ワン・アイズ・クロウ・ウィズ・ワンス・サマー   作:ターキーX

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#2

キャバァーン! キャバァーン! IS学園教員用のカスタムUNIXがジングルを鳴らす。「……確かに」モニタに表示される振込額を確認し、黒スーツ姿の長身の女性が頷いた。長い黒髪は無造作に後ろで纏められているだけだが、それが逆に鋭さを備えた彼女の顔立ちと相まってどこかサムライめいたアトモスフィアを漂わせている。その胸は豊満である。

 

 

「我々が貴女をどれだけ必要としているか、これで分かって頂けたかと思うのですが、チフユ=サン?」彼女の正面、応接室のクリスタル製チャブを挟んで座る二人の女。その右側の白衣の女性が言った。サイバーサングラスによって目元は隠されているが、まだ若い。首筋に植え付けられているIRC端子を神経質そうに時折撫でている。その胸には国内最大の製薬会社、ヨロシサン製薬研究員のバッジ。

 

 

「………」その横に座る紺のスーツ姿の女性は何も言わずただ彼女、オリムラ・チフユに視線を向けた。チフユはその視線を受けただけで室内の温度が下がったような錯覚を受けた。黒髪を丁寧に結わえたその女性は年齢の程は分からない。口元はメンポ(訳注・面頬)で覆われ、その瞳はどこまでも冷たい。

 

 

メンポ? メンポと言ったか? おお、ではまさかこの女性は! まさかニンジャだと言うのか!? 「……返答を」スーツの女性はハスキーな声でチフユに問いかけた。「……分かった。応じよう」僅かの逡巡ののち、チフユは頷いた。「だか、今日の授業だけは今から代用が効かない。それからで頼む」

 

 

「駄目だ。タイム・イズ・マネー」スーツ女は不快そうに眉を歪めるとコトワザを引用しつつ首を横に振った。高いインテリジェンスを持っている証拠だ。「……分かりました。その位は良いでしょう」しかし、白衣女がそれを否定した。「チィーッ……」スーツ女は不機嫌そうにしながらも何も言わない。二人の関係は白衣女の方が上のようだ。

 

 

しかしチフユの表情の険しさは消えなかった。この流れが最初から予定されていた”良い警官、悪い警官”メソードである事を見抜いているのだ。「ただし、午前中の授業だけです。午後の授業の替えは用意してください」白衣女は優し気に言う。あからさまな表面上の優しさ。「アリガトウゴザイマス」それでもチフユはあくまで奥ゆかしく礼を返した。

 

 

ワン・アイズ・クロウ・ウィズ・ワンス・サマー #2

 

 

オリムラ・イチカは思い出す。振り返れば、その日の授業は何かが違っていた。

 

 

「……遅いな、チフユ・ネエ」IS学園第三アリーナ。1年1組・2組合同のISの実践演習に集まった少女たちの中でイチカは呟いた。授業開始時間の5分前を切ったというのに、未だに教官であるチフユが現れないのだ。ちなみにチフユ・ネエとはイチカが姉のチフユを呼ぶ時の愛称である。親しい仲や家族であれば、これはシツレイにはあたらない。

 

 

賢明なる読者諸氏は既にお分かりの事かと思うが、イチカとチフユ、この二人は姉弟の関係である。チフユはISの開発者であるタバネの旧友であり、ISの初期発展を支えた日本人適合者であり、そして模擬戦闘スポーツとして開かれたIS世界大会『モンテ・グロッソ』初代王者でもある。その存在はISを操る全ての少女の憧れなのだ。

 

 

「イチカ=サン、何をボーッとしている?」イチカに鋭い口調の声が飛んだ。見れば長い黒髪を黄色いリボンで結んだ少女が咎めるような目つきでイチカを見ている。「ホウキ=サン。いや、チフユ・ネエが遅いなと思って」「……確かに、センセイにしては珍しいな」言われて気付いたのだろう。ホウキと呼ばれた少女は周囲を見回した。そのバストは豊満である。

 

 

彼女の名はシノノノ・ホウキ。日本人IS適合者のひとりであり、イチカの幼馴染であり、更にまた賢明な読者諸氏はお気づきであろう。彼女はIS開発者であるシノノノ・タバネの妹でもある。超重要人物として様々な機関からマークされる中で色々とあったのか、ホウキとしては姉に思う所があるようだ。姉の方は過剰なほどホウキを可愛がっているのだが。

 

 

