私の生まれた理由   作:hi-nya

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フメツノフェイス

 おもいだす。

 夕闇の中、並んで歩いた、あの日。

 

 ──ありがとう。……仁美さん──

 

 はじめて、名前を呼んでくれた、あの日。

 

 旅についていきたいと決めた理由。

 『ホリィさんを助けたい』。

 

 私も本当はそれだけじゃあなくて……

 

 『追々』。そんな言葉で誤魔化した、理由。

 

 あなたのことを利用されたのが、ゆるせなかったから。

 あなたをこれ以上傷つけられたくなかったから。

 あなたにもうあんな哀しい眼をさせたくないから。

 あなたのまっすぐで綺麗な瞳をもっとみていたいから。

 あなたのことが……なんだか気になってしょうがないから。

 

 いえるわけがない。我ながら一体どこのストーカーだ。でも勝手に湧き上がってきて止まらなかったのだから仕方がない。いえないけど。

 じぶんでもびっくりした。はじめてであったひとなのに、どうしてそんなふうにおもうのか。

 

 『なぜ』なのか、あのときはわからなかったけど……いまならわかる気がする。

 

 ひとめぼれ。

 

 たしかにそれもそうなんだけど、それ『だけ』じゃあなくて……。

 

 もしかしたら、ずっと。

 

 あなたと出逢う『まえ』から、私は……

 

 あなたに……恋をしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 初夏のある、暖かい日のことだった。一般的には休日のお昼時。私はバイト先の洋菓子店『シャンティ』にて甘い香りに包まれつつ労働に勤しんでいた。

 ばたばたと午前中のピークを終え、一息ついたそのときだった。カランカラン、という高らかな音が鳴り響く。

 レジ業務の合間の隙をみて進めていた作業、店内ポップ用の彩とりどり華やかな色画用紙を切る手を止めて、まさにベル効果というやつなのだろうか。その音に対して反射的に発してしまうようになっていた挨拶を口にしかけると同時に顔を上げると、ドアを押し開け入ってきたのがとてもよく見慣れた人物であることに気付く。

 

「いらっしゃ……あ、母さん!」

「こら、今はお客様、でしょ? ふふ、頑張ってるみたいね」

「無事着いたんだね」

 

 この日は、上京して一人暮らしを始めて三か月足らず。まだまだ不安でいっぱいだった当時の私の様子を見に実家から母が訊ねて来てくれた日だった。

 

「うん。さっき着いたところ。あ、そうそう。急がなきゃ。待ってもらってるんだった。ケーキ、おいしいの、いくつか見繕って。店員さん」

「お客様、お言葉ですが、うちのケーキどれもおいしいです……なんて」

 

 軽口を言いかけ、ふとその言葉の端に引っかかるものを覚える。

 

「ん? 待ってもらってる? だれかにあげるの?」

 

 訊ねると、母は頷き、意味ありげににっこりと微笑むと自らの頭の上に乗っているものを指差す。見覚えのあるのも当然のそれは先日入った初めてのバイト代で私が母の日に贈ったものだった。

 

「ええ。飛ばされたこの帽子を取ってくれた、親切な『ちからもち』さんにね」

「なにそれ?」

「いいの。さ、早くして」

「うん」

 

 よくわからないが、どうやら親切をしてもらったひとにお礼をするようだ。

 ふーん、今時いいひとがいるものなんだなぁ。見知らぬ困っている人を助けることができるなんて。そんな感想を抱きつつ、ショーケースの中、各々どれもこれも魅力的なそれらを断腸の思いとともにトングでそっと選び取る。

 

「はい。お待たせいたしました」

「ありがと」

 

 宝石のようにケーキがつまった箱を差し出すと、財布をバッグにしまいながら、母はなんともなしに突拍子のないことを言い出した。

 

「そうそう。あなた、もうすぐ逢えるかもね」

「は? だれに?」

 

 怪訝な顔をする私にウインクとともに返ってくる衝撃の言葉。

 

「『みどりいろのおうじさま』よ。ちっちゃいころから言っていたでしょう? ふふ」

 

