千景が特別休暇から帰って来た。
出発する前日まで浮かない表情をしていた彼女だったが、帰ってきてからは一転……とまではいかないが、どこか晴れやかな顔をしていた。
「千景さん、なんだかご機嫌ですね」
午前の休み時間、杏は気になってそう話しかけてみた。いつもならプイッと無視するか、不愛想な相槌を打つだけの彼女である。しかし、今日は、
「……そうかしら」
と言って少し困ったように微笑んだ。
「脳波レベル正常」
「勝手に人の脳波を計らないで」
「ところで、明日からはタマとあんずの休暇だなっ」
球子がウキウキしながら杏に言った。
杏と球子は同じ愛媛の出身である。休暇が出ればいつも一緒に帰り、互いの家にお泊りなんかしていた。明日の午前には丸亀城を出て帰省する。
「今回はあんずの家に泊まるんだゾ」
「一緒にお泊り……あぁ、いいですねぇ~」
ひなたが羨ましそうに言う。彼女も若葉と二人でお泊り会したいのだ。
「若葉ちゃんと情熱的な夜を過ごしたいのです」
「お、おいひなた……!」
若葉が暴走するひなたを押さえようとする。そんな二人に千景が、
「あら……ただの友達かと思ってたけど……もっと深い仲ね」
「そんなわけないだろう! ひなた、ふざけるのも大概にしろ!」
「ぐすっ……若葉ちゃん、ごめんなさい……私はただ若葉ちゃんとお泊りをしてみたいだけなんです……」
「あっ……ひ、ひなた……すまん、言い過ぎた、謝るよ……よせ、おい泣くなよ……」
「ぐすっ……じゃぁ、今度、若葉ちゃんに色んな服着せるんで……写真に収めまくっても……いいですか……?」
「うぐっ……ま、まぁ、それでひなたの気が済むなら……いいだろう……」
「やったー! 若葉ちゃん最高です愛してます!」
「うっ、ひなたお前嘘泣きッ……卑怯だぞ!?」
再び二人の追いかけっこが始まる。それを他三人と一体は眺めることしかできない。
「あの二人のコントは見ていて飽きないな!」
「それにしても、千景さんも冗談って言うんですね」
杏はクスリと笑いながら千景にそう言った。それに千景は少しムスッとしたような顔で、
「……私も冗談の一つは言うわ……」
「俺のジョークの方が能率的だ」
謎の対抗心を発揮するジョン。球子の心を抉ることに能率的なジョークである。
話している間、ひなたは若葉と戯れて満足したのか爽やかな汗を拭いながらスマホでとりあえず若葉を撮った。
「ぬぅ、ひなたぁ……」
「うふふ、約束ですからね?」
「はぁ、頭が痛い」
「きっと脳腫瘍ですよ」
「そんな縁起でもない――!?」
楽しい時間はそこまでであった。
時間が凍り付き、勇者たちを除いて全てが静止する。樹海化である。バーテックスの侵攻なのだ。
「千景、帰ったばかりで悪いがこういうことだ」
「分かっているわ……バーテックスを殺すことが、使命だものね?」
「ン……よし、みんな行こう!」
※
今度の襲撃は前回より数は多い。が、前回ほど苦戦することは無いだろうと一同は思っていた。友奈がいないのは純粋に戦力ダウンだが、杏も千景もやる気十分であるのだ。
「ああああああああああああ!」
杏も絶好調である。
マシンガンを撃ちまくりながら、杏は戦場を見渡した。
前回の戦いで要領を掴んだから、全員がそれぞれバーテックスに攻撃を仕掛けている。勇者の力は強力無比で、遅いかかるバーテックスを千切っては投げ、千切っては投げしていた。
しかし、杏は思う。
「今はいいけど、もっとコンビネーションを取らないと……」
具体的な良案があるわけではない。ただ、今の戦い方を続ければいつかきっと限界が来ると考えるのだ。
「伊予島杏の集中力が途切れかけている。戦闘に集中することを推奨する」
「あっ、ごめんなさいね……ん?」