「すまない、遅くなった」アリーナの選手入場口からの声。そちらに振り向いた生徒たちは一様に息を呑んだ。チフユは実践授業でも平時の黒スーツのまま行っていた。しかし今、彼女らが目にしたのは……訓練用IS「ウチガネ」を身に纏い、競泳水着めいたスーツを着たチフユの姿だった。その胸は形よく豊満である。

 

 

「キャーッ!」「オネーサマ!!」「ステキー!」生徒たちから黄色い歓声があがる。チフユに特に強い、あるいは特殊な憧れを持つ少女たちの声だ。「チフユ・ネエ!? どうしたんだよ、その格好!?」「イヤーッ!」「グワーッ!?」問いかけたイチカは、突然チフユに出席簿で殴られた。「……オリムラ・センセイだ。お前のニューロンはトーフ製か?」

 

 

「……オ、オリムラ・センセイ。その格好はどうされたんですか?」理不尽な痛みを堪えつつ、イチカは再度尋ねた。「ああ……今日は1組と2組の生徒を織り交ぜた実践演習を予定していたが、それを変更する」「変更?」怪訝な顔をするホウキ。レジュメを徹底的に組んでから授業を行うのがチフユの教え方であり、今までアドリブでの変更は無かった。

 

 

「特別授業だ。今日は私が相手をする! 何なら二人ががり、三人がかりでも構わん。お前たちがこれまで積んできたカラテを、全てぶつけてこい!」「キャーッ!」「ヤッター!」割れんばかりの歓声が生徒から巻き起こった。入学以来の、教官として指導こそすれチフユと直接戦闘する機会は無かった。それ故に興奮する生徒も多い。

 

 

なお、ここで彼女が言うカラテとは格闘技としてのカラテを示すものではない。カラテとは概念であり、ミームであり、精神の在り方である。日々の過酷な鍛錬で積み重ねられた経験や鍛えられた体や心、それらが一体化してカラテという形となり、その者の中で積み重なる。そして実戦において、カラテをより積んだ者が勝つのだ。

 

 

「ほ、本当に勝負していただけるのですか!?」眼帯を付けた銀髪の小柄な少女。ラウラ・ボーデヴィッヒが開いた右目を輝かせて言った。そのバストは平坦である。ドイツ軍特殊部隊出身の彼女は、IS学園入学前に彼女の教えを受けドロップアウト寸前から部隊長に返り咲いたという過去がある。それだけに彼女への憧れは一際強い。

 

 

「ああ、遠慮せずにかかって来い」「……はい!」ラウラは、平時は生徒の中でも極めてクールな存在である。それがここまで興奮している事に、イチカは彼女にとってのチフユの存在の大きさを改めて知った。「センセイ……まさか手合わせできる機会が来ようとは」サムライの気質の強いホウキも、戦意が高まっているようだ。

 

 

一方、それとは異なる意味で戦意を燃やす者もいた。「これは……チャンスですわね」「……だね」セシリアとシャルは何時になく表情を引き締め、視線を交わした。「ちょっと、何を言ってんのよ?」髪を左右で結んでいる中国系の少女が二人の様子に気付いて声をかけた。彼女はファン・リンイン。通称リン。イチカのもう一人の幼馴染でもある。その胸は標準的である。

 

 

「分かりませんの? リン=サン?」まるで分っていない事が信じられないようにセシリアが答えた。シャルが頷く。「ここでオリムラ・センセイに一太刀でも与えられれば、センセイに実力を認めて貰える」「そしてオリムラ・センセイはイチカ=サンに最も影響を与える事ができる人物……もう、お分かりですわね?」「!?」リンは息を呑んだ。

 

 

他人の恋愛沙汰に口を挟むのは奥ゆかしくないが、彼女らのモチベーションの高さの理由を語る上で触れねばならないだろう。先に述べたようにIS学園は生徒の99%が女性であり、イチカはその中で唯一の男性である。故に何かと女子から意識されてはいるのだが、中でもホウキ、セシリア、シャル、リン、ラウラ。この5人からは強い恋愛感情を向けられている。

 

 

そのアプローチは時に奥ゆかしく、時に積極的。5人が各々でイチカの興味を引こうと奮闘する時もあれば、協力して行動する時もある。それはユウジョウでもあり、同時にライバルでもある。恋に恋する年ごろの少女たちとはいえ、そのエネルギーは実際凄まじいものがあった。

 

 

しかし、肝心のイチカはそれに気付いていない。この少年は自分から意識した時には些細な事でも動揺したり興奮したりするのだが、そうでない時に他人から向けられた感情にはボンズ(訳注・坊主)めいた無関心でスルーしてしまうのだ。それでキアイを込めた作戦が空振りで終わってしまった事も少なくない。