「へっ!? ちょ!! そ、それ、しょ、小学生の頃の夢の話でしょ!? な、なんでそんな突然!? しかもいまさら……」

「さぁ? そのうちわかるんじゃない?」

「も、もう……!」

 

 そうだった。母はこんなふうに、なにもかもしっているみたいに不思議なことを時にいうのだ。そして、それはほとんどの場合的中してしまうのだからやっぱり不思議だ。

 

(……ってことは……? い、いやいや、そんな……わけ……)

 

「じゃあ、おしごと頑張ってね」

「うん、夕方には帰るから」

「あ、そうだ。今晩のおかずなにがいい? 久しぶりに母の愛のこもった手料理を食べさせてあげるわ」

「じゃあ……、ロールキャベツ」

「みどりいろ……? わ、我が子ながら、なんて単純な娘……」

「か、母さんのせいでしょっ!?」

 

 母は店を出たあとすぐに、軒先でだれかと話しているようだった。

 

 窓、曇りガラスのむこうには、うっすらと、でもなぜか、はっきりと。

 昔、夢で見たような……

 

 きらきらしたみどりいろがみえた、きがした。

 

 

 

 

 

 どうしてだろう? 半年以上も前のことを、なぜか、おもいだしてしまった。

 

 あのシルエットが彼だ、なんてそんな偶然あるわけないとわかっている。

 もしそうなら、そんなの偶然じゃあなくって……と、同時につい浮かんでしまったそんな似合わないドラマチックな展開も。

 

 でももう、この際そうだって、密かに、信じてしまっても、いいかな? 

 

 私にとって彼は、運命のひとだって。

 

 そうおもうだけで、しあわせだから。

 

 なにかわかっていたんだったら、母さん、あのとき店の中まで連れてきてくれたらよかったのに……そんな見当違いの恨み言と思い出し笑いを遠い日本に向ける。

 そうしたら、もっとまえから、『彼』を想っていられたのに。まぁ、どうせ私のことだから、緊張してしまって話しかけたりとかそんなこと、なにもできなかっただろうけど。

 ああいうふうに、じゃあなく出逢っていたら、どうなっていたのかな? またそんな、夢みたいなことをかんがえてしまう。

 

 ちいさいころから、夢に見ていた、焦がれていた、みどりいろ。

 

 スタンドと本体は一心同体……ほんとうだね。

 

 あなたのハイエロファントは、あなたのこころ、そのもの。

 

 とても、きれい。

 

 だいすき。

 

 ずっと、きらきら、かがやいていてほしい。

 

 

 

 

 

 作戦会議によって私たちはカイロの町を三隊に分かれて動くこととなった。ジョースターさんと花京院くんと共に各々路地裏に散っていく仲間を見送ったのち自分たちも車に乗り込む。

 

 ドアに手をかけながら、ふいに空を見上げる。夕闇のグラデーション、オレンジ、ピンク、パープル……それらは代わる代わる瞬く間に過ぎ去り、今天を染め上げる一面の(ブラック)に呑み込まれてしまった。

 

『そのとき』が、くる。

 

(……させない。ぜったいに)

 

 このときのため、『あの運命』を変える。そのために……

 

「いこう」

「はい」

「……はい」

 

 きっと私は、そのために生まれてきたのだから。

 

 

 

 

 

「うぬうううッ!!」

「きゃあああ!」

「く……ッ!?」

 

 DIOの放つ攻撃、人間ミサイル……を避けきれず横転し横滑りした軽トラックはビルに激突した。

 

「ジョースターさん!」

「うむ!」

 

 しかし無事だった。気がついたら彼に抱えられ、法皇(ハイエロファント)の触手で上方に向かっていた。

 

「ご、ごめんね。ありがとう……」

「いえ……」

 

 自分の判断ミスで貴重な移動手段が破壊されてしまった上に、また彼に助けられてしまった。こんなときにまで相変わらずの、自らのお荷物っぷりにいい加減うんざりしてしまう。