考え込んでしまっていたところをジョンに注意された彼女は視線を戦場へと移動させた。すると、その視界にここにはいないはずの人物の姿が映った。
「友奈さん……?」
それは杏の見間違えではなかった。何体目かもしれない敵を切り裂いた時、千景の視界にも友奈の姿が入った。
「高嶋さん……!?」
「ぐーんちゃーん」
襲いかかる敵を殴り飛ばしながら友奈がニコニコと駆け寄ってきた。
「高嶋さん、病院にいたんじゃ……?」
「残念だったな、トリックだよ。時間が止まったから、いてもたってもいられなくて。えへへ、来ちゃった」
「身体の方は……大丈夫なの?」
「ノープロブレム! 元気いっぱいだよ! それに、みんなが戦ってるのに、私だけ休んでなんていられないよ!」
友奈はそう言うと腕をかかげてフンスとポーズを決めた。その姿に、千景は思わず吹き出してしまう。
「おっ、笑った。今日はリラックスだね?」
「ええ。この間みたいな醜態は見せないわ」
「それじゃ、全部やっつけて四国を護ろう!」
友奈の言葉にコクリと頷いて答える。彼女は迫りくる敵を見据えた。
(そうだ、敵を倒す……多く倒せばそれだけ、みんなが私を好きになってくれる……)
憂鬱そうだった彼女が実家に帰ってから少し明るくなった理由は、まさにそれであった。
誰からも愛されていなかった自分が、世界が変わったかのように愛された。自分を忌み嫌い蔑んでいた人々が、媚びへつらい、感謝し、好いてくれた。
なぜなら、彼女は勇者だから。
(勇者になったから高嶋さんにだって出会えた。それは素敵なことだわ……もっと活躍出来れば、きっと高嶋さんだって私を嫌いにならない)
そのような思いを胸に秘めながら、千景は気合と共に敵を切り裂いた。
「友奈さん、大丈夫みたいですね」
「高嶋友奈は問題ない。郡千景の状態は――」
「おっと、分析しなくていいです。後で怒られちゃいますから」
「理解した。……敵が融合を始めている」
「えっ!?」
ジョンが示したほうを見やると、一部のバーテックスが急速に融合し始めているのが目に入った。それらはみるみる内に大きくなり、やがて一つの大きな顔を思わせる形状へと変化した。口に当たる部分には立派な歯らしきものが並び、いつもの雑魚共が正当に進化したような見た目である。
だが、一体何をしてくる敵なのか分からないことには迂闊に手を出せない。
「ジョン、あれが何か分かりますか?」
杏は彼女の肩に腰かけるジョンに問いかけた。
「ペルシャあたりの彫刻……、最新のコーヒー沸かし機、いや違う……かき氷を作る機械だ」
「……分からないならそう言えば?」
「総合的に見て温水装置だろう」
「何を総合したらそうなるんですか。この歴史的バカモンが!」
そうこうしていると、進化体はその身体を杏の方へと向けた。そして、そのまま上を向くと口をあんぐりと開ける。
すると次の瞬間、その口から無数の矢が吐きだされ、杏の元へ降り注ぎ始めた。
「えぇっ!?」
「あんず、あぶない!」
とっさに駆け付けた球子が旋刃盤を杏の頭上に傘よろしく展開する。当たれば致命傷だろうが、幸いそれほどの破壊力を持っていないらしい、全て旋刃盤で防げた。
「あ、ありがとうタマっち先輩。また助けてもらって……」
「気にするなって! あんずはいつだってタマが護ってやるゾ!」
「筋肉をつければ、あれくらいの攻撃は防ぐことが出来る。伊予島杏に筋トレを推奨する」
「あんず、ジョン並みにムキムキになるのか……?」
「ならないよ!」
進化体は杏たちに攻撃が通じないと判断したのか、標的を近くにいた友奈と若葉へと変更した。狙われていると気付いた友奈は慌てて距離を取り、降り注ぐ矢の雨を回避する。