 

 

「ショーグンよりその馬を射る方が簡単」とはミヤモト・マサシの格言である。チフユは彼女らがイチカの事を好きだと知っている。ならばここで彼女に実力をアピールする事でイチカへのアピールへの近道になるのでは? セシリア達はそう考えたのだ。「……ねえ、一時休戦といかない?」リンは顔を近づけ、二人に神妙に申し出た。

 

 

「幸いラウラ=サンとホウキ=サンは勝負できる事で頭が一杯で、この事に気付いていませんわ」「ボク達三人で……」「打倒、チフユ=サン同盟結成ね」三人は顔を近づけたまま見合わせ、頷き、手を重ねた。提案者であるセシリアが先手を打つようにその手を挙げ、名乗りを上げた。「セシリア・オルコット他二名、三人で挑戦させて頂きますわ!」

 

 

「イヤーッ!」「「「ンアーッ!」」」セシリア、シャル、リンの三人は悲鳴と共に吹き飛ばされた。試合開始の合図から3分での出来事である。一方のチフユは汗一つかかず、物理ブレードを手に吹き飛ばされた三人を見て叱咤するように言った。「お前たち、ただ一緒に攻撃を仕掛ける事をチームワークと勘違いするな!」その表情には厳しい怒り。

 

 

「オルコット=サン! お前の機体『ブルー・ティアーズ』の特性は!?」「ハ、ハイ! ビット『ブルー・ティアーズ』よる多方向からの同時攻撃と、大型光学兵器による遠距離戦特化ですわ!」「ならば何故、デュノア=サンより前に出た?」「う……」セシリアは言葉を詰まらせた。シャルやリンより自分を目立たせようと思ってしまった結果だ。

 

 

「ビットにしてもそうだ。フレンドリーファイアを恐れて十分な攻撃を仕掛けていなかったな? より精度を上げ、仲間が組み打つ隙間を撃ち抜けるくらいになれ」「ハイ……」「デュノア=サンは切り替えがまだ遅い。選択肢の多さがお前の機体の強みだ。それに自身が振り回されるな」「わ、分かりました……」ふらつきつつ起き上がるシャル。

 

 

「ファン=サン。リュウゲキホウの不可視の砲身はスペックを知っている者は当然警戒する。そんな一辺倒のタイミングではなく、リズムを崩すように撃て。でなければ今のようにあっさりと読まれるぞ」「ハ、ハイ~……」ひっくり返ったままリンは答えた。「全く……こんな事ではイチカ=サンはやれんな」「「「!?」」」

 

 

そう言うチフユの口元には僅かな笑みが浮かんでいる。セシリア達の思惑は完全に読まれていたのだ。「か、完敗ですわ……」「もっと訓練しないとね……」「クヤシイ……!」「次は!?」「ラウラ・ボーデヴィッヒ、行きます!」他の女子が手を挙げる前にラウラがチフユの前に出た。既に彼女の専用IS「シュヴァルツェア・レーゲン」が展開済みだ。

 

 

「ヨロシクオネガイシマス」「ヨロシクオネガイシマス」「イヤーッ!」「イヤーッ!」アイサツからコンマ0.5秒後、シュヴァルツェア・レーゲンのワイヤーブレードが複雑な軌跡を描き、チフユの死角から攻撃を仕掛けようとする。しかしチフユは難なくそれを回避する。その攻防を、イチカは女子の一団からやや離れたところで眺めていた。

 

 

いくらIS王者のチフユでも、2クラスの全生徒を相手にするとなると時間が足りなくなるかもしれない。それであれば対戦希望の女子に順番を譲り、自分は戦わずとも良いだろうとイチカは考えていた。自分が相手なら、チフユは容赦なくを叩きのめすだろうと想像したというのも理由のひとつである。

 

 

だが、それだけではない。この授業に対するチフユの態度にイチカは違和感を覚えていた。何か普段のチフユと違う。何かが。「イヤーッ!」「ンアーッ!」「ラウラ=サン、AICの狙いが視線で丸わかりだ。フェイントを絡めなければ一級の世界では逆に誘導されるぞ」「アリガトウゴザイマシタ!」そう考える間に勝負は終わっていた。「次!」

 

 

「シノノノ・ホウキ、お願いします!」ホウキが前に出た。どうやらチフユは本気で2クラス数十人の相手をするつもりのようだった。「ヨロシクオネガイシマス」「ヨロシクオネガイシマス」「イヤーッ!」「イヤーッ!」瞬く間に勝負がつく。「ンアーッ!」「ホウキ=サン、アカツバキの性能と機能に頼りすぎだ。頼るのでなく、使いこなせるようになれ」