 上空に飛んだ勢いそのまま、ビルの上に三人で降り立つ。覗き込むように下を窺うとDIOがゆっくりと私たちの乗っていた車へと歩みを進めてくるのがわかった。

 彼は隣に佇んで、それをじっと注視していた。そのただならぬ様子に気付く。

 

「……花京院くん……?」

「行こう。とりあえず距離をとるぞ! ……? 花京院?」

 

 そして、彼はいった。

 ゆっくりとサングラスをはずしながら。

 

「……。思いつきました……ヤツの能力を、見破る方法を……!」

 

「……ッ!」

 

 垣間見えた表情、そのかおで、その瞳で……私は直感、確信した。

 

(きた……。『これ』、だ。きっと、『これ』、で……)

 

 ──さっき、ダービー弟にやられて──

 ──なにを焦っておる!? おまえらしくもない──

 

 そもそも、慎重な彼が、今日はちがった。いつもと。

 気持ちはだれよりも熱い。それでも、冷静で、慎重で、本来真っ先に突っ込んでいくようなひとではない。違和感だらけだった。さっき聞いた人形の件も、車でのことも。

 

 そして、なにより……たぶん、ほんとうは気づかれていた。いつもの彼ならば。

 

 ……私の『隠し事』に。

 

 ならどうしてかって、そんなの簡単なことだ。同時にこのひとは、常に全体……周りのことを慮ってしまうひと。

 DIOを倒すためなら、じぶんは捨て石になってもいい。

 そうおもっている。

 わかってしまった。それが。

 

「……いってきます」

 

(……させない)

 

 飛び去ろうとする彼の、服の裾をひく。

 もう何度目になるだろうか? この、だいすきな長めの緑の学生服に私が必死に手を伸ばすのは。

 

「……いかないで……とか、いわない」

 

 握りしめるその手に、ぐっと力を籠める。

 

「でも、なら……私も、ついていく」

 

「なっ!? だめに決まっているだろう! 危険だ!」

「……そんなの、自分のほうが、でしょう? 私だって、そんなのひとりで行かせない」

 

 なにをいっているんだろう、そう思った。

 

「はなれないでっていったの、あなたじゃない。私、はなれないから。ぜったいに」

「くっ……しかしッ! だれかが、やらなければならないんです! 血路を開かなければ!! このままではいずれ全員がッ!!」

「だめ。ぜったいにさせない……」

 

 彼に向け、ぴしゃりと言い放つ。

 

「……あなたひとりに、そんな役」

 

「ぐっ……」

 

 まっすぐに、その目をみる。

 

 自分をだいじにしろ……そう私にいったのは、いってくれたのは、ほかでもない。

 

 ……あなたではないのか。

 

 そして、私には強力な味方がいてくれた。

 

「わしもこの娘と同意見じゃ。花京院。ひとりでなど行かせんよ。危険すぎる」

「ジョースターさん……」

 

 説得すべく、必死に絞り出した考えを、伝える。

 

「代案が、あればいいんでしょう? ジョースターさん、敵はジョースター家の方の気配を頼りにこちらへ向かってくる。ならばそれ以外の人間……私や、花京院くんの位置は、わからないはずですよね?」

「うむ、みつからなければ、大丈夫なはずだ。だが、近寄った状態で気取られたら終わり、そう思え」

「じゃあ、ジョースターさんは予定通り離れてDIOの注意をひきつける。あと、なにかあったときのバックアップをお願いします。私は花京院くんの近くに隠れていて……護る。それで、どうでしょう?」

 

「……わかった」

 

 一瞬の逡巡のあと、彼はそう呟いた。

 そして今度は私が逆にしっかりと彼に視線をからめられ、とらえられる。

 

「ただし、僕からもあなたに条件がある」

「……なに?」

 

「……あの『約束』を護ること」

 

 ひゅっと心臓をわしづかみにされた気分だった。息を呑む。

 

「わかりますよね? そうでなければ……僕だって、いかせない。ぜったいに」

 

 それをおくびにもださないように、懸命に心の奥底に抑えつけ、どうにかいう。

 