「うひぃ! これじゃ近づけないよ!」
「こいつ、標的を選り好みするだけの知能があるのか!?」
そう言いながらも、二人は動体視力や反射神経が他の面々より優れていることもあって、何とか矢を全て回避することが出来た。
すると今度は、千景に身体を向けた。
「ぐんちゃん!」
「っ!」
千景も矢を避けようとする。
しかし、得物が大きいこともあり、友奈や若葉と比べると動きは鈍い物となってしまった。あくまで僅かな差でしかないのだが……この場合、それが命取りとなり。
「うぐっ!?」
「あっ!?」
降り注いだ矢は千景の身体を貫いた。無残な姿になった彼女はボロのように倒れ、樹海の根の中に落ちて行った。
「そんな……!」
「ぐんちゃん!? あぁぁぁ……!」
友奈の声にならない悲鳴が木霊する。
だが、そんな彼女に声を掛けたのは、予想外の人物であった。
「心配いらないわ高嶋さん」
「……えっ?」
振り向くと、そこには先ほど壮絶な最期を迎えたはずの千景の姿があった。
「ぐ、ぐんちゃん!? 殺されたんじゃ……」
驚きを隠せない友奈。そんな彼女にとってさらに驚くべきことが起こる。
「残念だったわね」
「『トリック』よ」
「この力を使う時をずぅっと待ち続けていたわ」
「長かったわ」
なんと、千景の背後から一人、また一人とゾロゾロ千景が出現したのだ。その数、合計七人。
「なんと!? ぐんちゃんがいっぱいだ!? 作画ミスかな?」
「違うわ高嶋さん。これは――」
「分かったぞ、実は千景はターミネーターだったんだな。量産型千景というわけだ。頼もしい」
「そんなわけないでしょう乃木さん。これは――」
「タマには分かるぞ! シックスデイ法が破られたんだ!」
「そんな、千景さん……神はクローンなどお許しになりません!」
「人の話聞きなさいよ……!」
これは千景が用いた『切り札』の力。
彼女が神樹から引き出した力は『七人御先』……この力を得た千景は、同時に七人、七つの場所に存在し続ける。例えその内の一人、二人が倒されたとしても、常に七人存在し続けるのだ。
実質、無敵である。
「あいつは、私が倒す……!」
七人の千景は一斉に進化体へ向けて突撃した。それを進化体は大量の矢を降らせることで阻止しようとする。
しかし、分散して向かってくる千景を一度に殺すことなど、彼女が自殺願望を抱いてでもいない限り不可能な話だ。確実に仕留めようとすれば狭い範囲に大量に降らせる他なく、全体に攻撃しようとすれば矢がばらけて回避が容易い物となる。
「はぁっ!」
七人の千景が七つの大鎌を同時に振りかざす。
いくら進化体といえども、その攻撃に耐えられるはずもなかった。
※
戦いは再び勇者たちの勝利に終わった。
戦いを終えた勇者たちは、早めの昼食で勝利を祝う。
「ぐんちゃん凄かったね!」
「うむ。まったくその通りだ。切り札を使って身体に変調は無いか?」
「ええ。強いて言うなら、どっと疲れた感じがするくらいかしら……でも、切り札を使ったときは、全身が力に満ち満ちているような……そんな気がしたわ」
千景は自らの拳を握りしめ、それを見つめながら言う。
切り札を使ったとき、精神的にも凄まじい自信が沸き上がってきた。今の私は無敵だ。何だってできる。乃木さんにだって勝つことが出来る……。そのような自信だ。
(乃木さんにだって勝てる、か……でも、結局彼女が半分以上敵を倒したのね)
「郡千景は――」
「だから分析しないでもらえるかしら?」
「ま、何にせよ勝てて良かった。ハッピーエンドってことで!」
球子は嬉しそうに笑った。
そう、この戦いに負けていれば、彼女も杏も帰省することなんて出来なくなっていたのだ。
しかし、ここに来て杏はふと思う。