 

 

それでいて見事なのは、誰が相手でも単純に倒しているだけではない。ちゃんと相手に先手を取らせて、それを受けきり、相手の弱点を突いて勝っている。(まるでスクールでなくドージョーのセンセイだ)イチカはそう思いつつ、礼をするチフユとホウキを見ていた。「次!」更に次々と挑む女子たち。誰もチフユのISに傷ひとつ与えられていない。

 

 

「……次!」授業時間残り5分前で、本当にチフユは2クラス全ての女子との組手を終えてしまった。その視線は当然のようにイチカに向けられている。首を横に向け、露骨に視線を避けるイチカ。「……何をやっている」「センセイ、俺は見学中に首を寝違えたので試合は遠慮しておきます」「生身にブレードを食らいたいか?」容赦ない言葉。

 

 

「治りました」チフユの声の響きに本気を感じ取り、イチカは素早くチフユの前に進み出た。右手のコテから光の粒子が迸り、イチカのIS「ビャクシキ」を形作る。ビャクシキはシールド無効化剣、可変型エネルギー固定装置等を搭載したオーバースペック機だが、その代償として恐ろしく燃費が悪く、満タンから数分でエネルギーが枯渇する。ピーキーな機体だ。

 

 

「ヨロシクオネガイシマス」「ヨロシクオネガイシマス」「イヤーッ!」アイサツ直後、イチカの姿がかき消えた。ISのブーストを最大限に活かした瞬間加速だ! 「イヤーッ!」ビャクシキの武装は二つしかない。その内のひとつ、特殊ブレード「ユキヒラ弐型」を手にチフユの懐に潜り込み横薙ぎに切り払った。手ごたえは……無い!

 

 

「アイエッ!?」混乱するイチカ。その眼前にチフユの顔。「エ?」「そう来ると思っていた。イヤーッ!」「グワーッ!」イチカは腹部に強烈な蹴りを受け、後方に吹き飛んだ。シールドで肉体にはダメージこそ無いものの、無視できぬシールド消耗だ! 「くっ!」イチカは咄嗟に姿勢制御を行い、再度チフユに突撃しようとする。

 

 

「!?」だがチフユは吹き飛ばされたイチカの動きに追随していた。ぴたりと距離を保ち、彼の横を飛んでいる。「初手の奇襲を仕掛けるならもっと変則的な動きをしろ。バカモノ」「……何なんだよ、チフユ・ネエ!?」堪らずイチカは勝負中だというのにチフユに問いかけた。「何か変だ、今日のチフユ・ネエ。何か……焦ってる」

 

 

「イチカ……!?」そのイチカの何気ない言葉はチフユに衝撃を与えたようだった。僅かに動きが止まる。「イヤーッ!」その隙を逃さず、イチカはユキヒラ弐型を打ち込んだ。「ンアーッ!」初めてのダメージ。距離を取るチフユ。更に追撃しようとイチカが追う。

 

 

チフユはウチガネのブレードを振り、ユキヒラ弐型と組み合った。「……イチカ」息のかかる距離。チフユはイチカに他には聞こえない程の声で言った。「イチカ、私はしばらく居なくなる。皆に何かがあったら、お前が守ってやってくれ」「チ、チフユ・ネエ!?」彼女とは思えない弱気な言葉。イチカは動揺を隠さず問い返そうとする。「イヤーッ!」「グワーッ!?」

 

 

だが、それ以上イチカが問いかける事はできなかった。動揺で動きが鈍ったところに、ウチガネのブレードが的確に打ち込まれる。半ば墜落するようにイチカはアリーナの砂に着陸した。「………」その姿をチフユは上空から無言で見下ろした。まるで別れを悲しむような顔で。

 

 

ゴーン、ゴーン、ゴーン。授業終了のチャイムが鳴る。「私は次の予定があるのでこのまま退席させてもらう。ヤマダ・センセイに後はお願いしているので、指示に従うように。オツカレサマデシタ」『オツカレサマデシタ!』チフユの合図で一斉に礼を返す生徒たち。チフユはISを装着したまま、アリーナの観客席に向かう。そこに居る二人の女性。

 

 

「チフユ・ネエ……?」仰向けのままイチカが呟く。二人の女性はチフユと二言三言話をすると、彼女を伴ってアリーナを退出していった。

 

 

そして、オリムラ・チフユの姿はIS学園から消えた。ガンドー探偵事務所が半壊する日の、更に二週間前の出来事である。


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