「……うん、わかった」

 

(……私の、嘘つき)

 

 

 

 

 

 ビルの屋上、鉄塔の上に立ちDIOを迎え撃つ花京院くん。

 私はその鉄塔の直下の陰に隠れて、セシリアに彼を……

 

 ……たとえ私になにがあっても、『彼だけ』は、必ず護るよう、御願いしていた。

 

(ほんとうに、ごめんなさい)

 

 ──ならば、約束してください──

 

 私は、約束破りの大嘘つきだ。

 

 ──だれかを護るのは、自分のことを護ってからにしてください。―

 

 いつか彼とかわした『約束』が、あたまのなかにひびく。

 

 茜色の空の下、あなたがくれた、約束。

 あたたかくて、やさしい、約束。

 

 うれしかった。すごくうれしかった。

 破りたくなんてなかった。ずっとたいせつにしていたかった。

 

 怒るよね、きっと。

 

 嘘や秘密をなによりも嫌う、まっすぐなあなた。

 これでもう、私のことも大嫌いになってしまうかな? 

 

 でも、それでもかまわない。

 

 悪夢の様な『黒』に呑み込まれることなく、堂々と、真正面から対峙する『碧』。

 

(ごめん。でも……だめなんだ)

 

 そう。絶対にだめなのだ。

 だって、私が護りたいのは……『だれか』なんかじゃあない。

 

『あなた』なのだから。

 

 きらわれたって、かまわない。

 うそつきでもかまわない。

 

 約束破り、それでいい。

 

 あなたを護れるのならば、それだけでいい。

 

 心を救ってくれた、とか、いつもなんども、とか。それはもちろんほんとう、なのだけど……それはぜんぶ、あとづけの理由なのかもしれない。

 

 

 すきなの。

 

 

 死んでなんて、ほしくない。

 生きていて、ほしいの。

 

 こんなところで失われるなんて、がまんできない。

 無我夢中で、とりもどしたかったの。

 

 あなたのみらいを。

 しあわせを。

 

 ただ、それだけだった。

 

 

 

「……触れれば発射される『法皇』の『結界』はッ! すでにおまえの周り、半径20m! おまえの動きも『世界』の動きも手にとるように探知できる! 何をしたか手に取るようにわかる!」

 

 ビルの谷間、電柱……敵を取り囲むようにはりめぐらされた、彼の『法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)』の触手。

 

 きらきらとエメラルド色に輝くそれは、真っ暗な夜空にとても映えて……

 

 いままで私が生きてきたなかで、いちばん綺麗だとおもうほど美しい光景だった。

 

「くらえッ! DIOッ! 半径20mエメラルドスプラッシュをーッ!」

 

「マヌケが。知るがいい。『世界(ザ・ワールド)』の真の能力は……まさに! 『世界を支配する』能力だということを!」

 

 そして、過去最高に強い、殺意の波動を感じた瞬間だった。

 

「『世界(ザ・ワールド)』!」

 

(いけない! 花京院く……ッ!)

 

 

 

 

 

(はっ! ど、どこ!?)

 

 気がついたら彼の姿が消えていた。

 

 必死に探すと、彼のすがたは隣のビルの貯水槽のところにあった。

 みつけると同時に、ある事実に気づき、息が止まる。

 

(あ、あ、……あそ、こ、は……!!)

 

 まさにあの映像通りだった。

 

 衝撃で壊れた貯水槽から漏れ出た水に浸された……彼。

 

 おもわず叫び出しそうになる。

 

 しかし、次の瞬間、彼が驚いたように起き上がるのがみえた。

 

 

(……あ、ああ……!!)

 

 

(……い、きてる……!)

 

 

(……生きている!!)