「そう言えば、ジョンもついてくるんですよね?」
「無論だ」
「そのこと全然考えて無かった……家族やご近所にどう説明しよう」
これは、杏にとってまったくもって遺憾な事だが、傍にジョンがいる現実が普遍的なものとなりつつあることの証明であろう。
「大社のお目付け役とでも言っておけば良いんじゃないか?」
「それで通じればいいんですけど……」
「大丈夫! きっと何とかなるよ!」
友奈が親指を立てて杏にそうアドバイス(?)する。他人事のような言いぐさだが、友奈が言うと本当に何とかなるような気がするのは不思議なことである。
と、ここでひなたが。
「あれ、そう言えば友奈さん、病院にいたはずでは?」
「あ」
友奈が自分の立場を思い出した様子で間抜けな声を上げる。
「あー! 戦いが終わったら、樹海化が解ける前に病院に戻るつもりだったの!」
「戻って無いじゃん」
「このままじゃ臓器を売られちゃう」
慄く彼女のもとに、噂をすればと言わんばかり着信音が鳴り響いた。やはり病院からの電話なようで、出るや友奈は「はい……いやでも……はい、ごめんなさい……」と頭を下げ、落ち込んだ様子で電話を切った。おそらく、病院に戻ってからもお説教コースだろう。
「怒られちゃった。車を向かわせるからそれに乗って病院に戻りなさいだって」
「こんどお見舞いに行きますから、くれぐれも無茶しないでくださいね?」
ひなたが優しく念を押す。
「はーい! 高嶋友奈、肝に銘じておきます!」
しばらくすると、大社の人間がやって来て友奈を病院へと運んでいった。ついでに千景も検査をするためということで共に車に乗って病院へ向かった。帰って来るのは明後日だというから、杏と球子が彼女たちに再会するのは、数日後のこととなるだろう。
※
翌日、杏と球子、そしてジョンは若葉とひなたにお土産を約束して別れを告げ、高松駅から高速バスに乗り故郷愛媛へと向かった。ジョンは精霊の癖に生意気にも普通に座席を取る必要があった。しかも、座性が狭いので二人分である。もっとも、交通費に関しては大社が負担してくれるので問題ないのだが。
10時前に出たバスは定刻通り運行し、正午を少し過ぎた頃には松山に到着した。昼食を済ませ、路線バスを使い杏の実家へ向かう。
窓の外には秋の色に染まりつつある故郷の景色が広がっていた。
「はぁ、やっぱり地元は落ち着くね」
「そうか? タマには香川も愛媛もそんな違うようには思えないけどなー」
「香川県と愛媛県に極端な風土の違いは見られない」
「もう、二人には情緒ってものがないんだから」
バスを降り、家へ向かう。
家に向かう道中、様々な人から声を掛けられた。最初の戦いの後、彼女たちの顔は四国中に認知されるようになったのだ。
「大変だろうけど、頑張ってねぇ」
「ありがとうございます」
声を掛けてくれた人々は皆一様にジョンを見上げていたが、特にこれといって追及されることは無かった。『勇者』という良く分からないものに従事する彼女たちであるから、それに良く分からないものが付随していたところで大した問題ではないのだ。
「ただいまー」
「おじゃましまーす!」
家に到着すると、杏の母が出迎えてくれた。半年前と変わらぬ姿に、杏は安堵を覚える。しかし、杏の母は娘とその親友の背後に日の光を背負うように聳える筋肉に驚愕するしかなかった。
「おぉ! どなたですか!?」
「えっと、この人は大社の人で……名前はジョン。悪い人ではないから安心して」
「杏を護っている」
「そ、そうですか……」
母は明らかに動揺していた。当然である。いくら大社の人間だからといってこんなのが寄越されてはたまらないのである。
杏は、早々に香川に戻りたくなってしまった。
つづく