だろう。けど、それでもちゃんと両立し、大学の単位も落とさずにこなしているという。
そんな文香を見ていると、他の男に彼女がチヤホヤされていると言うのに、俺はその活動をむしろ応援したくなってしまっている。
だから、俺も全力でサポートする。彼女がいつか、トップアイドルになれるように。