 

 

 変えられた。変えられたのだ。

 

 

 あの……『最悪な未来』を。

 

 

 一瞬のあと、呆けている暇はないのだ。と我に返る。敵は健在。それはなにも変わっていないのだ。加えて、なによりも、だ。

 

 このあとはもう、なにが起こるかなんて、ちっともわからないのだから。

 

 

 

 

 

「この鎖で僕達が拘束していますので。ジョースターさんは承太郎達を連れて来てもらえますか?」

「ああ、わかった。急いで行って来よう」

 

『車の中で肉の芽に刺されて手下になっていると思ってました? 残念、あれは演技でしたーッ!! 吸血鬼にも静脈麻酔薬って効くのかな? 効くよね? 効くといって! 大作戦』(なんて名前だ)がどうにか上手くいってDIOを昏倒させることができた。

 仲間に招集をかけるべくジョースターさんが『隠者の紫(ハーミット・パープル)』の茨をロープ代わりに夜の町へと飛び去った。そのすぐあとのことだった。ポケットの中にそのままだったものの存在を思い出す。

 

「あ、そうだ。忘れるところだった」

 

 ごそごそとそれを取り出し、彼に示す。

 

「花京院くん、これ……ありがとう」

 

 赤く輝く、御護りを。

 

「あまり役に立ちませんでしたね……」

「ううん。私が今こうしてここにいられるの……たぶんこれのおかげだから」

 

 目を閉じ思い浮かべる。大好きな祖父の顔を。

 体中に流れる血液が穏やかにあたたかく脈打つ心地がした。

 

 ──いつ何時も、この石は心に想うその相手のことを護ってくれるだろう──

 

 そして、これを譲ってくれたお姉さんに教えてもらった言葉を反芻すると、彼に苦言とともに差し出す。

 

「というか、だめじゃない。これはあなたを護ってもらうためにあげたのに。なので、今更だけどお返しさせていただきます。はい」

 

「いえ。もう少しあなたが持っていて……」

 

「……じゃあ、投げる」

 

 やっぱりか。予想通りの彼の言葉を遮るようにおおきく振りかぶる。

 

「だ、だめですよ! わ、わかりました。わかりましたから……」

 

 慌てて受け取りしぶしぶ首にかける横顔をほほえましく、そして愛しくみつめていると、彼の口が躊躇いがちに開く。

 

「その……だいじょうぶですか? って、そんなわけないですよね……すみません」

「え? なにが?」

「なにがって……。そりゃあ……その、身体の調子と、腕……痛いだろうし、えっと、不便だろうし……」

「ああ。痛いのは痛いけど、点滴のおかげかもうずいぶん楽になったから。血の気も戻ってきたし。ありがと」

 

 いつも饒舌な彼がしどろもどろに言葉をくれる。気を遣わせて申し訳ないという思いと共に、そのきもちがなんとも心に染みた。

 

「不便かぁ。それが別に、いまのところ。

 歩きにくいのも慣れてきたし。まだ正直、実感がないのかもね」

 

 どこか、何故かふわふわとひどく夢見心地で。

 

「そう、ですか……」

「あー、でも、ひとつ、思いついた……かな」

 

(左手が、なくなっちゃって、困ること……か。もちろんたくさんあるに決まっているんだけど……)

 

 それにもかかわらず、なぜこんなことがまっさきに思いうかんだのかよくわからない。

 

(……私、ほんとうに得意だな、現実逃避)

 

「……なんですか?」

「ん……? もう私、結婚できないなぁ……って」

「は? なんで?」

「……だって……指輪」

「え……?」

 

「左手の、薬指。

 もう、ないから」

 

「あ……」

 

「なんて、ね。……ごめん、なにいってるんだろうね、ほんとに。ふふ……」

 

 本当に、なに彼を困らせるようなことをいっているんだろう、私は。笑って、しまう。

 

 そんな私をよそに、彼はすこしも笑わずに、こういった。

 

「……まったくだ。なにいってるんですか。

 どうでもいい。そんなの」

 

「え? ど、どうでもいいっていうのは、ちょっと、ひどくない……?」

 

「……右手の薬指だって、足の指だってあるし、腕輪にしたっていいし……なんでもいい。

 あんなの約束のしるし、ってだけで……だいじなのは、ふたりのきもち、なんだから」

 

「……っ!」

 

 目をみはる。

 

「そっか……そうだね。本当に、そうだね……」

 

(ほんとうに……そのとおり、だね)

 

「そんな心配しなくても、そのうち買ってあげますよ。

 『僕がもうすこし、おおきくなったら』ね」

 

「え?! そ、それって……!?」

 

 それだけいうと彼はそっぽを向く。

 

(おぼえていて、くれていた、の……?)

 

 こみあげてくるものを、必死にこらえる。背中に心でそっと呟く。

 

(ありがと……『典明くん』)

 

 『そのうち』。それって、いつのことだろう? 

 ああ、どうしよう。前言を撤回しなければ。

 

(それまでぜったいに死にたく、なくなっちゃったじゃない……)

 

 

 

 

 

 このままで終わるはずがない。そんなこと、わかってはいたつもりだったが……

 

「仁美さん、油断、しないで……」

「もちろん……」

 

 昏睡からまもなく、DIOは目覚めてしまった。

 

 奴は静かだった。しかしその実、発される獣のようなオーラを抑えつけるべく必死にスタンドを制御する。物凄いプレッシャーだった。すこしも気が抜けない。

 じりじりと気の遠くなるような膠着状態が続く中、ふいに奴が声をかけてきた。

 

「……花京院、おまえにチャンスをやる」

「……は?」

 

「考え直さないか? もう一度、わたしの元に戻ってくるというのなら、おまえと……なんならその女も、生かしておいてやる」

 

「ッ!? なんだと!?」

「おまえは優れたスタンド使いだ。先程のわたしの能力を看破した洞察力といい……その小娘の能力も、非常に有用だ。ふたりとも殺すのは惜しい」

「黙れ! 寝言は寝ていえ!」

 

 彼がその提案を両断したあと、くるりとこちらへ矛先が向く。

 

「小娘……おまえはどうだ? わたしのものになれ。

 我が崇高なる目的を遂行するため、歯車の一端を担うことを許そう。

 与えてやろう。わたしの子を産み、育てるという栄誉をな。女は皆、それを望む」

「なッ!?」

「他の女性がどうだかなんて知りませんけど、私は、死んでもお断りします」

 

 吐き気がする。即時言い放つ。

 

「ふん、生意気な。クク……ククク。本当によく笑わせてくれる。遥か昔に垣間見た『なにか』に似ている……小娘、貴様を見る度、そう喉に魚の小骨が刺さったような感覚を抱いていたが、ようやく思い出したよ。その眼、反抗的な眼……そっくりだ」

 

 遠くを臨むかのようだった目が一瞬にして見開かれ、一転鋭い眼光が注がれる。

 

「……いつぞやわたしが強引に唇を奪ってやった、あの田舎娘にな。

 そういえば、この身体の『もと』の持ち主……

 ジョナサン・ジョースターの、女だったかな……

 ククク。わたしに勝利できるものなど……いないんだよ」

 

(なんて……ひとだ……!)

 

 奥歯をかみしめる。首筋の星形の痣、その『身体』がジョースター家の人間であることの証……それを奴は見せつけるようにこちらに示す。奴の耐えがたい、まさに悪魔の如き所業の証でもあるそれを。

 見ていられない、反射的に目をそらすと、彼が叫ぶ。

 

「いい加減にしろ! 反吐がでる! 

 そもそも、今、追い詰められているのはおまえの方……」

 

「……追い詰められている……? 

 わたしが、か……? く、くくく、くくく……」

 

 淡々と、だが地の底まで這い寄って伝わるかのような、おぞましい声が静寂に響き渡る。

 

(こ、わい……)

 

 DIOの真っ黒な深い闇。そのあまりの底の見えなさに、私は再びいつのまにか怯え、萎縮してしまっていた。

 

「……もう一度言う。これが最後だ。

 ……もどってこい。花京院」

 

 しかし、ためらうことなく、彼は言い放つ。

 

「僕は二度と、屈しない! 

 おまえにも、弱い自分にも!」

 

「花京院くん……」

 

 そんな場合じゃないのに見惚れてしまう。その凛としたすがたに。

 

(すごい……すごいね)

 

 改めて、つよく自覚する。自らのきもちを。

 

(ああ、すきだ。

 私、やっぱり、このひとのこと、すきなんだ……)

 

 弱いところももちろんある。でもそれを乗り越えようとおもうことのできるひと。

 まっすぐにじぶんの信念を貫くその美しいすがた。

 

 そばで、みていたい。いつまでも、となりで……

 

 

(……ずっと、いっしょに……生きて、いきたいよ)

 

 

 しかし、残酷な現実を突き付けられたのは、その、すぐあとだった。

 

「そうか……残念だ。

 ……クク、ククク……」

 

 

 

 

 

「はっ!」

 

 目の前にナイフが突然『現れた』。

 

「あぶない!」

 

 彼がそれを防いでくれる。しかし……

 

「……ちがう! まだ、これだけじゃ……。はっ!」

 

(う……しろ!? ハッ!!)

 

 とてつもなく強い殺意の波動を感じ、振り返る。

 そこで私がみたもの、それは……

 

 街のネオンをかたちづくる、きらびやかなビルの看板。

 その裏側から、その動力を得るため、伸びる電線……ヤツが投げナイフで切って、むき出しになった、その火花散る、電極。

 それが貯水槽から漏れ地面を濡らす水に、今まさに触れんとするところだった。

 

「……だめーっ!!」

 

「ッ!?」

 

 とっさに柵の上に立っていた彼をつきとばす。そして、自分もそれを乗り越え飛び降りようとした。

 

 ……でも、間に合わなかった。

 

 身体にすさまじい電流が走る……

 

 なんて、そんな感覚、わからなかった。それほど一瞬で、あっけなく……

 

 私の意識は、途絶えた。

 

 

 

 

 

 こうしてDIOは、あっさりと。時を……私の時を……止めてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 後悔はない。

 

 ……なんて、私は、やっぱり大嘘つきだ。

 本当は、ああすればよかった、こうすればよかった、ばっかり。

 みんなのいうとおり、馬鹿だよね。ほんとうに。

 

 彼が私のことどうおもってくれているか、なんて、そんなの私は彼じゃあないから、わからないけれど……

 

 そうだったら、って夢みていた。ずっと。

 

 今は考えないようにしようって、おもっていた。

 けど、なんども……そうかも、しれない、っておもってしまいそうになって……

 

 でも、それがどうであれ、おんなじなんだ。

 

 よわい私は、どうしても考えてしまった。

 もしも、しっぱいしたらって。

 

 最悪な形で、私が……死んだら……

 

 そんなとき、彼に、私のこんなきもち、知られてしまっていたら、って……

 

 あのひとは、やさしい、情愛深いひと。

 

 きっと、縛ってしまう。

 与えてしまう。ずっと消えない、罪の意識を。

 

 私の存在が、彼のしあわせの、邪魔をする。

 そんなの、いやだ。

 

 この世のだれよりも、しあわせになってほしいのに。

 

 だから、いえない。ぜったいにいわない。

 

 

 そう、おもっていた。

 

 

 でも、もしも。

 もしも、彼が、私とおなじきもちを抱いてくれていたとして……

 

 私が、このきもちを伝えたら……

 

 

 よろこんで、くれたかな? 

 

 わらって、くれたかな? 

 

 

 だったら、いえばよかったのかな……

 

 けっきょく、どうするのがよかったんだろう? 

 わからない。

 

 

 だけど、ほんとうのほんとうに、すごく、わがままで、しょうじきなきもち……

 

 

 やっぱり、いいたかったな……

 

 いえば、よかったな……

 

 

 ……だいすきだよ、って。

 

 

 わたしの、さいしょで、さいごの……

 

 

 

 すべては、もう、おそいのかもしれないけれど……

 

もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?

  • そのまま4部にクルセイダース達突入
  • 花京院と彼女のその後の日常ラブコメ
  • 花京院の息子と娘が三部にトリップする話
  • 花京院が他作品の世界へ。クロスオーバー。
  • 読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!

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